[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第1部 ー 第8話 WCCF開催

突如40年前のスティーブの実家の前にタイムワーブしてしまった...。還暦も遠の昔に過ぎた男、加賀谷友彦は久しぶりに出向いた Apple銀座 のエントランスで1976年にタイムスリップし、スティーブ・ジョブズの若かりし頃に出会い一緒に働くことになった。
ー 優れたビジョナリーといわれたスティーブ・ジョブズ。その若かりし時代の秘密に迫る!ー
※本編はフィクションです※


■第1部 ー 第8話 WCCF開催
 WCCF (第1回ウエストコースト・コンピュータ・フェア)を企画開催したジム・ウォーレンの目算では来場者の数を土曜日と日曜日の両日で7,000人から10,000人と見越していた。無論これだけの来場者があれば成功だし採算も十分取れた。しかし開催初日、市民ホールの片側には2列、反対側には3列もの長い列が数時間にわたって続いた。結局実際には13,000人もの人たちが集まったのである。

スティーブ・ジョブズは人手が足りない状況から1人でも事情を知っている、そして信頼できる人材をブースに置きたかったから私にもその要請があった。
WCCF開催の朝、ホテルのロビーでジョブズと2人だけになったとき私はブースに立つことを辞退した方がよいのではないかと申し出た。

「だってスティーブ、会場には日本人も来るはずなんだ。私がブース内にいたとなれば歴史が変わってしまうかもしれないし…」
ジョブズは苦笑した。
「トモ、歴史なんて、未来なんて自分たちで作るものだぜ。それにすでにトモは “君の知ってる歴史” を変えているぞ。そうだろ!」
考えるときに彼がとるポーズ、両手の指先を合わせながらソファーに座ったジョブズは続けた。
「日本人が来るなら日本語で説明できる人間もいた方がいいだろう。是非参加しろよ!」
こうして私もApple Computer社のブースに立つことになった。

どんなイベントも設営という地味な仕事があってこその成果・効果が期待出るものだ。そしてイベントにも数々のノウハウがある…。
「ランディ、カタログはそこに置かない方がいいよ」
私の物言いに怪訝な顔をしたランディ・ウィギントンが振り向いた。
「自由にカタログを持ち去られたらあっというまになくなってしまうよ。明日の終了直前まで残しておかないとな。途中で補充できないからね」
カタログの束の上に手を置いて私は続けた。
「来場者は必要だからカタログを手に取るんではないんだ。こういう場所に来るとまずはなんでもかんでも持ち帰ろうとするのが来場者の心理なんだよ。その上ひとりで数枚、十数枚持ってく人もいるし…。だからあっと言う間になくなるんだ」
「だから手間だけど、なるべく我々が自分の手で客に1枚ずつ手渡すのが1番効果的だと思うよ」

横で大型モニターの設営をしていたクリス・エスピノサが納得したようにランディ・ウィギントンにいった。
「トモのいうとおりだな。カタログを消化すれば良いというものではないからな。必要な客に確実に渡すことこそ重要だよな」
話しを聞いていたマイク・マークラはすでにきちんとスーツを着こなしていたが彼も私に賛同してくれた。
「トモはこうした催事の経験があるようだな。どうしたらよいか分からないときにはトモに聞くことにしよう」
「ありがとうマイク」
私はマークラに礼をいった。

「そういえば、ジョブズもいまスーツに着替えているから…ミモノだぞ」
マークラは笑いながらバックヤードに姿を消した。
マークラとAppleの広報・広告を担当することになったレジス・マッケンナは我々スタッフらの身なりにも注意を払った。ためにジョブズもサンフランシスコの洋服屋に連れて行かれ、三つ揃えのスーツを作らされたのだった。しかし本人はノーコメントだったがウォズはスーツの新調を断ったようだ…。

ところで、確かに私は起業した会社において大小多くの催事を経験した。プライベートイベントはもとよりだがMacworld Expo/Tokyoといった大きなイベントにも10年間出展したし、本場米国のMacworld Expoにもこれまた10年間視察を続けたから出店側としての重要なポイントはわかっているつもりだった。

開場時間になると来場者は我先にと駆けだしながら会場へ入ってきた。あっと言う間に200近い展示スペースのほとんどは人で一杯になったが、一部のエリアでは満員電車なみの混雑だった。無論我々のAppleブースも凄い混雑ぶりだった。

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※第1回WCCF会場の様子。もの凄い来場者数だ(BYTE誌1977年7月号より)


しかしブースに詰めかけた人々はそこに美しく洒落たケースに納まった世界初のパーソナルコンピュータを目のあたりにする。さらに来場者らはケースの蓋を開けたマザーボードを見るにつけ、その洗練された造りに驚かされた。
その上、来場者の中には大型スクリーンに鮮やかなカラーで映し出される万華鏡のようなスライドショーがその小さなマシンで実行されているとは思えず、後ろに大型コンピュータが隠されているのではないかと疑った人がいたためジョブズは苦笑しながらも何度も垂れ幕をめくっては何も隠していないことを示さなければならなかった。

ジョブズは勿論、社長のマイク・スコット、クリス・エスピノサやランディ・ウィギントンらも説明や来場者の対応に追われていた。
マイク・マークラは会場を回り、代理店の確保に努力していたが、後からマイクに聞いたところによればAltairのMITS社より大幅な自由を与えると約束したAppleに対し協力を望む代理店が多かったという。

やはり目玉はシャツにネクタイを締めベストを着たスティーブ・ジョブズの姿だった。長髪で髭面ではあったが、ガタイがしっかりしているから姿勢を正すと素敵だった。特にこうした催事には彼の人たらしぶりがいかんなく発揮され、常に大勢の人たちに取り囲まれていた。

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※WCCFのAppleブースで大活躍するスティーブ・ジョブズ。彼が視線を合わせているのがリー・フェルゼンスタイン


「Appleかあ、僕はバイトショップでApple 1をみたことがあるけど、Apple II はカラーなんだ!」
大型モニターに表示するカラーのカレイドスコープ・アニメーションを見上げ、口を開けたままの少年もいた。
私はなるべく裏方で皆のサポートをしようと目立たないようにしていたが、それでもあまりの人の多さに質問攻めにあった。

kareidoscope1005.jpg

※Apple制作のApple II 用デモソフトのひとつカレイドスコープ・プログラム画面例


昼過ぎだっただろうか。私は一瞬身体がこわばり、まごついた…。
なぜなら目の前にはイーエスディ・ラボラトリーの社長、水島敏雄さんの姿があったからだ。
(気づかれたらどうしようか)
私がApple II や周辺機器そしてMacintoshを買ったのは本郷にあったイーエスディ・ラボラトリー社だったし、同社が季刊で発行していた「アップルマガジン」という情報誌の編集長を1年間依頼されたほど周知の方だったからだ。
逃げだそうとしたがかろうじて踏みとどまった。

よく考えればこのとき、すなわち1977年4月前後に私がイーエスディ・ラボラトリーへ行った歴史的事実はなかったし、当然水島さんを存じ上げなかったから彼が私を知るはずはないのだ...。
私がイーエスディ・ラボラトリーに頻繁に通うようになったのはApple IIを手に入れた1982年からだった。
安堵した私は悪戯心もあってなにか質問したそうな水島さんの前に立った。

「ようこそApple Computer社のブースへ!」
私が日本語で迎えるように挨拶すると水島さんはちょっと驚いたような表情を浮かべながら「失礼ですが、これはゲーム機なのですか?」と日本語で質問された。
「いえ、これは世界初のパーソナルコンピュータです。無論ゲームもできますが…」
私は左手脇に抱えていた数十枚のカタログから一枚を彼の前に差し出した。

「ありがとう」
カタログに素早く目を通した水島さんは「凄いな...」と独り言をつぶやきながら再び私の顔を覗き込むようにメガネを直した。
「これはいま持ち帰ることができるの?」
「一般販売は6月を予定しています」
私は愉快になってきた。なぜなら私が得たApple II に関するハードウェアやソフトウェアの知識のほとんどは水島さんの会社、イーエスディ・ラボラトリー社から得たものだった。そのApple II の情報を私が水島さんに話しているその事実に快感を覚えた。
「価格は米国内では1,298ドルになると思います」
私は答えながら技術的な話しはぼろが出るとまずいと考え、後ろにいたスティーブ・ジョブズの袖を引き「大切なお客様になると思うよ」とささやいて対応を変わってもらった。
イーエスディ・ラボラトリー社はこの後、日本にアップルジャパンが設立されキヤノン販売に代理店権が移るまで、紆余曲折はあったもののAppleの日本総代理店として販売とメンテナンス、そして啓蒙や市場育成に力を尽くすことになる。

こうして一般展示の2日間、私はApple Computer社のブースに皆と一緒に詰めていたが、水島さんの他にも日本人の姿があった。当時マイコン雑誌 I/Oを発行したばかりで後にアスキー出版を立ち上げる西和彦さんは目立ったのですぐに分かったが、彼は来場者ではなく出展者側だった。
そういえば西和彦さんとは1990年代の半ばだったか、Apple Japanの応接室で名刺交換したっけ…。

その他、有名私立大学工学部教授の引率でツアーを組んで乗り込んできた一団もいた。参加者は大手一流メーカーのエンジニアや企画調査担当者などだったが、超デラックス観光バスで会場に乗り付けただけに目立ったし多くがスーツ姿だったので些か会場の雰囲気にはそぐわなかった…。その上、彼らは自分たちの所属を知られたくないとバッジを外して行動し、各ブースを丹念に回って技術資料を収集して回った。

まさしくこの第1回WCCFは個人用コンピュータの催事としてはこれまでで最大級のものだったし出展各社の方向性はこれまで大型コンピュータメーカーが夢想だにしなかった新しい市場が急速に膨れあがっていく確信を会場内にいる誰もが感じたに違いない。
我々のブースでは全員が夢中でWCCFを楽しんでいたし、声をからして多くの来場者らにApple IIをアピールしていた。しかしひとりスティーブ・ウォズニアックだけは期待したほどの役には立たなかった。何故ならウォズはこの大事においてもいたずらを考案し、想像上の新型マシンのパンフレットをでっち上げて会場で配り、ジョブズまでをも欺き慌てさせていた。

(続く)

【主な参考資料】
・「パソコン革命の英雄たち~ハッカーズ25年の功績」マグロウヒル社
・「ハッカーズ」工学社
・「パソコン創世記」TBSブリタニカ
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
・「アップルマガジン」イーエスディ ラボラトリー社



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Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員