[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第1部 ー 第9話 クリスアン

加賀谷友彦は久しぶりに出向いたApple銀座の店頭でタイムワープし、カルフォルニア、ロス・アルトスのスティーブ・ジョブズ家のガレージ前にいた。そしてスティーブ・ジョブズらと一緒に働くことになった。
※本編はフィクションです※


■第1部 ー 第9話 クリスアン・ブレナン 
WCCF出展はApple Computer社にとって大成功だったといえる。
かかわったスタッフら全員は高揚した気持ちのままいつもの仕事にもどれるのか心配したほどだった。
「トモ、驚いたよ...いや予測していたことだけどすでに数百台の注文が来てるんだ。Apple 1のときとはレベルが違うぜ」
スティーブ・ジョブズも興奮気味だった。

Apple IIの発売はその年(1977年)の6月だったが、ジョブズは確かに単に金儲けのためにAppleを始めたのではなかった。社長のマイク・スコットも驚いたようだが、スティーブ・ジョブズはApple IIの購入に際しApple 1のユーザーはそれを下取りに出せるサービスを発案した。
その下取りサービス、アップグレードサービスにはマイク・マークラも賛同する。

スティーブ・ウォズニアクもちょっと驚いたようだ。
「ジョブズはコストがかかっても正しいことをしなければならないといってたよ。僕もよい考えだと思う」
ウォズでさえこの下取りサービスなど考えもしなかったからだ。

ジョブズと2人になったとき彼は私の顔を覗き込むようにしていった。
「どう思う。下取りサービスは?」
「素敵なサービスだと思うな。今後コンピュータは年ごとに、いや毎日毎月新しい技術が開発され大きく進歩する。新機種を買う度に数千ドルを必要とするのでは、常々君が言うように家庭内にコンピュータを浸透させるには無理があるからね」
「君の判断は斬新だが正しいと思うよ」
私は付け加えた。

ジョブズはちょっと照れた表情をみせてつぶやいた。
「下取りサービスは差額だけの問題でなく手間もかかるんだ。スコッティに計算してもらっているけど集まったApple 1は市場に再度出回らないよう廃棄処分しなければならない。その為のコストも必要なんだ」

確かにWCCFでの成功でAppleの知名度は大きく向上した。そして広告代理企業レジス・マッケンナの努力もあってApple は実態以上に輝いて見えたが、Appleはまだまだガレージから脱却できたばかりのちっぽけな零細企業にすぎなかった。

私は40年前の未来から来た人間だったから、その後のあれこれは自分の体験として覚えている。下取りサービスもその名称はともかくAppleはその後、スティーブ・ジョブズがAppleを去ってしばらくの間、そうしたサービスを続けたのだった。
私自身、1984年に登場したMacintosh 128Kを数ヶ月後に512Kにしたとき、そしてメモリが1MBになった1986年、Macintosh Plusが登場した際にもこの前機種を下取りとするサービスを利用した。

そういえば相変わらずジョブズは社長のスコッティと喧嘩ばかりしていた。
Apple IIの発売に際しスコッティはその保証期間を90日間と考えていた。当時エレクトロニクスの業界ではそれが相場だったからだ。しかしジョブズは1年間保証を主張した。
「Apple IIの顧客は特別な客だよ。Appleも特別な会社だ。我々はまったく新しい分野の仕事を始めたんだ。だから相場なんてことで決めるのはクソだ」
スティーブ・ジョブズは泣きわめいてスコッティに抵抗した。
「大切な顧客は厚遇した方が次もまたAppleを買ってくれる」と大暴れする。
結局この戦いはスコッティが折れ、Apple IIの保証は1年間と決まった。

仕事は順調に回り始めたがジョブズの私生活は混沌をきわめた。それは私の日常にも大きな影響を及ぼすことになる。
Apple IIの出荷が始まった1977年の夏になるとジョブズはそれまでの自宅を出てクパチーノの一戸建てに移った。何しろ当座の金には困らなくなったしスティーブも自宅を出たかった。
「トモ、君も一緒にくるんだ。まさかひとりでママのところに置いていくわけにはいかないからな」
いたずらっぽく笑いながらジョブズはいったが、私が他に知り合いもなく行くところがないことを知ってのサポートだった。

というわけで私はジョブズの新居に小さな一室を与えられたものの、同居人は私だけではなかった。
スティーブとインドへ一緒に行ったというダン・コトケも一緒に暮らしはじめた。ダンは付き合いにくい男ではなく私とは気が合ったが、困ったことはクリスアン・ブレナンというジョブズの彼女も一緒だったことだ。
「トモ、居候の俺たちがいうべきことではないけど、女が同居というのも辛いものがあるよなあ…」
ダンもこぼすほど我々は彼女とジョブズの間にはいって日々気を遣うことが多くなった。

あるときたまたま早朝にテラスでクリスアンと2人になったとき彼女はわざとらしいしかめっ面で聞いた。
「ねぇ、トモ。スティーブって付き合いにくいでしょ。嫌な奴だと思わない?」
私は2人の間で板挟みになるのだけは避けたかったから正直にいった。
「彼は私には紳士だよ」
彼女は誰かに聞いて貰いたかったのだろうか、テラスに置かれたピーチチェアに座りながらぽつりと2人のことを話し出した。

Early in the morning

余談になるが、私はスティーブ・ジョブズのことは様々な本などでその生い立ちやらを知っていた。しかし幾人かのジャーナリストが書いた本でもクリスアン・ブレナンが登場しない本もあり、常々不思議に思っていた。
例えばマイケル・モーリッツ著「スティーブ・ジョブズの王国」にはクリスアンの名はなく、同時期に付き合っていた彼女の名はナンシー・ロジャースとある...。
また2005年に出版されたジェフリー・S・ヤングとウィリアム・S・サイモンの共著「スティーブ・ジョブズ 偶像復活」にも当時の彼女の名はクリス・アンと書かれている。

単なる間違いとしてはお粗末すぎると最初は考えていたが、スティーブ・ジョブズがあれこれ書かれることは有名税としても一個人のプライバシーを尊重してこの頃までクリスアンの名は伏せられていたようだ。

それが初めてスティーブ・ジョブズとクリスアン・ブレナンとの仲が公開されたのは公認伝記といわれるウォルター・アイザックソンの「スティーブ・ジョブズ」だという。同書が出版されたのはジョブズが亡くなった2011年のことだった。
また2013年にはクリスアン・ブレナン自身が書いた自伝 "The Bite in the Apple" が出版されたことでスティーブ・ジョブズとの関係や彼の20代前後の様子が知られることになった...。

TheBiteintheApple.jpg

「スティーブと出会ったのは高校生のときよ。私は彼より一学年下だったの。そして私は彼の瞳をみつめるのが好きだったの」
「ロマンチックな話しだなあ」
私は思ったとおりの感想をいった...。
「私がロマンチストだとすれば母の血よ。私の名 “クリスアン” って母が考えたらしいわ。なんだか “菊” を意味するらしいの。そういえぱ母は文学好きでいつも本を読んでたわ」

スティーブ・ジョブズが真面目に付き合った初めての彼女がクリスアンだったそうだ。
「思い出すのはいつもお金がなかったことだわ…。なにしろディランの音楽を一緒に聴くことぐらいしかできなかったのよ」
クリスアンはフトその場に立っている私に、
「あっ、ごめんなさい。トモもそこに座って!」
私もクリスアンの隣のチェアに深々と体を沈めた...。

太陽が昇り始めた空を仰ぎ見るようにして彼女は話しを続けた。
「スティーブとウォズ、そしてルームメイトと私の4人で猛暑だったのにもかかわらず着ぐるみのバイトもやったわ。10分も持たなかったけどね」
クリスアンは真っ白な歯を見せて笑った。
「あるときのことだけどデートして車に戻ると駐車違反のチケットが貼られていたの。そのときは絶望したっけ。罰金は25ドルだったけど私たちには大金で払えるあてがなかったもの。だけど彼は平気なのよ。心の中まではわからないけど」

思わず私は「それで罰金はどうしたの?」と聞き返した。
クリスアンは思い出し笑いをしながらその後のエピソードを話してくれた。
「私があまりにもお金お金と心配したからかも知れないけど、スティーブは苛ついた顔で私を見つめ、ポケットから小銭とドル札を掴んだと思うと有り金全部を目の前に広がる海に投げ捨ててしまったのよ!信じられる?!クレイジーよ!」

「そういえば...」
クリスアンは私の方を向いて、
「スティーブは例の囓り跡のある林檎のロゴについて私に意見を求めたことがあったわ」
「意見って?」
私はいささか意味が分からずおうむ返しに返事をした。
「あの、私は芸術的センスがあると彼に評価されていたからだと思うけど、彼はデザインされた林檎のロゴがどんなイメージとして一般の人々に映るかを知りたかったのね、きっと...」
「なるほど、それで君の意見は?」

右端を囓った6色アップルロゴは後にアメリカンドリームの象徴にもなったしクールで素晴らしいコンピュータを作る企業のシンボルに相応しい評価をされユーザーの熱狂的な支持を受けた。そのシールは好んで車のリアウィンドウなどにも貼られ、ロゴが載ったグッズも多々作られた。
しかし当時の第一印象は決してそんなに良い印象ばかりではなく (ダサイ) とまでいう人もいた...。

クリスアンは楽しそうにいった。
「私はこれは芸術的と言うより哲学的なロゴだといったのよ」
「......」
「レジス・マッケンナのデザイナー、ヤノフによれば右端を囓ったのは "a bite" (ひとかじり)と2進数の "byte" をひっかけたとか、林檎がチェリートマトに見えないようにと工夫したからだとかいってたようね」
「うん,私もそう聞いてるよ」
「でもね。私はヤノフはもっと哲学的に深淵な意味を込めたのではないかとスティーブにいったのよ」

私は俄然興味を持ったので続きを促した。
「だって聖書にはイブとアダムは林檎を囓って楽園を追われたけど "知恵" を得たのよ...」
「なるほど、我々もApple II を使うことで知恵を増幅できるというわけかな」
「そうね。その代わり楽園ならぬ何かを犠牲にしなければならなくなるのかも知れないわね」

クリスアンはスティーブという楽園から追われることを暗に気づいていたのではないかとドキッとしたが、うつむいた拍子に美しい長い髪が彼女の横顔を隠したので表情は分からなかった。

「そう...スティーブはいま何しているの?」
確か今日は休日だし、Appleへ出社していないはずだと思いクリスアンに聞いた。
「ああ、彼は明け方までタイプライターで詩を書いていたわ。ちょっと読ませてもらったけどディランの歌詞の真似みたいなところがあって芸術的ではないわね」
クリスアンは微笑みながら、
「スティーブは基本独りが好きなのよ。寂しがり屋の独り好きって奴ね」

笑顔のクリスアンは美しく賢明な女性に思えたが、悲運だったのはスティーブ・ジョブズという男の頭の中はこの時期彼女の占める場所がなくなっていたことだ。それはジョブズにとってAppleのビジネスが面白くて仕方がなかったからだ。
さらに起こるべきして悲劇が...本当なら喜ばしいことだが...起こった。クリスアンが夏も終わろうとしていた頃に妊娠した...。

ダン・コトケは私よりジョブズの心の内を知っているからかクリスアンの妊娠を知ると暗い顔をした。
「本来なら "おめでとう" といいたいところだが、これは一騒動おきるぞトモ!」
ダンは見つめた私に頷きながら「心すべきことは、そう、僕らにはなにもできないということだよ」

コトケの憂慮は当たった。スティーブ・ジョブズはクリスアンに「生むな」といい「俺の子ではない」とまでいった。クリスアンは半狂乱となった。彼女が中絶を拒否すると関係は終わったことをアピールするためかスティーブはすべての責任を回避する行動をとった。
結局クリスアンは絶望しAppleを辞めてオレゴン州の農場へと去った。

「僕はスティーブの親友のつもりだが、この件に関しては彼の言動で支持できることはひとつもないよ」
ダンは腕を振りながらいう。
「いいかい。スティーブは生みの親から捨てられ苦悩してきたことは僕ら皆が知ってることだ。そのスティーブが…スティーブ自身が父なし子を世に送り出そうとしてるんだぜ。どう考えても理不尽だよ。おかしいよ!」
私も心からうなづいた。

「トモ、君も知ってるとおりAppleは順調だ。マークラがいうには再来年には株式公開が実現するといってたよ」
「ああ、スティーブは大切な時期にスキャンダルを避けたいと思っているのだろうが、認知するならともかくまかり間違って裁判沙汰になれば、余計に目立つよな。なに考えているんだか?!」
ダンと私は顔を見合わせて同時にため息をついた。

「トモ、僕はAppleは好きだし仕事も好きだ。無論スティーブも好きだよ。だけどスティーブとは距離を置いた方が良いかも知れないな。なにしろ言うにことかいて僕にクリスアンを説得しろといったんだぜ。生むなと!」
「そればかりではないんだ、トモ」
私の視線を真正面から受け止めながらダンは続けた。
「絶対に自分の子ではないというだけでなく、クリスアンは他の男とも寝ていたと悪あがきしているんだ」
ダン・コトケはスティーブとの長い間の友情が冷めていく気持ちをどうにも押さえようがなかったようだ。

「Appleの役員たちもいざとなると冷たいよ」
私が無言でダンに視線を送ると、
「マークラは示談にしろとか養育費を払ってやれとはいうけど彼女のためを思っていってるわけではないよ。これまた株式公開前に決着をつけたいだけさ。クリスアンをきちんとサポートすべきと主張したのはスコッティくらいなものさ」

歴史の事実としてスティーブとクリスアン、そして生まれてくる女の子の運命を知っている私はダンに慰めの言葉も発することは出来なかった。
ましてやスティーブが後年生まれた子供の名前をそのままプロダクト名としたなど、口が裂けてもいえなかった。

(続く)

【主な参考資料】
・「パソコン革命の英雄たち~ハッカーズ25年の功績」マグロウヒル社
・「ハッカーズ」工学社
・「パソコン創世記」TBSブリタニカ
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
・「スティーブ・ジョブズ 青春の光と影」東京電機大学出版局刊
・「アップル・コンフィデンシャル 2.5J」アスペクト刊
 



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Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員