[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第1部 ー 第11話 トラブル続き

加賀谷友彦は1976年12月6日に出向いたApple銀座の店頭でiPhoneのホームボタンを押した瞬間目眩が...。思わず座り込み気がついたとき彼はタイムワープしカルフォルニア、ロス・アルトスのスティーブ・ジョブズ家のガレージ前にいた。そしてスティーブ・ジョブズらと一緒に働くことになった。
※本編はフィクションです※

■第1部 ー 第11章 トラブル続き

「あらためて聞くが、そのiPhoneってのは電話機なのか?」
仕事から帰った真夜中、ダン・コトケも別の友人宅に泊まるからと出かけたある日、私が39年後から持ってきたiPhone 6s Plusの説明を続けることになった。
「ワインなら飲めるか…」
私がアルコールに弱いと知っているスティーブ・ジョブズがワイングラス2つとボトルを持ち出していった。
「少しいただくよ。君もそうだろうが疲れているから飲むと寝てしまいそうだ」
手にしたグラスにワインを注がれながら笑うとスティーブは「そうだな」といいながらも一気に飲み干した。

iPhoneは大別して携帯電話機、携帯情報端末機、携帯音楽プレーヤーを統合したものであること、情報端末はまだこの時代ではインフラが開かれていないがテキストだけでなく写真や動画に至るまでを送りあったり共有閲覧したりができるのだと説明した。
しかし実に妙な気分だ。2007年1月、MacworldExpoのキーノートで後年のスティーブ・ジョブズがiPhoneを iPod、携帯電話、インターネットや電子メールの送受信等が行える携帯情報端末という3つの機能を併せ持ったデバイスであると発表した姿が記憶に残っているからだ。彼はそのとき「Appleは今日電話機を再発明した!」とも宣言した…。その当人に「iPhoneとは」と御託を並べている自分が可笑しかった。

「なににやついてるんだよ」
スティーブは説明の続きを催促した。
そういえば、スティーブと私の間でひとつの約束ができていた。それはスティーブがあえて聞かない限りスティーブ本人やAppleの未来について話さないということだった。
スティーブは私が未来からタイムワープしてきた人間という "事実" についてはすべての前提として認めざるをえないと考えたようだが、未来は自分たちで築くもので用意されているものではないという持論を持っていた。そして良いこと悪いことに限らず基本的に自分の未来は知るべきではないと結論づけたようだ。

「持ち運べるという点を別にすれば電話機と音楽プレーヤーについては理解できるがその情報端末ってのがいまいちよく分からんな」
グラスに自分で2杯目のワインを注ぎながらスティーブはつぶやいた。

「君はARPANETを知っているだろう?」
スティーブは勿論だという顔をしながら
「タイムシェアリングシステムにコミュニケーション能力を持たせたコンピュータネットワークと考えればいいのかな」
それに...と思い出したように付け加えた。
「核攻撃にも耐えうる設計といったかな。だから軍用のシステムさ」
スティーブは自分たちには関係ないといった顔をした。

「まあ、実のところ核攻撃に耐えうるというのは副産物で、メインの使命は研究用の大型コンピュータの設置台数が限られていることからひとつの端末からそれら大型コンピュータのどれとも接続できるネットワークを構築することにあったようだよ」
スティーブは軽く右手を上げ、話しの先を促した。
「簡単にいえばARPANETの進化型が我々の誰もが使えるようインフラ化されたんだよ。1990年代中頃から私たちも公衆交換電話網...メタル回線を利用してインターネットと名付けられたコンピュータネットワークを使い始めたんだ」
スティーブは俄然具体的な話しになったからか、体を起こして本格的に聞く姿勢を見せた。

yamaha_ISDN.jpg

※筆者が1996年11月にはじめてインターネット接続を試み愛用したYAMAHA製 ISDNルーター


「要するに単に個人間でのコミュニケーションだけでなく新聞やラジオ・テレビ・メールといったメディアがすべてデジタル化されネットワーク化された結果このiPhoneで日々の事件やニュースといった情報は勿論、デジタルな百科事典にアクセスして調べ物をしたり、映画を見たりもできるんだ」
私もグラスに口を付けながら続けた。
「それに無線ルーターを使えばネットワーク回線に繋がっている機器とiPhone間は費用のかからない無線でも利用できるんだ」
「それがiPhoneをして情報端末っていう意味さ...」

さすがのスティーブも理解と言うより想像もできない点があるのだろう、困惑の顔をする。
「まあ分からんところは置いといてだ。文章入力するにはどうするんだよ。キーボードもないぜ」
わずかに残っているバッテリーを使い、ソフトウェアキーボードというものを見せた後、この時代では使えないが実は音声認識の技術が搭載されており、話し言葉をテキスト化して入力できることを説明するとスティーブはあきらめ顔をした。
「ぶっとんでいるな。まるでSFだ。目の前にこれがなければ信じられん...。」
少し考えていたようだが
「寝ようぜ。続きはまた今度だ」
スティーブはあきらめ顔のまま大きなアクビをしながらつぶやいた。

リビングで数十分を過ごした我々はそれぞれの部屋に分かれた。しかしこんなおだやかな時間は "ここだけ" だった。なぜならApple II は売れていたが、まだまだ企業の屋台骨は安定しておらずAppleの日常は予測できないトラブルが多々押し寄せ、平穏さとは無縁だった。

1977年の後半はふたつの危機に見舞われた。
そのひとつはすでに伝説化された話しになっているが、その伝説の筋書きを私流にご紹介するとこうなる...。

ランディ・ウィギントンが新しいBASIC言語...AppleSoft BASICを開発中、それまで1ヶ月半ほどの成果を保存してあったタイムシェアリング先の大型コンピュータから突如データが消えてしまうと言う事故が起きた。

「スティーブ、僕は早速コール・コンピュータ社に電話し最新のデータがダメでも直近のバックアップテープをセットしてくれるよう頼んだんです」
「それでどうした?」
問いただすスティーブに向かい、半べそをかいたランディは言いにくそうに...
「お前の会社は数ヶ月も料金が滞納しているからダメだ、できないと言われました」

この時期のAppleはキャッシュフローが逼迫していたのであちらこちらでこんなトラブルを起こしていた。
スティーブは普段威張り散らしているが、こうしたときの決断は早く肝っ玉が据わっていることには驚かされる。
早速コール・コンピュータ社の社長アレックス・カムラートを呼び出しなだめるようにジョブズはいった。
「君がこちらに来てくれたらたまった料金を小切手で用意しておくよ。ただし僕らも急いでるんだ、わかるだろう。だから直近のデータテープをセットしデータをダウンロードできるようにしてから出かけてくれないか。頼むよ!」
それならばと納得したアレックス・カムラートだったが、早速ランディはアレックス・カムラートがこちらに向かっている間にデータをダウンロードし、ログオフしてその場から去った。

アレックス・カムラートという人物はボクサーあがりの人物で鼻も目もつぶれた強面の男だった。事実怒りっぽいと評判だった。集金に来たその男に向かいスティーブ・ジョブズは真っ向から悪たれをついたのだ。
「おまえに小切手なんぞ支払うつもりはない。数週間分もの貴重な仕事を吹っ飛ばしやがったお前たちに払う金などあるわけないだろう!地獄に落ちやがれ。帰れ!」

スティーブ・ジョブズは菜食主義者で当時は痩せていた。したがって万一殴り合いにでもなったらスティーブは確実にボコボコにされるだろう。しかしスティーブの気迫に押されたのかカムラートはしばらく仁王立ちした後、怒りながらドアを蹴って出て行った...。


......とまあ、こうした伝説がすでに広まっているようだ。しかしその場にいた私が見た光景とはかなり違うことを告白しつつ状況の説明をしておきたい。
そもそもApple II にはウォズが開発した整数BASICが搭載されていたがユーザーはより実践的な浮動小数点演算が可能なBASICを欲していた。無論ウォズもそれは承知だったが変更にはまともな時間を必要とすることは明らかだったもののウォズはすでにフロッピーディスク・ドライブの開発を始めていたから取り組む余裕がなかった。

そこでAppleはマイクロソフト社から6502 BASICを買い取り、これをApple II の低解像度グラフィックスと整合性を持たせ "AppleSoft BASIC" として開発することになった。これまたランディの仕事だった。
しかしランディは愚痴が絶えなかった...。
「トモ、この6502 BASICはバグが多すぎるんだ。まずはこのバグを潰さないと」
私はランディの顔を見ながら
「ランディ、君の独壇場だろ」
と誉めるつもりでいったが、彼の表情は曇りっぱなしだった。

「いや、ウォズという天才と一緒に仕事をするのは素晴らしいことだけど彼は飛び抜けているから困るんだよ、トモ」
どういうことかと促すと、
「だってウォズはいまだにハンド・アセンブリングだから...凄いことだけど...Apple II で動くアセンブラーがないんだよ」
「ということは開発ツールがないってこと?」
私も驚き聞き返した。ちなみに "アセンブラー" とは、アセンブリ言語のソースコードを機械語のプログラムに変換するソフトウェアのことだ。

そこでランディは苦肉の策でコール・コンピュータ社のクロス・コンパイラを電話回線経由で使うことにした。そのクロス・コンパイラもBASICで書かれていたという。
処理にはひどく時間がかかりコンパイルには2時間ほど、ソースコードの打ち出しには数日かかると思われたが、ここでコール・コンピュータ社のシステムが故障し,契約のユーザーエリアに保存してあった6502 BASICが消滅した...。
とまあ、ここまでは確かなのだ。

ただしコール・コンピュータ社のカムラートが到着する間にうんぬんというのはいかにもありそうな伝説だが、実際はここで助け船をだしたのが1977年11月、ロッド・ホルトが採用したクリフ・ヒューストンとディック・ヒューストンという兄弟だった。
彼らはそれまでIMSAI 8080を所有していたがウエスト・コースト・コンピュータフェアでApple II を見て感激しホルトに接触したのだという。

データセンターのコンピュータが使えないことは確かだった。ではどうするかで青ざめたランディ・ウィギントンはスティーブ・ジョブズらに対処を求めた。結果、クリフ・ヒューストン、それにときおりウォズとジョブズがやってきては早口で話し合っていたが、私には宇宙人の言葉のようで意味不明だった。

後でランディに聞いたところによれば、クリフ所有のIMSAI 8080のおかげで窮地をのがれたのだという。
「いや、本当に助かったよ。クリフのIMASAに6502 BASICの紙テープを読み込ませ、それをフロッピーディスクに落として IMSAIベースの6502クロス・アセンブラーにかけたんだ」
「なるほど、IMSAIがデータ・センターのコンピュータ代わりになったというわけか」
私が少々とんちんかんな問いをしたもののランディは言い換えもせず
「それより開発ツールができたことが強みだったんだ。なにしろこれまで2時間かかっていた作業が6分で終わったんだからね。そして全ソースコードの打ち出しだって、そう確か40分もかからなかったよ。電話回線がネックなのは分かっていたけど、個人用コンピュータの威力をあらためて知ったよ」

IMSAI8080_1977BYTE.jpg

※BYTE誌、1977年7月号に載ったIMSAIの広告


ランディはろくに食事もとらずに働き続けたからだろうか、少し痩せてみえた。
ともかくデータセンターのコンピュータが使えなくなった現実を踏まえ、もし IMSAI 8080がなければ代替手段を考えつくまでまったく先に進めない話しだったから危機であったことは確かなのだ。
ただしスティーブ・ジョブズがボクサーあがりのカムラートと睨み合ったという話しの方が面白いのは確かだけど...。

もうひとつの危機はもっと深刻だった。
この頃スティーブの口癖は「Apple II の成功ははじめから確信していたよ」といったものだった。自分が予測したとおり、Apple IIは売れてるしこれからも売れるとメディアや周囲に自慢していた。しかし私と二人きりになるとニュアンスはかなり違った物言いになった。
「いや、売れるし売らねばならないと思っていたよ。しかし君だから白状するけどApple 1 の倍ほど売れれば上々だと思ってたんだ」
いたずらっぽい顔をして彼は続けた。
「Apple II にケースをというのは俺の考えだったが当時は金も時間もなかった。だからなるべく安く上げようとして低予算の加工法でケースを作ったんだ」
その低予算の加工法によるケース作りを依頼していたケースメーカーの金型が壊れたのだ。

ケースがなければApple IIは出荷できず売上げがなくなる。なによりも前記したようにこの時期Appleのキャッシュフローは底をついていたから根本的な改革は出来得なかった。
正真正銘の危機だった。スコッティもマークラも単に金を出せば済むことではないことは理解していたがキャッシュフロー不足を考慮し取り急ぎ個人で20万ドルずつ資金投与したが、ケース成型システムを修理し再度ケースを成型できるまでには物理的な時間が必要だった。

ここでもスティーブ・ジョブズのガッツが会社を救った。
「トモ、一緒に来てくれ」
スティーブと私はケースメーカーまで車を飛ばした。彼の運転はいつも乱暴で危なっかしいものだったが、数十分後に自分たちの運命が決まると思うと気が気でなくスティーブの荒っぽい運転も気にならなかった。
メーカーの責任者に会うとスティーブは挨拶もせずいきなり本題に入った。
「状況はわかっているつもりだ。ケースの出荷を予定通り…いや少しでも早めて欲しいが、ここで僕たちが君たちに報いることはひとつだと思う」
スティーブはメーカーの責任者をあの射るような瞳で凝視した。
「スケジュールより早く出荷してくれたら、一週あたり1,000ドルのボーナスを出すよ。だから何とか頑張ってくれないか!」

スティーブの真摯な態度とボーナスの提供は成型メーカーを奮い立たせた。文字通り早めにケースが届けられ始めたためApple IIの出荷もできるようになった。
Appleにとってもぎりぎり、背水の陣だった。あと一週間ほどケースの納品が遅れたら倒産の憂き目に遭うところだったのだ。

Appleの経営陣は他にもいろいろなヘマをやらかしつつ学んでいった。
マイク・マークラは自分が立案したApple IIの販売見通しが責められても仕方がないほど悲観的だったことを思い知った。ジョブズが下した技術的選択や試作品の最終仕上げをウォズが嫌がること、細かなことまで粗探しをするロッド・ホルト、製品の美的考慮を重要視しないマイク・スコットらも多くのいざこざの中でこれまでとは程度の問題はあるにせよお互いの欠点に寛容になっていく。

「俺もジョブズ流の足の疲れをとる方法を始めたよ」
いたずらっぽい顔してスコッティは私にいった。
「なんですかそれは」
「決まってるだろ。トイレの便器に水を流してその中に足を入れるのさ!」
スコッティと私は顔を見合わせ大笑いしたが、離れた場所にいたスティーブ・ジョブズが何事かと振り向いた。

(続く)

【主な参考資料】
 ・「パソコン革命の英雄たち~ハッカーズ25年の功績」マグロウヒル社
 ・「ハッカーズ」工学社
 ・「パソコン創世記」TBSブリタニカ
 ・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
 ・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
 ・「林檎百科~マッキントッシュクロニクル」翔泳社刊
 ・「スティーブ・ジョブズ 青春の光と影」東京電機大学出版局刊


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Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員