[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第1部 ー 第13話 Disk II 誕生

加賀谷友彦は1976年12月6日に出向いたApple銀座の店頭でiPhoneのホームボタンを押した瞬間目眩が...。思わず座り込み気がついたとき彼はタイムワープしカルフォルニア、ロス・アルトスのスティーブ・ジョブズ家のガレージ前にいた。そしてスティーブ・ジョブズらと一緒に働くことになった。
※本編はフィクションです※


■第1部 ー 第13話 Disk II 誕生
Apple IIは売れ続けていたが、市場が広がるにつけApple II はホビーストだけのものではなくなっていった。それはより厳しい世間の批評に曝されることになったことを意味する。
1番のクレームというか評判がわるかったのはApple II のカセットインターフェースだった。無論ウォズが作ったものだが家庭用のカセットテープレコーダーを記憶装置として使うことができランニングコストは安価だったがApple II だけの問題ではなかったもののその信頼性には問題があった。カセットテープをコンピュータの記録媒体に利用することはAppleの発明ではなく、この頃のパソコンの多くがそうだったのだ。

信頼性に問題とは、例えば同じApple II でも違うカセットテープレコーダーを使うと巧く行かないことがあったりする。ホビーストたちにとっては珍しいことではなく「相性が悪い」で済んでいたものの一般ユーザーにとっては欠陥品と映った。
さらにカセットテープによるデータの書き込みや読出しには時間がかかり、ちょっとしたゲームでも数分、コンピュータ言語のようなものだと10分ほどかかることもざらだった。そのうえ、ロード中に読み込みエラーとなる場合もあり得たしコンピュータへの期待が高まり多様なデータにアクセスしたくともカセットテープではランダムアクセスができなかった。

さてこの時代にフロッピーディスク装置が無かったわけではない。しかし8インチの大型の製品が主流でシュガートのSA800が市場を席巻していたがやっとサイズの小型化を目指して5.25インチのSA400が登場した。

1977年の12月、マイク・マークラは翌年1月にラスベガスで開催されるCES 国際家電ショーまでにディスクドライブの可能性を明確にしたかった。
取締役会の席でマークラは同席したスティーブ・ジョブズ、スティーブ・ウォズニアク、ロッド・ホルト、マイク・スコットそして私の全員を見回してからいった。

「知っての通り、私は最近ランディの力を借りて小切手帳管理プログラムを作っている。これはそんなに大きなプログラムではないがカセットテープによるセーブ/ロードにはウンザリしてるんだ。市場は日々大きな容量が必要なプログラムが必要となるしその兆候も出てきている」
一息入れたマークラは続けた。
「是非フロッピー・ディスクドライブの開発を進めたい。勿論これを実現できるのはウォズしかいまいが…」

とはいえウォズはフロッピー・ディスクの動作原理については詳しく知らなかった。しかし以前ヒューレット・パッカード社に勤めていたとき、シュガート社からマニュアルを取り寄せたこともあった。
ともかくSA400の実機をスティーブ・ジョブズがどこからか調達してきた。ウォズは目新しい機器を手にして持ち前の知的好奇心が膨らんでいった。

「僕がフロッピーデスク装置に精通していなかったことが幸運だったと思うよ」
ウォズは笑顔で私に話してくれたことがあった。
制御方法や回路設計に関してもウォズはこれまでの常識にはとらわれず、一から独自の考え方で難関を突破していった。
「僕は難しいと言われたことに挑戦するのが好きなんだ。巧く行けば自慢できるしね」

しかしロッド・ホルトもスティーブ・ジョブズもあらためてウォズの天才ぶりには驚いた。
ホルトはいう...
「あのSA400のマニュアルをどう熟読したのかわからないけど、あれだけの情報から動作原理を完全に理解しただけでなく回路の簡素化を思いつくなどウォズしかできないことだよ」
マークラも、
「まさしくウォズは魔法使いだな」
凄いというより呆れていたというのが周りの人たちの感想だった。

そのウォズもディスクへのデータ読み込および書き込み、フォーマッタのソフトウェア作りにはランディ・ウィギントンの応援を求めた。
ウォズとランディはクリスマスが迫る頃、本気を出したようだ。昼夜を問わず働き続けクリスマス休暇も返上で働いた。
ただし社長のスコッティはイライラのしっぱなしだった。
「できるのか、できないのか。俺には製品発表と出荷日を決める役目があるんだ。胃が痛いよ」

いつもは途中で飽きて仕事を先延ばしすることも多いウォズだったが、ホルトが驚嘆するほどフロッピーディスクドライブ開発には入れ込んでいた。
「奴は本気だよ。トモ」
ウォズの監視役だったホルトは愛用のキャメルを咥えながら私にウォズの働きぶりを聞かせてくれた。
「精魂かけて取り組んでいるよ。鬼毛迫るというか狂気に近い集中力だよ」
事実たまたまウォズとすれ違っても魂がどこか別の所にあるようでブツブツと独り言をいっていた。その姿は寝ることや食べることなど眼中にないように思えた。

それでもウォズとランディは展示会までにはディスク用のオペレーションシステム作りは間に合わないと考えていたらしい。ともかくデモ用でいいから開発を完成したいと努力したがやはりラスベガスに立つ日までには間に合わなかった。
しかしラスベガスの雰囲気はウォズとランディをうきうきさせた。開発を徹夜で続けながらときおり息抜きと称して賭け事で憂さを晴らした。
ランディはダイスで35ドル稼いだことに有頂天になったのか、開発中だったディスク内のデータをうっかり消してしまうというアクシデントを起こしてしまい一時はデータ復旧を絶望視したほどだった。

そのDisk II と名付けられた5インチ・フロッピー・ディスクドライブはウォズでなければなし得ない成果だった。ウォズ自身も後年当時を振り返って「自分にとって disk II はApple II 以上に素晴らしい製品だと思うし、生涯でもっとも気に入った誇れる製品だよ」と言っている。

disk21009.jpg

※Apple II 用 Disk II (当研究所所有)


とはいえDisk II の開発はスティーブ・ウォズニアクの独り舞台のように伝わっているし後年本人も (自分が創った)と明言しているが、実際は見てきたようにソフトウェア面ではランディ・ウィギントンの力が不可欠だったしフロッピーディスク装置自体のアナログ回路はロッド・ホルトがモトローラの新型チップを駆使し、それまで18個使っていたチップを4個に減らした。
ウォズの真骨頂はデジタル回路だった。フロッピーディスクのコントロール・ボードのチップ数を従来の40個からたったの8個に減らした!やはりウォズもホルトも天才なのだ。

ただし別項でお話しすることになるが Disk II を実際に使うとなればCP/Mのようなディスク・オペレーティング・システム(DOS)が必要になる。さすがのウォズもこれには手を出せなかった。独学の天才の限界だったのだ。

話しは先走るが、1978年初頭のコンシューマ-・エレクトロニクス・ショーでこの Disk II が発表され、その後に開催された第2回ウエストコースト・コンピュータ・フェアでは厳しい眼を持つコンピュータに詳しい専門家たちの度肝を抜いた。
Appleとは競合だったコモドール社のCEO チャック・ペドルもいつもの毒舌ぶりとは違い Disk II を「これはエレクトロニクス業界を完全に一変させてしまう」と絶賛した。

「このDisk II がリリースしたらApple II の出荷は大幅に伸びるよ」
私がスティーブにささやいたが、スティーブ・ジョブズは当然だという顔をして笑っていた。
安価に提供されたこともあったし1979年秋にはApple II 用に初めての表計算ソフト「VisiCalc」がディスクベースで発売されたがこれがキラーアプリケーションとなる。なぜなら米国ではサラリーマンであっても確定申告が必須なため、一般のユーザにもApple II と Disk II の有用性をストレートにアピールできた。そしてApple II は、いやパーソナルコンピュータはすでに単なるゲーム機ではなく、ビジネスや家庭においても有用なツール…武器になることを示したという点でも功績は大きかった。

Disk II の試作品が出来上がると社内では様々なテストが重ねられていた。勿論フロッピーデスクドライブのテストにはフロッピーが必要だ。あちこちで様々な使われ方が始まるとあっというまにその5インチフロッピーが不足するようになった。その度にクリス・エスピノサやランディ・ウィギントンが買いにいかされた...。
そんなシーンを見ていて私はふと未来の自分がApple II と Disk II を手にして楽しみ、工夫したことを思い出した。

当時の Disk II は片面単密仕様とよばれ、フロッピーの片面を35トラック、16セクタに分割してデータの読み書きを実行できた。
トラックとは外周から内周に向かい同心円状にエリアが列び、0から34までの番号がつけられている。さらにこのトラックは16のセクタに分割され各256バイトのデータが書き込まれる仕様だった...。
したがって1枚の(片面)のフロッピーには16セクタ × 35トラック × 256バイト = 143360バイト、すなわち143Kバイトのデータを格納できたわけだ(フォーマット以前の容量)。
いまの感覚では「なにそれ、メチャ小さいじゃん」と思うだろうが、Apple II 本体の標準メモリが4KBとか8KBといった時代だからすばらしく広い空間に思えたのだ。

ただし当時はフロッピーも一般ユーザーにとっては高価だった。米国と日本では状況がかなり違うと思うが、1982年に私が手に入れた5インチ・フロッピーは秋葉原で10枚入り16,000円もした。したがってショップによっては1枚ずつのばら売りをしたほどだった。
したがって1枚のフロッピーを至極大切に使った。どのようにしたらフロッピーのギリギリまでデータを書き込むことができるかを考えながら使ったものだ。

MiniDisk.jpg

※未使用5.25インチフロッピーディスケット10枚パッケージ(当研究所保存品)


あるとき、たまたまビル・フェルナンデスやクリス・エスピノサらが Disk II を使っていたときのことだった...。
「143Kというとデカイと思ったけどすぐに一杯になっちゃうな」とクリスが言ったのを聞き、私は悪戯心がわいた。
「クリス、新しいフロッピー1枚貰える?」
何事かと思ったのか、怪訝な顔をしてクリスは机上にある箱から1枚の未使用フロッピーを取りだし私に差し出した。
「なにするの? トモ」
「まあ、見ててごらんよ」
私はフロッピーのエンベロープの端にハサミで切り込みを入れ始めた。
「あっ、だめになっちゃうよ」
クリスが叫んだが、私は笑いながら作業を続け、書き込み防止の切り込みがない側に同じような切り込みを付けたフロッピーをクリスに渡しながらいった。
「はい。クリス、これで143Kの倍容量のフロッピーのできあがりだよ」

市場に出回っていた片面単密のフロッピーは文字通り片面しか使えなかった...。というより製造工程上磁気媒体は両面に塗布されていたが検査は片面しかされておらず、別面は保証対象外だったのだ。
しかし金のない我々ユーザーは何とかして高いフロッピーを有効的に使いたいと考えたあげく、エンベロープの中身、すなわち記録媒体を傷つけずに反対側の書き込み防止位置に切り込みを入れればフロッピーを裏返してさらに143Kが使えることを経験上知ったのだった。

勿論保証対象外だからデータエラーが起きても文句は言えない。しかしほとんど問題がなかったと記憶している。事実後年米国でもそうした切り込みが間違いなくできるようにと専用パンチが売られたが、我々はカッターナイフやハサミでそれを行っていたのだった。

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※5インチ、フロッピーディスケット用、書き込み防止の切り込みを正確に作る “Nibble Notch”


「クリス、だけど承知のように保証されているのは片面だけだ。だから仕事上重要なバックアップには止めた方がいいよ」
笑いながらいう私にビル・フェルナンデスが言い放った。
「これはいいなあ。ただしこの話しは、シブチンのスコッティには内緒だな」
「確かに。これを知ったらスコッティは在庫全部のフロッピーに切り込み入れろ!って叫ぶからな」
クリスの一言で我々は心の底から笑い合った。
「だけどトモ、ハサミやナイフを扱うのは結構難しそうだよね。失敗もありえるなあ」
そういうクリスに私は、
「クリス、見ていてご覧、そのうち安全に同じことが出来るツールが登場するよ」
私はウインクしながらその場を離れた。

(続く)

【主な参考資料】
・「パソコン革命の英雄たち~ハッカーズ25年の功績」マグロウヒル社
・「ハッカーズ」工学社
・「パソコン創世記」TBSブリタニカ
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
・「スティーブ・ジョブズ~無謀な男が新のリーダーになるまで」日本経済新聞出版社



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Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員