乙川弘文という僧侶は何者なのか?

スティーブ・ジョブズの生涯に興味がある方なら、彼が禅の師と仰ぎ、妻となったローリーン・バウエルとの結婚式を司ったりNeXTの時代にメンタルな指導者として任命された曹洞宗の僧侶、乙川弘文あるいは知野弘文という名をご存じだと思う。


以前ケイレブ・メルビー原作の「ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズ」を読み、あらためてスティーブ・ジョブズと乙川弘文の縁を知ったが、今般ジョブズの高校時代からの彼女だったというクリスアン・プレナンの著作「THE BITE IN THE APPLE」(原著)をぽつぽつと拾い読みしていて驚いたのはクリスアンは弘文を聖書に登場する悪魔の名まで出して弘文を嫌悪していることだった。そこであらためて乙川弘文とはどのような僧侶だったのかを知りたくなった。

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※「ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズ」表紙


とはいえ弘文について日本語で読める資料はほとんどない。詳しいのは前記した「ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズ」だが、他は本書を訳された柳田由紀子氏のオフィシャルサイトにスティーブ・ジョブズと乙川弘文についての情報がいろいろと載っている。特にかつて集英社の季刊誌「Kotoba」に2012年から掲載された「スティーブ・ジョブズが愛した禅僧、乙川弘文評伝」が秀悦だ。
また脇英世氏著「スティーブ・ジョブズ 青春の光と影」東京電機大学出版局刊の第16章に「THE BITE IN THE APPLE」について解説程度に触れられているくらいではないだろうか。

なお柳田由紀子氏はそのオフィシャルサイトにおいて乙川弘文の伝記を書いていると宣言されている。それが出版されれば乙川弘文という男の全容がわかると期待している。さらにTwitterの情報によれば「新潟日報」に「スティーブ・ジョブズが愛した禅僧ー乙川弘文」の連載が開始されるとのことだ。掲載は「新潟日報」のウェブサイトに登録すれば数ヶ月後になるようだが無料で読めるとのこと、これまた楽しみである。

さて、「THE BITE IN THE APPLE」では10章「THE PRACTICAL AND THE POETIC」の105ページあたりから "Kobun" というワードが頻繁に登場する。しかしクリスアンの描く弘文は信頼に値しない人物であり、彼女は弘文をして聖書に登場する悪魔ベルゼバブ(Beelzebub) と称して嫌悪している点が気にかかった。
まあ、”Beelzebub” の解釈については深入りしないが…。
また残念ながら私の語学力ではクリスアンの文章は分かりづらく、十分にその意図や意味を認識できているとは思わないし、彼女はいささかヒステリックで被害妄想、そして矛盾やぶっ飛んだところもあるようだが、彼女にそう思わせたにはそれなりの理由があるに違いない。

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※クリスアン・ブレナン著「THE BITE IN THE APPLE」表紙


私たちは僧侶というとある意味無条件で安全で無害、悟りを得たかどうかはともかく厳しい修行の果てに我々凡夫には及びもしない智恵と鏡のような心境を得、真理を探求する求道者という認識がある。
ただし世の中には "師" と仰ぐに相応しい人たちはさまざまな場所に存在しそれらは決して僧侶だけではない。例えば学校の教師、塾の先生、近所の老人、会社の上司、カルチャーセンターのインストラクター、かかりつけの医者はもとより友人たちでさえ時に師となりうる。
しかしそれらの人たちと僧侶とは明確に一線を期すものがあるはずだしなければならないと思っている。もしなければ姿形だけになってしまう。
僧侶といえばいまでは葬式のときに経を読んでもらう人...に成り下がってしまった感もあるが、本来は俗世間から意識的に離れ無欲で公正、そして人の哀しみや苦しみをその場を共有することで少しでも和らげてくれる特別な人でなければならない。青臭いかも知れないが私はそう思っている。

ところで弘文は知野弘文あるいは乙川弘文と呼ばれることがある。
乙川弘文は1938年2月1日に新潟県にあった曹洞宗・定光寺の三男として生まれた。知野という姓の由来だが、彼が7歳のときに父親が癌で死んだために知野孝英という老師の養子に迎えられたことによる。ただし後年、知野孝英は米国から帰国の気配がない弘文を後継者とすることをあきらめ、養子縁組を解消したため弘文は旧姓に戻った。ために弘文はときに知野あるいは乙川と呼ばれることになった。
ここでは彼の布教活動について詳しくは触れないが2002年7月26日、スイスの山荘において池に溺れた五歳の長女を救おうと飛び込んだものの娘共々溺死している。

スティーブ・ジョブズと弘文の付き合いは「ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズ」で象徴的に描かれているので参考にしていただきたいが、そこに登場する弘文の姿はまさしく禅の達人ともいうべき形で捉えられているし、これまた前記した「スティーブ・ジョブズが愛した禅僧、乙川弘文評伝」でも破天荒な部分がきちんと紹介されてはいるものの著者の目は暖かく特別な人といったとらえ方をしているように思える。まあ単なる駄目男なら探求してみようなどとは思わないわけだろうが...。

その弘文の欠点だが、人とのアポはすっぽかすし酒にだらしがなかった。金にもルーズ。剃髪しないことや妻帯あるいは離婚はともかくとしても、同棲中の彼女を国際布教師会議に同伴させるというまわりが唖然とする行為を平然となす。さらにクリスアン・プレナンによれば、すでに法律で禁止されていたLSDも躊躇なく体験していたという。

こういうと、米国という禅にとって真っ新の社会で目的を果たすため、その手段は日本におけるものとは違って当然という擁護があるかも知れない。さらに俗社会の決まり事、常識を打ち破る"反俗の立場"を示した...という理解もあるかも知れないが、他者に迷惑をかけ法律を犯すことは一般の人たちを教化する立場の…それも僧侶がとるべき行為ではない。
それとも曹洞宗は法律に触れたLSDを使ってでも海外での布教活動を許していたのだろうか...。そんなはずはないだろう。
まあ、そもそも凡夫が僧侶をそれもすでに亡くなった人を批判するのは気がひけるが、公人としての…僧侶・老師としての言動を問題にしているのであって、ひとりの家庭人としての男を問題視しているのではないことはご理解いただきたい。

さて「スティーブ・ジョブズが愛した禅僧、乙川弘文評伝」の中で筆者の柳田由紀子氏は、「乙川弘文ってよくある女好きの教祖様?そんな疑念も湧いてきた。けれども、完璧主義者のあのスティーブ・ジョブズが、ちゃらんぽらんな色事師坊主を信頼するなどありえるのだろうか?」と疑問を呈しつつ、繰り返すが好意的なとらえ方をされているのが興味深い。
しかしスティーブ・ジョブズが信頼したから弘文が優れた人格者であり、ちゃらんぽらんでないはず…という物言いは論理的ではない。そもそもスティーブ・ジョブズは特にこの時代、いい加減なクソ野郎だったのだから。

ここは重要だと思うので押さえておきたい。我々はスティーブ・ジョブズを優れた企業家、ビジョナリーだとは認めるが、立派な人間、人格者であったとは認められない。また乙川弘文は永平寺などで厳しい修行をした正真正銘の僧侶であったが、少なくとも米国に渡ってからの行為の中にはすでに見てきたように人の道を教え、法(ダルマ)を伝えたかったからという理由であっても正当化できるものばかりではなかったようだ。
「泥沼に咲く蓮の花」といった生き方や考え方に彼のような生き方を準える人もいるだろうが、凡夫ならそれもよい。しかし僧侶であるならそれは方便でしかないだろう。

クリスアン・プレナンは失礼ながら私と同じく凡夫であり迷い続けながら精一杯生きようとしていた一人の弱い人間だ。そのクリスアンはお腹が大きくなるにつれ中絶すべきか生むべきかを迷う。肝心のスティーブ・ジョブズは認知を拒み養育費も払わないばかりか「あの女は他にも男が複数いた」あるいは「彼女の部屋には誰でも入れた」などとまで貶める物言いをした。まったく最低のクソ野郎だ…。
クリスアンは自暴自棄となり皿を投げつけ壁に酷い言葉を書き付けたりしたというが、本来父親となるべき男から「自分の子ではない」と拒まれた一人の女性がこの程度の狂気をみせても私は同情こそすれ批難する気にはならない。悪いのは間違いなくスティーブ・ジョブズなのだ。

そうした迷いの中でクリスアンは周知の弘文に相談する。弘文は精神的・物理的・金銭的にも必ず君を守るから子供は生むようにとアドバイスしたという。しかし当時の弘文の活動を俯瞰してみればそれはまさしく安請け合いであり、金銭的援助ひとつをとっても容易なことではなかったはずだ。
とはいえクリスアンにしてみれば文字通り藁にもすがる思いだったに違いないしスティーブ・ジョブズの人柄を知る僧侶、先生、老師であった弘文ならばと信頼したのだろう。

ために妊娠中もクリスアンは禅堂センターなど弘文がかかわる集まりに通い救いを求め続けるが、弘文がマリファナを吸うこと、彼の義母がマリファナ好きだったことを知り、禅の師にあるまじき行為と愕然とする。これまた自然な感情だ。
その後、リサを生んだクリスアンは妹や知人の温情に頼るが、長居は出来ないと移民向け簡易宿泊所に引越し生活保護を受ける。しかし生活は困窮を極め、家賃を払うと生活費は一ケ月159ドルしか残らなかったという。

そうした困惑と絶望の中で最後の頼みの綱だった弘文は結局なんの手も差し伸べてはくれなかったらしい。金銭はもとより精神的・物理的な面においても…。
ではなぜクリスアンが弘文を悪魔の主、ベルゼバブ(Beelzebub) と感じたのか…。その後もクリスアンと弘文は交流があったようだが、かなり後になっての話しになる。
弘文らとクリスアンそしてリサが談笑しているとき、クリスアンは日本人である弘文に娘のリサが日本語を勉強していることを伝えた。
それを聞いた弘文は目を見開いてリサに向き直りいった言葉が引き金となった。
肝心なところなので原書「THE BITE IN THE APPLE」207ページ中段から、なにがあったのかを和訳してみよう。

 その晴れた日の午後、私たちはお互いに満面の笑顔で挨拶を交わした。弘文と一緒に時間を過ごすのはいつだって特別なことであり、私は、何といってもこの数年来は、自分でも驚くほど弘文と会うのが嬉しかった。私は、そこでの立ち話の中で、リサが日本語を学んでいることを弘文に告げるのを忘れなかった。私は、そう聞けばきっと弘文は喜ぶだろうと思ったのだ。それは、弘文が、言うまでもないことだが、母国や母国語に対して終始変わらぬ深い愛情を抱いていたからである。私の話を聞いた弘文は目を大きく見開き、リサのほうを向くと、「日本語が話せるのなら、私の秘書になればいいじゃないか」と言った。リサにとって立派な雇い主に仕える機会となるそのありがたい申し出を耳にしたとき、私は弘文から5フィートほど離れたところに立っていた。ありがたい申し出とは言ったが、私にとってそれは、悪魔ベルゼバブが娘のリサの手を取ろうとしているようなものだった。この男が、そしてその考え方が、リサに影響を及ぼすのだと思うと、私は胸が張り裂けそうだった。結果は目に見えていた。
 リサは誰の秘書にもさせない、少なくともこの男の秘書にはさせるものか。私は、弘文にぶしつけな態度を取るのは好きではなかった(実を言うと、それだけは何が何でも嫌だった)が、弘文をどこであれ娘のそばに近ずけるわけにはいかなかった。だから私は、にっこりと笑ってその秘書の話を承諾するふりをするというようなことはできなかった。私は大きく一歩を踏み出して2人の間に割って入り、こう言った、「ごめんなさいね、リサをあなたの秘書にすることはどうしてもできないの!」そう言ったときの私は微笑んでいたが、神経は張り詰めていた。


クリスアンにとってその言葉はベルゼバブが自分の娘に魔の手を伸ばしたかのように思えたようだ。それは弘文が女好きであり酒癖がわるく、その上 LSDを吸っているなど彼の行状を知っていたからだろう。
さらに助けるといってなにひとつ手を貸してくれなかった男の魔の手のように感じたのだろうか。クリスアンにとって「たったひとつ一番大切な娘をおまえなんかに利用されてたまるか」という嫌悪感が湧いたに違いない。弘文の冗談でありクリスアンの考えすぎ、被害妄想と捉える人もいるだろうが、彼女にそう思わせる言動が乙川弘文にあったからだともいえる。
ただし「悪魔ベルゼバブが娘のリサの手を取ろうとしているようなもの」と嫌悪しているというのに冒頭の「弘文と一緒に時間を過ごすのはいつだって特別なことであり、私は、何といってもこの数年来は、自分でも驚くほど弘文と会うのが嬉しかった」という感情は相反するものであり、クリスアンの心の内はどうにも単純には理解できない。

ともあれ僧侶だから人の信頼を裏切っても彼は「破天荒で天然ボケ、世俗の価値観とは無縁な子供のような心を持った愛すべき人」と評価すべきなのだろうか…。私は決してそうは思わない。
僧侶も生身の人間であり食わずには生きていけない。しかしそれとこれとは話が違う。

どうにも我々は毎日決められた時間に起床し、満員電車にもまれながら遅刻せずに会社に行き、疲れた心身を癒やす時間もなくまたまた通勤電車に飛び乗って夜半に帰宅…というごくごくありふれた毎日を繰り返しつつ「このままではダメだ」と現状に満足していない。
だからか、弘文のようなあるいはスティーブ・ジョブズのような破天荒な人物に憧れてしまいがちだ。ちょうど世間を知らない少女が不良少年に恋するように…(笑)。しかし遠くから憧れるだけなら害もないが、その懐に深く入っていけばいくほど裏切られ傷つくことも多いに違いない。

弘文は対スティーブ・ジョブズを含めて確かに禅の優れた指導者だったかも知れないが、「THE BITE IN THE APPLE」にある通りなら私には僧侶として素直に認められないわだかまりが残ってしまう。
弘文にとってクリスアンへの対応は多くの信奉者たちのたった一人に過ぎなかったのだろうが、一人を救えず何の仏教なのだろうか。

本来教えとは師の口先の言葉を鵜呑みにすることではないはずだ。あえて古くさい物言いをすれば、弟子は師の言葉ではなく、その背を追い行動を見て育つものだと思う。そうした意味において弘文は僧侶として師として理想的な人物ではなかったと言わざるを得ない。
前記したクリスアン・ブレナンも著作の中で “Kobun” について多くのページを割いているが、悪魔といった比喩は特別だとしても期待や尊敬あるいは信頼への渇望も多々伺える。それだけに僧形の師としてはひとつひとつの言動に責任を持って貰わなければならない。

繰り返すが言動不一致、酒に乱れ、女好き、金にルーズでアポイントは守らないし法律に違反してまでLSDを公然と使う。さらに米国での活動や集めた信徒たちのデータを日本の本部に届けなかったというのではまるで破戒僧ではないか(笑)。
曹洞宗の海外における活動にどのような規約があるかなど知る由もないが、弘文は間違いなく曹洞宗の僧侶としてオフィシャルに米国あるいはヨーロッパで禅を広めようと活動したのだから、ごく平たく言えば曹洞宗本部の監督不行き届きではないのか。

なぜスティーブ・ジョブズは弘文に惹かれたのか。それは自分のネガティブな面をも理解し許してくれるだろうという意味において、弘文に似たもの同士を感じたのかも知れない…。
人間は決して完全完璧な生き物ではないし、それは僧侶とて同じだろう。しかしより良い生き方を探り修行するのが僧侶の僧侶たる所以だろう。私の乙川弘文に対する第一印象は厳し過ぎるのかも知れないが、スティーブ・ジョブズがそうであったようにGod JobsとともにBad Jobsも間違いなく本人の姿なのだ。したがって表面づらや禅僧という肩書きで判断するのは危険だと考える。
弘文の情報に関しては今後も注視していきたい...。

【主な参考資料】
・「THE BITE IN THE APPLE」St. Martin’s Griffin刊
・「ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズ」集英社インターナショナル刊
・「スティーブ・ジョブズ 青春の光と影」東京電機大学出版局刊
・柳田由紀子氏オフィシャルサイト
・DVD「スティーブ・ジョブズ 知られざる男の正体」NBCユニバーサル・エンターテイメント



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主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員