[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第23話 ラスキンのMacintosh

加賀谷友彦は2016年12月6日、久しぶりに出向いたApple銀座の店頭でiPhoneのホームボタンを押した瞬間目眩にに襲われた…。思わず座り込み気がついたとき彼はタイムワープし40年前のカルフォルニア、ロス・アルトスのスティーブ・ジョブズ家のガレージ前にいた。そして彼はスティーブ・ジョブズらと一緒に働くことになった。
※本編はフィクションです※

■第23話 ラスキンのMacintosh
これまた1981年の年明け早々だったと思うが、クパチーノのとあるコーヒーショップで少々遅いランチ代わりの軽食を取っていたとき、あのジェフ・ラスキンがテーブルの前に立っていた。
「トモヒコさん、ご一緒していいですか」
その髭面の顔からのぞくふたつの眼は少々疲れているように思えた。

「勿論ですよ。私はひとりですから、ご遠慮なくお座りになってください」
私は対面の椅子に座ることを勧めた。
「あなたも一休みですか」
私は話しのきっかけをつくろうと差し障りのない問いを発した。
「ええ、ちょっと資料を探しに出た帰りだったんですが、あなたが店内にいらっしゃるのを見て声をかけさせてもらいました」
ジェフ・ラスキンは教師をしていたとかで心地良い声と明解な話しっぷりの男だった。私は (ああ、ラスキンは音楽家でもあったなあ) と考えながら相づちのつもりで笑顔を返した。

そのときの彼は黒っぽい服を着ていたし、無造作に生えたままにしているような髭もまだ真っ黒だったからどこかの宗教家のようにも見えた。それだけ見かけは温和で紳士だったが内に秘めた熱いものを閉じ込めているのがわかった。
「楽しい話しでなくて恐縮ですが相談にのってもらいたくて」
それまで社内では挨拶程度しかコンタクトしたことがなかったので私はどう対応したら良いかを考えながら、
「まだしばらく時間がとれますから、私で良かったらなんなりとどうぞ」
と返答した。このときラスキンは38歳だったが、年齢よりずっと老けて見えた。

「Macintoshプロジェクトのことなんです」
ラスキンは私と視線を合わせて静かに話を切り出した。
歴史を知っている私はどんな内容なのかはすでに承知していたが、まずは彼がどのような話しをするのかを聞いてみたくてうなずき先を促した。
「あなたはもっともスティーブに近い存在と知っているしジェントルマンだと見聞きしていますので是非アドバイスをと思いまして」
やはりラスキンとてストレートに話しを切り出すのは憚れるようだった。

「スティーブがあなたのプロジェクトの邪魔をしているようですね」
私の方から核心をついた物言いをしてみた。
大きな体のラスキンは小ぶりな椅子に座りにくそうにしながらテーブルに一瞬目を伏せて話し出した。
「ええ、私がするはずだったプレゼンテーションをスティーブは (中止になった) とふれ回って妨害しようとしたこともありました。もともとスティーブはLisaに関わっているときは (お前のプロダクトはAppleのビジネスの邪魔をすることになる) と猛反対でした。しかしご承知のようにLisaチームからスコッティに追放された後、やることがなくなったからでしょう、私のプロジェクトに顔を出すようになりました」

いまではMacintoshはMacと呼ばれ、Apple製品の根幹となっているがそもそもはジェフ・ラスキンがほそぼそと始めたプロジェクトの名前だった。
Macintoshという名はAppleという社名にならい、ラスキンが好きなリンゴの種類であるMcIntosh (和名:旭)から取った名前だったがどうやらラスキン自身なのかあるいは別のスタッフなのかはいまとなっては不明だが、スペルを間違ったのがそのままコンピュータの名前として認知されるようになってしまったといわれている。

「最初プロダクトに反対していたスティーブもしばらく後に顔を出したときには私と同じ考えを持っていたこともあって話しが合ったんです」
私は少々意外だという気がして首を傾げた。
「Macintoshはなにもかも必要なすべてを缶詰のように詰め込んだアドオンなしで使える1000ドル程度の製品を目指しています。マシンの電源を入れたら小難しいコマンドなど入力しなくてもすぐに使えるしポータブル性も高い製品なんです」
オーダーを取りに来た店員にコーヒーを注文したラスキンはグラスの水で口を湿らせて続けた。
「私のMacintoshはApple II のような拡張スロットもありませんしグラフィックスも不要、マウスも採用するつもりはありません。とてもシンプルなマシンなのです」

私は後にラスキンがAppleを去った後、そのラスキンの思いをキャノンで製品化したという「Canon Cat」を思い出していた。1,2度しか触ったことがなかったので詳しい事は知らないが1984年にリリースされたMacintoshに夢中になっていた時期でもあり地味なOAマシンといった印象しかなかった。

ラスキンの声が私の回想を現実に戻した。
「そうしたシンプルさはスティーブの考えている理想のマシンに近いと賞賛してくれました。彼がApple II の拡張スロットに反対だった話しはよく知られてますしね。私のトースターなみに使いやすいコンピュータというコンセプトも気に入ったようでした」

この1981年という年はスティーブ・ジョブズにとって内に抱えた膨大なエネルギーのはけ口を失っていた時機だった。Lisaプロジェクトから外されたものの会長という役職に就任していたし株式公開で莫大な金も手にした。世の中で自分の思い通りにできないことはないといった意気込みだったに違いない。
そうしたスティーブにとってラスキンがこつこつと進めていた小さなプロジェクトは格好の標的だったのだ。

ラスキンは姿勢を正して続けた。
「そもそも私がAppleで働くことになったのはあなたもご承知だと思いますが1977年に私の小さな会社ごとスティーブが買収し私はドキュメンテーション制作を任されたわけです。ですから私はスティーブ・ジョブズという男を毛嫌いするつもりはありませんでした」
すでにテーブルにあるコーヒーは冷めていたが、ラスキンはそれを一口二口飲んで、躊躇いがちにまた話し出した。
「スティーブは最初自分はハードウェアを担当する、だから私にソフトウェアを担当しろといいました。申し上げるまでもなく彼はAppleの会長ですし私は一介のドキュメント部門のマネージャーに過ぎませんから面と向かって拒否するわけにもいかなかったんです」

ラスキンは意識してセーブした話し方をしていたのか、次第に両手をテーブルの前に突きだしながらオーバーアクションも見せ始めた。ただし私は形だけだとしてもCIOの肩書きを持っている人間だからだろう、ラスキンは終始紳士的で丁寧な話し方を崩さなかった。
「確かにスティーブがプロジェクトに加わることは良い面もあったのです」
「あ、聞きました。予算面で援助が増えたとか」
私はスティーブ・ジョブズ本人から聞いた話しを思い出しながら口を挟んだ。
「そうなんです。しかしバレル・スミスが苦労して作ったマザーボードを見ていきなり (CPUを68000にしろ) とスティーブが言い出しまして」

ジェフ・ラスキンは現状の危惧を私に訴えながらスティーブ・ジョブズの介入を阻止あるいは緩和する策はないものかと核心に入った。しかし繰り返すが会長と一介の社員とでは現実問題喧嘩にもならなかったし、社長のスコッティもスティーブがMacintoshプロジェクトに頭を突っ込むのはAppleとして悪いことではないと考えていた。
なぜならLisaの開発にちょっかいを出さないでくれるのであればMacintoshプロジェクトにどのような影響があったにしても大した問題にはならないと考えていたようだ。

私はジェフ・ラスキンを前にして良策を即答できる問題ではないこと、スティーブ側の思惑も確認してなにかできることがあれば知らせようと返事をした。
その後私もCIOという立場からMacintoshプロジェクトの進捗状況に注視していたが、スティーブの参加はチームの士気を鼓舞していることは確かだった。なにしろスティーブは資金を集める力も、数少ない開発用機器やそのスペースをぶんどる力も、そして優秀なスタッフを他部署から引き抜いてくる力も持っていた。

このMacintoshプロジェクトはその年のクリスマス間近になったときその動きが急に激しくなった。何故ならバレス・スミスが68000を使った設計の目処をつけたからだ。これがスティーブの感性を激しく揺さぶった。
68000ならLisaと一緒にGUIもマウスも採用できるはずだしMacintoshはクロックもLisaより速いという。それにLisaは数十人のエンジニアたちが手を染めていたし数枚の回路基板とカスタム・コンポーネントが使われていたものの依然開発に苦慮していた。対してスティーブの目の前のMacintoshは回路基板が1枚で価格はLisaの数分の1で可能なのだ。

それを知ったスティーブはこのマシンは (第2のApple II になる) という確信を得たようだ。さらにLisaチームに、そしスコッティに一泡吹かすことができると踏んだのだ。
Macintoshチームのマーケティング担当だったジョアンナ・ホフマンに近況を聞いたとき彼女は近頃スティーブの目が輝いているといいつつ、
「トモ、確実にジェフに暗雲が立ちこめているわ。私の勘では近々スティーブが実力行使し自分の思うものを手にすると感じるの。だってあんなに地味なMacintoshプロジェクトだったけど今では後光が射しているもの」
少し変わったイントネーション、そして情熱的な高い声のジョアンナは心配そうにしかしどこか愉快だと感じているような複雑な表情をしながら私に語ってくれた。

後年ラスキンを「Macintoshの父」と称する人たちもいるが、ラスキンの思いはその名前だけしか残っていない。コンセプトもデザインもそしてユーザーインターフェースもラスキンの描いたものとはまったく違った製品でしかなかった。そしてことの是非はともあれ1984年1月24日、正式に発表されたMacintoshはまさしくスティーブ・ジョブズのマシンだった。

(続く)

【主な参考資料】
・「パソコン革命の英雄たち~ハッカーズ25年の功績」マグロウヒル社
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
・「アップル・コンフィデンシャル 2.5J」アスペクト刊
・「マッキントッシュ伝説」アスキー出版刊




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Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。2017年6月3日、時代小説「首巻き春貞 - 小石川養生所始末」を上梓(電子出版)。続けて2017年7月1日「小説・未来を垣間見た男 スティーブ・ジョブズ」を電子書籍で公開。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員