[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第24話 Lisa誕生前夜

スティーブ・ジョブズは稀代のビジョナリーであり、未来のテクノロジーを時代の最前列で考え見つめてきたといわれている。しかしその陰には2016年12月6日、アップル銀座のエントランスから40年前のカリフォルニア、ロス・アルトスにあるスティーブ・ジョブズ家のガレージ前にタイムワープしたひとりの男の存在があった。
ー 優れたビジョナリーといわれたスティーブ・ジョブズ。その若かりし時代の秘密に迫る!ー
※本編はフィクションです※

■第24話 Lisa誕生前夜
一般的にLisaという画期的なプロダクトはスティーブ・ジョブズらがゼロックス社のパロアルト研究所(PARC)を訪れ、そこで見た暫定ダイナブック...すなわちAlto上で走るSmalltalkのデモを見て触発され開発がスタートしたという話しが知られているが、これは文字通りには正しくない。
何故ならそもそもPARC訪問は1979年末だったが、Lisaという開発コード名でプロジェクトがスタートしたのは同年初頭のことだからだ。

またLisaという名に落ち着くまでには Apple III、Apple 400あるいはLisa 400といった案も根強かったが結局シンプルなLisaに落ち着いた。
それはApple II に縛られないまったく新しいコンピュータを作りたいというスティーブ・ジョブズの考えに基づいた計画だったが、当初は標準的なインターフェースを持った...GUIもなければマウスもない伝統的なコンピュータとして考えられていた。

そのLisaプロジェクトがゼロックス社パロアルト研究所(PARC)訪問後にGUIを持つコンピュータ開発に変わっていったのは自然なことだったに違いない。何しろスティーブ・ジョブズはAltoを見て「人生で最良の物を見た気がするし理性のある人なら、すべてのコンピュータがやがてこうなることがわかるはずだ」と言い放ったからだ。
それらに伴いAppleも新しい人材が必要だった。そしてLisaを完成させるために "宇宙をへこませるために" 個性豊かで異能の持ち主たちがAppleに集まりつつあった。

その頃、スティーブの口から出る言葉には "Lisa" というワードが入らないことがないくらいだったが、私を含めて周囲の人間たちは "Lisa" という名はスティーブが頑なに父親であることを拒んできたクリスアン・ブレナンが生んだ娘の名だと知っていただけになんとも奇妙で口に出しづらかった。しかし当のスティーブは平気だった。

社内でも意見や思いは複雑に交錯していた。無論スティーブ・ジョブズはブレナンが生んだ娘の名であることを認めたわけでもなかった。そしてあのウォズも奇妙なことに同意見だった。
「Lisaがジョブズの私生児の名から取った命名というのは事実ではないんだ。あれは別のキーパーソン、そうケン・ロスミュラーの娘の名から取ったんだよ」
ウォズがなぜこんなガセを信じたのか、あるいは意図的にスティーブをかばおうとしたのかは分からないが、頑なにそう主張していたのは確かだった。
しかし当のロスミュラーは、
「ばからしい話しさ。スティーブほど自尊心の強い男が大切な新プロダクトの名に他人の娘の名をつけるはずはないだろう」
苦笑いしながら私に説明してくれた。その後、ロスミュラーは協力的でないことを理由に解雇されるはめになったが一部ではLisaの名を巡る確執が原因なのではないかとも噂された。そういえばLisaプロジェクトのリーダー、ジョン・カウチの娘の名だといった噂もあったりして混乱していた。

実際ロスミュラーの娘の名はLisaではなかったし、ともあれAppleとしては他の命名をとコンサルタントに依頼もしたが、すでにLisaという名はマスコミに広く行き渡っていたからレジス・マッケンナ・エージェンシーの案で「Local Integrated Software Architecture」の略だと報道されていた。無論それを信じるものなどApple社内ではひとりもいなかったが。

そのLisaプロジェクト開発はPARCでスティーブ・ジョブズらにAltoの紹介をしたラリー・テスラーと同僚たちなどがAppleに入社したことで加速したが、ここでもスティーブの言動がプロジェクトの進行にマイナスの影響を与えると考えたスコッティによりスティーブは早々Lisaプロジェクトから外され、かわりにジョン・カウチがリーダーに任命されたのだった。
この一件でもスティーブとスコッティはバトルを繰り返すことになる。

スティーブは私と二人っきりになると愚痴が多くなった。
「Lisaは発案からコンセプトをまとめるまですべて俺の努力の賜だぜ、トモ。そうだろう」
両手を振り回しながらスティーブは悔しそうに喋りまくった。
「スコッティの野郎は、俺にAppleのスポークスマンに徹しろといいやがる。このままではLisaもApple III の二の舞になるぜ」
私はそもそもスコッティがApple III の二の舞を恐れてスティーブをLisaプロジェクトから外したことを知ってるだけに笑いを押さえるのに苦労した。

ただし現場の雰囲気はスティーブが考えているものとはかなり違っていた。ラリー・テスラーやジョン・カウチなど学位を持った技術者から見てスティーブ・ジョブズの存在はAppleの創業者、企業家として尊敬するにしても製品開発に関しては耳を傾けるべき意見ではないと受け流された。中には技術者でもない奴が (なにほざいてるんだ) とストレートに批難する人もいてそれがまたスティーブを苛立たせた。要はビジョンを共有できなかったのだ。

さて、私はラリー・テスラーがAppleに入社したのを聞き早速彼のオフィスへ挨拶に向かった。
ドアは開いており、足音で振り向いたラリーは一瞬驚いたような表情をしたもののすぐに笑顔で入るように促した。
「ご挨拶が遅れました。トモヒコ・カガヤです。以前PARCではお世話になりました」
私は軽く会釈しながら右手を差し出した。
「新米のラリー・テスラーです。トモヒコさんよろしく」
ラリー・テスラーは私の右手を握り返しながらいった。
「まだ資料などの整理が終わってないんだ。散らかってるけど座れる椅子に腰掛けてください」
ラリーの勧めで私は空いていた背もたれがない椅子に腰掛けたが、
「いや、僕の方からカガヤさんのところへ挨拶に行こうと思っていたんですが、先を越されました。ラリーと呼んでください」
といった。
私も (トモって呼んで下さい) といいながらオフィス内を眺めた。彼の持参したものは膨大な資料のようだがそのほとんどは書籍とファイリングされた印刷物のように思えた。

「凄い量ですね」
私の問いにラリーは苦笑いしながら、
「まだまだ整理には時間がかかるが、ちょうど一休みしようと思ったところです。コーヒーでも一緒にどう」
と気楽に対応してくれた。このときテスラーは35歳だったが、生まれた年は私より3年前の1945年のはずだ。しかし私が2016年からワープしたこともあって変な感じだが彼は私の年齢の半分程度だった。

オフィスの隅にあったコーヒーサーバーからカップを2つ持ち、
「何の変哲もないコーヒーだが、何もないよりはましさ」
ラリーは笑いながら私にコーヒーを勧めた。

私は (ありがとう) とコーヒーカップを受け取りながらながらまずは聞いてみた。
「テスラーさん、いやラリー、早速たたみ込むようで悪いけど貴方はなぜAppleに来る決心をしたんですか」
ラリーは微笑をたたえながらこれまた椅子に座り、私の問いが意図していたことのようによどみなく話し始めた。
「それはあなたたちがPARCを訪問したのがきっかけなんです」
一呼吸入れたラリーは、
「これは相棒のアラン・ケイとも意見が合ったんだけど、僕らの研究を一番正当に評価してくれたのがあなたたち...Appleだということに気づいたからといったらいいのかな」
私は無言で先を促した。
「僕は1973年にPARCに入ったんだが、沢山の人たちにAltoとSmalltalkのデモを見せました。それも僕たちの大切な仕事だったからです。アラン・ケイの言い方でいうならダイナブック構想を現在出来うる最良の形で実現したマシンがAltoだと僕たちは自負していたし可能な限り興味のある方に見せて感心を引きたかったんですがそもそもゼロックスの反応は冷たいものでした」
「無論あなたたちの目標はAltoの製品化だったわけですね」
頷きながらラリーは、
「面白いように、というと語弊があるけどAltoをビジネスに繋げようと考える人は絶無でした」
「でもスティーブをはじめ、我々が驚き (これだ!) と思ったのだから、誰か同じように考えた人はいなかったんですか」
私はずっと気になっていたことを聞いてみた。
「いや、見学に来る人たちは様々だったことは確かですよ。一流といわれる学者から研究者たち、無論企業からも見学者は多々いたけど、ほんとに僕たちもいらいらするくらい (これが欲しかった) といってくれる人はいなかったんです」

ラリーはコーヒーカップを積んであるダンボール箱の上に置きながら、
「あなたたちの反応を見て僕が働く場所はAppleしかないと本当に思ったんです。やはり仕事というものはきちんと評価してくれるところでやりたいものです。僕の年齢を考えてもいまが一番働き盛りだと思うし」
(当然でしょう)というように微笑んだ。

突然ラリーは、
「僕の方からも質問があるんだけどいいですか」
申し訳ないような顔でいった。
私は (なんなりとどうぞ) というしかない...。
「失礼な質問だとは承知していますが」
ラリーは断りながら、
「Appleの中でトモ、あなたの存在は異質に思えるんですよ。これはアラン・ケイも同意見でした…。ケイはなんか思うことがあるらしく僕にも話してくれなかったが、ともあれあなたは創業時代からの社員なんですか」
私は頷きながら苦笑するしかなかったが、
「それは私がAppleの中で浮いた存在だということかな」
そういうとラリーは慌てて、
「いやそういうことではないんですよ。しかし口火を切ったのでいわせて貰うけど、Appleは出来たばかりの企業...数年前までガレージカンパニーでしたね。新しい時代の新しい会社ですから皆若い人たちばかりと思っていました」

なるほど、そういう話しかと私は少し安堵した。
「いや、本人の口から言うと実に嫌みに聞こえるかも知れないけど、確かに私のような高齢者は特例のようです」
それは成り行きなのだから仕方がなかったがタイムワープの事実を話すわけにはいかない。
私は1976年12月にスティーブ・ジョブズに出会い一緒に仕事を始めたこと。確かに彼らとは大きく年が離れているがそれゆえに異能な存在として扱われていることなどを話した。

口を挟まず最後までラリー・テスラーは私の話を聞いていたが、
「なるほど、実は僕もここに来てトモ、あなたのことを様々な人たちにあれこれ聞いてみたんです」
彼は空になったコーヒーカップに再び一杯コーヒーを注ぎながら続けた。
ラリーいわく、Appleの社員たちは口を揃えて実に私は不思議な存在だというらしい。スティーブ・ジョブズの直轄でもあるが敵がいない、素性や経歴を誰も知らない、分かっているのは日本人であることと年齢くらいだと笑う。そして技術者でもなく事務方でもない独自なポジションをAppleの中で勝ち得たただひとりの人という評価らしい。
なによりもあの五月蠅いスティーブ・ジョブズに全幅の信頼を勝ち得ている人間というよりスティーブ・ジョブズが一目置いている不思議な人物だと言われているという。
(なるほど、こうしたこともあってスティーブは私にセミナーをさせ、一種のガス抜きをしようと考えたのか) と納得した。

「少し前にスティーブ・ジョブズから命を受け私は “Chief Information Officer” という役職についたばかりなんですよ」
私の説明をラリーはあまり納得していない様子だった。
「なるほど、しかし失礼ながらあなたの待遇としては遅きに逸した感じがするなあ」
とラリーは悪戯っぽく笑った。

ラリーは2杯目のコーヒーを飲み干しながら聞いた。
「そういえばあなたがPARCを去るとき私に言った言葉を覚えていますか」
私は (なんといったのかな) と記憶をたどった。
「あなたは (今度会うときは一緒に仕事をしよう) といったんですよ。妙に耳の底にその言葉が残っているんですね。それがAppleに来る引き金になったんです」

「それに」
ラリーは一呼吸おいてから、
「その言葉と関係あるのかも知れないが、あなたは未来が見える特殊能力があるという人も複数いました」
ラリーの目は笑っていなかったが、私がどう答えるかを楽しんでいるようにも思えた。
「これまた変人と見られているいう証拠かな。スティーブがそんなことを言いふらしているようですね。しかしラリーあなたがAppleに来たのはあなたご自身の決断であり意志に間違いないわけです」
そう誤魔化すしかなかった。
「う~ん、トモあなたにはきっと私らにはわからない情報収集能力とそのソースをお持ちなんでしょうね」
ラリーは科学者らしいいいかたでその場は和やかに過ぎていった…。

確かに私の存在は十数人のガレージ時代にはスティーブの一言でそれこそ特別な存在として認知されたがすでにAppleの従業員は千人をはるかに超えていた。その中で特別というより異質な人間が存在すること自体おかしなことに違いない。そろそろ今までのように成り行きでAppleに在籍するのには無理があるのかも知れないしスティーブから先日受けたセミナーの依頼もそれらを気にしてくれた結果に違いない。

ところでLisaの開発陣は苦悩していた。それでもラリー・テスラーはビル・アトキンソンと共にLisaのユーザーインターフェースに関わる基本原則を定義し始めた。
多くの天才や鬼才がAppleに集まり始めたことにスティーブは、
「Appleはエリス島のような会社なんだよ、トモ。つまりだ、他の会社から移ってきた人たちによって成り立っているんだ。それぞれ個人的には皆超一流の頭脳を持っているんだが、それゆえ他の会社ではトラブルの元になるような連中なのさ」
と、どこか他人事のようにいった。

しかしスティーブの懸念はある意味では的を得ていた。ジョブズがLisaプロジェクトから離れざるを得なくなった1980年以降Appleは大きく変化していった。ましてやジョン・カウチの元で天才たちがそれぞれの能力を十分発揮し協力体制が確立できたかどうかは疑問であり、その開発の進め方は良くも悪くもすでにAppleらしさの欠如はもとより経営陣と技術者たちとのビジョンには大きなズレが生じていた。

※1892年1月1日、アメリカ合衆国アッパー・ニューヨーク湾内にあるエリス島に移民局が建設されヨーロッパ移民たちが踏み入れる最初のアメリカとなった。そして名高い自由の女神像は1892年から1954年まで機能していた当該移民局のあったエリス島の近くの島にある。

(続く)

【主な参考資料】
・「パソコン革命の英雄たち~ハッカーズ25年の功績」マグロウヒル社
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
・「アップル・コンフィデンシャル 2.5J」アスペクト社


関連記事
広告
ブログ内検索
Related websites
[小説]未来を垣間見たカリスマ  スティーブ・ジョブズ
ジョブズ学入門
大塚国際美術館ひとり旅
ラテ飼育格闘日記
最新記事
お勧めの新旧記事
カテゴリ
リンク
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

プロフィール

appletechlab

Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員