Macintoshの歴代コントロールパネル考

コントロールパネルとはMacの各種設定を行うためのもので、漢字Talk 6.0.7までは主にDAのコントロールパネルのことを指していたが、漢字Talk 7からはそれぞれのコントロールパネルファイルを意味する。あらためて最初期からのコントロールパネルを眺めてみると興味深いことに多々気づく。


オールドMacを扱うと...無論当時は考えもしなかったものの、その歩みの先にある進化の経過が分かっているわけで、大げさに言うなら歴史を俯瞰する面白さを味わうことが出来る。 
先日漢字Talk 1.0と2.0の違いを調べていたとき、その漢字Talkにも大いに関係するコントロールパネルの違いに興味をひかれた...。
コントロールパネルは本来はMacintoshの各種設定を行うためのものだったが、後になって機能拡張と同様に起動時にシステムの機能を補強するための役割も果たすようになってきた。 
そもそも最初のMacintosh 128Kはその開発コンセプトとして、ユーザーが本体を開けて何らかの拡張を行うことを意図的に排除した設計になっていた。このことはスティーブ・ジョブズの拘りであったとされているが、そのコンセプトなるものはソフトウェアというかOS周りにもうかがえる。 

例えばMacintoshの最初期コントロールパネルは多くのアイコンデザインを担当したスーザン・ケア女史のデザインによるものだが、それを見れば時刻設定や音量調節をはじめ、デスクトップパターンの設定など限られた機能しかなく、また外部からコントロールパネル内への機能追加は許されていない。あくまでAppleが用意した機能しか使えない仕様になっている。しかしカーソルの点滅やメニュー項目の点滅スピードなどをカスタマイズできるなど、ユーザー側の微妙な好みを考慮した設計も目をひく。 
やはりジョブズはMacintoshのハードウェアと共にそのOS環境もそれ自体が完成されたマシンであり、他者のカスタマイズを排除する意図があったものと考えられよう。 

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※Macintosh最初期のコントロールパネル。スーザン・ケアのデザイン


しかしこうしたクローズドな環境であっても、独自な手法を見つけ出してシステムの機能を拡張あるいは変更しようというプログラマたちやサードパーティも存在し事実多くのソフトウェアが登場した。とはいえカスタマイズが本格化したのはAppleが公式に機能拡張を目的とするインターフェイスを採用してからだ。 
それはSystem 6.0.7で実用化となったが、漢字Talkのバージョンで言えば2.0でFEP(日本語変換ソフト)が独立可能となったなど、当時からのユーザーにとってはいまだに記憶に残っている重大なできごとだった。これにより当時Appleが用意した稚拙な2.0変換システムではなく、例えば国産初アウトラインプロセッサTurboLinerに付属していた日本語入力フロントエンドプロセッサ(FEP)であるTurboJipやEGBridgeあるいはATOKのようにサードパーティ各社が開発し提供するものを容易に組み込んで利用できるようになった。 

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※漢字Talk 1.0のコントロールパネル(上)と漢字Talk 2.0のコントロールパネル(下)。漢字Talk 2.0からはウィンドウ左にアイコンリストがスクロールする機能がついた


そのコントロールパネルを見ると左部分にスクロールするアイコンリストがあることがわかる。そして各アイコンをクリックすることでそれぞれの設定パネルが現れるという仕組みだ。こうした仕様はSystem 7になるまで続く。そしてSystem 6.0.7の時代を中心にしていわゆるINITとかCDEVといった拡張ファイル活用が大きなMacintosh文化を形成するが、反面予備知識もないユーザーでも雑誌の付録やパソコ通信などで入手したこれらを簡単にシステムから出し入れできるという自由度を持ったインターフェイスはコンフリクトという大きなマイナス面を体験することになる。 
とにかくシステムフォルダに何でもかんでも入れてしまう...入れることが出来るため、何が入っているかもわかりずらくなってもくる。なによりもINITやCDEVと称するファイルの中には得体の知れないものまであり、それぞれの機能同士が衝突し、動作の不安定やシステムエラーを引き起こすことになる。 
当時私の会社でもこうしたトラブルに対し、ユーザーサポートの基本中の基本は「まずはAppleが提供するもの以外のINITやCDEVを全部外して検証してください」ということだった。 

この種の混乱はSystem 7になってかなり改善された。それはSystem 7になってシステムフォルダ内にサブフォルダを置けるようになり、コントロールパネルならびに機能拡張といった別々のフォルダが用意されたことによる。また例えばシステムフォルダにコントロールパネルや機能拡張ファイルをドロップすると、それぞれを認識してコントロールパネルの書類は自動的にコントロールパネルフォルダにインストールされるようになった。ただしこれらの改善がコンフリクトを100%無くすこととは別途のことであり、現在のMac OS Xユーザーには想像もつかないほど当時のアクティブユーザーはエラーに悩まされたものだ。そしてこのSystem 7による改良はMac OS 9に至るまで基本的には変更がなかった。 
したがってSystem 7からは厳密にいえばすでに統一された「パネル」型のインターフェイスではなくなったわけだが、いちいちシステムフォルダ内の各フォルダにアクセスするのでは煩雑だということで新しいインターフェイスが採用される。それがコントロールバーであった。 
当初PowerBookで採用されたコントロールバーは漢字Talk 7.5.2からデスクトップマシンでも利用できるようになり、音量設定やファイル共有設定などなどの諸設定をこれまで以上に素早く行えるようになった。したがって当初のコントロールパネルとは大きく違うものの、その名からも伺えるように一種のコントロールパネルに相当するものだった考えられよう。そしてこのコントロールバーは初期設定だとウィンドウの下に位置したバーを引き出して使うというもので、現在から見ればこのコントロールバーこそMac OS XのDockに発想をつなげるものであったと思える。 

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※Mac OS 8.6のコントロールバー


なお、Mac OS Xになってからはご承知のようにコントロールパネルというものは無くなったが、システム環境設定がそれに変わるものとなった。 

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※Mac OS X 10.5 Leopardのシステム環境設定


最後にひとこと言い添えるならコントロールパネルに限られたことではないが、Mac OSの進化はApple独自の発想だけでここまで来たものではない。多くのサードパーティや世界中のプログラマが「いかにしたらより便利になるか」「いかにしたらより面白くなるか」といった情熱で様々なユーティリティを開発してきた。それらのひとつひとつをここで取り上げることはしないが、大規模なものから微細な機能に至るものまでそうしたサードパーティ各社やユーザーのアイデアを採用することによりMac OSは進化を続け現在のMac OS Xに至ったと考えるべきだろう。 
これまた記憶に新しいことだが、2000年10月21日に新宿の高島屋などで限定販売され、一般ユーザーが手にできた初めてのMac OS Xのパッゲージにはこう書かれていた。 
「あなたの力が必要です。Mac OS Xを先進的で直感的なオペレーティングシステムにするために。そう、世界で最高の。」と...。 
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Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員