[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第1部 ー 第33話 ビュレル・スミスという男

スティーブ・ジョブズは未来のテクノロジーを時代の最前列で考え見つめてきたといわれている。しかしその陰には2016年12月6日、アップル銀座のエントランスから40年前のカリフォルニア、ロス・アルトスにあるスティーブ・ジョブズ家のガレージ前にタイムワープしたひとりの男の存在があった。
ー 優れたビジョナリーといわれたスティーブ・ジョブズ。その若かりし時代の秘密に迫る!ー
※本編はフィクションです※

■第1部 ー 第33話 ビュレル・スミスという男
ビュレル・スミスはMacintosh開発チームの一員として主にロジックボードの設計を担当した人物である。彼はスティーブ・ウォズニアック開発のApple II を崇拝し、Macのロジックボード設計においてウォズニアックのスタイルをさらに突きつめ、独自の設計スタイルを編み出した天才の一人だった...。

ビュレル・スミスとは私が社内で講演したとき、話しの最後に電池切れのiPhone 6 plusを未来のガジェットを示唆するモックアップだと称して出席者に見せたときから頻繁に話す機会が増えた。
彼はいの一番に私が立っていた壇上に駆け上がりiPhoneを奪うように手にしながら「これって本当にモックアップなの」と聞いた男だった。

その後何度も私のオフィスに来たり、休みの時間を惜しみながら掌に乗る未来のデバイスについて沢山の質問を浴びせたのだった。
ビュレルは仕事に熱心なだけでなく実力のある人物だったが、社内ではまだまだ評価されない技術者のひとりだったといってもよい。そしてあのアンディ・ハーツフェルドの親友でもあった。

ビュレル・スミスは1979年2月にAppleの中でも最も給料の安い職種である下級サービス技師として雇われた。ただしビュレル・スミスはMacintoshのハードウェア設計者としてすぐ頭角を現し天才的な手腕を発揮していた。またApple II 関連の開発では一部スティーブ・ウォズニアックの代役まで務めるほど確かな技術力を持っていたものの、正式なエンジニアには昇格できず不満をつのらせていた時期でもあった。

彼は私に愚痴をいったことがある。
「トモ、僕は自分で言うのも不遜だけどなぜ評価されないのか分からないしそれが不満なんですよ」
「そうだね。君は才能とか技術的なスキルはもとよりだけど、他の技術者よりも抜きんでて熟練しているし勤勉さでも劣っていないよね。私はお世辞でなくそう確信しているよ」
私は正直に思っていることをはき出したがビュレル自身も自分が正当な評価をされない理由が分からなかった。無論上司に聞いてもはぐらかされるだけで不満が膨らむばかりだった。
「やはりまだまだ自己アピールがたりないのかなあ」
ビュレルは子供のように目をくりくりし首を傾げながら仕事場に向かった。

それから2週間ほど経ったある日の午後、私はロビーの受付カウンター内にいたシェリー・リビングストンと雑談していた。先日どうにもみっともない醜態を見せてしまったが、逆に自分の弱さをさらけ出したからか、気が楽になり前よりも話しやすくなった。
そんなところにビュレルが現れた。
「トモ、いいところで会いました。ちょっと聞いてほしいことがあるんだけど」
そのときシェリーは大げさな物言いで、
「仕方がないわね。ビュレル、私の彼氏を貸してあげるわ」
ウィンクしながら私に目配せした。わたしよりビュレルが顔を赤くしたのが可笑しかった。
「私のオフィスにくるかい」
「是非」
というので殺風景な私のオフィスで話しを聞くことにした。

「実はですねトモ。前にお話しした私への評価が低いことだけど、その理由が分かった気がするんですよ」
正直私には他人の評価を客観的に知るすべもなかったし、そうした役割を担っているわけでもないから気が楽だった。しかしビュレルに関しては前にもいったようにもっともっと上司たちは彼の業績を認めるべきだと思っていた。

自分の椅子に座りながらビュレルを見ると彼も二脚ある椅子のひとつに座りながら話し出した。
「僕はついに他のエンジニアたちにあって自分に欠けているものに気がついたんですよ、トモ」
嬉しそうにいうビュレルの顔を眺めたとき、タイムワープする前にアンディ・ハーツフェルド著「レボリューション・イン・ザ・バレー」という本に出ていたエピソードを思い出したが、無論ここは本人から話しを聞くべきだと私は黙って頷いた。

それは技術者らの多くは皆立派な髭を蓄えていたがビュレル・スミスにはなかったという事実だというのである。
「トモ、あなたは髭をはやしていないけど、MacintoshチームやLisaあるいはApple IIの開発チームを見回すとスティーブは勿論、スティーブ・ウォズニアック、ダニエル・コトケ、ビル・アトキンソン、スティーブ・キャップス、マイク・マレー、キット・プランク、ジェフ・ラスキン、ジェリー・マーノック、ポール・バーカー、リック・ペイジ、ジョン・カウチなどなど皆立派な髭を生やしているんですよ」
真剣な眼差しで説明するビュレルを笑うわけにもいかなかったが、真剣な眼差しだからこそ吹き出しそうになった。しかし彼としては大切で重大な発見だと思ったのだ。

私は面白半分に問うてみた。
「なるほど。ただしビュレル、念のために聞くけど君が名を上げた人たちは何故髭を生やしているのかな」
ビュレルは少し考えたうえで呟いた。
「うん、何故なんでしょうね。これまで考えたこともなかったからなあ」
私はあくまでいま思いついたことだとして自分の考えを話した。

一般的に(なぜ男が髭を生やすのか?)といえば私の知る限りそれは男らしさのアピールであり、若いときの髭は若造に見られたくないといった意志があるようだ。それはタイムワープ以前私の回りにも髭を生やした男性が数人いたしそうした本人たちから聞いた話しなので間違いはないだろう。まあ若いときは心理的に背伸びをしていたいということかも知れない。
ただし余談ながら年配の男性の髭はいささか違う。歳を重ねると頭が薄くなるがそうすると頭髪の不足を髭で補おうとするかのように髭を生やそうとする男性も多い。

それはともかく例えばバイト誌の最初の編集者のカール・ヘルマーズ、ニュージャージーで最初期のコンピュータ・ショウPC-76を計画したジョン・ディルクス、ドクター・ドブズ誌の編集者でWCCFの主催者だったジム・ウォーレン、製造番号4番のAltair 8800を組立てラジオでメロディーを奏でさせたスティーブ・ドンビア、別名キャプテン・クランチと呼ばれたジョン・ドレーパ、ビル・ゲイツと共にマイクロソフト社を起業したポール・アレン、ビジカルクを開発したダン・ブルックリンなどを挙げれば十分だろう。

それぞれの人物が当時何歳だったかを調べるのは難しくはないが、スティーブ・ジョブズを含めて確実なことは1980年当時一部の人たちを除けば皆若かったということだ。20歳代がほとんどだったのではないか。
そんな彼らが髭をはやすようになったのはカウンターカルチャーの精神やヒッピー魂をまだ失わずにいたこともあるだろうし、寝る間も惜しんで働いていたこともあり、髭を剃るのも面倒だったのかも知れない。
しかしそうした若者たちが精神を高揚し、ぶつかり合いながらも過ごした当時の世相ではやはりどれほど自分の存在をアピールできるか、主張できるかが肝だったに違いない。したがって意識的、無意識的にも自己アピールを髭というものに託していたと考えても無理はないと思う。

私はそんなあれこれをビュレル・スミスに話したが彼は時々頷きながら同意してくれた。そして自分も早速髭を生やしてみるといいつつ私のオフィスから出て行った。
事実ビュレルはすぐに口ひげを生やし始めたが、彼の髭は完全に生えそろうまでに1ヶ月ほどもかかった。そして自分でも完璧と思われる髭になったと考えたその日の午後、彼は技術担当副社長(立派な髭を生やしていた)に呼ばれてエンジニアとして技術スタッフのメンバーに昇格したのだった。一人前に髭が生えそろった男として認められたのである(笑)。

その日の午後、ビュレルは小走りに私のオフィスに顔を出し、ドアを半開きにしたまま部屋に立ち入らず、
「トモ、ありがとう。おかげで上手く行ったよ」
口元の少々薄い髭をひと撫でし、Vサインをして走り去った。
とはいえMacintosh開発プロジェクトの尋常ではないプレッシャーはこの繊細な天才にも容赦なく加重していった。

話しは先走るが、ビュレル・スミスはApple退社後Radius社の共同設立者として成功したものの1988年に業界から足を洗った。
しかしそれは悠々自適の引退ではなかった。
彼は精神疾患を患い、裸で外をうろついたり車や教会の窓を壊して歩いたりするようになったという。
彼の病は強い薬でもコントロールできず、夜にスティーブ・ジョブズの家まで出かけては石を投げて窓ガラスを割ったり、とりとめのない手紙を残したり、かんしゃく玉を投げ込んで逮捕されたこともあった。そして後には親友のアンディと会っても話しをしなくなり、ビュレル・スミスが自分の名前を名乗れず留置所に入れられたとき、アンディはビュレルを釈放してもらうためスティーブ・ジョブズの力を借りたこともあった。
彼の病の原因がMacintosh時代のプレッシャーにあったとは言わないが、私はそうした彼の近未来を知っているだけに、ビュレル・スミスの猛烈な仕事ぶりが気になってしかたがなかった。

(続く)

【主な参考資料】
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
・「アップル・コンフィデンシャル 2.5J」アスペクト刊
・「レボリューション・イン・ザ・バレー」オライリー・ジャパン社
・「スティーブ・ジョブズ」講談社



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主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員