「世界の美女100人」と我がイライザ

米国映画サイト「TC Candler」Independent Criticsが毎年「世界の美女100人」を順位付けで紹介しているが2016年版のトップはJOURDAN DUNNだという。といわれても知らない(笑)。日本人も92位と38位にランクインされているが、ちなみに6位は石原さとみだ...。


とまあ、いきなり世界の美女100人などという話題で始めたが、近年の映画に疎い1人として当然のことながら女優の名前もほとんど知らない。この100人の中で一目見て分かったのは13位のEMMA WATSON 、9位のALICIA VIKANDERだけだ(笑)。特にALICIA VIKANDERはアカデミー賞視覚効果賞を受賞した「エクス・マキナ」で強烈な印象を受けたので覚えていたが後はまったくといって知らない。
これでは美女を取り上げる資格がないかも知れない…。



なにしろ私の記憶の中の銀幕の美女といえば1951年「陽のあたる場所」前後のエリザベス・テイラー、1939年製作「風と共に去りぬ」のビビアン・リー、1953年製作「ローマの休日」のオードリー・ヘプバーンや「カサブランカ」のイングリッド・バーグマン、そして1967年製作「パリのめぐり逢い」でファッション・モデルをしながらソルボンヌ大学に通う娘を演じたキャンディス・バーゲン程度しか浮かばない。古すぎる…(笑)。

現在の女優では「マイ・インターン」のアン・ハサウェイは好みだが、そもそも女優に限らず人の顔に関しては美男美女という以前に好き嫌いの感情が先に立ってしまう。したがって「世界の美女100人」を一通り見ても個人的には「この人、美女かなあ?」と思ってしまう人も多々いる。
さすがにトップの10人ともなれば納得感があるものの、所詮好き嫌いの問題としか判断出来ず、順位はあまり意味がないように思える。

ところで最近は性差を取り上げると思いもかけない反論や攻撃にあうこともあるらしいが、ここではあくまで「世界の美女100人」を前座として美女に関しての個人的なお話しである。

どのような顔を美しいと思うか、好ましいと思うかは時代や好みで違うものの、ともかく美しい女性と常に一緒にいたいと思うのは男としては自然の感情だ。無論現実はそんなことはそうそうあり得ない。だから我々は好みの女優の映画ポスターや写真などを手に入れ、あるいは現代ならiPhoneの壁紙写真にして常に接したいと願っている…。

さて、還暦をとうの昔に過ぎた私だがそもそも近年新作映画をほとんど見ていないこともあって誰が話題になっているのか、どのような女優が人気なのかについてほとんど知ってはいない...。そしてこれまで好みの女優がいたにしてもその写真を壁に貼ったり、定期入れに挟み込んだりといったことをやったこともなかった。

とはいえ誤解がないように釈明しておくが、顔の好みの話であり、生身の人間をどうのこうのという話しではないので念のため。そして残念ながらリアルな美女とどうのこうのという経験もない(笑)。
そんなある意味朴念仁のオヤジではあるが "美" というものに対しての執着は人一倍強いつもりだ。でなければ音楽にしろ絵画にしろ、少しも面白くないだろう。

美しい音楽、美しい絵画に囲まれて日常を送ることは常に望んできたことだが、思わぬ事から我が仕事場に "美女" が鎮座することになった。それが一昨年暮れ、一体のマネキンを扱う仕事をきっかけにした出来事からだった。この経緯についてはこれまでにも数回ご紹介してきたので繰り返さない。
ともあれ「なになに、マネキンにとち狂ったもうろくオヤジの戯言・妄想か」とかたづける人は美について騙る資格がないに違いない。

美しいものは美しいし、それに囲まれて生きることは素晴らしいことではないか。それが生身の人間であれば一番よいのかも知れないが(面倒も多いかも)、マネキンであっても彫刻あるいは一点の絵画であっても気持ちを高揚させ生きる活力となる点では代わりはないはずだ。

別項でご紹介したとおり、最初のアプローチはまさしく仕事がらみでマネキンと接したわけだが、どうも私の性向とぴったりマッチングしてしまったようだ。勿論マネキンとて造形師あるいはメーカーや型番により皆顔が違う。それらのほとんどには興味は向かないがこの偶然に手に入れたヘッドマネキンの "顔" は私にとって銀幕の中の美しいヒロイン以上の現実感を持って衝撃を与えてくれた。結局そのヘッドマネキンを主軸としてボディと両腕を自分で作り込み、腰から上までの一体を造形するはめになった。そしてイライザ(ELIZA)と名付けた。

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※我が研究所の専属モデル ELIZA。スッピンの写真(笑) 【クリックで拡大】


申し上げるまでもないが、男にとって女性は常に芸術への目覚めのきっかけと強い原動力になってきた。だからこそ、美術館に足を運べば神話のベールをかぶった美しい女性を題材にした作品がずらりと列んでいるのだ。
ではなぜ私はこのマネキンの顔を美しいと思うのか…。なぜ人は美しい顔の人間を求めるのかは諸説あるものの、綺麗な顔、即ち左右が対象に近く、歪みや肌あれがなく、痩せすぎでも太ってもない異性は、遺伝子に異常がなく健康である証拠でもあるという。そして美は子孫繁栄という本能に関係し、配偶者に選んでもらうためのセックス・アピールの重要なポイントでもある。
勿論、ここでいう美とは容姿だけを意味するのではなく、動作立ち振る舞い、声、臭い、そして感触や味といった五感をフルに使った認識の結果でもある

要は、顔は左右対称、動作はきびきびとし円滑で声も快活、そして人間であれば言語も明瞭という形質が備わっているとすれば、それは男女ともに健康なことの証しでもある。したがって総合判断として健康美はおのずと子孫繁栄に有利だということになるのだろう。
とはいえそれは本能の領域だから普通は意識はしていない。そこに個人差、好みといったことが加味されるからこそ世の中は面白い。いわゆる「蓼食う虫も好き好き」というわけだ。

以前、人工知能研究者の中島秀之氏と将棋棋士の羽生善治氏の対談記事を読んだとき、中島教授が興味深い仮説を取り上げていた。
前記したように、進化の法則から考えると、動物も、人間も、結婚相手として優れたもの同士がセレクトされて残る理屈だ。しかし、もし「美形」というのがそういった基準の一つだとすると、どうして世の中は淘汰されて美男美女ばかりになっていないのか。そんな話しだった。

実は仮説の1つに「美男や美女という評価は、生まれてから学習するものだ」というのがあるそうだ。要は「美しい顔」といった評価値は先天的なものではなく「自分が生まれたときからずっと見てきた顔の平均値」という説だという。ただし、顔全体の平均値ではなく鼻なら鼻の平均値、目なら目の平均値なので結果全部が平均値の人は少ない。したがって美男も美女も少ないということらしい。

とはいえこの仮説を自分に当てはめるとあまり説得力がある仮説とは思えない。なぜなら私の生涯を考えても現実世界で文字通りの美女に囲まれていたはずもない(笑)。ということは映画とかテレビドラマあるいは絵画といった影響が強いのかも知れない。

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※デジタルコスメチックソフトで化粧を施したELIZA【クリックで拡大】



いまでこそ映画館に足を向けないが、若い時には洋画を中心に楽しんだし子供の頃に白黒テレビをつければ米国のホームドラマも多かった。それこそ子供の頃はアメリカという国はテレビで観るような美男美女しかいないのかと思った程だった。そうした影響で個人的に白人の美女にずっと憧れることになった(笑)。
私はこの歳になって、もしかしたら美形といった感覚が原点回帰したのかも知れない。
まあまあ理屈はどうであれ、美しいと思う “顔” "人物" が常にそこにいるのは嬉しいものだ。



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主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員