Lisaとは一体どのようなパーソナルコンピュータだったのか?

AppleはMacintoshというパーソナルコンピュータによってGUIを世界に知らしめた。しかしその基本仕様はLisaから受け継がれたことは間違いなく、ある意味でMacintoshはLisaテクノロジーを抜粋して採用したことになる。なお「Lisaテクノロジー」と言ったがこれは私が勝手に作った言葉ではない。Apple自身が製作したMacintoshの紹介ビデオの中でもこの言葉が使われているし後述するようにスティーブ・ジョブズ自身も発言している。

 
ともかく周知のように商業的に失敗したLisaは様々な要因もあって早々に見切りをつけられ葬られた。その失策の原因は10,000ドルほどもする高価な値付けだとするもっともな説が信じられているが、多くの文献や資料を確認すればするほど、Lisaの開発は当初からビジネス面にシフトされてなくある意味で失敗するべくして失敗したという思いにとらわれてくる。
個人的にその高価な価格のために売れなかったという理由付けは正直納得できないのである(笑)。
そしてLisa開発に関わるそうしたジレンマはLisa開発者自身たちも肌で感じていたように思える。だとすればそうした違和感が経営陣に伝わらなかった、あるいは伝えようとしなかった...また経営陣たちが理解できなかったということがLisaビジネス一番の問題だったといえよう。

重い歯車が膨大なパワーを得てやっと回り始め、弾みが付いて終着点に近づくそのときにプロジェクトの中止や大幅仕様変更を実施するのは企業にとって大きな損失であると共に勇気がいるはずだが、Lisaプロジェクトはうすうす自分たちの失敗を認識しつつ誰もその問題点を正面から認識し、止めることができなかったというのが本当のところだったように思える。
後から俯瞰して見れば、様々な不手際からこの革新的な製品は忘れ去られることになった。そして感傷的なもの言いとは承知でもうひとつ加えるなら、Lisaの不幸は当時実の父親(スティーブ・ジョブズ)から認知されなかった娘、リサ・ニコールとダブってしまうのだが...。
今回は当時の関係者の発言を紹介しながら、Lisaの開発ならびにそのビジネスがいかにして難しかったかを再考してみようと思う。

lisa0505.jpg

※1983年1月19日に公式発表されたLisa

 
スティーブ・ジョブズ~1983年1月31日号のビジネスウィークに

「我々はリサテクノロジーに本当にすべてをかけている」

確かに多額の開発費と多数の開発者を屈指したLisa開発プロジェクトは当初ジョブズが「宇宙をへこませてやろう」とまで言い、開発に専念したわけだからその意気込みはわかる。しかしジョブズはLisaプロジェクトから外される...。
その理由はともかくそもそもプロジェクトのリーダーが変わるというそのことこそLisa最初の不幸だったのかも知れない。

スティーブ・ウォズニアク~Appleの共同創立者

(Lisaは)Macintoshよりアーキテクチャー面からもよいコンピュータだった。問題は価格だ。

ウォズによれば当時のAppleはすぐに一万台売れなければ失敗と見なすようになっていたという。経営に余裕がなく事を急いだのもトラブルが多くなる要因かも知れない。ただしウォズは当時経営面からは遠いポジションにいた関係上、Lisaの進捗状況には詳しくなかったようだ。

アラン・ケイ

多くの人がMacintoshよりLisaを評価していた。しかし致命的な妥協を2つしていた。それは外付けハードディスクを頭上に乗せなければならなかったこと、そして68000を使ったことで遅くなったこと...。
MacintoshのUIと思われていることの基本はLisaで実現されていた。それはPARCでやったウィンドウインターフェイスよりも大きく進歩したものだった。これはApple最大の功績のひとつだ。


Lisaが失敗したのは、あまりにも処理能力が低く、動作が非常に遅かったからだというのがアラン・ケイの意見だ。とはいえPARCで暫定ダイナブックとしてのAltoおよびSmalltalk開発を進めていた当人がAppleの開発能力を評価しているのは嬉しい。
またケイがジョブズから誘われAppleに入社したのは1984年のことだから、残念なことにケイはLisaの開発には関与していない。同じゼロックス社パロアルト研究所にいたラリー・テスラーは1980年にLisa開発の要員としてAppleに入社したが、もしアラン・ケイも同じタイミングで入社してLisa開発に関与していればLisaの仕様にも大きな影響を与えたのではないかと思う。

ジョン・カウチ

販売戦略がまずかった。全米で50のディーラーに絞って販売させたのが原因のひとつ。LisaWriteというワープロのデキが悪かった。そしてジョブズが低価格のMacintoshのことをあちこちでしゃべっていたこと。
Apple III用に開発されていたProFileは外付けで大きく、しかも遅かった。フロッピードライブもあまりできがよくなかった。


 Lisa開発のプロジェクトリーダーだった彼がビジネスとしての失敗を販売戦略に押しつける気持ちはわかるものの、自身がLisaの欠点を認識していたという事実は重要だと思える。ある種の見切り発車せざるを得なかったのか...。

ビル・アトキンソン

Lisaはちょっと遅かったが非常によいマシン。

アトキンソンはLisaプロジェクトにも勿論Macintoshプロジェクトにも深く関わった1人だからLisaの悪口は言えないだろう(笑)。

リッチ・ペイジ Lisa開発メンバーの1人

MacintoshはLisaをだめにする!MacintoshはAppleを破滅させるんだ!
スティーブ・ジョブズは自分でコントロールさせてもらえないから、Lisaをぶち壊したいんだ。~1982年3月、アンディ・ハーツフェルドらがLisaのアプリケーションチームにMacintoshのプロトタイプをデモしたときの台詞


ペイジのいらいらは当時のLisaチームの思いを代弁したものだと考えてよい。そのいらいらの根本はMacintoshプロジェクトを率いることになったジョブズにあったといってよい。

ジャン=ルイ・ガセー

スタートからつまずいた製品を改良するのは難しいということを、Lisaプロジェクトは我々に教えてくれた。

ガセーは当時販売側にいた責任者のひとりだったが、まさしくLisaビジネスはスタートからつまずいた感があったのだろう。

ブルース・トグナッツィーニ(Appleヒューマンインターフェイスの導師)

Lisaはすばらしいマシンだった。売ることができなかっただけだ。

まあ、気持ちはわかるがAppleはPARCではなく、製品を市場に一台でも多く販売するために存在する一般企業だから、これは責任のある発言とは思えない。そもそも売るためにはどうしたら良いかを考えるのが企業活動の基本である。

さて、こうして関係者の発言を集めて見るとLisaの革新性に関しては疑いのないところだが、それを多く販売するための製品作りといった視点が欠けていたというべきか...。ただし皮肉なことにある意味、Lisaの安価なバージョンといった意味合いを持つMacintoshでAppleはGUIを一般に知らしめ、その後の成長の糧とすることができたのだから皮肉である。

私がLisaに魅せられるのはそのUIがMacintoshより優れている部分を多々持っている点にある。Macintoshは決して単純な意味でLisaの進化版だったわけではないが、逆にLisaのエッセンスを取り入れつつ、市場受けする価格帯で製造したプロダクトともいえる。
MacintoshのグラフィックルーチンであるQuickDrawひとつをとっても、その原点はビル・アトキンソンがLisaのために開発したものだ。
詳しくは別途ご紹介するが、そのLisaが今般...やっと...当研究所に鎮座することになった!

【主な参考資料】
・「レボリューション・イン・ザ・バレー」オイラリー・ジャパン刊
・「アップル・コンフィデンシャル 2.5J」(上) アスペクト刊
・「マッキントッシュ伝説」アスキー出版局刊
・「アップルデザイン」アクシスパブリッシング刊
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Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員