Macintosh 最初期国内カタログに見るミステリー?

先日1984年9月/10月号という古いMACWORLD誌をなにげなく眺めていたらとあるページに釘付けとなってしまった。それはMacの日本国内向けに制作されたとするカタログが載っていたからであり、そのキャプションには「As this Japanese advertisement shows, marketing efforts are going ahead as Apple readies international versions of the Mac.」とあった。


それは「この日本の広告が示すようにAppleはインターナショナルなセールス活動を進めている」といった意味でありその一例として日本のカタログが取り上げられたもののようだ。

Catalog in Japan of the Mac_05

Catalog in Japan of the Mac_04

Catalog in Japan of the Mac_03

※1984年9月/10月号のMACWORLD誌(上)に掲載されていたMac日本語カタログページ(中)とその拡大部分(下)


ただし最初期のMacintoshカタログのほとんどは記憶しているつもりでいた私だが、このカタログは所持していないばかりか見た記憶がない。無論単に忘れただけという可能性も強いが…(笑)。しかしよくよく細部を確認してみると面白いといっては語弊があるが、当時のMacintosh市場の混乱ぶりがうかがえる貴重な資料だということが分かってきた。

なぜならアップル製品国内販売元という覧に小さくキヤノン販売株式会社 アップル営業部と株式会社イーエスディラボラトリの名があったからだ。
実はオールドMacファンなら大方はご存じなはずだが、日本にApple IIを最初に持ち込み国内総代理店として長らく努力されてきたイーエスディラボラトリ社だったが、アップルジャパン(当時はアップルコンピュータジャパン)設立後は一層の市場拡大を目標にキヤノン販売と販売契約した…という経緯がある。問題はそのことをイーエスディラボラトリ社への説明もなしに進めたことだ。

この辺の詳しい経緯については斎藤由多加著「林檎の木の下で」に詳しいが、当時イーエスディラボラトリに頻繁に出入りしていた私にしても詳しい事は知る由もなかったがそうした空気を敏感に感じたものだ。
結局1983年12月、忘年会だったそうだが…酒の席でイーエスディラボラトリ社の水島社長の苦言をきっかけにアップルジャパンの福島社長は席を立ち両社は決定的な溝を作ってしまう。

アップルジャパンはより多くのMacintoshを日本市場で販売するにはイーエスディラボラトリ社では力不足だと考えたのだろうが、要は米国本社の日本市場無理解に当時のアップルジャパン社長だった福島氏自身が苦悩したというし、理由はともかくイーエスディラボラトリ社への仕打ちは根回しもなくそれまでの恩義も忘れた無礼で卑劣な行為であったことは事実である。
問題はイーエスディラボラトリに対し、キヤノン販売の下で販売を続けるのであれば優遇を図るといったアップルジャパンだったが、直前まで国内サポートを一手にやらされた上に急にはしごを外されたイーエスディラボラトリ社がその条件を飲むわけはなく、結局イーエスディラボラトリ社との契約は解除に向かう...。

したがってそれらの経緯を踏まえ、これまで個人的にはキヤノン販売とイーエスディラボラトリの両社名を記載したカタログなど存在するはずはないと漠然と考えていたのである(笑)。しかし1984年9月/10月号のMACWORLD誌に紹介されているカタログにはその両社が並んでいたからこそ目が点になったのである。

問題はこのカタログがいつ頃作られたかだが、それを探るヒントはいくつかある...。
当初のアップル日本法人は1983年6月21日にアップルコンピュータジャパン株式会社 (Apple Japan, Inc.) として設立されたことになっている。そして本社は赤坂ツインタワービル本館であった。
当該カタログを見ると、住所は間違いなく "赤坂ツインタワービル本館" とあるし "84年春、すでにアメリカで大反響を呼んでいるマッキントッシュが、いよいよ日本に上陸しました…"という文章および "Appleから、'84年、パソコンの新種。"とあるからして間違いなくMacintosh 128Kの国内販売開始を意図して作られたカタログに違いない。

また世界同時発売を謳ったMacintoshだったから、日本でのプレス発表も1984年1月24日にホテルオークラ別館で行われたが、実際の出荷は同年4月で本体価格は69万8千円だった。
だとすれば常識的にこのカタログはその時点で用意されていなければならなかったはずだし、逆にカタログ上部にMacintoshの世界同時発売と掛け合わせた 「ヤンバルテナガコガネ という昆虫が1984年1月24日、新種と判明」という文字があることからも1月24日以前に作られたものとは思えない。したがって国内販売開始の4月直前に刷られたものと考えて無理はないだろう。

余談ながら当該カタログを現在の視点から見ると何とも歯痒いというかフォーカスの定まらない出来に思える(笑)。
当時の状況から推察してこの種の企画を先導したのは井之上パブリックリレーションという広告代理店だったはずだが、カタログ本文の日本語もどこかたどたどしく感じるし、前記したようにコガネムシの新種発見とMacintosh発表の時期を掛け合わせるというその手法自体、私には野暮ったさを感じる…。

ともあれイーエスディラボラトリ社発行「APPLEマガジン」の1984年6月7月号(表紙は私の作品)に社長の水島氏が載せた「アップルとイーエスディ」という記事には 「アップルジャパンとの契約は今年(1984年)6月まで」 とある。また契約更新はされなかったようだが、当該カタログが出来上がった時期が前記したあれこれで間違いなければイーエスディラボラトリ社は契約上6月までは紛う事なき国内代理店だったのだから社名の記述があってしかるべきではある…。

Catalog in Japan of the Mac_02

※イーエスディラボラトリ発行「APPLEマガジン」1984年6月7月号表紙


それにキヤノン販売にしても本当の意味で国内総代理店として機能するのはApple IIcからだった。したがってカタログに両社名が記載されるのが自然なことは間違いない。

要するにこのカタログが1984年の4月から出荷開始されたMacintosh国内販売用に作られたものとするなら、アップルジャパンとイーエスディラボラトリとの契約期限である同年6月満了までのたった2ヶ月間しか使えない代物であったということになる…。であるなら頻繁にイーエスディラボラトリに出入りしていた私の目にも触れる機会がなかったのも当然か…というより、そもそもイーエスディラボラトリ社がそうした不本意なカタログを好んで配布したとは思えない。

実は手元にイーエスディラボラトリ社が独自に用意したMacintoshカタログがある。
当時私はこのA4見開きカタログがなぜ質素なモノクロ仕様なのかという点について引っかかっていたが、いま思えば同社として先が見えているビジネスには投資できないと考えたのかも知れない。さらにその表紙には「…本当に人間のために作られたもの。イーエスディはそのようにものを愛し、そのようなものをこそ供給し、サポートすべくありたいと考えます。」と目立つキャプションがある。

Catalog in Japan of the Mac_01

※イーエスディラボラトリ社が用意したMacintosh最初期カタログ


これまた些かパソコンのカタログ、それも表紙に載せるには感情的な文ではないかと考えていたが、この一点にこそイーエスディラボラトリ社のビジネスコンセプトは集約されていただけでなく、当時のアップルジャパンに主張したいことだったに違いない。

さらに注意深くこのカタログを見るとおかしな点に気づく…。それは表紙として使われているMacintoshの写真だ。ここには当然のことながらMacintosh 128Kの写真が使われているはずだが、フロッピーを出し入れするスロットの形が実際の3.5インチサイズより長く5インチのように見える。
勿論こうしたカタログデータはAppleから正規に提供されるものに違いない。しかしMacintoshのプロトタイプは直近まで独自開発の5インチサイズを採用する予定だったから、何らかの手違いで "Twiggy Mac" と呼ばれていたマシンの写真がAppleから提供されたのかも知れない。だとすればこうした点においても当時のAppleはかなりいい加減なマネジメントしかできない企業だったことがわかる(笑)。

ということで、たった一枚のカタログからではあるが、こうして振り返って見ると当時は見えなかった状況が俯瞰図を見る感じで知ることができるのは興味深いし、ビジネスとはいえ悲喜こもごもの混乱した市場を経て今日の隆盛があると思うと実に感慨深いものがある。

思うにアップルジャパンという日本法人と13年ほどデベロッパーとして付き合い、1人のユーザーとしてもその設立当時から眺めてきた私だが、あらためて感じることは実に不可解な組織であったという印象だ(笑)。
日本での販売契約相手がイーエスディラボラトリあるいはキヤノン販売であっても、むしろ最初から米国本社と交渉し直接契約を結んでコントロールした方がストレートで誤解を生ぜずに済んだと思わせる事実が多々ある。それはデベロッパーに対しても同じであり、悪くすれば単なる通訳でしかなかった。
下手に(失礼)日本法人などを介するから話はややこしく、意思疎通もおかしなことになりすれ違いが多くなっていく…。
当サイトにも度々「アップルジャパン不要論」といった冗談半分、本気半分の言葉が出てきたはずだが、日本市場を円滑に、そして豊かにするはずのアップル日本法人の存在は実は当てにするほど裏切られるという歴史がほんの少し前まで続いていたのである。


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Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員