ホームコンピュータの元祖「Altair 8800」物語(3)

MITS社のAltair 8800はエド・ロバーツの思惑とは関係なく売れに売れた。というより注文に製造が追いつかず購入代金を受け取っても発送が遅れに遅れていた。また運良く最初のロットを受け取ったユーザーはユーザーで組み立てキットの部品が粗悪品を含んでいたためきちんと組み立てたにもかかわらず動作しないということも多々生じていた。


Altair 8800に限らないが、組み立てキットの類を文字通り問題なく完成させるには2つの要素がきちんと噛み合う必要がある。そのひとつは同梱されていた部品の出来不出来ともうひとつはユーザーの腕…すなわち知識と経験度である。
回路図や部品などを文字通り正確に目利きでき、問題なくはんだ付けできたか、通電しているかなどを確認できる計器を備えているユーザーは限られた人たちだったに違いない。したがってはんだごてを使えるからという程度の覚悟で入手したユーザーの多くは組み立てたはずのAltair 8800がなぜ動かないのか、その理由さえ分からなかったに違いない。

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※MITS社Altair 8800組立完成品 (Smithsonian National Museum「Computer History Collection:Altair Computer」より)


なにしろ組立キットを手にしたユーザーの多くは部品の質が悪いなどということを知る由もなかった。しかし実際初期ロットの多くは文字通り部品の質の悪さが原因で正常動作しないケースが多かったという。というかMITS社では部品の品質テストなどする余裕も気持ちもなかった。
当時のマニアたちはこの組み立てキットを不自由で不親切なものとは考えなかったのだろうか…。正直その時代では「そんなものだ」と考えていたフシがある。

私が1977年に秋葉原のラジオ会館で買った富士通FACOM L-Kit 8というワンボードマイコンもそうだった。マイコンは文字通りのワンボードで別途電源が不可欠だがマイコンに同梱されているわけではなく別途購入する必要があった。それも別売だとしても例えば富士通自身がFACOM L-Kit 8用の電源をきちんと販売していたなら事は簡単だが実態はそうではなかった。
考えてもみていただきたい。貴方が欲しいと思っているパソコンが基板一枚のむき出しのものであるのはともかく、例えば別途+5Vと+12Vそして−5Vの電源が必要だとしても多くの人たちはその必要条件を満たす電源がどこで売っているのか、どのメーカーのものを買ったら良いかなど知らないに違いない。
それでも貴方はそのパソコンを買うだろうか(笑)。さらに、Altair 8800の場合はポピュラー・エレクトロニクス誌に載ったとはいえMITS社は無名の会社だったからして前金として400ドルほどの小切手を送る勇気があるだろうか…。

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※ポピュラー・エレクトロニクス誌1975年4月号に載ったMITS社広告によるAltair 8800キット概要


確かにAltair 8800の組み立てキットはマイクロプロセッサーを含めて400ドルでおつりがきた。前記した富士通FACOM L-Kit 8の価格がワンボード・マイコンだけで85,000円だったことを考えるとAltair 8800はキャビネットや電源まで含んでの価格なのだから当時の貨幣価値を考慮しても非常に割安感がある。
とはいえポピュラー・エレクトロニクス誌の1975年1月号に載った組立キットが397ドル、完成品が498ドルと破格の値段だということは分かるとしても1975年当時の400ドルはやはりドブに捨てて良い額ではない。

現実は組み立てキットをあたかもプラモデルでも組み立てるつもりで購入した人たちのほとんどは絶望を味わうことになる。
幸いにも組立がうまくいったとしてもそれだけで何かを制御するとか、テレビに何かを映し出すといったことができるわけでもなかった。
ちなみにポピュラー・エレクトロニクス誌に載ったAltair 8800の記事は1975年1月号と2月号に分けて掲載されたが3月号に載った一面広告では組み立てキットの値段が早くも439ドル、完成品が621ドルに値上げされている。

ともかくプログラムの入力はマシン語でフロントのスイッチを動かして入力しなければならず、2進数値ひとつについてスイッチを1回動かすことになるがプログラムが間違いなく入力できたとしてもフロントのランプを点滅させる程度しかできることはなかったのである。
この頃のMITS社は懸命に働いた。会社は閑静な場所に建った近代的な建物でもなく商店街のコイン・ランドリー隣の小さな建物が会社のすべてだった。こうした会社の体裁などをあまり気にしない点はエド・ロバーツが企業人というより根っからの技術者だった事を物語っているのかも知れない。

さてAltair 8800に関する一般的な情報を集めているとAltair 8800そのものがそれまでになく優秀で画期的なコンピュータだったから多くのホビーストに支持された…といった錯覚にとらわれる。しかしAltair 8800は間違いなくコンピュータであったが性能面で特に優れていたとは思われない。
キットが売れた要因はその価格と共にすべての部品一式が揃っているという点、そして後にS-100と呼ばれるようになった拡張スロットを装備されていたからだった。さらにその組み立てキットを広く知らしめるきっかけを作ったのは間違いなくポピュラー・エレクトロニクス誌の功績だったことを忘れてはならない。

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※ポピュラー・エレクトロニクス誌1975年2月号のAltair 8800紹介Part2冒頭ページ


後年Altair 8800というマシンの存在が一人歩きした感もあるが今般ポピュラー・エレクトロニクス誌を手に入れ当該記事を読むと同誌の特集は手作りのコンピュータを提案するといった実に冷静な記事なのだ。
それはエキセントリックな内容でもなければいたずらに読者を煽るといった内容には思えない。ただミニコンピュータの概念に匹敵する個人用コンピュータを安価に手作りすることを提案し、ためにMITS社のAltair 8800の存在を回路図や部品リストと共に紹介するというスタンスであった。
繰り返すが読者にとってAltair 8800の魅力は安価なこと、そしてMITS社から発売されたケースや電源を含めた一切を購入でき、組立に必要なパーツがすべて揃うという点が注目されたわけだ。

当時は現在のようにインターネットも我々の眼前にはなかったから一般大衆に新製品の存在を知らしめることは容易ではなかった。無論大企業なら新聞や一流雑誌あるいはテレビのコマーシャルを活用できただろうがMITS社は前記したようにポピュラー・エレクトロニクス誌に広告を掲載したり、後にBYTE誌の表紙を飾ったりもするが、もしポピュラー・エレクトロニクス誌の最初の紹介企画がなかったとしたらAltair 8800の成功はなかったに違いない。
MITS社は1975年のポピュラー・エレクトロニクス誌 1月号と2月号の2回に分けて紹介記事を載せた後、早くも2月号には1ページ全面広告を載せている。
当時ポピュラー・エレクトロニクス誌の広告料金は1/6ページで1,000ドルだったというからMITS社は一大攻勢に出たともいえる。

つづく

【参考資料】
・「Popular Electronics」 1975年1月号~3月号
・「パソコン革命の英雄たち~ハッカーズ25年の功績」マグロウヒル社刊
・「コンピュータ~写真で見る歴史」タッシェン・ジャパン社刊
・「ハッカーズ」工学社刊
・「パソコン創世記」TBSブリタニカ刊
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Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員