ホームコンピュータの元祖「Altair 8800」物語(5)

MITS社のAltair 8800は当時誰もが予測できなかったほど売れた。しかしすでに記したように多くの注文が舞い込んだものの生産が追いつかず発送は遅れに遅れた。その上にMITS社はいくつかのオプションボードを発表するがこれまた出荷されないものが多かった。好調だったMITS社だったが次第に勢いを失っていく...。


MITS社は意欲的だった。ハードウェアを売るだけでなく独自のコンピュータ・クラブを全国的に組織し、自らコンテストを開催し、ニューズ・レター「Computer Notes」を発刊することもやった。このニューズ・レターの初期にはビル・ゲイツとポール・アレンが執筆に協力していた。
結果論ではあるがMITS社のエド・ロバーツは足下がおぼつかないうちに事業の手を広げすぎたようだ。

とにかくAltair 8800は組み立てキットだったこともあり、部品が粗悪なのか組立方が悪いのかはともかく「動かない」という顧客の対応に大きな時間を割かれることになった。その上、新に発売をスタートした4Kメモリボードがまともに動かなかったのである。
ビル・ゲイツらの「メモリボードには根本的に問題がある」という忠告をエド・ロバーツは無視した。なにしろMITS社はAltair 8800本体だけでは利益が上がらなくなっていたこともあり競合も出始めたとはいえメモリボードの売り上げが必要だったのだ。

さらに悪いことにMITS社は昔ながらの販売戦略をとった。それは人気のAltair BASICとMITS社のメモリボードを抱き合わせて販売しようと画策したことだった。
MITS社のメモリボードと共にAltair BASICを購入する顧客にはAltair BASICの価格は150ドルだっだが、他社製のメモリボードを買う...あるいは持っているユーザーがAltair BASIC単体で買おうとするとAltair 8800本体よりも高い500ドルという値付けをしたのである。それでもまだMITS社のメモリボードが問題なく動けば話しは違ったのだろうが相変わらず同社製のメモリボードは動かなかった。ただただエド・ロバーツが「動く」と信じていただけだった。

エド・ロバーツはともかく売り上げを増やし、会社を拡張することしか念頭になかった。そして開発スタッフとしてMITS社の応援部隊の1人になっていたポール・アレンが手を広げすぎるからと反対したモトローラ製MC6800プロセッサを使ったAltairの開発をもエド・ロバーツは1975年末に強行する。
開発された6800マシンはAltair 680bと命名され、Altair 8800よりさらに低価格に設定された。しかし8800用の部品は680bには使えず、当初のAltair BASICもそのままでは互換性がなかった。そうした問題を解決しAltair 680bの出荷を急がすために要員も大幅に必要となった。
MITS社の社員数は一時期の12名から100名以上にも膨れあがった。

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※ポピュラー・エレクトロニクス誌 (1975年11月号)に掲載されたMITS社Altair 680b


1976年の半ばにもなると競合他社の台頭が目立つようになる。その筆頭がIMSAI社だった。IMSAIはAltair 8800のコピーだったが同年10月にコモドール社がMOSテクノロジー社を買収しパソコンの販売に乗り出すという情報も耳に入ってきたしタンディ社もパソコンの製造販売の実現に動き始めていた。すでに50社ほどのハードウェア・メーカーが市場に参入し始めていたのである。
1977年4月にサンフランシスコで開催された第一回ウエストコースト・コンピュータ・フェア(WCCF)でコモドール社のPETが発表されApple Computer社のApple IIがきら星の如く登場した。Altair 8800が計測器やミニコン同様金属の箱形だったのに対してApple IIはアイボリーカラーの樹脂製ケースに包まれフルキーボードも実装しており実に魅力的だった。
市場は確実にホームコンピュータの時代からパーソナルコンピュータの時代に移行していたのである。

その頃になるとMITS社のエド・ロバーツの頭の中はあの電卓製造販売で失敗した悪夢が宿っていた。
ロバーツは言う「一度ああいう目にあって、翌日給料を払えるかどうか毎晩眠れずに思い悩むとかなり臆病になり、まったくまともな決定を下すことができなくなる」と…。
結局エド・ロバーツは1977年5月22日、MITS社を当時ミニコンとメインフレーム用のディスクやテープ装置のメーカーだったパーテック(Pertec)社に600万ドルで売却した。
買収される直前MITS社はすでに業界での支配的なポジションを失いつつあったがパーテック社のもとでMITS社は確実に分解し始めていった…。
パーテック社の失敗はホビーコンピュータの市場とユーザーの心理を理解できず、MITS社をあたかもミニコン市場にある大企業のように運営しMITS社の幹部社員を遠ざけたことによる。

私の手元にAltairがパーティック社に移った直後と思われる1977年作成の広告のためのリーフレットがある。
中央にホッチキスで綴じた跡があるところから雑誌かなにかの中綴じとして告知されたもののようだが、当時の様子を垣間見ることができる。
本広告は最大26%引きで購入できることを謳ったもので表紙下には “Share our lower production costs. Mainframes now reduced up to 26%.” と “メインフレーム”という記述がある。

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※1977年製作のPertec社広告リーフレット表紙


無論厳密な意味において “Mainframes” の定義は希薄だが、やはりメインフレームと聞けば一般的には業務用の大型汎用コンピュータのイメージが強いし当時は尚更であったろう…。パーティック社は時代とは言えそれまでのMITS社が大切にしていたハッカーやホビーユーザーの心理を理解せず、Altairを安価なメインフレームあるいはミニコンと捉えた販売戦略を推進したのである。
カタログの見開きの中身は Altair 8800b Mainframes と8800b -Turnkeyモデル、そしてAltair 680b Mainframeおよび680b -Turnkeyモデルが対象になっており、すでに1975年にリリースされたAltair 8800オリジナルモデルはなくなっている。そしてここでも “Altair 8800b Mainframes” とはっきりとしたメインフレームの表記がある。

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※前記広告の見開き


ちなみにAltair 8800bとは初期モデルAltair 8800の改良型で、アキュムレータの内容を表示・変更できたり、I/Oポート空間の読み書きが可能になったモデルで、ためにコンソールパネルのデザインが大幅に変更されている。 そしてTurnkeyモデルとはいわゆるAltair後期型の製品で、Altair 8800のようなパネルスイッチによるブートが不要で電源を入れるだけでフロッピーディスクから…例えばCP/Mを起動できるといった製品である。したがってTurnkeyモデルは技術系ユーザー相手というより実際に事務処理を求めるユーザー向け製品でありフロントパネルにあった操作用のトグルスイッチなどは省かれている。
Turnkeyモデルはいわばホームコンピュータが文字通りのホビー対象から実務に役立てようとする時代の流れに沿った製品ではあったが、だからこそ例えばApple IIといったスマートで組立も不要、そして使い易いパーソナルコンピュータにその座を明け渡さなければならなかったのだ。

その後パーテック社は約1年間Altairを生産したが2年も経たないうちにMITS社は消滅した。
MITSの創立者エド・ロバーツはジョージア州に農場を買うと共に望んでいた医学の道に進んだが、その後2010年4月1日、肺炎で亡くなった。68歳だった。
ビル・ゲイツとポール・アレンは同日、「われわれの友人、そして若き日の指導者でもあるエド・ロバーツの死を深く悲しんでいる。ご家族にお悔やみ申し上げる」と合同で追悼の声明を発表。さらに2人は、ロバーツを「パーソナルコンピュータ革命の真のパイオニア」と呼び、「彼はわれわれ〜コンピュータが一般的になるずっと前にこの技術に関心を持った2人の若者〜に賭けてくれた。彼には常に感謝してきた」と述べている。

【主な参考資料】
・「Popular Electronics」 1975年1月号~4月号
・「パソコン革命の英雄たち~ハッカーズ25年の功績」マグロウヒル社刊
・「ハッカーズ」工学社刊

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主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員