私の秋葉原物語「その不思議な街」
"AKIHABARA"という街は日本のみならず外国人にもよく知られ、観光で来日した人たちの多くが立ち寄る場所のひとつでもある。事実これだけの広い地域に電気・電器関連店舗がひしめいている街は秋葉原と関西の日本橋の他にはない。
私が頻繁に秋葉原の電気街に寄るようになったのはワンボードマイコンが登場した1977年からのことだ。それ以前にもその存在を知ってはいたものの、一人でこの街を歩き回ることはなかった。なぜならヤマギワ電気などの大型店はあったものの、予備知識がなかったこともあり、ほとんどのお店がいわゆるジャンク品を扱う特殊な店ばかりに映ったからだ。そして事実、ふらりと気軽に入れる店はあまりなかった。
1977年の暮れに10万円をポケットにねじ込み、意を決して入ったところは駅前のラジオ会館だった。その中のとあるショップでワンボードマイコンと専用電源を買ったのだが、そのさまはなにかアメ横か河岸で生鮮食料品でも買ったような新鮮な感覚だったことを今でも覚えている。
そんな感じを受けた原因のひとつは店員さんが、いやに元気で声が大きかったからかも知れない(笑)。
その後、マイコンやパソコンを使い始めることで自然にハンダごてを持つようにもなり、駅のガード下につらなる雑多なお店をも楽しみに回るようになった。そこでは店頭で購入物を選別する際にダイオード、抵抗そしてコンデンサーなどの細かな品を落としたり無くさないようにと小さなプラスチック製のトレーに入れることが購入時のルールだということも知り、いろいろな意味でカルチャーショックを受けたものである。
しかし相変わらず20年前の秋葉原は特殊な街であり、場違いの専門店に入るような一種の気構えが必要だったし、お世辞にも綺麗な街ではなかった。
ところで現在の秋葉原とは東京都千代田区北東端にある一地区、すなわちJRの総武線、山手線、京浜東北線および営団地下鉄日比谷線が乗り継ぐ秋葉原駅を中心とする一帯を指している。
昔...年輩の江戸っ子の中には"アキハバラ"を"アキバハラ"と呼んでいた人たちがけっこういたものだ。
その秋葉原は明治3年(1870年)に秋葉神社(あきばじんじゃ)を祀り、秋葉原(あきばっぱら)といわれたのが地名の由来だそうだから"アキバハラ"という呼び名は間違いではなく、反対にその由来を正確に表していることになる。
しかしいつから"アキハバラ"と呼ぶようになったのだろうか...(^_^)。
この一帯は江戸時代においては下級武士の住居だったそうで、1928年(昭和3年)東北本線の貨物駅に接してあの神田青果市場ができ、第二次世界大戦後には闇市が立ったのをきっかけに、電機製品の問屋・小売店街として発展することになる。特に闇市があった頃には時代を象徴するトラブルや出世物語なども多々あったようだ。
その秋葉原はいまでこそ、店内が明るくそして綺麗な大型店が増え、女性客も安心して買い物ができる環境になったたが当時のショップの多くはガード下や地下だったり、間口が極端に狭く、体を斜めにしながら店内に入らないと積んである段ボールなどにぶつかるような店ばかりだった。そしてまた非合法のコピー製品や得体の知れない製品なども多く、魅力がある反面危ない雰囲気も感じさせる街だった。
ここだけの話だが(笑)Macintosh関連機器のショップとしては老舗でもあったイケショップは当初Apple IIのコピーカードなども扱っていたこともあり一部のユーザー仲間からは「マネショップ」などと陰口を叩かれていたこともある。
ちょうど私が頻繁に通っていた頃(1986年)の秋葉原の映像がYouTubeにあったのでご紹介しておきたい。
さて、一般家電のお店はともかく、パソコンショップに限り現在と違う点をいえば雰囲気はともかく店舗の数と店員さんたちの発する熱気だろうか。
10数年前...秋葉原でもいわゆるアップルマークの看板を掲げているお店を探すのは大変なことだった。それでも例えば九十九電機や亜土電子工業、そしてイケショップなどの各店にはご自身がどっぷりとパソコンやアップルに浸かりきっている熱血店員さんたちが多くいたものだ。
彼らからパソコンの最新情報を教えてもらったり、反対にソフトウェアやハードウェアの実際の使用感を報告したりと本当の意味でのコミュニケーションがあった。そうした店員さんたちの知識の豊富さと自信を持った対応が魅力で多くの時間を客と店員という枠を越え、アップル談義に花を咲かせたものだった。
また先のイケショップでは名物専務さんが店にいる時に遭遇すると品物をだまってレジに持っていくだけで係に「松田さんだ...○%値引きしときな...」と言ってくれるなど嬉しい対応をしていただくのでついまたその店に足が向いてしまうのだった(^_^)。
当時のお店はそうした名物店員さんや店長さんたちの個性でお店が支えられていた感があったが現在は品揃えもよく、明るく、綺麗な店が揃った反面なかなかそうしたコミュニケーションが結べるショップがないのが残念だと思っている。
そもそもそれ以前に「秋葉原は電気街」という印象だけではなく「萌え系の街」であったり「フィギュアの街」としての変貌も遂げている。そうした変化の是非はともかく駅前の再開発も進み大型電気店も隣接したいま、今一度電気街としての活気を見せて欲しいものである。
私が頻繁に秋葉原の電気街に寄るようになったのはワンボードマイコンが登場した1977年からのことだ。それ以前にもその存在を知ってはいたものの、一人でこの街を歩き回ることはなかった。なぜならヤマギワ電気などの大型店はあったものの、予備知識がなかったこともあり、ほとんどのお店がいわゆるジャンク品を扱う特殊な店ばかりに映ったからだ。そして事実、ふらりと気軽に入れる店はあまりなかった。
1977年の暮れに10万円をポケットにねじ込み、意を決して入ったところは駅前のラジオ会館だった。その中のとあるショップでワンボードマイコンと専用電源を買ったのだが、そのさまはなにかアメ横か河岸で生鮮食料品でも買ったような新鮮な感覚だったことを今でも覚えている。
そんな感じを受けた原因のひとつは店員さんが、いやに元気で声が大きかったからかも知れない(笑)。
その後、マイコンやパソコンを使い始めることで自然にハンダごてを持つようにもなり、駅のガード下につらなる雑多なお店をも楽しみに回るようになった。そこでは店頭で購入物を選別する際にダイオード、抵抗そしてコンデンサーなどの細かな品を落としたり無くさないようにと小さなプラスチック製のトレーに入れることが購入時のルールだということも知り、いろいろな意味でカルチャーショックを受けたものである。
しかし相変わらず20年前の秋葉原は特殊な街であり、場違いの専門店に入るような一種の気構えが必要だったし、お世辞にも綺麗な街ではなかった。
ところで現在の秋葉原とは東京都千代田区北東端にある一地区、すなわちJRの総武線、山手線、京浜東北線および営団地下鉄日比谷線が乗り継ぐ秋葉原駅を中心とする一帯を指している。
昔...年輩の江戸っ子の中には"アキハバラ"を"アキバハラ"と呼んでいた人たちがけっこういたものだ。
その秋葉原は明治3年(1870年)に秋葉神社(あきばじんじゃ)を祀り、秋葉原(あきばっぱら)といわれたのが地名の由来だそうだから"アキバハラ"という呼び名は間違いではなく、反対にその由来を正確に表していることになる。
しかしいつから"アキハバラ"と呼ぶようになったのだろうか...(^_^)。
この一帯は江戸時代においては下級武士の住居だったそうで、1928年(昭和3年)東北本線の貨物駅に接してあの神田青果市場ができ、第二次世界大戦後には闇市が立ったのをきっかけに、電機製品の問屋・小売店街として発展することになる。特に闇市があった頃には時代を象徴するトラブルや出世物語なども多々あったようだ。
その秋葉原はいまでこそ、店内が明るくそして綺麗な大型店が増え、女性客も安心して買い物ができる環境になったたが当時のショップの多くはガード下や地下だったり、間口が極端に狭く、体を斜めにしながら店内に入らないと積んである段ボールなどにぶつかるような店ばかりだった。そしてまた非合法のコピー製品や得体の知れない製品なども多く、魅力がある反面危ない雰囲気も感じさせる街だった。
ここだけの話だが(笑)Macintosh関連機器のショップとしては老舗でもあったイケショップは当初Apple IIのコピーカードなども扱っていたこともあり一部のユーザー仲間からは「マネショップ」などと陰口を叩かれていたこともある。
ちょうど私が頻繁に通っていた頃(1986年)の秋葉原の映像がYouTubeにあったのでご紹介しておきたい。
さて、一般家電のお店はともかく、パソコンショップに限り現在と違う点をいえば雰囲気はともかく店舗の数と店員さんたちの発する熱気だろうか。
10数年前...秋葉原でもいわゆるアップルマークの看板を掲げているお店を探すのは大変なことだった。それでも例えば九十九電機や亜土電子工業、そしてイケショップなどの各店にはご自身がどっぷりとパソコンやアップルに浸かりきっている熱血店員さんたちが多くいたものだ。
彼らからパソコンの最新情報を教えてもらったり、反対にソフトウェアやハードウェアの実際の使用感を報告したりと本当の意味でのコミュニケーションがあった。そうした店員さんたちの知識の豊富さと自信を持った対応が魅力で多くの時間を客と店員という枠を越え、アップル談義に花を咲かせたものだった。
また先のイケショップでは名物専務さんが店にいる時に遭遇すると品物をだまってレジに持っていくだけで係に「松田さんだ...○%値引きしときな...」と言ってくれるなど嬉しい対応をしていただくのでついまたその店に足が向いてしまうのだった(^_^)。
当時のお店はそうした名物店員さんや店長さんたちの個性でお店が支えられていた感があったが現在は品揃えもよく、明るく、綺麗な店が揃った反面なかなかそうしたコミュニケーションが結べるショップがないのが残念だと思っている。
そもそもそれ以前に「秋葉原は電気街」という印象だけではなく「萌え系の街」であったり「フィギュアの街」としての変貌も遂げている。そうした変化の是非はともかく駅前の再開発も進み大型電気店も隣接したいま、今一度電気街としての活気を見せて欲しいものである。
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