「ブートストラップ〜人間の知的進化を目差して」を読んで

本書はダグラス・C・エンゲルバートの研究の足跡を追ったものだ。エンゲルバートはこれまでマウスの発明者といった程度の知名度はあっても評価が低かった感がある。しかし近年こうした書籍などの影響もあり彼の評価が高まっていることは嬉しい限りだ。


Old Macページの「D.Engelbart伝説のプレゼンテーションが見られる!」というタイトルで少し触れた本書だがきちんとお勧めをしてみたい。
さて、他の文献もそうだが、米国を中心に進歩・進化したコンピュータ関連の歴史的論文や研究資料などは当然の事ながら英語である。さらに一部を除けば、この種の学術的な論文などは一般ウケしないばかりかその内容も些か難しいため、原書で読破できる人は限られている。

本書「ブートストラップ〜人間の知的進化を目指して/ダグラス・エンゲルバート、あるいは知られざるコンピュータ研究の先駆者たち」Thierry Bardini著/森田哲訳(コンピュータ・エージ社刊)は原著名「Bootstrapping」の翻訳本だがそうした意味でも貴重な一冊といえよう。

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※「ブートストラップ〜人間の知的進化を目指して」コンピュータ・エージ社刊表紙(上)と原著「Bootstrapping」表紙(下)


ダグラス・C・エンゲルバートの名は、我々Macintoshユーザーにとって...というよりコンピュータの歴史などに興味のあるユーザーには、アラン・ケイほどではないものの、知られている人物ではある。ただしそれは「マウスの発明者」といった程度の認識に終始する場合が多く、大方の認識もその程度ではないだろうか。
それらの出来事およびエンゲルバート自身の経歴は、なにか遠い大昔のことであるかの印象を持つ人もいるかも知れない...。

ではなぜエンゲルバートという人物にこれまで大きな光が当たらなかったのか...。実はアラン・ケイ自身の大きな転機のひとつは1968年12月、サンフランシスコで開かれたコンピュータ学会でエンゲルバートが行った歴史的プレゼンテーションだったといわれ、事実それは「あらゆるデモンストレーションの見本」と評価されている。またマウスの利用などもそこで認知されたにもかかわらず、エンゲルバートの名が一般的に知られなかったのにはそれなりに理由もある。

一言でいえば、彼は当時の状況下ではアウトサイダーの一人だった。なぜなら彼は現在のようなコンピュータの大衆化・一般化を考えたのではなく、あくまで我々人類が解決できない複雑な問題をコンピュータを利用して解決したいと考えていたという。したがって多くの人たちが、一人一台のパーソナルコンピュータを持つことに考えが向いていた時期に、彼はクライアントサーバー型アーキテクチャを稼働させ、共同作業による問題解決を進めていた。それがある意味時代に逆行し、一部からはコンピュータというものを複雑に考えし過ぎていると非難されもした。

したがってというか、彼のブートストラップ原理は一般ウケするものではなかったということなのなのかも知れない。
本書の中でアラン・ケイの次の言葉は、そのニュアンスを的確に伝えている。
「よかれ悪しかれ、エンゲルバートはバイオリンを作ろうとしていたのに、ほとんどの人々はバイオリンを習いたくなかった」

エンゲルバートの出発点は、バネバー・ブッシュの1945年の論文にあると言われているが、その他多くの研究者もこの論文に触発されたといわれている。本書ではそうした背景から1950年代、あるいは60年代のコンピュータ関連開発の姿や米国の歩みの一端をエンゲルバートや有名無名の先駆者たちを通して垣間見られる点は貴重である。

当サイトの主張がそうであるように、現在我々を取り巻いているコンピュータ関連の状況は、これまたよかれ悪しかれ人々の思惑だけで動くものではなかったし一晩で発明されたり発見されたりしたものでもない。エンゲルバートを含む多くの先達が、それぞれの時代背景と各々の哲学により歩んだその枝葉のひとつなのだ。さらにこうした研究者らの挑戦は終わったものではなく、現在進行形でもあり、本書の解説をされている中央大学総合政策学部ならびに大学院総合政策研究科教授、大橋正和氏の言葉のとおりそれらは「未完の革命」であり、現代の我々はそれらを完成させる使命を持っているのかも知れない。
そうした意味においても本書は昔話に終わらせることなく若い方々に読んでいただきたい一冊でもある。

さて、本書の概要は多くの人の文献の引用およびエンゲルバートたちの論文や手稿を紹介しながら、著者であるThierry Bardini氏の論を展開していくものだ。そして冒頭にも書いたが、技術書でありながらある意味では哲学的な様相も呈しているため、もともと易しい文章ではないと想像する。

本書のイントロダクションに次のような記述がある。それはエンゲルバートの手紙として「コンピュータ技術の開花とその影響は、我々皆が実際に十分把握できる以上に、より壮大で社会的に重要なものになろうとしています」とあり、続けて別の手稿として「...コンピュータ技術のように目をひくものが地平線に大きく見えてきた場合には、さまざまな種族によって構成される機転の利く代表者たち---例えば、社会学、人類学、心理学、歴史学、経済学、哲学、工学などの分野の専門家---で構成される偵察隊を組織して、絶え間ない変化に適応する必要があります」と記されている...。

エンゲルバートのブートストラップ原理やその時代的背景を十分に理解するためには文字通り、単にコンピューティングやサイバネテックスといった特定の分野だけの知識だけでは把握ができない内容を含むことをも意味する。
このことは奇しくも私が1991年、技術評論社刊「Multimedia WORLD」に寄稿した「マルチメディアは環境か?」という内容で述べていることと同じであり、僭越ながらエンゲルバートの考えるところはよくわかる。

「Multimedia WORLD」誌で私は「マルチメディアの理想的な環境を実現するためには狭い範囲の学問では全く役にたたないのです。広い視野がどうしても必要なのです」とし、続いて「コンピュータ技術、プログラム、デザイン、心理学、言語学、社会調査、法律、教育、通信、情報、CG、医学、マーケティング、金融、経済、音響、建築、芸術など、それぞれの専門の立場から培ってきたノウハウを出し合わなければならない時期が来ていると思うのです(略)」と持論を展開した経緯がある。

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※MacJapan別冊「Multimedia WORLD」1991年11月10日発行、技術評論社刊


ともかく大変難解であろう原著を訳された訳者の努力には心から敬意を表するものだが、特にエンゲルバート自身の文章訳部分が大変読みにくい。和訳を追っていくだけでは意味が通らない箇所が見受けられる...。
というわけで別途原著を手に入れ、本職の翻訳家である実弟に是非とも知りたい箇所を一部訳してもらったが弟が言うにはエンゲルバート自身の文体が悪い意味で技術屋のそれであり、そもそもが分かりづらい文章とのこと。

それにしても貴重な一冊であるだけに門外漢としてはもう少し分かりやすいものにならないかと思う。しかし続けて弟が言うには「この原著を翻訳する仕事はやりたいくないなあ...」と苦笑していたことからも訳者のご苦労が計り知れないものであったことも理解できる(^_^;)。

余談が続いたがエンゲルバートが夢見、目標とした仕事は現在の視点から眺めれば、40年あるいは50年早すぎたのかも知れない。
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ブートストラップ ー 人間の知的進化を目指して
〜ダグラス・エンゲルバート、あるいは知られざるコンピュータ研究の先駆者たち〜
2002年12月25日 第1版第1刷発行

著者:Thierry Bardini
訳者:森田 哲
発行:株式会社コンピュータ・エージ社  http://www.computer-age.ne.jp/
書籍コード:ISBN4-87566-256-4
定価:本体2,800円+税
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Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員