スティーブ・ジョブズの生涯における11の強運を検証する

スティーブ・ジョブズの人生を追っていると彼がいかに強運の持ち主であるかに否が応でも気づかされる。無論彼が成功したのは無類の明晰な頭脳を持ったカリスマ性にもあるわけだが、人の運命は自身の力量ではどうにもならないことも多いのが現実だ。しかし彼はその強運で成功の扉を押し開き続けたように思う。


どうやら世の中には一見して運の強い人と運に見放されたように思える人がいるように感じる。
人が与えられた仕事や使命を全うし、社会に役立つと同時に相応の財を得たり名を残したりすることが社会的な成功と評価されるわけだが無論すべての人たちがそうではない。家族を養うために意にそぐわない仕事を黙々とこなして名も無く財も無く一生を過ごす人も多いだろうし、反対に親の遺産で大した努力もしないで人の上に立ち、自分が偉くなったと勘違いしているような人物も目立つ。

ただしどのような生き方であっても当人としてみれば100%満足した人生を送っていることなど希だろうが、人生の中で多々遭遇する運命の岐路選択がピタッとツボにはまる人もいれば、反対に何をやっても上手くいかない人もいる…。
スティーブ・ジョブズという人物の一生もご承知のように何の苦労も苦悩も無く成功裏に終わったわけではない。彼は養子として貰われて悩んだことは間違いないし、気質的にも激しい性格から一般的に考えれば社会から嫌われ人知れず歴史の底辺で埋もれてしまっても不思議ではなかった。
しかし友人のウォズニアックらとApple Computer社を起業し、世界を変える第一歩を踏み出して成功したが、皮肉にも自身がヘッドハンティングしたジョン・スカリーに会社を追われるように辞める。その後あらたに設立したNeXT社は外部からも多くの投資を受けたもののビジネスとして成功しなかった。彼はそのまま過去の人として忘れ去られても不思議では無かった...。

ただしコンピュータ・アニメーション制作会社 PIXARのCEOとして一躍時の人となっただけでなくその後Apple社に復職し、瀕死の会社を早々黒字に転換する。そしてiMac、iPod、iPhone、iPadなど人々のライフワークを変える製品を次々と開発してAppleを時価総額で世界第一の企業に育て上げた。
これらはまるでヘタな小説というか嘘みたいな出来すぎた話だが、ご承知のように本当のことなのだから驚く…。

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※スティーブ・ジョブズの一生は我々から見ると強運の女神に守られているように思える


こうしたスティーブ・ジョブズの人生をあらためて振り返って見ると大別して11項目の強運が彼を救ったと思えてくる。
今回は興味本位ではあるが、そんな強運・幸運を簡単に検証してみたい。

①1955年生まれ
いつ生まれてくるかは当人にとって選択の余地はないが、一人の人間の一生を俯瞰してみると運不運の最初のファクターであることは間違いない。エレクトロニクスが急速に発達し、カウンターカルチャーとして個人向けコンピュータが求められてくる時代にジョブズは少年期を過ごせたことはラッキーだった。

②育った環境(国)
申し上げるまでもないがジョブズが米国西海岸の養父に貰われたのは幸運だった。10歳の頃、ジョブズたちはマウンテンビューに住んでいたが、この地はパロアルト周辺で次々と生まれていたエレクトロニクス企業のベッドタウンだったからコンピュータテクノロジーに興味を持つためには好条件だった。

③スティーブ・ウォズニアックと出会う
スティーブ・ジョブズの人生の歯車が噛み合い始めたのはやはりスティーブ・ウォズニアックと出会ったからであろう。ウォズニアックと意気投合しなければAppleという会社は生まれなかった。

④マイク・マークラのAppleへの出資
会社を設立することにはなったが二人のスティーブには資金がなかった。ジョブズは車を、ウォズニアックは2台の電卓を売ったというが、それだけではまったく足らなかった。しかし結局マイク・マークラと出会って大きな資金調達に成功したからこそApple IIの本格的な製造やWCCFなどのコンピュータフェアに大きなブースを持つなど、企業らしいスタートをきることができた。

⑤ゼロックス・パロアルト研究所でAltoおよびSmalltalkの暫定ダイナブックと出会う
このゼロックス・パロアルト研究所(PARC)訪問はジョブズに大きなインスピレーションを与え、Lisaやそれに続くMacintoshのGUI パーソナルコンピュータ開発のきっかけを作った。

⑥Apple IIの成功ならびに株式公開で個人的に大金持ちになったこと。
Apple IIは大成功だったが、その後のApple III、Lisaはビジネス的に失敗だったしMacintoshも販売の勢いは最初だけですぐに在庫が膨大になってしまう。結局ジョブズは尊大すぎる態度とMac販売不振を突きつけられ権限のない会長職に追いやられるがAppleを辞めてしまう。
しかしその後の人生においてジョブズは大金持ちになっていたことがその後の彼を救ったのである。なぜならもし金がなければNeXT社を設立し資金をつぎ込むことはできなかったしPIXAR社を得て成功するまで支えておくことができなかったからだ。

⑦Appleを退社
スティーブ・ジョブズ自身、スタンフォード大学におけるスピーチでAppleを辞めたことは皮肉なことに「人生最良の出来事」だったと振り返っているが無論それは後になっての感想だ。ともあれもしこの時ジョブズがAppleを辞めていなかったら、今日我々が知るAppleやスティーブ・ジョブズは存在しなかったに違いない。まさしく「人間万事塞翁が馬」を地でいったような出来事であった。

⑧NeXT社の設立
ここでいうNeXT社の存在意義は何かといえば無論NeXT STEPの存在である。このOSがなかったらAppleによるNeXT買収はなかったからだ。

⑨Appleが経営難だったこと
スティーブ・ジョブズは瀕死寸前のAppleの救世主として降臨した。だからもし当時のAppleが上々の経営状態だったとするならスティーブ・ジョブズが如何にAppleに戻りたがったとしてもApple復帰の確率はほとんどなかったに違いない。

⑩Appleに復帰当時のCEOがギル・アメリオだったこと
ギルバート・アメリオは自身でもアップユーザーだと明言している。程度問題は不明だがAppleが作る製品には愛着を持っていたフシもある。だからこそ彼がCEOになったとき、それ以前のスピンドラーとは違い会社を売却するという安易な選択より何とか時間がかかってもAppleを再生させようとした点は評価すべきなのだ。これが外部から単純に招集されたようなCEOだったらAppleはジョブズが復帰する以前にすでに売却されていたかも知れないのだ。そしてまぎれもないことはジョブズをAppleに呼び戻そうと決断したのは誰あろうギルバート・アメリオなのだ。

⑪iMacの成功
結果から見ればボンダイブルーの初代iMacは売れるべきして売れたといわれるかも知れない。しかし、もし何らかの問題でこのiMacが売れなかったら、ジョブズとAppleはどうなっていたか分からない。

以上時系列にスティーブ・ジョブズの人生における強運と思える11ものターニングポイントあるいは出来事を記してみたが、人生の数々の大きな分岐点でスティーブ・ジョブズという男は無類の強運の女神に守られていたように思える。波瀾万丈という一言では済まない彼の強運に導かれた人生が見て取れるのではないだろうか。まあ、運も実力のうちなのかも知れないが...。
無論スティーブ・ジョブズという特異な人物の成功を強運の一言で片付けることはできないのは承知の上だ。しかし冒頭にも記したように人の一生には努力とか強く渇望したからといって目的を達せられない...いわば人の力ではどうにもできない事も多いことを私達は知っている。そして一生のうちでひとつや2つ、無類のラッキーな目に会ったとしてもそれは偶然であり、たまたま事が上手く運んだからと考えた方が現実的だろうが、ジョブズのように良い方向に事が運ぶあれこれが多く見られるとするなら正しく強運に導かれていたと考えるのもあながち無理ではないと思うのだが...。

今年もすでに明日の大晦日だけになってしまったが、皆様方にとって2012年がより良い年でありますよう祈念してこの項を終わることにしよう…。
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Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員