「マッキントッシュ物語」の原書「Insanely Great」を手にして

過日「スティーブン・レビー著『マッキントッシュ物語』の勧め」というアーティクルを紹介したが、なかなかの反響をいただいたものの当該書籍が絶版になっていることでもあり、お勧めしても手軽に入手できないといった状況は大変残念だ。ともかく個人的に気になっていた箇所があったので今般原著を取り寄せてみた。


本書「マッキントッシュ物語」の魅力はスティープ・ジョブズの人間性に迫るといったものでもなくAppleという企業の成功や失敗の秘密を解き明かすといったものでもない。ただひたすらMacintoshというそれまでに類を見ない革新的なパーソナルコンピュータの誕生とその存在意義を追った内容だということでもある。
なぜMacintoshは革命的であり「めちゃくちゃすごい」コンピュータなのか。いまではあたりまえ過ぎてそのGUIも色あせた感もあるもののMacintoshという存在がなければ私達の生活やビジネスは現在とかなり違ったものになっていたに違いないのだ。

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※翔泳社刊、スティーブン・レビー著「マッキントッシュ物語」武舎広幸訳の表紙


さて、私はといえば本書「マッキントッシュ物語」のページを開き、読み始めたその最初で実は違和感を持ったのである。
第一章「出会い」の一行目にはこう書かれている…。

「まず目に焼き付いたのは『ライト』だった。」と。

これは1983年11月、厄介な交渉の末、スティーブン・レビーはAppleの一室に招かれ、そこで秘密裏にMacintoshを見せられた際の第一印象である。
それはMacintoshを市場に送り出すに際して宣伝は必要欠くべからざる要素であり、ためにAppleはMacintoshの開発チームをアピールしたいと考え、大手雑誌社に表紙にそれらの開発者たちの写真を掲載するよう圧力をかけていた時期でもあった。
Apple側はジャーナリストとしてのスティーブン・レビーにそうした期待をかけたわけだ。ちなみに彼はこの1983年末までにあの名著「ハッカーズ」の原稿をほぼ書き終えていたという。それはApple IIを使って書いたものだという…。

ともかく本文1行目の「まず目に焼き付いたのは『ライト』だった。」だが、Macユーザーであるならその意図する意味は解るかもしれないものの実に変な日本語だ。
これはMacintoshの物語であり照明器具の本ではない(笑)。とはいえ私は当初素直にこの「ライト」というのは前後の文脈を考慮してMacintoshの9インチ・モノクロディスプレイが「ライトのように明るかった」のだと読んだ。
しかしそうであれば「まず目に焼き付いたのはその画面の明るさだった」と訳せばよいではないか…。「ライト」という語はその後にも登場する。
「コンピュータを『ライト』のように明るくするには…とか「『ライト』のようなコンピュータ画面を…」そして「あの『ライト』が広まるには…」といった具合に。やはり違和感を感じる日本語である。

たぷん、意味としての理解には間違いないと思ったが、僭越ながら日本語としては自然な記述ではない。したがってずっと心にこの箇所がひっかかっていたのである。なにしろ期待を持って読み始めた最初の一行なのだから。
先のアーティクルを書いたときそれを思い出し、良い機会だからと英語版の原著を手に入れた。原著の書名は「Insanely Great」だが、これは当時ジョブズがMacintoshを称して多々発言していた言葉で「めちゃくちゃ凄い」という意味だ。

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※「マッキントッシュ物語」の原著表紙


届いたばかりの原書を開き早速最初の一行を確認してみることにした。

そこには "What I first remember was the light." とあった…。

文字通り素直に訳せば「私が最初に思い出すのは光だった」ではないだろうか。"remember" には「記憶している、覚えている」といった意味もあるが、この一文は著者が当時のことを思い出して書いた出だしなのだから。しかしなぜ訳者は "light" を「光」と訳さず「ライト」としたのだろうか。
ともかくスティーブン・レビーは起動直後のMacintoshを初めて見て、その画面の明るさ…まるで照明のように白く明るい画面に驚いたのだ。

なぜならスティーブン・レビー本人が記しているとおり、それまでのパソコンのモニターは真っ黒い画面にテキストが白くあるいはグリーンに発光するのが普通だったからだ。無論アプリケーションやゲームを起動すれば画面はモノクロにせよカラー仕様にしても絵のような画面表示はできたものの、起動はMS-DOS (マイクロソフトのディスクオペレーションシステム)でなされ、ワードプロセッサや表計算ソフトもモニター画面は黒いというのが一般的だったのである。

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※1983年11月14日、NEC PC-100によるMS-DOS起動画面(上)と1985年、NEC PC-9801で私自身が日本語ワープロ「一太郎」を使っているシーン(下)。共にディスプレイ背景は真っ黒だった


余談ながらスティーブン・レビーがAppleで発表前のMacintoshを見たのは前記したように1983年11月(日付は記していない)とされている。そして上に掲載したように、私がこのときMS-DOSを起動した記録が残っている画面の日付が1983年11月14日だ。奇しくもこの前後の時期にスティーブン・レビーはAppleに招かれていたと思うと不思議な気持ちになってくる...。
そんなことを考えていたとき、私にはスティーブン・レビーの意図が見て取れたように思った!
無論確証はないが、米国人の書く文章であるからしてカルチャーの根本が我々とは違うと考えなければならない。もしかしたら最初の章の…それも一行目をどのように書き出そうかと考えていたとき、彼は旧約聖書やヨハネによる福音書の出だしを思い出したと考えても無理はないと思うのだ。
物書きは最初の一行が勝負なのだ…。印象的にそして劇的な書き始めにしたいとスティーブン・レビーが苦悩していたとき閃いたのかも知れない。

突飛かも知れないが、旧約聖書の創世記出だしに「神は『光あれ』と言われた。すると光があった」とあり、ヨハネによる福音書の出だしには「始めにことばがあった」と記されている。まあ聖書の和訳に関する問題は別途「聖書のケセン語訳書をご存じですか?」で触れたがここでそれには立ち入らない。
ともかく、さらにヨハネによる福音書の冒頭には「And the light shineth in the darkness; and the darkness apprehended it not.」すなわち「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」(新共同訳)とある。

したがってスティーブン・レビーは起動時から衝撃を受けたMacintoshの印象を書き出しの1行目でいわゆる「はじめに光りありき」的なイメージで自身の気持ちを表したかったのではないだろうか…。
であるなら、深読みすればヨハネによる福音書の冒頭の意図を含ませたのではないか。
何しろ当時のパソコンのモニターは繰り返すが文字通り闇だった。Macintoshという革新的なパソコンは (その前にLisaが存在したが一般的ではなかった) 起動時に眩いばかりの明るい光と共にスタートし、ワープロソフトも白く明るい画面になり、テキストは黒という紙とペンと同じことを実現したわけで、Macintoshはまさしく未来を照らす光のコンピュータであり、それまでのMS-DOSパソコンは闇の世界の産物...すなわち光と闇といった対比を表現したかったのではないか…。

どうにも最初の一行に拘り、時間を費やしている私だが、本書には多々原著を当たった方が良い箇所も見受けられる。ただし私は「マッキントッシュ物語」の出版とその日本語訳の労を否定しているわけではない。一冊の書籍を実際に出版し我々の手に届けてくれた功績はなによりも得がたいものだ。しかし大変中身が濃く、お勧めの一冊だけに残念な箇所が目立つのである。
現在絶版の「マッキントッシュ物語」だが、新しい訳で再版できないものだろうか…。


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Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員