レオナルドの「マドリッド手稿」ファクシミリ版を入手

ささやかではあるが宝物がひとつ増えた。先のレオナルド・ダ・ヴィンチ展で触発されいくつかの資料を集めていたところ縁があって従来から欲しいと考えていた1975年に岩波書店から発刊された「マドリッド手稿」ファクシミリ版全5巻が手に入った。 


この種の情報に興味のある方ならよくご存じだと思うがレオナルド・ダ・ヴィンチの手稿としてもっとも名高い「マドリッド手稿」はその存在が知られていたものの長い間行方不明だった。しかし1964年から65年にかけてスペイン、マドリッド王立図書館内から発見されたのである。 
イタリアの天才レオナルド・ダ・ヴィンチがその67年間の生涯でどれほどの業績を残したのかという評価について実は20世紀前半までさまざまな意見もあり定まってはいなかったといえる。その評価が一気に高まったのはこの「マドリッド手稿」の発見であった。なぜなら「マドリッド手稿」はレオナルドに関する知識全体をほぼ20%追加するものであったからだ。 

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※本棚に納まった「マドリッド手稿」ファクシミリ版全5巻(左の赤い背表紙)


レオナルドといえば私たちの多くはモナ・リザなどの名画を思い浮かべるが彼の絵画作品は厳密にいうと9点しか残っていないという。意外と少ないのである。それら人類の宝とも言える名画と同様にレオナルドが残した貴重な遺産が先日まで「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」でオリジナルを見ることが出来た「レスター手稿」であり、ファクシミリ版とはいえ今回私が手に入れた「マドリッド手稿」などのノート類なのである。 
現存するレオナルドの手稿、素描・素画の類は分類して9部門、約8,000ページ以上あるという。それらは「マドリッド手稿」と「レスター手稿」の他、「アトランティコ手稿」「トリヴルツィオ手稿」「鳥の飛躍に関する手稿」「パリ手稿」「解剖手稿およびウィンザー紙葉」「アランデル手稿」「フォースター手稿」ということで9部門となる。それぞれのオリジナルは世界各地の博物館や図書館が収蔵しているが「レスター手稿」のみマイクロソフト会長ビル・ゲイツ氏の個人所有になっている。 
ビル・ゲイツ氏がオークションで落札した後、近年「ハマー手稿」の名で呼ばれていたこの手稿を当初の持ち主だった英国貴族レスター卿にちなみ「レスター手稿」という呼び方に戻したとのことだ。しかし近い将来この「レスター手稿」は「ゲイツ手稿」あるいは「マイクロソフト手稿」などと言われるようになるのかも知れない(笑)。 

これらの手稿はレオナルドが生存中に座右に置き、自身の工夫や考え方・考案などを鏡文字で記録したノートでありそのページの多くにこれまた直筆の素描が描かれている。そして現在のように豊富で便利な筆記用具が使える時代とは違い、レオナルドは自身で削って作る羽根ペンとイカ墨のインクでこうしたノートをとっていた...。 

さて「レスター手稿」の内容が主に月の満ち欠けや地殻変動など天文学、流体力学、地球物理などに関する記述であるのに対して「マドリッド手稿」は機械理論、フィレンツェでの活動、スフォルツァ騎馬像の習作などに関した記述がなされている。具体的には手稿1は整然と機械理論や工学的な理論が展開されているが手稿2は数学の計算や技術上の雑記的な記述がほとんどだそうである。そしてその成立年代は1491年〜1505年といわれ「レスター手稿」以前のようだ。 
ざっと「マドリッド手稿」をながめた範囲の印象としては機械理論のページに描かれている歯車や滑車らのメカニカルな図が大変美しい。 

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※「マドリッド手稿」にはこのようにレオナルド直筆の美しメカニカルな図版が多数描かれている 


ところで1975年に岩波書店から発刊されたこの「マドリッド手稿」のファクシミリ版はすでに入手はなかなか難しいものになっているがその全5巻は以下のような構成になっている。 

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※「マドリッド手稿」ファクシミリ版全5巻の平積み


○第1巻 マドリッド手稿 1(マドリッド国立図書館蔵本原本複製) 
○第2巻 マドリッド手稿 2(マドリッド国立図書館蔵本原本複製) 
○第3巻 解題(ラディスラオ・レティ [等] 小野健一, 裾分一弘, 久保尋二訳 付:主要文献) 163ページ 
○第4巻 マドリッド手稿 1 本文翻刻(ラディスラオ・レティ [翻刻] 清水純一 [等] 訳) 332ページ 
○第5巻 マドリッド手稿 2 本文翻刻(ラディスラオ・レティ [翻刻] 裾分一弘, 久保尋二訳) 532ページ

現在この「マドリッド手稿」は1と2に分類されているが合計342ページにもおよぶ量であり「レスター手稿」の全36紙葉72ページとは桁が違う。 
また当然のことだが各ページは鏡文字であることも含め、それを見ても私などにその内容が分かるべきものではない。しかしこのファクシミリ版のおかげでレオナルドの直筆の文字と素描を眼前に見ることが出来、その翻訳と共にレオナルドの英知に触れることができるのはまことに幸せである。 

ところで「ファクシミリ版」と聞いて「何それ?」と思った方は多いのではないだろうか。まさかファクシミリで複写したわけではないだろうし...と(笑)。 
このファクシミリという言葉は現在では通信回線を通して情報を遠隔地に伝送する機器、あるいは仕組みのことを意味するが、ラテン語の fac simile (同じものを作れ)という facere(写す)+ simile(同一)が語源であるという。したがって「ファクシミリ版」は単なる量産の印刷物と一線を画する意味で用いられるレプリカと同義な「同じもの」という意味なのである。 
したがって直接拝むことがほとんど不可能なオリジナルは別として研究者たち、あるいは愛書家がレオナルド・ダ・ヴィンチの息づかいを知る最も重要な資料がこれら「ファクシミリ版」なのだ。 

ということでファクシミリ版というのは学術的な研究材料として、あるいは愛書家の蔵書として、オリジナルの完全な代替品を意図して製作されるものであり極細部にいたるまで忠実な再現を求められるため必然的に高価になる。 
例えば別途「パリ手稿」と呼ばれているノートがあるが、それは「レスター手稿」や「マドリッド手稿」よりはるかに量も多いこともあり、かつて岩波書店で別巻を含み全14冊が販売されたがその定価は2,472,000円だった。 
私が手に入れた「マドリッド手稿」もその販売価格は1975年発行当時で98,000円であった。余談ながら2年後の1977年に私はかき集めた10万円をジーンズのポケットに突っ込んで秋葉原に行きワン・ボードマイコン(FACOM L-kit8)を買ったことがあり、往時の10万円という価値の重みはよく分かるつもりだ。なにしろ給料が税込みで14万円程度だったのだから...。 

なお現存するレオナルドの手稿は全てがファクシミリ版として出版されているが価格も含めすでにそれ自身も手に入れることは難しく希少価値の高い資料になっている。 
ということでご想像いただけると思うが「ファクシミリ版」というものはこれらレオナルドの手稿独特のものではない。例えばバッハやモーツァルトといった音楽家の直筆、カール・マルクスの「経済学批判要綱 ノートM」直筆、あのグーテンベルグの聖書といった貴重なものたちが「ファクシミリ版」として世に出ている。 

さてレオナルド・ダ・ヴィンチはどのような意図・目的でこれらのノートを残したのだろうか。 
ちなみにこの「マドリッド手稿」をレオナルドが記述していた時期は彼の壮年期にあたり、生涯のうちで最も多彩な活動期であった。「スフォルツァ騎馬像」や「最後の晩餐」などを計画・製作し力学や機械工学に関する考案・工夫を進めていた。 
こうした彼のすべての研究はもともと絵画を極めるための手段であったと考えるべきだろう。現代ではアートといえば芸術であり創造性を評価されるべきものだがレオナルドの時代は絵描きは評価が低い職業だったという。 
レオナルドは絵画とは多くの知識の習得と理解を必要とする科学・学問であることを立証しそれを確立したかったのだろうと思う。 

事実レオナルドであっても絵を描くだけでは生きていけない時代でもあった。だからこそ彼は30歳のときミラノ公に宛てた自薦状のなかで「きわめて軽量で頑丈な橋の計画」「嵐のごとく散弾を撃ち出す運搬可能な大砲」「堀や河の下を掘って地下道や通路」といった物の造営・製作を売り込み、絵画や芸術とはまったく違う就職活動をしている。 
レオナルドを俗人に貶めるつもりはまったくないが、逆に天才の一言で済ませてしまうのも彼の正しい評価を歪めるものだともいえる。「レスター手稿」や「マドリッド手稿」を眺めれば、彼こそ自由な発想をバックにした努力の人であったと感じざるを得ない。ただ彼の何物に対しても極めなければ気が済まない性(さが)が直接の要因だとしても、絵画を極めるためと同時に生きるために多芸にならざるを得なかったのではないだろうか。無論その表現は天才のものであったが...。 

また例えば人体描写を極めるというその果てが解剖学の研究に没頭するというレオナルドの性は凄いというより悲劇的なニュアンスを感じざるを得ない。これでは本来の目的であるはずの「絵など描いている時間などないだろうに」と思う(笑)。事実彼の作品は未完が目立つし現存作品の数も大変少ないのではないか...。 
逆に言えばそれだけこれらの手稿、ノート類にはある意味で絵画以上に人間レオナルドという生身の人間性が現れていると考えられ、彼を知る上で貴重な資料だといえる。 
時間のあるとき、アイデアが行き詰まったとき(笑)この「マドリッド手稿」のページを開き、レオナルドの英知と息吹に触れてインスピレーションを受けたいと願っている。そしてまた「マドリッド手稿」そのものについても気がついたことがあればレポートしたい。

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Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員