空海と最澄1200年の対立を超えて天台宗座主、初の高野山公式参拝

空海とか最澄といった名を出すと何だか話が古すぎて現実味がないが、2009年6月15日に天台宗と真言宗の座主が高野山真言宗総本山・金剛峯寺にて1200年ぶりの歴史的な和解シーンをアピールしたというニュースに空海フリークの1人としては思わず頬が緩む...。


ニュースによれば、6月15日天台宗(総本山・比叡山延暦寺)トップの半田孝淳座主が高野山真言宗総本山金剛峯寺を訪れ、宗祖空海の誕生を祝う同寺最大の法要「弘法大師降誕会」に同寺の松長有慶座主と並んで参列し手を取り合ったという。
両座主はこれまでにも交流があったらしいが、両宗派の開宗以来1200年間で初めて公式な和解の場となった。

天台宗と真言宗うんぬんといった宗教宗派のあれこれは正直私には興味がない。あの司馬遼太郎ではないが、ただただ日本人にもこうした天才...本当の意味での天才が存在したという事実から弘法大師空海に魅せられたひとりなのである。
無論空海の生き様を見ていく上で彼の強い思念の源泉となっている密教という教義を無視しては話にならないからと素人ながら多くの書を読んできた。そして筑摩書房刊「弘法大師 空海全集 (全8巻)」読破は私のライフワークのひとつでもある(笑)。

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※筑摩書房刊「弘法大師 空海全集 (全8巻)」


それはともかく、とかく島国である日本は世界の歴史に胸を張って誇れる歴史的人物が少ないと感じざるを得ない。
いわゆるオールマイティの天才といえば私たちはレオナルド・ダ・ヴィンチらの名を思い浮かべるが、空海をそれらの人たちと対峙させてもまったく劣ることなくますます彼の人間離れした生き様を認識せざるを得ない。それほど空海は現実離れした人物だが...史実の人なのである。

ここで空海の生い立ちやその足跡を詳しく記すつもりはないが、幼少のときから秀でた能力を持っていた。一族からも大切に育てられ将来を嘱望されていたにもかかわらず大学に飽きたらずに中退し19歳で山岳修行に入る。
乞食同然の姿で山野を歩き回っていたとき1人の沙門に出会い「虚空蔵求聞持法」を授かり、室戸岬での修行中に明星が招来し悟りを開いたといわれている。
私のような凡夫にはもの凄い荒行とか悟りうんぬんといったことにイメージがわかないが、ともかく彼の人生にはまるで作り話のようなピンポイントといってよい強い運がつきまとっている。こんな桁違いの天才なら、もしかしたら...ひょっとして宇宙の道理を理解してそれらを動かせるのではないか...などと期待してしまう。
大日経に巡り会ったこと、遣唐使船に乗船できたこと、遣唐使船4船のうち2船は沈没あるいは行方不明になった中で空海の乗船した船は無事だったこと、命が尽きる直前の恵果阿闍梨に迎えられ直接教えを受けられたこと、その後30年も行き来が無くなる最後の船で帰国できたことなどなど、どれひとつが欠けても後の弘法大師空海は存在し得ない出来事だったが彼はすべてをクリアする。そして長安に入っても通訳を必要とせず、当時世界一の文化を誇っていた長安の知識人たちを驚嘆させる文章と優れた書芸を見せたことは歴史的事実なのだ。
結果、空海は恵果から密教の全体系を伝授され、真言密教の第8代後継者となる...。

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※筆者が昔、京都国立博物館で手に入れた「聾瞽指歸」のレプリカ二巻。空海が延暦16年(797)12月、まだ入唐前の24歳のときに戯曲の形式で書き上げた作品


さて空海と最澄が仲違いしたその理由にはいろいろと説もあって残された資料から決定的なことはわかっていない。
空海が自費で渡った唐から戻ったとき最澄はすでに時の天皇に認められ確固たる地位を築いていたが、空海はまったく無名だった。ただし青龍寺の恵果から胎蔵界・金剛界の灌頂を授けられ、正式な密教の後継者となって帰国した空海から見れば天台教学を究めるために国費で唐にいき、ある意味ついでといった感じで持ち帰った最澄の密教は不完全極まるものであった。無論最澄もある意味で行きずりに巡り会った密教を表に出すつもりはなかったようだが、桓武天皇は奈良仏教勢を押さえ込むために新しい教えを必要としていたこともあり、注目されてしまったのが最澄の不幸でもあった。

いや、その不完全さは最澄自身も充分に認識していたからこそ帰国した空海に積極的に接触し、空海が唐から持ち帰った膨大な経典類を貸して欲しいと申し出、2人の交流が始まったといわれている。そして最澄は空海の弟子になるとまで謙り、空海から灌頂を受けたほどだった。
空海直筆とされる「風信帖」など残された資料が語っているように空海は最澄の求めに応じて快く貴重な経典を貸し出し交流が始まった。しかし突然空海側からの悪意とも取れる拒絶の手紙をきっかけにして両者は完全に袂を分かつことになっとされており、それから1200年もの歳月が流れたというわけである...。

残された資料から判断するに空海が最澄にあてた最後の手紙はどう解釈しても...空海フリークの1人から見ても気持ちの良いものではない。その一点がこれまでわだかまっていたことでもあった。しかし物事には表に出ていないことが多々あるわけで、空海から見ればその怒りとも思える感情には何らかの理由があったはずだ。
その第一はやはり両者の密教に対する考え方の違いにあったとされている。
空海が最澄に強い感情の手紙を送ったのは最澄から「理趣釈経」の借覧要請があった時とされている。なお近年この説は疑問視されているようだがまず教義ありきの宗教家としては度重なる経典借用といった交流の中で無視あるいは容認できないあれこれが表面化してしまったと見るべきかも知れない...。

要は空海が体得した密教は修行と形式を重んじ、法の伝授は師から弟子へ伝えるといういわば実践を顧みずには成立しないものだった。しかし最澄はこれまでの教学がそうであったように、新しいことを学ぶには経典を読み、深く文章を理解することで真理が求められると考えていた。
最澄は自身が多忙の身であったことから弟子を空海の元に置いて修行させることまでした。無論最澄はその弟子が会得した密教の真理を自分自身も会得できるものと考えていたのだろう。
空海は “最澄ともあろう人” が、密教の真理に近づくには言葉や文字にはできない教えの部分があることを何故理解できないのかイライラしている様子も垣間見える...。さらに最長は密教を天台宗の一要素として取り入れようとしていたが、空海にとって密教はすべてであり、大日如来は宇宙そのものであり天台はもちろん他の宗教を包括するものであった。
問題の「理趣釈経」だが、密教の秘教とされある意味その文字面だけで学ぼうとすると誤解を招く記述が多い経典である。例えば一般的に仏教は男女間の性的欲望を否定するが「理趣釈経」は男女の性的和合を肯定している...。それをそのまま文字面だけで理解すれぱ後の歴史が証明しているように、例えば立川流のような認識のされ方になってしまう恐れがあった。だから実践としての修行が終わらない内は「理趣釈経」は貸せないという空海の主張は一応理にかなっている。

この2人の考え方の違いは弘法大師御入定1150年記念映画「空海」(北大路 欣也主演)で最澄と対峙するシーンによく表されている。
最澄が空海を訪れたとき、空海は胎蔵界・金剛界、すなわち両界曼荼羅を指さし「あなたはあれを文字で表すことができますか?」と問う。私が好きなシーンのひとつなのである。ただし余談ながら最澄のその真っ直ぐな人柄を演じているのがこれまた大好きな加藤剛なので辛いところなのだが(笑)。

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※1984年4月に公開された弘法大師空海御入定1150年御遠忌記念映画「空海」のDVD


ともかく例え1200年も前の出来事だとはいえ両者のわだかまりは当然のことその後の多くの宗徒のわだかまりにもつながる。今回の二ュースに頬が緩んだのはそうした意味合いもあるのだ。それでなくともギスギスした時代である。「仲良きことは美しき哉」だと思うし宗教の存在意義はそこになくてはならいない。
それこそ空海も最澄も喜んでいるに違いない。

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主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員