白昼夢〜母と占い師の物語

私は若い自分から随分とオカルト的な事柄に興味を持ち関連書籍を読みあさった。西洋占星術や催眠術にも凝ったし、しまいには何だか魔法のひとつくらいは実践できるような気もしたが、残念なことにこれまでUFOも見たことはないし幽霊に出会ったこともなくいまでは占いなどまったく信じないオヤジになってしまった。

 
科学、科学といったところで私たちが現在知り得ていることはほんの僅かな事実であり、証明されたというよりそう考えた方が物事が論理的に説明できるから...というだけのことも多い。
一方、やはり人間の知覚を含め、知能にも限界があるだろうし知り得ないあれこれも多いから、科学で証明できない不思議もあって良いわけだし、将来それらが解明されることもあり得るとは思っている。
何もかも「プラズマ現象」のひと言で説明しようとする科学者もいるが、それこそその態度は科学的でない気もする。
なにしろ歴史的にも占星術が天文学に、錬金術が化学にオーバーラップして進化していったことは確かであり、事実あのニュートンは占星術師でもあったのだ。

だからと言うわけではないが若いときにはホロスコープを作る本格的な西洋占星術に凝ったこともあるしタロット占いも研究したことがある。そして催眠術も勉強したからその気になれば今でも他人に催眠術の基本くらいは行える...。
とはいっても次第に「占い」という類を信じなくなった。ましてや血液型占いなどはそれこそ科学的な根拠が希薄であり、女の子に近づくための道具ならともかく(笑)、そんなもので自分の運命や行動を左右されてはたまらないと思っている。だからこれまで占い師と名のつく人達に自分のことを相談したこともないしこれからも興味はない。
しかし私個人のことではないものの、占い師の言葉が満更ではないという体験をしたことが1度だけある...。

Tarot.jpg

※筆者所有のタロットカード、大アルカナ22枚を使って「ギリシャ十字法」による占いをはじめた...イメージ画像(笑)


それは私がまだ小学4年生あたりの頃だったと思う。昔気質というか信心深い母はその時代の多くのオバサン同様とにかく世話好きで何にでも頭を突っ込む質だった。
なにが切っ掛けだったのかは不明だが、子供の私から見ると70歳は超えていると思われる老女がある時からしばしば我が家に姿を見せるようになった。
子供心にその姿はどこか絵本に出てくる魔法使いのお婆さんみたいで近寄りがたく、直接言葉を交わした記憶はないからこれから紹介するあれこれはすべて母から後に聞いたことなのだ。

その頃私たちの家族は古いアパートの六畳一間に家族5人で住んでいた。電気・水道・ガスは完備されていたと思うが洗濯場とトイレが共同という時代だった。そしていわゆる電化製品といえばラジオが唯一の製品だった。テレビも電話もなかったし冷蔵庫も洗濯機もなく、冬も火鉢ひとつで過ごした時代だった。
そのお婆さんは小さなちゃぶ台の前に座り、火鉢に手をかざして母と話をしていた姿が印象に残っているが、私にはどんな人なのか、なぜ我が家に訪ねてくるのかまったく分からなかった。

かなり後になって母からそのお婆さんの話を聞いた...。
母によれば彼女は占い師、それも良く当たるという評判の人だったという。とはいえローカルな商店街の片隅にポツンと座っているような占い師、それも現在のようにマスコミに紹介されるような時代ではなかったからそれは母の買い被りだったに違いない。
とはいえ結果的にその一連の関わり合いの中で我が家の未来はこの占い師のお婆さんの言うとおりに運んだのである。

母が私たちに話してくれたことはその占い師と母との関わり合いのほんの一部だとは思うが、印象的な話が2つあった。
1つはある日、そこにいた私を見て占い師は「この子は芸能人にすると長谷川一夫のような人気者になるよ」といったらしい...。
親ばかとはいえそれを真に受けた母はとある有名な劇団の入団テストとラジオドラマの子役の応募に私を連れて行った。
いまだに覚えているのは数人の前で「はい、楽しそうに笑ってください」とか「怒ってみて!」などと指示されたことだ。
私は何のためにここに来て、何をしようとしているのかもよく分からないまま何とかその場を取り繕ったが結果ラジオドラマの方は選外だったものの劇団は受かったのである。しかし馬鹿げたことだがその後いわゆる月謝が払えず私の芸能界へのデビューは早くも頓挫することになった(笑)。

ただしもうひとつ占い師が母にいったという「松田さん、いまね...貴方のために家を建ててくれている人がいるから近々ここから引越ができるよ」というもの言いはさすがに母もまともには受け取らなかったという。
何しろ自慢ではないが両親の親戚をくまなく探しても家を建てるような資産家はいなかったしどう考えても現実離れした話だったからだ。
とはいえ世の中とは奇っ怪なものでその半年後だったろうか、母は同じアパートの人と都営住宅入居の申込に行くはめになる。
それは母主導の行動ではなくその知人に「松田さん、一緒に行ってよ!」とせがまれ、仕方なくついていき言われるがままに応募の手続きをしたらしい。無論それまでにこの種の申込をしたことは1度もなかったという。
結果、連れていってくれた知人は落選し、母が当選してしまったのである。
確か昭和33年 (1959年) の出来事だったと思う...。

mother.jpg

※唯一残っている母とのツーショット写真。昭和42年(1967年)頃の撮影と思われる


母の言いぐさ...「確かに占い師の言ったとおり、我が家のために東京都が家を建ててくれたことになったんだよ...」は結果としてその通りであり、我が家は2DKの新築へ引っ越しできることになったのである。
その後もそのお婆さんは新しい家に何度か姿を見せたが、年齢的なことに加えて病気を発症し入院となった。
詳しい経緯は子供の私が知る由もないが、母曰わく「占い師のお婆さんは天涯孤独らしいからいまお礼も込めて世話している」と言いながら入院手続きをはじめ、何度か病院に出向いていた。
結局数ヶ月後にお婆さんは病院で亡くなったが、その遺品から連絡先などが見つかり家族が遺体を引取に見えたらしい。
母は「あの人、若いときに訳あって家を出たらしいけど良いとこのお嬢さんだったそうで...驚いたねぇ」と目を丸くしていた。

偶然といってしまえばそれまでだが、母は死ぬまでことあるごとに「あの占い師のおかげでアパートから出られたんだ」と言い、占い師の指摘が正しかったことを信じていた。しかし私の芸能界デビューの予言はその後も何の兆候もなくこの歳になってしまった。まあ、それで良かったのだろうが(笑)。

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Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員