白昼夢〜似顔絵コンテストの思い出と芸能界への不信感

エリカ様とかの離婚疑惑で芸能マスコミがまたまた騒いでいる。しかしまあ、他にネタがないわけでもないだろうし「べつに...」で総スカンを食らった女の離婚など別に騒ぐほどのことではないよね...と言ったら若い方に睨まれた(笑)。そういえば私には芸能界への強い強い不信感があるのだ。

 
いや、別に私自身が芸能界に何らかの関係があったという話ではないがすでに40年も昔の話ではあるものの「芸能界の人たちってこの程度の奴らなんだ...」という裏切られた思いをする出来事を体験したのである。
まあそれはたまたま関係者たちがいい加減な人たちだっただけで芸能界にも誠実な人物がいるのかも知れないが、当時は私も若く芸能界というところは皆キラキラしているだけでなく特にスターと言われている人たちはそれなりに立派な人たちだと信じていた部分もあっただけに大きなショックを受けたのだった。
今回はそんな大昔の戯言を聞いていただこう...。

私は自分で言うのも変だが、特に成績の良い子供ではなかった。しかし小学校のときは図工だけはよく、描いた絵は校長室に飾られる1枚に選ばれたり、板橋区の特選に何度も選ばれたりもした。
また中学でも美術の成績だけはトップクラスで、2歳下の弟は常に「オール5」をとり続ける嫌みな奴だったが(笑)、美術だけは「兄貴を見習え」と担当教師に言われたという...。ま、自慢話である(爆)。
高校に入ると単に風景や静物といった写生だけでなく似顔絵を描くのも興味の対象となった。
あるとき生徒会長の選挙演説ポスターを作るのを頼まれ、当時ファンだった吉永小百合の似顔絵を描き「私も応援しています!」などと吹き出しのある数枚を張り出したら立候補者よりポスターが大いに話題になったこともある。
就職した一部上場企業の職場でもパーティがあるとか人事や総務で必要があると「これをこのように作ってくれないか」といった依頼が舞い込む。無論それが私の仕事ではないからと断ると普段は声もかけない部長から「松田君、総務部長からの頼みなんだ。ひとつ助けてやってくれないか」と頼まれ、本職そっちのけでポスター描きをしたときもあった。

そのサラリーマン時代、同じ部署の女性に頼まれ簡単なジュエリーボックスの表に少女の絵を描いたところ実はその祖父という人が高名な日本画家だったそうで、たまたま私のいい加減な絵を見つけ「これは誰が描いたのか?」と聞いたそうだ。「会社の同僚の男性」と答えたところ普段無口なその人は「その人に伝えておくように...」と念を入れた後「全体のタッチを統一すれば素晴らしい絵描きになるよこの人は」とおっしゃったそうだ。
無論私は単純な世辞と受け取ったがその女性曰く「うちの祖父は他人から依頼される絵の評価は絶対にしない人なんです。その祖父の意見なので本当です」と真剣に言ってくれたことをいまでも誇りに思っている...。ま、ここでも自慢話である。それも過去の(笑)。

さて正確な時期は覚えていないが確か1969年か1970年のことだったと思う。たまたま喫茶店かどこかで広げた芸能雑誌に「似顔絵コンテスト」の募集が載っていたのを見たのである。
それは当時「美しい十代」というデビュー曲で人気を誇っていた歌手三田明の似顔絵を募集する企画ものだった。三田明はその後時代劇などにも出演していたからご存じの方もいるかも知れない。
そう、私が惹かれたのは賞品で、特選はステレオ、一等は三田明が選ぶスーツ生地一着分、そして二等は...といった当時としてはまずまず豪華な賞品だったし入賞者はスタジオに招待され三田明たちとも会えるというようなことも書かれていたと思う...。
私はエルヴィス・プレスリーやビートルズにリアルタイムに接していたと同時に三田明、舟木一夫、西郷輝彦そして橋幸夫という四天王と呼ばれるほどの人気者たちの青春歌謡の中で育った年代だから無論三田明は知っていた。いまでも「美しい十代」は歌えるが...とはいえ特にファンではなかった。ただただ得意の似顔絵で賞品を得ることができるかも知れないとやる気を起こしたのである。

似顔絵は日曜日の半日程度を使って描き上げ、雑誌に載っていた集英社へ郵送した。しかしその種のものは応募することが目的みたいなものでそのほとんどは忘れてしまうものだが、なんと自宅に「貴方は一等に当選したので何月何日の○○時に集英社の編集部に来い」という趣旨の電報が届いたのである。
電報というところがいかにも時代を感じさせるではないか(笑)。
ともかくその指定の日時はウィークディだったのでどうしようかと迷ったが、その事を職場の先輩に相談したところ「行ってこい」と便宜を図ってくれ、確か半日休みを取った形で千代田区一ツ橋にある集英社のビルを訪ねたのだった。

細かなことはまるで記憶がないのだが、係に連れられ確か地下のスタジオに連れて行かれた...。
そこではまさしく雑誌の表紙撮影をしているところで、三田明本人だけでなく弘田美枝子とうろ覚えだが...確か由美かおるが眩しい照明の向こうでポーズを取っていた。
言われるままに撮影を眺めていた私だがしばらくすると撮影が終わった三田明とそのマネージャーという男性が近寄ってきてマネージャーから名刺を受け取った。名前もいまだにうろ覚えながら記憶にあるがここには書かないでおこうか...。
三田明からも声をかけられたが何を話したか覚えていない。覚えていることはマネージャーから「これから三田は約1ヶ月ほど全国ツアーで時間がとられてしまうからツアーから戻ったら連絡する」という話を聞いたことだ。そしてその際にあらためて三田明から賞品を受け取って欲しい旨の話があり自宅の電話番号などの確認があった。

ここまでご紹介すればその後は予想していただけるかも知れない...。そう1ヶ月経っても3ヶ月たっても...いや半年経っても何の連絡もなかったのである。
それっきりなのだ(笑)。
いま思えば雑誌にも当選者として載ったはずだし賞品を受け取る権利があるわけで、マネージャーの名刺にある番号に電話をすれば良かったわけだが、当時の私は若かったことでもあり、賞品を要求する電話をかけることが嫌だったのである。
しかし考えれば三田明のマネージャーもいい加減なら集英社の当該編集部もいい加減だ。こうした企画の責任が芸能プロダクション側にあるのか、あるいは雑誌社にあるのか分からないが、私はあくまで雑誌の企画として応募したのだから、その結末もきちんと管理すべきと思う。

いや、別にそんなものなのだろうとあきらめた話だからとそれ以上調べもしなかったが、しばらく前にフト思いついてWikipediaで三田明を検索してみた...。
驚いたことにその経歴箇所には「1971年に所属事務所が倒産し、マネージャーが勝手に三田名義で多額の借金を作り失踪」という1行を見つけた。
その記述が文字通りの真実ならば、私に名刺を渡したマネージャー本人が問題の人物に相違ない。そんなトラブルを起こす人物が雑誌の懸賞うんぬんの応募者との約束を守るはずもないわけで多分に三田明本人には関係のないことなのだろう。
ともかく、まともに賞品を受け取っていたら忘れてしまう話しだったのかも知れないが、三田明や集英社への不信感をつのらせただけに忘れ得ない強烈な思い出として記憶に残っているのだから面白い。

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主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員