ラテ飼育格闘日記(189)

ワンコにも反抗期というのがあるのだろうか...。今年の6月で4歳になったラテはこれまでとは違い散歩の途中も自己的行動をしようとする傾向が多くなった...。オトーサンのリードに逆らったり、いきなり座り込んで頑として動かなかったりという行為は...さて何のサインなのだろうか?

 

ワンコに対し古い考え方を持つ飼い主なら言うことを聞かないその事は支配性の問題だと一刀両断するかも知れない。
相変わらず多くのトレーナー本には「犬はオオカミの時代から群れで行動する動物であり、リーダーに従って生活する」といった思い込みから、言うことを聞かないのは飼い主より自分の方がリーダーだと思っているといった考え方に向いてしまうようだ。しかし実際のところはリーダーがどちら...といった問題とは無縁だと思う。

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※さて、今日はこれまで通ったことのない方向へ行ってみようか?


さてこれまでラテと生活を共にするようになってから、どうしたらラテとトラブルなく健康に暮らせるかを一生懸命考えてきた。その課程でワンコの知能が当初考えていた以上に優れていることも知ったしラテの行動パターンもかなり分かったつもりでいた。
しかしここのところ散歩時にリードの引きがこれまでとは違った感じで多くなったのをきっかけにして「ワンコの立場から日常を考えてみよう」という気になってきた(笑)。
いや、笑い事でなく常々思うのだが我々はまだまだこのワンコという動物の実態をよく知ってはいないのではないか...。

オトーサンは勿論、我々は人間の理屈、人間の理論でワンコを理解しようとする。これは我々が人間であるからして至極当たり前のことだという以前に仕方のないことでもある。
そうした人間側の理屈でワンコを見るとどうしても愛犬に多くの期待をし、いわゆる擬人化を進めてしまうことになる。
特に飼い主はリーダー云々といったこと以前に愛犬は自分の所有物だと考える。多くはペットショップで大枚何十万円もする子犬を買ってきたのだからその感覚は当然でもあるだろう。また一生愛犬を守り育てることが飼い主の義務だと感じているはずだが、愛犬側からすればこうした飼い主の思い入れはまったくのナンセンスに違いないのだ。

例えばラテは「アタシはオトーサンを楽しませるために生きるの」とか「オトーサンと一緒にずっといたい」などとは思っていないに違いない。
いや、こうした物言いをするといかにもラテは薄情なように思われるかも知れないが、ラテに限らず愛犬は飼い主のために存在しているのではなく、あくまで自身の命を生かす努力をしているだけの生き物なのだ。
その課程でいかにしたら楽にエサにありつけるか、楽しいことを続けられるかを考え必要なら飼い主の顔色をうかがいお愛想をすることも辞さない(笑)。

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※小雨の降る日、雨宿りのためのガード下ベンチでご機嫌なラテ


申し上げるまでもなくワンコは我々人間のために存在するのではなく、自身の命を全うするために存在する。ワンコと人間との間で思い違いがあるとすれば、それはすべて我々人間側の責任だ。しかしワンコは飼い主にへつらうから可愛いのでなく、その存在がそのまま可愛いのである。
勘違いの多くはワンコに対する擬人化にあるといわれているが、ではそもそもなぜ擬人化はさけられないのだろうか。
それは私たち人類が生き残るために会得した相手を思いやる、相手の心理を読もうとする行為に関係するらしい。
集団で生活する生き物としての我々はいたずらな衝突を避けるため、常に相手が何を考え何を欲しているのかという情報を得ようとする性向を持っている。会話の端端や表情あるいは態度などからストレートに表に出ている情報だけでなくその裏を読もうとする。無論それは相手が具体的な行動を起こす前に知り得ればこちらにとって大変有利となるからだ。

問題はこうした本能ともとれる行為を無意識にワンコといった動物たちにも適応しようとするところにある。それは良い面では思いやりに通じるわけだが、相手はワンコであり人間ではない。
成犬の知能は人間の三歳児ほどだともいわれるが、それは人間の幼児と同じ思考あるいは行動ができることを意味しているわけではない。
例え知能はそれだけ高くても思考の手順と結果は我々人間のそれと大きく違っているはずだし、人のように両手が自由に使えないワンコは口を使わざるを得ない。
例えば「嫌っ!」と我々が相手を手で払うことをワンコは開いた口、すなわち歯を相手に押し当てるという行為で表すしかないわけだ。しかし我々は「こいつは噛もうとした」と思い込んでしまう。
人間とワンコとは体の構造と働きもまったく違うし、意識の働きに類似も多いがこれまたまったく違う生き物なのだ。しかし我々は自分が人間であるからしてワンコに対しても同じ意識で対峙してしまう。無意識にワンコも我々と同じ考え方をするに違いないと思ってしまう。こうして擬人化が起こる。

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※土曜日の朝、おはよう!と柴犬のタクちゃんに近寄るラテとボーちゃん


その擬人化の結果、我々はワンコの本当の姿ではなく自分たちに都合の良い、「こうに違いない」といった意味合いをワンコに押しつけることになる。要するに我々はワンコの意識側に立って物事を考えようとはしない独善的な生き物なのだ(笑)。
ここから多くのトレーナーとかワンコの専門家という人たちはもとより飼い主たちが間違った結論に達する。
「ワンコの祖先はオオカミだから群れで行動する生き物だ」「強いリーダーのもとで統率の取れた生活をする生き物だから飼い主はリーダーにならなければならない」。だから「玄関を出るときには飼い主が先に出て、飼い主の視線より上にワンコを置いてはならない」といったおかしな話しがまことしやかに正論として一般化してしまう。

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※今日のラテは滑り台への挑戦、やる気満々です(笑)


ということは、冒頭に書いたようにラテがオトーサンのリードを無視し、座り込んだり別の方向に行きたがる行動はオトーサンのリーダーシップに陰がさしていることになる。しかし本当にそうなのだろうか...。
その種の行動はリーダーシップ云々とはまったく関係はないと思う。実は反抗をしているのではなく、ただ単に「暑いし歩きたくない」あるいは「向こうの方に面白そうな何かがある」といった興味のためなのだ。
もともとワンコという動物は身の回りに起きるさまざまな出来事に反応せずにはいられない動物であり、それを飼い主側の意のままに操ろうととするのがいわゆるトレーニングという奴だ。
要はオトーサンの指示に従わせるためにリードを使ったトレーニングがマンネリ化しただけなのだと思う。どうもオトーサンたちは一定のトレーニングの結果、言うことを聞くようになるとそれでトレーニングが終わったと考える傾向にある。そしてそこで教えた...覚えたことは我々が自転車を乗ることを習ったと同様に生涯ずっとノウハウと体験が残ると思いがちだが、ワンコに対するトレーニングはこれで終わりということはどうもないようで、再確認させ繰り返し練習させることが必要なのである。

地べたに座り込んだラテはオトーサンが力ずくで引っ張るには大変な力を要する。しかし座り込んだラテの意志も尊重し、長くても数分そのままにしておき、その後で「ラテ、いくよ!」とリードをチョンと引けばオトーサンに付いてくるのである。
問題はいわゆるトレーニング...訓練の不足によること、そしてオトーサンの命令以上にラテにとって興味のある...あるいは重要なことがあればそちらに意識が向いてしまうということなのだろう。
したがって多くは飼い主側の怠慢と思い違いが原因なのにそれを愛犬が反抗していると捉え、場合によってはキツイ対応をとる飼い主がいるらしいことが問題である。これはワンコにとっては青天の霹靂であり迷惑千万の濡れ衣である。
まだまだオトーサンたち人間はワンコのことを知らなさすぎるのだ...。

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主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員