ジョブズとウォズがApple Computer社を作った経緯は?

前回「ジョブズとウォズが知り会ったきっかけは?」というトビックをご紹介し、ジョブズとウォズニアックの2人がどのようなきっかけで知り会ったかを記した。今回はその続きとして2人とロン・ウェインあるいはマイク・マークラたちがApple Computerという会社を作るに至るまでの前後をご紹介したい。

 
スティーブ・ジョブズを紹介されたスティーブ・ウォズアックはすぐに彼のことを気に入った。音楽の趣味も一緒だったしエレクトロニクスに関してもジョブズはウォズニアックのよき理解者となった。そして何よりも2人とも人を驚かす悪戯が大好きだったからだ。
ではジョブズから見たウォズニアックはどのように写ったのだろうか...。その頃、インドから幻滅して帰国しアタリ社で働いていたジョブズは周りから変人扱いされ友達もあまりいなかったらしい。
なにしろ当時、菜食主義者は風呂に入らなくても問題ない...といった思想にかぶれていたジョブズは長髪、ホーチミン髭をはやしていただけでなく薄汚いジーンズをはき、そばに寄ると異様な臭いがしたという。
しかしそんなジョブズをウォズニアックは諸手を挙げて迎え入れてくれただけでなく、ジョブズはウォズニアックに会ってはじめて自分よりエレクトロニクスに詳しい人間と出会ったのである。

巷でスティーブ・ジョブズという人間は技術者でないからしてエレクトロニクス技術に関しては何も知らない...というまことしやかな話しもあるが事実は違うようだ。
確かに彼はエンジニアとして優れていたわけではないが、子供の頃から養父が持ち帰ったレーザーの部品を使ってオモチャを作ったり、回数計を部品レベルから組み立てたりと自身ではエレクトロニクスに関してかなりの自信を持っていたようだ。
それが自分よりはるかに広くそして深い知識を持っているウォズニアックに出会ったとき、同士に巡り会ったと同時に尊敬の念さえ感じたに違いない。

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※回路図を前にしたウォズニアックとジョブズ


その後ウォズニアックはヒューレット・パッカード社の友人、アレン・ボームからコンピュータの端末機に興味のある人たちのクラブが結成されたことを知り会合に顔を出すようになった。それがホームブリュー・コンピュータクラブだった。
第1回会合はメロンパークのガレージで開催され30人ほどが集まったがそこでウォズニアックは自分と同じようにコンピュータに興味を持ち、自身よりコンピュータに詳しい人たちやそれまで見たことも聞いたこともなかった ALTAIRを所有している人たちと出会った。
最初ウォズニアックはクラブを場違いだと感じたという。なぜなら当初はテレビ技術に関する会合だと思っていたし8008や8080、4004といった最新のマイクロプロセッサー・チップの話題についていけなかったからだ。しかしクラブの会員たちはビデオ・ターミナルを設計したことのあるウォズニアックを歓迎し興味を持ってくれた。ウォズニアックは勇気づけられそれから最新のマイクロプロセッサのチップについての勉強を猛烈に始めたという。

一週間おきのクラブ参加は彼の人生を大きく変えた。ウォズニアックの豊かな技術知識と無邪気で人当たりの良い態度は次第に人気の的になり、期待されるだけクラブに報いたいと努力することになる。そして他の会員たちが作った自家製コンピュータを見るに付け、以前ビル・フェルナンデスと一緒に作ったクリームソーダーコンピュータに似ていることもわかり、それなら自分でも一層優れたコンピュータを自作することができるのではないかと思い始めたのである。
折も折、チャンスが訪れた。MOSテクノロジー社がサンフランシスコで開催されるコンピュータの展示会、ウェスコン・ショーで新しい6502チップを20ドルで販売するという戦略的な広告を出したのだ。早速ウォズニアックはそれを買いに行く...。
それが縁でその後、Apple IおよびApple II に6502が使われるようになったのである。
実はウォズニアックはヒューレット・パッカード社の社員割引でモトローラ社の6800を40ドルで買える環境にあったが、6502はその半値だっただけでなくコンピュータアーキテクチャとして6502の方が好みだったことが選択の要因となった。

ウォズニアックは念願の自分のためのコンピュータを作り始めた。そして1975年6月29日の日曜日、午後10時過ぎウォズニアックのオリジナルコンピュータはキーボードから入力するキャラクタを目の前のスクリーンに表示させることに成功する。

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※ウォズニアックが開発したApple I


彼はそのコンピュータと共に回路図のコピーをホームブリュー・コンピュータクラブに持ち込み無料で配布した。クラブの会員たちは拍手喝采であった。無論それがApple Iの原型である。

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※筆者所有のApple I マニュアル表紙(ウォズニアックのサイン入り)と回路図の一部


Appleという名の由来についてはすでに定かではないが、それがジョブズの命名であったことは確からしい。そしてその基板むき出しのコンピュータを見たジョブズは機会到来と考えウォズニアックに会社を興そうと提案する。
ジョブズは「お金は損するかもしれないけど、自分の会社が持てるよ。一生に一度のチャンスだ」と説得する。
ウォズニアックは趣味を金儲けにすることには気が進まなかったものの取り急ぎヒューレット・パッカード社を辞める必要もなさそうだと判断しジョブズに薦められるままに会社を作ることに同意する。こうして1976年4月1日にApple Computerはスタートした。

ジョブズ家の車庫が事務所兼工場となった。実際にはジョブズの友人だったロン・ウェインを誘い3人で仕事は開始されたがロン・ウェインは最初のアップルロゴをデザインした後リスクが大きいと早々に離脱する。
ところでジョブズとウォズニアックが始めにやったことはApple Iを製造するための資金作りだった。ジョブズはフォルクスワーゲンのマイクロバスを、ウォズニアックはヒューレット・パッカード社製の関数電卓2台を売却した。
彼らは製造したコンピュータはホームブリュー・コンピュータクラブの会員たちに売れると考えたが、ジョブスはそれだけに留まらずクラブに参加していたコンピュータショップ「BYTE SHOP」のオーナー、ポール・テレルに売り込みをかけ、結局50台の注文を受けたのだった。

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※最初のコンピュータショップ「BYTE SHOP」


ジョブズとウォズニアックの2人はその50台のApple Iを作るため「BYTE SHOP」からの注文書を抵当に部品の調達先に30日間の支払い猶予を取付たのである。
2人は友人たちやジョブズの姉まで手伝わせて組立を行い、29日目に50台のApple Iを「BYTE SHOP」に納入することができた。無論部品の支払も期日ぎりぎりではあったが無事支払うことができ2人は8,000ドルもの利益を上げた。
ウォズニアックの弁によれば結局175台製造されたApple Iは150台出荷されたという。

その初めての成功に意を強くしたウォズニアックは続けて改良型のコンピュータ開発に取りかかる。Apple IIである。
紆余曲折の後、Apple IIはジョブズの意向でプラスチックケースに収められキーボードが付属していただけでなくカラー機能とグラフィックス機能を備えROMにはBASIC言語が搭載されていた。
一方大会社を興したいと考えていたジョブズはアタリ社時代のボスであったノラン・ブッシュネルに相談し、結果として1年前にフェアチャイルド・セミコンダクタ社およびインテル社のストックオプションで一財産を築き悠々自適の生活を始めていたマイク・マークラ・ジュニアを紹介される。
1976年10月にジョブズの車庫を訪れたマークラは興味を持ち事業計画を作ってみようと申し出た。
結局マークラはAppleのメンバーとなることを決め、9万2千ドルの個人資産提供と銀行に対して25万ドルの債務保証を取付け、ジョブズとウォズニアックそしてマークラの3人は1977年1月3日、Apple Computerを法人化した。
そしてAppleは1977年の第1回WCCF (ウェストコースト・コンピュータ・フェア)でApple IIを発表したことで歯車は回り始め、時代の風はApple Computer社の背中を強く押し始めたのである。

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※Apple IIと後にウォズニアックが開発したフロッピーディスクドライブ


【主な参考資料】
・スティーブ・ウォズニアック著「アップルを創った怪物」ダイヤモンド社刊
・P・フライバーガー/M・スワイン著「パソコン革命の英雄たち」マグロウヒル社刊
・斎藤由多加著「マッキントッシュ伝説」アスキー出版局刊
・オーウェン・W・リンツメイヤー/林信行著「アップル・コンフィデンシャル2.5J」アスペクト刊

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Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員