ラテ飼育格闘日記(100)

この「ワンコの"ラテ" 飼育格闘日記」もついに今回で100回を迎えた。毎週土曜日のアップを一度も欠かさず続けてこられたのも読者の方々の励ましのおかげである。さて今回は「名犬ラッシー」の話から進めていく...。というのも先日1943年制作の映画「 LASSIE COME HOME (家路)」を観たからである。


この映画を観るきっかけについては別項をご笑覧いただくとして、ともかくこの映画は犬という動物の知性に対する通念を作り上げる最大の貢献をしたと評価されることになった。 
ところでこのラッシーはもともと1938年に「サタデー・イブニング・ポスト」紙に掲載されたエリック・ナイトの短編小説の主人公だった。 
この物語の成功に気を良くしたナイトは一冊の本にまとめて出版したところ大ベストセラーとなる。そして1943年に本を元にした「 LASSIE COME HOME」と題する映画が作られたわけである。したがって「名犬ラッシー」は邦題ということになる。 
その後ラッシーを扱った映画も数多く作られ、テレビの連続ドラマにもなった。 
私も子供の頃にテレビの「名犬ラッシー」を観て育った一人だ。しかし映像となった元祖はあくまでこの「 LASSIE COME HOME」なのである。 

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※ラテと朝の散歩に出ると視界一杯にうろこ雲が広がっていた...


私が購入したDVDはパブリックドメインとなったマスターフィルムをデジタル化したものだから画質も良くないが、そんなことはストーリーにはまったく関係なく、オトーサンはいくつかのシーンで泣いてしまったことを告白しておく(笑)。 
話を進めるにあたり、ストーリーの概略を知っていただかないとならないが、その舞台は英国である。 
ラッシーは近所でも評判の利口で美しいコリー犬だった。しかしラッシーが飼われている貧しいカラクラフ家はお金のために大切なラッシーを犬好きな富豪の伯爵に売る。 
なにしろ一家に売るものといえばラッシーしかなかったのだ...。 

ラッシーは主人公の少年の友であり、ラッシーは毎日学校の授業が終わる時間を見計らって迎えにいっていた。 
街並みをラッシーが学校に向かう姿を見て店先にいた商店の人たちは時間を知るほどそれは正確な行動だったし、少年が束ねた本を口に咥えて岐路につく毎日だった。 
しかしある日、少年が学校から外に出てもラッシーの姿はない...。何が起こったのかと急ぎ自宅に戻るがそこにもラッシーの姿はなかった。 
母親は「わかるでしょ」と言いながら、家族たちが食べていくのでさえ難しいことを告げる。そして「あきらめなさい」と諭す。無論少年にはどうすることもできなかった。 

伯爵には美しい孫娘(エリザベス・テーラーの少女時代)がいて物語に花を添えるが、屋敷の冷酷な犬係りの手を逃れラッシーは何度も脱走して我が家に戻る。しかしそれで事がすむわけではなく、カラクラフ家はその都度伯爵の元にラッシーを連れて行く。 
何度も逃げ出すラッシーをある日伯爵は遠い別荘へ連れて行ってしまうが、犬係の隙をみてラッシーは屋敷から逃げ出すことに成功する。 
しかし、別荘はスコットランドでありご主人のカラクラフ一家のいるイングランドまで何百キロの距離を傷だらけになりながらも、優しい人々に支えられ時には命の危険に合いながら旅をつづけるというストーリーである。 

フィクションであることは承知だとしながらも、これだけワンコとその知性に対する通念を揺るぎないものにしたのは間違いなくラッシーの功績だった。彼女は単にワンコというだけでなく人間の友であり忠実な伴侶、そして時には主人たちを守るボディガードだった。 
あっ、「彼女」と書いたが無論物語りの中のラッシーは雌犬である。しかし映画で実際にラッシー役を演じたのはパルという雄犬だった。 
雄犬が使われたのには理由がある。それは雌より身体が大きく物怖じしないためと、避妊手術を受けていない雌犬は年に2回の発情期を迎えると毛が大量に抜け落ちることが多いからだという。 
場面毎にラッシーの毛並みが変わってはおかしいことになるという配慮だった。 
とにかく映画の中のラッシーは大変利口である。人のことばを理解するだけでなくその気持ちをも察して行動する。それだけにラッシーと周りの人々との気持ちが観る者に通じて暖かい気持ちになるのである。 

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※約2年間ラテと散歩をしているが、こうしたツーショットは珍しい(笑)。オトーサンは早速この写真をiPhone 3Gの壁紙としてセッティングした


映画を観ながら、オトーサンの頭の中には当然のことながらラテがいた。別に名犬ラッシーと比較してどうのこうの...と言うつもりもないが(笑)、まず羨ましいと思ったのは現実的な問題だ。 
それはラッシーの日常にリードが無縁だったことである。 
少年を迎えに行くとき、街中を通るがこのときラッシーは単独で行動するわけで、首輪はしていてもリードがついているわけではない...。しかしこれが現在の日本なら途中で保健所に捕まってしまって物語にならない(泣)。 

さてラッシーを見るまでもなくワンコの知性の高さには日々驚くことがあるが、先日もラテの行動にオトーサンは舌を巻いた。 
まず最初のエピソードだが、いつものオヤツの時間になったのでオトーサンは少量のプレーンヨーグルトを用意した。ラテを見ると出窓のたたきに両前足を投げ出して伏せ、外を眺めていたので容器を両前足の間に置いた。 
「チン...」という食器の音がしたので振り返って見ると何と...ラテは両前足の間隔を狭め、そのために食器が前足の上に押し上げられて乗った形でヨーグルトを食べているではないか。 
伏せているとはいえ、たたきに置かれた食器の中身を食べるとすれば、些か頭を下げて食器の中にマズルを突っ込む必要がある。しかし両前足の間隔を狭めたことで底が丸みを帯びている食器は両前足の上に乗り、数センチ上昇したため頭の位置はほとんど変えずに食べることができるのだ! 
なんともグータラなことだが、人やワンコも楽をしようと工夫をするもののようだ...。 
まさか、最初はそうしたことを計算した行動とは思えなかったのだが、次のエピソードの後ではオトーサンの考え方も少し変わってきたのである。 

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※両前足の間隔を狭めて食器を持ち上げ、ヨーグルトを食べるラテ


ラテはオトーサンたちが食べたアイスクリームの紙カップを欲しがる。そこには多少なりともアイスクリームが残っているからだが、先日紙カップではなく硬質樹脂の容器に入っているプリンを女房が買ってきた。無論ラテ用ではなく私たちが食べるためだ。 
オトーサンたちがスプーンですくって食べ終わった容器にはやはり多少の残り物が付着しているわけで、ラテはそれを欲しいとお手を繰り出す(笑)。 

問題なのは容器はちょうど牛乳瓶の上下を短くしたような形状で、紙カップとは違いラテのマズルが入らない口径サイズなことだ。さらに舌を繰り出しても容器の高さは舌が奥まで届かないはずだった...。 
オトーサンは「どうやって舐めようとするのか」に興味があったものの、舐められなかったらスプーンでかき出してあげようと考えていた。しかしラテの行動はオトーサンたちの考えていた範疇を超えていた...。 
何と容器の縁を咥えた瞬間にラテはそれを空中高く放り上げたのである。 
容器は1メートルほど上から落下し、その衝撃で容器の中に残っていた少量のプリンはものの見事にフローリングの床にまき散らされた! 
無論ラテはしてやったりとそれをあっという間に綺麗に舐めてしまった。 

これまでの紙カップは壊すことはあっても放り上げることはなかったし、そんなことをしなくても楽々と中身を舐めることができたからプリンの容器を放り上げることを学習したはずはない...。 
勿論偶然の行動だともいえるわけだが、よくガムやボールを口でリフティングしたり放り投げて遊ぶので、もしかしたら計算ずくだったのかも知れないと驚嘆した次第である。 
とにかく新しいことに直面した場合のラテから目を離せない毎日である。 

【参考資料】スタンレー・コレン著「犬語の話し方」文春文庫刊

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Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員