[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第37話 スーザン・ケア

スティーブ・ジョブズは未来のテクノロジーを時代の最前列で考え見つめてきたといわれている。しかしその陰には2016年12月6日、アップル銀座のエントランスから40年前のカリフォルニア、ロス・アルトスにあるスティーブ・ジョブズ家のガレージ前にタイムスリップしたひとりの男の存在があった。
ー 優れたビジョナリーといわれたスティーブ・ジョブズ。その若かりし時代の秘密に迫る!ー
※本編はフィクションです※

■第37話 スーザン・ケア
1993年は私にとって実に心揺れる年となった。1976年の年末、どうしたことかアップル銀座の店頭から40年前にタイムワープし、スティーブ・ジョブズと知り合い一緒に働くことになったが、その時からのメンバーだったビル・フェルナンデス、ロッド・ホルトが退職したことは私の心にぽっかりと大きな穴をあけた。

そういえばランディ・ウィギントンも1981年9月にAppleを離れて自分で会社を興したがすぐにAppleとセミフォーマルな契約をして時折姿を見せていた。したがってフルタイムで創業時からAppleに在籍しているのはダン・コトケしかいなくなった。それは私にとって寂しいことだったし特にロッド・ホルトは友人として多くの時間を共にしてきた男だったからショックだった。彼は退職に際しては多くを語らなかったが上層部との意見が合わず退職を余儀なくされたらしい。
ロッドは別れ際に、
「俺はAppleが嫌いになったわけではないんだ。ただ現役員たちが俺を嫌っただけなんだ。前にも言ったがスティーブにしてもガレージから一緒に働いてきた俺たちはすでに用済みなんだな。変なこといってスマンがトモ、君も十分気をつけてくれよ。また遊びに来るから」
といいながら去って行った。

去る者がいる反面新たに新風を巻き起こす人たちもいた。その筆頭は4月に社長に就任したジョン・スカリーだがこの時期ほとんどスティーブと一緒で私などは話す機会もなかった。
私が興味深く接したのは1月にMacintoshチームの一員となったスーザン・ケアだった。彼女は同じくMacintosh開発チームにいたアンディ・ハーツフェルドの高校時代の友人だったというがそのアンディの勧めでAppleに入社したらしい。
ジジイの私から見ると金髪でふっくらし輝いているその表情は時に幼女のように見えたが、彼女は優秀なデザイナーとしてMacintoshの開発に多大な貢献をすることになる。

KarePrintSJ1983b_201705021451033ef.jpg

※スーザン・ケアがデザインしたスティーブ・ジョブズのアイコン作品(筆者所有)。現在彼女のサイトからサイン入りのプリントが購入できる。


そういえばその1月、あのビル・アトキンソンがAppleを辞めると言い出して大騒動になった。
1月19日にLisaが発表されたことで多くのメディアが注目し取材合戦となった。原因はAppleは自分(ビル・アトキンソン)の事を評価していないからということだったし事実ビルは怒り心頭だった。
なぜならバイト誌にLisa開発陣のインタビューが載ったがビルは呼ばれてなかった。ラリー・テスラーらマネージャー級の人間たちのインタビューで占められていたが一番貢献したはずの自分は不当に評価されてたという不満だったし怒りだった。
いうまでもなくビル・アトキンソンはLisaとMacintoshのGUIの基盤となるソフトウェア群を書いたのだから一番の功労者であったといえる。慌てたスティーブはビル・アトキンソンをアップル・フェローに遇することでなんとか退職を思い留まらせた。

ある日の午後、ジョアンナ・ホフマンに連れられてスーザン・ケアが私のオフィスに来た。挨拶にきたというよりMacintoshチームのビル・アトキンソンやアンディ・ハーツフェルドそしてピュレル・スミスらに私の噂をあれこれと聞いて興味を持ったらしい。
型どおりの挨拶を交わした後に私は聞いてみた。
「スーザン、と呼ばせてもらうけど、スティーブの第一印象はどう」
スーザン・ケアは隣に座っているジョアンナ・ホフマンの顔色を伺いつつ笑いながら答えた。
「いろいろとアンディから聞いてましたが、噂以上に気むずかしい男ね。だけど私に辛く当たるといった態度はみせないし上手く付き合って行けると思うわ」
「でもまだスーザンはチームに入ったばかりよ。問題はこれからだと思うけど」
ジョアンナはいたずらっぽい視線をスーザンに送った。

「そうね。ただ分かったことはチームの誰もに言われたことだけど、与えられた仕事をやれば済むというものではないのがよく分かったわ。私はデザイナーという立場でチームに誘われたけど、ざっと聞いただけでもあれもこれもと大変みたい」
「そうね。ただしスティーブとの関係で大切な事がひとつあるのよ。それを教えておくわ」
ジョアンナは真顔になりながら私とスーザン両方の顔を見ながら話し始めた。
「トモは私たちと立場が違うから単純に当てはまらないけど、私たちに大切なのはスティーブに言い返すことよ」
「言い返すって」
スーザンは意外だと膝を乗り出した。

ジョアンナは言い含めるようにゆっくりと話した。
「いい、例えばスティーブに強く言われたとするわね。仕事ができないとかセンスが悪い、何だこれはとか、文句はいろいろよね」
私は笑い出したが、ジョアンナはめげずに続けた。
「そんなとき、Appleの会長に叱られたとか貶されたと考え、腐ってしまうのが一番ダメなの」
スーザンは真剣な表情でジョアンナの次の言葉を待った。
「誰しもそんなことを人前で、それをも大声で言われたら気落ちして自信を無くすかもしれないけどスティーブの場合は違うのよ。最悪な対応は泣くことかな。そうなればスティーブの言ったことが正しかったように思われてしまうわ」
私はジョアンナ・ホフマンという女性がAppleの中でスティーブと対等の言い合いができ、ときに言い負かす事が出来るただ一人の女性であることを2016年からタイムスリップしてきた男として知っていたが、本人から具体的に聞くと説得力が違った。

ジョアンナは次第に乗ってきたのか両手のボディランゲージが激しくなり、独特のイントネーションも顕著になった。
「スーザン、覚えておいてね。スティーブから声高に文句を言われたらシュンとして引き下がってはダメなのよ。スティーブの目を強い視線で見返して自分の意見や思いをきちんと言い返すのよ。それも大きな声で廻りにも聞こえるようにいうのが効果的ね。時には『貴方は間違ってる』と言い返すのよ」
一息入れて、
「なぜそうした対応が効果があるのか。いろいろ理由はあるけど分かりやすく言えばスティーブはそうした人間を信頼するからよ」
「分かったわ。そんなことがあったときに咄嗟に対応できるか分からないけど心がけとく」
スーザン・ケアは真剣な表情でジョアンナに頷いていた。

ジョアンナは、
「ごめんなさん、トモ。あなたの話しを聞きたくてスーザンを連れてきたのにあたし喋りすぎたわ」
と誤りつつ、あなたもスーザンになにかアドバイスしてあげてと言った。
私は思いついたことがあったので早速スーザン・ケアに話しかけた。
「いま、どんな仕事をしてるの」
「アンディやビルたちがMacintosh用にOSとかシステムウェアとか、そう私は詳しくないからよく分からないけど開発してるでしょ。私はそれらを象徴する、一目見て『これだ』とわかるアイコンを作るようにいわれてるの。ファインダーに表示する小さなグラフィックたちね」
「そうだったね。32×32ドットの制限があるからなかなか厄介な仕事だよね」
私がそういうとスーザンは、
「トモ、私はけっこう楽しんでいるわ。その制約こそ面白いのよ。だけど私が作ったアイコンを果たしてスティーブが気に入るかどうかがまずは試されるらしいわ。アンディがいうにはね」

私はどう言ったらよいかを考えながらスーザンの可愛らしい顔を間近にしながらいたずらっぽくいった。
「スーザン、君の能力を一度でスティーブに見せつけ、そして気に入るようにする方法があるよ」
スーザンとジョアンナは顔を見合わせながら、
「教えてよ、是非教えて」
と叫んだ。やはり不安だったようだ。

「いいかい、スーザン。君は僕のオフィスを出たらすぐに自分のデスクの前に座るんだ」
スーザンは体を乗り出しながら大きく頷いた。
「それで、まずはMacintoshの電源をいれる」
「分かった。それからどうするの」
「アンディがアイコンエディターを君のために作ってくれたらしいよね。それを立ち上げる…」
二人はなんだか私がふざけているのかと訝しい顔をした。

「やることは一つだよスーザン。スティーブ・ジョブズのアイコンを作るんだ」
私の意図することがわかったのだろうジョアンナの顔がまずばあっと明るくなった。
「なるほど、スティーブは自己顕示欲の強い人よ。自分の顔がアイコンになればきっと喜ぶにちがいないわ。さすがトモだわ」
喜びながらスーザンの手を取った。
スーザン・ケアはそんなことでスティーブの気を引き、自分の能力をアピールできるか不安のようだったが、
「わかった。早速やってみるわ。ありがとう」
と言いながら二人で席を立った。

スーザンは早速スティーブ・ジョブズの肖像をデザインした。当時のアイコンは前記したように32×32ドットの白黒だったから全部で1024ドットという大きな制約があり、物の形を伝えることはなかなか難しかった。しかし誰が見てもジョブズだと分かるそのアイコンを見てジョブズ本人も気に入ったという。
その後、ビル・アトキンソンをはじめスーザンに自分の肖像をアイコン化してもらうことがMacintoshチームのステータスとなったほどだが、ビル・アトキンソンのアイコンは実際にMacPaintのアバウトに使われた。

結果スーザン・ケアはスティーブに気に入られ多くの仕事を残した。
例を挙げれば、Macintosh起動時に表示するハッピーマック、調子が悪い時のサッドマック、システムエラー発生時の爆弾マーク、ゴミ箱、時計アイコンなどはもとよりMacintosh 128KのコントロールパネルやMacPaintのサンプル画の多くも彼女の作品である。さらにCairo Fontをはじめ当時のGenevaやCicagoといったビットマップフォントのデザインを手がけたのもスーザン・ケアだった。

icon_garden.jpg

※かつてApple本社の庭にはスーザン・ケアの作品が立体化され、オブジェとして飾られていた(筆者撮影)


したがって彼女はユーザーが最初に「これがMacだ」と感じるシステム全体のイメージや個性を生み出したデザイナーだといえよう。
スーザンの影響はmacOSの時代になった現在でも決して無縁ではない。その代表的なものは「コマンドアイコン」だ。
Apple純正キーボードの”command”キーにも刻印されている花びらのようなアイコンがそれだが、これもまたスーザン・ケアがジョブズらMacチームの要請に従い国際シンボル辞典にあったスウェーデンの地図に採用されている記号をビットマップ化した結果なのである。

(続く)

【主な参考資料】
・「スティーブ・ジョブズ III」東京電機大学出版局
・「レボリューション・イン・ザ・バレー」オライリージャパン
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
・「アップル・コンフィデンシャル 2.5J」アスペクト
・「エデンの西(上)」サイマル出版会



[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第36話 スカリーという男

スティーブ・ジョブズは未来のテクノロジーを時代の最前列で考え見つめてきたといわれている。しかしその陰には2016年12月6日、アップル銀座のエントランスから40年前のカリフォルニア、ロス・アルトスにあるスティーブ・ジョブズ家のガレージ前にタイムスリップしたひとりの男の存在があった。
ー 優れたビジョナリーといわれたスティーブ・ジョブズ。その若かりし時代の秘密に迫る!ー
※本編はフィクションです※

■第36話 スカリーという男
新しいAppleの社長を探しているという話しはApple社内でも知られていた。特に秘密にする話しでもなかったしマイク・マークラが早く社長の重責を外してくれと後押ししてもいた。
またペプシの社長でマーケティングのプロでもあるというジョン・スカリーという男に白羽の矢が立ちスティーブ自らが交渉中だという話しも漏れ聞こえてきた。社内の一部では何故スティーブはジョン・スカリーに拘っているんだと首を傾げる者もいた。

ただしスティーブという男をよく知っている我々の間では何故スカリーなのかということは自明の理であった。
Macintosh開発チームのジョアンナ・ホフマンは聡明でストレートな物言いをする女性でもあり、この頃私は彼女と話す機会が増えていた。ただしそのほとんどはシェリー・リビングトンと3人の時だったが。

「皆は何故スカリーなのかと訝しがっているけどそんなこと説明がいることかしら」
シェリーは今更バカバカしいというように首を傾げた。
ジョアンナは愉快だという顔をしながら、
「ほんとね。Appleはコンピュータメーカーよ。本来なら同業の会社から適任者を見つけるのが理屈だと思うけど皆そのことに気がつかないのかしら。ねぇ、トモ」
話を振られた私は、
「まあ、社長が誰になったところで我々の報酬が変わるわけもないしと大方の社員は興味がないのかも知れないね」
「だけど会社にとって社長の選任は重要な事よ。当然よね」
シェリーは真面目な顔で私を直視した。

「やはりスティーブの思惑に皆振り回されているということかな」
私が呟くと、
「スティーブはとにかく自分が主導権を握りたいのよ。本来なら自分が社長になりたいと思っているに違いないわ」
「そうね、だけどさすがにこれまでの経緯を知る役員会ではそれが通らないことをスティーブは知って、何とか自分がコントロールできる人材を探しているんだと思うわ」
ひとつ離れた席にいたラリー・テスラーらが (声がでかいぞ) というサインを笑いながら我々に送ってきたが、それを知るとジョアンナはラリーへ陽気に投げキッスした。

ランチの後、職場に戻るまでの数十分、私ら3人は新しい社長の専任とスティーブの思惑について言いたいことを話しあっていた。
シェリーがいう。
「ジョン・スカリーって人、コンピュータのこと知ってるのかしら」
「いや、知らないからこそスティーブの思うつぼなのよ」
ジョアンナがすかさず答えるとシェリーも (分かったわ) というような意味深の表情をした。そして私の意見はという意味なのだろう右手を私に向けた。

Sculley and Jobs

※Apple Computer,Inc. Annual Report 1983 より、スティーブ・ジョブズとジョン・スカリー


「私もその通りだと考えているよ。ジョン・スカリーって人はマーケティングに精通しているらしいね。企業にとって社長がマーケティングに強いことは大切な事だしある意味これまでそうした点がAppleに欠けていたことは事実だよ。だから繰り返すけどマーケティングのプロフェッショナルだという肩書きには反対しないけどね」
すかさずジョアンナは、
「あら、随分とスカリーに身贔屓するのね」
といたずらっぽい顔をした。

「いや、すでに貴方たちには分かっているだろうけどスティーブにしてみればマーケティングに関してはスカリーに任せノウハウを勉強するとしても、今後の新製品の動向やプロダクトの主導権といったものをすべて自分が掌握したいわけで...」
「そう、スカリーがコンピュータのことを知らなければまずはスティーブに聞くのが筋だし、そうすればスティーブの考えや主張がスカリーを通して具体策となっていくわよね」
ジョアンナはため息をついた。

私は気心の知れたシェリーとジョアンナに近未来の予測だとして話しを続けた。無論それは2016年からタイムワープしてきた私だからこそ知り得た歴史的事実なのだが。
「私の危惧、そしてその結末を2人には話しておこうか...」
無意識にも真面目な表情になったのか、2人の女性も真剣な顔で身を乗り出してきた。
「あくまで私個人の意見だが、事実ジョン・スカリーという人物はスティーブの求めに応じてAppleの新しい社長に就任するよ。もう少しでね。問題はその後、社内の組織変更をすることになるが承知のようにいまはLisaプロジェクトとMacintoshプロジェクトのリーダーは別だよね」
「そうね。MacintoshはスティーブだけどLisaはジョン・カウチよね」
シェリーがわかりきったことだというように言い切った。
私は2人の顔を眺めながら、
「きっとこの2つのプロジェクトのリーダーはスティーブが総括することになるよ」
といった。

「それって私らMacintoshチームにとっては悪い事ではないかも知れないけど、Lisaチームには最悪なことじゃない」
ジョアンナは吐き捨てるように呟いた。
私は頷きながら、
「だから次ぎに何が起こるかはわかるよね。スティーブは極力Lisaの販売や社内での存在感といったものを潰しにかかるだろうからLisaは短命に終わるはずだよ」

社内の風潮はもともとこうしたLisaかMacintoshかといった極端な二派に別れていたわけではない。概して両方のチームは互いに精神的および技術面においてもサポートしあっていたしMacintoshのプログラミングを担当する技術者の半分はLisaチームから来た人たちだった。事実ビル・アトキンソンを筆頭にそのほとんどは掛け持ちだったといってよいだろう。
ただしスティーブ・ジョブズひとりがMacintoshを成功させたい一心でLisaをサンドバッグのように扱っていたのだ。

「それからどうなるの」
ジョアンナはシェリーと顔を合わせながら問う。
「くどいようだけどLisaは色々と延命を図るけど失敗作として葬られるだろうね...」
私がまだ言い終わらないうちに、
「Lisaの話しはいいのよ。スティーブとスカリーは上手く行くのかしら」
シェリーが突っ込んでくる。

深く息を吸い込んでから私はなるべく軽口を叩くような雰囲気で続けた。
「最初の一年はとても上手く行くと思うよ。だけど、そうだな、再来年の今頃は険悪な仲になるだろうね」
面白い事にシェリーにしてもジョアンナにしても私のこうした一見荒唐無稽な話しに (なぜそう思うの) といった質問はしなかった。それまでの付き合いの中で私の未来予測がすべて現実となっていくことを知っていたからだがまた (なぜトモは未来がわかるの) という質問もしなかった。まさか私が未来からタイムスリップしてきた人間だとは思わなかっただろうが、何らかのそう断じる根拠があっての話であり私が虚言を労する人間でないことは理解してくれていたからだ。

私はこれ以上現時点で話しても意味は無いと思い話題を変えた。
「ところでも二人はスカリーと会ったことあるのかな」
「ええ、会ったというより近くで見たという方が適切だけど、少し前もAppleを見学しに来たわよね」
「そうそう。そのとき私も受付で挨拶したわ」
2人がうなずき合って言い交わした。

「それなら聞くけど、スカリーという男はAppleに相応しい、いや似合う人物だと思うかい」
私は些か意地悪な質問をぶつけてみた。
「そうねぇ。仕事ができるかできないかといったことは私には分からないけど第一印象を正直言うとね、彼はこのシリコンバレーには似合わないと思うな」
ジョアンナの物言いに頷きながらシェリーも、
「同意見だわ。一言でいうなら良くも悪くもだけどAppleらしさAppleが築いた文化を理解できるとは思えないわ」
と辛辣な感想だった。

私は2人の話しを聞きながらサンフランシスコやボストンのMacworld Expoでジョン・スカリーのキーノートスピーチを見聞きしたこと、そしてMacworld Expo/Tokyo第1回目のときに来日した際、テープカットしたことやその後展示会場を見回ることなくアップルジャパンのスタッフらに促され足早に去っていったことなどを思い出していた。
後でアップルジャパンの関係者に聞いたところに寄ればそのままゴルフ場に行ったと聞き、日本最初のMacworld Expoだからこそ会場内の各展示、すなわちデベロッパーたちに挨拶して回ってもバチは当たらないだろうにとがっかりしたことを思い出した。

Sculley19910213.jpg

※第1回Macworld Expo/Tokyoでテープカットに現れたジョン・スカリー氏とアップルジャパン社長の武内重親氏(筆者撮影)


「ねえねえ、トモなにを考えてるの」
シェリーの呼びかけに我に返った私は、キーノートスピーチの際にTシャツ姿で現れたジョン・スカリーの姿に痛々しさを感じたことも記憶の底から宿ってきた。彼は彼なりに東海岸のビジネスのセオリーを脱ぎ捨てAppleに同化しようと努力をしていたのだろうが、その姿はコンピュータメーカーの社長にはどうしても思えなかったのだ。
「確かにそうだな。いまスカリーをこの場に立たせたとしても違和感100%だろうな」
私の物言いに2人はクスクスと笑った。

「今日の結論になるけど」
私は2人に断って話しを続けた。
「スカリーにはスカリーの利点があると思うよ。しかしどう考えてもスカリーは苦労するよ。だって清涼飲料水とか菓子類を売る東海岸のエスタブリッシュメント企業の枠の中で育ったスカリーなんだ。一方我々のビジネスは四半期を基準とし慣例に捕らわれないイノベーションを続けていかなければならないビジネスだ。その違いを理解し咀嚼するには多大な時間と努力がいるだろうね」
それに、
「スティーブはスカリーを見くびり過ぎていると思うな。だってスカリーも畑違いとはいえ百戦錬磨のビジネスマンだよ。スカリーがAppleをより会社らしい会社にできるとすればそれは同時にApple社内に権力闘争を生みだすことにもなるだろうね。それは回り回ってスティーブ一人の思い通りには動かない組織になるということだな」
我々は軽いため息をつきながらそれぞれの職場に戻った。

ジョン・スカリーはスティーブの誘いに固辞を続けていたが結局1983年4月、マイク・マークラに変わってAppleの新社長になることを受諾した。
「本当に有意義なことができるチャンスを捨て、一生砂糖水を売り続けるのかい」
というスティーブの殺し文句がスカリーの気持ちを揺り動かしたとも、あるいはAppleが最終的に提示した条件、すなわち年俸100万ドル、移籍ボーナスとして100万ドル、最大100万ドルのストックオプション、業績連動の報奨金そして200万ドルの自宅が購入できる低利融資に動かされたという口さがない噂も飛び交った。

確かにAppleが提示したこうした条件は破格なものであったがスカリーの肩を持つわけではないものの、彼はペプシで好条件で働いていたし何よりも安定業種、安定企業で実力を発揮し安定した地位にいたそのことをすべて捨てAppleで挑戦を選んだのだ。
スカリーは社長就任演説で、
「私がAppleに来た一番の理由はスティーブと一緒に仕事をしてみたいと思ったからです。彼は今世紀のアメリカにとって重要人物の一人だと考えています。そして私はその彼の成長を手助けできるチャンスに恵まれたのです...」と切り出した。
ジョン・スカリーの社長就任はウォール街も歓迎し株価は63ドルまで上昇した。
しかし一番喜んでいたのは他ならぬスティーブ・ジョブズだったに違いない。

(続く)

【主な参考資料】
・「スティーブ・ジョブズ III」東京電機大学出版局
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
・「アップル・コンフィデンシャル 2.5J」アスペクト刊
・「マッキントッシュ物語」翔泳社刊
・「エデンの西(上)」サイマル出版会



[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第35話 混乱のLisa

スティーブ・ジョブズは未来のテクノロジーを時代の最前列で考え見つめてきたといわれている。しかしその陰には2016年12月6日、アップル銀座のエントランスから40年前のカリフォルニア、ロス・アルトスにあるスティーブ・ジョブズ家のガレージ前にタイムワープしたひとりの男の存在があった。
ー 優れたビジョナリーといわれたスティーブ・ジョブズ。その若かりし時代の秘密に迫る!ー
※本編はフィクションです※

■第35話 混乱のLisa
1983年1月19日にLisaが正式発表された。スティーブの意思がLisaを生み出すきっかけとなったのは間違いないが、ことは大変複雑だった。
ゼロックス社パロアルト研究所(PARC)の見学以来、Lisaの開発はスティーブの思い描くようなコンセプトを持つようになっていったしタイミングはともかくPARCからラリー・テスラーをはじめ、後にアラン・ケイやスティーブ・キャプスら15名ほどの人たちがAppleに移ることになり、開発自体は徐々に注目を浴びるようになっていった。
しかし当時Appleの社長であったマイク・スコットはApple IIIの失敗はジョブズが主張した設計要求のためと考えていた。したがって同じ失敗を繰り返さないようにと組織の変更を考え、ジョブズをLisaプロジェクトチームのリーダーから外すことを決断する。

行き場を失ったジョブズが結果として次に首を突っ込んだのがジェフ・ラスキンが少人数で開発を進めていたMacintoshプロジェクトだったのである。したがってLisaの基本コンセプトが固まっていく過程ではスティーブ・ジョブズの夢や意志が強く働いていたことは間違いない。だからこそGUIおよびマウスを持つコンピュータの開発が具体的になっていったのだ。

結局Lisaはヒューレットパッカード社から来たジョン・カウチがプロジェクトリーダーとなり、200人/年の人員と5000万ドルもの開発費をつぎ込み冒頭に記したように1983年1月19日に正式発表される。
それはモトローラのCPU 68000 / 5MHz、1MBのメモリ、容量860KBの5.25インチフロッピーディスクドライブ2台、12インチ/ 720×364ピクセル・モノクロビットマップディスプレイ、ワンボタンマウスとキーボードを備え、Apple III 用の外付け5MBハードディスクといった仕様となり、他のマシンとの互換性がないこともあって専用7種類のアプリケーションを同梱の上で出荷された。

Lisa1_201704.jpg

※1983年1月19日に正式発表された Lisa


しかし出荷はされたもののLisaは販売当初から躓いた。Appleが独自で開発した5.25インチフロッピードライブ(Twiggy Drive)は故障が目立ったし話題性ほど販売台数が振るわなかった。

先の話になるが、AppleはLisaの問題点を検証し、ソフトウェアを別売にして本体価格を下げ、故障が多い5.25インチフロッピードライブ(Twiggy Drive)をMacintoshと同じソニー製の3.5インチに変え、ハードディスク内蔵タイプの仕様に変更し、Lisa2とした。
さらに1985年には10MBの内蔵ハードディスクタイプであるLisa2/10をMacintosh XLと改名しMacintoshのラインナップに組み入れ延命を図るがすぐに販売中止を発表。
その後アップルの在庫を引取りアップグレードを図ったサン・リマーケティング社の努力にもかかわらず1989年9月、Appleは税務対策の意図もあってLisaを完全に葬ることを決断し、ユタ州ローガンの埋立地に在庫の全てが埋められることになった。

Lisa2_201704.jpg

※当研究所所有のLisa 2


ともあれMacintoshを含めその前後のパーソナルコンピュータを知っている私からみてもLisaはずば抜けたマシンだった。メモリ保護やマルチタスクといった機能だけでもMacintoshはその足元にもおよばない時代の最先端マシンだった。しかしLisaはビジネス的に失敗した。なぜだろうか...。
後付けの話しとして価格が10,000ドルと高すぎたとかスピードが遅いといった話もあるが、Lisaの販売が当初から芳しくなかったのはAppleがこの種のビジネスマシンを販売するノウハウに欠けていたこと、そして最大の問題はスティーブ・ジョブズがLisaの販売を快く思わず一言で言うなら邪魔をしたからだと私は考えている。
"Lisa" という製品はその名の由来であった実の娘同様にスティーブから認知されないままに生まれたのだ。

なにしろLisa販売の初期からスティーブは、
「近々ベビー・リサ(Macintoshのこと)というLisaの能力を超え、低価格なマシンが登場する」
と自身でリークしていた。これではLisaが売れるはずもない。
しかし一方対外的にスティーブは、
「我々はLisaテクノロジーに本当にすべてをかけている」
と二枚舌を繰り返していた。

私は機会があったときその点をスティーブに問いただした。
「スティーブ、君の言動は影響が大きいからLisaの販売にブレーキをかけるようなことはまずいと思うけど…」
私のストレートな物言いにスティーブは顔色も変えずに答えた。
「トモは知ってるだろ、いまの俺にとって一番注視すべきプロダクトはMacintoshを一日も早く完成させることだ。Macintoshで宇宙を凹ますことだ。そして俺はLisaプロジェクトから不当に外された男だよ。その俺がなぜLisaのあれこれについて気を回さなければならないんだ」
私は口の先まで (君はAppleの会長だろ) と出かかったが、そういう物言いはスティーブに意味がないことを知っているので黙るしかなかった。
スティーブは続けた。
「カウチとLisaとMacintoshのどちらが早く出荷できるかという賭に俺は負けたけどプロダクトの出来ということに関してはMacintoshの方が断然素晴らしいよ。俺は以前トモに言われたとおり、Macintoshという類の無いプロダクトに俺たちなりのストーリーを注ぎ込んでいるんだ」
「それに」
とスティーブはにやりとしながら、
「Macintoshをアピールする際に “Lisaテクノロジー” という言葉は積極的に使うつもりだよ。これは事実だもんな。Lisaの良いところを凝縮しコンパクトにして価格も買い易い製品にするんだ。だから売れるよ」
私は退散するしかなかった。

私はLisaそのものは高く評価していたし2016年からタイムワープした人間としてLisaのその後の不幸も重々承知していたから事あるごとに関係する人たちにLisaについての印象を聞いて回った。しかしそれらを総括してみるとどうにも皆責任回避の弁のようで私には正直気に入らなかった...。

例えば暫くぶりに会社に顔を出したスティーブ・ウォズニアックに聞いたとき彼は、
「(Lisaは)Macintoshよりアーキテクチャー面からもよいコンピュータだよ。問題は価格だね」
とどこか通り一遍の感想に思えたしウォズは当時経営面から遠いポジションにいた関係上、Lisaの進捗状況には詳しくなかったから仕方がない。

私はLisa開発の総指揮を執ったジョン・カウチにも話しを聞いた。
「トモヒコさん、Lisaの不幸は販売戦略のまずさが第一ですよ。なにしろ全米で50のディーラーだけに絞って販売させたのが販売が振るわなかった原因のひとつでしょう。それにLisaWriteというワープロのデキも悪かったし」
ジョン・カウチの立場からすればLisaそのものに問題があるのではなく販売体制に問題の原因があると主張したかったのだろうが私は思わず、
「Lisa自身に弱点はなかったんですか」
と聞かずにはいられなかった。
彼はスティーブが低価格のMacintoshのことをあちこちでしゃべっていたこと。またApple III 用に開発されていたProFileは外付けで大きく、しかも遅かったことやフロッピードライブもあまりできがよくなかったことをぼそぼそと話してくれたが、欠点を認識していたとするならプロジェクトリーダーの言としては実に無責任に思えた。

ビル・アトキンソンはLisa開発に関してソフトウェア面で深く関わった1人だったが、
「Lisaはちょっと遅かったが非常によいマシンだと僕は思ってますよ」
といいつつ、
「トモ、僕はLisaとMacintoshの両方を知っている数少ない人間だけど、やはりこの両者を同じ時期に開発するというのが一番の問題だと常々考えてました。事実二股を強いられた僕などはメチャ大変だったし、価格や仕様が違うとはいってもユーザーから見てその違いなど大きな問題とは感じないでしょうね。だからどちらかが影が薄くなるのは自明の理です」
彼らしい明解な意見だったが、立場上どちらの悪口もビルは言えなかったに違いない。

そういえばLisa開発メンバーの1人だったリッチ・ペイジはもっと辛辣な発言を繰り返していた。
「トモヒコさん、どこでどうなったのか私らには分かりませんが Lisaの仕様に後発のMacintoshが次第に似ていくのを見ているのは辛いものがあります。そんなの絶対におかしいですよ。スティーブ・ジョブズはLisaプロジェクトをコントロールさせてもらえないから、Lisaをぶち壊したいんですよ。Lisaが成功しないとすればその原因はMacintoshだしスティーブが原因ですよ。なぜこんな単純なことが経営陣たちに分からないのか私には信じられませんね」
ペイジのいらいらは当時のLisaチームの思いを代弁したものに違いないし私は心情的にリッチ・ペイジに同情を禁じ得なかった。

私はLisaが次第に形になっていく過程を見ていたが、機能面や処理速度に関して皆が後でいうほど遅いとは思わなかった。なぜって当時のパーソナルコンピュータはそんなものだと知っていたからだ。
それよりもLisaは社内のゴタゴタをまともに喰らいながら開発を余儀なくされた不幸な製品だというのが私の印象だった。
Macintoshに目立つ機能を持って行かれたのもそうだが、外付けハードディスクは由としてもなぜApple III 用として開発されたProFileを標準として使うようにしたのだろうか。中身はともかく外装のデザインくらいLisaに合わせて再設計すべきだった。
横幅のサイズもLisa本体のそれと違うしボディカラーはともかくデザインもLisaとしっくりこない。

私が調べた範囲ではこれまた失敗作となったApple III 用のProFileが大量に余ってしまったことが一番の要因だと認識している。
この点をマイク・マークラに尋ねたが彼は、
「カラーも一緒だし悪くないよ。第一Lisaの頭上に置かずに並べて机上に置くユーザーもいるしな。その場合はとてもマッチングしていると思うよ」
とお気楽な様子だった。
しかし現実問題として設置スペースの問題もあり、多くのユーザーがLisa本体の上に乗せて使ったしAppleのカタログもそうした使い方を推奨しているように思えた。なによりもAppleの動向に詳しい多くのユーザーはProFileがApple III のために設計されたことを知っていた。

ともあれ混乱というか欺瞞と腹の探り合いの総本山はやはりスティーブにあった。
そんな気持ちはさらさらないはずなのにスティーブは1983年1月31日のタイム誌に、
「これから10年間はLisaでやっていけるだろう」
といった心にもないコメントを載せたのだから広報をはじめ社内の混乱は目に余るものとなっていた。

(続く)

【主な参考資料】
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
・「アップル・コンフィデンシャル 2.5J」アスペクト刊
・「エデンの西(上)」サイマル出版会
・「レボリューション・イン・ザ・バレー」オライリー・ジャパン社


[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第34話 背信行為

スティーブ・ジョブズは未来のテクノロジーを時代の最前列で考え見つめてきたといわれている。しかしその陰には2016年12月6日、アップル銀座のエントランスから40年前のカリフォルニア、ロス・アルトスにあるスティーブ・ジョブズ家のガレージ前にタイムワープしたひとりの男の存在があった。
ー 優れたビジョナリーといわれたスティーブ・ジョブズ。その若かりし時代の秘密に迫る!ー
※本編はフィクションです※

■第34話 背信行為
1982年も押し迫った頃だったか、私の目から見てもこの頃のAppleは随分と尊大で高慢なところが多々見られた。
まあ、2016年からタイムワープした私の経歴の中に約14年間アップルジャパンのデベロッパーとしてビジネスをやってきた経験からしてAppleという企業は決して一筋縄ではいかない会社だということは承知していた。
具体的にいえば何度裏切られたことか…。そして時に尊大で非常識きわまる面も見せたが、私がタイムワープした1982年という時期はAppleの社内にいてもそうした感じを受けることが多くなってきた。
事実私がスティーブ直轄の部下だと知るとディーラやディストリビュータの人たち、あるいは時にメディアの人たちからスティーブ・ジョブズとの間を取り持ってくれという直接間接の依頼が目立ってきたが、そうした中には苦情やクレームもあった。

ある水曜日だったか暫くぶりにスティーブから呼ばれたので、私はそうした危惧を隠すことなくぶつけようと勇んで彼のオフィスのドアを開けた。
スティーブのオフィスにはジーン・カーターという副社長がいた。私はスティーブと一対一の話しをしたかったので、
「これは失礼。スティーブ、出直すよ」
と言いながらドアを閉めようとする私を制してスティーブは、
「トモ、いいんだ、入ってくれ。それにジーンを紹介しておきたいんだ」
そういわれれば断るわけにはいかない。まだ社内でまともに話しをしたことのない男と握手をした。なにしろその頃のAppleは大人数だったし新しい人材でごった返していた。そして私は販売に関わる部署の人たちとはほとんど触れ合う機会がなかったのだ。
「ジーン・カーターです。よろしく」
「トモヒコ・カガヤです。こちらこそよろしく」

椅子に座った我々を見つめながらスティーブは、
「トモ、ジーンは日本市場にパイプをつなげてくれた功労者だよ。だから1度君にも紹介しておきたかったんだ。まだまだ極小で未知の市場だけどね。今後大きな市場とすべく君にも大いに活躍して欲しいからね」
スティーブの話しが一区切りついたとき私はジーン・カーターに向かい、
「そうでしたね。一昨年でしたか、日本の合繊メーカー東レとの提携発表がありましたがカーターさん、貴方は責任者として契約を仕切った功労者でしたね。そういえば何故東レなのかという質問が記者たちから出たことを思い出しました。さらにその場で貴方は日本法人設立の可能性も示唆しましたね」
途端にジーン・カーターは澄んだ目を見開いて叫ぶように、
「嗚呼、噂通りの人ですねカガヤさんは。驚きましたよ。貴方はここにいて何故日本での出来事を詳細に知っているんですか」
「だからいったろう。トモは過去も未来もお見通しだと…。さて、それはともかくトモ、君の話を聞いておこうか。ジーンにも君の話は大いに参考になるだろうから遠慮なく話してくれ」
スティーブは作り笑いをしながら茶化すように促した。

「わかったよスティーブ。話しはこうだ…。Appleは君の会社であるばかりか君の命に違いない。だから言いにくいこともあえて言わせてもらうよ」
私は流通各社の反発と不満が広がっていること、マスメディア各社からもAppleはおごり高ぶっているという批判が出ていることを話しスティーブがそれに対して善処すべきだと忠告した。
「スティーブ、君は最良最強の広告塔だよ。君の一言ですべてがよい方向へ変わっていくんだ。だからもう少し流通市場やメディアを味方につけるよう配慮すべきではないかな」
私はオフィスの窓から暮れなずむカリフォルニアの空を見ながらいった。

スティーブが口を開く前にジーン・カーターが片手を軽く上げて発言の許可をスティーブに求めた。スティーブは無言でそれを許したがジーン・カーターの物言いはその物静かな風貌とは些か違ったものだった。
「カガヤさん、お言葉ですが私もそうした不満があることは承知してます。しかしことはビジネスの世界なんです。我々にはノルマも課されていますし市場にしても食うか食われるかで日々争っています。我々の見るべき方向は販売店やマスコミではなくユーザーだと思うんです。それにAppleはいま市場にとって金の卵だと自負しています。どんな販売店もAppleを売りたがってますしそれは我々の商品が際立っているからでしょう。Appleを扱えないディーラーは焦っていると聞いてます」
一呼吸してジーン・カーターは続けた。
「カガヤさん、これは商機ですよ。普段ならなかなかこちらの主張を通して貰えない流通市場やマスコミに対して我々があるべき主張を促す最良の商機ですからこの機会を逃しては後悔することになると思います。我々は強い姿勢で彼らに臨むべきです」

スティーブの表情はあきらかにジーン・カーターの主張を支持していた。私はこれ以上の話しは溝を作るだけと判断し、
「あなたの話しは分かりました。今回は素直に引き下がりましょう」
私は意識的に穏やかに微笑をくずさず2人に挨拶しながらスティーブのオフィスから退出した。
まあ、カーターがいなくてもスティーブが素直に私の忠告に耳を傾けるとは思っていなかったが、どうにも気持ちが収まらなかった。

確かにAppleは慈善事業の組織ではない。ビジネスだからしてマスコミも流通市場も良い意味で利用すべきことは確かだ。しかし当時のAppleは明らかにおごり高ぶっていた。無礼な対応も目立っていた。それはマスコミや流通各社だけでなく競争相手、すなわち他のコンピュータメーカーも軽蔑と嘲笑の対象でしかなかった。
特にマスコミにを敵に回すことは決して得策ではないと私は考えていた。いつか大きなしっぺ返しにあうかも知れないとも。

年が明けた1983年1月、Lisaが発売された。Lisaは実に画期的なコンピュータだった。搭載されたLisa Office System、通称Lisa OSはパーソナルコンピュータ初のGUI環境のオペレーティングシステム (OS) だったしマルチタスク機能とメモリ保護機能を備えている点でも先を行っていた。またメモリも当時としては標準で1MBという大きな容量を持っていた。
後発のMacintoshはLisaの小型版と見られることが多いが、メモリ搭載はたったの128KBだったしシングルタスクの上にメモリ保護機能もなかった。

その1月、タイム誌のカバーをスティーブの顔が飾ることになっていた。実は昨年末から同誌の記者マイケル・モーリッツが取材許可を得て社内を自由に取材することが許されていた。スティーブとしては精一杯のメディアへのサービスのつもりだったからその成果が集約されるはずだった。しかし年末にその見本誌が送られてきたものの読んだスティーブは激高し怒り狂った。
それは “The Updated Book of Jobs (ジョブズ白書)” というタイトル記事だったが、内容はスティーブに向けられた嘲笑と批難で埋まっているような記事だった。
私にはタイム誌がメディアを代表してApple、いやスティーブ・ジョブズにカウンターパンチを見舞ったように思えた。

まばらな家具しかない一室で一人あぐらをかくスティーブ・ジョブズの写真のキャプションには匿名の従業員の弁として「フランス国王にしたらさぞかし立派だったに違いない」と書かれていた。さらにスティーブが怒り狂ったのはウォズニアックの話しとして「スティーブは回路作りも設計もコーディングも一切やっていない」という内容の記事が載っていたからだ。
要はスティーブ・ジョブズという男は創造性も設計技術もなく部下や周りの人たちを鼓舞して巧みに財をなした男だというニュアンスで記事は溢れていた。
スティーブにとって特に古い友人で誰あろうAppleの共同創立者であるウォズからこんな批難を受けるとは思いもよらないことだったから背信行為と考え取り乱したのだ。

スティーブは自分が正しいことを証明してくれることを願い、愚痴をいい、慰めて貰えることを期待して手当たり次第に電話で自分の正当性を訴えた。無論私の所にもオフィスが近接しているからすぐに血相変えて飛んできた。
まあまあそれはスティーブとて人間だから由としよう。しかしやはりスティーブはスティーブだった。なにしろ反省といった気持ちはさらさらなく、ただただタイム誌の記事は事実を伝えていないと自分の主張に同意を求めることに終始した。さらに彼の尋常でない人間性を示すことだが、自分がMacintoshプロジェクトから追い出したあのジェフ・ラスキンにまで電話をかけて愚痴をいったらしい。それも年明けの元旦、朝8時に電話をしたという。

スティーブには過去は一切意味のないものだった。重要なのはただただ現在、この瞬間のみなのだ。
私は正直寂しい気持ちと残念な気持ちで一杯だった。スティーブという人間をなんとか理解しそして役に立ちたいと願い努力をしてきたが自分の無力をひしひしと感じると同時に無性に戻りたかった。
帰りたかった。
元の世界へ…。

(続く)

【主な参考資料】
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
・「アップル・コンフィデンシャル 2.5J」アスペクト刊
・「エデンの西(上)」サイマル出版会
・「レボリューション・イン・ザ・バレー」オライリー・ジャパン社





[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第33話 ビュレル・スミスという男

スティーブ・ジョブズは未来のテクノロジーを時代の最前列で考え見つめてきたといわれている。しかしその陰には2016年12月6日、アップル銀座のエントランスから40年前のカリフォルニア、ロス・アルトスにあるスティーブ・ジョブズ家のガレージ前にタイムワープしたひとりの男の存在があった。
ー 優れたビジョナリーといわれたスティーブ・ジョブズ。その若かりし時代の秘密に迫る!ー
※本編はフィクションです※

■第33話 ビュレル・スミスという男
ビュレル・スミスはMacintosh開発チームの一員として主にロジックボードの設計を担当した人物である。彼はスティーブ・ウォズニアック開発のApple II を崇拝し、Macのロジックボード設計においてウォズニアックのスタイルをさらに突きつめ、独自の設計スタイルを編み出した天才の一人だった...。

ビュレル・スミスとは私が社内で講演したとき、話しの最後に電池切れのiPhone 6 plusを未来のガジェットを示唆するモックアップだと称して出席者に見せたときから頻繁に話す機会が増えた。
彼はいの一番に私が立っていた壇上に駆け上がりiPhoneを奪うように手にしながら「これって本当にモックアップなの」と聞いた男だった。

その後何度も私のオフィスに来たり、休みの時間を惜しみながら掌に乗る未来のデバイスについて沢山の質問を浴びせたのだった。
ビュレルは仕事に熱心なだけでなく実力のある人物だったが、社内ではまだまだ評価されない技術者のひとりだったといってもよい。そしてあのアンディ・ハーツフェルドの親友でもあった。

ビュレル・スミスは1979年2月にAppleの中でも最も給料の安い職種である下級サービス技師として雇われた。ただしビュレル・スミスはMacintoshのハードウェア設計者としてすぐ頭角を現し天才的な手腕を発揮していた。またApple II 関連の開発では一部スティーブ・ウォズニアックの代役まで務めるほど確かな技術力を持っていたものの、正式なエンジニアには昇格できず不満をつのらせていた時期でもあった。

彼は私に愚痴をいったことがある。
「トモ、僕は自分で言うのも不遜だけどなぜ評価されないのか分からないしそれが不満なんですよ」
「そうだね。君は才能とか技術的なスキルはもとよりだけど、他の技術者よりも抜きんでて熟練しているし勤勉さでも劣っていないよね。私はお世辞でなくそう確信しているよ」
私は正直に思っていることをはき出したがビュレル自身も自分が正当な評価をされない理由が分からなかった。無論上司に聞いてもはぐらかされるだけで不満が膨らむばかりだった。
「やはりまだまだ自己アピールがたりないのかなあ」
ビュレルは子供のように目をくりくりし首を傾げながら仕事場に向かった。

それから2週間ほど経ったある日の午後、私はロビーの受付カウンター内にいたシェリー・リビングストンと雑談していた。先日どうにもみっともない醜態を見せてしまったが、逆に自分の弱さをさらけ出したからか、気が楽になり前よりも話しやすくなった。
そんなところにビュレルが現れた。
「トモ、いいところで会いました。ちょっと聞いてほしいことがあるんだけど」
そのときシェリーは大げさな物言いで、
「仕方がないわね。ビュレル、私の彼氏を貸してあげるわ」
ウィンクしながら私に目配せした。わたしよりビュレルが顔を赤くしたのが可笑しかった。
「私のオフィスにくるかい」
「是非」
というので殺風景な私のオフィスで話しを聞くことにした。

「実はですねトモ。前にお話しした私への評価が低いことだけど、その理由が分かった気がするんですよ」
正直私には他人の評価を客観的に知るすべもなかったし、そうした役割を担っているわけでもないから気が楽だった。しかしビュレルに関しては前にもいったようにもっともっと上司たちは彼の業績を認めるべきだと思っていた。

自分の椅子に座りながらビュレルを見ると彼も二脚ある椅子のひとつに座りながら話し出した。
「僕はついに他のエンジニアたちにあって自分に欠けているものに気がついたんですよ、トモ」
嬉しそうにいうビュレルの顔を眺めたとき、タイムワープする前にアンディ・ハーツフェルド著「レボリューション・イン・ザ・バレー」という本に出ていたエピソードを思い出したが、無論ここは本人から話しを聞くべきだと私は黙って頷いた。

それは技術者らの多くは皆立派な髭を蓄えていたがビュレル・スミスにはなかったという事実だというのである。
「トモ、あなたは髭をはやしていないけど、MacintoshチームやLisaあるいはApple IIの開発チームを見回すとスティーブは勿論、スティーブ・ウォズニアック、ダニエル・コトケ、ビル・アトキンソン、スティーブ・キャップス、マイク・マレー、キット・プランク、ジェフ・ラスキン、ジェリー・マーノック、ポール・バーカー、リック・ペイジ、ジョン・カウチなどなど皆立派な髭を生やしているんですよ」
真剣な眼差しで説明するビュレルを笑うわけにもいかなかったが、真剣な眼差しだからこそ吹き出しそうになった。しかし彼としては大切で重大な発見だと思ったのだ。

私は面白半分に問うてみた。
「なるほど。ただしビュレル、念のために聞くけど君が名を上げた人たちは何故髭を生やしているのかな」
ビュレルは少し考えたうえで呟いた。
「うん、何故なんでしょうね。これまで考えたこともなかったからなあ」
私はあくまでいま思いついたことだとして自分の考えを話した。

一般的に(なぜ男が髭を生やすのか?)といえば私の知る限りそれは男らしさのアピールであり、若いときの髭は若造に見られたくないといった意志があるようだ。それはタイムワープ以前私の回りにも髭を生やした男性が数人いたしそうした本人たちから聞いた話しなので間違いはないだろう。まあ若いときは心理的に背伸びをしていたいということかも知れない。
ただし余談ながら年配の男性の髭はいささか違う。歳を重ねると頭が薄くなるがそうすると頭髪の不足を髭で補おうとするかのように髭を生やそうとする男性も多い。

それはともかく例えばバイト誌の最初の編集者のカール・ヘルマーズ、ニュージャージーで最初期のコンピュータ・ショウPC-76を計画したジョン・ディルクス、ドクター・ドブズ誌の編集者でWCCFの主催者だったジム・ウォーレン、製造番号4番のAltair 8800を組立てラジオでメロディーを奏でさせたスティーブ・ドンビア、別名キャプテン・クランチと呼ばれたジョン・ドレーパ、ビル・ゲイツと共にマイクロソフト社を起業したポール・アレン、ビジカルクを開発したダン・ブルックリンなどを挙げれば十分だろう。

それぞれの人物が当時何歳だったかを調べるのは難しくはないが、スティーブ・ジョブズを含めて確実なことは1980年当時一部の人たちを除けば皆若かったということだ。20歳代がほとんどだったのではないか。
そんな彼らが髭をはやすようになったのはカウンターカルチャーの精神やヒッピー魂をまだ失わずにいたこともあるだろうし、寝る間も惜しんで働いていたこともあり、髭を剃るのも面倒だったのかも知れない。
しかしそうした若者たちが精神を高揚し、ぶつかり合いながらも過ごした当時の世相ではやはりどれほど自分の存在をアピールできるか、主張できるかが肝だったに違いない。したがって意識的、無意識的にも自己アピールを髭というものに託していたと考えても無理はないと思う。

私はそんなあれこれをビュレル・スミスに話したが彼は時々頷きながら同意してくれた。そして自分も早速髭を生やしてみるといいつつ私のオフィスから出て行った。
事実ビュレルはすぐに口ひげを生やし始めたが、彼の髭は完全に生えそろうまでに1ヶ月ほどもかかった。そして自分でも完璧と思われる髭になったと考えたその日の午後、彼は技術担当副社長(立派な髭を生やしていた)に呼ばれてエンジニアとして技術スタッフのメンバーに昇格したのだった。一人前に髭が生えそろった男として認められたのである(笑)。

その日の午後、ビュレルは小走りに私のオフィスに顔を出し、ドアを半開きにしたまま部屋に立ち入らず、
「トモ、ありがとう。おかげで上手く行ったよ」
口元の少々薄い髭をひと撫でし、Vサインをして走り去った。
とはいえMacintosh開発プロジェクトの尋常ではないプレッシャーはこの繊細な天才にも容赦なく加重していった。

話しは先走るが、ビュレル・スミスはApple退社後Radius社の共同設立者として成功したものの1988年に業界から足を洗った。
しかしそれは悠々自適の引退ではなかった。
彼は精神疾患を患い、裸で外をうろついたり車や教会の窓を壊して歩いたりするようになったという。
彼の病は強い薬でもコントロールできず、夜にスティーブ・ジョブズの家まで出かけては石を投げて窓ガラスを割ったり、とりとめのない手紙を残したり、かんしゃく玉を投げ込んで逮捕されたこともあった。そして後には親友のアンディと会っても話しをしなくなり、ビュレル・スミスが自分の名前を名乗れず留置所に入れられたとき、アンディはビュレルを釈放してもらうためスティーブ・ジョブズの力を借りたこともあった。
彼の病の原因がMacintosh時代のプレッシャーにあったとは言わないが、私はそうした彼の近未来を知っているだけに、ビュレル・スミスの猛烈な仕事ぶりが気になってしかたがなかった。

(続く)

【主な参考資料】
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
・「アップル・コンフィデンシャル 2.5J」アスペクト刊
・「レボリューション・イン・ザ・バレー」オライリー・ジャパン社
・「スティーブ・ジョブズ」講談社



広告
ブログ内検索
Related websites
[小説]未来を垣間見た男 - スティーブ・ジョブズ公開
時代小説「首巻き春貞」公開
ジョブズ学入門
ラテ飼育格闘日記
最新記事
お勧めの新旧記事
カテゴリ
リンク
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

プロフィール

appletechlab

Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。2017年6月3日、時代小説「首巻き春貞 - 小石川養生所始末」を上梓(電子出版)。続けて2017年7月1日「小説・未来を垣間見た男 スティーブ・ジョブズ」を電子書籍で公開。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員