[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第1部 ー 第31話 知的自転車

スティーブ・ジョブズは未来のテクノロジーを時代の最前列で考え見つめてきたといわれている。しかしその陰には2016年12月6日、アップル銀座のエントランスから40年前のカリフォルニア、ロス・アルトスにあるスティーブ・ジョブズ家のガレージ前にタイムワープしたひとりの男の存在があった。
ー 優れたビジョナリーといわれたスティーブ・ジョブズ。その若かりし時代の秘密に迫る!ー
※本編はフィクションです※

■第1部 ー 第31話 知的自転車
スコッティが退職したことに関してスティーブはメンタルな部分で痛みを覚えたようだが仕事の面からすれば間違いなくそれは彼にとって朗報だった。
確かにスコッティはLisaの開発にスティーブが口を出さないであろうことを期待してジェフ・ラスキンのプロジェクトだったMacintoshプロジェクトにスティーブが参加する事を黙認したし喜んだといってよいだろう。

ただしスコッティはそれでスティーブが大人しくしているとは思っていなかったしスティーブの動向に目を光らせていた。
スティーブからしてみれば Lisaプロジェクトから外されたことは大きくプライドを傷つけられたし、もしMacintoshプロジェクトが見るべき成果を上げるようになれば、またまたそこから自分が外されるのではないかと危惧していたふしがある。
スティーブにしてみればせっかく勝ち取ったMacintoshプロジェクトだから意地でも当初の発売日までに完成させたかった。その目標は無謀にも1年後の1982年はじめとスティーブは考えていたが、開発チームの誰もが無理だと感じていたもののスティーブはがむしゃらに突き進んだ。

私が自分のオフィスを出たときスティーブが丁度こちらに歩いてくるところだった。
「おっと、トモ、良いところで会ったよ。ちょっと俺のオフィスに寄ってくれないか」
スティーブはどうやら機嫌がよいらしく、快活に両手を広げて私をオフィスに迎え入れてくれた。

「私もいくつかスティーブ、君に確認したいことがあったので丁度いいよ」
私は勝手知ったるスティーブのオフィスの奥にある椅子に座った。そこはかつて私の居場所だったからだ。
スティーブは話したいことがやまほどあると言いながら、自分の椅子に座り数秒目を瞑った。そして、
「トモ、知ってのとおり俺はMacintoshプロジェクトを率いることになったが問題は山積みなんだ」
とはいえその話しっぷりはまんざらでもないようだったが、
「トモ、君に意見を聞きたいのだけど笑わないでくれるかい」
と悪戯っぽい表情で聞いた。

なにごとかと思ったが、
「勿論だよスティーブ、君の言うことにはいつも敬意を払っているよ。聞かせてくれ」
私は意識的に体を前に突き出しながら答えた。しかし確かにスティーブの話しは時節を考えても突飛でもないことに思えた。
「俺はMacintoshを最高のパーソナルコンピュータにしたいんだ。そのために最適な人材も集めたし問題は山積みとはいえどうあるべきかは明確になってきたつもりだよ。ただ…俺には “Macintosh” という名が気に入らないんだ」

私は2016年の日本からタイムワープしてこの時代に放り出された人間だったから、スティーブのいうところの意味や内容はすでに周知のエピソードとして知っていたが、これをリアルタイムに聞かされた関係者たちの動揺が目に見えるようだった。
スティーブは、
「Macintoshという名はラスキンのクソ野郎がつけた名だ。俺はそのプロダクト名も自分で最良と思うものにしたいんだよ。トモ、おかしいかい」
あの射るような眼差しで見つめられるとどうにも困ってしまうが、私は知ってはいたがわざと
「どんなプロダクト名にしたいと君は思ってるの」
と聞いてみた。

「いいか、笑うなよ」
と再度念を押しながらスティーブは、
「Bicycle (自転車) という名にしたいんだ」
ちょっとうつむきながらいった。
「なるほど。私にはスティーブ、君の考えていることは日々の会話の中からわかるような気がするよ」
というとスティーブは子供のように嬉しそうな顔をしながら、
「俺ってこの件で君になにかいったっけ」
と答えたが、私はそれに直接答えることはしないで話を続けた。
「なぜ Bicycle なのかは容易にわかるよ。君は以前コンピュータは (Bicycle for the Mind) 知的自転車だという説をぶっていただろう。我々人間はすべての生き物の中でも移動する能力ひとつをとっても優れた動物ではないとね。歩く、走るのも遅いしエネルギー効率も悪いから速く遠くへ移動するのは苦手だと。しかし例えばその人間に自転車を与えたとすれば話しはまったく違ってくると…」
スティーブは我が意を得たりと私の話を受けて喋りだした。

「そうなんだよ。コンピュータは我々の知性にとってはまさしく知的自転車であり我々の知性を拡張するツールになると信じているのさ。さすがにトモ、俺の考えていることをよく分かってくれているよ」
スティーブは上機嫌だったが、私は水を差すような物言いをしなければならなかった。
「スティーブ、事実君の考えは説得力のあることだし私も頷く一人だよ。しかし、そのこととMacintoshというプロダクト名を Bicycle にするというのは別問題だと思うよ」
スティーブは一瞬ムッとした表情を見せたがすぐに天井を仰いだ。
「君はこのプロジェクトからラスキンの臭いをすべて消し去りたいのだろうけどMacintoshという名称はすでに皆馴染んでしまったしAppleという会社の製品名としてはリンゴの名前だし決して悪くはないと私は思っているんだ。さらに君が苦労しているようにMacintoshプロジェクトはまだまだ多くの問題を抱えているから、ここでまた開発陣や経営陣を悩ませる要素を増やすことは得策ではないと思うんだ」
スティーブが黙り込んでいるので続けた。
「それに、スティーブ。誰が見ても現在のMacintoshプロジェクトのリーダーは君だし、Macintoshは君が宇宙を凹ますために作るマシンであることに代わりはないよ」

私の話しが終わってもしばらくスティーブは腕組みしながら沈黙を守っていた。
なにか反撃の言葉があるのだろうと私は心の中で身構えていたが、フッと息をはき出したスティーブは、
「やはりそうか…。数日前にプロジェクトの奴らに俺のアイデアを披露したんだが猛烈な反発にあったんだ。だからトモの意見を聞いてみようと思ったんだが、君も反対か」
「いや、反対ということではないんだよ。あのレジス・マッケンナさんもいってたよ。名前そのものが問題なのではなく、その名前に象徴されるもの、その背景にある考えというのが最も大事だとね」
「うん、覚えているよ。もしその会社がよい会社になれば、その名はどのようなものであれよいシンボルになるという話しだろ」
スティーブは少し気持ちが落ち着いてきたようだった。

「そうだよスティーブ。一番大切な時期に関係者を混乱させるのは得策ではないし、つまりシンボルというか名前そのものには大して意味はないんだ。Macintoshという名に素晴らしいストーリーとイメージを与えるのが君の大切な役割だし、それこそ君にしかできないことだと私は信じているよ」
私がいうとスティーブの顔が少しほころんだ。
「そうか、やはりいま Bicycle という名を押し通すには無理があるかも知れないな。どうにもここの所気が急いてどうしようもないんだ」
スティーブは両肩を上げ、自嘲気味に言葉を続けた。
「一昨日のことだったかな、Lisaプロジェクトマネージャーのカウチ、あのジョン・カウチとちょっとやりあってさ…」
「ああ、聞いたよ。君とカウチがMacintoshとLisaのどちらが早く出荷できるかの言い合いになって結局5,000ドルの賭をしたってことだね」
スティーブは頷きながら、
「俺たちの意気込みを示すためもあったし、Macintosh開発チームを鼓舞したくてさ。カウチの挑発に乗ってしまったんだ」
やっとスティーブに笑顔が戻ってきた。

「現実問題として開発期間を考えると、大きな問題はソフトウェアなんだが、俺は君が常々いっているようにMacintoshのキラーアプリケーションが多々欲しいんだ。無論そうしたソフトをMacintoshに同梱してリリースしたかったが現状ではどうにも無理のようだから、ここは一大決心してアウトソースするしかないと考えたところなんだ」
スティーブの話しが途切れたのを確認して私はゆっくりと椅子から立ち上がり退出の意志を示しながらいった。
「ビル・ゲイツだね」
スティーブの驚いた顔を眺めながら私はスティーブのオフィスを出た。

【断章】
1984年にMacintoshがリリースされた後、その年にいち早く出版された1冊の書籍があった。それはCary Lu著「Macintosh そのインテグレーテッドソフトの世界 (原題:The Apple Macintosh Book)」という本だった。その謝辞のページ冒頭には次ぎのような印象的な一文が掲載されていた。

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※Cary Lu著「Macintosh そのインテグレーテッドソフトの世界 (原題:The Apple Macintosh Book) アスキー出版局海外部刊


「本書は、マイクロソフト社のビル・ゲイツとアップル社のスティーブ・ジョブズの会話から生まれました。当時ジョブズの開発チームは秘密のうちにマッキントッシュに取りかかっていましたが、発売は何ヶ月も先でした。マイクロソフト社はアプリケーション・プログラムを作成中で、マッキントッシュ用のインターフェースなど、さまざまな設計上の問題について協力していました。ビルはマイクロソフト社の新しい出版部門が解説書も出してはどうかと提案しました。」

Macintoshは秘密裏に開発されていたと噂で知っていた私はなぜにこんなにも早くマイクロソフト社が(日本語版はアスキー出版局刊)Macintoshの解説書を出せたのかと訝しく思っていたが、スティーブからビル・ゲイツに接触したことがきっかけとなったのだった。
しかしこの事はMacintoshにとって短期的にメリットが大きかったものの、後にマイクロソフト社がWindowsを開発するきっかけを与えることになってしまうのは皮肉なことだった。

(続く)

【主な参考資料】
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
・「アップル・コンフィデンシャル 2.5J」アスペクト刊
・「マッキントッシュ伝説」アスキー出版局刊
・「レボリューション・イン・ザ・バレー」オライリー・ジャパン社



[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第1部 ー 第30話 ビルとアンディ

スティーブ・ジョブズは未来のテクノロジーを時代の最前列で考え見つめてきたといわれている。しかしその陰には2016年12月6日、アップル銀座のエントランスから40年前のカリフォルニア、ロス・アルトスにあるスティーブ・ジョブズ家のガレージ前にタイムワープしたひとりの男の存在があった。
ー 優れたビジョナリーといわれたスティーブ・ジョブズ。その若かりし時代の秘密に迫る!ー
※本編はフィクションです※

■第1部 ー 第30話 ビルとアンディ
スティーブ・ジョブズはラスキンを追いやり念願のMacintoshプロジェクトを率いることになった。まだまだ具体的なビジョンはまとまっていなかったが、ウォズの代わりに戦力となる人員が集まりつつあった。
アンディ・ハーツフェルドもそうした一人だった。彼は1979年8月にシステムプログラマーとして入社したが大のウォズファンだった。
ハードウェアの天才といわれるようになるビュレル・スミスと共に自分たちは (ウォズ大学の生徒だ)と公言してはばからなかった。

アンディは1978年に買ったApple II に魅せられソフトウェアの開発を始めたが、彼の目標は当然のことスティーブ・ウォズニアクだった。そういえばこの頃、すなわち1981年春も終わり頃になるとウォズも飛行機事故から立ち直り退院していたが、まだ精神的に完治していなかったしすぐに仕事をしたくないと会社を休むことが多かった。スティーブとのわだかまりも大きくなってきたようだ。

そんな1981年の春先のある日、ランチで席が間近だったこともあって、私はアンディと長話しをする機会を得た。
アンディ・ハーツフェルドは小柄ではあったが見るからに精力的な人物でポジティブな思考の持ち主だった。早速私が (なぜMacintoshチームにきたの) と聞くと少し声のトーンを落として話し出した。

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※Mac開発当時のアンディ・ハーツフェルド。Macのプロモーションビデオ「The Macintosh Story」より


「僕は先のブラック・ウェンズディのときAppleを辞めようとスコッティのところに行ったんですよ」
「慰留されたんだったね」
私が受けると大きく頷きながら、
「だって隣にいたパートナーが首になったしショックもあってこのまま職場に残っても意欲を出せないと思ったんですよ」
アンディは大きめの眼鏡を左手で直しながら笑った。
「だけどスコッティに留意されて (どのプロジェクトなら会社に残ってくれるんだ) といわれてちょっと感激しました」
「で、あなたはMacintoshチームに行きたいって言ったわけだ」
私が笑いながら合いの手を入れるとアンディも嬉しそうに、
「そうなんです。そしたらすぐスティーブがきて…」
今度は愉快そうに声を出して笑った。

このときのエピソードは私も印象深いものだったので覚えていたが、アンディ・ハーツフェルド自身から聞かせてもらえるとは思っていなかったので本当に楽しかった。
「トモ、あなたはスティーブと親しいから分かるでしょうけど、いや別に親しくなくてもスティーブはスティーブだな」
含み笑いしながらアンディは続けた。
「そのとき僕はMacintoshチームに移るためApple II の残務整理のつもりでプログラミングのまとめをしていたんです。そのとき (お前がアンディって奴か) とスティーブから声がかかったわけです。そして (お前は優秀か) と聞くから (そう思ってます) というと… (すぐ俺と一緒に来い) っていうわけ…」
「まったくスティーブらしいなあ」
私が残ったコーヒーを口にするとアンディも同じようにコーヒーで喉を潤して、
「当然僕はこれまでの仕事を引き継ぎしなければと考えていたので、この仕事は数日で終わるので待ってくださいといったんですよ」
さも可笑しそうに口を押さえるアンディに私は、
「スティーブはあなたの使っていたApple II の電源コードをいきなり引き抜いた…」
その言葉が終わらないうちに私とアンディは顔を合わせて笑い合ったが、向こうの列にいた十数人が何ごとかとこちらを振り向いた。ということで結局アンディは1981年2月からMacintoshチームで働くことになった。

そんなとき我々の背中を軽く叩きながら、
「面白い話しがあるなら僕にも教えてよ」
あのビル・アトキンソンがくしゃくしゃの頭、そしてブルーの目で笑っていた。そしてアンディの隣に長い足を伸ばして座った。
そういえばタイムワープする以前、私は2度ビル・アトキンソンに会っている。
1度目は1990年のこと、幕張メッセで開催されたマルチメディア国際会議に私の会社が自社開発したコンシューマー市場初のデジタルビデオシステムを展示デモしていたときのことだ。そこにビル・アトキンソンが立ち寄ったことがあった。

派手な横縞のTシャツを着たラフな格好だったが、なかなか神経の細やかな暖かい人のように思えた。私達がデジタルビデオソフトのデータをHyperCard (HyperCardはアトキンソンが開発)から使用するところを説明していた時、アップルジャパンの関係者がアトキンソンの袖をひっぱるようにして連れていこうとした。しかしアトキンソンは少し離れたところから体を反転させ後戻りして我々にお礼を言ってくれたのだった。

2度目は2004年、写真家として来日したビル・アトキンソンが自書写真集出版記念の講演をしたときのこと、私はそこでMacPaintのフロッピーディスクとマニュアルにサインをして貰ったことがある。しかしこの1981年の春先にApple本社内で出会ったアトキンソンは髪型も違っていたし口ひげを生やしていたからか別人のように思えた。

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※2004年、写真家として来日したビル・アトキンソン(筆者撮影)と直筆サインをもらったMacPaintのマニュアルとフロッピーディスケット


アトキンソンとハーツフェルドは私がついていけないほどの早口でなにかを言い合い、一緒に笑い合っていたがその瞬間私は奇妙な思いにかられていた。
それはいまから9年ほど経てば(1990年になる)前記したようにアトキンソンと私は幕張メッセの小さなブースで出会うわけだが、そのとき私は初対面だったものの彼は1978年にAppleに入社しこうして幾たびか私と出会っている。そんなアトキンソンは9年後に幕張で出会う私を私と認識してくれるのだろうかということ。それ以前に私自身はその1990年のマルチメディア国際会議のとき自分の存在が果たしてどうなっているのかと考えると頭が混乱し恐ろしくなった。

「どうしたの、トモ。気分でも悪いのかい」
アトキンソンの声で私は我に返った。
「いや、失礼。ちょっと考え事をしていたので」
私は笑顔でつくろったが、ビルをあらためて見上げると明るい表情ながら髭は伸びているし徹夜明けのようだった。
「ビル、また徹夜かい」
「そうなんだけどさ、別にスティーブに言われたわけではないんだ。アンディは分かってくれるだろうけどプログラマーという人種は厄介なものでね」
アンディが我が意を得たりと早くも頷いている。
「どういうこと」
私の問いにビルは、
「僕らは難しい問題に直面するほど燃えるんだよな。で、解決するまでぶっ続けで仕事をしてしまうというわけさ」
「そうだね。1度中断すると神の声が聞こえなくなってしまいそうでね」
アンディが同調した。

私はプロのプログラマーではないが、Apple II やPET2001のBASICで様々なプログラミングを楽しんだ。そして1984年アスキー「月刊 LOGIN」主催の「アダルトソフトウェアコンテスト」ゲーム部門に応募し入選したこともあった。
Apple II 用ゲームを作ったわけだがそれはグラフィックスおよびGUIとサウンドおよびスピーチを取り入れたものだった。とあるMac雑誌の編集長が後に (これぞマルチメディアだ) と称してくださったこともあり商品化もされた。そのプログラミングの中で短い間ではあったがプログラマの性といったあれこれを思い知った経験が甦ってきたのだった。

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※1984年にApple II用のゲームとして開発しアスキー「月刊 LOGIN」主催の「アダルトソフトウェアコンテスト」ゲーム部門入選を果たした


どうしても解決策が思い浮かばずああだこうだと寝る間も惜しんで試行錯誤をするが何ともならない日が続く。かと思うと食事中や散歩をしている時にまるで神の啓示のようにフト妙案が浮かんで解決するといったことが何度もあった。ただし偉そうなことを申し上げるとダラダラとやっていては神の啓示は降りてこない。考え得るあれこれを試しつつ新たな解決策を探ることを長い時間集中してこそ気を抜いた一瞬に閃くのかも知れない。

しかし誰であっても睡眠不足は良いはずがはない。ビル・アトキンソンはこの後大事には至らなかったものの運転中に居眠りをしてしまい大型トレーラーの後部に突っ込み、運転していたスポーツカーの屋根をはぎ取られるという事故を起こした。
アトキンソンとハーツフェルドの二人はMacintosh開発にとってソフトウェア面でなくてはならない人材であり、アンディはソフトウェアの魔術師と評価されていたしアトキンソンにはあのスティーブも一目置かざるを得なかった異才の人材だった。
事実ビル・アトキンソンはAppleで最初で最後といってよいかも知れないが、プログラマーという立場で大きな地位を築いた。LisaやMacintoshの描画ルーチン(後にQuickDrawと称される)開発はもとよりMacPaintやHyperCardの開発者として知られ、天才プログラマーの称号を欲しいままにした人物となった。また特別研究員に遇され、初代アップル・フェローとなった。

そうした秀でた彼らにしてもMacintoshの完成は見通しさえつかなかった。ただただスティーブは12ヶ月でMacintoshを仕上げると息巻いていたしその要求も相変わらず性急で突飛なあれこれが続いた。なにしろあるときの会議に現れたスティーブは手に持っていた電話帳を会議テーブルの上に放り投げながらいった。
「それがMacintoshの大きさだぞ。これ以上大きい設計は許さないからな」
といいながら、
「それからモニター一体型としてもだ、横型のコンピュータはもう見飽きた。Lisaも横型だし今度は縦長のデザインを考えて見ろよ」
そう言い捨てて出て行ってしまった。
ビル・アトキンソン以下、Macintosh開発メンバー全員は唖然としてスティーブの背中を見つめていた。
その場にいた私はビル・アトキンソンに、
「ビル、難しい問題に直面するほど燃えるまたとないチャンスだね」
と両肩を上げてジョークをいった。
ビルとアンディは (あ~あ~) というようにソファーへ大げさに倒れ込んで笑い転げた。

(続く)

【主な参考資料】
・「パソコン革命の英雄たち~ハッカーズ25年の功績」マグロウヒル社
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社



[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ第1部 ー 第29話 現実歪曲フィールド

還暦も遠の昔に過ぎた男、加賀谷友彦は久しぶりに出向いた Apple銀座 のエントランスで1976年にタイムスリップし、スティーブ・ジョブズの若かりし頃に出会う。厄介なのは加賀谷が持っていたiPhone 6s Plusをスティーブが見てしまったことだ。この事実が過去と未来に悪影響を及ぼすのだろうか。そんな危惧をよそに初対面の加賀谷をスティーブは自宅のガレージに引き入れた…。そして一緒に働くことになった。
ー 優れたビジョナリーといわれたスティーブ・ジョブズ。その若かりし時代の秘密に迫る!ー
※本編はフィクションです※

■第1部 ー 第29話 現実歪曲フィールド
Macintoshプロジェクトは相変わらずスティーブ・ジョブズとジェフ・ラスキンとで主導権争いが続いていた。しかしどう考えてもラスキンに勝ち目はなかった。私もラスキンから相談を受けた手前、何とか穏便にことを納められないかと画策してみたが妙案は浮かばなかった。

まだ社長のマイク・スコットが在職していたときのことだが、ラスキンもスティーブによる数々の圧力と妨害工作を受けつつ抵抗はした。目立ったこととしてラスキンはMacintoshプロジェクトを率いる能力がスティーブ・ジョブズにはないとした10項目ほどにわたった論証を文書でマイク・スコットに提出した。1981年2月19日のことだった。
私自身はその原文を見たことがなかったが後で聞いたところによれば以下のような内容だったという。

 1)常習的に打ち合わせのスケジュールを破る
 2)考えずに行動することで誤った判断が多い
 3)他人の成果を認めようとしない
 4)感情的に反応する
 5)一見温情的であるかのようだが不合理で無駄の多い判断をする
 6)人の話を聞こうとしない
 7)約束を守らない
 8)権威主義的な決断を行う
 9)すべての見込みに裏付けがなく楽観的
 10)無責任で思慮不足
 11)したがってソフトウェアプロジェクトのマネージャーとして最悪

この内容から想像すればラスキンは以前スティーブ・ジョブズが提案したように、すなわちハードウェアはスティーブが、ソフトウェアをラスキンが担当するということでやむを得ずとはいえ納得していたように思える。

ともかく論証メモの内容をスコッティから知らされたスティーブは怒り狂った。当のスコッティはこの厄介な問題をマイク・マークラに振り自分は関わらないようにした。それは厄介な話しから距離を置きたかったというだけでなくLisaプロジェクトからスティーブを外したことでもあり、自分の裁定ではスティーブが納得しないであろうことを考えたからだ。

「トモ、ラスキンって奴は思っていた通りのクソ野郎だ。大クソ野郎だぜ。こうも真っ向から俺の悪口を書かれては黙っていられない。これからマイク(マイク・マークラ)に奴をプロジェクトから外せと言ってくるよ」
スティーブは私のオフィスのドアを勢いよく閉め、大きな靴音をさせながらマイクのオフィスに入っていった。

スティーブはこれほど正面から自分の弱点を指摘されたことはなかったこともあって事の原因はともあれ怒るのも当然だと思えた。しかし反面ラスキンにしてみれば彼がスティーブに反論できることはこうしたことくらいしかなかったのだ。
その少し前、私が受付のシェリー・リビングストンと雑談していたとき、ラスキンが近寄ってきていった。
「トモヒコさん、少しお話しがしたいんですが」
正直私はラスキンとの話しよりシェリーとバカ話をしていた方が楽しかったが、仕事だからしかたがない。

受付が見えるホールの片隅にあるコーナーに我々は座った。後ろは壁だし左右に見通しは効いたものの、通る人たちに注視をすれば我々の話を聞かれる心配はほとんどなかったからだ。それに密室で彼と話しをするという事実はスティーブへの手前避けたかったからこうしたオープンな場所は好都合だったのだ。

「ジェフ、私がアドバイスできることがなくて心苦しいけどスティーブは着々とプロジェクトを自分が率いる準備をしているようだね」
私の話をラスキンは肩を落として聞いていたが、
「あなただからいうけど、私もこれほどスティーブが狡猾だとは思わなかったです」
といい大きなため息をつきながら、
「トモヒコさん、現実歪曲フィールドという言葉を聞いたことがありますか」
無論2016年からタイムワープしてきた私はその語句や意味を知っていたが、これまでアップルの社内で聞いたことはなかった。
咄嗟に私は、
「いえ、聞いたことありませんね」
と答えていた。

「トモヒコさんでも知らないことあるんですね」
嫌みないい方ではなく、私を買いかぶっている様子が見て取れたが私は苦笑するしかなかった。
「まったくスティーブのやり方には怒りしか感じません。一言でいうなら他人のアイデアを平然と盗むんですよ」
私の無言の促しにラスキンは小声ながら雄弁に話し出した。
それによれば、スティーブ・ジョブズは他人からの提案や意見を一蹴し鼻であしらっておいて、その数日後には (素晴らしいアイデアを考えついたよ)といいながらその主張を自己のアイデアとして通すというのだ。

私自身にスティーブはそうした思いをさせたことはなかったから気がつかなかったもののMacintosh用のBASICを開発していたプログラマーのドン・デンマンやアンディ・ハーツフェルドからも同様の話しを聞いたことがあるので本当のことらしい。だからドン・デンマンいわくスティーブに認めさせたいアイデアがあったら彼に話し、ダメだと一蹴させればよい。そうすれば一週間後にスティーブ自身が (よいアイデアを思いついた) とその案を披露し採用するからという皮肉を言っていた…。

「スティーブのこの卑怯な戦法が意識的なのか、あるいは無意識な行動なのかは分からないんですが私たちはこれを “現実歪曲フィールド” と呼んでるんです 」
ラスキンは (この後でマイク・マークラに呼ばれている)といいながら、(愚痴を聞いてくれてありがとう)と席を立った。このとき “現実歪曲フィールド” という名付け親はジェフ・ラスキンなのかと思ったが、後にアンディ・ハーツフェルドからバド・トリブルの命名だと聞かされた。

しかしスティーブを擁護するわけではないが、物事を見極めビジョンを具現化する道のりは単純ではない。スティーブにしても思いついたあれこれを翌日には否定することで知られているが、要はひとつの考えに執着する危険性を廃し、可能な限り様々な可能性を求める姿勢のために他人の意見をも躊躇なく取り入れる結果なのかも知れない。
無論最初その意見をいった本人からすれば自分のアイデアを奪われたと思うだろうし結局そうなのだが...。

私が (やれやれ) とため息交じりの重い気持ちで立ち上がったとき、受付にいるシェリーが手招きしているのに気がついた。
「ため息はいけないな…(ため息は命を削る鉋かな)という川柳かなにかがあったな」
私は自虐的ないいかたをしながらシェリーの前にいくと彼女はどうやら私の振る舞いを見ていたようで、
「話しは聞こえなかったけどジェフの話しはあの件しかないわよね。だけどトモ、あなたが気落ちする問題ではないわよ。それに、スティーブはもとよりだけどジェフも自尊心の強い人よね。いずれは衝突するということは誰が見ても明らかよ。両雄並び立たずってことだからトモが気を遣う問題ではないのよ」
となぐさめてくれた。

ちょうど外出先から戻ってきたロッド・ホルトが受付カウンターに両肘をついてシェリーと話しをしている私を見ながら、
「お二人さん、仲がいいねぇ」
ウィンクしつつ茶化しながら奥に入っていったが周りにほんのりとキャメルの香りが漂った。

そういえば “現実歪曲フィールド“ の意味だが、ジェフ・ラスキンやバド・トリブルらがいうところのニュアンスと私がワープする前、2016年あたりに意味していたものとはかなり違うことに気がついた。
理屈から考えれば「フィールド(field)」とは電場・磁場・重力場などの「場」を意味すると考えられる。そしてその前に「現実歪曲」と付くのだから文字通りその意味は「現実や事実を歪めてしまう場」といった意味になる...。
したがって近年私たちが認識している「現実歪曲フィールド」とは、スティーブ・ジョブズの持つカリスマ性が現実世界に及ぼす影響力を意味する言葉であり、不可能を可能にする交渉力といったニュアンスで使われていたはずだ。
例えば (ジョブズの現実歪曲フィールドが発動するや否や、一瞬で無理が有理に変化した…) などと使われるように。しかしラスキンらの話しではよい意味というより、人のアイデアを自分のアイデアとして転化し、ごり押しをすることだというニュアンスだったのだ。

そんなことを考えながら自分のオフィスのドアを開けようとしたとき、ひとつ離れたオフィスのドアが開きマイク・マークラが渋い表情をして手招きしていた。
今日はよく手招きされる日だと苦笑しながら私はマイクのオフィスに入るとそこはタダならぬ雰囲気だった。マイクの他、スティーブ・ジョブズと先ほど話したジェフ・ラスキンが睨み合っているではないか。

「トモ、頼むから君もこの場にいてくれないか。俺ひとりじゃ収集がつかないからな」
私が同席すれば少なくともスティーブはそうそう無茶なことはいわないだろうというマイクの思惑だったようだが、哀願するような顔でいわれたからには仕方なく空いている椅子に座った。マイクは自分の席に座りながら、
「二人の話を聞き、解決策をと考えているんだが話しが拗れすぎてしまったよ」
と私に向かって呟いたが、どこか諦めの気分が漂っていた。
ジェフ・ラスキンも私に視線を向けつつ、
「会長のスティーブとこうしてやりあって分が悪いことは私でもわかります。しかしスティーブのやり方はフェアではないし企業のトップがやるべきことではないでしょう。もっと正々堂々とプロジェクトのリーダーになりたいのなら正攻法で責めるべきです」
と口火を切った。
スティーブはと見ればすでに涙目になっている。どうにも彼は子供っぽいところがあり、自分の思うようにならないとすぐ泣くというのがスティーブの特技だと皮肉る人もいた。

ラスキンは、
「まずスティーブは人間として約束を守らなければなりません。自らハードウェアは自分が、ソフトウェアは私にと宣言したのにもかかわらず次第にソフトウェアにまで口を出すそのやり方は許せません」
一息入れて続けた。
「それに皆さんご存じのようにMacintoshプロジェクトは私が立案し私がスコッティやマイクの許可を受けて始めたものです。理由もなく誰にしても横取りされる覚えはありません。ましてや私の仕事自体までをも邪魔するというのではApple会長の名が泣くでしょう。こんな状態では私は一日たりともスティーブと一緒に仕事はできません」
「俺だってそうだ…」
スティーブも言い張ったがその言い方はどこか弱々しかった。

マークラの決断は予想されたものだったが、彼の立場からすれば他の選択肢はなかったに違いない。1時間ほどのミーティングが終わったときMacintoshプロジェクトのリーダーはスティーブ・ジョブズの手中にあった。マイクもこれが公正な決断であるとは思っていなかっただたろうが、社内のもめ事をこれ以上大きくさせ長引かせるわけにはいかなかった。
ラスキンには一週間の休暇しか与えられなかったしこれまでの苦労に対する賞賛の一言もなかった。肩を落としたラスキンは私の方にチラッと視線を送りながら会釈し静かにマークラのオフィスを出ていった。
休暇から戻ったラスキンには新しい研究部門のリーダーというポジションが提示されたが、ラスキンにとっては魅力のあるものではなかった。どうせ注目を浴びるプロダクトを考え出せばまたスティーブがずかずかと乗り込んでくるとも考えた。

結局翌年の1982年3月、ラスキンはAppleを去った。そして生涯アイコン操作のGUIよりも優れたインターフェースがありうるとし、かつMacintoshのコンセプトは自分が考えたものだという主張を繰り返したがすでに見てきたように製品化されたMacintoshはラスキンのコンセプトとはまるで違ったものだったしことの是非はともあれ、それは誰が見てもスティーブ・ジョブズのマシンだった。

(続く)

【主な参考資料】
・「パソコン革命の英雄たち~ハッカーズ25年の功績」マグロウヒル社
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
・「アップル・コンフィデンシャル 2.5J」アスペクト刊



[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ第1部 ー 第28話 巨人の足音

スティーブ・ジョブズは稀代のビジョナリーであり、未来のテクノロジーを時代の最前列で考え見つめてきたといわれている。しかしその陰には2016年12月6日、アップル銀座のエントランスから40年前のカリフォルニア、ロス・アルトスにあるスティーブ・ジョブズ家のガレージ前にタイムワープしたひとりの男の存在があった。
ー 優れたビジョナリーといわれたスティーブ・ジョブズ。その若かりし時代の秘密に迫る!ー
※本編はフィクションです

■第1部 ー 第28話 巨人の足音
Appleは忙し過ぎた。1980年から1981年初頭は株式公開、Apple IIIの失敗、魔の水曜日、ウォズの飛行機事故そしてApple最初のCEO マイク・スコットの辞職と大揺れのAppleだった。しかしApple II の売上げが依然としてAppleを支えていた。ウォズがただただ好きでやった仕事の結果のApple II が...。

ちなみに少し先の話だがそのウォズは1981年の秋には大学の4年の課程を終えるため、カリフォルニア大学バークレー校に復学するという。ただしスティーブ・ウォズニアックとしてではなく、学生たちや教授陣の特別な目を避けるため仮名で復学を計画していた。そしてAppleはといえば41名もの解雇者を出したその後、あらたに多くの社員を新規に採用し心機一転の心意気を見せようとしていた。

そんなある日、私が自分のオフィスに戻ろうとして受付前を通ったときシェリー・リビングストンがカウンターに入ろうとしているところに出会った。
「あら、トモ…まさかあたしを見て素通りする気ではないわよね」
快活なシェリーは私の反応を待たずに、
「トモ、今日は素敵なスーツ姿ね。どうしたの、そのまま結婚式にも出られるわよ」
「ジジイをからかってはいけないよシェリー」
私も少し無駄口をたたきたかったので受付カウンターに片肘を置いてシェリーに向き直った。
幸い周りにはだれもいなかった。

「だってスーツ姿で会社にくる人などここには数えるほどしかいないから目立つのよ」
「確かにね。爺さんになると姿形くらいピシッとしていないとシェリーにも嫌われるからさ」
私は自分の子供といってもおかしくない年齢のシェリーに笑いながら冗談をいった。
実際仕事とはいえ、スティーブはもとよりマイク・マークラらとの会話は気が抜けない内容ばかりだったから、たまにはこうして軽口をたたきたい気分になる。それにスコッティの退職やウォズの飛行機事故などのあれこれでシェリーと接する機会も多くなりこうしてお互い冗談をいえる間柄になっていた。

「あら、ご謙遜なこと。しかしこの本社にいる経営陣の中では確かにトモは一番年上よね。だからこれまた目立つのよ。ここは若造のたまり場だもの」
自分の言い方がおかしいのかシェリーは小さな声を出して笑った。
「私は経営陣ではないよシェリー、単なるCIOに過ぎないよ」
とことわりつつ、
「でもそうだねぇ。ロッドより私は一回り以上の年上だからApple唯一のジジイかもね」

「でもさあ...トモ」
シェリーはどうしたのか急に声を潜め、周りを確認してからいった。
「トモ、あなた自身は気づいていないようだけど私の知っている大方の人は例のセミナー以降、皆あなたに一目置いてるのよ。奴を侮ってはならないと…」
私に向けられた真剣な視線をまともに受け止められずにその視線を外しながら、
「確かに私はCIOというよりいまだにスティーブ直属のただ1人の人間だからね。それを別にしたらやはりただのジジイだよシェリー」

「そうよねぇ。あなたって私と一緒にマニュアルをタイプしてくれたし、他の人と争ったところを見た事もないわ。まあそれがここでは特別なのかな」
自分の言葉に納得したのかシェリーは笑顔に戻った。
「でもね、トモ。あなたはこのAppleの他の連中とは違った時代を生きているような、すべてを見通している目をもっていると皆はいってるわよ」
訝しい顔を向けた私にシェリーは、
「例えばランディやダンも...そうロッドもいってたけど、あなたの言うことって正確で的確だから怖いって。それにPARCから来たラリー・テスラーもあなたを気に入っているようね」
私は少々ドキッとしたが、
「違った時代か。シェリー、それは私がここで浮いている証拠だよ。それに単に年上だから皆ジイサンに優しいのかも知れないね」
「それに、男ばかりに興味を持たれても面白くないな」
私はそう笑うとシェリーは真顔になり、
「いえ、トモもすでに話したことがあるようだけどMacintoshプロジェクトにいるジョアンナ・ホフマンもあなたに興味津々だったわよ」
「年寄りをからかうものではないよシェリー」
わざと大声を出しながら受付カウンター前を後にした。

直後、ランディ・ウィギントンに呼び止められた。
「トモ、丁度良いところで会ったよ」
「ランディ、元気そうだね」
私の挨拶も面倒だという感じてランディは顔を近づけていった。
「トモ、覚えてるかい。2年ほど前になるのかなdisk II の検証時にさ、フロッピーディスクの片側に切り込みをつけて裏返しにすれば143KBが倍使えるとあなたが教えてくれた件だけど」
「もちろん覚えているよ。便利にしているかい」
「いや、ビル・フェルナンデスらとも話したんだがトモって凄いなあと...」

私は何のことかが分からないので困った顔をした。
「あのさ、フロッピーディスクの裏側も利用するのは良いけどナイフやハサミだと失敗するときもあるといったらあのときトモは (そのうち安全に同じことが出来るツールが出てくる) と言ってましたよね」
「ああ、それがどうしたの」
私にはまだ話しの流れが分からず問い返した。
「いや、先日コンピュータ関連の周辺機器を作っている人と知り合ってさ、たまたま聞いたんだけどトモが予言したツールが “Nibble Notch” という名で売り出す計画を立ててるというんだ。雑誌への広告も年末までには出したいっていってたんだ」
「なるほど、そんなことか」
私は話しが見えたので安心して答えた。
しかしクリスは私の予言が当たったと嬉しそうな顔をしている。
「クリス、あれは予言ではないよ。世の中同じことを考えそれをビジネスに繋げようとする人たちが必ず出てくるという意味さ。だから予言ではなく予測、悪く言えば当てずっぽうだよ」
まだなにか言いたそうなランディを残して私は笑いながらオフィスに向かった。

自分のオフィスに戻る短い時間でふと考えた...。もし私がこのまま元の時代に戻れなかったら、いや戻れたとしてもAppleの歴史というか軌跡に私という人間がいたことが記録に残されるのだろうかと。いや、もし (私には幸いだが) 元の時代に戻れたとしたら、いまここにいるスティーブやシェリー、ランディたちの記憶の中にトモヒコ・カガヤというジジイの記憶は消されてしまうのだろうか。そう考えるとちょっと虚しくなってきた。

自分のオフィスに入る前にちょっとした報告をしようとスティーブのオフィスを覗くとスティーブ・ジョブズとマイク・マークラがいた。2人とも機嫌が良いみたいで「お帰り」と声をかけてくれた。
「どうしたんですか、お二人とも今日はいい顔してますよ」
私がいうと、マイク・マークラは少し恥ずかしそうな表情になったが、
「スコッティが抜けた後の新しい人事がきまったんだよ、トモ」
というと隣のスティーブ・ジョブズも満足そうに笑顔を向けた。なかなかこうした和やかな場は近年のAppleにはなかったので私は少々訝しい顔をしたのかも知れない。

それを察したのかマイクが戯けたように、
「シリコンバレーの名士殿が26歳の若さでAppleの会長になられたんだよ」
その物言いを受けてスティーブは
「マイクがCEO就任を受けてくれたんだ、トモ」
「それはおめでとうございます。マイク...そしてスティーブ」
私は2人の手を順番に握った。要は新しいAppleの社長がマイク・マークラ、そしてスティーブ・ジョブズは会長に就任したのだ。

マイクは、スティーブの机上にある電源が入っていないApple II のキーボードを指で押しながら、
「僕はこうした役割には就かないと決めていたんだが、残念ながらいまは適当な人がいないようだ。スティーブと話し合ってきたんだがあくまで暫定的な措置なんだよ」
言い訳をいいながらもマイクはどこか嬉しそうだった。そして、
「スティーブとも意見が一致したんだがApple III の苦い教訓から研究開発費も大幅に増やすことになる。なによりも世界がびっくりするようなコンピュータを作らなければな」
スティーブもマイクの発言を受け、
「そうだよマイク、俺たちが素晴らしい製品を開発できる実力があることを立証しないといけないんだ。Macintoshがまさしくそのプロダクトになるんだ」

「万々歳じゃあないか」
私も明るいAppleが好きだ。Appleの2人の雄が一緒に和気藹々未来に向け建設的な話しをしているのを聞くのは久しぶりだし心底嬉しかった。だから自然に拍手をしていた。
スティーブは私の拍手を笑顔で制止しながら、呟いた。
「トモ、しかし手放しで喜んでいる場合でもないんだよ」
私にはいま彼らが心配していることが分かっていた。この時期Appleが自社の計画を遂行していくなかでひとつの壁が見えてくることは歴史が証明していることだった。

私の表情を見て取ったのかマイクは、
「なんか、トモはすでに分かっているようだなスティーブ」
と声を出した。
スティーブ・ジョブズは苦笑いしながら
「トモは未来が分かる男だからな」
とふざけてみせた。

スティーブとマイクの顔をみながら私はいった。
「IBMの参入だね」
「承知のように我々はIBMがパーソナルコンピュータ市場に参入してくることは早くから予想していたことだ。いまさら驚くことではないがLisaを早く完成させないとならんな」
マイク・マークラが真顔でいった。
「いや、出荷はMacintoshの方が先になるよ」
スティーブは口を尖らせていったが続けて、
「確かにIBMはコンピュータの雄だよマークラ。だけどあの巨大企業にパーソナルコンピュータの粋が分かってたまるものか。どうせクソな製品しか出てこないよ」
相変わらずのスティーブの弁だった。
しかし歴史の結果を知っている私はその巨人IBMの足音が遠くから聞こえるような気がした。
「でも絶対に侮ってはいけませんよ」
と思わず強い口調で答えたが、2人にあまり緊張感は感じられなかった。

IBM PCは1981年8月に発表されたが、その際Appleは余裕を見せるつもりだったか "Welcom IBM" と題した広告を掲載した。

Welcome,IBM. Seriously.
Welcome to the most exciting and important marketplace since the computer revolution began 35 years ago. And congraturations on your first personal computer. Putting real computer power in the hands of the individual communicate and spend their leisure hours. Computer literacy is first becoming as fundamental a skill as reading or writing. When we invented the first personal computer system, we estimated that over 140,000,000 people worldwide could justify the purchase of one,if only they understood its benefits. Next year alone,we project that well over 1,000,000 will come to that understanding. Over the next decade ,the growth of the personal computer will continue in logarithmic leaps. We look forward to responsible competition in the massive effort to distribute this American technology to the world. And we appriciate the magnitude of your commitment. Because what we are doing is increasing sosial capital by enhancing individual productivity. Welcome to the task.
Apple Computer.

「ようこそIBM様。コンピュータの革命が35年前に始まって以来、最もエキサイティングで重要な市場へようこそ。 貴社初のコンピユータ発売にお祝い申しあげます...」


に始まるAppleの広告は話題性こそ大きかったがその余裕、状況軽視が仇になり急速にシェアをIBMに奪われていった。

(続く)

【主な参考資料】
・「パソコン革命の英雄たち~ハッカーズ25年の功績」マグロウヒル社
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社


[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第1部 ー 第27話 コーブンに会う

スティーブ・ジョブズは稀代のビジョナリーであり、未来のテクノロジーを時代の最前列で考え見つめてきたといわれている。しかしその陰には2016年12月6日、アップル銀座のエントランスから40年前のカリフォルニア、ロス・アルトスにあるスティーブ・ジョブズ家のガレージ前にタイムワープしたひとりの男の存在があった。
ー 優れたビジョナリーといわれたスティーブ・ジョブズ。その若かりし時代の秘密に迫る!ー
※本編はフィクションです※

■第1部 ー 第27話 コーブンに会う
「トモ、ちょっと頼みがあるんだが…」
久しぶりに休暇が取れた日曜日の午後、私の自宅をスティーブが訪れた。
そう言えば彼が我が家を訪れたのは引越直後にお祝いを持って現れてからは初めてだった。

スティーブの豪邸とは比べものにはならない小さな借家だったが、私はそのお気に入りのリビングルームに彼を誘い入れた。
「おい、俺ははじめてみるが、これは君の奥さんかい」
小さなフレームに入れてテーブルの端に置いてあった女房の写真に気づいてスティーブは聞いた。
「ああ、たまたま名刺入れに若い時の写真が一枚入っていたのに気づいてね…」
「ふうん。子供みたいに見えるな...可愛くてさ」

スティーブ精一杯の世辞なのだろうが、私が反応する間もなくソファーに座り込んで話し始めた。
「トモ、休みなのに悪いがまずは君が仏教とか禅についてどう考えているのか教えてくれないか」
スティーブは真面目な顔をしていった。

確かに私は日本人だが、あらためて日本文化とか仏教や禅といったことを急に話題にされてもきちんと勉強したわけではないので実に心許ない。
「スティーブ、君が仏教とか日本文化について興味を持っていることはよく知っているけど私は単に日本人というだけで詳しくないから雑談しかできないよ」
私は最初に言い訳めくが釘を刺しておいた。
「ああ、それでいいんだ」
スティーブはリラックスした姿勢をしながら窓の外を眺めた。
「相変わらずひとり暮らしで何もないけど、ワインでもあけようか」
私は先週買いだめした赤ワインのボトルとワイングラス2つを持ってきてスティーブの前にあるテーブルに置いた。
グラスが汚れてないかを確かめながら私は、
「何が知りたいの、スティーブ」
と聞いた。

「トモ、君は俺がコーブン(知野弘文=乙川弘文)を禅の師と仰いでいることは知ってるよな」
「知ってるよ。前にも聞いたことがあるしスティーブ、君が知野さんを知ったのは確か私が君のガレージ前に現れた年の数ヶ月前だったみたいだね」
「うん、禅センターに行った時に知り合ったんだ」
スティーブは私がワインをグラスに注ぐのを待ちきれないかのように手を出した。

「久しぶりに近々そのコーブンと会う約束をしたんだけど、トモ...君も一緒に来てくれないか」
スティーブはあの人を射貫くような視線を一瞬私に向けたが、すぐに穏やかな表情に戻った。私は何だか禅や仏教を勧誘されているみたいでこそばゆい感じをしつつ、
「それはかまわないが、私を誘うなにか意図があるのかい」
思ったことをストレートに言ってみた。
スティーブと四六時中付き合ってきたが、彼に対して日本人特有の遠慮はすべきでないことを勉強したし、スティーブ自身も曖昧な物言いを好まなかったから極力ストレートに発言するよう心がけていた。

「いや、まさか君に禅を勧めようというんではないんだ」
私の考えたことが分かったのかスティーブはワイングラスを目の高さまで上げて、
「いつかコーブンと電話で話したとき、トモのことが話題になったんだ。彼が君と会ってみたいというんだ」
そういいながら一杯目を飲み干したスティーブは自分のグラスに自身でワインを注いだ。
私は自分が苦笑したのをスティーブに知られないようにと顔の向きを変えたが、
「嫌かい」
スティーブは私の心を読んだかのようにいう。

私はスティーブの真正面に椅子を向けて彼の視線を跳ね返すように話し始めた。
若い頃に私は宗教といったものの魅力と怖さを知った。スティーブがそうだったように自分という人間は何者であるのか、どのような人生がこれから待っているのかを知りたくて、というより自分の未来に大いなる不安を抱いて聖書を読んでみたり弘法大師空海の生涯を追ったりした時代があることを話し始めた。
要はどのような宗教もそれを信じた人と信じられない人の間には大きな壁ができること、特定の宗教の信者になったために人格が変わった人も見てきたこと。本人が幸せならそれでよいのかも知れないが、仏や神に依存しすぎ、ましてや新興宗教にのめり込みすぎて家庭まで壊した人を見聞きしてきただけに宗教とて人生万能の薬ではないと肝に命じていることを話した。

「なにかを信じることは悪い事ではないけど、そのために他の世界が見えなくなったり人の意見に耳を傾けないのでは何の為の宗教なのかと思うんだ、スティーブ」
両手の指先を合わせながらスティーブ・ジョブズは私の話を黙って聞き続けた。
「スティーブ、私は君に説教をする気はさらさらないけど、人生の師は決して僧侶だけではないと思うんだ。無論両親や学校の先生、ビジネスの先輩たち、近所の老人たちもそうかも知れないし時には友人たちこそが自分にとって人生の師でありうるときもあるんじゃあないかな」
私はまだ口をつけていなかったワインをひとなめして続けた。

「特に僧侶という立場は我々凡夫にとって、ああ “凡夫” って意味分かるよね」
スティーブは頷いた。
「しかし僧侶という立場は我々凡夫にとって学校の教師や近所の老人、友人たちとは比較にならない影響力を持っているんだ。なにしろ僧というのは本来仏教の戒律を守る、男性の出家者である比丘、女性の出家者である比丘尼(びくに)の集団のことを意味するから職業でもない…。そして一般人には絶えられないきつい修行を続け人の欲望をコントロールでき人生の意味といったことを悟っているというのがあるべき姿だよ。だからこそ人々に尊敬されるわけだし、我々は僧侶を大学の先生に対するのとは違った立場で相対するわけだね」

スティーブは穏やかな微笑をたたえながらいった。
「トモ、君は僧侶が嫌いなのかい」
私は明確な言葉でそのことを言わなかったが、私の意図をスティーブは理解したようだ。
「トモ、君の僧侶や宗教に対する危惧は俺も分かってるつもりさ。僧侶とて人間だし食事もすれば宗派によるようだが女も抱くだろう。だけど俺の知らない世界を知っていることも事実さ」

ワイングラスを見つめながらスティーブは、
「それに俺は一時期、日本に行って僧侶になろうとしたこともあったしダンと一緒にインドまで行ったけど正直宗教やスピリチュアルなあれこれには幻滅して帰ってきたんだ。だから俺は仏教をそのまま信じているわけでもないんだ。そうそう、俺の考え方が間違っているのかも知れないが俺にとって禅は宗教というより心身共に自分を磨き上げるメソッドだと捉えているんだ。禅に魅せられたのは知的理解よりも体験に価値を置いていたからなんだよ」
一気に話したスティーブはソファに座り直して続けた。

「前にも話題にしたが俺も仏教に関する本を大学の図書館で読みあさったよ。『あるヨギの自叙伝』『宇宙意識』『タントラへの道』『仏教と瞑想』そして『禅マインド ビギナーズ・マインド』などかな」
さすがに複数の著名をすらすらと話すスティーブだったからそれらを本当に熟読したんだろうとあらためて感心した。
「しかし、だ。トモ、俺は知的理解...そうだな、頭でいくら理解しても実践なくしてなにも変わらない変われないことを思い知ったよ。いくら本を読んでもそれだけでは現実は変わらない。その点禅は実践を重視するだろ、そこに科学的なニュアンスを感じたんだ。その頃の俺に一番足りなかったのは知ることではなく体で体験することだったんだ。どうだ、おかしいかな」

「そうだなあ、私には明言する資格はないけど禅ももともと禅宗といって坐禅を基本的な修行形態とする宗教だよね」
私は若いときに興味本位で知った裏覚えの知識を絞り出しながら話しを続けた。
“禅” とはもともとサンスクリットの dhyāna(ジャーナ、パーリ語では jhāna)の音写であり、音写「禅那(ぜんな)」の略である。さらに禅那を今風に和訳すれば “瞑想” ということになる。
「ただし受け売りだけど、禅はまさしく体験によって伝えるものこそ真髄だとする “不立文字(ふりゅうもんじ)” を強調するから、瞑想と禅は別物だというのが専門家の通例のようだね」

スティーブは私に言われなくとも禅の歴史やその成り立ちに関しても知っていたから話しそのものは難しいものだったがお互いに理解はできた。
私は小腹が空いてきたのでワインに合いそうなスナックを取りだしてテーブルに置いたが、スティーブは見向きもしなかった。

「スティーブ。これは私がワープしてきた2016年当時の情報だが、禅というより...瞑想には科学的な “効果・効用” があることが証明されたらしいよ。無論昔から精神統一に良いとか呼吸法が健康に役に立つといった話しは多々あったけど、アメリカの研究者がいくつか重要なことを発見したというテレビ番組を見たよ。確か “マインドフルネス” というんだが...」
私が口にしたスナックを横目で見ながらスティーブは (体によくないよ) とでもいうように両肩を上げた。

「最新の脳科学の研究で宗教性を廃したマインドフルネスは脳を改善し鬱病の再発防止やビジネスにおいても効率をアップさせる効果があることが証明されたらしいね。とはいえスティーブ、禅も仏教ならその究極は悟りを開くことが目的だろう。しかし君は禅から何を学ぼうとしているの」
スティーブは少し考えた後で笑いながらいった。
「そうだな、最初はともかく自分の気持ち、心を落ち着かせたいと思っただけなんだ。当時の俺は常に心穏やかでないガキだったからな。しかし正直にいえば、俺は当時何かにすがりたかったんだ。だから『禅マインド ビギナーズ・マインド』の影響を受けてロスアルトス禅センターに行った時にコーブンに出会ったんだよ。俺にとっては実に神秘的でさ、今まで出会ったことのない類の人だと思ったよ」

私はその頃の彼の心の葛藤を分かるような気がした。自分の来し方と未来が果たしてどうなのか。自分が何者で何を成すべきかも分かっていない若者がなにか拠り所となるものが欲しかったに違いない。
スティーブと2人だけで長い話しをするのは久しぶりだったが、数日後に彼と禅センターに同行することを約束して別れた。
帰り際にスティーブは真面目な顔で、
「だけどトモ、よい機会だから白状するけど、俺にとっての一番の師は...トモ、君なのかも知れないな」
そんな呟きを残してスティーブ・ジョブズは帰っていった。車の爆音を響かせながら。

一週間後、スティーブも久しぶりのようだったが彼の車に乗り一緒に禅センターに向かった。カリフォルニアの空は絵はがきの写真みたいに青かった。
知野弘文は小ぎれいな袈裟を纏い、両掌を組みながら笑顔で我々の前に現れた。
写真を見て想像していたとおり小柄な人だったが全身から活力がみなぎっているように感じられた。私はどう挨拶してよいか迷ったが右手を差し出しながら「加賀谷友彦です。お目にかかれて光栄です」といった。
知野は「ようこそ、おいでくださいました」と独特なイントネーションの日本語でいいながら軽く合掌した後に私の手を力強く握った。
「ここで日本の方に会うのは久しぶりです。スティーブから貴方のことを聞き一度お会いしたいと思っていました」
と今度はスティーブにもわかるようにとの配慮かブロークンな英語でいいながら、
「こちらへ」
私たちを日本間でもなければ洋風でもない質素な一室へ誘った。

どうやらコーブンは私の年齢が気になったようだ。Appleの社員としては確かに異例の高齢者であることは間違いないし、そうした人材を何故スティーブ・ジョブズが気に入り全幅の信頼をしているかに不審を持ったらしい。もしかしたら怪しい人物に丸め込まれているのではないかと危惧したのかも知れない。
とはいえまさか (私は2016年の未来からタイムワープしてきた人間です) と白状するわけにはいかない。第一スティーブとの約束ごとでスティーブの承諾なく本当の事を話してはならないと決めていた。そもそも本当の事をいったところで頭がおかしいジジイとしか見られないだろうが。

私といえば反対にスティーブが信奉するコーブンという僧侶とは実際どのような人物なのか、スティーブがなぜそんなにも高く評価しているのかを見極めたいとその場に挑んだ。知野弘文=乙川弘文が曹洞宗の僧だということ、スティーブとの関係については日本で出版された「ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズ」などから知ってはいたが私の知っている情報はそんな僅かなことだけだった。

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※ケイレブ・メルビー原作/ジェス3作画/柳田由紀子訳「ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズ」集英社インターナショナル刊表紙


コーブンとの話しは小一時間も続いたが、この初面談はスティーブの期待外れだったかも知れない。何故なら話題は禅とか仏教のことより音楽だったり映画の話題だったり、あるいは初めて渡米したときの戸惑いといった取り留めのないものとなったからだ。
特に初めてアメリカの土地を踏んだときのカルチャーショックについては話しが合った。

「私が初めてアメリカに来たのは1967年でしたが、カガヤさんの初渡米はいつだったのですか」
私はいきなりコーブンに問われて一瞬ドギマギした。それは私の初渡米は1987年のことだったからで、この年より6年も先の話だからだ。うっかり思ったことを口から出してしまえば大きな矛盾が露わになってしまうが、そうした点には最新の注意をする癖というか習慣がついていたので、
「オーディオ関連の仕事でスティーブに会う前に初めてアメリカを体験しました」
と誤魔化した。

幸いコーブンはそれ以上話しを突っ込まず話題は初渡米での言葉の不自由さは勿論、レストランで注文し出てきた料理の量が多すぎて困惑したこと、チップ社会に慣れるまでギクシャクしたことなどなどの思い出話となった。
特にコープンは私がボストンの日本食レストランで揚げ出し豆腐を食べていたとき、隣の客から (それはなんだ) と聞かれ、上手く説明ができないため (豆腐の天ぷらだ) と説明した話しや、ニューヨークでラーメン屋を見つけ嬉々として入ったまではよかったが、店内が日本的だったからか同行の一人が思わず (味噌3つに醤油1つね ! ) と日本語で注文したものの (Excuse me.....) と言われた話しに声を上げ手を叩いて豪快に笑った。しかし常にその目は冷静さを欠いていないように思えた。

後で思い返すとコーブンは私の持っている僅かなわだかまりを察し、意識的に仏教とか禅の話しを避けたのかも知れないと気がついた…。
このとき、スティーブ・ジョブズはまだ26歳であり、知野弘文も43歳だったが私は彼らとは年代がまったく違う年寄りだった。だからか、その私の目から見て、1人の日本人から見て知野弘文はどう見ても普通の僧侶であり特別な存在には思えなかった。
私の印象はといえば、コーブンは袈裟こそ着ているものの、話しのとおりの人物であるなら合理的な考え方をする人のように思えたし、かつ世俗というものをすべて肯定するようなその物言いに僧侶というより話術が巧みな優秀なビジネスマンのように思えた。

帰り際にコーブンは、
「スティーブ、カガヤさんを連れてきてくれてありがとう。この人は私の知らないことを沢山体験しているように感じる大変興味深い方だね」
といいながら、私に向かって合掌しつつ、
「また機会を作ってスティーブと一緒に来てください。楽しみにしています」
といいながら、コーブンは如才なく駐車場まで送ってくれた。

とはいえ暫くぶりにコーブンと会ったスティーブ・ジョブズの表情には喜びが溢れていた...。
なにしろ出会った当初、スティーブは日本に行き永平寺の門を叩いて僧侶になろうと真剣に考えていたというが、コーブンが「結局は禅の修行も事業も同じだ」と説き日本行きを断念させたことがあったという。
確かに、それが本当なら知野弘文の物言いが少し違っただけでスティーブ・ジョブズは禅寺に入りAppleという企業は残らなかったに違いない。

(続く)

【主な参考資料】
・「パソコン革命の英雄たち~ハッカーズ25年の功績」マグロウヒル社
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
・「ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズ」集英社インターナショナル社
・「ジョブズ伝説」三五館社


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appletechlab

Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員