[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第1部 ー 第24話 Lisa誕生前夜

スティーブ・ジョブズは稀代のビジョナリーであり、未来のテクノロジーを時代の最前列で考え見つめてきたといわれている。しかしその陰には2016年12月6日、アップル銀座のエントランスから40年前のカリフォルニア、ロス・アルトスにあるスティーブ・ジョブズ家のガレージ前にタイムワープしたひとりの男の存在があった。
ー 優れたビジョナリーといわれたスティーブ・ジョブズ。その若かりし時代の秘密に迫る!ー
※本編はフィクションです※

■第1部 ー 第25話 Lisa誕生前夜
一般的にLisaという画期的なプロダクトはスティーブ・ジョブズらがゼロックス社のパロアルト研究所(PARC)を訪れ、そこで見た暫定ダイナブック...すなわちAlto上で走るSmalltalkのデモを見て触発され開発がスタートしたという話しが知られているが、これは文字通りには正しくない。
何故ならそもそもPARC訪問は1979年末だったが、Lisaという開発コード名でプロジェクトがスタートしたのは同年初頭のことだからだ。

またLisaという名に落ち着くまでには Apple III、Apple 400あるいはLisa 400といった案も根強かったが結局シンプルなLisaに落ち着いた。
それはApple II に縛られないまったく新しいコンピュータを作りたいというスティーブ・ジョブズの考えに基づいた計画だったが、当初は標準的なインターフェースを持った...GUIもなければマウスもない伝統的なコンピュータとして考えられていた。

そのLisaプロジェクトがゼロックス社パロアルト研究所(PARC)訪問後にGUIを持つコンピュータ開発に変わっていったのは自然なことだったに違いない。何しろスティーブ・ジョブズはAltoを見て「人生で最良の物を見た気がするし理性のある人なら、すべてのコンピュータがやがてこうなることがわかるはずだ」と言い放ったからだ。
それらに伴いAppleも新しい人材が必要だった。そしてLisaを完成させるために "宇宙をへこませるために" 個性豊かで異能の持ち主たちがAppleに集まりつつあった。

その頃、スティーブの口から出る言葉には "Lisa" というワードが入らないことがないくらいだったが、私を含めて周囲の人間たちは "Lisa" という名はスティーブが頑なに父親であることを拒んできたクリスアン・ブレナンが生んだ娘の名だと知っていただけになんとも奇妙で口に出しづらかった。しかし当のスティーブは平気だった。

社内でも意見や思いは複雑に交錯していた。無論スティーブ・ジョブズはブレナンが生んだ娘の名であることを認めたわけでもなかった。そしてあのウォズも奇妙なことに同意見だった。
「Lisaがジョブズの私生児の名から取った命名というのは事実ではないんだ。あれは別のキーパーソン、そうケン・ロスミュラーの娘の名から取ったんだよ」
ウォズがなぜこんなガセを信じたのか、あるいは意図的にスティーブをかばおうとしたのかは分からないが、頑なにそう主張していたのは確かだった。
しかし当のロスミュラーは、
「ばからしい話しさ。スティーブほど自尊心の強い男が大切な新プロダクトの名に他人の娘の名をつけるはずはないだろう」
苦笑いしながら私に説明してくれた。その後、ロスミュラーは協力的でないことを理由に解雇されるはめになったが一部ではLisaの名を巡る確執が原因なのではないかとも噂された。そういえばLisaプロジェクトのリーダー、ジョン・カウチの娘の名だといった噂もあったりして混乱していた。

実際ロスミュラーの娘の名はLisaではなかったし、ともあれAppleとしては他の命名をとコンサルタントに依頼もしたが、すでにLisaという名はマスコミに広く行き渡っていたからレジス・マッケンナ・エージェンシーの案で「Local Integrated Software Architecture」の略だと報道されていた。無論それを信じるものなどApple社内ではひとりもいなかったが。

そのLisaプロジェクト開発はPARCでスティーブ・ジョブズらにAltoの紹介をしたラリー・テスラーと同僚たちなどがAppleに入社したことで加速したが、ここでもスティーブの言動がプロジェクトの進行にマイナスの影響を与えると考えたスコッティによりスティーブは早々Lisaプロジェクトから外され、かわりにジョン・カウチがリーダーに任命されたのだった。
この一件でもスティーブとスコッティはバトルを繰り返すことになる。

スティーブは私と二人っきりになると愚痴が多くなった。
「Lisaは発案からコンセプトをまとめるまですべて俺の努力の賜だぜ、トモ。そうだろう」
両手を振り回しながらスティーブは悔しそうに喋りまくった。
「スコッティの野郎は、俺にAppleのスポークスマンに徹しろといいやがる。このままではLisaもApple III の二の舞になるぜ」
私はそもそもスコッティがApple III の二の舞を恐れてスティーブをLisaプロジェクトから外したことを知ってるだけに笑いを押さえるのに苦労した。

ただし現場の雰囲気はスティーブが考えているものとはかなり違っていた。ラリー・テスラーやジョン・カウチなど学位を持った技術者から見てスティーブ・ジョブズの存在はAppleの創業者、企業家として尊敬するにしても製品開発に関しては耳を傾けるべき意見ではないと受け流された。中には技術者でもない奴が (なにほざいてるんだ) とストレートに批難する人もいてそれがまたスティーブを苛立たせた。要はビジョンを共有できなかったのだ。

さて、私はラリー・テスラーがAppleに入社したのを聞き早速彼のオフィスへ挨拶に向かった。
ドアは開いており、足音で振り向いたラリーは一瞬驚いたような表情をしたもののすぐに笑顔で入るように促した。
「ご挨拶が遅れました。トモヒコ・カガヤです。以前PARCではお世話になりました」
私は軽く会釈しながら右手を差し出した。
「新米のラリー・テスラーです。トモヒコさんよろしく」
ラリー・テスラーは私の右手を握り返しながらいった。
「まだ資料などの整理が終わってないんだ。散らかってるけど座れる椅子に腰掛けてください」
ラリーの勧めで私は空いていた背もたれがない椅子に腰掛けたが、
「いや、僕の方からカガヤさんのところへ挨拶に行こうと思っていたんですが、先を越されました。ラリーと呼んでください」
といった。
私も (トモって呼んで下さい) といいながらオフィス内を眺めた。彼の持参したものは膨大な資料のようだがそのほとんどは書籍とファイリングされた印刷物のように思えた。

「凄い量ですね」
私の問いにラリーは苦笑いしながら、
「まだまだ整理には時間がかかるが、ちょうど一休みしようと思ったところです。コーヒーでも一緒にどう」
と気楽に対応してくれた。このときテスラーは35歳だったが、生まれた年は私より3年前の1945年のはずだ。しかし私が2016年からワープしたこともあって変な感じだが彼は私の年齢の半分程度だった。

オフィスの隅にあったコーヒーサーバーからカップを2つ持ち、
「何の変哲もないコーヒーだが、何もないよりはましさ」
ラリーは笑いながら私にコーヒーを勧めた。

私は (ありがとう) とコーヒーカップを受け取りながらながらまずは聞いてみた。
「テスラーさん、いやラリー、早速たたみ込むようで悪いけど貴方はなぜAppleに来る決心をしたんですか」
ラリーは微笑をたたえながらこれまた椅子に座り、私の問いが意図していたことのようによどみなく話し始めた。
「それはあなたたちがPARCを訪問したのがきっかけなんです」
一呼吸入れたラリーは、
「これは相棒のアラン・ケイとも意見が合ったんだけど、僕らの研究を一番正当に評価してくれたのがあなたたち...Appleだということに気づいたからといったらいいのかな」
私は無言で先を促した。
「僕は1973年にPARCに入ったんだが、沢山の人たちにAltoとSmalltalkのデモを見せました。それも僕たちの大切な仕事だったからです。アラン・ケイの言い方でいうならダイナブック構想を現在出来うる最良の形で実現したマシンがAltoだと僕たちは自負していたし可能な限り興味のある方に見せて感心を引きたかったんですがそもそもゼロックスの反応は冷たいものでした」
「無論あなたたちの目標はAltoの製品化だったわけですね」
頷きながらラリーは、
「面白いように、というと語弊があるけどAltoをビジネスに繋げようと考える人は絶無でした」
「でもスティーブをはじめ、我々が驚き (これだ!) と思ったのだから、誰か同じように考えた人はいなかったんですか」
私はずっと気になっていたことを聞いてみた。
「いや、見学に来る人たちは様々だったことは確かですよ。一流といわれる学者から研究者たち、無論企業からも見学者は多々いたけど、ほんとに僕たちもいらいらするくらい (これが欲しかった) といってくれる人はいなかったんです」

ラリーはコーヒーカップを積んであるダンボール箱の上に置きながら、
「あなたたちの反応を見て僕が働く場所はAppleしかないと本当に思ったんです。やはり仕事というものはきちんと評価してくれるところでやりたいものです。僕の年齢を考えてもいまが一番働き盛りだと思うし」
(当然でしょう)というように微笑んだ。

突然ラリーは、
「僕の方からも質問があるんだけどいいですか」
申し訳ないような顔でいった。
私は (なんなりとどうぞ) というしかない...。
「失礼な質問だとは承知していますが」
ラリーは断りながら、
「Appleの中でトモ、あなたの存在は異質に思えるんですよ。これはアラン・ケイも同意見でした…。ケイはなんか思うことがあるらしく僕にも話してくれなかったが、ともあれあなたは創業時代からの社員なんですか」
私は頷きながら苦笑するしかなかったが、
「それは私がAppleの中で浮いた存在だということかな」
そういうとラリーは慌てて、
「いやそういうことではないんですよ。しかし口火を切ったのでいわせて貰うけど、Appleは出来たばかりの企業...数年前までガレージカンパニーでしたね。新しい時代の新しい会社ですから皆若い人たちばかりと思っていました」

なるほど、そういう話しかと私は少し安堵した。
「いや、本人の口から言うと実に嫌みに聞こえるかも知れないけど、確かに私のような高齢者は特例のようです」
それは成り行きなのだから仕方がなかったがタイムワープの事実を話すわけにはいかない。
私は1976年12月にスティーブ・ジョブズに出会い一緒に仕事を始めたこと。確かに彼らとは大きく年が離れているがそれゆえに異能な存在として扱われていることなどを話した。

口を挟まず最後までラリー・テスラーは私の話を聞いていたが、
「なるほど、実は僕もここに来てトモ、あなたのことを様々な人たちにあれこれ聞いてみたんです」
彼は空になったコーヒーカップに再び一杯コーヒーを注ぎながら続けた。
ラリーいわく、Appleの社員たちは口を揃えて実に私は不思議な存在だというらしい。スティーブ・ジョブズの直轄でもあるが敵がいない、素性や経歴を誰も知らない、分かっているのは日本人であることと年齢くらいだと笑う。そして技術者でもなく事務方でもない独自なポジションをAppleの中で勝ち得たただひとりの人という評価らしい。
なによりもあの五月蠅いスティーブ・ジョブズに全幅の信頼を勝ち得ている人間というよりスティーブ・ジョブズが一目置いている不思議な人物だと言われているという。
(なるほど、こうしたこともあってスティーブは私にセミナーをさせ、一種のガス抜きをしようと考えたのか) と納得した。

「少し前にスティーブ・ジョブズから命を受け私は “Chief Information Officer” という役職についたばかりなんですよ」
私の説明をラリーはあまり納得していない様子だった。
「なるほど、しかし失礼ながらあなたの待遇としては遅きに逸した感じがするなあ」
とラリーは悪戯っぽく笑った。

ラリーは2杯目のコーヒーを飲み干しながら聞いた。
「そういえばあなたがPARCを去るとき私に言った言葉を覚えていますか」
私は (なんといったのかな) と記憶をたどった。
「あなたは (今度会うときは一緒に仕事をしよう) といったんですよ。妙に耳の底にその言葉が残っているんですね。それがAppleに来る引き金になったんです」

「それに」
ラリーは一呼吸おいてから、
「その言葉と関係あるのかも知れないが、あなたは未来が見える特殊能力があるという人も複数いました」
ラリーの目は笑っていなかったが、私がどう答えるかを楽しんでいるようにも思えた。
「これまた変人と見られているいう証拠かな。スティーブがそんなことを言いふらしているようですね。しかしラリーあなたがAppleに来たのはあなたご自身の決断であり意志に間違いないわけです」
そう誤魔化すしかなかった。
「う~ん、トモあなたにはきっと私らにはわからない情報収集能力とそのソースをお持ちなんでしょうね」
ラリーは科学者らしいいいかたでその場は和やかに過ぎていった…。

確かに私の存在は十数人のガレージ時代にはスティーブの一言でそれこそ特別な存在として認知されたがすでにAppleの従業員は千人をはるかに超えていた。その中で特別というより異質な人間が存在すること自体おかしなことに違いない。そろそろ今までのように成り行きでAppleに在籍するのには無理があるのかも知れないしスティーブから先日受けたセミナーの依頼もそれらを気にしてくれた結果に違いない。

ところでLisaの開発陣は苦悩していた。それでもラリー・テスラーはビル・アトキンソンと共にLisaのユーザーインターフェースに関わる基本原則を定義し始めた。
多くの天才や鬼才がAppleに集まり始めたことにスティーブは、
「Appleはエリス島のような会社なんだよ、トモ。つまりだ、他の会社から移ってきた人たちによって成り立っているんだ。それぞれ個人的には皆超一流の頭脳を持っているんだが、それゆえ他の会社ではトラブルの元になるような連中なのさ」
と、どこか他人事のようにいった。

しかしスティーブの懸念はある意味では的を得ていた。ジョブズがLisaプロジェクトから離れざるを得なくなった1980年以降Appleは大きく変化していった。ましてやジョン・カウチの元で天才たちがそれぞれの能力を十分発揮し協力体制が確立できたかどうかは疑問であり、その開発の進め方は良くも悪くもすでにAppleらしさの欠如はもとより経営陣と技術者たちとのビジョンには大きなズレが生じていた。

※1892年1月1日、アメリカ合衆国アッパー・ニューヨーク湾内にあるエリス島に移民局が建設されヨーロッパ移民たちが踏み入れる最初のアメリカとなった。そして名高い自由の女神像は1892年から1954年まで機能していた当該移民局のあったエリス島の近くの島にある。

(続く)

【主な参考資料】
・「パソコン革命の英雄たち~ハッカーズ25年の功績」マグロウヒル社
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
・「アップル・コンフィデンシャル 2.5J」アスペクト社


[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第1部 ー 第23話 ラスキンのMacintosh

加賀谷友彦は2016年12月6日、久しぶりに出向いたApple銀座の店頭でiPhoneのホームボタンを押した瞬間目眩にに襲われた…。思わず座り込み気がついたとき彼はタイムワープし40年前のカルフォルニア、ロス・アルトスのスティーブ・ジョブズ家のガレージ前にいた。そして彼はスティーブ・ジョブズらと一緒に働くことになった。
※本編はフィクションです※

■第1部 ー 第23話 ラスキンのMacintosh
これまた1981年の年明け早々だったと思うが、クパチーノのとあるコーヒーショップで少々遅いランチ代わりの軽食を取っていたとき、あのジェフ・ラスキンがテーブルの前に立っていた。
「トモヒコさん、ご一緒していいですか」
その髭面の顔からのぞくふたつの眼は少々疲れているように思えた。

「勿論ですよ。私はひとりですから、ご遠慮なくお座りになってください」
私は対面の椅子に座ることを勧めた。
「あなたも一休みですか」
私は話しのきっかけをつくろうと差し障りのない問いを発した。
「ええ、ちょっと資料を探しに出た帰りだったんですが、あなたが店内にいらっしゃるのを見て声をかけさせてもらいました」
ジェフ・ラスキンは教師をしていたとかで心地良い声と明解な話しっぷりの男だった。私は (ああ、ラスキンは音楽家でもあったなあ) と考えながら相づちのつもりで笑顔を返した。

そのときの彼は黒っぽい服を着ていたし、無造作に生えたままにしているような髭もまだ真っ黒だったからどこかの宗教家のようにも見えた。それだけ見かけは温和で紳士だったが内に秘めた熱いものを閉じ込めているのがわかった。
「楽しい話しでなくて恐縮ですが相談にのってもらいたくて」
それまで社内では挨拶程度しかコンタクトしたことがなかったので私はどう対応したら良いかを考えながら、
「まだしばらく時間がとれますから、私で良かったらなんなりとどうぞ」
と返答した。このときラスキンは38歳だったが、年齢よりずっと老けて見えた。

「Macintoshプロジェクトのことなんです」
ラスキンは私と視線を合わせて静かに話を切り出した。
歴史を知っている私はどんな内容なのかはすでに承知していたが、まずは彼がどのような話しをするのかを聞いてみたくてうなずき先を促した。
「あなたはもっともスティーブに近い存在と知っているしジェントルマンだと見聞きしていますので是非アドバイスをと思いまして」
やはりラスキンとてストレートに話しを切り出すのは憚れるようだった。

「スティーブがあなたのプロジェクトの邪魔をしているようですね」
私の方から核心をついた物言いをしてみた。
大きな体のラスキンは小ぶりな椅子に座りにくそうにしながらテーブルに一瞬目を伏せて話し出した。
「ええ、私がするはずだったプレゼンテーションをスティーブは (中止になった) とふれ回って妨害しようとしたこともありました。もともとスティーブはLisaに関わっているときは (お前のプロダクトはAppleのビジネスの邪魔をすることになる) と猛反対でした。しかしご承知のようにLisaチームからスコッティに追放された後、やることがなくなったからでしょう、私のプロジェクトに顔を出すようになりました」

いまではMacintoshはMacと呼ばれ、Apple製品の根幹となっているがそもそもはジェフ・ラスキンがほそぼそと始めたプロジェクトの名前だった。
Macintoshという名はAppleという社名にならい、ラスキンが好きなリンゴの種類であるMcIntosh (和名:旭)から取った名前だったがどうやらラスキン自身なのかあるいは別のスタッフなのかはいまとなっては不明だが、スペルを間違ったのがそのままコンピュータの名前として認知されるようになってしまったといわれている。

「最初プロダクトに反対していたスティーブもしばらく後に顔を出したときには私と同じ考えを持っていたこともあって話しが合ったんです」
私は少々意外だという気がして首を傾げた。
「Macintoshはなにもかも必要なすべてを缶詰のように詰め込んだアドオンなしで使える1000ドル程度の製品を目指しています。マシンの電源を入れたら小難しいコマンドなど入力しなくてもすぐに使えるしポータブル性も高い製品なんです」
オーダーを取りに来た店員にコーヒーを注文したラスキンはグラスの水で口を湿らせて続けた。
「私のMacintoshはApple II のような拡張スロットもありませんしグラフィックスも不要、マウスも採用するつもりはありません。とてもシンプルなマシンなのです」

私は後にラスキンがAppleを去った後、そのラスキンの思いをキャノンで製品化したという「Canon Cat」を思い出していた。1,2度しか触ったことがなかったので詳しい事は知らないが1984年にリリースされたMacintoshに夢中になっていた時期でもあり地味なOAマシンといった印象しかなかった。

ラスキンの声が私の回想を現実に戻した。
「そうしたシンプルさはスティーブの考えている理想のマシンに近いと賞賛してくれました。彼がApple II の拡張スロットに反対だった話しはよく知られてますしね。私のトースターなみに使いやすいコンピュータというコンセプトも気に入ったようでした」

この1981年という年はスティーブ・ジョブズにとって内に抱えた膨大なエネルギーのはけ口を失っていた時機だった。Lisaプロジェクトから外されたものの会長という役職に就任していたし株式公開で莫大な金も手にした。世の中で自分の思い通りにできないことはないといった意気込みだったに違いない。
そうしたスティーブにとってラスキンがこつこつと進めていた小さなプロジェクトは格好の標的だったのだ。

ラスキンは姿勢を正して続けた。
「そもそも私がAppleで働くことになったのはあなたもご承知だと思いますが1977年に私の小さな会社ごとスティーブが買収し私はドキュメンテーション制作を任されたわけです。ですから私はスティーブ・ジョブズという男を毛嫌いするつもりはありませんでした」
すでにテーブルにあるコーヒーは冷めていたが、ラスキンはそれを一口二口飲んで、躊躇いがちにまた話し出した。
「スティーブは最初自分はハードウェアを担当する、だから私にソフトウェアを担当しろといいました。申し上げるまでもなく彼はAppleの会長ですし私は一介のドキュメント部門のマネージャーに過ぎませんから面と向かって拒否するわけにもいかなかったんです」

ラスキンは意識してセーブした話し方をしていたのか、次第に両手をテーブルの前に突きだしながらオーバーアクションも見せ始めた。ただし私は形だけだとしてもCIOの肩書きを持っている人間だからだろう、ラスキンは終始紳士的で丁寧な話し方を崩さなかった。
「確かにスティーブがプロジェクトに加わることは良い面もあったのです」
「あ、聞きました。予算面で援助が増えたとか」
私はスティーブ・ジョブズ本人から聞いた話しを思い出しながら口を挟んだ。
「そうなんです。しかしバレル・スミスが苦労して作ったマザーボードを見ていきなり (CPUを68000にしろ) とスティーブが言い出しまして」

ジェフ・ラスキンは現状の危惧を私に訴えながらスティーブ・ジョブズの介入を阻止あるいは緩和する策はないものかと核心に入った。しかし繰り返すが会長と一介の社員とでは現実問題喧嘩にもならなかったし、社長のスコッティもスティーブがMacintoshプロジェクトに頭を突っ込むのはAppleとして悪いことではないと考えていた。
なぜならLisaの開発にちょっかいを出さないでくれるのであればMacintoshプロジェクトにどのような影響があったにしても大した問題にはならないと考えていたようだ。

私はジェフ・ラスキンを前にして良策を即答できる問題ではないこと、スティーブ側の思惑も確認してなにかできることがあれば知らせようと返事をした。
その後私もCIOという立場からMacintoshプロジェクトの進捗状況に注視していたが、スティーブの参加はチームの士気を鼓舞していることは確かだった。なにしろスティーブは資金を集める力も、数少ない開発用機器やそのスペースをぶんどる力も、そして優秀なスタッフを他部署から引き抜いてくる力も持っていた。

このMacintoshプロジェクトはその年のクリスマス間近になったときその動きが急に激しくなった。何故ならバレス・スミスが68000を使った設計の目処をつけたからだ。これがスティーブの感性を激しく揺さぶった。
68000ならLisaと一緒にGUIもマウスも採用できるはずだしMacintoshはクロックもLisaより速いという。それにLisaは数十人のエンジニアたちが手を染めていたし数枚の回路基板とカスタム・コンポーネントが使われていたものの依然開発に苦慮していた。対してスティーブの目の前のMacintoshは回路基板が1枚で価格はLisaの数分の1で可能なのだ。

それを知ったスティーブはこのマシンは (第2のApple II になる) という確信を得たようだ。さらにLisaチームに、そしスコッティに一泡吹かすことができると踏んだのだ。
Macintoshチームのマーケティング担当だったジョアンナ・ホフマンに近況を聞いたとき彼女は近頃スティーブの目が輝いているといいつつ、
「トモ、確実にジェフに暗雲が立ちこめているわ。私の勘では近々スティーブが実力行使し自分の思うものを手にすると感じるの。だってあんなに地味なMacintoshプロジェクトだったけど今では後光が射しているもの」
少し変わったイントネーション、そして情熱的な高い声のジョアンナは心配そうにしかしどこか愉快だと感じているような複雑な表情をしながら私に語ってくれた。

後年ラスキンを「Macintoshの父」と称する人たちもいるが、ラスキンの思いはその名前だけしか残っていない。コンセプトもデザインもそしてユーザーインターフェースもラスキンの描いたものとはまったく違った製品でしかなかった。そしてことの是非はともあれ1984年1月24日、正式に発表されたMacintoshはまさしくスティーブ・ジョブズのマシンだった。

(続く)

【主な参考資料】
・「パソコン革命の英雄たち~ハッカーズ25年の功績」マグロウヒル社
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
・「アップル・コンフィデンシャル 2.5J」アスペクト刊
・「マッキントッシュ伝説」アスキー出版刊




[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第1部 ー 第22話 株式上場


スティーブ・ジョブズは未来のテクノロジーを時代の最前列で考え見つめてきたといわれている。しかしその陰には2016年12月6日、アップル銀座のエントランスから40年前のカリフォルニア、ロス・アルトスにあるスティーブ・ジョブズ家のガレージ前にタイムワープしたひとりの男の存在があった。
ー 優れたビジョナリーといわれたスティーブ・ジョブズ。その若かりし時代の秘密に迫る!ー
※本編はフィクションです※

■第1部 ー 第21話 株式上場
Appleはビジネスが拡大していく中で正式な株式上場前にも二度資金調達をした。ゼロックスを含めた1979年8月とは別に1980年11月にもかなり大規模な資金調達が行われた。すべてApple II の成功が多額の資金調達を可能にしたのだ。その二度目の資金調達の際にもゼロックス社は80万株を取得している。

そしてAppleは1980年12月12日に念願の株式上場を果たした。これらによりスティーブは若干25歳で2億5600万ドルの個人資産を手にした。
ただし (金のためにビジネスをはじめるわけではない) と言っていたスティーブだが、大富豪となると冷酷非情さがより目立つようになったのも事実だ。

Appleでは株式上場で300人ほどが大金持ちになったがスティーブは起業時から苦楽を共にしてきたダン・コトケ、ビル・フェルナンデス、ランディ・ウイギントン、クリス・エスピノサなどには株式を与えようとはしなかった。
私はどうしても納得できずに、株式公開のスケジュールが決まった一週間後だったかスティーブの自宅で二人きりになった際になるべくリラックスした雰囲気を壊さずに聞いた。
「スティーブ、なぜ君は友達のダンなどに株式を譲らないのかい」
スティーブは一瞬私に対して珍しく不機嫌な表情を見せたが、
「ああ、悪い悪い。トモ、君に不快な思いをさせるつもりはないんだ。ただいきなりの質問だったからな」
いいわけと繕いが見え見えの態度でスティーブはソファーに座り込んだ。

「まず、いっておくけど」
両手の指先を合わせながらスティーブは私を見据えて話し始めた。
「トモ、君には相応の株式を渡すよ。マイク・マークラに指示しておいたから数日後に連絡がいくだろう」
なんだか口止め料のカウンターパンチを喰らったようにも思えたが、
「いや、かっこうをつけるつもりはないが、私は毎月のサラリーで十分感謝しているよ。しかし創業時から苦楽を共にしてきた仲間ちたが落ち込んでいるのを見るのが辛いんだ」
これまた私の正直な気持ちだった。2016年からタイムワープした私はいつ戻れるかはともかく、一生この地で骨を埋めるつもりはなかった。だから金を貯めて…といった意識はなかったから正直欲もなかったのである。

Share-certificates1215.jpg

※Apple Computer社時代の株券(本物)。筆者所有


私の視線をはずしたスティーブは大きなため息をつきながら天井を仰いだ。
「トモ、理由はあるんだよ」
少し間を置き口を開いた。
「君があげた奴らは確かに創業時からの従業員だが、かなり長い間...というより彼らは近年まで時給で働いていたんだよ。いわば正規雇用者の扱いではなかったわけだ」
再び息を吐き、
「それに、株の譲渡に関しての最終決定権は俺ではなくマイクやスコッティなんだよ。俺は社長ではないからな。それに、ダンやランディらは大金を持つには若すぎるよ」

私は言いたいことは山ほどあったが、スティーブの言い訳は言い訳にもならないその場逃れに思えたから反論しても意味がないことを察知した。企業としての決定権うんぬんは確かにスティーブのいうとおりだが、筆頭株主はスティーブだったし彼が株譲渡相手を選んだ事は知られていた事実だった。
第一先ほど私に言った台詞 「マイク・マークラに指示しておいたから数日後に連絡がいくだろう...」という事実はスティーブ自身の権限でことが運ぶことを証明していた。
さらにダンやランディが大金を持つのには若すぎるというなら自分はどうなんだ...と言いたかったが、彼は理論然とした考えを持っているとは思えなかったから言い争っても益はないことは明らかだった。
私には株式を渡さないのは ( 渡したくないから )という感情論というか自分の力を見せつけたいからのようにも思えた。

このストックオプションに関してはロッド・ホルトもスティーブの不公平さに怒っていた。だからある日、ロッドは見るに見かねてスティーブに提案した。
「俺ら二人で少しずつ持ち株を出し合い、コトケにも分け与えたらどうか」と。
しかしこの提案にもスティーブ・ジョブズの反応は冷淡だった。
「そりゃあいい提案だねロッド。では僕はゼロ株を奴に渡すよ」
それがスティーブの返事だったと後にロッドはため息交じりに話してくれた。
結局ロッド・ホルトはダニエル・コトケに気持ちだといって自分の株を100株無償で譲り渡したらしい。

数日後、昼食の場で一緒になったウォズに私は珍しく愚痴を言ってしまった。
「トモ、あなたがジョブズのことで愚痴るなんて珍しいな。というより初めてだろう」
ウォズはいつも以上に優しかった。それに今日はどうしたのか、髭をきれに刈り込んだ姿のウォズは気の毒そうに私を見つめた。
「辛くてさ...ウォズ。クリスやランディらの顔をまともに見られないんだ」
ウォズの大きく毛深い腕が私の肩にまわされた。30歳の若者にいいジイサンが慰められているシーンは自分でも情けなかったが、こればかりは私がいくらあがいたところでどうしようもなかった。
「大丈夫だ、トモ。僕に考えがあるんだ。できればあなたにも手伝って欲しいな」

ウォズから聞かされた計画は考えもしなかったことだった。
ウォズは株式の公開直前に自分所有のオプションから2000株ほどずつ、今回の恩恵に与れなかった功労者たちに株を譲るのだという。それらのリストにはダン・コトケ、ビル・フェルナンデス、ランディ・ウイギントン、クリス・エスピノサなどが含まれていると聞き私は気持ちがかなり楽になった。

「ウォズ、私が手伝えることは大したことはないだろうが是非なんでも言ってほしいな。ただしジョブズと衝突したくないから堂々と手伝うわけにはいかないんだ」
私が後ろめたそうにいうと、
「勿論わかってるさ。受付のシェリーにまとめ役を頼んであるから後で彼女と相談してよ」
ウォズは私の肩に回した太い腕を再度揺すりながら、
「元気出してよ、トモ」
といいながら自分のオフィスに戻っていった。
「ウォズのギフトがなかったら,僕はいまだに家も持てなかったよ」
 後年、ダン・コトケは機会がある度にそんな話しをしていたという。

数日後、スティーブの留守をいいことに私はシェリーのところに話しにいった。
「ああ…トモ、ウォズから聞いているわよ。2人で秘密裏にリストアップと株式数などの検証をしましょうね」
シェリーは嬉しそうにいった。
「なんか、気持ちが晴れるよ。君と2人でウォズのプランを実現するのはね」
シェリーは突然目を輝かせ、
「トモ、それいいわよ。この計画のタイトルは “ウォズ・プラン” に決まりね」
思わず私は自分の唇に指を当てて「シェリー、声が大きいよ」といわなければならなかった。

ただしスティーブ・ウオズニアクという人物はお人好し過ぎた。もともと金銭に興味はないのに一躍大金持ちになったのでその処遇に困惑していた。結局「金というものは持ったまま死ぬより金持ちとして生きるべき」というサミュエル・ジョンソンの金言どおりに暮らそうと考えたようだ。しかし自分の財産にも開けっぴろげだったから騙されるべくして騙されることが多かった。

見知らぬ人から援助を申し込まれればすぐに小切手を切るといったこともした。
私は余計な事かと思ったが見かねてウォズのオフィスに行き、
「ウォズ、是非財務の専門家を雇うべきだよ」
といった苦言をいう羽目にもなったが、スタートアップした会社に投資をしたりポルシェを買いそのナンバープレートを “APPLE II”にして悦に入っていた。
しまいにはどこかの弁護士に勧められたとかでサンノゼのイーストサイドにあった映画館まで買わされ結局お荷物となった。

ある日、マイク・マークラと顔を会わせたとき、
「まったくウォズはお人好しだけでは済まないぜ、トモ」
と苦笑しながら教えてくれたことがある。
どうやらウォズの父親から電話があったらしい。息子に注意をしてくれと、何だか小学生に対する物言いのようだったとマイクは笑った。
「まあ、いくつになっても父親は父親だし子供は子供ってことだな」
マイクは優しい表情をしながら続けた。
「トモ、奴の車の中に現金化していない25万ドル分の小切手が散らかっているのを父親が見つけたと言うんだ。まったく常識というか我々の感覚とズレているよ」
「で、ウォズにはなんていったの、マイク」
私は興味を持って聞いてみた。
「ウォズ、金がいらないなら俺が貰うからもってこいといったよ」
マイクは冗談をいいながらも、ウォズが犯罪に巻き込まれるような事態になる事を懸念していたのだ。

ところで非情なスティーブ・ジョブズも身内には優しかった。
両親のポール・ジョブズとクララ・ジョブズに75万ドル相当の株式を送ったが、2人はその一部を売り、ロスアルトスの家のローンを完済した。
スティーブ自身もすでにヒッピーの面影など微塵もなくなっていた。
髪を整え、高級紳士服店で求めたスーツやシャツを着こなした姿は男の私が見ても素敵だった。また高級住宅街のロスガトスに家を買いバーバラ・ヤシンスキーという絶世の美女と暮らすことになるらしいという噂も聞いた。どうやら私には言いにくいのか、直接の話しはまだなかった。

私はこれは居候から脱却するチャンスだと思い、スティーブが贈ってくれた株式の一部を売却して小さな洒落た住居を確保することにした。株式全部を売れば小さな家なら買えたものの根無し草の身としては無駄に思えたから一軒家を借りることにした。
スティーブは私の独立に目立った反対はしなかった…というよりどこか自分が追い出したといった負い目を感じていたらしい。
だからだろうか (トモ、トモ) と前以上に私を当てにしてくれたし引っ越しした翌月には住宅費用補助のつもりなのか給料が増えていた。

年が明けた1981年2月7日、一本の電話がApple全体を揺るがした。Appleに近いスコッツ・バレー空港でウォズの乗った四人乗り自家用飛行機が墜落したというのだ。ウォズは飛行機の操縦を習い始め、結局単発のビーチクラフト・ボナンザを買ったのだ。どうやらそれが墜落したらしい…。
私はそのことを知ったとき、私の肩に腕を回して慰めてくれたウォズを思い出して嗚咽しそうになったが辛うじて我慢した。

一報を受けたスティーブ・ジョブズとマイク・スコットそして私の3人が急遽病院へ向かうことになった。
マイク・マークラやロッド・ホルト、それにランディ・ウィギントンらも行きたがったが病院に大勢で駆けつけるわけにはいかなかったし会社自体も急務のあれこれが重なっていた。
「わかった。では僕は留守番役を買って出るよ。後で詳しく教えてくれ」
マイク・マークラはわざと落ち着いた態度で自分を納得させていたが無意識にか両手で髪を掻きむしっていた。

病室に飛び込んだ我々はウォズが意外に元気そうなのにまずはホッとした。
スティーブは、
「トモ、悪いがマークラらにウォズは大丈夫だと電話してくれないか」
と気遣いを見せた。Appleの社員全体が固唾をのんでウォズの状況を待っているからだ。
「わかった…」
私は病院の待合室まで駆け下りて早速マイクにウォズが無事なことを伝え、病室へとって返した。

ウォズは顔に切り傷を負い無残な姿だったがそれ意外大きな外傷はないように思えた。しかしさすがにショックのためか自分がどのような状況にあるのかわからずボーッとしていた。
「ウォズ、どうだ俺が分かるか」
スティーブはベッドに寝ているウォズに向かって声をかけた。
「ああ、分かるとも」
笑顔を作ろうとしたのだろうが、傷で痛々しいその表情は無残だった。しかしウォズ自身もわからなかったが重度の健忘症となっており事故の前日までの記憶しかなく自分が飛行機事故に遭ったことさえ認識できていなかった。

ウォズの怪我が完治するには1ヶ月ほどかかったが、彼はAppleにすぐには戻りたくなかったらしい。
退院の挨拶のため久しぶりに会社へ顔を出したウォズに受付係兼秘書のシェリーは半べその表情で抱きついた。
「おいおいシェリー、恥ずかしいよ」
ウォズは照れながらエントランスに集まった数十人の社員や役員たちに笑顔を見せた。帰りがけにちょうどスティーブが留守だったからか私のオフィスに立ち寄ってくれた。
「トモ、正式なことが決まったら皆に報告するけど僕はしばらく会社を離れて大学へ復学するつもりなんだ」
なんて反応して良いかわからない私は、
「仕事は問題ないのかい」
どうにも場違いな反応しかできなかったが、すでにウォズは自分が仕事の中心に座ることを意識的に避けていたことを知っていた。
「また来るよ、スティーブによろしくな」
ウォズは大きな背中を見せてオフィスを去って行った。

(続く)

【主な参考資料】
・「パソコン革命の英雄たち~ハッカーズ25年の功績」マグロウヒル社
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社


[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第1部 ー 第21話 トモという男

加賀谷友彦は2016年12月6日、久しぶりに出向いたApple銀座の店頭でiPhoneのホームボタンを押した瞬間目眩が...。思わず座り込み気がついたとき彼はタイムワープし40年前のカルフォルニア、ロス・アルトスのスティーブ・ジョブズ家のガレージ前にいた。そして彼はスティーブ・ジョブズらと一緒に働くことになる。
※本編はフィクションです※

■第1部 ー 第25話 トモという男
1980年代のAppleは株式公開を目前にしていたこともあってそれまでにも増して混乱と同時に活気があった。GUIを持つコンシューマー向けコンピュータとしては初めてのLisaの開発が具体的にスタートしたし、先走るがMacintosh開発の芽も地中から青葉を覗かせていた。しかし一番の問題はスティーブ・ジョブズら経営陣と技術者たちとのビジョンの共有ができていなかったことだった。その最たるものがApple III の失敗に見られた…。

ということで企業運営に関する諸問題は山積みだったが私自身が抱えている問題も決してどうでもよい問題ではなくなっていた。それは私自身の存在がAppleの中で目立ち始めたからだ。
別に私自身が目立つ言動をしているわけではなかった。創業時のようにガレージに入ってくるスタッフらが数十人の時には会社と言うよりサークルみたいな感じだったしボスのスティーブ・ジョブズが (トモは俺の秘書だ) といえば誰もが疑うことなく従っていたし私も彼ら彼女らの中に溶け込んでいた。しかし規模が大きくなりすべてのスタッフが創業時の暗黙の了解ごとを知っているはずもなくトモヒコ・カガヤという存在が不思議がられるようになってきた。

理由は明白だった。表向きはスティーブ・ジョブズの秘書的存在だったが他のスタッフのように明確な仕事のテリトリーがなかった。取締役といった職責はなかったがスティーブやマークラらが認めてくれていたおかげで取締役会をはじめほとんど会社の決定権を持つ場に出席を許されたし入室を厳しく制限されていた部屋にもフリーパスで入ることが出来た。したがって私の注文や依頼を断る人は現実的にいなかった。なぜなら私が横柄だとか横暴というのではなく私の指示や依頼事はスティーブ・ジョブズのそれだと思えと当のスティーブから社内に通達があったからだ。
それに私はApple創業時から、すなわちガレージの時代からのスタッフだったという事実は揺るがしがたくそれなりの畏敬の目で見てくれる人たちも多かったのも事実だった。

しかし常識的に見て年齢ひとつを取ってみても70歳前後の人材は本社に類をみなかったから (あれ、誰) という感じで目立ったようだ。
要はトモヒコ・カガヤという人物はAppleで何をしてるのか、単なるスティーブの秘書でもないようだし...という点が話のネタに使われていた。

私はスティーブのたっての願いもあってこれまで曖昧だった私の職責をCIO すなわち Chief Information Officerとすることに同意した。簡単に言えば情報担当役員ということか。こうした役職であればいままで以上にApple全体の情報に関しての報告を受けることが出来るしアドバイスをすることもできるわけだ。そして私自身の報告は直接スティーブに行えばよいという。これならAppleの内外でのフットワークがとてもやりやすくなることは間違いない。

Businesscards_TK.jpg

※スティーブ・ジョブズから渡された新しい名刺 (小説上のお話し)


一方、私の日々の言動は決して派手なものではなかったがタイムワープした1976年12月以降、さまざまな出来事の中で私の示した予測やポイントとなるテクノロジーといったあれこれが驚くほど的確であるという評価を受けつつあった。
それはそうだろう。
タイムワープしてAppleの創業時代に迷い込むことが分かっていたらもっと勉強しておけばよかったと思うが、Appleの歴史の大方の行方は知っていたし真実かどうかは別にしても多くのエピソードや人々の葛藤も知っていた。何よりも私は2016年からタイムワープしてきた人間でありAppleの、あるいはテクノロジーの行く末について熟知しているのだから間違うはずもなかった。
ただし注意すべきはそれをストレートに主張するのではなく、かといって単なる絵空事ではなくひとつの学問的な未来予測としてスタッフらに伝えることが求められた。そうした点において私はスティーブの全面的な支援と理解を受けていた。

さて、そんなおり私はスティーブに呼ばれてオフィスに戻った。
用件は大別して2つだった。ひとつはこれまで私の居座っていた場所はスティーブ・ジョブズのオフィスの一郭だったが専用のオフィスを用意するという話しがあった。これは私という存在をApple社内により同化させようとするスティーブ・ジョブズの策のひとつだったが、2つ目の件は意外な依頼だった。

「ドアを閉めてくれないか」
スティーブの言葉に頷いた私はオフィスのドアを閉めて鍵をかけた。
「トモ、君の存在はいまでは俺にとって、いやAppleにとって重要なんだ。いやこれは世辞でなく本当の事だ。そして俺と君との秘密を秘密として会社全体に君の存在を知らしめる時期だと思うんだ」
私は黙って次の言葉を待った。
「それでトモにひとつ頼みがあるんだ。というより業務命令と思ってくれ」
スティーブが私にこうしたことを告げるのは始めてだったかも知れないが、その表情は硬いものではなく微笑んでいた。

「私もAppleの社員の端くれだからスティーブ、君の業務命令なら最善を尽くすよ。私のできる限りのことという制約はあるけどね」
私も減らず口風に対応した。
「実はマイク・マークラにも頼まれたことがあるし、君の親しいロッド・ホルトにも同じようなことを言われたことがあるんだ」
スティーブの言っている意味が分からず私は首を傾げた。
「もっと早くから俺が気を回さなくてはいけなかったのだが、トモの言動のひとつひとつが驚くほど的確で、特に先々に対する注視の姿勢やアドバイスは不思議なほど実情に合ったものだったと彼らは高く評価しているんだ。無論それがどこからくる能力なのかを知っているのは俺だけのはずだが、そうだろう」
悪戯っぽく笑うスティーブに私は (勿論さ) と答えた。

「ただしその本当のことを公言するわけにはいかないさ。一番その恩恵を受けているのはこの俺でもあるしな。しかしこのままトモを不思議なオヤジとしてだけにしておいては君自身も身の置き所がないだろうし会社にとっても益にならない。そこでだ」
スティーブは両手を頭の後ろに組みながら両足をデスクの端に乗せた。
「トモの "CIO" 就任をよい機会にして一度社内で勉強会、いやセミナーをやってもらいたいんだ」
意外な依頼に私は本当に驚いた。スティーブの真意がいまひとつわからなかったからだ。

「Apple III 失敗の反省もあるんだが開発の奴らは勿論、スタッフたちと我々経営陣がいまいちどビジョンを共有するのが大切だと常々マイクたちと話していたが、そのひとつのきっかけとなると思うんだ。そこで君に、そうだな…例えば "近未来へ向けてのテクノロジーの予測" といったテーマで少し具体的で明確な話しをしてもらえないかと思ったんだ」
「無論タイムワープの話しはなしだ」
スティーブは足を組み直しながら笑った。

「それはかまわないけど、どこの馬の骨かもわからないし学位も持っていない私の話など誰も聞きたいとは思わないだろう」
私は当然の疑問をストレートにスティーブにぶつけた。
「いや、それは君自身が自分の事を過小評価しているよ」
と言いながらスティーブは体を起こして私にあの鋭い視線を向けた。
「知ってのとおり、10月にジェフ・ラスキンの研究プロジェクトに面白い奴らが参加したんだ」
「うん、すでに私は短い時間だが皆と話したよ。えっとバレル・スミス、バッド・トリブル、ブライアン・ハワード、そしてジョアンナ・ホフマンたちだね」
「そうだ。俺はジェフの考えるコンセプトにはまったく興味はないんだ。奴の考えるコンピュータはクソだ。それにこれからのコンピュータはGUI抜きにしては考えられないとPARCに行った後思ったし、トモ、君に個人的なアドバイスというか未来のビジョンを聞かせてもらってよりその思いを強くしたんだ。ただし仕方がないことだがほとんどの奴らはそうした未来に興味はない」
深く深呼吸してスティーブは言葉を探しているようだったが、
「どこから聞いたのか、MITにいたというジョアンナ・ホフマンやPARCから来たラリー・テスラーあるいはあの気むずかしいジェフ・ラスキンでさえ一度じっくり (カガヤサンと話がしたいので許可してくれ) というんだ。思うに皆手持ちの仮題に振り回されてはいるがそれだけではダメで新しい製品作りには新しいビジョンが欲しいと思ってるんだよ」

やれやれ、難しい話しになってきたがスティーブは私がひとりひとりに対応している時間はないだろうから、CIOという立場はもとよりAppleのビジョナリーという立場から "未来のパーソナルコンピュータ" への夢を語って欲しいんだという。事実新たな市場や商品、サービス、技術といったものを具現化することがこれからのビジネスには重要と私が常々スティーブに説いていたからだが、最後にスティーブがいま主導権を握りたいと思っているMacintoshプロジェクトへの参加をもしやすくする力になるに違いないという本心も暴露した。
そして、
「おっと、たまたま口に出たけど "ビジョナリー" というのは良い言い方だよなトモ。君のタイトルに "ビジョナリー" というのを付け加えようか」
と笑った。

GUIの重要性を説く私の言動がジェフ・ラスキンが提唱しはじめたばかりのMacintoshプロジェクトをスティーブ・ジョブズ主導とする手伝いをすることに心を痛めたが、歴史の向かう先を歪めるわけにもいかずスティーブの申し出を受けることにした。
しかしそれは実に肩の荷が重い仕事となった。

(続く)

【主な参考資料】
・「パソコン革命の英雄たち~ハッカーズ25年の功績」マグロウヒル社
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
・「アップル・コンフィデンシャル 2.5J」アスペクト社


[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第1部 ー 第20話 Apple III失敗

還暦も遠の昔に過ぎた男、加賀谷友彦は久しぶりに出向いた Apple銀座 のエントランスで1976年にタイムスリップし、スティーブ・ジョブズの若かりし頃に出会う。厄介なのは加賀谷が持っていたiPhone 6s Plusをスティーブが見てしまったことだ。この事実が過去と未来に悪影響を及ぼすのだろうか。そんな危惧をよそに初対面の加賀谷をスティーブは自宅のガレージに引き入れた...。
ー 優れたビジョナリーといわれたスティーブ・ジョブズ。その若かりし時代の秘密に迫る!ー
※本編はフィクションです※

■第1部 ー 第20話 Apple III の失敗
Apple II は売れていた。そして会社の規模も急速に拡大していく。その過程で社内にはギスギスした雰囲気も漂い始めていた。
まずAppleは新型のマシンの開発に迫られていた。これはスティーブがウォズに頼らず自分のマシンが欲しいといった個人的なことだけではなかった。会社の経営陣たちにとってApple II がいつまでもベストセラーを維持できるとは思われなかったからだ。

エレクトロニクスの世界は日々進化進歩し新しいテクノロジーが登場している。いつApple II の販売がピタリと止まるのか、気にならないはずはなかった。
1978年末以降Appleはそれらの対応を急ぐべきくいくつか策の作を取っていった。

Apple31111.jpg

※Apple III のシステム例


自宅に帰りシャワーを浴びて出てきたスティーブは
「トモ、ちょっといいか」
と私が宛がわれていた部屋に入ってきた。
この頃になると私の給料でアパートの一室ぐらいは借りられるようになってはいたものの、独り立ちはスティーブが許してくれなかった。

「部屋が狭いというなら好きな部屋を使えよ。アパート借りるにしても金がいるしそれは君にとって無駄な金だよ」
タオルで髪を乾かしながらスティーブは椅子に座った。
「それにだ、トモ...君は俺の私設コンサルタント兼秘書だ。なくてはならない人材なんだよ」
こう言われては私もスティーブの居候をやめて出て行きたいなんて言い出せなかった。

「ところでトモ、聞いたか...。ヒューレット・パッカードからウェンデル・サンダーって奴が入社したことを」
「ああ、ロッド・ホルトに聞いたよ。ウォズのボスだった人だといってたな」
ウォズが紹介の労をとったとも思えなかったが、ウェンデルは新機種Apple III 設計の技術部門を監督する責任者として雇われた。
スティーブは私と2人だけという気がおけない場所だったから辛辣なものいいを始めた。

「あの官僚野郎たちにApple III を開発させようというスコッティやマークラもおかしいぜ。俺はBクラスの人間などいらないと口を酸っぱくしてスコッティにいったんだがクソ野郎はクソ野郎を呼び込むというやつさ」
私は小型の冷蔵庫から冷えたホワイトワインを取り出してあけ、小型の丸いテーブルの上に乗せた2つのグラスに注いだ。

「人が急速に増えるとかならずノイズも大きくなるもんだよスティーブ」
と慰めるつもりで私はグラスをスティーブに差し出した。
「ありがとう。でも奴らと一緒に仕事をすると思うと憂鬱だよ。クソ野郎のくせに皆プライドだけは高いんだ」
事実ヒューレット・パッカードから入社した人たちとナショナル・セミコンダクターから来た人たちの小競り合いが増えていた。これまでのAppleにはなかったことだった。
「まったく間抜けな奴らばかり増殖しやがって!」

ワインを一息に飲み干しグラスを置いたスティーブは眉をひそめていった。
「相変わらずだが、ウォズも苦労の種だよな」
私も話しには聞いていた。Apple III 開発と平行してApple II の改良版 (コード名:Annie) と呼ばれていたマシンの開発をウォズ主導でやるはずだった。しかし彼はディスク装置のときのような情熱を持ってことにあたらなかったしその働きぶりはだれが見ても大きなムラがありやる気のなさが目立った。

「結局Annieはあきらめたのかい」
私は再度スティーブのグラスに2杯目のワインを注ぎながら聞いた。
「まあ仕方がないよな。ウォズにしてみれば自分の思うとおりのマシン作りができないわけだからな」
スティーブは同情的なところを示した。
「そうだね。ウォズは人の命令で働くタイプではないからね」
「だけど大人しくしていればいいものを嫌われる悪戯ばかり続けているのが困りものなんだよ」
事実ウォズは相変わらずいたずら好きで通っていたが、Appleの社内は創業時のような寛大さは薄れていた。ために開発中のマシンの筐体にネズミを仕込んだりといった悪戯は悪戯では済まなくなっていった。

40年後の未来からやってきた私はApple III が失敗するという結論を知っている。その理由も大方分かっているつもりだったがすでに私などが口出しできる組織ではなくなっていたし歴史を変えてしまっては自分が無事に元の世界へ戻れなくなるのではないかと思い、アドバイスする機会を失っていた。

Apple III の失敗の主な原因はスティーブ・ジョブズにあるというのが定説だ。彼は自分の好むマシンというか自分がユーザーだったら欲しいマシンを夢見ていた。したがってApple III の筐体デザインやそのサイズをスティーブ主導で始まったことを聞いて定説どおりの混乱を引き起こすであろうことは肌で感じていた。
内部構造など考えずにサイズを決めたから基板の配置やサイズに大きな制約が出た。それ以上に問題なのは相変わらず冷却ファンは使うなという主張だ。

さらに経営陣が命じた開発期間はそもそも短かすぎた。その割りにテキスト表示は80桁でアルファベットは大文字と小文字が使えるようにしろとの指示があったばかりかApple II との互換性を保てという...。このエミュレーションの必要性はApple III のグラフィック機能向上の可能性を潰すことになった。
なによりもウェンデル・サンダーがイエスマンだったことが大いに災いした。

ウェンデルは経営陣からの指示とスティーブの移ろいやすい思いつきに振り回されたのだ。
数日後、ロッド・ホルトと会ったとき彼もAppleの現状を憂いていた。
「いや、なにも昔は良かったというつもりはないんだ。だけど確かにいまは昔よりキャッシュフローは問題ないしApple II も売れてる。しかし経営陣には余裕が見られないし社員たちはまったくまとまりがなくなっているんだ。Appleらしさなんて探しても見つからないよ」
「そういえば...」
私は声を潜めていった。
「ある人から聞いたけど、ロッド...君なんかも古参で頭が固いと新参者たちに煙たがられているらしいね」

遠慮のない私の口ぶりにホルトは声を上げて笑った。
「まったく可笑しな話しさトモ...。俺は昔から (いかれた野郎) のはずだったのにいつのまにか、(貴方は官僚的だ) と言われるんだから」
「しかし、トモ。Apple III は成功すると思うか?」
真顔になってホルトに聞かれるとどう答えて良いかわからなかった。

「経営陣は発表を急いでるんだよ。数ヶ月後に株式公募が決まっているだろう。それ以前に発表してよい材料にしたいのさ」
ホルトはあくまで私の意見を聞きたがった。
私は自分がタイムワープしてきた人間だということはスティーブ・ジョブズしか教えないことに決めていたが嘘をいうことは嫌だったし自身の言動の積み重ねが実績となりそれなりの評価を受けるようになっていたからそれも保持したかった。

「私は上手くいかないと思うよ」
正直にいうとホルトは頷きながら、
「あまりに時間がなさ過ぎたよ。Apple II は会社ができるときにはすでに基本は存在していただろう、しかしApple III はAppleがウォズの手を借りずに開発する最初のマシンなんだ。もっと時間が必要なんだよ。もっと入念な設計、入念なテストをしなければならないんだ」
ホルトは愛用のキャメルを咥えながら私の肩に手を置いて自分の席に戻っていった。

Apple3catalog.jpg

※Apple III カタログのひとつ(当研究所所有)


ある日の夜、スティーブから意外な話しを聞かされた。
「トモ、俺はApple III プロジェクトから手を引くことにしたよ」
スティーブは真顔でつぶやいた。
「君がプロジェクトから手を引いてApple III は出荷できるのかい?」
「なにがあったんだい?」
矢継ぎ早の私の質問にソファーに仰向けになったスティーブは大きなため息をついた。

「理由はふたつある...」
少し間を置いた後で、
「ひとつは前にも言ったと思うけど、俺はB級の奴らと仕事をするのが嫌になったってことさ」
ここでスティーブはもう1度ため息をついてから続けた。
「いろいろとアドバイスして奴らにやらせてみたが、どいつもこいつもはっきりせず、俺の考えたとおりに進まないんだよ」

まあ、ウェンデル・サンダーたちからすれば混乱する一番の要因はスティーブ・ジョブズその人にあったというだろう。様々な主張を受け入れながら進めた設計は様々な無理を強いられた。スティーブ自身の意見や指示も日毎に変わり開発者たちを苦しめたらしい。
とはいえスティーブに (君が混乱の原因だ)とはさすがにいえなかった。

「もうひとつの理由はApple II との互換など考えずにまったく新しいマシンを作りたいと思ったからなんだ。まだなにも形になっていないが、Lisaプロジェクトとして開発計画を立てている製品だけど、例のゼロックス・パロアルト研究所で見たAltoのようなGUI を実現したいんだ。悪いがApple III にかまっている時間などないのさ」
スティーブはすでにApple III への興味を失っていたのだ。

1980年5月、カリフォルニア州アナハイムで開催されたナショナル・コンピュータ会議でApple III が発表されたとき業界筋や報道関係者からは賞賛の声が上がりウェンデル・サンダーは鼻高々だった。
結局その2,3ヶ月後に新しいOS、ワード・プロセッサ、VisiCalc、高機能BASICと共に発表され、Apple III 待望の機運は高まった。そしてついに秋になって出荷されるとすぐに欠陥品として返品と苦情が相次いだ。

ロッド・ホルトの危惧が当たってしまった。欠陥の直接の原因はともかく、それらの担当者や責任者らは様々なプレッシャーの中で自分たちの役割を全うしていなかった。トラブルの原因は十分なテストをしていたら防げるはずのことだった。
Appleの評判は大いに傷付いた。

すべてはスティーブ・ジョブズはもとよりマイク・マークラおよびマイケル・スコットらの油断というより過信がホルトの言うとおり過酷な開発期間と適切なテストもしないまま出荷した結果だった。
Apple Computer社が設立されたとき、Apple II はプロトタイプながらすでに存在した。したがってApple III はAppleが最初に独力で開発した製品だったが、それが失敗という結果に経営陣は愕然とする。
スコッティはスコッティで、失敗の原因はスティーブ・ジョブズだと頑なに信じて疑わなかった。スティーブが開発現場をかき回したからだと怒っていたのだった。

(続く)

【主な参考資料】
・「パソコン革命の英雄たち~ハッカーズ25年の功績」マグロウヒル社
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
・「スティーブ・ジョブズ 青春の光と影」東京電機大学出版局刊


ブログ内検索
New web site
[小説]未来を垣間見たカリスマ  スティーブ・ジョブズ
ジョブズ学入門
WATCH 講座
大塚国際美術館ひとり旅
ラテ飼育格闘日記
最新記事
お勧めの新旧記事
カテゴリ
リンク
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

プロフィール

appletechlab

Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員