パット・シップマン著「ヒトとイヌがネアンデルタール人を絶滅させた」読了

久しぶりに犬に関する本を買った。それもリアル本屋で...。犬好きでかつネアンデルタール人うんぬんといった考古学的な人類学全般に興味を持つ1人としては読まずにいられないタイトルだ。なにしろ本書の主張はネアンデルタール人は現生人類が家畜化に成功したイヌの存在で絶滅が加速化したというのだから…。


私たち現生人類の祖先は生物史上最も侵入的な生物だったという主張から本書は始まる。最初から刺激的ではあるがそれは間違いないだろう...。現生人類は約20万年程前に進化の一歩を踏み出して以来、地理的領域を次々と侵略し、新たな土地に定着しては生息地を開拓し世界中に広がった。

その過程で多くの種を絶滅に追い込んだことは議論の余地はないが、では現生人類とネアンデルタール人の関係はどうなのだろうか...という論が本書で学術的に紹介されていく。
ただしネアンデルタール人と現生人類とが重なって存在した時間枠もはっきりしていないようだし、ホモ・サピエンスがネアンデルタール人を駆逐したという明確な証拠もなく、これまでは気候変動がネアンデルタール人を絶滅させた直接の要因と考えられてきたようだ。

しかし気候変動ならそれ以前にもあったわけでそれだけがネアンデルタール人絶滅の直接原因と考えるのは矛盾があると筆者はいう…。

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※パット・シップマン著、河合信和[監訳]/柴田讓治[訳]「ヒトとイヌがネアンデルタール人を絶滅させた」原書房刊


本書の論点はヨーロッパに進出した現生人類が、すでに衰退しつつあったネアンデルタール人を意図せざる結果として滅ぼしたとし、それにはこの頃にいち早く家畜化されるようになったイヌ(オオカミイヌ)の存在があったというのだ。
とはいえ個人的な興味はといえばネアンデルタール人と現生人類の考古学的検証ではなくあくまでヒトとイヌとの共生化・共進化にあり、かつそれがネアンデルタール人絶滅に関与したのかどうかに興味があったわけだが本書は決して読みやすい本ではなかった...。

本書の筆者パット・シップマンは、古人類学の専門家との立場からこれまで認められてきた考証と新しい学術証拠を駆使しながら現生人類とオオカミイヌとの接点やその時代考証を論じ、それらがネアンデルタール人の息の根を止めた事実を証明しようとしている。
ただし学者ゆえか、全15章でなりたつ本書の11章までがいわゆる状況証拠のパズル解きに費やしており12章になってやっと「イヌを相棒にする」が出てくるその構成は正直苦痛だった。

無論パット・シップマンの説は現在のところ仮設の域を出ていない。しかし狩りの手法や生活手法に違いがあったにせよネアンデルタール人と現生人類は似たもの同士だった。それなのに一方が気象変動で絶命し一方が生き残ったというのはやはりしっくりしない。そこにはなにか決定的な要因があるはずで、それが現生人類が家畜化したイヌが大きな役割を果たしたという展開は面白い。

現生人類もネアンデルタール人も他の生き物とは比較にならない知能があったにせよ文字通りの弱肉強食の世界においてはあまりに無力な生き物だったはずだ。現生人類もネアンデルタール人も主に肉食だったが、周りにはマンモス、バイソン、ノウマ、アカシカ、トナカイなどといった獲物がいたが、これらを狙っていたのは人類だけではなかった。

オオカミ、ハイエナ、ホラアナグマ、ハイイログマ、ホラアナライオンなどなど人類にとって危険な動物と獲物を取り合っていたからだ。
そのうえ我々の祖先は走るのも遅く、道具や武器を持ったにせよ腕力も非力だったから狩りをするにしても犠牲が多かったに違いない。そしてせっかく得た獲物を住居に持ち帰る前に他の動物たちに横取りされる可能性も大だったはずだ。

しかしイヌが…オオカミに準じる社会的な動物である大型のイヌが現生人類と共に狩りに参加していたとすれば状況はまったく違ってくる。それも複数頭ならより強力な助っ人になる。現代の猟犬の活躍を例にするまでもなく獲物を探し出す確率も大幅に向上するだろうし攻撃力も増し、現生人類のリスクも低くなると共に他の猛獣たちが近づけば警告を発したり守ってくれたりもしただろう。そして獲物を引きずって住居まで持ち運んでくれる労働力にもなるに違いないし残飯整理もしてくれる。さらに一緒に寝れば暖房効果も抜群だ...。

と...面白そうだと飛びついた本書だったが、前記したように大半は年代測定や発掘結果の詳細な検証あるいは再検証といった専門的な話しが続き正直飽きてしまう(笑)。無論こうしたことは自説を押し進めるための大切な理論武装なのはわかるが、本書は一般向けの出版なのだから今少し構成や表現方法に工夫が必要だと思う。

そういえば、本書の出版よりさかのぼること3年前の2012年、ヒトとイヌとの共進化を分かりやすく解説した1冊「ヒトはイヌのおかげで人間(ホモ・サピエンス)になった」ジェフリー・M・マッソン著(飛鳥新社刊)が出版されている。こちらも最新の考古学の成果を土台にヒトとイヌの共進化という大胆な仮説を提唱しているが、動物行動学や著者の愛犬の実話などを交えての内容は読みやすくわかりやすい。

「ヒトとイヌがネアンデルタール人を絶滅させた」の帯には「世界のメディアが驚きと共に紹介!」と記されているが、ヒトとイヌが共進化し協力し合うことで現生人類に生存のための力を与え進化を促したことは先に「ヒトはイヌのおかげで人間(ホモ・サピエンス)になった」で詳しく論じられているし、現生人類が頂点捕食者である限り、時代をオーバーラップして共存していたとするネアンデルタール人にも大いなる脅威になったことは至極当然のことで帯のコピーは些か大げさだ(笑)。

それに頂点捕食者としての現生人類...というとらえ方にしてもパット・シップマンが最初に唱えたわけではない。すでにジェフリー・M・マッソンも同書のなかで我々の祖先の立場を頂点捕食者と明言している。無論こちらはネアンデルタール人との関係ではなくあくまでヒトとイヌとの関係に主軸を置いた考察だが、人類にとってイヌがどれほど特別な存在なのかについてあらためて目覚めさせてくれる。

したがって本書の役割は古人類学者の専門家の立場から、いかにイヌとヒトが近づき、人から見ればイヌ(オオカミイヌ)を家畜化する機会があったのか、その信憑性ある考古学的根拠を示す点にあるためどうしても詳しいデータの提示と詳細な解説にならざるを得なかったに違いない。
さらに何故ホモ・サピエンスとイヌがタッグを組んだようにネアンデルタール人にもそのチャンスがなかったのか...について知りたいものだが、読み飛ばしがなければ...この重要な点についての論評はなかった...。

ということで読みやすい1冊ではなかったが、本書「ヒトとイヌがネアンデルタール人を絶滅させた」は確かにタイトルが刺激的でそそられるし、繰り返すがネアンデルタール人の絶滅とイヌの家畜化を絡ませた点は確かに面白い。

現生人類はオオカミイヌの家畜化に成功しこれまでにない新しい技術的進歩を遂げ、それが大きな武器となったもののネアンデルタール人はそうではなかった。そして気候変動も相俟って同じ獲物を取り合うなかで現生人類とオオカミイヌとのタッグが功を奏したというわけだ。それにしても犬は凄い、素晴らしい!


 


私のトラウマと夢の考察

先日、知人らとの話しの中でトラウマの話題が出た。それぞれ抱えてきた...抱えているトラウマについて雑談したが、私自身は幼少期から2つのトラウマを抱えているようだ。何故ならいまだにそれらを基にした夢を多く見る...。今回は幼少期から抱えてきた個人的なトラウマについてのお話しである。


「トラウマ = trauma」とは...明鏡国語辞典によると「心理的に大きな打撃を与え、その影響がいつまでも残るようなショックや体験。心的外傷。精神的外傷。」だという。
私の場合、影響が日々の行動に明確に現れているとは自覚していないが、夢の中でははっきりと自覚できるほど頻繁にその痕跡を暗示する夢を見る…。

まずひとつめだが、夢はこんな感じだ。
尿意をもよおし、トイレを探すが夢のバリエーションはここでまず2つに分岐する。ひとつはトイレがなかなか見つからないという夢だ。暗く裏長屋のような場所をさ迷う場合もあれば、コンクリート打ちっ放しの現代的な建築内、あるいは明らかに大きなホテルや公共施設といった場所をトイレを探して歩き、走り回るというパターン。

2つ目は周りの人にトイレの場所を聞くなどしてたどり着き、ドアを開けるもそこは狭い押し入れのような場所だったり反対にかなりの広さはあるが散らかってトイレには思えず躊躇している...。といった夢だ。

こうした夢をいまだに見る...トラウマの原因は自分なりに分かっている。
それは小学5年生の一学期まで生まれ育った環境によるものに間違いない。この時代、私は東京の北区中十条というところにあった大きな2階建てアパートに親子5人で住んでいた。実際の所記憶はあやふやだが子供心には古くて規模が大きく戦前に建てられたアパートのように思えたが、エントランスはエンタシスのような太い柱が2本あったし、複数のドアを開けて入ると中央は1階の各部屋に続く廊下、そして右側には立派な階段があり2階へと続いていた。

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※昭和28年(1953年)8月、アパートのエントランスで弟と


アパートの内部だが中央に通路があり、左右共に6件ほどの部屋があったように思う。それぞれが6畳一間と現在の観点から見れば実に狭い部屋だが戦後の混乱期だったことを考えればしかたがなかったに違いない。
アパートは洗濯場とトイレが共同だった。ドアを開け4件分ほど廊下を直進すると洗濯干し場に出るドアがあったが正面は西音寺というお寺の墓地だった。

そこを左に曲がると右側には洗濯場があり、各部屋の洗い桶や洗濯板といった私物が立て掛けてあり、その奥がトイレだった。確か個室が4個と男子用便器が3基ほどあったように記憶している。
真っ昼間のお墓は子供たち格好の遊び場だった。それは大人たちも同じで閻魔の石像の王冠を灰皿代わりにしていた旦那衆もいた(笑)。

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※墓地の石像前に座り込んでいる2歳の筆者


しかし夜になると様子は一変する。廊下の裸電球は暗く、子供心にひとりで夜中にトイレに行くそのこと自体がとても怖かった。なにしろ正面にある勝手口のドアのガラス窓からはぼんやりと墓地が見えたからだ。また洗濯場もトイレも暗かった。共同洗濯場上にあるたったひとつの裸電球が前記したタライの影を廊下まで延びさせときに人の影のような形に見え怯えた。

この「夜にトイレに行くのが怖い」という感情は子供の私だけ特有のものではなかった。なぜなら隣の家族は夜トイレに行くときには家族全員(4人だったか...)で出かける習慣があったくらいだ。だから尿意をもよおしてもなるべく我慢しようとして漏らしてしまうこともあったくらい出かけるのが怖かった。

小学5年生の夏、母が応募した都営住宅への申込みが当選し2LDKに引越することになったときその住宅には風呂はなかったが専用のトイレがあった。弟と飛び上がるように喜んだことを覚えているが、お若い方にこのときの喜びを理解いただけるかは心許ない…。
すでに50数年も前のこの記憶がいまだに夢の中に様々な形、バリエーションとして現れるのだから面白いといっては語弊があるが自分でも笑ってしまう。しかしこればかりは自分でコントロールできないのだから仕方がない。

さてもうひとつのトラウマだが、こちらは原因が分からない。
これまた頻繁に夢に現れる決まったストーリーなのだが、さまざまな土地や場所に仕事や旅行で行った先から自宅に戻るときに不安に苛まれるという夢だ。その不安とは身の危険といった深刻なことではなく「どのように戻ったらよいか」が分からず困っているといったストーリーである。

駅のシーンでは何番線の電車に...何行きの電車に乗ったらよいかが分からず迷っている。駅員に聞いても適切な受け答えをしてくれない。
あるいは夕暮れのどこか校外にいるようだが、用事が終わりさて帰宅しようと考えるものの駅はどこなのか、どちらの方向に歩けばよいのか、バス停はあるのかが分からず、あたりは暗くなってきて途方に暮れている自分がいる。

この種の夢は場所に多くのバリエーションがあるのも特長だ。前記したように駅や校外だけでなく大きなビルの中で迷子になったり...といった場合もある。
そしてリアルな意味で唯一記憶に残っている同種の出来事はこれまた小学校低学年のとき、母の許しを得てはじめて一駅先の赤羽駅まで弟を連れて行くことになった。目的は確か友達の家にいくことだったが、親なしで電車に乗ったのははじめてだったし弟を連れ大きな不安とプレッシャーを抱いたことは忘れられない。しかしその程度の事がいまだに尾を引いているとは疑問だが、本当の所はわからない。

まあ夢判断とか精神分析の力を借りるまでもなく素人考えでもこの種の夢は何らかの "不安" を意味していることはわかる。先行きの不安なのか、生きることへの不安なのかは分からないが、トイレの夢同様少年期からの夢なのだ…。
これらの夢は決して楽しい夢ではないが、自分の深層心理というか、普段は意識していない奥底の心を知る手段として我ながら面白いと考えている…。



浦久俊彦著「138億年の音楽史」読了〜本書こそがリベラル・アーツな1冊

浦久俊彦著「138億年の音楽史」(講談社現代新書)は新書版の小ぶりな1冊だがとてつもない1冊だった。リュート/月琴奏者の永田斉子さんのツィートに出てきたその書名に惹かれて早速手にして読み始めたが、最近では一番の1冊になりそうだ。音楽史とあるものの一般的な意味において音楽理論とか歴史や作曲家などを取り上げたものではない...。


「はじめに」の書き出しにあるように「音楽とは何か」を問うのが本書の目的だが、書名である "138億年" がビッグバンを意味していることから分かるように、射程距離は宇宙誕生から現代までとてもつなく広くまた深い。しかもそれを大著ではなくコンパクトな新書サイズに凝縮するというのが本書のミッションのようだ。

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※浦久俊彦著「138億年の音楽史」(講談社現代新書)


とはいえ本書は学術書でもなければ体系的な音楽通史を扱ったものではないがそれこそ宇宙誕生から現在に至るまで、われわれはどんな過去にさかのぼっても音楽に出会うその "音楽" とは何物なのかをまるでミステリー書を読むように誘ってくれる。

決して難解ではないが一語一行毎の意味を噛みしめながら一通り読んでみた。簡単に読書後の感想などと平たい言葉を発する気にならないほど面白かったが、特に第6章「理性という音楽」に出てくるリベラル・アーツという語に惹かれた。
リベラル・アーツといえばあのスティーブ・ジョブズがアップルという企業を「われわれはリベラル・アーツとテクノロジーの交差点にいる企業だ」と自負したことばが記憶に残っているがそのリベラル・アーツである...。

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※Appleを「われわれはリベラル・アーツとテクノロジーの交差点にいる企業」と主張するスティーブ・ジョブズ


しかしどうにも現在の我々にはリベラル・アーツといえば大学で誰もが身に付けるべき基礎教養的科目という理解が一般的だが、それではスティーブ・ジョブズのいう意味が理解できないに違いない。リベラル・アーツとは本書によれば「数論」「音楽」「幾何学」「天文学」という基礎科目をベースに「文法学」「修辞学」「論理学」が加わりリベラル・アーツと呼ばれる教養カリキュラムが生まれたという。そしてリベラル・アーツという言葉には「人間の精神を自由にするための教養」という意味が含まれているという。

この6章を読んでいてふと本書の意図や意味が少し理解できたように思えた。なぜなら本書「138億年の音楽史」は「音楽とは何か」をテーマにした1冊ではあるが、本書は比喩的にも1冊丸ごとがリベラル・アーツを具現化したそのものではないか...と閃いた。

なにしろビッグバン宇宙論から始まり、気になるキーワードを思うがままにピックアップすると、ヘーゲル、ピョタゴラス、哲学、5世紀〜6世紀ローマの哲学者ポエティウス著「音楽論」、旧約聖書の「創世記」、プトレマイオスとアレクサンドリア、ケプラー、ガリレオ・ガリレイ、ティコ・ブラーエ、神々の起源と音楽、キリスト教、カトリックとプロテスタント、イエス・キリスト、ルターと宗教改革、日本の神と音楽、国家の誕生と政治、戦争と武器と音楽、労働と音楽、古代ギリシャと音楽、政治イベントとしての国際音楽コンクール、ショパン、源氏物語、宮廷音楽の変遷、クレオパトラと音楽、古代中国と音律、職業の誕生と音楽家たち、ルイ14世と宮廷バレエ、ヴェルサイユの大祝宴、ヴァイス、バッハ、武器としての音楽、アウシュヴィッツのオーケストラ、鴨長明、感情と理性から描く西洋音楽史、オペラと歌舞伎、デカルト、ジャン=ジャック・ルソー、ジャン=フィリップ・ラモー、リベラル・アーツ〜知としての音楽、譜線記譜法の発明、マックス・ウェーバー、芸術としての音楽の誕生、録音メディアの発明、ビートルズ、超ひも理論、自然観と楽器の変遷、歌が創造する世界、DNA(デオキシリボ核酸)、音楽療法の未来、人体と宇宙...などなどとなる。
本書の帯にある「圧倒的教養」というコピーに納得せざるを得ない。

個人的にはこうした百科全書的なアプローチは好きなのだが「音楽とは何か」という赤い糸に導かれながら本書を読んでいると全てがすんなりと理解できるはずはないものの、それこそそれぞれのキーワードが考えるきっかけとなり精神が解放されていく感覚が宿ってくる。
これこそ読書の醍醐味であり目的ではないだろうか...。そして内容は深淵だが読みやすい。

なお最終章における筆者の結論については正直100%納得できないものの、本書で検証される音楽は我々人類にとっての音楽だからして、私たち人間の存在を抜きにしては語れないことだけは理解できる...。
音楽好きの方は勿論だが、逆にそうでない方にもお勧めである。





純正品の1/10 の価格でAKAI EWI USB用スタンドを考える!決定版!

過日AKAIのウインドUSBコントローラー「EWI USB」のスタンドを純正品の1/10の費用で実現するというアーティクルをMacTechnology Lab.のウェブサイトでご紹介した。本編ではより身近にあるものを使ってさらに簡単に「EWI USB」用のスタンドを実現するアイデアをお伝えしたい。


くどいようだが再確認すると現時点で「EWI USB」用の純正品スタンドはAmazonで13,800円で販売されている。私には製品の価格を高いと批難する趣味はないが、もっと安い方法で同じような効果を生む方法を考えるという趣味は持っている(笑)。

そこでウクレレやヴァイオリン用のスタンドとして販売されている「キクタニ ウクレレ・バイオリン兼用スタンド VS-100 ブラック」という1,318円の製品を手に入れ、簡単な改造(というほどのことではないが)を施すことを考えた次第…。文字通り価格は1/10なのだ。ただしEWI用ではないから何らかの方法で立て掛けるEWIを支えるための受け皿が必要となる。

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※キクタニ ウクレレ・バイオリン兼用スタンド VS-100 ブラック


それが別途ご紹介した...例えばタッパウェアの蓋などをスタンドのU字型ロッドに乗せたり挟んだりして止めるという方法だった。そして私がご紹介した例はApple純正イヤフォンが収納されていたプラスチック製ケースの蓋を使うというものだった。これなら透明で自己主張せず、さらにサイズ的にU字型ロッドの間に接着できる大きさだったからだ。

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※Apple純正イヤフォンが収納されていたプラスチック製ケースの蓋を受け皿として使った例


ただしレポートにも記したが、本止めしてしまうと折り畳みができなくなる。ということで仮止めということでゴムバンドを巻いただけで完成ということにした…。
実利用においてこれで何の問題もなかったが、ゴムバンドを巻いているとき別のアイデアが浮かんだ。今回はそのご紹介である。

結論を先に申し上げるなら、受け皿部分として「リストバンド」を使うというアイデアである。もしリストバンドが手元になかったら使い古しの靴下の裾部分を切りとったものでもよい。無論洗濯後のやつが好ましい(笑)。

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※リストバンドを受け皿として使う!


もうお分かりだと思うが、リストバンドは輪になっているから、それをスタンドのU字型ロッドにかぶせればそれだけでOKという代物だ。何の秘密もノウハウもないが、リストバンドにも L とか M といったサイズがあるようだから、小さめの方がよいだろう。

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※スタンドのU字型ロッド部分(上)にリストバンドを被せれば完成(下)


適度に伸びるリストバンドはそれ自体がEWIを立て掛けた際のクッションになるしEWIに傷を付けることもない。そして丁度ハンモックみたいに適度にたわんでEWIを支えてくれる。またEWI 内部から落ちる唾液の吸収材にもなる。もともと汗を拭き取るためにも使われるわけだから材質的にも最適だ。したがって定期的に取り替えて洗濯すると良いが、取り替えるのも簡単だ。

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※完成したEWI スタンド


さらにリストバンドにも様々なデザインの製品があるようだから、テニスプレーヤーがある種のファッション…自己主張の意味を含めて目立つリストバンドを着けるのと同様に自身のEWIを際立たせるファッショナブルなリストバンドを使うというのも楽しいに違いない。

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※リストバンドにEWIが乗った部分の拡大


タッパウェアの蓋...といったアイテムはなかなかサイズや形が今回の用途に合うようなものがないし、結局ゴムバンドなどで止めるのであれば今回ご紹介したリストバンドの方がスマートでより簡便な方法ということになるに違いない。それにリストバンドにも様々な価格体のものがあるが、例えば新たに1,000円のものを購入したとしてもスタンド本体と含めて2,318円でEWI用スタンドが出来上がることになる。
EWIユーザーの方は是非お試しになっていただきたいしそれこそリコーダーやフルートスタンドにも最適ではないだろうか。



ローライフレックス Automat MX Tessar 75mm f3.5 の試し撮りの結果報告

ローライフレックス Automat MX Tessar 75mm f3.5 に初めてフィルムを装填し撮影してみた。何かを撮ろうとした明確な意図があったわけではなく、これまで使ったことのないクラシックカメラがどれほど使えるのか、あるいは使えないのかを知るためだった。


普段何の心配もなくデジタルカメラを使っていると、そもそもカメラという機器の仕組みやらなど考えないで撮影していることがほとんどだ。しかし一昔前の銀塩カメラを扱うとなれば事情は大きく違ってくる。

今回の試写はあくまで手元にあるローライフレックス 二眼レフカメラがどれほど使い物になるのか、あるいは飾り物でしかないかを知る第一歩の意味合いによるものだったがやはりデジカメと扱いは違わざるを得ない。

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※ローライフレックス Automat MX Tessar 75mm f3.5は果たして使い物になるのか?


絞りやシャッタースピードが適切に動作するのか、そして撮影用のレンズに傷やカビ、あるいはくもりなどによる撮影に支障があるのかないのかを知るのが先決と思ったからこその試写である。
目視した限りでは大きな問題はないように思えたが、カメラは精密な光学機器でもあるから実際に撮影してみなければ本当の所はわからない。

初めて白黒120フィルム(ブローニーフィルム)をカメラに装填し1本12 枚撮りを楽しんでみた。何しろ銀塩カメラは昔取った杵柄だがそれらはほとんど35mmフィルムであり120フィルムは扱ったことはない。装填はもとより撮影が終わり、フィルムを取り出す際にも些かぎこちないのはしかたない…。

さて撮ったフィルムは現像しなければならないが、ネットで調べたらフィルムを宅配便や郵送すれば現像からプリント、さらにCDへのデジタル化までやってくれるラボがある事を知った。自由が丘に店舗があるポパイカメラさんだ。
勿論利用させてもらうのは初めてだが、ともかくオーダーシートに必要事項を書いて撮影したフィルム1本を送ってみた。ウェブによれば戻ってくるのに7日から10日ほどかるというが、ただ待っていればよいので気が楽だ...。

送った翌々日のことだったか、ポパイカメラさんから確認の電話をいただいたが、結局送ってからちょうど10日目にネガとプリントが届いた!
いやはやデジタルカメラに慣れすぎたのだろうがこの10日間の長いこと...(笑)。

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※ポパイカメラさんから依頼した現像とプリントが届いた。多少の難はあるようだが「綺麗に撮れています...」とコメントが


丁寧に包装されていた包みを急いで開いてみると...おっ、撮れているではないか。気がつくとポパイカメラさんからのメモがあり「ローライきれいに撮れていますが、少しネガの両サイドが感光しているようです」と書かれていた。お陰様で丁寧な仕事をしていただいたことが実感できて嬉しかった。

確かに12枚のブローニー2Lサイズにプリントされた写真を確認するとその両サイドにわずかな光漏れらしい痕がある。ただし今回は室内で撮った写真と外に出て撮ったものが混在しているが、外の景色を撮った物には光漏れらしきものが見えない...。

ネガも確認してみたが、カメラ本体の不調というよりもしかしたらフィルムを取り出す際にロールが少しばらけた感じになった記憶があるから、その際に光が入ったのかも知れない。
今回フードも使わなかったからか、室内での撮影では強い照明が映り込んだ感じもあるし、こうした点は後数本試し撮りして原因を特定しようと考えている。

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※まずまず大きな難はなく撮れていたうちから3枚をご紹介。2枚目と3枚目はピントが甘い。実際は2Lスクエアでプリントした【クリックで拡大】


写真の出来だが、野外での撮影はともかく近距離のピント合わせが甘い結果が目立つ。ローライフレックス 75mm f3.5 でぎりぎりピントの合う距離に寄って撮ってみようと試みた中には失敗も目立った。ただし絞りとシャッタースピードに関しては致命的な間違いはないようで安心したが、デジタルカメラではほとんど意識せず多くの枚数を撮っていることと比較すれば1枚の写真に対する思い入れの度合いが随分と違うように思えて面白い。

というわけで今回カメラ本体のテストをと考えた撮影は幸いレンズもほとんど問題ないようだし遊び楽しむには十分だと確信した。
なおこれは覚悟の上だし織り込み済みだが、12枚撮りブローニーフィルム1本あたりの価格は勿論、ラボへの送料および現像・プリント代および代引送料を合算すると4,814円かかった。この費用を高いとは思わないものの闇雲に何でもかんでも撮り溜めて現像やプリントをお願いするわけにはいかないことも確か...。
ともかく次はカラーフィルムを試してみたいが、実に楽しみである。



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appletechlab

Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員