白内障手術の顛末〜手術編

左目の白内障手術をした。昨年末あたりから病状が進行し視野の中央の混濁が著しくなったからだ。例えて言えば、眼鏡の中央を脂ぎった指で触ったように見えないのだ。


我々は人それぞれ認識の違いが存在するともいわれている。私たちには視覚/聴覚/嗅覚/味覚/触覚の五感が備わっているが人により五感の優位度が違うという。難しい事はともかく私自身は間違いなく視覚優位の人間だと思っているので目が見えないことは非常に辛い。
無論誰だってよりよい視力を望んでいるのだろうが、若い時から目の質が悪いというか強度の近眼に乱視と飛蚊症が入り、加齢と共に老眼が加わった。その上に白内障と緑内障の症状が出たというので2か月程度毎に近所のクリニックに通っていたが、クリニックの先生より白内障は手術を勧められた。

愛犬との散歩も危なっかしくなってきたし何よりもパソコンのモニターの文字が判別できないし写真のピントが合っているかどうかを判断するのに苦労するようになってしまった。これは手術をしなければ今後の生活に大きな支障が出ると考えて決断した...。

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※個人差があるものの一般的に我々は視覚で世界のほとんどを認識しているらしい


紀田順一郎先生からもその顛末や注意点などをお知らせいただいていたから多少の予備知識はあったつもりだった。しかしいざ自分の事となれば心配事は当然としても真剣にならざるを得ない。
まずはクリニックから紹介状を書いて貰い、指定の大学病院に出向いた。
検査の後で手術担当医に会い概要を聞く。第一希望は日帰り手術を希望し最後に看護師からより詳しい手順やらの話があり、次の検査および面談日を決めて帰った。

その日はまだ手術日は決められなかったので別途早めに決めて医者側の都合とすり合わせ、手術日を決めるべく調整することにした。手術のため当日病院に入るのは早い時刻だそうだが、順番もあるし救急病院でもありもし緊急性のある患者が運び込まれたりすれば私の手術は夜になる可能性もあるそうだ。
ともかく日帰りができたとしても片目で帰らなければならない。また予期せぬこともありうるし女房に同伴してもらいたいと女房の仕事の調整もした結果手術日を決めて病院に電話する。幸いその日で問題がないようなのでより詳細なことは2度目に通院する際に聞くことにする。

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※私の左目の視力イメージ。実際にはもっと見えないかも。特にモニターや本の文字が判別できないのは辛い


10月末に女房と一緒に病院を訪れた。手術の前後の注意などについて家族の理解も必要だといわれたからだが、いやはや覚悟はしていたがなかなかに大変なことだということが実感として分かってきた。
細かなことはともかく、術後が厄介だ。手術前は手術の3日前から処方された目薬を1日4回注すことになる。それ以外にもともと緑内障の進行を止める目薬を2種類使っており、これと一緒に使うことになるわけで注意をしないと何が何だか分からなくなってくる(笑)。それに目薬をさした後、別の目薬は5分以上経ってからやらなければならないというし忘れないようにするだけで気が重い。

問題は術後だ。手術が万事上手くいき予定通り当日退院できたとしても左目は眼帯をしているし目を押したり擦ったりは厳禁なことは勿論、一週間ほどは顔を洗ってもいけないという。また埃やゴミが入ったり感染を防ぐために目薬は欠かせないし保護めがねをするようにといわれた。

さて、手術の当日はなんということか、11月の初雪は54年ぶりだというアクシデントに見舞われた。アクシデントというのは言い過ぎかも知れないが1日入院(日帰り)のために病院に行くのも難儀だし、術後は片目だ。降り積もれば健常者だって危ないというのに慣れない片目で安全に歩けるのかと不安がよぎる。
ともあれ手術当日は午前8時半に大学病院へ行き、手続きを行い。術前術後を過ごす病棟のベッドに案内される。

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※手術当日は54年ぶりの初雪とかで足元に不安だ...


事前の検査や確認の後、ベッドで順番待ちとなる。渡された専用の上下に着替えてひたすら待つが、私は担当の執刀医の4番目だという。その過程で指示された「散瞳剤」という目薬を30分おきに注すことを指示され、体温と血圧を測ってひたすら待機だ。

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※日帰り入院ではあるが待機と術後の処置のためにベッドが用意される


担当の看護師からは「午前11時過ぎに呼ばれると思います」と言われていたが、声がかかったのは11時45分を回った頃だった。なんとベッドから車椅子で手術室まで向かうという...。
そのときの気持ちは意外と冷静だった。これまで体験したことがなかった車椅子に座らされて手術室に向かう。エレベータも使い長い通路を人気のない方向にと進むが、眼前に "手術室" と書かれた大きなドアを目にしたときは「いよいよか」と些か緊張した。

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※患者を間違えないようにと手首にリストバンドをつけられる


まあまあ手術といったことは楽しいとか嬉しいはずもない。これまで局部麻酔の手術を二度、全身麻酔の手術も一度体験しているが目の手術は独特の恐怖感がある。局部麻酔で手術は行われるが当然のことながら目は見開いたままで執刀を受ける。自分の目にメスが近づいて来るのはどんな気分なのだろうと想像するだけで寒気がするではないか(笑)。

車椅子からいわゆる手術用の椅子に座り変える。もうこうなればまな板の鯉であり執刀医を信頼してお任せするしかない。
ブルーのキャップを被せられ目の縁にテープを貼られて該当部位だけが開いた布みたいなものを顔全体に被せられる。こうなると天井は見えるが自分の左目がどのような状態にあるかは想像するしかない。
どうやら話しに聞いていた瞼を開いたままにする道具で上下の瞼が固定されたことを感じる。

液体が注入され、続いて麻酔だという薬が二度落とされた。素人にもいよいよだということがわかる。
そういえば左手人指し指に脈をモニターするためか、指サックみたいなものをはめられ、右二の腕には手術中数度圧迫を感じたが血圧をモニターするのだろう。そして胸には心電図の吸盤が取り付けられている。

「始めますよ」の声と同時に目の前には強い光が点灯し、麻酔や事前に注した薬のためか全体がボケた光の中にいるような感じだ。古いイメージだと執刀医の顔や手に持ったメスが迫ってくるというビジュアルが浮かぶが、現在はマニュアルの手術はほとんどなくいわゆるレーザー治療であり医師は顕微鏡を覗きミリ単位の非常に細かな手腕が求められるという。したがって目に見えるのは前記した強い光だけだ。

一瞬角膜にメスが入ったことは感触で分かったものの無論痛みはない。ただし執刀医の処置により光りの位置が変わったり流れたりして大げさに言えば光の変化を美しいと思った。どこか映画「2001年宇宙の旅」の最後でボーマン船長が異次元世界を通り過ぎる際のシーンを思い出していた。
水晶体を超音波で細かく砕きながら吸引しているのだろうか、機械が独特な音階を奏でているのが余計にSFっぽい。

白内障の手術は乱暴にいうなら、濁った水晶体を取りだし、人工レンズを注入するのだという。メスが入り、しばらくすると見えないながらも全体がボケた感じがして視界の様子が変わったので「水晶体が吸い出されたのかな」と感じる。そして「少し圧迫感がありますよ」という説明の後に「あっレンズが入ったのかな」と感じる一瞬があった。
途中で何度も液体が流れたが、時々眩い光の周りにほんの少し室内が見えたような気がした。後は終始物が見える状態ではないので当初感じていた恐怖感は吹っ飛んでいた。

執刀医が同室の看護師に「次の患者さんをお連れしてください」という。ということは私の手術はまずまず無事に終わり最終処置の段階なのだろうと勝手に判断しちょっぴり安堵した。
手術室に入ってから20分くらいだったか、私の左目は分厚いガーゼのプロテクターが貼られた後にまた車椅子で自分のベッドに戻された。

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※術後の左目部分は分厚いガーゼのプロテクターで覆われた


病室で待っていてくれた女房の顔を見てほっとする(笑)。後は1時間安静にし、その後に再度体温と血圧を計り問題がなければ帰宅することが出来ると説明を受ける。
その間、遅れた昼食が出る。朝食が早かったからかなりお腹が空いていたし好き嫌いは言っていられないのでとにかくいただくが、女房はパン類と珈琲を用意していた。病院の1階にはコンビニがあるのでそこで買ったのかと聞くと、コンビニが昼の時間に各病棟を回ってワゴン販売をしてくれるのだという。素晴らしい!

窓の外を確認すると小降りになったとはいえ雪がまだ降っていて一面の銀世界だった。
問題は手術した左目部位には分厚いガーゼがテープで貼られており常用の遠近両用眼鏡がかけられない。したがってド近眼の片目だけで女房に手助けされながらなんとか無事に帰宅したが、とにかく目が見えないのは実に辛い。そして麻酔が切れたからか、手術直後にはほとんど感じなかった異物感が辛くなってきた。例えて言うならはじめてコンタクトレンズを入れた直後のあの感じだ。痛いという感覚ではないが、不快である。

退院時の説明では明日の通院時にガーゼを外して検査してから3種類の目薬をそれぞれ一日4回注すことになるという。目薬でもさせばゴロゴロ感も薄れるのではないかと素人考えが頭をよぎるが、まさか外してはならないといわれたプロテクターを取るわけにもいかず我慢するしかない。無論手術が終わった直後から厚いガーゼのプロテクターで左目は覆われているので、視力が回復したかどうかは明日にならないとわからない。

ともかく初めての体験だからして、こんな状態・症状でよいのかと不安になるが明日の午前中に外来で診察を受けるのでとにかく寝ようとプロテクターの上から保護めがねをかけた状態で床についた。しばらくの間、左目のゴロゴロ感が気になっていたがやはり気疲れしたのだろう意外と早く寝ることが出来た。その後数時間して目が覚めたときにはそのゴロゴロ感はかなり薄れていたので一安心した…。

(続く)



当研究所に五劫思惟阿弥陀如来坐像が鎮座

我が研究所にはいくつかお気に入りの仏像があるが、この度新たに小さな仏像が鎮座することになった。それが五劫思惟阿弥陀如来坐像であり高さが115mmというほんとに小さな仏像だ。しかしその姿は一度見たら決して忘れられないに違いない。本作のモデルは東大寺勧進所阿弥陀堂の本尊「五劫思惟(ごこうしゆい)阿弥陀如来坐像」(国重要文化財)である。


予備知識なしでこの阿弥陀様を見たら、「なに?アフロの仏像ってあったの?!」と吹き出すかも知れない。無論これはアフロヘアーではない(笑)。
簡単に説明すれば、五刧思惟阿弥陀(ごこうしゆいあみだ)は阿弥陀如来の異形のひとつで、阿弥陀仏が法蔵菩薩の時、もろもろの衆生を救わんと四十八願をたて、修行をし阿弥陀仏となった時の姿をあらわしたものだという。したがって永い間、剃髪をすることもなく坐禅・思惟していたので、髪(螺髪)が伸びこうした髪形になったというわけだ。

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※五劫思惟阿弥陀如来坐像【クリックで拡大】


ではどれほど長い時間なのかはその名「五劫」に表されている。
“劫(こう)” とは長延な時間の単位であり、一劫とは三年(百年とも)に一度地上に舞い降りる天女の羽衣が大きな岩に触れ、その摩擦で岩が減ってなくなるほどの時間を意味するという。そもそもはサンスクリット語であり、その場合の1劫は43億2000万年という説もあるらしい。

別の説では一辺が約7kmの立方体(城)を芥子粒でいっぱいにし、百年に1度、その芥子粒を1つずつ取り去って、すべてなくなってもまだ終わっていないほどの時間を意味するという...。

ということはもし1劫が43億2000万年とするなら、5劫なら計算上、43億2000万年×5 = 216億年ということになるが、これは現宇宙のはじまりといわれるビッグバン(138億年前)より遙かに昔ということになる(笑)。

さらに五劫とは21億6千万年といった説もあるものの、要は極めて長い宇宙論的な時間の単位であり無限を意味すると考えてよいのだろう...。
そういえば、落語の「寿限無 寿限無 五劫の擦り切れ...」はここからきている。

要はどのように衆生を救ったら良いかを恒久の時間考え続けていたためにこのような髪型になった阿弥陀如来の有り難さ、慈悲深さ、そして偉大さを具体的な形にした仏像なのだ。
なお、東大寺勧進所阿弥陀堂の本尊は秘仏であり毎年10月5日に一般公開されるらしい。本像は高さ106cmほどのヒノキの一木作りで鎌倉時代の作だというが、五劫思惟阿弥陀仏の類は全国でも16体ほどしかみられない珍しい姿という。

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※顔部分の拡大


さて、今般手に入れた五劫思惟阿弥陀像は前記した東大寺勧進所阿弥陀堂の本尊をモデルにした造作だが、特に可愛らしさを感じさせるようにと全体的な丸みを強調し、顔に残る金箔の剥落具合にも拘った造形だ。したがって比較すれば顔の造作や衣のひだなどが東大寺のとは少し違う。ちなみに材質はポリストーンだ。

その我が研究所に鎮座する五劫思惟阿弥陀像を眼前にしてふっとその顔を見れば幼児のようなふっくらとした表情とちょっと…いや、その異形な髪型に思わず「ほっこり」としてしまう。その顔は仏像というより赤ん坊の顔に思えてくる。
そして五劫という気の遠くなるというかまったく感覚的にも分からないほどの長い間、我々のことを思いやって思惟し続けてくれる阿弥陀如来に思わずチューでもしたくなる(笑)。

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※サイズは115mmと小さい。サイズ比較のiPhone 6s Plusを光背として置いてみた(笑)


我が研究所には大阪四天王寺の秘仏である菩薩半跏思惟像(国宝)のレプリカなど数体の仏像が混在している。そして当研究所の菩薩半跏思惟像も五劫思惟阿弥陀様も秘仏ではないので毎日、日々顔合わせが出来る(笑)。そしてこれらの仏像を見つめていると気持ちが穏やかになり「そうそうあくせくしなさんな、いらいらしないでゆったりとかまえようね」と諭されるような気がする。それこそが御利益なのかも知れない。

なお、ご紹介した五劫思惟阿弥陀如来坐像は「イSム・オンラインショップ」で100体限定の先行販売で入手したものだが、一般販売は10月26日からだという。

イSム 五刧思惟阿弥



「スティーブ・ジョブズ 無謀な男が新のリーダーになるまで」(上巻)読了の感想

待ちに待ったブレント・シュナイダーおよびリック・テッツェリ著「Becoming Steve Job」の訳本が出版された。日本語訳はお馴染みの井口耕二さんである。待ちきれずに英語の原著も開いていたが、やはり気軽に読めるのは翻訳者のおかげであり実にありがたい!感謝。


ということで本書は上下巻2冊で出版されているが、2冊はかなりのボリュームなので今回は上巻のみの感想をお届けしてみたい。
さて「Becoming Steve Job」の原著はウォルター・アイザックソンの公式伝記と同じサイズの1冊だが、日本語版は前記のとおり上下巻で出版されたものの訳本のタイトルが長すぎる(笑)。

繰り返すが原題は「Becoming Steve Job」といたってシンプルだが、日本語版は「スティーブ・ジョブズ 無謀な男が新のリーダーになるまで」と長い。本書だけではないが近年の翻訳本はタイトル/サブタイトルが長すぎる...。
この日本語版も例えば「真のスティーブ・ジョブズになるまで」程度で良いのではないか。事実下巻の帯には「こうして、彼は『スティーブ・ジョブズ』になった。」とあるではないか。

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※ブレント・シュナイダーおよびリック・テッツェリ著/井口耕二訳「Becoming Steve Job」日本経済新聞出版社刊の上下巻


さて、スティーブ・ジョブズという人間をより知りたいと思う場合にはご存じだと思うが公式伝記という存在がある。前記したウォルター・アイザックソン著だがジョブズが願った通りに描かれたかはともかく、とかく批判も多い1冊で、特にジョブズを知る人たちからは真のスティーブ・ジョブズが描けていないという声も多いという。

そうした背景もあるのか、本書にはジョブズの真の姿を描いてほしいということからジョブズ夫人のローリーンやティム・クック、ジョニー・アイブといったスティーブ・ジョブズに最も身近だった人たちのインタビューも含まれ、公式伝記にはない話し、これまでのスティーブ・ジョブズの印象とは少し違った面をも浮き彫りにしている点が評価されているようだ。

本書の中で語られるスティーブ・ジョブズは、これまで我々がイメージしてきた...イメージを植え付けられた感もあるが、感情にまかせて相手を罵倒することが多いというイメージとはかなり違ったジョブズがいる。
例えばジョブズの生涯のメンターの1人、レジス・マッケンナの証言によれば、マッケンナの社員が1度電話でスティーブ・ジョブズに口汚く罵られたことがあった。それを知ったマッケンナは「2度とやるな」とジョブズに注意したそうだが、次に来訪時にその部下のところまで行き、誤ったという。このようなジョブズは我々のイメージとはかなり違う...。

NeXTとピクサー時代にそれまで閃きの変人だったジョブズがビジョナリーおよびCEOに相応しい人間に変貌していったというのが本書のテーマのようだが、我々はなぜApple復帰後にあのような満塁ホームランを打てたのかに興味があるわけだが、本書のページをめくっていくと、ジョブズもジョブズなりに苦悩し、学ぼうと努力している様が伺える。
最高の製品を作りたい。そのためにはAクラスの人材だけを採用したい。そう考える中で妥協とか限界を簡単に口にする相手を許せなかったジョブズの姿が浮かんでくる。

というわけで期待を裏切らない著作だが、重箱の隅を突くつもりはないし、粗探しのつもりでもないもののやはりいくつかの点で気になる部分がある。ここでは上巻の2箇所についてご紹介しておくが、実際の記録という面ではいずれも蔑ろにしてはならない点だと思う。

まず最初は82ページにある「1,295ドルのアップルIIは、1977年4月に発売されるとすぐ大ヒット商品となる」という記述だ。
しかしApple II が "発売" されたのは4月ではなく6月だ。いちおう原書を確認してみると「the $1,295 Apple II was an immediate hit upon its April 1977 introduction.」とある。"introduction" は一般的に考えてもこの場合は「紹介」とか「発表」の意であり販売ではない。

事実Apple II は1977年4月16日〜17日に開催された第1回ウエストコースト・コンピュータ・フェア(WCCF)でお披露目されたのでありここは「1,295ドルのアップルIIは、1977年4月に発表されるとすぐ大ヒット商品となる」とすべきだろう。
さらにいうなら原著にもこの時の販売価格は1,295ドルと書かれているが、当時Apple自身がBYTE誌に掲載した広告によれば4K RAM仕様の価格は1,298ドルとなっている。

2つ目だが、ここの訳も誤解を生みやすいかも知れない。内容だが、同じく上巻の79ページに以下の文がある。

「法人となったアップルは (中略) スコッティとマークラが人を雇い、会社としての体裁を整えていく。最初の数ヶ月、スティーブは、自分が一番得意とすることに専念した。少人数を集めて、なにかすばらしいものを作るのだ。このとき作ったのはアップルII 〜パーソナルコンピュータというものを世に知らしめたマシンである。」

日本語版を素直に読めば、まずスティーブたちはマイク・マークラらの支援を受けて会社を法人化する(1977年1月3日)。2月に入りCEOとしてマイケル・スコットを迎えるが、体勢が整ったところでスティーブ・ジョブズは「なにか素晴らしいものを作りたい、作るんだと決心し」Apple II の開発を始めた...と受け取れよう。少なくとも私にはそう読めた。だとすればそのニュアンスはまったくの間違いだ。

そもそもマイク・マークラはガレージ時代のAppleに出向きウォズニアクの作ったApple 1やより素晴らしい機能を盛り込んだApple II のプロトタイプ(1976年8月頃には存在していたようだ)に感動してアップルに参画することになった。第一法人となった1月から「なにを作ろうか」と考えたのではその3ヶ月後のWCCFにApple II をお披露目するなど出来ようもない。

念のため原文を参照すると該当部分は " For the first few months, Steve kept doing what he knew how to do best: rally a small crew to produce something wonderful. " となっている。したがって和訳の「少人数を集めて、なにかすばらしいものを作るのだ。」と言い切った表現が分かりにくいのではないか。

ここは「最初の数ヶ月の間、スティーブは、自分が一番得意とすることに専念する。そして素晴らしい "ある物" を開発するために、少人数の仲間を集結した。このとき完成させたのがアップルII 〜パーソナルコンピュータというものを世に知らしめたマシンだった。」でいかがだろうか...。

結果のみに興味があるという方ならこんな些細なことはどうでも良いに違いない。しかしこうしたポイントを蔑ろにすればスティーブ・ジョブズというヒッピー同然の男がいかに苦悩しつつ、ウォズニアクを代表する周りの人間を鼓舞し、ときにおだて、ときに怒鳴り、ときに感動させながら前へと進んでいったのかという姿...過程が見えてこなくなる。

あまり内容に深入りしすぎるとネタバレだらけになるので遠慮するが、本書上巻はスティーブ・ジョブズの出生やAppleを起業した時代から始まり、Appleを去った後にNeXTを立ち上げ、ピクサーを買収、そして古巣で瀕死のAppleに復帰したところまでが描かれている。

その一通りを俯瞰するならApple時代はもとよりNeXT時代もスティーブ・ジョブズは世間知らずの自惚れ野郎でありクソ野郎だった。しかしピクサーを支援する中でこれまでには気づかなかった大切な物を感じ取っていったように思う。ともあれこれまでスティーブ・ジョブズを好きだった人も、嫌いだった人も是非読んでいただきたい1冊である。
下巻もただいま楽しみながら読んでいるが、読み終わったらまた感想などをご紹介したい。




パット・シップマン著「ヒトとイヌがネアンデルタール人を絶滅させた」読了

久しぶりに犬に関する本を買った。それもリアル本屋で...。犬好きでかつネアンデルタール人うんぬんといった考古学的な人類学全般に興味を持つ1人としては読まずにいられないタイトルだ。なにしろ本書の主張はネアンデルタール人は現生人類が家畜化に成功したイヌの存在で絶滅が加速化したというのだから…。


私たち現生人類の祖先は生物史上最も侵入的な生物だったという主張から本書は始まる。最初から刺激的ではあるがそれは間違いないだろう...。現生人類は約20万年程前に進化の一歩を踏み出して以来、地理的領域を次々と侵略し、新たな土地に定着しては生息地を開拓し世界中に広がった。

その過程で多くの種を絶滅に追い込んだことは議論の余地はないが、では現生人類とネアンデルタール人の関係はどうなのだろうか...という論が本書で学術的に紹介されていく。
ただしネアンデルタール人と現生人類とが重なって存在した時間枠もはっきりしていないようだし、ホモ・サピエンスがネアンデルタール人を駆逐したという明確な証拠もなく、これまでは気候変動がネアンデルタール人を絶滅させた直接の要因と考えられてきたようだ。

しかし気候変動ならそれ以前にもあったわけでそれだけがネアンデルタール人絶滅の直接原因と考えるのは矛盾があると筆者はいう…。

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※パット・シップマン著、河合信和[監訳]/柴田讓治[訳]「ヒトとイヌがネアンデルタール人を絶滅させた」原書房刊


本書の論点はヨーロッパに進出した現生人類が、すでに衰退しつつあったネアンデルタール人を意図せざる結果として滅ぼしたとし、それにはこの頃にいち早く家畜化されるようになったイヌ(オオカミイヌ)の存在があったというのだ。
とはいえ個人的な興味はといえばネアンデルタール人と現生人類の考古学的検証ではなくあくまでヒトとイヌとの共生化・共進化にあり、かつそれがネアンデルタール人絶滅に関与したのかどうかに興味があったわけだが本書は決して読みやすい本ではなかった...。

本書の筆者パット・シップマンは、古人類学の専門家との立場からこれまで認められてきた考証と新しい学術証拠を駆使しながら現生人類とオオカミイヌとの接点やその時代考証を論じ、それらがネアンデルタール人の息の根を止めた事実を証明しようとしている。
ただし学者ゆえか、全15章でなりたつ本書の11章までがいわゆる状況証拠のパズル解きに費やしており12章になってやっと「イヌを相棒にする」が出てくるその構成は正直苦痛だった。

無論パット・シップマンの説は現在のところ仮設の域を出ていない。しかし狩りの手法や生活手法に違いがあったにせよネアンデルタール人と現生人類は似たもの同士だった。それなのに一方が気象変動で絶命し一方が生き残ったというのはやはりしっくりしない。そこにはなにか決定的な要因があるはずで、それが現生人類が家畜化したイヌが大きな役割を果たしたという展開は面白い。

現生人類もネアンデルタール人も他の生き物とは比較にならない知能があったにせよ文字通りの弱肉強食の世界においてはあまりに無力な生き物だったはずだ。現生人類もネアンデルタール人も主に肉食だったが、周りにはマンモス、バイソン、ノウマ、アカシカ、トナカイなどといった獲物がいたが、これらを狙っていたのは人類だけではなかった。

オオカミ、ハイエナ、ホラアナグマ、ハイイログマ、ホラアナライオンなどなど人類にとって危険な動物と獲物を取り合っていたからだ。
そのうえ我々の祖先は走るのも遅く、道具や武器を持ったにせよ腕力も非力だったから狩りをするにしても犠牲が多かったに違いない。そしてせっかく得た獲物を住居に持ち帰る前に他の動物たちに横取りされる可能性も大だったはずだ。

しかしイヌが…オオカミに準じる社会的な動物である大型のイヌが現生人類と共に狩りに参加していたとすれば状況はまったく違ってくる。それも複数頭ならより強力な助っ人になる。現代の猟犬の活躍を例にするまでもなく獲物を探し出す確率も大幅に向上するだろうし攻撃力も増し、現生人類のリスクも低くなると共に他の猛獣たちが近づけば警告を発したり守ってくれたりもしただろう。そして獲物を引きずって住居まで持ち運んでくれる労働力にもなるに違いないし残飯整理もしてくれる。さらに一緒に寝れば暖房効果も抜群だ...。

と...面白そうだと飛びついた本書だったが、前記したように大半は年代測定や発掘結果の詳細な検証あるいは再検証といった専門的な話しが続き正直飽きてしまう(笑)。無論こうしたことは自説を押し進めるための大切な理論武装なのはわかるが、本書は一般向けの出版なのだから今少し構成や表現方法に工夫が必要だと思う。

そういえば、本書の出版よりさかのぼること3年前の2012年、ヒトとイヌとの共進化を分かりやすく解説した1冊「ヒトはイヌのおかげで人間(ホモ・サピエンス)になった」ジェフリー・M・マッソン著(飛鳥新社刊)が出版されている。こちらも最新の考古学の成果を土台にヒトとイヌの共進化という大胆な仮説を提唱しているが、動物行動学や著者の愛犬の実話などを交えての内容は読みやすくわかりやすい。

「ヒトとイヌがネアンデルタール人を絶滅させた」の帯には「世界のメディアが驚きと共に紹介!」と記されているが、ヒトとイヌが共進化し協力し合うことで現生人類に生存のための力を与え進化を促したことは先に「ヒトはイヌのおかげで人間(ホモ・サピエンス)になった」で詳しく論じられているし、現生人類が頂点捕食者である限り、時代をオーバーラップして共存していたとするネアンデルタール人にも大いなる脅威になったことは至極当然のことで帯のコピーは些か大げさだ(笑)。

それに頂点捕食者としての現生人類...というとらえ方にしてもパット・シップマンが最初に唱えたわけではない。すでにジェフリー・M・マッソンも同書のなかで我々の祖先の立場を頂点捕食者と明言している。無論こちらはネアンデルタール人との関係ではなくあくまでヒトとイヌとの関係に主軸を置いた考察だが、人類にとってイヌがどれほど特別な存在なのかについてあらためて目覚めさせてくれる。

したがって本書の役割は古人類学者の専門家の立場から、いかにイヌとヒトが近づき、人から見ればイヌ(オオカミイヌ)を家畜化する機会があったのか、その信憑性ある考古学的根拠を示す点にあるためどうしても詳しいデータの提示と詳細な解説にならざるを得なかったに違いない。
さらに何故ホモ・サピエンスとイヌがタッグを組んだようにネアンデルタール人にもそのチャンスがなかったのか...について知りたいものだが、読み飛ばしがなければ...この重要な点についての論評はなかった...。

ということで読みやすい1冊ではなかったが、本書「ヒトとイヌがネアンデルタール人を絶滅させた」は確かにタイトルが刺激的でそそられるし、繰り返すがネアンデルタール人の絶滅とイヌの家畜化を絡ませた点は確かに面白い。

現生人類はオオカミイヌの家畜化に成功しこれまでにない新しい技術的進歩を遂げ、それが大きな武器となったもののネアンデルタール人はそうではなかった。そして気候変動も相俟って同じ獲物を取り合うなかで現生人類とオオカミイヌとのタッグが功を奏したというわけだ。それにしても犬は凄い、素晴らしい!


 


私のトラウマと夢の考察

先日、知人らとの話しの中でトラウマの話題が出た。それぞれ抱えてきた...抱えているトラウマについて雑談したが、私自身は幼少期から2つのトラウマを抱えているようだ。何故ならいまだにそれらを基にした夢を多く見る...。今回は幼少期から抱えてきた個人的なトラウマについてのお話しである。


「トラウマ = trauma」とは...明鏡国語辞典によると「心理的に大きな打撃を与え、その影響がいつまでも残るようなショックや体験。心的外傷。精神的外傷。」だという。
私の場合、影響が日々の行動に明確に現れているとは自覚していないが、夢の中でははっきりと自覚できるほど頻繁にその痕跡を暗示する夢を見る…。

まずひとつめだが、夢はこんな感じだ。
尿意をもよおし、トイレを探すが夢のバリエーションはここでまず2つに分岐する。ひとつはトイレがなかなか見つからないという夢だ。暗く裏長屋のような場所をさ迷う場合もあれば、コンクリート打ちっ放しの現代的な建築内、あるいは明らかに大きなホテルや公共施設といった場所をトイレを探して歩き、走り回るというパターン。

2つ目は周りの人にトイレの場所を聞くなどしてたどり着き、ドアを開けるもそこは狭い押し入れのような場所だったり反対にかなりの広さはあるが散らかってトイレには思えず躊躇している...。といった夢だ。

こうした夢をいまだに見る...トラウマの原因は自分なりに分かっている。
それは小学5年生の一学期まで生まれ育った環境によるものに間違いない。この時代、私は東京の北区中十条というところにあった大きな2階建てアパートに親子5人で住んでいた。実際の所記憶はあやふやだが子供心には古くて規模が大きく戦前に建てられたアパートのように思えたが、エントランスはエンタシスのような太い柱が2本あったし、複数のドアを開けて入ると中央は1階の各部屋に続く廊下、そして右側には立派な階段があり2階へと続いていた。

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※昭和28年(1953年)8月、アパートのエントランスで弟と


アパートの内部だが中央に通路があり、左右共に6件ほどの部屋があったように思う。それぞれが6畳一間と現在の観点から見れば実に狭い部屋だが戦後の混乱期だったことを考えればしかたがなかったに違いない。
アパートは洗濯場とトイレが共同だった。ドアを開け4件分ほど廊下を直進すると洗濯干し場に出るドアがあったが正面は西音寺というお寺の墓地だった。

そこを左に曲がると右側には洗濯場があり、各部屋の洗い桶や洗濯板といった私物が立て掛けてあり、その奥がトイレだった。確か個室が4個と男子用便器が3基ほどあったように記憶している。
真っ昼間のお墓は子供たち格好の遊び場だった。それは大人たちも同じで閻魔の石像の王冠を灰皿代わりにしていた旦那衆もいた(笑)。

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※墓地の石像前に座り込んでいる2歳の筆者


しかし夜になると様子は一変する。廊下の裸電球は暗く、子供心にひとりで夜中にトイレに行くそのこと自体がとても怖かった。なにしろ正面にある勝手口のドアのガラス窓からはぼんやりと墓地が見えたからだ。また洗濯場もトイレも暗かった。共同洗濯場上にあるたったひとつの裸電球が前記したタライの影を廊下まで延びさせときに人の影のような形に見え怯えた。

この「夜にトイレに行くのが怖い」という感情は子供の私だけ特有のものではなかった。なぜなら隣の家族は夜トイレに行くときには家族全員(4人だったか...)で出かける習慣があったくらいだ。だから尿意をもよおしてもなるべく我慢しようとして漏らしてしまうこともあったくらい出かけるのが怖かった。

小学5年生の夏、母が応募した都営住宅への申込みが当選し2LDKに引越することになったときその住宅には風呂はなかったが専用のトイレがあった。弟と飛び上がるように喜んだことを覚えているが、お若い方にこのときの喜びを理解いただけるかは心許ない…。
すでに50数年も前のこの記憶がいまだに夢の中に様々な形、バリエーションとして現れるのだから面白いといっては語弊があるが自分でも笑ってしまう。しかしこればかりは自分でコントロールできないのだから仕方がない。

さてもうひとつのトラウマだが、こちらは原因が分からない。
これまた頻繁に夢に現れる決まったストーリーなのだが、さまざまな土地や場所に仕事や旅行で行った先から自宅に戻るときに不安に苛まれるという夢だ。その不安とは身の危険といった深刻なことではなく「どのように戻ったらよいか」が分からず困っているといったストーリーである。

駅のシーンでは何番線の電車に...何行きの電車に乗ったらよいかが分からず迷っている。駅員に聞いても適切な受け答えをしてくれない。
あるいは夕暮れのどこか校外にいるようだが、用事が終わりさて帰宅しようと考えるものの駅はどこなのか、どちらの方向に歩けばよいのか、バス停はあるのかが分からず、あたりは暗くなってきて途方に暮れている自分がいる。

この種の夢は場所に多くのバリエーションがあるのも特長だ。前記したように駅や校外だけでなく大きなビルの中で迷子になったり...といった場合もある。
そしてリアルな意味で唯一記憶に残っている同種の出来事はこれまた小学校低学年のとき、母の許しを得てはじめて一駅先の赤羽駅まで弟を連れて行くことになった。目的は確か友達の家にいくことだったが、親なしで電車に乗ったのははじめてだったし弟を連れ大きな不安とプレッシャーを抱いたことは忘れられない。しかしその程度の事がいまだに尾を引いているとは疑問だが、本当の所はわからない。

まあ夢判断とか精神分析の力を借りるまでもなく素人考えでもこの種の夢は何らかの "不安" を意味していることはわかる。先行きの不安なのか、生きることへの不安なのかは分からないが、トイレの夢同様少年期からの夢なのだ…。
これらの夢は決して楽しい夢ではないが、自分の深層心理というか、普段は意識していない奥底の心を知る手段として我ながら面白いと考えている…。



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主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員