いただいたFon 11ac対応高速Wi-Fiルーター FON2601Eを試す

自宅に安価なWi-Fi環境を作りたいという知人からFonの事を聞かれた。最新の「Fon 11ac対応高速Wi-Fiルーター FON2601E」を二つ頂戴したとかでひとつを私にくれるという。そういえば2008年の年末だったが「FON La Fonera (ラ・フォネラ) 」というルーターを当時お付き合いしていたクライアントから数個貰ったことがあり、ホームページをリニューアルした時期だからとうち2個をプレゼント企画に載せたことがあった。それ以来Fonを手にしたことはなかった。それはやはりセキュリティ面で信頼がおけなかったからだ。


ともあれ、いただいた「Fon 11ac対応高速Wi-Fiルーター FON2601E」を実用として活用するつもりはないが、アクセススピードや接続の容易さを提供してくれた彼に報告しようと仮設置してみた。すでに自宅にはApple AirMac Extremeを使っているから不足はないしあくまで興味本位である。
製品パッケージには「Fonルーター設定ガイド」なる折りたたまれたものが同梱されているのでそれに従ってセットアップだ。


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※「Fon 11ac対応高速Wi-Fiルーター FON2601E」のパッケージと同梱品


「Fon 11ac対応高速Wi-Fiルーター FON2601E」本体は11センチほどの正方形4辺を丸くした可愛らしい形をしている。まずは本体に付属のACアダプターを取り付け、LANケーブルでインターネットに接続されているルーターとつなぐ。しかしFon本体が真っ白で比較的小型なのに対してACアダプタは黒いのはともかくかなり大きめなのが気になる。

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※背面の各接続端子


ともかく接続するとFon上部の地球アイコン部が点滅しすぐにグリーンに点灯すれば良し、もし点滅したままならPPPoEの設定が必要となる。
しかし幸いなことに私ケースではグリーンランプは点灯しセットアップの基本は完了した。確かに簡単だった。

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※本体のセットアップは完了


さてFonは一般的な市販ルーターとはその存在価値が些か違う。ご存じの方も多いと思うが例えば自宅用として設置するとプライベート用Wi-Fi「MyPlace」と他のFonメンバーが利用可能なFonスポット用のWi-Fi「Fon Wi-Fi」が発信される。
そのプライベート用Wi-Fi「MyPlace」は暗号化された自分専用のWi-Fiエリアであり、他のFonユーザーはアクセスできない仕組みだ。ただし「Fon Wi-Fi」という無料Fonスポットは認証されたFonメンバーのみが利用可能であるとしても暗号化はされていない。

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※iPhoneでWi-Fi接続を試みた。プライベート用として「MyPlace」および「MyPlace_5G」と公開用の「Fon WiFi」が使えるようになっている


要はFonとは無線LANのアクセスポイントを共有するシステムでありコミュニティーで、会員数すなわち設置されている数が多いほど会員は外出先でFonスポットの恩恵を無料で受けられるわけで利便性が高まるという理屈。
ただし一般的な公衆無線LANネットワークのアクセスポイントとは異なり、その大半は個人によって設置されたものである点が特徴だ。ために都心部の駅や商業地域ではなく住宅街を中心にスポットが形成されている場合も多い。
また本商品は、Wi-Fi alliance(Wi-Fiの相互接続性を保証する団体)が定める新規格IEEE802.11ac(11ac)での通信が可能でかつ電波干渉が少ない5GHz帯に対応のため最大で866Mbpsの高速転送が可能だという。

ただしFonはこれまでにも問題点を多々指摘されてきた。
それはプロバイダによってはFonの利用は回線の又貸しになるとして禁止を定めているところもあるからだ。反面国内におけるパートナーシップ・プロバイダも存在し自治体や小規模店舗の活用事例もあるが、「Fon Wi-Fi」は暗号化されていないためセキュリティへの不安や通信速度の低下、そしてなによりも悪意を持ったユーザーにとって犯罪の温床になる可能性も指摘されている。

どいうことかといえば、例えばいま私が公開の「Fon Wi-Fi」に悪意の第三者がアクセスし、犯罪行為が行われた場合、真っ先に疑われるのはその回線の契約者・利用者である私ということになる。また「Fon Wi-Fi」は暗号化されていないため、アクセスしたノートパソコンやスマートフォンの個人情報を覗かれる可能性もあるという。まあそもそも無料サービスの公衆無線LAN利用はお勧めできないがFonの「Fon Wi-Fi」も同じである。

結局知人には、「Fon 11ac対応高速Wi-Fiルーター FON2601E」の設置は確かに簡単だった事を報告しつつ、数千円出せば立派な無線ルーターが買える時代だからして安全に長くWi-Fiを使うにはFonは勧めない旨を提言しておいたが、果たして彼はどういう判断をするのだろうか。
私はといえば、Fonを利用するメリットがないので接続設定が問題なく完了した後は外してしまい込んだ。


Adobe Muse CCによるサイトデータをFTPアップロードする際の覚書

ウェブサイトの構築は秀逸なツールの登場により随分とやりやすくなった。しかし、いざ問題が起きればやはり基本的な知識の有る無しが大きな意味を持ってくる。過日より現在使っているxserveのレンタルサーバー内に別のドメインでとある方専用の写真閲覧サイトを作ることにした。


制作ツールはAdobe Muse CCだからデザインも思うままだし一覧表示させる写真のサムネイルをクリック/タップすると実寸の写真を表示するという程度ならあっというまに作ることが出来る。しかし最後の最後、すなわちサイトデザインやデータ構築の設定が終わりプレビューで確認後、いざFTPアップロードしようとした時に問題が発生した。

要はエラーとなってアップロードが出来ないのだ。
大方のFTPツールによるデータアップロード時の設定は決まり切ったことに違いない。すでに私は同じサーバー内にウェブサイトを構築して利用しているのだからなんの難しいこともないだろうとたかをくくっていた。
最初はサブドメインを設定し…とも考えたが今後のことを考慮しかつ構築もシンプルだと思い、新たにドメインを取得しネームサーバーもすでに設定済みで追加のFTPアカウントも設定した。

Muse CCでFTPアップロードの場合「FTPサーバーに接続」と「FTPホストにアップロード」の二つのダイアログにあるフィールド内に正しい情報を設定する必要がある。
まず「FTPサーバーに接続」だが、ドメインを例えば abcde.com だとすればこんな感じだ。

 ・FTPサーバー: xx1234.xserver.jp   <—サーバー名
 ・ユーザー名: xxxxx@abcde.com  <---追加FTPアカウント
 ・パスワード: xxxxxxxxxx

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続いて「FTPホストにアップロード」の設定だがこんな感じになる。

 ・サイトURL: http://abcde.com/  
 ・サーバー上のフォルダー: /home/mactechlab/abcde.com/public_html

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まあこんな感じでやってみたが旨く行かない。問題は明らかで「FTPサーバーに接続」の設定項目は明白でありここは間違いはないはずだ。ということは「FTPホストにアップロード」の設定に問題があるわけだからと以前の記憶を呼び覚ましながらサイトURLにwwwを付けてみたりサーバー上のフォルダー内容を変えてみたりしたものの「フォルダ xxx はサイト yyy を指していません」というエラーメッセージに悩まされる…。

翌日、状況を明記してxserve のサポートへメールで問い合わせることにした。結果数時間後に解答をいただいた。レスポンスが速いのは実に助かる。サポートからのアドバイスは「接続先ディレクトリを/home/mactechlab/abcde.com/public_html にご変更いただき、FTPデータがアップロードできるかお試しください」というものだった。

ちょっと首を傾げつつまずはその通りやってみた。接続先ディレクトリを指定通りに変えてやってみたが同じエラーが出る。
早速サポートへその旨と次の対策を問い合わせた。
今度も迅速に返事をいただいたが、先の担当者とは別の方だったが「アップロードにご利用のアプリ側で接続先のフォルダ設定等を行われている場合、二重の設定となってしまうため、アプリ側でこのような設定をなさっている場合、すべて削除(空白の状態)にて、改めてFTP接続をお試しいただきたく存じます」という解答をいただいた。

この種の事に詳しい方ならこの解答でその意味が分かるのかも知れないが残念ながら私は混乱(笑)。第一、接続先ディレクトリを変えろとは前の担当者の指示だったではないか。
それに「すべて削除(空白の状態)にて、改めてFTP接続をお試しいただきたく存じます」の主語が不明だ…。
この肝心なところでサーバーをぐしゃぐしゃにしたくないと考え、ストレートに「なにをどうするのか」とまたまた問い合わせた。

しかし少し冷静になるとやっとサポートからの指示の意味が分かったように思えた。
接続先ディレクトリを/home/mactechlab/abcde.com/public_html にしている以上、アプリ設定のサーバー上のフォルダーサーバー箇所に同じ /home/mactechlab/abcde.com/public_html を入れたのではサポートの回答通り設定が重複することになる。
ではどうするか…。
「すべて削除(空白の状態)にて」という意味だが、まさか追加FTPアカウントの接続先ディレクトリを消せというはずもない。だとすればアプリ設定のサーバー上のフォルダーサーバー箇所を空白にしろということに違いないと思い当たった。

サポートから具体的な回答がある前だったが、早速やってみた。
嗚呼…アップロードは瞬時に終わった…。

FTPUP_03.jpg


その数時間後、サポート担当者からは「FTP接続を行うアプリ側の削除であり追加FTPアカウントへの設定変更などは不要」という返事をいただいた。

今回の教訓はアプリ側のフィールドには “空白もあり得る” ということを知ったことだ。
今更だが、FTPアップロード設定のフィールドは不可欠な設定であり、決められた通り正確な記述をしなければならないのは勿論、すべてのフィールドは埋めなければならない…埋める必要があるのだという先入観が問題解決に時間がかかってしまった要因のひとつだった。
問題が解決すればすべてOKなのだが、ともあれ後日の検証のためにもその行き掛かりを覚書として残しておくことにする。



なぜパーソナルコンピュータはIBMやDECから登場しなかったのか?

先日お若い技術者数人とお話しする機会があったが、私のブログをお読みいただいているとかで話題はマイコンとかパソコンが登場した黎明期の出来事となった。なかでも彼らが知りたがっていたことはなぜパソコンは大手企業から登場しなかったのかという一点だった。


「なぜだと思いますか」という私の問いに、コンピュータメーカの大手は「未来を見つめる眼をもっていなかった」「個人用コンピュータの存在意義がわからなかった」「オモチャ同然の製品を作るという発想がなかった」など様々な意見が飛び交った。
事実、個人用コンピュータの魅力を世に知らしめたのはMITS社のAltair8800だったし、それに刺激を受けたスティーブ・ウォズニアックが作ったApple I だったといって良いだろう。

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※Apple I clone (当研究所所有)


特にAltair8800は商業的に成功したといわれているし発売から1ヶ月もしないうちに4,000台ほどの注文が殺到した。しかし実際に出荷できたのはその半分程度だったが。
ともあれ当時熱狂的に受け入れられたAltair8800だとしてもそれは現在我々がiMacやMacBookに抱くイメージとはまったく違う。

まずAltair8800が出荷されたほとんどは組立キットであったこと。したがって説明書はあったにせよ問題なく動作させるようにハンダ付けし組み立てるまでのハードルは高かった。そしてAltair8800本体だけでは具体的なあれこれはできず、メモリの拡張はもとよりテレタイプ端末やビデオターミナルといったものが必要だった。
Apple I にしても程度の違いはともかく活用するにはフルキーボードと電源およびモニター(家庭用TVも可)をユーザー自身が用意し接続しなければならなかったし不用意に外部のものとの接触を防ぐためにケース類も自作する必要があった。
要はこれらの製品は一般大衆を相手にしたプロダクトではなかった。コンピュータやデジタル回路に精通した人たちの夢を叶え刺激を与えるには役立ったがなにも知らないただ新しい物好きの人たちが手にしてもどうなるものでもなかった。

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※MITS社Altair8800


ともあれ1960年代の終わり頃の米国は大学の動乱期だった。ベトナム戦争の影響もあり多くの若者が既成の価値と体系を疑問に思っていたがテクノロジーの面でも同様だった。
大型コンピュータやミニコンと呼ばれたミニコンピュータは体制側、そしてカウンターカルチャーとしての意識付けからマイコンとかパソコンが生まれたと考えられる場合もある。確かに個人用コンピュータを欲した当時の人々の中には、例えばリー・フェルゼンスタインのような反対体勢をあからさまに謳う人物もいたがそうした意識だけでパーソナルコンピュータが誕生したわけではなかった。

1970年には2種類のコンピュータが2種類の会社により販売されていたといえる。ひとつは部屋ほどの大きなサイズのメインフレーム・コンピュータでIBM、コントロール・データ、ハネウェルらにより販売されていた。価格は100万ドルに近くで多くは顧客の注文で1台ずつ製造されていた。
一方、DECとかヒューレット・パッカードといった会社が作っていたミニコンピュータ、通称ミニコンはより大量に生産され企業や多くの研究所らに売られていた。価格は数万ドルでサイズは本棚程度の大きさだった。

したがってもしメインフレームやミニコンメーカーがその気になればコンピュータを一般の人たちにも普及させるに十分な資金・技術・絶好のチャンスを持っていたと言える。そして特に夢想家でなくても近い将来、ミニコンが小型化の道を辿り、机上に乗ったりブリーフケースに納まるコンピュータを思い浮かべることはできたしそれは特別なことではなかったといえよう。

というか、それが時代の流れであり当然の成り行きだと考えられていた。
なにしろコンピュータメーカーの技術者や半導体の設計者ならずとも各部品が年々確実に安く、小型で高速になっていくのを眼のあたりにしていたからだ。
だから十中八九、ミニコンメーカーが小型のパソコンを開発するのは確実に思えた。しかしそうはならなかった...。パソコンはご承知のようにそれまで既成企業の外で働いていた個人あるいは個人企業によって生み出される結果となった。

繰り返すがメインフレームやミニコンメーカーの技術者たちが尊大であったとか未来を見る目がなかったわけではない。事実大手企業のいくつかでは熱心な技術者が詳細な提案をし実際に動作する試作機を作ったり具体的なパソコン開発計画を進めたケースがあるという。
しかし結果として提案はすべて否認され、試作機は棚上げされ、計画は中止となった。

例えばヒューレット・パッカードはメインフレームからポケット型電卓までを生産していた。したがってパソコンを開発する下地は十分にあった。さらに同社の上級技術者らはスティーブ・ウォズニアック自身から独自開発したApple II を生産販売しないかと打診されている。
律儀なウォズニアックは自身が勤務している会社に無断で開発したコンピュータを販売するのを後ろめたく思って持ち込んだが、ヒューレット・パッカードの結論は同社として相応しくないプロダクトだと断る。結局ウォズニアックはスティーブ・ジョブズとアップルを設立しその後の礎を作った。
一説にヒューレット・パッカードの判断の礎はウォズニアックが学位を持ってなかったこと、コンピュータの専門家ではなかったから断ったという話もあるようだ。

またデジタル・イクイップメント(DEC)も結果として新技術を活用し損なった。同社は最初で最大のミニコンメーカーであり、当時として最も小型のコンピュータをいくつか生産していた。例えばPDP-8の一機種は、セールスマンが自動車のトランクに入れて運び、訪問先で設置できるほど小型だった。広い意味でいうなら同機はポータブル・コンピュータだった。
DECの社員だったデビット・アールはコンピュータの個人向け市場に関心を寄せていたし、経営委員会にパーソナルコンピュータ販売計画を提出した。そこには業界で最も賢明な経営者の一人と言われていたケネス・オルセン社長もいたが、家庭でコンピュータを欲しがる理由が認められないと結論づけた。まさしく体制側の発想そのものだった。
デビット・アールは大きな挫折感を味わい、スカウト会社からの話しを受け入れた。アールはウォズニアック、アルブレヒトなどと同じように会社を辞めてパソコン革命の火中に飛び込んでいった。

経営者たちはパーソナルコンピュータの未来に興味はなかった。結局エンジニアとプログラマを雇い、金を払ってサポートを購入してくれる顧客に販売するのと個人へ安価なコンピュータを売り切るには雲泥の差があった。DECなどは個人と商売する気はさらさらなかった...というより企業の利益を危なくすることは何であれ排除するのがセオリーだった。
とはいえ時代は動く。もしメインフレームのメーカーやミニコンメーカーがパソコン革命を起こすのを待っていたらそれは間違いなく起こったに違いないがかなり後になったろう。そしてその価値観も随分と違ったものとなっただろう。しかし革命が起こるのを待っていられない人たちは体制側を見限り自分たちで革命を起こしたのだ。
ちなみに当のDECは1980年代後半になるとパーソナルコンピュータ市場の成長によるマイコン革命の波を真面に被りそのシェアは急速に侵食されていき、結局1998年6月コンパックに買収される。

ともあれマイクロプロセッサの存在はコンピュータを作ることが可能である点については公然の事実だったがMITSのエド・ロバーツ以前にあえて挑戦しようとした人はほとんどいなかった。そして全てのパーツを揃えキット販売して成功した企業はなかった…。
なにしろコンピュータ界の巨人IBMは、非力なオモチャ同然な製品など意味が無いと考えたし、個人がコンピュータを欲しがるというその意味も理解できなかった。それにマイクロプロセッサを開発した当のインテルでさえ、その用途はコンピュータというより各種制御装置の部品として使うべきものだと考えていた時代だった。

ただしハッカーのリー・フェルゼンスタインのようにオモチャ同然の「Altair8800」ではあってもそれは今にも起ころうとしている革命の発端なのだということに気づいた人たちもいた。
「Altair8800」の重要性は製品の有用性やテクノロジーの進歩といった点にあるのではなく、その一番の価値は価格の安さと将来性だった。それにコンピュータを所有すると言うことはその限りにおいて利用者は神にもなり得る力を持つことが期待できるのだ。

MITS社のロバーツはコンピュータをキットの形で販売、それもできるだけ安くすれば年間数百万台の販売も可能だと考えたが、皮肉にも自身が起爆剤となった市場の拡大スピードについていけずにドロップアウトしたものの、結果論として彼が考えていた以上に人々にインパクトを与えた…というより新しい市場を作り出し、未来への明確な橋渡しを果たしたことは間違いない。

なにしろホームコンピュータがほとんど実用的とはいえない時にエド・ロバーツは年商数十億ドルの産業を開拓し個人でコンピュータを持つという夢が叶うという事実を生んだことは勿論、「Altair8800」の存在はそれまでなかったソフトウェア市場というものも生み出したのである。
なぜならハードウェアはソフトウェアなくして意味をなさないからだ。その最も象徴的な会社がビル・ゲイツとポール・アレンにより創業されたマイクロソフト社だった…。そのマイクロソフト社の設立のきっかけは「Altair8800」の登場だったのである。

【主な参考資料】
・「パソコン革命の英雄たち」マグロウヒル刊



デジタルから少し距離をおこうとする個人的な考察

今回のタイトルは時代に逆行したアナクロニズム丸出しの論と映るかも知れない。無論まったくの個人的な思いであり他人に押しつけるつもりはないが、40年間デジタルを追い続けてきた1人の素直な思いでもある…。それにいまデジカメ全盛時代にあの「写ルンです」が人気だとか。そうした傾向も考えると些かデジタルの疲れが溜まってきたのかも知れない。


毎年登場する新型 iPhoneやApple Watch等など新製品が発表されると心がざわつく。さらにmacOSやiOSも新しいバージョンが今後もリリースされ続けるに違いない。
それぞれが新しい機能満載だから、それらを手にすればきっと楽しいことが増え生活も便利になるだろう...。そう考えて私たちは新製品を求める。

確かにそうした類の進歩や進化を望むことは可能だ。以前できなかったことができるようになり、以前よりスピードが速く明るく鮮明なディスプレイ、あるいはより高解像度のデジカメを手にして写真撮影や編集に意欲が湧くことは素敵なことだ。
スティーブ・ジョブズは世界を変えたというしそれは確かに間違いはない。その恩恵の一部を我々も受けていることもまた事実である。

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ただし私たちはその恩恵により、より豊かに、より安全に、より楽しく毎日を過ごせるようになったのだろうか。
別に世界のあらゆる出来事をAppleに結びつける必要はないが、確かに世の中便利になったし IT 機器の進化により専門的な知識や技術がなくても高度でクリエイティブなことが可能になった。
これはデジタルカメラひとつを考えてみても確かなことで、銀塩カメラとは使い勝手もコスト面からも雲泥の利がある。
でも錯覚をしてはいないだろうか...。

クリエイティプなツールを手にしたからと言って皆が皆素晴らしい作品が作れるわけではないしiPhone 7 Plusのダブルレンズで誰もが人を驚嘆させる写真がとれるはずもない。
こんなことをいうと「夢のない奴だ」と笑われるかも知れないが、パーソナルコンピュータの黎明期から現在のデジタル化の波をモロに経験・体験してきた1人としてこれは実感なのだ。

最初はパソコン...例えばApple II が登場したとき、それはオモチャ同然だと既存のコンピュータメーカーは鼻も引っかけなかった。よくてゲーム機程度にしか評価しなかった。
私も1978年コモドール社製 PET2001というオールインワン・パソコンを買ったとき、親戚のオヤジに「いい歳して30万円ものゲーム機を買ったのか」と揶揄された。

しかしワードプロセッサやスプレッドシートのソフトウェアが登場したおかげで、そして後にDTPと呼ばれるデスクトップパブリッシングが発明されたおかげで社会のあり方は確かにかわった。
皆、時代に遅れてはならじとパソコンのキーボードに向かいワープロを覚え、マルチプランやエクセルを習い、ページメーカーを使えるようにと努力した。それが職場で生き残るためでもあったし、自分のスキルを高めて効率を上げられるからだと考えたからだ。

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とはいえ結果はいちサラリーマンやOLたちが考えていた思惑とは大きく違った。我々は与えられた仕事を正確にそしてなるべく早く綺麗に仕上げ、その見返りとして高い評価を受け、残業をせずに定時で帰りたいと考えた。
しかし残念ながら世の中はそんなに甘くはなく、早く終わった仕事の後には別の仕事が回ってきた。結局帰宅するのはいつもの遅い時間でしかなかった。いわゆるOA化は私たちに1.5倍から2倍の仕事をさせるための手段ともなった。

例えば企業内で印刷物を作ることを考えたとしよう。私がサラリーマンになった時代はやっと大手企業に大型コンピュータが導入され始めた時代だったが、社内向け印刷物ならタイプ室という部署に和文タイプライターをこなす女性たちが専門職として存在したから、その部署に手書き原稿を渡してタイプして貰い、ガリ版で必要枚数を刷ってもらった。「これで100枚お願いします」といえば済んだ。
さらに対外的な印刷物でクオリティを求める場合は手書きの原稿とコマ割りした図や必要な写真を出入りの印刷屋に渡せば見栄えの良い印刷物ができた。
すなわち一担当の仕事は文書の内容を精査し、原稿を書くことで完結したのである。

それがDTPが登場しポストスクリプトプリンタが導入された途端に一般職にもかかわらず、原稿書きはもとよりレイアウトからデザイン、フォントの選択、印刷に至る全行程をやらなければならないはめとなった。無論DTPソフトに精通する必要があるのは当然である。
要は、大げさに言うならコンピュータは仕事のクオリティを上げたが、我々の仕事の量を桁違いに増やしたのである。
パソコンは知的自転車と賞賛され、我々の知的活動の範囲とスピードを大幅に向上させたことは間違いないが、そのサイクル幅は短くなり、結果仕事の frequency が増大することになってしまった。企業にとっては大きなメリットに違いないが人はより働き蜂になるしかなくなってしまったともいえる。

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だから、本来ならスキルを持ったサラリーマンやOLがその恩恵を被り、より豊かな暮らしができるというのがあるべき姿ではないだろうか。しかし現実を見れば企業ばかりが利益を搾取し働く人たちを社畜としていく。私にはその原動力の一つが世の中のデジタル化、IT化であるようにも思えるのだ。

元々こうしたパソコン関連の知識は技能だと考えられた。確かに当初は誰もがパソコンを操作しデジタルデータを駆使して結果を出せるわけでもなかったからそう考えられた。そして技能はビジネスに直結し、Macintoshシステム一式を揃えて望むなら誰でもがデザイナーやクリエーターになれると錯覚した時代があった。
ただしこうしたユーザーが増えるに連れてプロフェッショナルとアマチュアの差を見極める能力のない者にとっては違いがわからず、結局価格の安い”にわかデザイナー” や “素人カメラマン” にプロフェッショナルたちが駆逐される事態も頻発する。

さて、振り返ればこれまで足掛け40年間、Appleの新製品の多くを手にしてきた。近年もiPodやiPhone、iPadそしてApple Watchにしても購入した。そして大げさに言えばその際には喜びも感じたし何かを目標とする意欲も強くなったが、冷静に考えてみればiPhone 4とiPhone 5あるいはiPhone 6になったからといって私の生活の実態が目に見えて良いベクトルへ向かったわけではない。
「あっ君もiPhone 6 買ったの?僕もだ!」という世界の住人であったに過ぎなかったといえば言い過ぎであろうか。

さらに最近あらためて実感したが、私の手元にはAppleの黎明期、パソコンの黎明期からの文書や図版あるいは自身の足跡ともいえる写真などが文字通り大量に残っている。正確に言うならたまたま残ったものもあるが、意図的に集めたアイテムもある。
これらを活用するにはデジタル化やデータベース化が必須だと誰もが思うに違いないし私もその必要性を否定するものではないが、デジタル化こそがデータを生かし保存するための最良の道だとは思わない。

振り返って見ると1977年からコンピュータの世界に足を踏み入れたが、現在写真や文書が残っていない空白の時期がある。その理由はスチルカメラやデジタルカメラが登場し始めた時期だったり、新しいデータ記録媒体が登場したり、カラー画像ファイルのフォーマットが現在とは違っていたりと黎明期特有の狭間だったからだ。
当時デジタルカメラは現在の感覚からすればメチャ低解像度であり、その当時のデジタル写真はいまではブログに載せようにも使い物にならない。しかしアナログカメラで撮ったものは紙焼きとして残っている。また紙焼きだからこそ残ったともいえる。

文書データも同様だ。これまた黎明期に存在した幾多のワードプロセッサはその文書保存の際に独自のフォーマットである場合がほとんどだった。
例えばいま、その文書ファイルを参照したいと思ってもそれを入力したアプリケーションがなければ再現できない。幸いそのアプリケーションを保存していたとしてもそれをインストールし起動するには適合するハードウェアが必要だし、第一近年のOSでは使えない。念を入れてTEXTフォーマットでコピーしていたものしか再現できないのだ。
さらにCD-Rやハードディスクに保存したがために読めなくなった貴重なデータも数多く、思い出したくもない(笑)。それに現在主流になっているクラウドだって、いつサービスが終わるか分かったものではない。

ついでといってしまえば iPhoneといったスマートフォンの登場はソーシャルネットワークの登場もあって「人と人とを繋げるデバイス」と歓迎された。確かにそうした現実も否定しないが周りをよく観察してみれば、社内や家庭においてもそこに相手がいるにも関わらず会話はスマートフォンによるメッセージで、といったケースが増えている。
いや、道を行き交う人々を見れば一目瞭然に違いない。友人と歩きながら、犬の散歩をしながらスマートフォンに向かっている人たちのなんと多いことか。
そうした現実を見るとテクノロジーは人と人を繋いだのではなく人と人とを隔絶させる役割を果たしていると思わざるを得ない。
現代の我々は人間関係の絆の生々しさを薄める感のあるSNSを求めているのかも知れない。

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私にとってMacはなくてはならない道具だが、他にも様々やりたいことが山ほどある。犬との散歩、楽器の演奏、読書、好きな音楽に身を任せること、時には等身大の女性像を造形したり最近は時代小説を書き始めるなど仕事とは距離をおいたミッションもある。

そして「手元の年賀状や領収書はすべてスキャナでデジタル化しましょう」といういった勧めもあるが、私はあえてそれはそれとしても最重要な紙ベースの資料はアナログのまま保存しておくべきだと考えている。さらにデジカメの写真も "これは" と思った一枚はプリントアウトしておくべきだとつくづく思う。
これまで多くのデジタルデータを失った自戒を込めて...。

また他人がどう思うかはともかく、私は電話やソーシャルネットワークで友人知人たちと情報交換するより、一緒に飯を喰いながら、あるいは肩を並べて歩きながら議論する方が好きだ。
バーチャルリアリティも益々期待が高まっているが、それらが有効なのは通常では体験出来得ないものが対象のときではないだろうか。できうるならこの目で現実を見つめ、空気の冷たさや臭いを感じ、この手や指で物に触れ、目の前に座っている友人知人たちと議論をするといった日常をより多く体験したいとつくづく思う今日この頃である。
まあ、こうした感慨に耽るのはまさしく歳をとったということなのかも知れないが…。



Adobe Muse CCによるサイトにAdSense広告を表示する覚書

MacTechnology Lab.ウェブサイトにAdSenseの広告を載せようと考えた。月並みだがサイト維持の経費程度は稼ぎたいと思っているからだが、それはともかく理屈を知っている方ならどうということもないのかも知れないが初めての人にとってGoogle AdSenseの広告設定は簡単ではない…。


私はかなり以前にこのAdSenseによる広告を試みたことがあるが、今回のターゲットであるMacTechnology Lab.ウェブサイトはAdobe Muse CCで構築しているという点が違う。それにAdSenseへのアプローチもいささかアップデートしたようで「さてやってみようか」と考えたものの忘れていることだらけでほとんどゼロからの挑戦となってしまった。
ということで数日悪戦苦闘した結果、何とか巧く行ったその概要を忘れないよう記しておきたい。同じようなことを考えている方の参考にもなれば嬉しい。

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※ウェブサイトの右サイド下がAdSenceによる広告。上はAmazonのアフリエイト広告



さてAdSenseとは、自分のウェブサイトに広告を掲載することで収益が得られるGoogleの無料サービスだ。まあAdSenseそのものに関しては別途お調べいただきたいが、要はコンテンツ連動型広告配信サービスである。
実施する際には費用はかからずサイトを所有していれば誰でも申込が可能だ。ただしサービスを開始する前にGoogleの審査を通る必要がある。極端にコンテンツの少ないサイトやアダルト関連あるいは暴力的なサイトなどは審査の段階で断られる。
そして目的のサイトに取得したコードを貼り付けると広告が表示され、それが閲覧者にクリックされるとあらかじめ決められた報酬が得られるという仕組みだ。ただし近年仕様変更があり無料ブログでは審査が通らないようだ。また報酬の受取人は18歳以上でなければならない。

まず最初にやるべきこと、やらなければならないことはAdSenseへの申込みとなる。
審査は大別して2段階になっている。その審査手順はネット検索すれば申請の詳細や注意点などが紹介されているサイトを見ることが出来るのでここでは省略し、実際にMuse CCの任意の位置に広告を表示する方法を記しておきたい。

WordPressを使っているサイトではAll in One SEO packseプラグインを使う場合が一般的のようだが、私はWordPressを使っていないのでまずはGoogleアナリティクスのトラッキングコードを取得しそれをMuse CCに直接埋め込む必要があるという。
何だか次々にGoogleに取り込まれていくようだが、仕方がない(笑)。
要は必須なこととしてGoogleアナリティクスのトラッキングコードとAdSenseの広告コードの2つが必要となるのでその取得をクリアしなければならない。
Googleアナリティクスのトラッキングコードはアクセス解析のためのものだが申し込んでから反映まで1, 2日かかるようだ。

トラッキングコードが取得できたら一般的な設定ではHTMLコードの「/head の前に設置する必要がある」と書かれている。しかしMuse CCでは現実問題どうするのだろうか。
そもそもMuse CCはHTMLを知らなくても高度な表現とデザイン性を持つサイトが作れることが売りなのだが、ページのHTMLをどうのこうのというのはポリシーに反するではないか...と思われるかも知れない。しかしさすがにMuse CCは簡単だった。

例えばすべてのページに広告を表示する場合ならMuse CCのデザインモードでマスターページを開き、ページメニューの「ページプロパティ...」を選択する。そしてそのウィンドウの「メタデータ」タブを開くと " head に挿入するHTML :" というフィールドが表示するのでその場所に取得したGoogleアナリティクスのトラッキングコードをコピーすればよい。
ちなみにこのトラッキングコードが生きていないページにこれから述べる広告コードを設置しても表示されないので注意が必要だ。

AdSenseAd_02.jpg

※トラッキングコードはページメニューの「ページプロパティ...」を選択しそのウィンドウの「メタデータ」タブを開いたフィールドにペーストする


次は広告コードの取得だ。これまた具体的な取得方法は省略するが、AdSenseページで広告スタイルやデザインを決めるとその広告コードが表示されるのでそれをコピーしておく。
そしてMuse CCで当該ページのオブジェクトメニューから(ページメニューではない)「HTMLを挿入...」を選びそのフィールドへ広告コードをコピーする。

AdSenseAd_03.jpg

※広告コードはオブジェクトメニューから「HTMLを挿入...」を選びそのフィールドへコピーする


最初に設定した場合、反映までしばらく時間がかかるがこれで指定した広告枠が表示するはずだ。そしてそれを置きたい位置に設置すれば完了である。後は表示させたくないジャンルの広告表示をOFFにしたりといわゆる管理作業も必要になる。
無論広告を載せたから即効果が出るほど世の中甘くはないが、まあしばらくは勉強も兼ねて続けてみたい。


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Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。2017年6月3日、時代小説「首巻き春貞 - 小石川養生所始末」を上梓(電子出版)。続けて2017年7月1日「小説・未来を垣間見た男 スティーブ・ジョブズ」を電子書籍で公開。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員