1970年代から劇的に仕事を変えた7つのテクノロジー

先日古い知人と話しをする機会があった。共に自身の体験として振り返れば劇的な...本当に激変の時代を体現してきたことを痛切に感じるといった話題になった。社会に出てしばらくは一流企業であってもゼロックスコピーもFAXもなく電卓さえ一般的でなかった。というわけで今回は私的な感覚ではあるが1970年代初頭に一部上場企業に就職した自身を振り「1970年代からの劇的に仕事を変えた7つの新テクノロジー」と題してハードウェアとソフトウェアの与太話をさせていただく...。


■1■ パーソナルコンピュータ
まずは何といってもパソコンを抜きにしてテクノロジーの進歩は語れない。とはいえ自分の仕事を変えたテクノロジーといっても、人によりそれぞれの時代を担い、それぞれの体験があるはずだが、20世紀のテクノロジーの中で社会とビジネスを激変させた最たる物はやはりパーソナルコンピュータに違いない。

後述する「電子メール」も「DTP」あるいは「表計算ソフト」にしてもすべてパソコンがあってこそのものだ。
しかし我々はいまでは何の不思議とも思わずパソコンを仕事に活用しているが、そのパソコンが個人個人の立場で仕事に使えるようになったのは意外と後になってからだ。

確かにApple II は1977年に登場したしコモドール社のオールインワンパソコンPET2001を手にしたのは1978年だった。その後、これはと思う多くのパソコンを手に入れてみたが日本語対応されておらず、手軽に自分たちの仕事に取り入れることはできなかった。無論英語圏のユーザーならApple II とプリンタがあれば実用となったに違いないが...。

個人的にパソコンが仕事で使えるという思いをしたのは1982年に登場したNEC-9801、1983年に登場したIBM5550あたりからだった。Macintoshは1984年にリリースされたがオフィシャルに日本語化されたのは1986年のMacintosh Plusに「漢字Talk 1.0」が搭載されたのが最初だった。ではそれで即仕事に使えたかといえばメモリの少なさ、アプリケーションの少なさなどの理由から極限定された範囲でしか実用にはならなかった。

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※1984年、自宅でIBM 5550を前にした筆者


私がパソコンを本当の意味で仕事に密着する形で使い始めたのは1989年に起業してからだった。そしていわゆる経理事務はもとより顧客管理や対外的な印刷物の作成などすべてをMacintoshで可能になったのはさらに数年が必要だった。
ただし振り返って見ると仕事にパソコンが導入されたことで我々1人1人は仕事が楽になったのだろうか?

現実は、手際がよくなり仕事の仕上がりが速くなった分だけ別の新しい仕事を任されるし、パソコンのハード・ソフトに関わるあれこれで従来には考えられない程、新しい事を覚えなければならなくなった。
1人のサラリーマンとしてパソコンが登場したからといって楽になったという感じはまったくといってなかった...。

現在からの視点から眺めるとパソコン無くしてどのように仕事ができるのか...と不思議な感覚に陥るが、1970年代から1990年ほどの間、パソコンも携帯電話もないのに任された任務はきちんとこなしていたはずだ。パソコンは仕事の効率を高めると同時に高度な意志決定にも重要だと思われているが、それを使うのは我々サラリーマンでありOLだ。果たしてパソコンは我々の見方なのだろうか...。

マイコンやパソコンといったものと約40年ほど格闘してきた1人として振り返れば、確かにパソコンを通じて...例えばインターネットといった新しいテクノロジーを知り、活用する術を学べたことは間違いないが、振り返れば文字を手書きで書けなくなったし友人知人たちの住所はもとより、電話番号でさえほとんど携帯電話のメモリ内に頼りきりで覚えていない自分に気づく。
外出時に財布を忘れても慌てないがiPhoneを忘れると不安でしようがない...。これはある種の依存症であり能力の視点から見て退化ではないのか...。

■2■ ボールペン
経理業務で総勘定元帳や仕入帳といったバインダー形式の元帳記入はつけペンとインクだった。家庭ではさすがにつけペンなどには縁がなかったから最初は戸惑ったが、例え自前の万年筆を持っていても使うことは禁止されていたから選択肢はなかった。
勿論間違った時は二本線で消し、訂正印を押した上で空いている場所に書き直すか、場合によっては砂消しゴムなどで完全に消し去って書き直したが、上書きはインクが滲むので閉口した。

いつの頃からボールペンの使用が許されたかは記憶にないが、当初は公文書への使用が認められなかったもののちょうど1970年代頃から少しずつ使われていったと思う。しかし鉛筆もそうだったが、職場でのボールペン利用はかなりシビアで、インクがなくなったボールペンを総務部へ持って行かない限り新しいものは支給されなかった。
ボールペンはたまにボールの先にインクの塊がこびりつき、それが用紙を汚すこともあったが、つけペンとは比較にならない便利さがあった。

ではなぜブルーブラックのインクと付けペンだったのか...。それには大きな理由があった。すでに40年も前の事だからお話しするが、帳簿がバインダー式だったことと関係する。経理上のことなのか財務的な関係なのかは平社員には判断が付かなかったが要は後で都合の良いように元帳を書き直すことができたからだと聞かされた。

用紙はコクヨ製だがそれらは年代を重ねると変色するが、日常ページを増やすためのものとは別に交換用の古い記入用紙が保存されていた。古い元帳の数ページが新しい用紙では誰が見ても書き換えたと分かるからだ。用紙はそうした配慮でなんとかなったが問題はインクであった。

新しく記入した文字と数年経過したページの文字を比較するとそのインクが経時変化で変色していた。現在のインクは分からないがその時代はまだそうしたインクがあったということだ。では...とあるページを後になって入れ替える場合にはどうするか...。くどいようだが用紙は古い用紙を使うにしろそこに記入したインクが見るも新しいものではこれまた変だ。

実は記入したインクの上に火を付けたタバコの先を近づけて熱を加えると書いたばかりのインクが変色してまるで数年あるいは十数年経過したように見えるのだった。ただし近づけ過ぎればせっかくの用紙が熱で焦げ、一ページ、あるいは裏表を全部書き直すハメとなった(笑)。

ボールペンはそうした不正を許してくれない新しい文具だった。思えば会社に大型コンピュータが導入された時期になってボールペンは社内で急速に普及した。そしてボールペンの利用は鉛筆やペンとは違い、強めの筆圧が必要なこと、線の太さが均一なことなどから大げさに言えば筆記の方法まで変化させたペンとなった。

■3■ 電子メール
電子メールの台頭は迅速に相手へメッセージを届けることが可能になっただけでなく、ビジネススタイルや価値観も変えるものとなった。
FAXが登場してもしばらくの間、いわゆるオフィシャルな内容のものは封書で送ることが礼儀であると教えられた。したがってその文面も「拝啓、貴社益々御清祥の段、お慶び申し上げます...」といった定型の堅苦しい出だしで書き始めたし、後述のワープロが普及するまでは当然のことながら手紙は手書きだった。

文書の内容はともかく手書きとなれば文字の綺麗さや品格は誰にでも出せるものではなかったが、逆にどの部署にも毛筆はもとより文字を書かせたら一番という人材がいて手紙だけでなく熨斗や冠婚葬祭の時には俄然目立つ存在となった。

対外的な手紙はどの会社も大差がなかったと思うが、社内間の情報伝達にはそれぞれ独自の工夫があったように思う。私の勤務先では他の部署に電話するにも交換手を通さなければならなかったこともあり、社内恋愛の相手に意思伝達する場合も「社内便」といった手紙の制度を活用した(笑)。

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本来この「社内便」とは本社内だけでなく各地の支店間や工場との文書による意思疎通のために活用されていたもので、定期的に専用車により運び出し、あるいは運び入れるといった仕組みであり、封書にしても新品の使用は厳禁で古い封書に紙を貼り、そこに宛先を書いて数度再利用していた。

本社に配送された社内便は総務部が一括して各部署別により分けて部署別の棚に入れておく仕組みだった。我々平社員はコピーのついでや文具などの消耗品を受け取りに行く際にその棚を確認するよう義務づけられていた。そして棚に入っている封書などを部署に持ち帰ってそれぞれ宛名の人の机上に置くことになっていた。

これを悪用...いや活用する強者が登場する。例えば広報のB子さんにデートの誘いをしたい場合にこの社内便を使うのだ。古い封筒を使って封をし、宛先を書き、差し出し人はそれらしく支店や工場の部課名を書くが、その書き方は予めB子さんと打ち合わせしておくことが普通だった。そして総務部の社内便棚の広報部棚に放り込んでおけばよい。

大きなトラブルがなければ一日数回の機会があり、封書は相手の机上に乗るし、宛名が明記されている封書を上司と言えども他人が開封することはまずなかったし万一他人に開けられてもある種の暗号化しておけば誰からの手紙と特定はできない。受け取った方も「なんでしょうね、嫌がらせかな」でとぼけられた(笑)。
とまあ、のどかな時代だった。

■4■ DTP
デスクトップ・パブリッシングは机上のMacとPageMakerというソフトウェア、そしてレーザープリンタで一般の印刷物に匹敵するクオリティの印刷が可能になった。Appleが実用化したシステムである。
確かにそれは凄いことだったが、一方...普通のサラリーマン、普通のOLにこれまで経験したことのない過度な期待と能力を求められることにもなった。そして仕事は格段に増えることになる。

それまでテキストだけの印刷物はもとよりだが図版や写真が入る印刷物は出入りの印刷屋に頼むのが約束事だった。電話一本で飛んできてくれたし、手書きの原稿や必要な写真ならびに図版を渡して重要なポイントを打ち合わせすればすぐに試し刷りを持ってきてくれた。そのクオリティとスピードは「さすがにプロ」と唸らせるものだった。

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※最初期のAldus社PageMakerの広告(1985年)。"page layout" という言葉と共に"desktop publishing" という表記がなされている【クリックで拡大】


あるいは社内用の簡易印刷なら和文タイプライターを数台備えてありプロのお姉さんたちがいるタイプ室に行き「この文章を100枚、何日の何時までにお願いします」と依頼するのが普通だった。後はいわゆる輪転機(ガリ版)で指定枚数を印刷してくれたから一般社員の仕事は下書きだけで済んだ。

それがDTPなるものが登場し、プロの印刷屋並の能力とセンスが平凡なサラリーマンやOLに期待されるのだから怖い...。
確かにパソコンとレイアウトソフトを使えばテキストと図版を混在した数ページの会報などは比較的簡単にできる。しかしセンスは勿論だが印刷物に関するノウハウがあるわけもなし、出来たものはあちらこちらでフォントが違っていたり、必要以上の装飾やボーダーがあったりと無残な結果も多かった。

結局DTPは普通の人材にパソコンとソフトウェアの操作法を覚えさせ、ページレイアウトの基本はもとより使用する写真を自分で撮るまでに至るという大きな負荷となった。何しろそれ以前の仕事は減らないのだから。

■5■ 表計算ソフト
ビジカルクに始まる表計算誕生物語はそれ自体が面白いが、一般のサラリーマンに与えた影響は計り知れない。思い起こせば私の場合も残業の多くは計算上の縦横が合わないために読み合わせをやり、数値に間違いがないかどうか、縦と横の計算に間違いがないかを確認するためのものだったといえる。そして読み合わせには当然のことながら2人の担当が必要だったし、計算は1人では間違いを見つけづらいという経験則からこれまた2人で交互に行ったものだ。それも計算は算盤が主だった...。

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※最初の表計算ソフトVisicalc。罫線はなく必要ならハイフンなどで区切りを入れる必要があった


いまでは表計算...スプレッドシートといえば "EXCEL" ということになっているが、ここに至るまでには幾多の生まれては消えて行ったソフトウェアがあった。
結果、求人募集には「WORDとEXCELが使える人」というのがポピュラーになった。しかし私たちはEXCELの使い方には精通したが計算能力が向上したわけではないのだ(笑)。

■6■ ワードプロセッサ
パソコンが登場した後、課せられた1つの使命がワードプロセッサ...すなわち電子タイプライタともいうべき文章を綴るためのソフトウェア開発だった。文字を扱うという意味ではパーソナルコンピュータはキーボードを有しタイプライタを模したことで機能面はもとより取っつきやすくなったともいえる。
ただし私らの興味はいつになったら日本語で文字入力できるのか...ということだった。そうした期待が大きかったから、やっと日本語入力と共にドットインパクトプリンターで打ち出されるようになった漢字はいま思えばギザギザだったが、随分と美しく思えたものだ。

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※PC-9801で一太郎を使う筆者(1985年9月撮影)


最初はパソコンよりワープロ専用機の方が機能が特化していただけに実用になったしコストパフォーマンスも高かった。私が好んで使ったApple II はついに日本語対応にならなかったしMacintoshだって正式に日本語システムが搭載されたのは漢字Talk 1.0 (1986年)になってからだが実用となったのは漢字Talk 2.0 (1988年)になってからだった。
そしていつしかワープロを扱う事は一昔前の読み書きソロバンのように考えられたし、特にビジネスに携わる者は必須科目となっていく。

ワープロはそれまでの手書きのように字が綺麗とか癖字であるといったことで評価されるのではなく文章そのものの巧みさも問われるようになった。サラリーマンやOLたちは所属部署を問わずそれまでとは違ったスキルが求められるようになった。

■7■ 携帯電話
携帯電話の月額料金が現実的な値段になり、本体も小型になった1994年前後に最初の製品を手にした記憶がある。小さな会社の代表者であった私はいま考えてもかなり忙しかったし講演やセミナーあるいは展示会などなどで全国を飛び回っていたから連絡を取り合う手段としては最適なものだった。とはいえまだまだ通話料金は高かったから携帯電話はもっぱら受信用と考え、よほどの急用でなければ発信は公衆電話を使うようにしていた...。

よく言われることだが、いつでもどこでも連絡ができる...ということは確かに便利だし何らかの決断を急ぐ場合にはありがたいものには違いない。ただし反面こちらの意志にかかわらず呼び出し音が鳴るというのは鬱陶しいものとなる。
第一、携帯電話を使って呼び出しするほど急ぐ用事などそうそうあるのだろうか(笑)。
1970年代に会社の机上に電話機はあったがそのほとんどは取引先からの通話だったし、例えば外出している部課長にコンタクトをしたくても戻ってくるか、あるいは向こうから電話連絡があるまではどうしようもなかった。
とはいえそれが当然のことだったからほとんどの場合はイライラすることもなく時を待つしかなかった。そしてそのことで仕事に大きな支障が出たという例はほとんどなかった。

携帯電話はまた人との待ち合わせの風景を激変させた。それ以前はもしすれ違ったとしても対処方法がないため、どこで何時何分で待ち合わせだということをくどいように確認したし、特に仕事などで初対面の場合には自分の風貌や着ているもの、あるいは持ち物等まで知らせたものだ。
また大きな駅には伝言板が必ずと言ってよいほど設置されており「○○さん、先に行きます」とか「30分待ったけど、さよなら」などの伝言がびっしりと書かれていたものだ。そしてすれ違いというか約束していたとしても会えないケースも多々生じたものだったし、いま来るか...と待ち続けて1時間...といったことなども珍しくはなかった。

ただし、誰もが携帯電話やスマートフォンを所持している昨今では待ち合わせの時間はともかく場所も「○○駅の改札で」程度で済むようになった。なぜなら現地で電話を掛け合えば間違いなく会うことができるからだ。
携帯電話は人と人の出会いや仕事だけでなく我々の生き方そのものを変えた...。



Appleの世界開発者会議 (WWDC)、今年はかつての開催地サンノゼで開催

アップルは2月16日、米国Appleが発表したニュースリリースの抄訳としてAppleは本日、28回目となるワールドワイドデベロッパカンファレンス(世界開発者会議、以下WWDC)を、サンノゼのマッケナリー・コンベンションセンターで開催すると発表した。


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世界の最も才能に溢れた開発者コミュニティが一同に集うこの会議は6月5日に開幕し、あらゆる分野の開発者が彼らの情熱を次の偉大な革新へと注ぎ込み、お客様がiPhone、iPad、Apple Watch、Apple TVそしてMacで毎日使うアプリケーションを生み出すインスピレーションを与える場となる。

毎年WWDCの期間中には、世界中で数多くの開発者たちが、Swiftのようなプログラミング言語から、SiriKit、HomeKit、HealthKitそしてCarPlayといった画期的な開発者APIにいたるAppleの画期的なプラットフォームテクノロジーについて学べる。これらのAppleテクノロジーは、実際に10億台以上が使われているAppleデバイスのお客様のあらゆる生活環境で役立つすばらしいエクスペリエンスを開発者たちが作り出し続け、またスマートホームや自動車、健康などを管理するための、よりよい方法を生み出すためのアイデアを与えるもの。

WWDC 2017は、クパティーノの新しいApple本社からほんの数分しか離れていない場所で行われ、開発者たちが1,000人以上のAppleエンジニアと直接会って交流する機会を会議の期間中を通じて提供する。
マッケナリー・コンベンションセンターは何千人もの参加者のハブとなり、周辺には素晴らしいホテルやレストランそして娯楽施設がすべて、徒歩で行ける範囲内にある。基調講演や、交流会、セッションそして開発者を対象としたラボに加え、Appleは、WWDCがサンノゼへ戻ったことを祝う特別な催しをサンノゼ周辺で開催期間中を通じて行うべく、サンノゼ市および地元企業と協力している。

開発者向けチケットの申し込みはこの春から始まる。会議はAppleの開発者向けウェブサイトで、そしてiPhone、iPad、Apple TV用のWWDCアプリケーション上でライブストリーミングされる。

Apple Press Info



安価な左右独立型 Hellodigi Bluetooth4.2 ワイヤレスイヤホン「HD10」続報

左右独立型コードレスのイヤホンの使い勝手を体験したくて安価な製品、Hellodigi bluetoothワイヤレス イヤホンン「HD10」を買ってみたが一週間ほど使い込んで見た印象・感想の続編をお届けしたい。


Apple純正のAirPodsは使い勝手は抜群のようだが私の場合、EarPodsが左耳にまったく合わないのでその形状が同じというAirPodsの入手は見送った次第。
その代替といってはAirPodsに失礼かと思うが1/5ほどの価格で買えるHellodigi bluetoothワイヤレス イヤホンン「HD10」を買って日々使っているが、今回は前回のレポートの続編である。

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※最近はどこにでかけるにもHellodigi bluetoothワイヤレス イヤホンン「HD10」はバッグの中に...


まず結論めくが音質については不満はない。こればかりは上を見ればきりのない世界であることを理解しているつもりだが「HD10」の音質は極上であるはずもないが高音から低音もよく出ているし特に問題視する点はない。
また装着感だが、試した結果、製品付属のイヤーピースのうち一番サイズの大きなものが具合がよいので交換して使っているが、今のところ一度も落としたことはないし落ちそうになったこともない。

さらに耳が痛くなるとか大きな違和感を感じることもなく快適だといえよう。そしてペアリングが完了し前回述べた通り左右のユニットが確認出来れば使い勝手も悪くない。
では両耳で利用することを前提に簡単にご説明すると、左右の耳に装着した後に両耳ユニットの両サイドを同時に長押しすると「ペアリング」という音声が聞こえ私の場合 iPhoneとの接続が完了する。それはご承知のとおりiPhoneの上部にヘッドフォンアイコンとバッテリーのアイコンが表示することでも確認出来る。

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※Bluetooth接続が問題なくできているかを確認!


この種のボタン、「HD10」の場合は各ユニットにひとつしかないが側面中央全体がボタンになっているので押すべきボタンを探る必要はなく押しやすいのは長所である。
もし利用中に通話の呼び出し音が聞こえ通話をする場合は一方のボタンを短く一度押せばそのまま通話ができ、通話をキャンセルする場合は短く二度押せばよく通話終了は再度短く押せば切れる。その際には直前まで流れていた音楽が再び再生となるなどは一般的な他の製品と同様だ。

音楽再生中に一時中断(ポーズ)させる場合はいずれかのボタンを短く一度押せば良く、再生は再度短く押す。また電源OFFはどちらかのボタンを長押しすればパワーオフとなる。とても操作はシンプルだが音量調節だけは「HD10」本体でできないのでiPhoneなどペアリングしているデバイス側で行うが、私の場合は常に左腕にApple Watchがあるのでそれで簡単にできている。

というわけで私の環境では思っていた以上に活用する羽目になったが問題がなかったわけではない。
まず購入時にペアリングを済ませて使っていたものの翌日に使おうとした際にiPhoneと接続ができずBluetooth接続リストにHellodigi-HD10が未接続のままどうしても上手く行かなくなったときがある。
無論こんなこともあるわけで(笑)一度Bluetooth接続リストからHellodigi-HD10を消去し、再度初めからペアリングをしてみたらその後は問題ないようだ。

もうひとつは左ユニットの接続が切れるときがあることだ。右ユニットが機能していることからiPhoneとのBluetooth接続に問題があるのではなく左右ユニット間の通信がなんらかの原因で阻害されるといった感じ...。
この場合も慌てずにそのままにしていると正常に接続される場合がほとんどだが、一度二度そのままになってしまったときがあり、試しにとボタンを短く一度押しポーズ状態にして再生を止め、再度ボタンを押して再生開始をしたところその後は問題なく利用できるというケースがあった。

この片耳が聞こえなくなったとき、当該ユニットのボタンだけを長押しすることはトラブルの原因かも知れない。それは左側すなわち聞こえないユニットだけがパワーオフとなり一方のユニットは電源が入っている状態になる。この場合正常な状態とするには使えているユニット側もパワーオフした後、再び両ユニット同時にボタンを長押しし電源を入れ直することになる。片方だけが聞こえなくなったからと一方だけあれこれとボタン操作するとBluetooth接続自体が切れてしまうことがあるようだ。

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※少しの時間でも耳から外す場合はモバイルバッテリーで充電


ただしこうした問題は「HD10」の不良と単純にいえないのが難しいところだ。なぜなら、この種の問題が起きやすいのは私のケースではどうやら屋外の特定場合なのだ。
自宅で使っている場合や電車内などではまず何の問題もないが、外出するとあるエリアで片方が切れることがたまたま生じる...。無論バッテリー切れではない。この種のハードウェアに精通していないので原因は分からないが、ノイズに弱いのかも知れない。
まあまあ、いたずらに「HD10」を擁護するつもりはないが、これがAirPodsなら文句のひとつもつけたくなるだろうが(笑)「HD10」のこうしたトラブルは常ではないし回避あるいはすぐに復旧することでもあり、いまのところ目くじらを立てるつもりはない。無論本来は完全完璧な製品であるべきなのだろうがなにしろこの価格であるし装着感も良く落ちにくいのが気に入っている。
本製品が気になっている方のご参考になれば幸い…。





[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ第1部 ー 第28話 巨人の足音

スティーブ・ジョブズは稀代のビジョナリーであり、未来のテクノロジーを時代の最前列で考え見つめてきたといわれている。しかしその陰には2016年12月6日、アップル銀座のエントランスから40年前のカリフォルニア、ロス・アルトスにあるスティーブ・ジョブズ家のガレージ前にタイムワープしたひとりの男の存在があった。
ー 優れたビジョナリーといわれたスティーブ・ジョブズ。その若かりし時代の秘密に迫る!ー
※本編はフィクションです

■第1部 ー 第28話 巨人の足音
Appleは忙し過ぎた。1980年から1981年初頭は株式公開、Apple IIIの失敗、魔の水曜日、ウォズの飛行機事故そしてApple最初のCEO マイク・スコットの辞職と大揺れのAppleだった。しかしApple II の売上げが依然としてAppleを支えていた。ウォズがただただ好きでやった仕事の結果のApple II が...。

ちなみに少し先の話だがそのウォズは1981年の秋には大学の4年の課程を終えるため、カリフォルニア大学バークレー校に復学するという。ただしスティーブ・ウォズニアックとしてではなく、学生たちや教授陣の特別な目を避けるため仮名で復学を計画していた。そしてAppleはといえば41名もの解雇者を出したその後、あらたに多くの社員を新規に採用し心機一転の心意気を見せようとしていた。

そんなある日、私が自分のオフィスに戻ろうとして受付前を通ったときシェリー・リビングストンがカウンターに入ろうとしているところに出会った。
「あら、トモ…まさかあたしを見て素通りする気ではないわよね」
快活なシェリーは私の反応を待たずに、
「トモ、今日は素敵なスーツ姿ね。どうしたの、そのまま結婚式にも出られるわよ」
「ジジイをからかってはいけないよシェリー」
私も少し無駄口をたたきたかったので受付カウンターに片肘を置いてシェリーに向き直った。
幸い周りにはだれもいなかった。

「だってスーツ姿で会社にくる人などここには数えるほどしかいないから目立つのよ」
「確かにね。爺さんになると姿形くらいピシッとしていないとシェリーにも嫌われるからさ」
私は自分の子供といってもおかしくない年齢のシェリーに笑いながら冗談をいった。
実際仕事とはいえ、スティーブはもとよりマイク・マークラらとの会話は気が抜けない内容ばかりだったから、たまにはこうして軽口をたたきたい気分になる。それにスコッティの退職やウォズの飛行機事故などのあれこれでシェリーと接する機会も多くなりこうしてお互い冗談をいえる間柄になっていた。

「あら、ご謙遜なこと。しかしこの本社にいる経営陣の中では確かにトモは一番年上よね。だからこれまた目立つのよ。ここは若造のたまり場だもの」
自分の言い方がおかしいのかシェリーは小さな声を出して笑った。
「私は経営陣ではないよシェリー、単なるCIOに過ぎないよ」
とことわりつつ、
「でもそうだねぇ。ロッドより私は一回り以上の年上だからApple唯一のジジイかもね」

「でもさあ...トモ」
シェリーはどうしたのか急に声を潜め、周りを確認してからいった。
「トモ、あなた自身は気づいていないようだけど私の知っている大方の人は例のセミナー以降、皆あなたに一目置いてるのよ。奴を侮ってはならないと…」
私に向けられた真剣な視線をまともに受け止められずにその視線を外しながら、
「確かに私はCIOというよりいまだにスティーブ直属のただ1人の人間だからね。それを別にしたらやはりただのジジイだよシェリー」

「そうよねぇ。あなたって私と一緒にマニュアルをタイプしてくれたし、他の人と争ったところを見た事もないわ。まあそれがここでは特別なのかな」
自分の言葉に納得したのかシェリーは笑顔に戻った。
「でもね、トモ。あなたはこのAppleの他の連中とは違った時代を生きているような、すべてを見通している目をもっていると皆はいってるわよ」
訝しい顔を向けた私にシェリーは、
「例えばランディやダンも...そうロッドもいってたけど、あなたの言うことって正確で的確だから怖いって。それにPARCから来たラリー・テスラーもあなたを気に入っているようね」
私は少々ドキッとしたが、
「違った時代か。シェリー、それは私がここで浮いている証拠だよ。それに単に年上だから皆ジイサンに優しいのかも知れないね」
「それに、男ばかりに興味を持たれても面白くないな」
私はそう笑うとシェリーは真顔になり、
「いえ、トモもすでに話したことがあるようだけどMacintoshプロジェクトにいるジョアンナ・ホフマンもあなたに興味津々だったわよ」
「年寄りをからかうものではないよシェリー」
わざと大声を出しながら受付カウンター前を後にした。

直後、ランディ・ウィギントンに呼び止められた。
「トモ、丁度良いところで会ったよ」
「ランディ、元気そうだね」
私の挨拶も面倒だという感じてランディは顔を近づけていった。
「トモ、覚えてるかい。2年ほど前になるのかなdisk II の検証時にさ、フロッピーディスクの片側に切り込みをつけて裏返しにすれば143KBが倍使えるとあなたが教えてくれた件だけど」
「もちろん覚えているよ。便利にしているかい」
「いや、ビル・フェルナンデスらとも話したんだがトモって凄いなあと...」

私は何のことかが分からないので困った顔をした。
「あのさ、フロッピーディスクの裏側も利用するのは良いけどナイフやハサミだと失敗するときもあるといったらあのときトモは (そのうち安全に同じことが出来るツールが出てくる) と言ってましたよね」
「ああ、それがどうしたの」
私にはまだ話しの流れが分からず問い返した。
「いや、先日コンピュータ関連の周辺機器を作っている人と知り合ってさ、たまたま聞いたんだけどトモが予言したツールが “Nibble Notch” という名で売り出す計画を立ててるというんだ。雑誌への広告も年末までには出したいっていってたんだ」
「なるほど、そんなことか」
私は話しが見えたので安心して答えた。
しかしクリスは私の予言が当たったと嬉しそうな顔をしている。
「クリス、あれは予言ではないよ。世の中同じことを考えそれをビジネスに繋げようとする人たちが必ず出てくるという意味さ。だから予言ではなく予測、悪く言えば当てずっぽうだよ」
まだなにか言いたそうなランディを残して私は笑いながらオフィスに向かった。

自分のオフィスに戻る短い時間でふと考えた...。もし私がこのまま元の時代に戻れなかったら、いや戻れたとしてもAppleの歴史というか軌跡に私という人間がいたことが記録に残されるのだろうかと。いや、もし (私には幸いだが) 元の時代に戻れたとしたら、いまここにいるスティーブやシェリー、ランディたちの記憶の中にトモヒコ・カガヤというジジイの記憶は消されてしまうのだろうか。そう考えるとちょっと虚しくなってきた。

自分のオフィスに入る前にちょっとした報告をしようとスティーブのオフィスを覗くとスティーブ・ジョブズとマイク・マークラがいた。2人とも機嫌が良いみたいで「お帰り」と声をかけてくれた。
「どうしたんですか、お二人とも今日はいい顔してますよ」
私がいうと、マイク・マークラは少し恥ずかしそうな表情になったが、
「スコッティが抜けた後の新しい人事がきまったんだよ、トモ」
というと隣のスティーブ・ジョブズも満足そうに笑顔を向けた。なかなかこうした和やかな場は近年のAppleにはなかったので私は少々訝しい顔をしたのかも知れない。

それを察したのかマイクが戯けたように、
「シリコンバレーの名士殿が26歳の若さでAppleの会長になられたんだよ」
その物言いを受けてスティーブは
「マイクがCEO就任を受けてくれたんだ、トモ」
「それはおめでとうございます。マイク...そしてスティーブ」
私は2人の手を順番に握った。要は新しいAppleの社長がマイク・マークラ、そしてスティーブ・ジョブズは会長に就任したのだ。

マイクは、スティーブの机上にある電源が入っていないApple II のキーボードを指で押しながら、
「僕はこうした役割には就かないと決めていたんだが、残念ながらいまは適当な人がいないようだ。スティーブと話し合ってきたんだがあくまで暫定的な措置なんだよ」
言い訳をいいながらもマイクはどこか嬉しそうだった。そして、
「スティーブとも意見が一致したんだがApple III の苦い教訓から研究開発費も大幅に増やすことになる。なによりも世界がびっくりするようなコンピュータを作らなければな」
スティーブもマイクの発言を受け、
「そうだよマイク、俺たちが素晴らしい製品を開発できる実力があることを立証しないといけないんだ。Macintoshがまさしくそのプロダクトになるんだ」

「万々歳じゃあないか」
私も明るいAppleが好きだ。Appleの2人の雄が一緒に和気藹々未来に向け建設的な話しをしているのを聞くのは久しぶりだし心底嬉しかった。だから自然に拍手をしていた。
スティーブは私の拍手を笑顔で制止しながら、呟いた。
「トモ、しかし手放しで喜んでいる場合でもないんだよ」
私にはいま彼らが心配していることが分かっていた。この時期Appleが自社の計画を遂行していくなかでひとつの壁が見えてくることは歴史が証明していることだった。

私の表情を見て取ったのかマイクは、
「なんか、トモはすでに分かっているようだなスティーブ」
と声を出した。
スティーブ・ジョブズは苦笑いしながら
「トモは未来が分かる男だからな」
とふざけてみせた。

スティーブとマイクの顔をみながら私はいった。
「IBMの参入だね」
「承知のように我々はIBMがパーソナルコンピュータ市場に参入してくることは早くから予想していたことだ。いまさら驚くことではないがLisaを早く完成させないとならんな」
マイク・マークラが真顔でいった。
「いや、出荷はMacintoshの方が先になるよ」
スティーブは口を尖らせていったが続けて、
「確かにIBMはコンピュータの雄だよマークラ。だけどあの巨大企業にパーソナルコンピュータの粋が分かってたまるものか。どうせクソな製品しか出てこないよ」
相変わらずのスティーブの弁だった。
しかし歴史の結果を知っている私はその巨人IBMの足音が遠くから聞こえるような気がした。
「でも絶対に侮ってはいけませんよ」
と思わず強い口調で答えたが、2人にあまり緊張感は感じられなかった。

IBM PCは1981年8月に発表されたが、その際Appleは余裕を見せるつもりだったか "Welcom IBM" と題した広告を掲載した。

Welcome,IBM. Seriously.
Welcome to the most exciting and important marketplace since the computer revolution began 35 years ago. And congraturations on your first personal computer. Putting real computer power in the hands of the individual communicate and spend their leisure hours. Computer literacy is first becoming as fundamental a skill as reading or writing. When we invented the first personal computer system, we estimated that over 140,000,000 people worldwide could justify the purchase of one,if only they understood its benefits. Next year alone,we project that well over 1,000,000 will come to that understanding. Over the next decade ,the growth of the personal computer will continue in logarithmic leaps. We look forward to responsible competition in the massive effort to distribute this American technology to the world. And we appriciate the magnitude of your commitment. Because what we are doing is increasing sosial capital by enhancing individual productivity. Welcome to the task.
Apple Computer.

「ようこそIBM様。コンピュータの革命が35年前に始まって以来、最もエキサイティングで重要な市場へようこそ。 貴社初のコンピユータ発売にお祝い申しあげます...」


に始まるAppleの広告は話題性こそ大きかったがその余裕、状況軽視が仇になり急速にシェアをIBMに奪われていった。

(続く)

【主な参考資料】
・「パソコン革命の英雄たち~ハッカーズ25年の功績」マグロウヒル社
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社


ラテ飼育格闘日記(532)

この週、オトーサンは久しぶりに本格的なギックリ腰が再発し辛い日々を送っている。安静にして出歩かない方がよいという忠告をしてくださる方もいるが、長い間の経験によれば辛くても少しずつ動いた方が回復が早いと思っているので湿布薬を貼りコルセットを巻き朝夕の散歩も何とかこなしている。


しかし歩き始めは明らかに体が曲がっていることを自覚せざるを得ない。だからオトーサンは自分の格好を考えてこんな時にはあまり知っている人たちと行き会わないほうが良いと思ってもみるがラテはいつものように精力的に歩き回り手加減してくれないので実に辛い。

リードを引くのも辛いし、ラテの落とし物を処理するため腰を屈めるのに決死の覚悟だ(笑)。それでも何とか歩けるうちは散歩を休むわけにはいかないとオトーサンは今日もコルセットを締め付ける…。

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※ラテ!少しは手加減してくれってば...


そういえば、ここのところいつもの公園にいくとファミリーの女の子が一輪車の練習をしている光景に出会うことが多い。どうやら学校で練習の成果を発表するらしくオトーサンが感心するほど熱心に練習している。
幸いというかオトーサンは女の子が一輪車にほとんど乗れないときから側で見ていたが、その上達ぶりには目を見張るものがある。自分では乗ったことがないので想像するしかないがバランスの取り方は勿論のこと、簡単ではないはずだ。

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※ラテファミリーの影


最初の頃は公園にある鉄棒につかまりながら一輪車に跨がることを執拗に練習していたが当然のこと、乗ったと思ったら一輪車は倒れ…という連続だった。飽きっぽい子供ならすぐ別の遊びに移ってしまうところだが、女の子は執拗に繰り返している。
ファミリーの母親からお聞きしたところによれば負けず嫌いだとおっしゃるが、その真剣さはオトーサンも見習わなければと思うほどだった。

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※オカーサンが散歩に加わるとラテの表情も明るい


事実見ている間もなく状況は変わっていく。まったく…一秒も一輪車に乗っていられなかったのが数秒保持できるようになり、ペダルを一踏み出来るようになっていく。
その翌日には距離は短いけれどペダルをこげるようになっていた。ただし練習はまだまだ序の口のようだ。
本人曰く、ひとつには何かに掴まらなくてもスタートできるようにすること。そして自在に方向転換できるようになりたいのだという。

確かにこの種のことを達成するには練習を重ねるしかない。本を読んだり人から教えてもらったとしても自分の体で感覚を覚えなければ身につかない。とにもかくにも練習あるのみということを知っているように女の子は繰り返し繰り返し一輪車を倒し続けていた。
そのうち小さな公園を一回りできるようになり、コントロールもそこそこ可能になっていく様は見ている方が手に汗握る感じで思わず「いいぞ、いいぞ!」などと声を出してしまう。

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※あっという間に上手になった!



またその次ぎに会ったときには鉄棒や公園のフェンスなどに掴まらなくても一輪車に跨がってスタートできるようになっていたし、見るからに乗っているバランスが安定してきたことがわかる。したがって当初両手はなんとかバランスをとろうと大きく広げて振り回し気味だったのがオーバーアクションは消えている。
ぼんやりと眺めていたオトーサンの前を通り過ぎた女の子は勝手知ったるオトーサンの顔橫にあるウェアブルカメラを指さして「ねぇ、撮れてる?」と聞く余裕さえみせてくれるようになっていた。

またまたその次ぎに出会ったとき、さらに安定した走行ができるようになっていた。すでに鉄棒やフェンスに掴まらなくてもスタートできるようになっていたが、オトーサンの前に来た女の子は「ねえねえ、手を貸してくれる?」と一輪車をこぎながら右手を出す。無論オトーサンは「気を付けてね」といいながら自分の右手を出すと「ありがとう」とオトーサンの手を握って止まった。
いやはや他人様のお子さんではあるがだからこそこの世知辛いご時世、子供から手を差し出される幸せを感じながらペダルを踏み続ける女の子を眺めていたオトーサンだった。

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※一輪車に乗りながらオトーサンに手を差し出す


ラテはラテで、女の子が一輪車から降りたタイミングを見計らって挨拶に行く。そして時に座り込んでくれたその顔を舐めて声を上げている。
そんなホノボノとした夕方の散歩はラテの表情を明るくし、帰りの歩き方をも軽快にするのだから面白い。
まあまあいつも記しているが、ラテは実に幸せなワンコだ。本人(本犬)はそう思っているかは分からないが好きな人たちに可愛がっていただけるからだ。

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※向こう側の歩道からオトーサンたちに手を振ってくれる子供たち


無論いつもいつもそうした人たちと出会えるわけでもないし対面できるはずもない。しかしファミリーが住んでいるマンションに沿った歩道をラテと通ったとき、ベランダから母親が「ラテちゃ〜ん」と声をかけてくださるし、反対側の歩道からこちらに向けて手を振ってくれる子供もいる。
オトーサンの腰の痛さなどなにほどのものかと勇んでみるが、痛いものは痛い!




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Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員