iPhone登場10周年に寄せて

先日の2017年1月9日はiPhoneが発表されてからちょうど10年となる日。つきなみだが長いようでもあり一瞬のことだったようにも思えるが、iPhone成功の秘密をあらためて当時に立ち帰って眺めてみるとなかなかに面白い。私自身は日本では発売されなかった初代 iPhoneの情報に接したとき本当に心がときめいたものだ。


ということで今回は当時そのiPhoneに関して書いた記事を読み返しながらどんな反応があったのかを振り返ってみたい。なおここでご紹介するアーティクルは現在でも当時のまま、お読みいただくことができる。

私がニュース記事を別にして、iPhoneに関する記事を当Macテクノロジー研究所ブログに掲載した最初は発表から2日経った2007年1月11日だった。それは「Apple iPhoneの素直な印象~写真だけではその凄さは分からない!」と題した記事だったが、自身まだ実機を手にしてはいなかったし「iPhoneの凄さは一般的なウェブサイトのニュースなどで、その紹介されたスペックを追っても実態は分からないのではないか」としながらも「iPhoneと現在我々が手にしている携帯電話を比べて見ると、スペック以上にその違いがよく分かると同時に、iPhoneの素晴らしさが理解できると思う。そして『なぜ、iPhoneの機能の一部でもいいから、使いやすく魅力的な製品がこれまで出来なかったのか…』を思い、Appleという企業の特殊性と技術力の高さをあらためて痛感した」と書いている。

そして「現在のiPodがそうであるように、街中で…電車の中で…人々が集まるとき、iPhoneを使う多くの人たちとすれ違うようになることを夢見つつ、じっくりと情報を集めながら待つことにしようではないか」と結んでいるのが我ながら興味深い。

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※初代iPhone (当研究所所有)

続いて1月24日に「『iPhone』にも酷評があるようだが...いつものことだ!」と題した記事を掲載した。
これはiPhone発表を受けて世界中のメディアがその反応を挙げ始めたからである。そうした中には意味のないべた褒めの記事もあったが、見るからに情報を精査していない否定的な意見も多かったことを思い出す。
当時の原稿をお読みいただければお分かりの通り、私自身は iPhoneに関して大いに賞賛を惜しまない一人だったが、アナリストの一部や業界関係者、専門家と称する人たちの中には様々な酷評を唱える人もいた。
例えば「iPhoneの技術は目新しいものではない」という批評は大いに笑えた。そして確かマイクロソフトのお偉いさんの「500ドルもするバカ高い携帯など誰が買うか?」といった批判もいまだに記憶に残っている。

特に「iPhoneの技術は目新しいものではない」だから「一週間で飽きる」といった批判を繰り返す人たちはそもそもテクノロジーの進化・進歩とはどういうことかを理解していない。いみじくもスティーブ・ジョブズは発表時にiPhoneを「携帯電話の再発明」といったが、いま思えばかなり控えめないい方だったとも思える。
ともあれ個人的にはこのiPhoneのニュースに接した際、前記アーティクルの本文にもあるとおり、スティーブ・ジョブズがあのゼロックス・パロアルト研究所(PARC)を訪れ、Lisa開発のヒントを得たという歴史的現実が甦ってくる。

それは例えiPhoneに採用されているテクノロジーの一部が、過去に存在していたとしても、誰もそうしたものを活かすすべを知らなかったことを証明しているともいえる。
「iPhoneの技術は目新しいものではない」というのなら、なぜA社もB社も、そしてC社からも1970年代からの30年間、iPhoneに匹敵するエキサイティングな製品をただの一度も出せなかったのか。メーカー各社はこれまで何をやっていたのか…少しは反省して欲しいと思う…」と書いているが、残念ながらその思いはいまだほとんど変わっていない。

その後、iPhone 3Gが登場した後でも国内メーカーやキャリアの代表者たちがさまざまな発言を繰り返していたが、iPhone 3Gと比較して自社製品のデキの悪さを認識していないのが笑えた。なぜ iPhone 3Gの登場に多くの人たちがこれだけ騒ぐのか、それは一昔前とは違い ”彼ら彼女らがアップルフリークだから” ではなく、iPhone 3Gにそれだけの魅力を感じる様々な要因があるからだ。

ましてや…とある企業の代表者が自社新機種リリースの際に「これでiPhone独壇場の時代は終わった」などと発言するに至っては身内へのリップサービスだとしても状況判断がきちんとなされていないことを暴露しているとしか思えなかった。そして「iPhone 3Gに対抗してタッチパネルを採用すればそれで勝てると思っているのであれば返す言葉もない」と書いたが…結果10年経った現状は申し上げるまでもない…。

iPhoneの優れた利便性は決してiPhone本体だけから生まれたものではないことも再認識すべきだろう。iTunesやMobile Me(当時)の存在、App Storeなどなどデバイスの使い勝手を最大限に生かす努力をAppleは独自で切り開いてきたのだ。
残念ながら他のキャリアやメーカーが一夜にして同等な魅力ある環境を作り出すことは無理なのである。
さて、そのiPhoneも勢いが鈍化したという情報もあるもののAppleが余程のヘマをしない限りスマートフォン市場において世界市場での優位を続けることは間違いないだろう。

【参考】
初代 iPhoneは2007年1月9日に開催されたMacworld ExpoにてAppleのCEO スティーブ・ジョブズにより「携帯電話の再発明」と発表された。同社デジタルオーディオプレーヤーのiPod、携帯電話、インターネットや電子メールの送受信等が行えるという3つの機能を併せ持ち、マルチタッチスクリーンによる操作性を謳った携帯情報端末。
カラーはシルバーのみで、発売当初は容量4GBと8GBの2通りだったが後に16GBモデルがリリースされる。
発売は同年6月29日よりアメリカ合衆国にて発売されたが通信方式にGSMを採用していない日本などでは発売されていないため、iPhone 1st Generationは染みが薄い。しかし本機はまぎれもなくAppleのその後の命運を左右するにふさわしい記念すべき製品である。



オールマイティなUSB C ドック「TUNEWEAR ALMIGHTY DOCK CM1」販売

フォーカルポイントは1月11日、TUNEWEARブランドのすべてがつながるオールマイティなUSB C ドック「ALMIGHTY DOCK シリーズ」の新製品として、「TUNEWEAR ALMIGHTY DOCK CM1」を販売開始し、オンライン直販において数量・期間限定の発売記念価格で販売することを発表。


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【TUNEWEAR ALMIGHTY DOCK CM1について】
TUNEWEAR ALMIGHTY DOCK CM1(チューンウェア オールマイティ ドック シーエム ワン)は、MacBook 12インチや最新のMacBook Pro (Late 2016)などで、採用されたUSB Cコネクタを拡張することができるオールマイティなUSB ドック。

1)すべてがつながるオールマイティな拡張性
  ALMIGHTY DOCK CM1は、MacBookを拡張するために必要なポートやスロットを搭載。iPhoneやUSB機器を接続するためのUSB Aコネクタを2ポート、デジタルカメラの撮影データなどを読み込むためのSDカードスロット、micro SDカードスロットをそれぞれ1つ、そして電源供給するためのUSB Cポートを1つ搭載しており、MacBookに必要な各種のアクセサリを接続することが出来る。

2)アルミニウムを削り出して作られたユニボディ筐体
  ALMIGHTY DOCK CM1の筐体は、1つの塊から削り出して作られた高精度のアルミニウムユニボディ筐体が採用されている。アルミニウムは、その見た目だけでなく、鉄の約2.8倍、一般的なABS樹脂の約400倍の熱伝導率をほこり、優れた冷却性と美しい筐体の2つを兼ね備えた理想の素材。

3)最先端の高性能チップを採用
  ALMIGHTY DOCK CM1には、VIA Technologies社製の高性能なチップを本体に採用。たくさんの周辺機器を同時に接続しても、安定して高速な通信を実現。

4)軽量コンパクトなオールマイティデザイン
  ALMIGHTY DOCK CM1は、超小型でコンパクトなボディにオールマイティな機能が凝縮されている。44グラムと本体重量も非常に軽量なため、カバンやポーチに入れても邪魔にならずに持ち運ぶことができる。

5)ドングルの手軽さとブレークアウトボックスの利便性
  ALMIGHTY DOCK CM1なら、MacBookに必要なアクセサリをつなぐことができるので、ケーブルをあらかじめ接続した状態でブレークアウトボックスのようにして持ち運び、必要な時に接続すれば、変換アダプタのよう感覚で使用することも可能。

6)MacBookに合わせて選べるオールマイティカラー
  ALMIGHTY DOCK CM1は、すべてのMacBookユーザーのために作られた製品。MacBookの筐体カラーに合わせた2色の展開で、シームレスなカラーマッチングを楽しむことができるので、純正アクセサリのような感覚で使用できるのも魅力のひとつ。

7)Macのためのアクセサリを提供し続ける理由
  当社のMac用のアクセサリの歴史は古く、1988年に発売したMicronet社のSCSI(スカジー)接続のハードディスクから始まり、PCI接続のTruvision社のキャプチャカード、1998年のADBをUSBに変換する大ヒット商品「iMate」など、時代とMacの変化とともにユーザーが求めるアクセサリを販売してきた。新しく登場したUSB Cコネクタは、拡張性の高い規格だが、既存のMacユーザーが求める多彩な外部デバイスとの接続性能を満たすため、TUNEWEAR ALMIGHTY DOCK C1が販売開始された。

[製品仕様]
インターフェイス:USB C(オス USB 3.0準拠)
ポート・スロット:USB A ✕ 2(メス)
        :USB C ✕ 1(メス)
        :SDカードスロット ✕ 1
        :micro SDカードスロット ✕ 1
   製品サイズ:約27(W)×108(H)×10(D)mm
      重量:約44g

[対応モデル]
・MacBook 12インチ
・MacBook Pro 13インチ (Late 2016)
・MacBook Pro 15インチ (Late 2016)

[対応OS]
・OS X El Capitan
・macOS Sierra

[対応アクセサリ]
・各種USB 機器※
・SD カード
・micro SD カード
※ Apple USB SuperDriveなど、1A以上をバスパワーで必要とするデバイスには対応していない。

数量限定特別価格:各3,980円(税込み)※Amazonのみ
発売記念特別価格:各4,280円(税込み)

通常定価:各4,980円(税込み)
発売時期/型番:TUN-OT-000031 シルバー 2月 6日出荷開始
        TUN-OT-000032 スペースグレイ 2月 6日出荷開始

製品ページ




[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第1部 ー 第23話 ラスキンのMacintosh

加賀谷友彦は2016年12月6日、久しぶりに出向いたApple銀座の店頭でiPhoneのホームボタンを押した瞬間目眩にに襲われた…。思わず座り込み気がついたとき彼はタイムワープし40年前のカルフォルニア、ロス・アルトスのスティーブ・ジョブズ家のガレージ前にいた。そして彼はスティーブ・ジョブズらと一緒に働くことになった。
※本編はフィクションです※

■第1部 ー 第23話 ラスキンのMacintosh
これまた1981年の年明け早々だったと思うが、クパチーノのとあるコーヒーショップで少々遅いランチ代わりの軽食を取っていたとき、あのジェフ・ラスキンがテーブルの前に立っていた。
「トモヒコさん、ご一緒していいですか」
その髭面の顔からのぞくふたつの眼は少々疲れているように思えた。

「勿論ですよ。私はひとりですから、ご遠慮なくお座りになってください」
私は対面の椅子に座ることを勧めた。
「あなたも一休みですか」
私は話しのきっかけをつくろうと差し障りのない問いを発した。
「ええ、ちょっと資料を探しに出た帰りだったんですが、あなたが店内にいらっしゃるのを見て声をかけさせてもらいました」
ジェフ・ラスキンは教師をしていたとかで心地良い声と明解な話しっぷりの男だった。私は (ああ、ラスキンは音楽家でもあったなあ) と考えながら相づちのつもりで笑顔を返した。

そのときの彼は黒っぽい服を着ていたし、無造作に生えたままにしているような髭もまだ真っ黒だったからどこかの宗教家のようにも見えた。それだけ見かけは温和で紳士だったが内に秘めた熱いものを閉じ込めているのがわかった。
「楽しい話しでなくて恐縮ですが相談にのってもらいたくて」
それまで社内では挨拶程度しかコンタクトしたことがなかったので私はどう対応したら良いかを考えながら、
「まだしばらく時間がとれますから、私で良かったらなんなりとどうぞ」
と返答した。このときラスキンは38歳だったが、年齢よりずっと老けて見えた。

「Macintoshプロジェクトのことなんです」
ラスキンは私と視線を合わせて静かに話を切り出した。
歴史を知っている私はどんな内容なのかはすでに承知していたが、まずは彼がどのような話しをするのかを聞いてみたくてうなずき先を促した。
「あなたはもっともスティーブに近い存在と知っているしジェントルマンだと見聞きしていますので是非アドバイスをと思いまして」
やはりラスキンとてストレートに話しを切り出すのは憚れるようだった。

「スティーブがあなたのプロジェクトの邪魔をしているようですね」
私の方から核心をついた物言いをしてみた。
大きな体のラスキンは小ぶりな椅子に座りにくそうにしながらテーブルに一瞬目を伏せて話し出した。
「ええ、私がするはずだったプレゼンテーションをスティーブは (中止になった) とふれ回って妨害しようとしたこともありました。もともとスティーブはLisaに関わっているときは (お前のプロダクトはAppleのビジネスの邪魔をすることになる) と猛反対でした。しかしご承知のようにLisaチームからスコッティに追放された後、やることがなくなったからでしょう、私のプロジェクトに顔を出すようになりました」

いまではMacintoshはMacと呼ばれ、Apple製品の根幹となっているがそもそもはジェフ・ラスキンがほそぼそと始めたプロジェクトの名前だった。
Macintoshという名はAppleという社名にならい、ラスキンが好きなリンゴの種類であるMcIntosh (和名:旭)から取った名前だったがどうやらラスキン自身なのかあるいは別のスタッフなのかはいまとなっては不明だが、スペルを間違ったのがそのままコンピュータの名前として認知されるようになってしまったといわれている。

「最初プロダクトに反対していたスティーブもしばらく後に顔を出したときには私と同じ考えを持っていたこともあって話しが合ったんです」
私は少々意外だという気がして首を傾げた。
「Macintoshはなにもかも必要なすべてを缶詰のように詰め込んだアドオンなしで使える1000ドル程度の製品を目指しています。マシンの電源を入れたら小難しいコマンドなど入力しなくてもすぐに使えるしポータブル性も高い製品なんです」
オーダーを取りに来た店員にコーヒーを注文したラスキンはグラスの水で口を湿らせて続けた。
「私のMacintoshはApple II のような拡張スロットもありませんしグラフィックスも不要、マウスも採用するつもりはありません。とてもシンプルなマシンなのです」

私は後にラスキンがAppleを去った後、そのラスキンの思いをキャノンで製品化したという「Canon Cat」を思い出していた。1,2度しか触ったことがなかったので詳しい事は知らないが1984年にリリースされたMacintoshに夢中になっていた時期でもあり地味なOAマシンといった印象しかなかった。

ラスキンの声が私の回想を現実に戻した。
「そうしたシンプルさはスティーブの考えている理想のマシンに近いと賞賛してくれました。彼がApple II の拡張スロットに反対だった話しはよく知られてますしね。私のトースターなみに使いやすいコンピュータというコンセプトも気に入ったようでした」

この1981年という年はスティーブ・ジョブズにとって内に抱えた膨大なエネルギーのはけ口を失っていた時機だった。Lisaプロジェクトから外されたものの会長という役職に就任していたし株式公開で莫大な金も手にした。世の中で自分の思い通りにできないことはないといった意気込みだったに違いない。
そうしたスティーブにとってラスキンがこつこつと進めていた小さなプロジェクトは格好の標的だったのだ。

ラスキンは姿勢を正して続けた。
「そもそも私がAppleで働くことになったのはあなたもご承知だと思いますが1977年に私の小さな会社ごとスティーブが買収し私はドキュメンテーション制作を任されたわけです。ですから私はスティーブ・ジョブズという男を毛嫌いするつもりはありませんでした」
すでにテーブルにあるコーヒーは冷めていたが、ラスキンはそれを一口二口飲んで、躊躇いがちにまた話し出した。
「スティーブは最初自分はハードウェアを担当する、だから私にソフトウェアを担当しろといいました。申し上げるまでもなく彼はAppleの会長ですし私は一介のドキュメント部門のマネージャーに過ぎませんから面と向かって拒否するわけにもいかなかったんです」

ラスキンは意識してセーブした話し方をしていたのか、次第に両手をテーブルの前に突きだしながらオーバーアクションも見せ始めた。ただし私は形だけだとしてもCIOの肩書きを持っている人間だからだろう、ラスキンは終始紳士的で丁寧な話し方を崩さなかった。
「確かにスティーブがプロジェクトに加わることは良い面もあったのです」
「あ、聞きました。予算面で援助が増えたとか」
私はスティーブ・ジョブズ本人から聞いた話しを思い出しながら口を挟んだ。
「そうなんです。しかしバレル・スミスが苦労して作ったマザーボードを見ていきなり (CPUを68000にしろ) とスティーブが言い出しまして」

ジェフ・ラスキンは現状の危惧を私に訴えながらスティーブ・ジョブズの介入を阻止あるいは緩和する策はないものかと核心に入った。しかし繰り返すが会長と一介の社員とでは現実問題喧嘩にもならなかったし、社長のスコッティもスティーブがMacintoshプロジェクトに頭を突っ込むのはAppleとして悪いことではないと考えていた。
なぜならLisaの開発にちょっかいを出さないでくれるのであればMacintoshプロジェクトにどのような影響があったにしても大した問題にはならないと考えていたようだ。

私はジェフ・ラスキンを前にして良策を即答できる問題ではないこと、スティーブ側の思惑も確認してなにかできることがあれば知らせようと返事をした。
その後私もCIOという立場からMacintoshプロジェクトの進捗状況に注視していたが、スティーブの参加はチームの士気を鼓舞していることは確かだった。なにしろスティーブは資金を集める力も、数少ない開発用機器やそのスペースをぶんどる力も、そして優秀なスタッフを他部署から引き抜いてくる力も持っていた。

このMacintoshプロジェクトはその年のクリスマス間近になったときその動きが急に激しくなった。何故ならバレス・スミスが68000を使った設計の目処をつけたからだ。これがスティーブの感性を激しく揺さぶった。
68000ならLisaと一緒にGUIもマウスも採用できるはずだしMacintoshはクロックもLisaより速いという。それにLisaは数十人のエンジニアたちが手を染めていたし数枚の回路基板とカスタム・コンポーネントが使われていたものの依然開発に苦慮していた。対してスティーブの目の前のMacintoshは回路基板が1枚で価格はLisaの数分の1で可能なのだ。

それを知ったスティーブはこのマシンは (第2のApple II になる) という確信を得たようだ。さらにLisaチームに、そしスコッティに一泡吹かすことができると踏んだのだ。
Macintoshチームのマーケティング担当だったジョアンナ・ホフマンに近況を聞いたとき彼女は近頃スティーブの目が輝いているといいつつ、
「トモ、確実にジェフに暗雲が立ちこめているわ。私の勘では近々スティーブが実力行使し自分の思うものを手にすると感じるの。だってあんなに地味なMacintoshプロジェクトだったけど今では後光が射しているもの」
少し変わったイントネーション、そして情熱的な高い声のジョアンナは心配そうにしかしどこか愉快だと感じているような複雑な表情をしながら私に語ってくれた。

後年ラスキンを「Macintoshの父」と称する人たちもいるが、ラスキンの思いはその名前だけしか残っていない。コンセプトもデザインもそしてユーザーインターフェースもラスキンの描いたものとはまったく違った製品でしかなかった。そしてことの是非はともあれ1984年1月24日、正式に発表されたMacintoshはまさしくスティーブ・ジョブズのマシンだった。

(続く)

【主な参考資料】
・「パソコン革命の英雄たち~ハッカーズ25年の功績」マグロウヒル社
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
・「アップル・コンフィデンシャル 2.5J」アスペクト刊
・「マッキントッシュ伝説」アスキー出版刊




ラテ飼育格闘日記(527)

新年明けましておめでとうごさいます。今年最初の「ラテ飼育格闘日記」ですが本年もどうぞご贔屓に! さて、ラテも新年を迎えるにあたり、綺麗にしてやろうと12月30日に美容室を予約した。以前は今日の今日…といったことも出来たのだが昨今はやはりペットブームなのか思うような日程および時間帯の予約を取るのがなかなか難しい。


体毛も伸びたし特に足先がボウボウ状態になってきた。また同時に爪も伸びたし年末中に是非美容室に連れて行き、綺麗になって新年を迎えさせようという親心ではあるが、ラテはこの美容室行き、動物病院より嫌いのようなのが困りものだ。
現在は数分で連れて行くことができる距離だが、以前の住居のときには片道20分以上かかった。それはともかくそこへ向かう途中でどこに連れて行かれるかを早くも察したラテはリードを引いて抵抗するに留まらず、一番酷い時には3回も脱糞してオトーサンを困らせたりした。

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※穏やかな表情のラテ


近くなったいまはそういう暇も与えずサッと美容室に連れ込むことを画策するが、時間帯といいオトーサンの態度といい身支度の程度といったもので通常の散歩ではないと判断するのか途中で早くも尻尾が下がってくる。
そしてなによりも困るのが美容室に入ってからだ。オトーサンに抱っこを要求するのはまだしも見るからにブルブルと震えているのを見るとどうにも罪悪感を感じるしそれ以上に困るのは美容室の床にオシッコを漏らしてしまうことがこれまでに2度あったことだ。

美容室ではよくあることのようでオネーサンが「大丈夫ですよ」と手際よく片付けてくださるが、普段そんなことは微塵もしたことのないラテなのだからオトーサンとしては恐縮するしかない。
ということで12月30日の2時に予約を取ったオトーサンは作戦を変更した。それは直接ラテを美容室へ連れて行くのではなく10分程度早めに出て近所の公園あたりを回って偽装工作をすると共にオシッコをさせてから向かおうと考えた。これなら美容室でオシッコすることもないのではないか…と。

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※寒い朝、久しぶりにお気に入りのワンコと鼻面をツンツン


オトーサンはいつものような散歩の身支度をしてラテと家を出たが、向かった方角は美容室とは違う公園の方だった。これならラテも怖がらないだろうと思ったし、思惑通り公園近くになって早速オシッコをしてくれた。これまた思った通りなので、後は戻りの過程で美容室前を通る振りをしてサッと連れ込んでしまおうと頭でシミュレーションを繰り返す(笑)。

しかし家を出て数分でオトーサンはいつものラテではないことに気がついた。
ラテだけではないがワンコの散歩はとにもかくにもあちらこちらと臭いを嗅ぎ回るのに時間がかかるものだ。例えば数メートルおきに電信柱とか街路樹があったとすればその一本一本毎に立ち止まり、放っておけば数分ずつ臭いを嗅ぎ回ることになる。そんなことをされては散歩にならないし寒さもよりこたえてくるから「ラテ、せめて一本おきにしろ!」などと馬鹿なことをいいながらラテのリードをひくオトーサンなのだ。

それがである…。公園に向かい早くも途中でオシッコをしたからと脇道に入ったが、そこは通い慣れた道であり、いつもなら早速電柱に近寄りツイートを読むラテなのだが今日はスルーなのだ。

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※オトーサンの偽装工作も見破られたようで早くも尻尾が下がっている


最初はたまたまだろうと思いつつ先に進むが、次の電柱もまたその次の電柱もスルーした。ラテはと見るとアイコンタクトを返したものの真顔である(笑)。早くも尻尾が下がっているし、これは明らかに不審を抱いていることは確かのようだった。
あれだけ普段臭いを嗅ぐのを使命だというようなラテが続いて行きすぎる数本の電柱に一度も見向きもしないのはやはり平常心でない証拠だといえる。
まあ、ばれてしまえば仕方がない(笑)。オトーサンは予定より5分ほど早かったがそのままゆっくりと美容室に向かいラテを連れて入った。

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※ペット美容室へ...いざ!


ドアを開けると素直に入ったものの後ろ足というか腰が見るからに震えている。そのうちいつものように抱っこの要求だ。受付が済む僅かな時間だけラテを抱きしめてあげた。幸い今回はお店内でオシッコしなかったので助かった…。
店の奥へと連れて行かれるラテとなるべく視線を合わせないようにオトーサンは「よろしくお願いします」と受付のオネーサンに言ってから店を出たが、この瞬間いつものことだが後ろ髪を引かれる思いをする。

2時間ほど経ってお店から「終わりました」との連絡をもらったので早速引取に向かう。カウンターで精算していると満面の笑顔でラテが出てきた。

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※3か月前より体重が1.5kg減量になっていた


お店の方から渡されたレシート兼報告のメモに寄れば体重は19Kgだったという。3か月前に来たときには20.5kgだったから1.5kgの減量に成功したことになる。確かにオトーサンの努力目標は達成したわけだが、最近ラテの機嫌が悪いときがあるのはお腹が空いているのかと思いこれまた心が痛むが10歳になって20kgを越えては足腰にも支障がくるからという医者のアドバイスもあったので頑張ってみた結果だが、ラテにはえらい迷惑なのかも知れない(笑)。

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※美容室からの帰り道、初対面の母子から「触ってもいいですか?」と声をかけられた。ラテは子供にはフレンドリーだ


ともかくこれでラテは綺麗になって新しい年を迎えることが出来た。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。



Appleの株券物語

当ブログ連載「[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ」でAppleが株式公開する話しを書いていたとき、構想の概要を友人に話したところ「ところでお前はAppleの株、何株持ってるんだ」という話しになった。株の所有は即いまの価値がどうのとか金額がどうのこうのという話しになるので嫌だが、まあ正月ということであらためて調べてみた。


まず私がAppleの株を購入したのは2000年8月と2003年8月であり、それぞれ一株ずつだ。いや間違いではなくそれぞれ一株だから合わせてもたったの二株ということになる。
そもそも私には株で儲けようとする才覚がないことは自覚しているので本格的に株を買って云々するつもりはまったくなかった。ただし一般的には株を購入しても株券の不発行が当たり前だからAppleの株主だったにせよ株券そのものを所持している人は少ないに違いない。

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※2000年8月に初めてAppleの株を購入(株券は本物)


それは有価証券だから盗まれたり紛失すればそれまでだし管理も面倒だからだ。私はといえばそのApple社の株券そのものが欲しかったのでその本物が手に入るなら一株で良かったのだ。
当時はネットでそうした有名企業の株券を代理購入してくれる企業があったことでもあり気楽に購入しそれを額に入れて飾ってきた。だからそもそも株価が高騰しても売る気はないし(売れるかどうかも知らない)、暴落して紙くず同然になってもこれまたどうということはなかった。

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※2003年8月には株券のデザインが変わったのでさらに一株購入(株券は本物)


さてそのAppleはこれまで4回株式分割を実施している。株式分割とは、資本金は変えないで一株を細かく分割することで、株式会社が発行する株式の流通量を増加させたいときなどに利用される新株発行の一種である。
現実問題としては、単元単価が高値をつけておりその為に市場流動性が低下しているなどの状況がある場合、株式分割によって単元あたりの単価を縮小させることで市場流動性を向上させる効果を狙ったものだという。

例えば 1 : 3 で実施された場合、1株に対して2株が無償で株主名簿に記載された株主に対し配られることになる。したがって持株数は3倍になるが、理論的に株価は1/3になるので、資産の総額自体は変わらないしすべての株主の持株数が均等に増加するので持分比率の変動もないという理屈になる。無論分割後の株価の変動はそのまま株主の損得に直結する (ウィキベディアを参考)。

繰り返すがAppleの株式分割は以下のように4回実施されている。

・1987年6月 株式1株を2株に
・2000年6月 株式1株を2株に
・2005年2月 株式1株を2株に
・2014年6月 株式1株を7株に

前記したとおり、私が購入した時期、タイミングからして1987年と2000年6月の株式分割は関係ない。2000年8月と2003年8月に一株ずつ買った計2株がまず2005年2月に実施された1: 2の株式分割に関係する。
この株式分割により私の持ち株数は4株となったことになる。さらに2014年6月9日に実施の1: 7の株式分割時には28株の持ち株になった理屈だ。これが現在のところ、私の総持ち株数である。

ついでに野暮な話しを続けるがAppleの株価を調べると2016年12月30日現在、115.82 USD だというから持ち株の総額は3,242.96 USD となり、2017年1月2日現在の1米ドル = 117.302053円 というレートで計算すれば 380,399円という結果だ。
まあまあそれぞれ一株を買った時期に例えば100株ずつでも手に入れていたら今頃はバラ色の人生だったかも知れないが(笑)、そもそも株で儲けようという才覚と意欲がないのだから私にはあり得ない話しで "たられば" そのものが成立しない。
その他、株券と言えば同じ要領で PIXAR社の株券も一株持っている。これもご承知のようにディズニーに併合したが、私には貴重な資料なのだ。

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※2005年11月に購入したPIXARの株券。これも一株だ(株券は本物)。これにはスティーブ・ジョブズのサインがある


※なお以前Twitterでツイートした際には上記より多い額を記したが計算間違いだったのであしからず。


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appletechlab

Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員