若い時から私はシャガールとかホアン・ミロ、キース・ヘリングあるいはアンディ・ウォーホルらの作品が好きだったが、何故かトーマス・マックナイトの作品は特別で、一時期はわざわざ新作発表会まで出かけて作品を購入したこともあった。そして起業してからは十点ほどの作品を所持していた時代もあったものの、その後会社を整理する過程でトーマス・マックナイトだけではないがすべての絵を処分し現在に至るが、どうしても一点でよいからマックナイトの気に入った作品を飾りたいという希望を持ってきた。
そういえば1997年リリースされたCD-ROM版「マックナイト作品集~The Art of THOMAS McKNIGHT」なども未だに手元に置いてある…。
と言うわけで大げさになるが今般偶然が重なって念願のトーマス・マックナイトのシルクスクリーン作品「Ca'D'Oro」~カ・ドーロの館~と名付けられた1991年製作のリトグラフ作品を手に入れる事が出来た。マックナイトの作品数はそれこそ膨大な数になるが、それらの中でもこの「Ca'D'Oro」はピカイチだと思う。無論真作であり作者のサインはもとより作品証明書付の作品だ。
さて、作品のタイトル「Ca'D'Oro」~カ・ドーロの館~とはサンタ・ソフィア宮殿とも言われ、北イタリア、ヴェネツィアの大運河沿い(カナル・グランデ)にある実在の宮殿の名である。
かつて金箔と多色刷りの外壁装飾が施されていたことから、「黄金の家」を意味するそうだ。
で、作品を見てみるとカナル・グランデを挟んで前方中央に見える白い建物が「Ca'D'Oro」だが、ちなみにこの館は1927年以来、美術館として使用されているという。
「Ca'D'Oro」は、ヴェネチアン・ゴシック建築の中で、現存する最も優れたパラッツォ(大きな建築物)として長い間評価されてきた。ファサード(建築物正面部デザイン)には、ロッジアのような小円柱の間隔が狭い窓があり、その上にクアトレフォイルの開口部を持つ重厚な装飾が施されている。
ちなみにロッジアとは、イタリアで生まれた建築意匠の一種を指す言葉で、ファサードに一方の側が外に開かれた廊下を配し、一定間隔の柱で支持するか、単に壁に開口部を設けた形状のものを意味する。開廊、涼み廊下とも呼ばれる。また、クアトレフォイルとはイギリス、フランス、イタリアのゴシック建築の教会や、大聖堂の窓の装飾に頻繁に使われる様式で「四つ葉」の意味だそうだ。
トーマス・マックナイト(Thomas McKnight、1941年~ )は、米国の画家だが、彼の作品はニューヨークのメトロポリタン美術館、およびスミソニアン協会の常設展示に加えられている。また彼は日本にも縁が深い作家であり、これまで各地で何度も来日展を開催してきただけでなく1995年には神戸市復興のため、美しい神戸の街並みを描き神戸市に寄贈している。
彼の作風はまるで夢の中の楽園を彷彿とさせるもので、室内から外の風景を描く描写が多い。
そしてギリシャ・ミコノス島で本格的な絵画を描き始めたという彼の絵はリゾート感に満ちており、部屋に飾るとたとえ窓のない部屋であってもマックナイトの絵が窓となり、窓の向こうの素敵な理想郷へと誘ってくれる。
私は残念ながらイタリアはもとよりヴェニスを訪れたことはないが、ヴェニスはどこを眺めても絵になる風景であり大好きな場所なのだが、「Ca'D'Oro」を眺めているとリアルな写真を眺める以上にイマジネーションが膨らんで来る。
カナル・グランデには何艘ものゴンドラが行き来し、その一艘にはマックナイト作品には珍しく人物…漕ぎ手(ゴンドリエーラ)が1人描かれている。
そもそも彼の絵には登場人物がほとんどなく人の姿がないというのも特長のひとつである。といって寂しさや陰気な雰囲気はまったくなく、それは「絵の中の主人公はあなた(鑑賞者)だけ」と言われているような気がしてこれまた心地よい。
そして対岸には前記したカ・ドーロの館があり、空を仰ぎ見ればこれまたマックナイトの定番ともいえる細い三日月がうっすらと輝いていることもあってか、どこからかセレナータ(セレナーデ)が聞こえてくるような気すらする。
そもそもマックナイトがどの辺りからこの絵を描いたかを知りたくて地図を参照してみた。アートに理屈や正確性を求めるわけではないが「Ca'D'Oro」の対岸にホテル ロロロージョ ヴェネチアという四つ星ホテルがある。この辺りからスケッチあるいは写真を撮ったのかも知れない…。
ともあれ鑑賞者側の開放的な建物には花が飾られ、魚はもとよりスイカやオレンジ?など豊富な果物などが置かれ、カラフルで豊かさを感じさせてくれる。
トーマス・マックナイトのことを「幸福を描く画家」と称賛することがあったが、彼のほどよい抽象的・シンボリックな画風は正しく私をして至福のひとときに誘ってくれるのである。
ラテへの思いは薄れるどころか、逆により色濃くオトーサンの心を占有していくように思われる。引き取ったときから命が尽きるまでラテを疎かにしたり粗末に扱った覚えは無いほどオトーサンなりに可愛がってきたつもりだが、亡くなれば亡くなったで、もっと「ああしてやりたかった」といった思いも膨らんでくる。
さて、この日記にもラテの性格・特性として飼い主であるオトーサン自身に対して決してベタベタとつきまとうワンコではないことを多々記してきた。
YouTubeなどの動画では些か演出が見え隠れするものもあるが、飼い主の寝ているベッドに飛び込んだり、飼い主が外出から戻ってくると尻尾が振りきれるほどの喜びを表すワンコたちが目立つ…。
それらを見るにつけ、正直羨ましくも思うオトーサンだが、よくよく考えてみるにラテの一見無愛想な態度はそれだけ飼い主…オトーサンを信頼している証しでもあるに違いない。
そのオトーサンもラテが我が家に来た早々にいわゆる分離不安のワンコにならぬよう訓練をしたものだ。女房が仕事に出かければオトーサンとラテだけの世界であり、オトーサンが買い物やらに出かけたとしてその間、ラテが不安で吠え続けたり、家の中の物を壊したりするとなれば困るし可哀想だからだ。
したがって玄関のドアを開け「ラテ出かけてくるよ」とわざと声をかけ、ドアを閉める。しかし最初はものの15秒、30秒程度でドアを開き「ラテ、戻ったよ」と声をかけ、その不在の時間を1分、5分そして10分と長くしていくというよく知られている訓練である。
ただし最初は「何ごとか」と心配そうではあったが、声も上げず追いかけてもこない。数日、こんなことを繰り返しつつ実際に近所のコンビニへ30分程度買い物に出かけることをやっていたが、ラテは狼狽えたりせず逆にオトーサンが戻ってものっそりと顔を見せる程度だった。
思えば2006年12月10日にラテを家族に迎えた訳だが、翌年の1月21日にオトーサンはラテが来て初めて家を空けた。
それは札幌へ結婚式参列のため一泊したからだった。ラテとの生活が40日ほどしか経っていないので心配したが女房に預けて札幌に旅立ったが正直心配で心配で…(笑)。
翌日オトーサンがやっと近隣の駅まで戻った時、女房から駅ビル上階のTULLY’Sでラテと待っているというメッセージを貰い嬉々として駅からの階段を駆け上った記憶がある。
TULLY’Sの広い外スペースから女房に連れられて出て来たラテはなんとオトーサンに飛びついた。そしてしゃがみこんだオトーサンの眼鏡ごと顔をベロベロと舐め回してくれたが、以前にも記したとおり思わずオトーサンは涙ぐんでしまった…。
記憶にあるラテのこの種の行動、これほどの歓迎はその時が一番であり後にも先にも同じような体験は記憶にない。
一晩家を空けてもオトーサンは戻って来た…というラテなりの納得感からか、それ以降は同様なことがあってもあの時のような熱烈な出迎えはなくなった。
それはオトーサンにとっては些か寂しいことだった。何しろ半日留守にし、心配しつつ帰って自宅のドアを開けてもラテは喜び勇んで駆けてくるようなことはないからだ。いや、フローリングに腹ばいになったまま頭も上げず尻尾が僅かに揺れているという程度なのだから…。
しかしこのことはオトーサンを100%信頼しているからこその態度なのだという。そもそも飼い主が戻ってくると大げさなほどの歓迎はその裏腹の心理として不安が大きいからだ。「戻ってくるのか」という不安がよりつのればそれが分離不安の行動に進んでしまう。
特にラテは生後3ヶ月(推定)ほどで理由は不明なものの捨てられたと思われる。そしてボランティアの方に大事に育てられたものの、様々な理由で一時預かりといったあれこれにより世話をしてくれる人間が変わったことがあるわけで、とりわけ人に対する愛着は強いものの不信感もあったと思われる。
そのラテが分離不安を生じないことは勿論、オトーサンが半日留守をして戻っても安心して寝続けることができるのはそれだけ信頼されているからだとオトーサン自身は考えてきた。いや、正直言えば前記した札幌から帰った時のような歓迎をときにはして欲しかったが、それは贅沢な思いに違いない。
先日どこでだったかは忘れたが「人間は、いい人生を送るための方法を学ぶために生まれてくる…。しかし犬ははじめからその方法を知っているから人間みたいに長く生きる必要はないのだ」といった言葉が目に付いた。確かによく言われるように人がいわゆる社会的に一人前になるのは18歳とか20歳までの長い年月が必要だがワンコは一年も経てば成犬とみなされる…。
ではワンコは日常何を考えて生きているのだろうか…。そんなことを疑問に思ったことはないだろうか。オトーサンがラテを迎えたのは2006年の12月のことだったからすでに17年も昔のことだが、ワンコを飼ったことのないオトーサンは少しでもワンコの生態やそのトレーニングのより良きやり方を知りたいと数冊の本を買い込んで読みあさった。
※オトーサンに抱っこされてご機嫌
無論著者が違えば意見も違うのは当然だが、現在と比較するとワンコに対する研究はまだまだ遅れていた事もあっただろうし、ワンコに対する見方も現在とはかなり違っていたように思う。
まさかあのパスカルの言葉通り、ワンコには感情とか意志はなく生まれたときからいわゆる機械仕掛けのように出来ることは決まっている…と思う人はいないにしても人間とは違い、記憶や学習そして感情面においても大きく劣った生き物だといった見方が多かったように思う。
※女房を起こしに行き自分もくつろいでしまう(笑)
そうした見方をしていたのがトレーナーだったり獣医だったりしたわけで、いま思えばお粗末な専門家だと言わざるを得ない。
ワンコを常に自分の側に置き、訓練は当然としても家族同様に生活してみればこのワンコという生き物は想像以上の感性および感情を持ち、記憶力も抜群だし従って学習能力も優れていることがわかるはずだ。
とある動物病院の院長は自著の中で「ワンコは普段何を考えているのか?」という問いに「何にも考えていないでしょうね」と答えている。
確かにワンコの興味は食べることと散歩に出ることに集約しているとは思うが、なにも考えていない…というのはこれまた些か理解不足ではなかろうか。
※盟友ハリーちゃんと笑顔を交わし逢う
あれだけ豊かな感情とそれをボディランゲージと表情で表現できるワンコが何も考えていないなどとはオトーサンにとって信じられないことだ。
オトーサンに普段ベタベタしないラテにしても、例えばフローリングで横になっている脇をオトーサンが通れば薄目を開け、オトーサンであることを確認し安心して再び目を瞑る。あるいはお腹が減って入れば起き上がって物欲しそうな表情をする。
その思考の過程は分からないものの、寝ている時にはときに夢を見ているようだし、うなされることもある。そしてオトーサンらの動向をそれなりに認知しているように思える。
※公園で大好きなNちゃんとチュー
いや、我々人間だって「普段何を考えているのか」と問われれば答えに窮するのではないだろうか。目を覚ましているにしても人は数分しかひとつのことに意識を向けていられないとも言われているし、事実言葉に出して説明できるほど明確な事象について考えている時間帯は限られていると思う。
とはいえ我々は日常ボーッとしていたくてもそうはいかない。仕事に出て電車に乗り、デスクワークにしろ外廻りにしろその都度意識が向かう対象があるが、ワンコはそうそう刺激のあることは少ない。
ラテを見ていると例えその根源には食欲と散歩欲、そして飼い主すなわちオトーサンたちに愛されたいとする感情が働いていると思うが、オトーサンの言動を見聞きすればやはり何か直近のことを連想し、玄関で物音がすればそろそろ散歩に出られるのかと思いを馳せるに違いない。
※ガムを楽しみながら女房とお話し…
だからこそ…それだからこそ我々もワンコに感情移入でき自分の子供のように、あるいは友人のように接することができるのだ。
ワンコを、犬を侮ってはならない!
毎日Twitter…いや、X にツィート…いや,ポストするために(嗚呼めんどくさい)その日その日のラテの写真をセレクトしているが実にオトーサンに抱っこされている写真が多いのに今更ながら気づく。甘えんぼといえばそれまでだが、この抱っこには忘れられない思い出があるのだ。
ラテを抱っこする写真が多いわけだが、実際は写真として残っているケースの何倍も多かったに違いない。一番体重が重かった時期には21kgほどあったからそれは容易な事ではないのも事実。
※珍しくマッサージチェア上で甘える…
しかしこの抱っこは例えばオトーサンが可愛さ余って「ラテ、抱っこしてあげるよ」といった感じで抱き上げたことはほとんどないのである。すべてラテが「抱っこして」と哀願してきた結果なのだ。
無論その抱っこにも最初がある…。
正確な時期は忘れたが,ラテを迎えて早々だったと思う。オトーサンもラテも散歩にまだまだ慣れていない時期だったようだ。
朝の散歩かあるいは夕方の散歩だったかも分からなくなっているが外は雨が降っていた。オトーサンは大きめの傘の半分をラテ側に意識しつつ歩いていた。
ふとラテが立ち止まり進もうとしない。まだまだ勝手が分からない新米の飼い主のオトーサンは何ごとかと前方を見ると歩道一面の広い水たまりがあった。
「なるほど、こいつはあの中を歩きたくないんだな」と納得したときラテが意外な行動をとった。それは後ろ足立ちし両前足をオトーサンのズボンに押し当てるというポーズだった。それは新米のオトーサンにでも「抱っこして…」と要求している姿に間違いないと思った。
それまで散歩途中でラテを抱き上げたことはなかったこともあるし、ラテの方からこうした要求をしたことにオトーサンは上機嫌だった。
雨に濡れるのも気にせずオトーサンは傘を地面に置き、ラテの体を両手で持ち上げた。ラテは自然体で両前足をオトーサンの両肩にそれぞれ置いた形となり,オトーサンの両腕はラテのお尻を無理なく支える形となった。
後年「子供(人間の)を抱っこしているようだ」と言われたこの抱き方はあれこれ工夫した上での結果で無く、最初の一回目からこうなったのである。思えばこの抱き方がラテにとっても楽だしオトーサンにとっても力の配分に無理を生じない理想的な抱き方だったのだ。
とはいえこのときラテの体重は10kg程度だったと思うが数年後には21kgにもなったわけでおいそれと長時間抱き続けるわけにもいかなくなった…。
そもそもラテは飼い主のオトーサンにもベタベタしたり後を追いかけ回すといったワンコではなかった。以前にも書いたがノーベル賞受賞者コンラート・ローレンツによればワンコにはオオカミ系とジャッカル系があるとし、特にオオカミ系の血の濃いワンコは飼い主に対するその並外れた忠実さと愛着の深さにも関わらず、100%従順ではないらしい。
オオカミ系の血の濃いワンコは死ぬまで主人の友であるが決して奴隷にはならない。彼女・彼は主人なくして生きていけないが、確固たる自分なりの生活態度とポリシーを持っているということらしい。
※時には女房にも抱っこをせがんだ
だからラテは「寂しがり屋のひとり好き」といった性格を持っているようで、飼い主を信頼しつつ遊びたいときには一緒にはしゃぐが、日常の多くは頻繁にあれこれとかまわれることはあまり好きではない...といった感じ。しかし相変わらず外面はよく、散歩に出かけた公園などで他の飼い主さんたちに愛想を振りまきお腹を出したりチューをしたりするもののオトーサンに同様な甘え方をすることはほとんどないのだ。このことは少々寂しい気もするが、そのラテが抱っこの要求をするのだからオトーサンは嬉々として抱き続けてきた(笑)。
ラテが亡くなって早くも1年と5ヶ月経ったが、ラテを抱くその重さはもとより、体温の暖かさ、顔を擦りつけてくる感覚はいまでも生々しく甦るのである。
M1 iMacのストレージをHDDからすべてSSDへ移行する計画の一環として今般 PULWTOP M1 iMac24インチ用ドッキングステーションを手に入れた。ドッキングステーションなるものとしてはすでにTHUNDERBOLT接続のwavlinkという製品を使っているが、確実なポート数の確保や使い勝手の向上を目指してのことである。
PULWTOP M1 iMac24インチ用ドッキングステーションの特長は愛器のM1 iMacボディ色と同じ筐体を選べること。そしてその上にM1 iMacを乗せることで特別なスペースを必要としないことだ。まあ、2cmほど視線が高くはなるが…。
※PULWTOP M1 iMac24インチ用ドッキングステーションを装備したM1 iMac 24
さらにPULWTOP M1 iMac24インチ用ドッキングステーション本体底の蓋を開ければ最大転送速度10Gbpsの転送速度を誇る2TBまでのM.2 NVMe SSDまたはM.2 SATA SSDを内蔵・拡張させることが出来る。
※別売のSSDをドッキングステーション内に装着
無論SSDは別途購入する必要があるが、インストールも簡単だ。私はMonster Storage 2TB NVMe SSD PCIe Genを取り付けた…。
他の拡張性としては、USB C 3.2 Gen2 10Gbps1個、USB A 3.2 10Gbps1個、USB A 2.0 480Mbps2個、SDおよびTFカードリーダーをサポートしている。
※PULWTOP M1 iMac24インチ用ドッキングステーション右横の拡張ポートたち
ともあれ狭い机上なのでスペースを取らない点はありがたいし、繰り返すがiMac本体と同一カラーのドッキングステーションは一体感が増して視覚的にも邪魔にならない。そして同種の製品と比較して価格も幾分リーズナブルである事も嬉しい。
なおiMac本体との接続はPULWTOP M1 iMac24インチ用ドッキングステーション背面から出ているUSB-C型コネクタをiMacのThunderbolt端子に接続するだけだ。
欲を言えば、いま少しUSB-Cポートが欲しいしSSDの容量も4TBほどまで拡張したいが、まあM1 iMac 24の周辺機器としてはそうそう大層な要求はできないから良しとしよう。
このイエローのM1 iMac 24を買った当初はともかく、目に馴染んでしまったからだろう…そのカラーを特別意識しなくなって久しいが、暫くぶりに本体はもとよりキーボードやマウスの統一感を感じる機会を得た。