ラテ飼育格闘日記(750)

最近、立て続けにワンコを飼い始めたという飼い主さんとそのワンコに出会った。お二人とも散歩している方は女性だったが初めてワンコを飼うことになったという。両方共に小型犬でもありかつ幼犬だったたこともあって思わず「可愛いですね」と口にした。


マルチーズやポメラニアンといった小型犬は成犬でも縫いぐるみみたいで可愛く、それだけで得をしているように思えるが、それが幼犬であれば文句なく愛くるしい。
初対面のワンコの飼い主さんとのご挨拶はやはり差し障りのないような、例えばワンコの年齢をお聞きするとか名前をお聞きすることから始まる。

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※何を見つめているのかな…


ともあれ元々の行き掛かりは不明だとしても最近は保護犬を引き取られて家族に迎えるという飼い主さんが増えたようでそれは嬉しいことだが、他人事で無く最後まで責任を持って慈しんでいただきたいと願う。
やはり飼い始めた飼い主さんの口から出る言葉は「可愛いが大変だ」の一言だ。オトーサンもそうだったが頭で考えたことやトレーニング本などで得た知識だけでは済まないのが現実である。

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※真っ青な空に飛行機雲が!


ワンコの個人(犬)差も大きいから一概には言えないが、オトーサンが本当の意味で役に立った情報はお仲間の飼い主さんからのものがほとんどだった。
したがって先輩面をする訳ではないが問われればなるべく丁寧にオトーサンの体験による事例などをお話しするように心がけている。

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※目脂を取っているところです


リードの引きが強い、甘噛みに困っている、よく吠える、分離不安が治らない、掃除機やドライヤーの音を怖がる、排泄の習慣が付かないなどなど、飼い主が頭を悩ませることは基本そう大きく違わない。ただしラテの場合は最初から音に関しては恐怖心がないので助かった。
なにしろドライヤーや掃除機はもとより、激しい雷雨の中、オトーサンは雷が怖くて背を丸めながら先を急いだときもラテはルンルンだった(笑)。

総じて飼い主が戸惑う原因は飼い主側にあるように思える。その最たる事はいわゆるワンコに対しての擬人化だ。同じ空間で日々一緒に過ごすわけでどうしてもワンコを人間並みの扱いで接することになりがちだ。例えば飼い主の発する言葉(コマンド)もワンコによっては100以上も覚えるというし、事実ラテも「可愛い」「良い子」「ご飯」「散歩」「待て」「ダメ」「良し」「来い」「お座り」「伏せ」「ネンネ」などはすぐに覚えた。

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※大好きなAちゃんと、おでこの触れ合い


ワンコに対するコマンドは短く明瞭な単語が良いとされるからオトーサンはそうした事を意識して接してきたが、女房は最初から話し言葉だ…。
「来い」ではなく「ラテ、こっちへおいで」だったり、ひと遊びした後に「はい、ラテ解散だよ」などと人に対する話し方と変わらない。オトーサンはそれではダメだと言い続けているが可笑しな事にそれでも大概は通じているみたいなのだ(笑)。

ただしオトーサンも常に心がけていることだが、コマンド云々はともあれワンコと人間は確実に種が違い価値観はもとより思考の過程もその方法も違う訳で、人間世界における飼い主の意志や思いのニュアンスを伝えることは本来至難の技だ。それにワンコがコマンドを理解といってもいわゆる言語を持たないわけで、言葉を文字通り理解しているはずもなく、繰り返しの経験・体験の中で飼い主の態度や表情を察してその言わんとすることを覚えているに違いない。

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※オヤツでも出るかと思ったのかな(笑)


そんな訳でラテと散歩しているとワンコの飼い主さんだけでなく様々な方から声が掛かる…。ラテは実にゆっくりとしか歩かないから見るからに老犬であることは分かるわけで「大変だねえ。でも可愛いでしょう」といった的を得たことを言ってくれる人もいる。
オトーサンは素直に「ええ、可愛いですね」と答えるが、幼犬の可愛さとは別格の可愛さなのだ。なにしろ15年も一緒に暮らしてきたわけだから良くも悪くもお互いに分かり合えているし、根っ子の所で信頼し合っているからだ。
正しく老犬は幼犬より可愛いのである。







Appleの「探す」ネットワークで、 新たに他社製のアイテムを見つけることが可能に

ppleは本日、新しくなった「探す」アプリケーションを公開しました。同アプリケーションの最新版では「探す」アプリケーションから利用できる、何千万台ものAppleデバイスにより構成されているAppleの探索ネットワークが備えるプライバシーが保護された安全な探索機能を、Apple以外の他社製品からも利用できるようになりました。


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Appleは新たに用意した探索ネットワーク対応アクセサリプログラムを通じて、この世界規模の広大な探索ネットワークをApple以外の周辺機器メーカーにも開放し、同探索サービスに対応する製品の開発を促すことで、お客様が「探す」アプリケーションを使って、生活に欠かせないアイテムの場所を特定・追跡可能にすることを目的としています。
探索ネットワーク対応アクセサリとして「探す」アプリケーションから見つけることができる新製品は、次週にも、Belkin、Chipolo、VanMoof 各社より発売されます。

Newsroom




濱田滋郎先生と対談の思い出

先日遅ればせながら音楽評論家、スペイン文化研究家で日本フラメンコ協会会長の濱田滋郎さんが3月21日に亡くなられていたことを知った。享年86歳だった…。濱田先生を幾多の著作を通して存じ上げていたが、2001年7月に月刊「現代ギター」誌の先生との対談ページに呼んでいただいたことは生涯の思い出である。


本稿のタイトルを「濱田滋郎先生と対談の思い出」としたが、ご本人にお目にかかったのは対談の当日一度だけであるからして少々烏滸がましいが、追悼の思いも込めて心に残っていることを記してみたい。
私がギターを手にしたのは高校生のときだった。幼少から母の意向で三味線を習わされていたが時代はプレスリーやビートルズの時代であり、またフォークソングも台頭してきたこともありギターが弾きたくバイトをして安物のギターをやっと手にした…。

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※ギターは演奏だけでなく数本自作する凝り性…。これは1974年4月に自作した10弦ギター。現代ギター社から6弦ギター用の材料を購入し指板やネックなどを継ぎ足して製作。イエペス調弦でしばらくは楽しんだ


小さな楽器店兼レコード屋みたいな店でギータの教則本をと探したが時代は1965年頃の話、店には「古賀政男ギター独習」といった程度のものしかなかった。基本はクラシックギータのそれだったが例として載っている曲が古賀メロディーだったがそれでも暇さえあれば練習した。
朝食のとき、味噌汁の椀を左手で持つと指先が熱で痛いほど練習した。また三味線をずっとやっていたことも幸いし、左手の運指は苦労したことはなかったし右手も、例えばトレモロ奏法にしても素人ながらまずまず指が動くようになった。
記録を確認するとその2年後の1967年1月16日にはクラシックギターの通信教育と銘打って登場した「東京音楽アカデミー」に加入し、教本とソノシートが届くのがなによりの楽しみとなった。

そんな私が同年2月に設立された現代ギター社とその出版されたギター専門誌「現代ギター」に無関心でいられるはずはない。
ということで私は「現代ギター」誌は創刊号からの読者なのである。
またここだけの話しだが(笑)現代ギター社の求人に応募しようかと履歴書を途中まで書き込んだこともあった。しかし投函はせずその後もただただ「現代ギター」誌の一読者として楽しませていただいていたが、2001年7月3日、「現代ギター」誌編集部から電話が入った。

何ごとかと思ったがお話しは「現代ギター」誌の人気連載のひとつ「濱田滋郎対談」への参加依頼であった。
それまで諄いようだが毎月「濱田滋郎対談」は拝読していたが、私の知る限り濱田先生と対談なさる方は当然のことながらギター関係者はもとより演奏家であったりと音楽に精通された方々のはずだった。それが何故私なのか…と訝しく思ったが理由などどうでもよく、本当に濱田先生と対談できるならこんな嬉しいことはないと二つ返事でOKした。

繰り返すが濱田滋郎先生のことは数々の著作を通じてよく存じ上げていた。いまでも手元にはE.プジョール著/浜田滋郎訳「ターレガの生涯」(1977年)、浜田滋郎著「フラメンコの歴史」(1983年)、そして濱田が滋郎著「フラメンコ・アーティスト列伝」(1993年)がある。なお「ターレガの生涯」は現代ギター社創立十周年を記念して出版されたものだった。どれもこれも私の夢を膨らませてくれるものだった。
ちなみに現在先生のお名前は「濱田」と表記されているが当初は「浜田」だった。

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※今でも書棚にある濱田先生の著作たち


ともあれ私は勇んで2001年7月19日に現代ギター社の編集部を訪ねた。当初電話をいただいたのが7月3日だったが私は当時お約束を守れるかどうかといった心配事を抱えていた。それは入退院を繰り返していた母が危篤になったり持ち直したりしていた時期であり、我ながら親不孝だと思いつつも「お袋!濱田先生との対談が終わるまで持ちこたえてくれ」と念じていた…。
事実母は対談の三日後の22日に帰らぬ人となったが、不謹慎ながら母は私の願いを叶えてくれたのかも知れないと思っている。

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※許可を得て撮影した当時の現代ギター編集部の一郭


対談は現代ギター社の最上階にあるホールで行われた。記憶は正確でないかも知れないもののその場には先生と私、そして編集部の方とカメラマンの方だけだったと思う。
音楽関係者でもない私に何故声をかけてくださったのかは推測でしかないが、ひとつに現代ギター誌の編集が当時はまだまだ珍しいMacで行われていたことで、どこかで私のことを見知ってくださったのかも知れない。そして私が現代ギター誌創刊号からの読者であることをご存じだったから、これまた私がどこかでそのようなあれこれを書いたのかも知れない。

濱田先生のお姿ならびにお人柄はそれこそ現代ギター誌で存じ上げていたものの直接お会いするのは初めてである。しかし想像したとおり先生は物腰の柔らかい笑顔を絶やさない方だった。
冒頭私がコンピュータの仕事をしていることを知って「今日はお手柔らかに。私はいまだに原稿を手で書いている平成の化石人間と呼ばれておりますので…」とおっしゃったのを覚えている。
そうした対談の内容については現代ギター誌の2001年9月号(No.440)に載ることになったが対談が終わったとき私は生意気ながら「濱田先生とツーショットの写真が欲しい」と願い、カメラマンの方に撮っていただいたのがこの写真なのである。

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※対談終了後、お願いして濱田先生とツーショットを撮っていただいた


写真と言えば後日お送りいただいたそれら一連の写真を友人達に見せたとき「よほど嬉しかったんだろうな。コンピュータ雑誌に載っているお前の表情とはまったく違うよ」と言われた。
それが切っ掛けとなったのか編集部とご縁ができ、ギター誌に相応しくないかとも思ったが原稿依頼があり「パソコンエイジの玉手箱」と題する4ページの連載を1年間続けた。
その後は再び現代ギターの紙面でご活躍を拝見していたが、対談させていただいた時期はたまたまフラメンコギターを習っていたときでもあり話題としてはグッドタイミングだったのかも知れない。

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※当該対談が載った現代ギター誌2001年9月号(No.440)表紙


私はパーソナルコンピュータのソフトウェア開発を職業にしたが、それ以前の人生を振り返って見るとギターが人生の振り幅を大きく変えてくれたように思う。目立たない高校生だった私がギターを持って舞台に上がる機会が増えるに連れ友達も多くなった。就職してからも上場企業公認のバンドメンバーとしてリードギターとボーカルを担当した。
一時は会社公認でクリスマスパーティーでの演奏練習のため仕事を早めに切り上げて練習したことまであった。
いま思うと赤面ものだが、その積み重ねの結果現在があるわけで濱田先生の訃報を目にしつつ腱鞘炎で動かなくなった左手指を眺めている。
先生のご冥福を心からお祈りする次第…。



ラテ飼育格闘日記(749)

毎年のことだが年度末は生活状況が変わる季節。ビジネスでは転勤や移動もあるだろうし、子供たちは卒業や進学そしてクラス替えなどなど環境に変化がある季節だ。しかしオトーサンのような隠居ジジイはそうした世間の喧騒には本来関わる事無く過ごしているわけで、意識しないと季節感どころか曜日まで忘れてしまいがちだ…。


そんな毎日を過ごしているとあっというまにボケてしまいそうだが、ラテとの散歩のお陰で知り合った幾多の子供たちはもとより、お子さんとの出会いがご縁でお付き合いいただいているファミリーのお陰で新学期、卒業式、入学式といった行事に多少なりとも触れることができ喜んでいる…。

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※春を感じられる季節になりました…


そのファミリーのAちゃんはこの春小学校を卒業し、4月に中学生となる。しごく当たり前のことのようだが、Aちゃんは幼稚園年長組のときから近所の公園でラテと共に遊んでくれていたので感激もひとしおである。
今年はご承知のように新型ウィルスの件で学校の行事もあれこれと簡素化されたり中止になったりしたが卒業式は無事に執り行われたとのこと…。

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※桜吹雪の中をラテと散歩


しかしその卒業式の写真をいくつか拝見したが、それは団塊の世代の貧しい子供時代を過ごしたオトーサンの想像を遙かに超えるものだった。いや、内容についてではなく卒業生たちの服装…姿形が…艶やかだったからだ。
凝り固まった頭では私立学校ならばともかく、公立の小学校の卒業式に女子たちの中には着物と袴姿の子供も結構いたので驚いた。そういう意味ではよき時代なのかも知れない…。

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※散歩途中で一休み♫


そして嬉しいことにその卒業式の帰り道、オカーサンとAちゃんがわざわざオトーサンのところに立ち寄っていただいた。玄関先での挨拶だったがオカーサンのお心づかいならびに今更ながらにAちゃんが成長したことを実感しウルウルしてしまう…。
しかし思えばこの6年間、ラテはもとよりオトーサンも歳を重ねたわけで体力の低下を自覚するだけに、早かったようでもあるこの6年という年月の重みを感じざるを得ない。

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※Aちゃんとオカーサンが卒業式の帰りに立ち寄ってくださった


オトーサンはいつもではないもののステッキを使う羽目になったし、ラテにとっての6年間は人間より寿命が短いワンコにとっては倍以上の期間にあたる…。
幸いラテも今のところは歩くスピードはかなり遅いものの歩く意欲は旺盛で、オトーサンが難儀するくらいだ。

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※ラテは歩く意欲も旺盛だが、またよく寝ること寝ること


季節は丁度桜の季節、というよりすでに葉桜だったり桜吹雪を楽しめる場所もあったりするし夏日になった日も出てきた。
ただし不安要素と言えばやはり新型インフルエンザの存在だ。当初は子供には感染しないといった風評もあったがそれも正確な情報ではなかったようだし、子供たちにしても新しい環境下で不安というかストレスも増えるに違いない。
しかしそれらも是非是非若さで乗り越え、良き思い出を沢山抱えて新しいスタートをきって欲しいと願っている。



Appleの世界開発者会議、 今年もすべてオンライン形式で開催

Appleは本日、毎年開催される世界開発者会議(以下、WWDC)を6月7日から11日まで、すべてオンライン形式で開催することを発表しました。すべての開発者が無料で参加できるWWDC21では、iOS、iPadOS、macOS、watchOS、tvOSの今後について他に類を見ない展望を共有します。


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記録的な参加者数と成果が得られた昨年のオンライン会議に続き、WWDC21は開発者にとって、革新的でプラットフォームを差別化するアプリケーションやゲームを開発するために必要な新しいテクノロジー、ツール、フレームワークについて学ぶ機会となります。またAppleは、今年度のSwift Student Challengeの応募受付を開始することも発表しました。Swift Student Challengeは、若い開発者がSwift Playground作品を通じてコーディングスキルを披露できる機会です。

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Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。2017年6月3日、時代小説「首巻き春貞 - 小石川養生所始末」を上梓(電子出版)。続けて2017年7月1日「小説・未来を垣間見た男 スティーブ・ジョブズ」を電子書籍で公開。
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