ラテ飼育格闘日記_838

寒さが緩んできたと思ったらここのところ天気が悪く散歩の機会がなくなったせいか、足腰の具合がよくない。日常歩くと言えば近所に食料品や日用品を買いに出かける程度だから一日の歩数をiPhoneで確認しても3000歩程度でしかない…。


思えばラテがいたときには台風だろうと雪だろうと、ともかくは一緒に外へ出ていたわけで今更ではあるがよくもまあ続いたなあと思う。
ラテの体力が弱った晩年はともかく天気がよければ1時間は歩いたものだ。いや、歩くだけでなく時にはラテと一緒に走った走った。

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※好奇心旺盛なラテでした


物の本によればワンコとの散歩は飼い主とワンコのコミュニケーションの基礎を確立する一番大事なことだとあったのでオトーサンはラテが我が家に来た日からしばらく朝昼そして夕方と一日三回の散歩を己に課した。
しかしオトーサンはワンコを飼うのは初めてであり、幾冊かの本からの知識しかなく生身の子犬がどのようなものなのかも知らなかった。

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※乞田川沿いの散歩


いまでもラテとの最初の散歩を覚えている…。
首輪にリードを付け、飲み水と排泄処理のアイテムをショルダーバッグに入れ勇んで自宅を飛び出した。ものの本によればリードの捌き方のページがあり、ワンコを飼い犬の脇にぴたりとつけて同じスピードで歩く訓練をしろとあったが、道路に出た途端にそんなことは忘れた!

なぜならラテがいきなり走り出したからだ。
まだ体重が9kgほどだったが、その力は想像以上のものでありリードを引いて止まらせるのにしばし時間がかかった。そして子犬は皆そうなのかは知らないがまあまあ好奇心旺盛で鳥の声が聞こえれば後ろ足立ちして電線を見上げるかと思ったら舞ってきた落ち葉を追いかけるといった有様で一時もじっとしていない…。

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※引き取ってから2ヶ月ほどのラテ


一番困ったのは 拾い食いが激しかったことだ。好奇心と直結しているのだろうか、道端に落ちているものなら何でも口に入れてしまうほどで煙草の吸い殻やガラスの破片を口にしたときオトーサンは決死の覚悟でラテのマズルを押し開けて吐き出させ水でウガイさせた。
オトーサンが散歩途中、廻りの風景などに目が行かず路面ばかりを見る癖がつき、それはいまでも後を引いているのはこうした理由による。

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※散歩に持参するゴムボールは一瞬でパンク!


ともかくパワフルで気に入らないとオトーサンの腰を後ろ足立ちし、両前足で突き飛ばすこともした(笑)。しかしオトーサンはリーダーシップを取るべしとの本を頼りにまずは良い意味でラテの制御を試みたが一番の悩みは甘噛みだった。家中の木製で口にしやすいものなら何でも囓ったしフローリングの床にまで歯を立てた。無論オトーサンの両手は傷だらけだった。

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※目を離したスキにオトーサンのノートパソコンバッグを囓る…


さすがに噛みつくことはしなかったが歯を当てられただけで両手は無残なことになっていた。あるとき乞田川の散歩で知り合ったビーグル犬の飼い主さんに愚痴を言うと「小一年すれば自然に止む…。後でその頃が懐かしくなるほど大人しくなりますよ」と慰められた。
そんなことになるのかは半信半疑ではあったが、確かにいま…その頃を懐かしく思い出しながらこの原稿を書いているオトーサンでした…。



ラテ飼育格闘日記_837

2023年3月6日はラテの一周忌だった。今回の日記にはラテ最後の様子を書こうと思っていたが…やめた。読んでくださる方々にとってもよき話しではないしオトーサンにとっても何度思い返しても悲しみしか湧いてこない出来事だからだ。


ただし15年連れ添ったラテには感謝の気持ちで一杯だ。だから今後も折に触れてこの日記を綴るとすればなるべくラテとの楽しい思い出をと考えた…。

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※最晩年の表情


さて、ラテは保護犬であった。2006年のこと雨の日、茨城県のとある家の軒下で保護された。推定生後3ヶ月だと病院で言われたという。そしてボランティアで犬猫の保護活動をしている方に依託され先住犬と老ネコの中で温かく迎えられ、新しい飼い主を探すべく里親会などに連れて行かれることになった。

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※おむつ姿で甘えてます


オトーサンたちとラテ(その際に付けられた仮の名はカンナといった)が会ったのがラテにとって何度目の里親会だったのかは知らない。9月に保護されたというし、オトーサンたちと出会った里親会は11月だったからもしかしたら始めての里親会だったのかも知れない。
ともあれその日の事はこの日記にも何度も書いたが、正直オトーサンにとって特別えり好みするほどの知識も了見もなく、ただ初めての飼い犬として飼いやすいワンコであればなんでもよかった…。

キャバリエに目が映ったがすでに申込者がいた。しかしその場の雰囲気に飲まれ初めての体験でもあり、さてどうするかはオトーサン自身も分からないでいたもののそのとき「すみません。この子のリードを少し持っていてくれませんか」と係りの方に頼まれ、子犬に相応しくないように思う太めのリードを渡された。
そのワンコがラテだったのだ。

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※襖の間からこちらの様子を覗き込む…


ワンコにこれほどまでに接近しその体に手を回したのはたぶん始めての体験ではなかったか。したがってどう扱って良いか、どう扱うべきかもわからなった。そしてラテのリードを保持しつつも周りを走り回る幾多のワンコの中からお気に入りを探していたのだった。
しかしあれよあれよという間にワンコたちの里親が決まっていく…。それも雑種ながらキャバリエとかダックスといった姿のワンコは決まるのが早かったが見るからに雑種のワンコは次第に取り残されていった。

その間のラテの行動はいくら語っても語り尽くせぬような気がするほど積極的だったしかつ大人しかった。矛盾するようだが、他のワンコたちとは違い吠えもせず粗相もせず走り出そうとせずじっとオトーサンたちの足元に座り込んでいた。
ただ、ラテの関心事はオトーサンにあったようだ。無論初対面の、それも飼い主と決まった訳でも無いオトーサンの顔を舐め続けただけでなくオトーサンの被っていたキャップを唾液だらけになるほど咥えていた。いま思えばまるで「このまま連れて行ってくれるんでしょ?」とでもいうような積極的な態度だった。

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※若い時にはストーブに近づくこともなかったが最晩年はヨタヨタと近寄ることが多くなった


そういえば先日インスタで印象的なワンコの動画を見て目頭が熱くなった。それはキャプションによれば保護施設で新しい飼い主が決まったばかりのワンコが新しい飼い主の男性にしがみつくようにし、かつその視線を新しい飼い主に注いだまま動かないのだ。その姿は「引き取ってくれてありがとう」と訴え信頼を示しているように思えた。

ラテもそのとき推定生後5ヶ月だったが、些か行動は違えど精一杯の思いをオトーサンたちに訴えていたように思える。ただしオトーサンがそれに気づいたのはかなり後になってからだ。犬を飼いたいと奔走し結局里親会に参加させていただいものの、ワンコの気持ちがどうのこうのと考える余裕がなかった。ただただ一方的に気に入るワンコがいればいいなあという思いだけだった。

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※家族になって1ヶ月、はじめての美容室で綺麗になった


しかしこれまた何度も書くがラテ側の思いは本能的に切実だったに違いない。ワンコには己の置かれた状況を理解するだけでなく希望や絶望を感じる高度な感情があることは前記した動画の例などでも理解できる。ラテはきっと生き残るために思いの全てをオトーサンの顔を舐めることで表現したに違いない。何故って…それ以降その時ほどラテが積極的にオトーサンの顔を舐めてくれたことはないのだから(笑)。
でも、オトーサンたちはラテを選んだことを心から喜んでいるし、ラテにとっても同じであったことを祈っている。


ラテ飼育格闘日記_836

本原稿をアップするのは3月4日だから、一年前のこととはいえこの二日後にラテが亡くなる…。勿論その時には思いもよらないことでラテの容体を心配しつつも介護を続けていたわけだ。


こうして虹の橋を渡ってから一年もラテの思い出を探りながら写真を探すことを続けてきたがオトーサンたちにとってラテは益々かけがえのない家族だったことに思いはつのる…。

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よく「ラテはどんな性格のワンコなのか?」とは生前も聞かれることはあったが正直オトーサンにも明確な説明はできなかった。
ただし親バカを承知で申し上げるならかなり利口なワンコだったとは断言できる。まあ一概に他のワンコと比べることができる問題ではないから曖昧にならざるを得ないが、エピソード記憶の保持というべきか…以前の出来事はかなり長い間記憶に留めていることは明らかだった。

確かに初対面の大人には警戒心が強く吠えたし、ワンコ同士にしても好き嫌いが激しいように思えた。しかしそれは自己を守るという本能からくることで決して攻撃性を持っていたわけでも無く、どちらかといえば特に人間に対してはフレンドリーなワンコだったといえる。

動物病院の院長からも、一般的にワンコは子供には警戒を示すものだがラテちゃんは初対面の子供にもフレンドリーなのだから珍しい…と言われた。
またあくまで人間側の見方ではあるが、不思議なほどの優しさを見せるときがいくつかあった。

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※寝姿はまた特別に愛しい


例えば当時広い公園で多くのワンコと飼い主さんたちが集まっていたが、ラテが遊ぶワンコは限られていたし、必然的にワンコ同士が遊べないとその飼い主さんとも親交を深める機会は無かった。
そうした中にコーギー犬のプリンちゃんというワンコがいた。甲高い声を上げながら鼻先でボールをリフティングしながら遊ぶワンコだったが年齢的にもかなり先輩だったからかラテはプリンちゃんが苦手だった。

一緒に遊ぶことも無かったし一時期、その公園に入る直前にプリンちゃんの声が聞こえると踵を返すラテだった(笑)。したがってその飼い主さんとも挨拶をする程度の付き合いしかなかった。
後年プリンちゃんは後ろ足が動かなくなり車椅子やカートに乗って公園に来ていたがあるとき飼い主さん一人の姿が目立った。

聞けば「プーは亡くなりました」と飼い主さんはつとめて明るく言われたが、そのとき不思議なことが起こった。
ラテがその飼い主さんの足元に近づいただけでなく顔を見上げた後にその足元に蹲ったのだった。無論初めての出来事だった。
プリンちゃんの飼い主さんは「ラテ、お前…慰めてくれるのか? お利口だねえ」と頭を撫でてくれた…。

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※コーギー犬プリンちゃんとその飼い主さん


同じ事はその数年後にも起こった。
ダックスフントの飼い主さんが一人で公園のベンチに座っていた。これまでも同じシーンは数え切れないほどあったがいつもは飼い犬がその廻りを歩き回っていたこともあり、ラテが近づくことはなかった。

しかしオトーサンは数日前にそのダックスフントが亡くなったという話しをどこからか聞いていたこともあってラテのリードを捌きながら飼い主さんに近づき挨拶とお悔やみの言葉を申し上げた。
するとラテは突然、ベンチに座っている飼い主さんめがけて遊びのボーズを取りながらまるで慰めているように足元に近づき臭いを嗅ぎ、お尻を飼い主さんの両足の間に置くようにして座った。
そして初めてだったがラテの頭を撫でてくれた飼い主さんに対しても吠え声を上げなかった。

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※亡くなったダックスの飼い主さんに近づき遊びのポーズを取るラテ


ワンコに限らず、動物には生死感はなく、ましてや死に対する配慮などあり得ないいうのが定説のようだが、オトーサンには形は…感じ方は我々人間とは違うだろうがこれまで存在していたワンコがいなくなったことの気付きと共に何らかの感情が表れているように思えてならない。

そのラテ当人が2022年3月6日朝に亡くなったわけだが、ラテ本人がどのような思いを持ってその場に臨んでいたかを想像するだけでオトーサンは涙を禁じ得ない。

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※ラテが亡くなる三日前、カートで公園に連れて行ったがすでに立ち上がることもできなかった…


しかし月並みだと笑われようが、オトーサンたちにとってのラテはいまも「生きている」。姿はないが、そこにいつものように寝そべっているからとオトーサンはリビングに至る戸はいつも少し開けている。
その理由だが、ラテは必ず鼻面でその隙間を突いてドアを開け、オトーサンたちの様子を見に来るからだ。


ラテ飼育格闘日記_835

こうして多々一年前の記録を振り返り、写真を選別していると実に辛い…。時期的にラテの死が近づいているからだ。リアルタイムでは無論そんなことは分からずただただ一日でも長くラテと一緒にいたいという願いだけで介護を続けていたのだが…。


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この頃は幸いというか自力で立ち上がり、ドッグフードと牛乳をきちんと食べていたから点滴はまぬがれていた。しかし日常その魅力的だった両眼は力なく閉じられていることが多かったものの、ときに思い出したようにオトーサンたちのいる場所に様子を伺うように歩いてくることがあった。

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※女房の様子を見によたよたと出て来た


また相変わらず首の腺腫からの出血もあり、包帯は欠かせないでいたからさぞや鬱陶しかったに違いないがそれをふるい落とす力もないようだった。
ただし室内をときによたよたと歩くことがあるものの、通常の散歩ができるはずもなく、カートで公園に連れて行ったり、排泄目的だけのときにはボディを吊る下げる治具をつけ、オトーサンが引っ張り上げる形で外に連れ出していた。

あれだけ歩くのが好きで散歩から帰るのを拒否していたラテがまともな散歩すらできない現実をどう感じていたのか、それを考えるとラテの体重を右手一本に支えているオトーサンはいつも涙ぐんでいた。
そんなわけで散歩というか外にいる時間は僅かだったが、自宅に戻れば四つ脚を綺麗に拭き、体もブラッシングを欠かさなかったしお尻のメンテはもとより首の包帯を取り替え、ときに左右の腰にできた床擦れの手当と老犬の介護は大変だった。

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※この頃の表情は実に穏やかで幼く忘れられない…


一番辛かったのは夜泣きが多くなり、オトーサンたちもまともな睡眠を取れなくなっていたことだ。ときに女房が起きて様子を見に行くこともあったが仕事に行かなければならず睡眠不足は冗談ではなく命取りの恐れもあり、できるだけオトーサンがラテのケアをするつもりでいたがときに起きたくても起きられないのには困った。
しかしある時期から考え方を変えた…。確かに辛いが、希望はともかくこの状態が半年続くとは思えなかったから、この大変で辛いあれこれもラテが生きていればこそだと…。

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※カートで公園に連れていっても立っているのがやっとで歩くことができないでいた


ともかく元気な時には夜泣きなどまったくなかったラテだが、辛いのかあるいは心細いのか真夜中に声をあげるとマンションなので廻りに気を使わざるを得ない。
幸い我々の部屋は特別な構造というか、作りのおかげで直接声が響くとすれば上階のお宅だったのである日その上階の方に事情を話し迷惑をかけるがしばしお許し願いたいと申し出た。そのご家庭もワンコを飼っていたからか「まったく気になりませんよ」とおっしゃっていただけたのは有り難かった。

ということでオトーサンたちはラテを決して粗略に扱ったことはなく心から愛していたが、ラテが亡くなってみると「あのとき、もっとこうしてあげたらよかった」とか「もっとやり方があったではないか」といった自責の念も湧いてくる。
今一度タイムマシンであのときに戻りたいとは思わないが、もしそんなことがあったらいま少しよい接し方があったのではないかと今でも考えるときがある。

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※オムツはしているものの外で排泄したいからとまともに歩けない体で玄関のドアに頭を付けるラテ


オトーサンの両手はいまでもラテの体のボリュームや暖かさ、重さを覚えているし抱っこしたときのラテの頬の感触も忘れられない。
他のワンコたちと比較すると決して飼い主だからといって特別ベタベタするワンコではなかったが、ラテなりの愛情を振りまいてくれたことは間違いなく、ラテなくしてこの16年間はあり得ないと思うほど大きな存在だった。



Apple Watch Ultra ファーストインプレッション

4年ぶりにApple Watchを買った。今回はやはりというべきかApple Watch Ultra(GPS + Cellularモデル)- 49mmおよびオレンジアルパインループの組合せである。Apple Watch Ultraが登場したとき、アウトドアやスポーツユーザー向けを強調していたことでもあり私には無縁だと考えていたが、最近そのスペックやデザイン、認識性の良さを考えるとアップルのプロモーションの方が些か考えが偏っているように思い始めた…。


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※Apple Watch Ultraのパッケージ


Apple Watch Ultraの売りは確かにそのハード的な頑強・屈強さにある。100メートルの耐水性能、MIL-STD 810H準拠、IP6X等級の防塵性能などは山に登り、海に潜り、ランニングやトレーニングにも欠かせないスペックである。
しかしApple Watch Ultraには他にも見るべき点が多いのも事実だ。

常時表示は勿論、49mmのワイドなディスプレイ、これまでの倍明るい2,000二トのRetinaディスプレイ、カスタマイズ可能なアクションボタン、高精度2周波GPS、デュアルスピーカー、風が強い環境でもオーディオのために完璧なマイクを選択する3マイクアレイ、2日以上使えるバッテリーなどなどだ。

これらはなにもスポーツに関係なくすべてのユーザーにとっても有益な機能であろう。どうにもアップルはApple Watch Ultraの頑強・屈強さをアピールするためアドベンチャーユーザーを意識し過ぎていると私には思える。
別途スタイリッシュな指向というか、都市生活者にもアピールするべきだと思うのだが、いかがだろうか…。

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またケースサイズが49mmとなったことでもあり、腕時計としては大きすぎて使いずらいとのでは…いう印象もあるようだ。
しかし一般的な腕時計と比較し49mmは確かに小さくはないが、Apple Watchの場合は矩形の縦サイズだけであり横幅は44mmだから特別なサイズには思えないし、そのディスプレスサイズが410×502ピクセルはこれまで使いづらかったテキスト入力もかなりやりやすくなる。

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※なお純正品のバンド、オレンジアルパインループも買ったが写真はサードパーティー製のものだ


とはいえまだ届いたばかりであり、iPhone 14 Proとペアリングして腕に装着したばかりなので使用感についての細かなことを申し上げるのは早計だが、iPhoneを取り出す機会がかなり少なくなるような予感がする。それは日常のあれこれの多くがApple Watch Ultraで済んでしまうからである。
Apple Watchそのものはすでに生活に溶け込み、なくてはならないアイテムとなっている訳だが、さらにUltra ならではの利便性がどう加わるのか、楽しみながら検証してみようと思っている…。



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プロフィール

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Author:mactechlab
主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。2017年6月3日、時代小説「首巻き春貞 - 小石川養生所始末」を上梓(電子出版)。続けて2017年7月1日「小説・未来を垣間見た男 スティーブ・ジョブズ」を電子書籍で公開。また直近では「木挽町お鶴捕物控え」を発表している。
2018年春から3Dプリンターを複数台活用中であり2021年からはレーザー加工機にも目を向けている。ゆうMUG会員