ラテ飼育格闘日記_853

今年も師走になってしまった…。慌ただしい時節であるが本来なら新たな年に向かって気持ちを切り換える時期なのだろうがオトーサンにとっては12月24日にラテが倒れたという事実がいまでも心に何かしらの傷跡を残している感じで素直に喜べないのが残念だ。


まあ、気持ちの上では日々ラテと一緒のつもりで生活をしている。女房の部屋からリビングに続くドアもオトーサンは意識的に少し開けている。
それはラテが行き来できるようにとの配慮なのだ。よく鼻面でその隙間を開いてドアを開け、こちらに顔を出すことがあったからだ。また先日結婚46周年記念として女房がセッティングしてくれた京都旅行へ行った際にもオトーサンの首にはラテの遺骨が入ったペンダントが下がっていた。

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そんなラテが15年3ヶ月(推定)オトーサンたちと一緒に生きた証しは思い出だけでなく数千枚にもなる写真と動画に残されている。
しかし最近オトーサンはそうしたいわば二次元の映像だけではなく形、物体としてのラテに会いたくて仕方がない。具体的にいうなら実物大でそっくりな造型物がいてくれたらオトーサンの気持ちも今少し和らぐような気がするのである。

そうした意味で大変残念な思いを拭いきれないことがある。それはラテのまともな3Dデータを残せなかったことだ。
申し上げるまでもなく現在は優秀な3Dスキャナも存在し比較的容易に実在する人物などの3Dデータを取り込み3Dプリンターで再現することができるようになっている。
事実オトーサンもそうした3Dスキャナを所有しているし、すでにいくつかのオブジェをスキャンして3Dプリンターで複製を作ったりしている。

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※いまでは優秀な3Dスキャナを所有しているのだが…


しかし、ラテが亡くなった2022年3月には間に合わず、本格的な3Dスキャナが手元に届いたのは6月になってからだった…。勿論それまでにもiOSによる3Dスキャンアプリも多々試したがラテの全身像を正確にスキャンするまでには至らなかったし、あれこれとラテの周りでオトーサンがガタガタやっているとラテが動いてしまったりして結局きちんとしたデータを得るまでには至らなかったのだ。

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※iPhoneで作った未完成のラテ3Dデータ


今更悔やんでもどうにもならないことではあるが、数枚の写真から3Dの人物像を作り出せるまでになった昨今だから、ワンコでもできるかどうかを取り急ぎやってはみたが、ランダムな写真群では駄目なようだ。
もし安価でオトーサンの願いが叶う方法や、効果的なアプリなどがあったら是非是非ご教授願いたい🙇🏻‍♂️

例えばAdobe Substance 3D Sampleのようなツールはいくつかあるが、写真をあらためて効果的に取り直すことはできないわけで、すでにある幾多の写真を使わざるを得ないから難しい。
まあまあ、そうした3Dデータが取れたとしても現実的には実寸で再現することは難しいし、第一邪魔で仕方がないかも知れない(笑)。でもオトーサンはそうした形あるものとしてのラテに会いたいのだ‼️

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※2006年12月10日、ラテは我が家族となった。写真は連れて来られた当時に撮影した一枚。


そういえば、このアーティクルをアップする9日(土曜日)の翌日…12月10日は生後6ヶ月(推定)のラテが我が家に茨城から連れて来られて家族になった記念日である。
あの時のラテはさすがに小さかったしその不安そうな表情はいまでも一枚のピンボケ気味の写真に残っている…。


ラテ飼育格闘日記_852

例年に無くこの季節になっても温かいからか、木々の紅葉の色合いが良くないように思える。しかしワンコと散歩するには最良の季節になったわけだが、肝心の愛犬がいないのだから何とも寂しい。そのオトーサンは日々これまでの写真を整理しながらX(Twitter)に数枚ずつラテの写真をアップするのを楽しみにしている…。


残った数千枚の写真を年月および日付順に眺めているとあらためてラテがとても表情豊かなワンコだったことを実感する。無表情、不満足な顔、期待感溢れる顔、眠そうな顔、眠っている顔、喜んでいる顔、笑顔と様々だが、ワンコがこれほど表情および感情表現が豊かなのは当初は分からなかった…
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※お気に入りのラテの表情をTシャツなどにして日々愛用している


他のワンコの場合は分からないが、ラテは幼犬時代の表情は概して硬く大きな変化はないように思えた。いや、オトーサン側が予備知識もなかったからして見逃していたこともあるだろうが残った写真を眺めてもそれは確かなように思う。
それはラテは保護犬であったし何らかのトラウマも持っていたように思われるから新しい飼い主に心を許すのには時間がかかったのでろうと推察している。

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家族となってからしばらくはオトーサンたちが離れることに恐怖を感じるといった態度を見せた。例えば散歩の途中、オトーサンが景色をカメラに収めたいとラテを側の手すりに繋いだりすると猛烈に鳴き出すといった有り様で、近所のコンビニで買い物をと安全だと思われる場所につないでも吠え続けるのでおちおちと買い物ができなかった。

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しかし一般に言う分離不安とは少し違った。なぜならオトーサンが少しずつ馴らさせたこともあったが、ラテは自宅にいるときオトーサンが出かけても騒いだり吠えたりはしなかった。要は知らない場所でオトーサンと離れることに大きな不安を持っていたように思う。
そんなラテだったから当時の表情は総じて硬いものが多い。

やはり表情が豊かになったと思うのは3,4年たってからかも知れない。そして確実なことはいわゆる老犬といった年齢になるとその表情は俄然豊かになったように思える。大げさかも知れないが信頼は揺るがぬものとなり、ラテ本来の気質も和らいだのではないだろうか。

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初対面の大人には男女を問わず吠えるというのがいつもの事だったが、13歳くらいからは吠える頻度も低くなり、初対面の人にも甘える姿勢を見せることもあった。

そして最晩年というか、倒れて寝込むようになった頃からはこれまでになくその表情には幼さが増したように思う。子供に帰ったとでもいうのか、子犬時代以上に可愛い表情をするしその表情にも細かなニュアンスが含まれているようにオトーサンには思えた。

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オトーサンたちにとってはその15年9ヶ月の命(推定)はとても短く思えたが、近隣のワンコたちの情報などを耳にすると中型犬としては随分と頑張ってくれたようにも思え感謝せざるを得ない。



ラテ飼育格闘日記_851

私ら夫婦はいまも朝起きるとラテの慰霊に捧げている生花の水を変え、別途グラスの水を変えている。そして時には話しかけてもいる…。ラテの姿は見えないがオトーサンの足元にあのデカイ体がいるように感じている毎日だ。


繰り返すがラテがオトーサンに与えてくれたものはあまりにも大きいと感じているが、これまた常々考える事は、果たしてラテは幸せだったのだろうかということだ。
いまさら何をバカバカしい…とお笑いになる方もいるかも知れないが、本当なのだから仕方がない。
いま振り返って見るとラテの人生は大別して時期により5段階に分けられるように思う。無論我々夫婦の人生もラテのそれとシンクロしているわけだが…。
今回はそんなあれこれを思い出してみたい。

①子犬時代
ラテが我が家に来たのは2006年12月10日だったが、生後6ヶ月だというこの子犬は基本暴れたり夜泣きをしたりという事でオトーサンたちを困らせることはなく良い子だった。しかしこの日記の最初のころに度々オトーサンが嘆いていたように甘噛みが酷くて困ったし、散歩途中に何にでも興味を示し拾い食いにも最大の注意を払わなければならなかった。また広い公園でデビューを果たしたがどのワンコに対してもほふく前進の形を取り、へりくだって近寄るワンコだった。

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②飼い主との信頼を築く
捨てられたと思われるラテだったからか、一緒に暮らすようになってからも二年ほどはいま思うと互いに遠慮というか試行錯誤の時期が続いた。ラテはオトーサンたちを頼ってくれたもののどこか100%オトーサンたちを信頼というか信用しきれない時期があったように思える。
勿論目立って反抗したりはしなかったが、いま思えば日々が…一時一時が信頼を築く大切な時間だったに違いない。

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残っている数千枚の写真を見てもそのことは明らかだ。それはラテの表情に表れている…。我々の顔だって少年から青年、そして壮年と顔つきが随分と変わるものだが、ラテの三歳近くまでの表情はとてもきつい顔をしているのだ。

③健康で落ち着いた時代
2013年10月に現在の地に引っ越してきたが、我々ならずともラテの生き方も好むと好まざるとは別に大きく変わっていった。
以前の場所では歩いて15分ほどで広い公園があり、時に10匹以上ものワンコが集まっていた。そうした中でラテが好んだワンコはビーグル犬のハリーちゃん、雑種の大型犬マキちゃん、ボーダーコリーのボーちゃんだった。幼犬時代は前記したようにどんなワンコでもへりくだって近づいていたラテが一歳半くらいになると猛烈に好き嫌いが激しくなりオトーサンを困らせたものだ。

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それでもありがたいことに前記のワンコたちならびにその飼い主さんたちと出会うと喜びの表情に変わったものだ。
それが現在の場所からはラテを連れて歩くと片道30分はかかるのでおいそれと足を向けられなくなった。さらにその公園に行ったとしても環境や状況が変わりワンコたちが足を向ける場所ではなくなり、帰りのラテは面白くないと歩くのを拒否することもあった。
しかし思えば、前の環境下では確かにラテはワンコ同士の激しい遊びを楽しんでいたが、現在の地に来てからは体をぶつけ合って遊べるワンコには巡り会えないでいた。

その替わりと言っては叱られようが、未就学児童を含む多くの子供たちに可愛がってもらい、しいては現在も家族絡みでお付き合いいただいているご家庭ができた…。近隣の公園に出向けば「ラテっ!ラテちゃーん」といった黄色い声があちこちから飛んだ。
思えば2013年秋から2018年あたりまでが健康にも恵まれ、日々楽しく過ごせたという時期だった。

④老犬の域に入りより落ち着いた犬生を過ごす
はっきりとした境界線があるわけでもないが、2019年あたりになるとラテの後ろ右足に難が目立つようになった。足を痛そうに持ち上げることもあり、足を引きずりながら歩く場合も出て来た。
しかし食欲も旺盛で行動も落ち着いた感がめだってきたが、これは体そのものが無理出来なくなってきたことからくるのかも知れない。
この頃はオトーサンたちの言葉は勿論、その時その時オトーサンたちが考えることをラテは理解しているようにも思えたし、反対にラテの吠え方や行動からなにを欲しているのかが分かるようになった。そして真っ白になったマズルも印象的だが、その両眼は穏やかで表情豊かに見え一段と可愛さが増したと言える。

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⑤虹の橋を渡るまでの悪戦苦闘
2021年12月24日、散歩途中の様子が変なのでそのまま動物病院へ連れて行くとすぐに酸素吸入器にかけられ「このまま放置していたら死んでいた」と医者に言われた。要は心臓が弱っているということで老衰だから治ることは考えるなと印籠を渡された…。
自力でまともに歩けないからと、オトーサンが体を引き上げるようにして路面に出し、排泄はもとより形だけの短い散歩になったし大型犬用のカートや万一の場合にも酸素吸入器も手に入れたがラテの体力は風前の灯火のようだった。

おむつをし、痩せたラテはオトーサンたちにとって益々可愛い存在であり何とか一日でも長く一緒にいたいと願ったが、ついに食べ物も取れなくなり点滴が始まる。点滴は必須となったが日々ラテを病院へ連れて行くのも大変とオトーサンが点滴をすることになった。最初は怖いというより悲しくてオトーサンの手も震えた物だがラテは暴れることもなく一言も声を上げなかった。

長い間の習慣も含めておむつの中の💩の感覚が嫌だったのだろうが、本来立てないはずのラテがむくりと立ち上がり玄関へヨタヨタと向かうとオトーサンたちは急いでラテを外に連れ出すこともあった。無論おむつに排泄する場合も多くなったが綺麗に始末をするまでラテは悲しい声を上げた。
ともかく固形物を食べなくなり一週間が過ぎ10日が過ぎ、見るからに衰弱していく様が悲しかったが、オトーサンはもしかして…とドッグフードを牛乳に浸した小丼を寝ている脇に置くことにした。無駄を覚悟でそんなことを数日やってみたが、ある日いきなりそれを完食した!

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結局そのおかげでラテは2ヶ月ほどオトーサンたちにサブライズをしてくれ翌年3月6日に亡くなった。
やはり辛かったのだろうし、もしかしたら自分の寿命を感じ取っていたのかも知れないが夜泣きに2ヶ月悩まされたが、それもいまでは懐かしい思い出となってしまった。
3月6日の午前3時ころか、相変わらず夜泣きを始めた。様子を見に行くとどこかいつもと違うように感じたオトーサンは椅子に座り、その膝に軽くなったラテの骨張った体を乗せて抱き上げてあげると大人しくなった。そのまま15分ほど抱いてあげたが、その2時間ほどの後に危篤状態となり酸素吸入やらの甲斐も無く静かに息を引き取った。

というわけでラテがどう思っていたかは分からずじまいだが、オトーサンの見るところラテは数は少ないものの親友というべき3匹のワンコと知り合えたし、多くの子供たちを始めとして行き交う人たちに可愛がっていただいた。子供たちに跨がられても、尻尾や耳を引っ張られても声を上げたり怒ったりしないというフレンドリーさもあっただろうが、皆に愛され幸せだったと思いたい。



ラテ飼育格闘日記_850

ラテへの思いは薄れるどころか、逆により色濃くオトーサンの心を占有していくように思われる。引き取ったときから命が尽きるまでラテを疎かにしたり粗末に扱った覚えは無いほどオトーサンなりに可愛がってきたつもりだが、亡くなれば亡くなったで、もっと「ああしてやりたかった」といった思いも膨らんでくる。


さて、この日記にもラテの性格・特性として飼い主であるオトーサン自身に対して決してベタベタとつきまとうワンコではないことを多々記してきた。
YouTubeなどの動画では些か演出が見え隠れするものもあるが、飼い主の寝ているベッドに飛び込んだり、飼い主が外出から戻ってくると尻尾が振りきれるほどの喜びを表すワンコたちが目立つ…。
それらを見るにつけ、正直羨ましくも思うオトーサンだが、よくよく考えてみるにラテの一見無愛想な態度はそれだけ飼い主…オトーサンを信頼している証しでもあるに違いない。

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そのオトーサンもラテが我が家に来た早々にいわゆる分離不安のワンコにならぬよう訓練をしたものだ。女房が仕事に出かければオトーサンとラテだけの世界であり、オトーサンが買い物やらに出かけたとしてその間、ラテが不安で吠え続けたり、家の中の物を壊したりするとなれば困るし可哀想だからだ。
したがって玄関のドアを開け「ラテ出かけてくるよ」とわざと声をかけ、ドアを閉める。しかし最初はものの15秒、30秒程度でドアを開き「ラテ、戻ったよ」と声をかけ、その不在の時間を1分、5分そして10分と長くしていくというよく知られている訓練である。

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ただし最初は「何ごとか」と心配そうではあったが、声も上げず追いかけてもこない。数日、こんなことを繰り返しつつ実際に近所のコンビニへ30分程度買い物に出かけることをやっていたが、ラテは狼狽えたりせず逆にオトーサンが戻ってものっそりと顔を見せる程度だった。
思えば2006年12月10日にラテを家族に迎えた訳だが、翌年の1月21日にオトーサンはラテが来て初めて家を空けた。

それは札幌へ結婚式参列のため一泊したからだった。ラテとの生活が40日ほどしか経っていないので心配したが女房に預けて札幌に旅立ったが正直心配で心配で…(笑)。
翌日オトーサンがやっと近隣の駅まで戻った時、女房から駅ビル上階のTULLY’Sでラテと待っているというメッセージを貰い嬉々として駅からの階段を駆け上った記憶がある。

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TULLY’Sの広い外スペースから女房に連れられて出て来たラテはなんとオトーサンに飛びついた。そしてしゃがみこんだオトーサンの眼鏡ごと顔をベロベロと舐め回してくれたが、以前にも記したとおり思わずオトーサンは涙ぐんでしまった…。
記憶にあるラテのこの種の行動、これほどの歓迎はその時が一番であり後にも先にも同じような体験は記憶にない。

一晩家を空けてもオトーサンは戻って来た…というラテなりの納得感からか、それ以降は同様なことがあってもあの時のような熱烈な出迎えはなくなった。
それはオトーサンにとっては些か寂しいことだった。何しろ半日留守にし、心配しつつ帰って自宅のドアを開けてもラテは喜び勇んで駆けてくるようなことはないからだ。いや、フローリングに腹ばいになったまま頭も上げず尻尾が僅かに揺れているという程度なのだから…。

しかしこのことはオトーサンを100%信頼しているからこその態度なのだという。そもそも飼い主が戻ってくると大げさなほどの歓迎はその裏腹の心理として不安が大きいからだ。「戻ってくるのか」という不安がよりつのればそれが分離不安の行動に進んでしまう。

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特にラテは生後3ヶ月(推定)ほどで理由は不明なものの捨てられたと思われる。そしてボランティアの方に大事に育てられたものの、様々な理由で一時預かりといったあれこれにより世話をしてくれる人間が変わったことがあるわけで、とりわけ人に対する愛着は強いものの不信感もあったと思われる。

そのラテが分離不安を生じないことは勿論、オトーサンが半日留守をして戻っても安心して寝続けることができるのはそれだけ信頼されているからだとオトーサン自身は考えてきた。いや、正直言えば前記した札幌から帰った時のような歓迎をときにはして欲しかったが、それは贅沢な思いに違いない。





ラテ飼育格闘日記_849

先日どこでだったかは忘れたが「人間は、いい人生を送るための方法を学ぶために生まれてくる…。しかし犬ははじめからその方法を知っているから人間みたいに長く生きる必要はないのだ」といった言葉が目に付いた。確かによく言われるように人がいわゆる社会的に一人前になるのは18歳とか20歳までの長い年月が必要だがワンコは一年も経てば成犬とみなされる…。


ではワンコは日常何を考えて生きているのだろうか…。そんなことを疑問に思ったことはないだろうか。オトーサンがラテを迎えたのは2006年の12月のことだったからすでに17年も昔のことだが、ワンコを飼ったことのないオトーサンは少しでもワンコの生態やそのトレーニングのより良きやり方を知りたいと数冊の本を買い込んで読みあさった。

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※オトーサンに抱っこされてご機嫌


無論著者が違えば意見も違うのは当然だが、現在と比較するとワンコに対する研究はまだまだ遅れていた事もあっただろうし、ワンコに対する見方も現在とはかなり違っていたように思う。
まさかあのパスカルの言葉通り、ワンコには感情とか意志はなく生まれたときからいわゆる機械仕掛けのように出来ることは決まっている…と思う人はいないにしても人間とは違い、記憶や学習そして感情面においても大きく劣った生き物だといった見方が多かったように思う。

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※女房を起こしに行き自分もくつろいでしまう(笑)


そうした見方をしていたのがトレーナーだったり獣医だったりしたわけで、いま思えばお粗末な専門家だと言わざるを得ない。
ワンコを常に自分の側に置き、訓練は当然としても家族同様に生活してみればこのワンコという生き物は想像以上の感性および感情を持ち、記憶力も抜群だし従って学習能力も優れていることがわかるはずだ。

とある動物病院の院長は自著の中で「ワンコは普段何を考えているのか?」という問いに「何にも考えていないでしょうね」と答えている。
確かにワンコの興味は食べることと散歩に出ることに集約しているとは思うが、なにも考えていない…というのはこれまた些か理解不足ではなかろうか。

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※盟友ハリーちゃんと笑顔を交わし逢う


あれだけ豊かな感情とそれをボディランゲージと表情で表現できるワンコが何も考えていないなどとはオトーサンにとって信じられないことだ。
オトーサンに普段ベタベタしないラテにしても、例えばフローリングで横になっている脇をオトーサンが通れば薄目を開け、オトーサンであることを確認し安心して再び目を瞑る。あるいはお腹が減って入れば起き上がって物欲しそうな表情をする。
その思考の過程は分からないものの、寝ている時にはときに夢を見ているようだし、うなされることもある。そしてオトーサンらの動向をそれなりに認知しているように思える。

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※公園で大好きなNちゃんとチュー


いや、我々人間だって「普段何を考えているのか」と問われれば答えに窮するのではないだろうか。目を覚ましているにしても人は数分しかひとつのことに意識を向けていられないとも言われているし、事実言葉に出して説明できるほど明確な事象について考えている時間帯は限られていると思う。
とはいえ我々は日常ボーッとしていたくてもそうはいかない。仕事に出て電車に乗り、デスクワークにしろ外廻りにしろその都度意識が向かう対象があるが、ワンコはそうそう刺激のあることは少ない。

ラテを見ていると例えその根源には食欲と散歩欲、そして飼い主すなわちオトーサンたちに愛されたいとする感情が働いていると思うが、オトーサンの言動を見聞きすればやはり何か直近のことを連想し、玄関で物音がすればそろそろ散歩に出られるのかと思いを馳せるに違いない。

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※ガムを楽しみながら女房とお話し…


だからこそ…それだからこそ我々もワンコに感情移入でき自分の子供のように、あるいは友人のように接することができるのだ。
ワンコを、犬を侮ってはならない!





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プロフィール

mactechlab

Author:mactechlab
主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。2017年6月3日、時代小説「首巻き春貞 - 小石川養生所始末」を上梓(電子出版)。続けて2017年7月1日「小説・未来を垣間見た男 スティーブ・ジョブズ」を電子書籍で公開。また直近では「木挽町お鶴捕物控え」を発表している。
2018年春から3Dプリンターを複数台活用中であり2021年からはレーザー加工機にも目を向けている。ゆうMUG会員