緊急搬送入院闘病記

私は初めて救急搬送され、4月21日から入院となった。病名は急性虫垂炎だった。下っ腹が張り、ときにチクチクしたりも気になったが、吐き気が強くなり最後は呼吸が困難になってきたので一大決心し自分で119へ電話をかけた…。

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※緊急搬送された府中恵仁会病医院


■入院前夜
私は子供の頃から胃腸が弱かった。大人になってからはほとんど意識することはなくなったが、それでも年に数度酷い便秘に悩まされることがある。
4月中旬ころから下腹が張り、重く感じられるようになり「これはまた便秘か…」と思っていた。とはいえ通常は下剤を飲むこと無く時間が経過するうちに解消することがほとんどだが今回はちょっと違っていた。

便秘の苦しさに加え嘔吐感が増してきた。それでも便秘とはそんなものだという先入観もあったから普段の生活を続けていたが18日になり嘔吐感にまたまた息苦しさが加わった…。変だなと思いながらも我慢していたが19日なっても解消せずこれは本格的な下剤が必要ではないかと行きつけのクリニックへ駆け込み下剤を処方してもらった。また万一盲腸ではないかという考えが頭に浮かんだので問うてみたが、数日前にやった血液検査の結果では白血球の値は正常だし…とのこと取り急ぎ下剤を飲んだが効かない。

翌21日の朝は嘔吐感と胸苦しさは相変わらずだったから朝食は前日同様ほとんど食べられなかった。昼前にコンビニへ買い物に行った後息苦しさが急激に増してきた…。
しばし我慢して様子を見ていたが、この日は女房が務めに出ていて万一このまま倒れるようなことになったら命に関わると考えた。そんな時間経過の内にも息苦しさが増し立っていられない。
一大決心し、13時27分に自力で119番に電話した…。

救急車は10分程度で到着するようだからとフラフラの体にむち打って、保険証と財布そしてiPhoneをリュックに放り込み、玄関に出てドアを施錠し、そのまましゃがみ込んで待った。
救急車に乗るのは初めてではないが、自分がそのベッドに寝かされるとは考えたこともなかった。ともかく救急車は確かに10数分で到着し手際よく車内に運び込んでくれ、女房の職場に電話しつつ、反応を見るためだろう名前を聞いたりされる。
保険証を救急隊の方に預けて寝ていたが、最初の病院候補だった永山日医大では断られたらしく結局所沢の恵仁会病院に搬送された。

この恵仁会病院は昨年6月に女房が運び込まれたとき同乗していたので概要は承知していたが自分自身が搬送されるとなると話しは違う。
意識朦朧で確かな記憶はないが、CTスキャンやレントゲンなどの検査の結果、病状は急性虫垂炎だという…。ということで四人部屋の入り口近くのベッドに寝かされた。

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■病院でのあれこれ
正直、病室も明るくなにより看護師の方々の献身的な働きはあらためてこの仕事の大切さと激務であることを実感する毎日だった。
私は今回のような本格的入院は初めてなので他の病院と比較できるわけではない。しかし世辞でなく看護師の人たちの対応は適切でありそして親切だった。
抗生剤のためか、痛みはほぼ消えていたがまだ嘔吐感は残っていたる。これまた投薬と共に胃のレントゲンだけでなく、万一脳に問題があってのことだと大変だからとCTスキャンを撮る。
しかし幸いなことにどちらも問題はないとのことだった。結局嘔吐感の原因は分からず仕舞となったのだが…。

こうして一日が過ぎ、二日が過ぎたが痛みや胸苦しさは解消したものの新たな苦しみを意識せざるを得なくなる。それは空腹感との戦いだった。医者からは "禁食" の指示があり一日三食全てが出ない。無論点滴をしているので空腹で死ぬことはないが(笑)死ぬほど辛い…。

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※4月25日朝に出た最初の食事


禁食は入院してからだけではないのだ。気持ちが悪くて18日からほとんど食事が出来ない状態だったから4月24日時点で一週間経っている。しかし口から入れられるものは水か麦茶だけ。
このまま即身仏として入滅できそうな気持ちなってくる(笑)。
それだけでなく、眠れないのだ…。

ひとつはアイマスクや耳栓といった入院必須アイテムを用意する暇もなく緊急搬送されたためだが日中は部屋の照明は点いたままだ。ベッドに仰向けになると角度的に天井の照明が目に入る。
二つ目は入院患者たちの言動による。
入院した翌日の昼前、なにやら患者の婆ちゃんがナースステーション辺りでわめき騒いでる。病室のドアは開いているしナースステーションも近くだ。ただし入れ歯が外してあるのか、言語が不明瞭でなにを言ってるか半分はわからない。それでも「帰りてえ…帰りていよう」とかは聞き取れたし「ねえ、おねーさん」と看護師に呼びかけているのは分かった。そのうち自分に向き合ってくれないとわかると暴言に変わる。

このコロナ下の入院で家族とも会えず、どのような病気なのかはわからないが寂しいのはよくわかる。だから看護師たちの意識を何とかして自分に向けたいと思っているのに違いない。しかし看護師は激務であり、一人の患者にずっと付き添ってはいられないから暫くすると何やら大声でわめき始め、挙げ句の果て「馬鹿野郎!」と怒鳴る。
問題は声が大きなことと女性特有の甲高い声なので耳について気になってくる。そしてその日の夜10時頃にまたその婆ちゃんの怒号がはじまった。一旦始まると30分は止まらないしその日は明け方まで続いた。
「馬鹿野郎!」の後、少しして「ねえ、オネーサン」と猫なで声をかける。あの婆ちゃんだけでなく入院病棟のほとんどは高齢者なので痴呆症が加わっている者が多いとはいえ、看護師たちの献身的な対応にはホント頭が下がる。
いまはベットに拘束したりはできないから、言われ放題だがその婆ちゃんの介護をし、おむつを取り替えているのだから…私にはできないな…とつくづく思った。

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また別の婆ちゃんの話だが、姿は見えないものの車椅子に乗りどこかへ向かう途中のようだがいきなり「ねえ、あたし殺すの?殺されるの?」と可愛らしい声で問う声が聞こえた。看護師はたぶんに噴き出しながらだと想像したが「殺さないよ!大丈夫、殺さないから安心して」と答えている。

無論入院患者は女性だけではなく1/3ほど男性もいる。これまた高齢者たちだが同じ高齢者として腹が立つほど態度が悪い。「ねえちゃん…」と呼びかけるのはまだしも、常に目上からの言動で嫌みを言う…。
これらの人々がこれまでどのような人生を送ってきたのかは知る由もないが、職場や家族たちへのパワハラも馬鹿にできなかったのではないかと想像してしまった。

■同室の人々
前記したように私は四人部屋に入れられた。私がその内の一人であるからして他のベッドは三つあり、それぞれ何の病気で入院したのか最初はわからなかったがこれまた高齢者だ。ただし他人の歳は判別しにくいから私より年下なのかも知れない…。
ともかくカーテンで仕切られているから普段姿は分からないが、トイレに行くときすれ違いざまにちらりと確認する程度だ。無論?同室の患者と雑談するといった機会も気持ちもお互いにないから詳しい事はわからない。

ただしそんなに広い空間でもないから看護師や医師たちとの会話はほぼ聞こえる。そんなあれこれで判明した右側のベッドの男性は大腸癌のようだ。術後のケアと多分人工肛門の取扱などであれこれと指導があるようだが問題は病気のことではない。その男性は看護師に対しても真摯に対応しているようだったがイビキが半端ではないのだ。
私の父親がいわゆる往復イビキで子供心に随分と悩まされたものだが、この男性のイビキはもの凄く私は「爆弾イビキ」と名付けた(笑)。大体段階4程度の進行で「カッ…」と呼吸に難があるようなことになると最後は「ガホーン!」とでもいったら良いのか爆弾が落ちたような声をだす。無論隣のベッドで寝ている私は寝られないし寝ていても起きてしまう。
イビキの持ち主の困った点は当の本人は寝ていることだ(笑)。しゃくに障るが文句も言えず対策は自分が個室へ費用を負担して移るしかない…。手軽にできることは耳栓程度だが、この爆弾イビキにはあまり効果はなかった。

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また足元側の向こうのベッドに寝ている男性はイビキも凄いがまあ標準か…。それよりこの男性はすべておいてデリカシーに欠けていると思わざるを得ない。
なぜなら同室の他者に対する気遣いがないのだ。詳しい様子は無論カーテンの向こうだからして分からないものの、コップやらをサイドテーブルに置くとき、静かに置くと言うことを知らないらしい。「ガタン」と大きな音を立てる。まあ日中ならまだしも真夜中でも同じでトイレから戻ってきたのであろう…多分メガネをサイドテーブルに置くらしいとき夜中で同室のものは寝ているという配慮がなく、投げるようにおくようだからこれまた「ガチャン」と大きな音を立てる。そして病名は分からないが辛いとか怠いということはあり得るにしても真夜中に自分のベッドを「ドンドン…」と蹴るような音を立てる。
そして独り言と寝言が多い…。
病気のため、仕事を放り出して入院せざるを得なかったかも知れずプレッシャーは膨らむ一方に違いないが同室の一人としてはたまったものではない。

「ではお前はどうなのか?」と問われるかも知れないが、私はイビキはかかないし寝言もまず言わない。ただし時にうなされたりすることがある程度だ。
そうそう、うなされるといえば便秘解消にと下剤を処方された夜、嫌なというか気味の悪い体験をした。
体調はまだまだ良くならない入院初期の夜のこと、消灯時間になりベッドに横になった私は何とか眠りたいと目を瞑った。暫くすると(まだ眠りに入っていない)目を瞑った向こうに人の顔がおぼろげに見えた…。知り合いの顔ではない。「嫌だな…」と一旦目を開け、再び目を瞑ると今度は闇の向こうにいくつかの顔が見える。

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しかし私は霊というものを信じていないから、此所のベッドで亡くなった人たちの霊か?とは考えない人間だ。いや…霊など信じないと言いきるとバズりそうだから付け加えると、私に限らず霊魂というものがあるのかないのかは誰しも分かるはずはない。なにしろ本当の意味で死にその体が消滅した後に生き返った者はいなのいないのだから。私はその霊とかが現世で我々の眼前に現れるということを信じていないという意味だ…。そしていつしか眠りに入ったが実に気味の悪い夢を見た。
夢だからしてストーリーやプロットに綻びがあり、理論整然と説明できないが、怪奇小説の短編くらいは書けるのではないかとも思えるほどリアルで気持ち悪い夢だった。
脂汗をかきながら目が覚めると強い便意を感じトイレに駆け込んだが、二週間も便秘だったもののその夜初めて出た!酷い下痢だった。
どうやら下剤のおかげで腸が動き出したのだろうが、先ほどの悪夢は胃腸の気持ち悪さが現れたものだったに違いない。ともあれその後、顔は現れなかった。

3人目の同室者は基本静かな方で、私が入院した翌日あたりに退院された。すぐそのベッドに運びこられたのは年配者ではなく多分40歳前…もっとお若いかも知れないが、その風貌と言動から音楽関係の仕事をしているように思えた。
日中には目立たず分からなかったが、夜になり回りが静かになってくると「ゴボゴボ…」と水を沸騰させたような音がする。無論病名も分からないからしばし様子を見ていたが、ふと閃いた!
あの音は酸素発生器ではないかと…。
勿論目視したわけではないので分からないが、あの音はラテの末期に購入した酸素発生器の音そのものではないかと確信したが、後日判明したのはバイク事故で肺をやられて緊急入院されたようだ。
点滴もそうだが、ここでもラテの看病が知識として繋がったことを実感した。しかしものを見ることなくそれが何なのかを知り得るのは本来難しいことだが希有な例であった。

■インターネット接続に落とし穴あり~虫の知らせ?
とにもかくにもベッドで寝ていなければならない。だからというか入院時の一日は長く時間の経つのも遅い。
しかしiPhoneがあるからと時々ネットを確認すると同時にSNSでお世話になっている方に連絡や女房とのやりとりを始めた。虚ろな頭で始めて見たが、私は日本で最初に発売されたiPhone3Gからのユーザーだが、iPhoneでまとまった文字数を入力するのはいまだ苦手の人間で、近所の中学二年生女子が遊びにきてくれたときにはその指さばきに驚嘆したものだ…。

そんな泣き言いっても手元にはiPhoneしかないし、これで病院の談話室に移動して電話をかけた。ふと思ったが丁度四月一日にiPhoneを通話無制限のプランに変えたばかりであり時間を気にせず話しができることを嬉しく思った。
虫の知らせ…という奴だったのか。

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またご承知のようにこのコロナの中、家族と言えども面会には来られないからせめてFaceTimeで顔見て話したいと女房はもとより心配をして下さり多々メッセージをいただいたファミリーのオカーサンにもこれでお話しをしたが、ふと気づくと契約してある3GBの残りが僅かになっていたことだ。お恥ずかしいが、虚ろな頭ではFaceTimeはデータ通信であることを失念していた…。

そもそも病室はもとより、電話可能なスペースとして用意された談話室にも Wi-Fi 設備のない病院だった。入院してまでインターネットかよ…といった考えなのかも知れないが、今やスマホは命綱…ライフラインの一つであり好むと好まざるとを問わずこれなくして一日が終わらない。ベッドサイドにあるセキュリティボックスのキー同様「貴方のIDとパスワードはこれです」なんて渡される世になって欲しい。
今回契約した通信業者は IIJmio なのでネットからデータ契約容量を増やすことができる。それは覚えていたものの普段iPhoneを本格活用していなかったからユーザーIDもパスワードも分からない(笑)。

それにiPhoneのバッテリーも心細くなってきたがモバイルバッテリーもない。女房に連絡し入院の翌日にはモバイルバッリーとケーブルを届けてもらったがそれとていつまでも使えるわけもないし、入院期間がどれほどになるかも分からないからとナースステーション行き、売店があると聞いたがそこでモバイルバッテリーを売っているか?と聞いてみたが答えはNO!
しかし看護師の続く言葉に私は笑顔になった…。
スマートフォンはアンドロイドかiPhoneかと尋ねられた。iPhoneだと答えると「これならお貸出ししましょうか。いま使っていないので」とアップル純正ACアダプタを差し出した。ケーブルはあるからして、これでiPhoneのバッテリー問題は解消することになった。
1989年からアップルのソフトウエア開発専門会社として私は起業したが、優秀なMacintoshだとしてもその認知度はいまから考えると驚くほど低く、公共機関でMacintoshの話題がでることなどまず考えられなかった時代だった。そんな体験をしてきた私にとって「よき時代になったな」とつくづく感じた。

■退院へ向けて
4月25日の朝から食事が出た。嬉しかったがそこは病院食でありそして体調もあるからして爆食できるはずもない。ともあれ26日の朝主治医曰く薬で散らすことはできたとの説明があった。ただしこの病気は再発の可能性が高く、とくに私の場合はまた早々に同じ苦しみを味わうかもしれないと…。
要は退院できるまでになったが、このまま入院を続けて手術に踏み切るか、あるいは一旦退院するか、どうする?と問われた。
そもそも急性虫垂炎と診断された後、なぜすぐ手術せず薬で散らすことをやったのかについては分からない。まずは薬で…がベーシックな手順なのだろうか…。

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私は即座に「一旦退院させてください」とお願いした。そして「最短で退院可能な日はいつですか?」と…。主治医は少し考えた後「明日でも大丈夫だと思うよ」と答えてくれ、ここに4月27日の退院が決まった。
退院したいという理由はふたつある…。単に病院は嫌いだからということではない。今度は万全の準備をして一ヶ月後か二ヶ月後以内に手術をお願いしようと考えている。
それはともかく、もし幸いというかこのまま再発せず二年とか三年経ったとして、その後再発したのでは私の年齢では今より辛いだろうし、抱えた爆弾はいつ爆発するかも知れない。そんなリスクを抱え続けるのならスパッと手術しようと考えた。

ただしひとつは今回、緊急搬送だったし前記した幾多の理由で例えば銀行口座間の金の移動などもできなかった。しかし万一引き落としに問題があれば後が厄介だ。それに現役は退いたとはいえいくらかは予定に従いあれこれと処理しなければならない事案もあり気が気でなかったのだ。

そして二つ目はこれまた前記した理由で安静に安全に治療はしていただけたがとにかく眠れない。そして私は人並み以上の神経質ではないと思っているが夜に立てられる音は続くとノイローゼになりそうだったからだ。
ということで翌日の四月二七日、腕に刺してあった点滴の針跡を感じながら "緊急退院" した…。
(完)



1969年製作映画「放浪の画家ピロスマニ」デジタルリマスター版の勧め

加藤登紀子のヒット曲「百万本のバラ」はご存じだろうか。貧しい画家が女優に恋をし、彼女が好きだという赤いバラを自分の家は勿論キャンバスや絵の具までをも売り払い街中で買い集め、彼女の宿泊している建物の庭を埋め尽くした。しかしそれを見た女優はどこかの金持ちがふざけたのだと思い、気にも留めず別の街へと去って行った…。


という意味の歌詞だが、その貧しい画家がグルジア(現:ジョージア)の画家ニコ・ピロスマニだという話しがあるという。しかしもともとの原曲はラトビア語の歌謡曲で歌詞がまったく違い大国にその運命を翻弄されてきたラトビアの苦難を暗示するものだったという。
それが後年ソビエト連邦時代にグルジア(現:ジョージア)の画家ニコ・ピロスマニがマルガリータという名の女優に恋したという逸話に基づき、ラトビアの作曲家が書いた曲にロシアの詩人が画家のロマンスを脚色して詞をつけ、モスクワ生まれの美人歌手が歌うということで人気を博した…。

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※ニコ・ピロスマニ(1916年)


我々が知る加藤登紀子の日本語訳詞および歌唱は1987年にシングル盤として発表されたものだが、近年の研究ではピロスマニにマルガリータという名の恋人がいたことは確からしいものの、彼女がバラの花を愛したとか画家が大量の赤いバラを贈ったといったエピソードは残念ながら創作のようだ。

さて、前置きが長くなったがそのピロスマニという画家と作品のいくつかについてはヘタウマの画家として(笑)知ってはいたが、先日YouTube「山田五郎 オトナの教養講座【ジョージアのアンリ・ルソー】泣ける!放浪の画家ピロスマニの悲劇【加藤登紀子・百万本のバラ】」を見て俄然興味を持った。

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※「女優マルガリータ」ピロスマニ作。グルジア国立美術館蔵


「山田五郎 オトナの教養講座」によればジョージアでは紙幣にもピロスマニの肖像が使われるほど国民的な画家だそうで、あのパブロ・ピカソが「私の絵はグルジアには必要ない。なぜならピロスマニがいるからだ」と言わしめたほどの画家だという。その画風は前記山田五郎氏のご指摘の通りどこかアンリ・ルソーに通ずるものを感じるがお国柄や文化も全く違う…。
そもそも情報が少ない画家ではあるが、1969年にギオルギ・シェンゲラヤ監督による映画「PIROSMANI (邦題:放浪の画家ピロスマニ)」が存在し現在そのデジタルリマスター版がDVDなどで手に入る事を知り早速Amazonから購入した。

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※「放浪の画家ピロスマニ」デジタルリマスター版DVD


この「放浪の画家ピロスマニ」はグルジア(ジョージア)の名匠ギオルギ・シェンゲラヤ監督が独学の天才画家ニコ・ピロスマニ(1862〜1918)の半生を描いた作品で、グルジアの風土や民族の心を見事に映像化したとして1973年英国映画協会サザーランド杯、1974年シカゴ国際映画祭ゴールデン・ヒューゴ賞、イタリア・アーゾロ国際映画祭最優秀伝記映画賞、そして1978年には文化庁芸術祭優秀賞/文部省特別選定優秀映画鑑賞会特別推薦を受けている。

ストーリーの概略だが、幼くして両親を亡くしたピロスマニは鉄道会社の車掌をやったり、友人と商売を始めたこともあったが身に入らず、貧しい人々に無償でミルクやパン、初蜜などを振るまい…商売は失敗。その後店の看板や壁に飾る絵を描きながら放浪の日々を送るようになる…。次第に人々に一目置かれるようになり誇り高い男として「伯爵」と呼ばれるようになるピロスマニだったが、酒場で見初めた踊り子マルガリータへの報われない愛が、画家を孤独な生活へと追い込んでいく…。しかし作品は悪戯にピロスマニの恋を劇的に扱わずに簡素に描いているしバラを送るシーンも無い。
一杯の酒、一日の食を得るため画材をかかえて街を渡り歩く生活を送っていたピロスマニだったが、1912年に作品がとある芸術家の眼にとまり中央の画壇に注目されるようになる。そして翌年3月モスクワの前衛美術展で4つの作品が展示され熱狂的な支持を受けた。

1916年グルジア芸術家協会が設立され、ピロスマニへの支援が決定され脚光を浴びるも地元新聞にピロスマニを揶揄する戯画が掲載され周囲から笑いものとなった彼は深く傷つき、再び孤独な生活に戻っていく。そして1918年の復活祭の日、階段裏の暗く狭い一郭に蹲っていたピロスマニを二頭立て馬車で乗り付けた使者らしい男が見つけ「何をしている」と問うとピロスマニは「死ぬところだと」と弱々しく答える…。
史実では隣に住んでいた靴職人の男が重病のピロスマニを見つけ、知人が病院へ運んだもののその一日半後に息を引き取ったといわれている。
しかし映画では直前に示される「昇天」と題された作品からして、馬車の男は天使の使いではないか…を暗示して終わる。
全編に渡る各シーンは決して豊かでは無い時代ではあるものの、どこを切りとっても一幅のピロスマニの絵と見間違うほどの美しさだ。
大変地味な作品だが、お勧めしたい作品である。





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〜江戸中が炎に包まれ、死者十万人を超えたといわれる明暦の大火から四年、まだまだ完全に被害から立ち直っていない万治四年(一六六一年)師走の八日、木枯らしが吹く江戸木挽町の端にある流行らない町道場から場違いにも思える若い女の掛け声が響いていた。
「えいっ」
「やあ」
道場主は念流の達人と評される加納丈三郞という男で、まだ二十八歳という若さだったが、相手は髪を小振りに結い、女だてらに股引を穿き、胸に晒しを巻いた上に着物の裾を帯の後ろに詰めた恰好の若い娘だった。
木刀を持った丈三郞の手には娘が投げた捕縄が絡んでいた。
「ほう…。お鶴、確かに腕を上げたな」
丈三郞の頬が緩んだ。
お鶴と呼ばれた女は一昨年に十手と捕縄を授かった歴とした岡っ引きだったが、中風で倒れた父の後を継ぎ、女だてらに北町奉行所常町廻同心、小林源一郎の小者として働いていた〜




リュートのある暮らしを堪能

クラシックギターを独学で始めたのは高校1年のときからだったから大いに愛着を持っている。しかし不思議なことに近年弾きたいのはギターではなくリュートなのだ。まだ腱鞘炎の左手中指が思うように動かないが、愛らしい小品のいくつかを演奏したいとリュート練習を再開した…。


約5年ほど前までは6コースのルネサンスリュートを使っていたが、今度改めて手にしたのはあまり評判の良くないAria製のリュートだった。とはいえ発売されたのは40数年前も前のことで、手にした10コース・ルネサンスリュートも正確なところは不明ながらシリアルナンバーから推察するに1979年製と思われる。

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※Aria製10コース・ルネサンスリュート


現在では歴史的古楽器としてのリュート研究も進み、往時の製作に沿った複製を製作できる作家も増えてきたようだが、特に国内では歴史的な楽器として認められるに見合ったリュートがどれほど出回っているかは心許ない気もする。
ましてや私という素人の個人が楽しむリュートはこれでリサイタルをするわけでも、またレコーディングして発売するわけでもなく、ただただその演奏を楽しみたいというだけであり必要十分だ。
そして内部がどのような設計になっているかは分からないものの検証の範囲では、工作精度は思っていたよりずっとよい…。

まず過度な装飾は施されていない。例えばロゼッタの装飾も魅力的なデザインで型抜きされてはいるが、いわゆる立体的な彫刻はなされていない。しかしボディはもとより指板やペグボックスなどを見ても雑な作りと思われる部分は皆無である。

まあ、この楽器から紡ぎ出される音が理想的なものであるかどうかは分からないが、個人的には相応の絃を選びきちんと調弦すれば満足の音が出ると感じている。
驚くべき事は、繰り返すものの40数年前に発売された楽器がほとんど無傷で手に入ったそのことだ。

申し上げるまでもなくほとんどが木材で出来ているリュートは傷つきやすく壊れやすい。そしてペグの数本が無くなっていたりネックが長年の湿度の問題で曲がったり、内部に剥がれがあってもおかしくない…。それが新品同様とは言い過ぎだが、表面板やラウンドバックに傷も見られず、無論剥がれやネックの反りも皆無のリュートが手に入ったのだから、当初かなりのリスクを覚悟していた当人が驚いたほどだ。

ということはほとんど使われずに結果としてまずまずの環境下で保存されていたということか…。無論専用ケースに入ってはいたが、ケースは密閉度ゼロだ。
勿論まったく難がなかったわけではない。当然のこととして10コース全19本の絃はすべて張り替えなければならなかったし、フレットもほとんど新たに巻かなければならなかった。
一番心配なのはペグである…。経時劣化なのか、1,2本のペグが弱くなっており力任せに捻ると捻じ切れてしまいそうだ。ただし現状ではきちんと調絃ができるので問題はないが…。

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※ペグボックスもきちんとメンテした結果、調弦も問題なくできるようになった


そういえばドイツ後期バロック音楽の作曲家で音楽理論家・作家の顔を持つヨハン・マッテゾン(1681年〜1764)は自身の著作の中で「あるリュート奏者が80歳とすると、彼は60年は確実に調弦していたことになる。最悪なことは百人の内まともに調弦できるのは二人といないことである」等とリュートを酷評している。それもあってかリュートは調絃に時間がかかるというまことしやかな話しを鵜呑みにする人もいまだに多いという。

では事実はどうか…。無論そんなことはない。確かに10コースの場合6絃ギターと比べれば絃本数が3倍ほどあるわけで、物理的には時間がかかる理屈だ。しかし相応の耳を持ってすればそうそう面倒なことではなく、調絃それ自体も楽しみの内となろう。
マッテゾンの意見に反駁する形でリュート奏者のエルンスト・ゴットリープ・バロン(1696年〜1760年)が書き上げた「楽器リュートに関する歴史的・理論的・実践的研究」(訳書「リュート〜神々の楽器」東京コレギウム刊)の中で彼は絃が新しく十分に伸びていない場合は別にして、楽器をケースから取り出したときに絃の多くが狂ってしまっているといったことはあり得ないと反論している。

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※E.G.バロン著/菊池賞訳/水戸茂雄監修「リュート 〜神々の楽器〜」東京コレギウム刊


ただしリュートは確かに繊細な楽器ではある。音量は小さいしラウンドバックの共鳴胴は丸くて抱えにくい。そしてバロック期を頂点にヨーロッパ古典音楽の花形楽器となったものの、さまざまな変形、発展形が創作されていく過程で絃の数が増え続け、それに原因するであろう扱いや奏法の困難さと共に小さな音量も時代に合わず鍵盤楽器や擦絃楽器に立場を奪われ、忘れ去られるに至った…。

しかしそんなリュートがいま無性に愛しい。朝起きて仕事部屋にぽつんと置いてあるリュート(10コース・ルネサンスリュート)に眼が向くと何故かほっとし笑顔になれる気がする。絵になるビジュアルでもある…。
リュートのようにあまり自己主張をしない、それでいてどこか奏者に寄り添うような楽器は少ないように思う。そしてこれまで、大正琴、ウクレレ、三味線、クラシックギター、エレキギター、フラメンコギターといった弦楽器だけでなくピアノ(1年半習った)や管楽器などなどを楽しんできたがいま最も心に馴染むのがリュートなのである。

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※3Dプリンターと木質フィラメントでペグ、ストラップピン、ペグ回しなども作ってみている…


そういえば、このリュートを手にした当日から偶然ではあろうが長い間苦しんできた味覚障害が緩和した…。そんなこともあって摩訶不思議な縁を感じているがこのリュート、決して愛でているだけではない。高価な楽器では出来得ないことだろうが、ストラップホルダーやペグ、そしてベグ回しなどを3Dプリンターと木質フィラメントで作り、より自分にとって据わりが良い楽器になるようなことにも注視していきたいと考えている。








再びルネサンスリュートを始めるにあたり雑感を…

数年前、指が腱鞘炎やバネ指などで動かなくなり、楽しんでいたリュートが弾けなくなった。加齢も含め治るのか治らないのかも分からない状況に気持ちを吹っ切る意味で愛用のリュートを手放した。2017年2月のことだった。いまも左手中指はその掌に触れるまでは曲がらないが、幸い右手はトレモロも奏することができるまでになった。これなら易しい曲なら弾くことができると思ったが、リュートがない(笑)。


■リュート熱が再燃
私にリュート歴などという立派なものはないが10年近く前、何も知らずにネット検索で見つけたEMS(The Early Music Shop)で8コースのルネサンスリュートを手に入れた。無事に届いたときには驚喜したが、調弦しいざ何かしらの曲を弾こうとしたとき大きな問題に気づいた。

それは1コースの単弦位置が必要以上にネック端寄りになっていて、フレットの1コースを押さえようとすると指が外れてしまうのだ。まさかブリッジを剥がして…というわけにもいかず、ナット位置を調節することで何とかなるのではと試みたがそれで直るレベルではなかった。

なるほどEMSで販売されているリュートの評判は芳しくなく、なるべくなら手にしないように…という話しも多々見受けられたが後の祭りである。そこで何とか手持ちの予算の範囲で実用的な楽器はないかと探し続けていたとき、楽器店のサイトに中古のリュートを見つけた。それがクリス・エガートン作の6コース、ルネサンスリュートだった。

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※クリス・エガートン作の6コース、ルネサンスリュート。四年半ほど前に手放した


簡素な作りで修復跡もあったが非常に弾きやすい楽器で、なるほど良質の楽器とはこうしたものか…とよい勉強にもなった。
今回も改めて探してみたが、そうそうこちらの都合の良いリュートが転がっているはずもない。何しろ文字通りに受け取っていただきたいが、加齢や体調を考えると後10年も体と頭が言うことを聞くとは思えない(笑)。だから贅沢はできないのだ。

よく専門家の中には、なるべくよい楽器を手にすべきだと力説される人がおられる。それは正論であり間違いないことだが、一人の消費者、年金生活者の立場になればそう言われるほどことは容易な話ではない。
安価な楽器は「リュートの形だけの楽器だ」とか「歴史的な製作ではない」といった話しを力説される場合もあるが、面白い事にクラシックギターを始めようとする方に「それは安物でギターの形だけで良くない楽器だ」とアドバイスする話しはあまり聞かない。それがリュートとなると…無論リュートは歴史的な古楽器だという立場があるが…俄然口うるさくなるのは面白い(笑)。

■諦めるか、それとも…
そもそも私は高校一年の夏、一ヶ月のアルバイト代を叩き、3000円ほどのギターを買ったことからクラシックギターを始めた。時代と言えばそれまでだが、スチール弦をナイロン弦に張り替え「古賀政男ギター独習」といった教則本で練習をはじめたのである。
その後、就職して数年後に池袋ヤマハ楽器店でまずまずのギターを手に入れたし、一時期フラメンコギターを習っていたときにはホセ・ラミレスのペグ式の楽器を愛用していた。さらに勤務先が御茶ノ水近くだったことでもあり、幾多の楽器店で名だたる名器を試奏させていただく機会もあった。

したがってそこそこ、良い楽器というものを知っているつもりでいるが今般あらためてリュートを…と考えると無理は出来ない。無論新品を手に入れるつもりはないが、それでも中古といえど「まとも」と言われる楽器はそれなりの価格だ。
となれば選択肢はふたつだ。リュートを諦めるか、あるいは使えそうであれば専門家が眉をしかめるような楽器でも手にするか…だ。で、今般私は後者を選んだ(笑)。

もしどうしようもない楽器なら捨てるしかないが、自分でメンテできる範囲の出来の悪さならそれも楽しみとして修理を試みようと思った。若い頃には出来はともかく10弦ギターやラウンドバック型のリュートギターまで自作したこともあったわけだし、ペグボックスくらいならまだ自分でも作れるぞっ…と一人怪気炎を上げたところ、その晩に覗いたYahooオークションが私の背中を押した…。

■オークションで落札したリュートとは…
それはすでに30年前に売り出したときから一部で「リュートであってリュートにあらず」といった評価も受けていた荒井貿易が販売開始したAriaブランドの楽器だった。出品されていたのは弦長60cm、10コースのシャントルレライダーおよびバスライダーを備えたルネサンスリュートだった。
6コースを弾いていたときから8コースや10コースの曲も弾いてみたいと思っていたし…と俄然興味が増した。

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※新たに手に入れたAria10コース・ルネサンスリュート


問題は落札できたとして、多少のことはともかく弾ける楽器なのか…だ。こればかりは実際に楽器を手にしてみなければ分からないが、ひとつその気になった点としては出品者が個人ではなく商品到着より7日間の初期保証を謳う企業だったことだ。
出品の説明全てが正しく信頼できる出品者であるかどうかは正直不明だったが、長い間Yahooオークションを利用してきた感と経験を含んで考え入札した結果、そのまま落札できた。

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※10コースリュートを正面から


さて、届いたリュートは見かけ大きな問題はないように思えた。割れたり剥がれたりした部分は無くネックも反ってはいないしほとんど傷もない。ただし弦とフレットは順次全部取り替える必要がある。附属品としてAriaブランドの交換用弦がいくつかあったが、ここはガットとまではいかないにしてもまともな弦をと別途オーダーした。
そして抱えたときのバランスも悪くない。ちなみに重さは弦を含めて1,005g なのでまずまずの作りのようだが唯一心配は調弦だ…。

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※10コースリュートを背面から


ペグボックスの出来はともかく、ベグそのものが細すぎることに加え経時変化で弱くなっている部分は力を入れすぎるとねじ切れてしまいそうな感じがする。それらを踏まえ調弦がスムーズにできるようにとまずはヴァイオリン属でも使われ、廻り具合、止まり具合共にちょうど良い摩擦性を持つベグ用コンポジションを塗って馴染ませた。

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※弦交換前のペグボックス


なお調弦は強度が少々心配なのでまずは440Hzではなく415Hzで合わせことにした。
そして肝心の音だが、きちんと撥弦すれば私見ながらまずまずリュートらしい音はでる。そして弾きやすさについての評価は今少し時間が必要かと思うが、こんなものではないだろうか…。

繰り返すが、リュートは古楽器だからして歴史的なものに準じて製作することが必要だという話しは無論理解できる。ただしもしここで数十万円投資して国内の製作家の楽器を買えたからといって、作りは万全でもそれが歴史的な楽器に忠実な逸品であるかどうかは素人には分からない。
また音に関してはそれ以上に評価は難しい。いわゆる歴史的な楽器の実器を研究し名工が制作したリュートと比べるのは酷というものだが、そもそも例えば17世紀だって使われていたのは名器ばかりであったはずはない。民衆が集い歌いながら奏でられた多くのリュートらは簡素で安価なものであったに違いない。そしていま博物館などに保存されてきた数少ない楽器たちは材質が象牙であるとか、所有者が有名だったというように何らか価値ある楽器と知られていたからこそ大事にされ結果残ったのだ。

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※ケースも剥がれが目立ったので修復


このことは楽器だけでなく日本刀や他のアイテムでも同じであり、博物館に貯蔵されていたリュートと同じレベルの楽器がそのまま広く民衆にまで普及されていたと考えるのは無理がある。
繰り返すが当時でも安物の楽器はいくらでもあったに違いない…。
だからという訳ではないが、このAria製10コース・ルネサンスリュートの音も調弦がばっちりならまずまず心地よい音が期待できると思っている。

■私がリュートに興味を持ったのは1970年初頭だった
そういえぱ、約2世紀もの間、忘れ去られたリュートを、当初は歴史的な楽器ではなかったにせよジュリアン・ブリームがレコーディングを行い1950年代からルネサンス・リュート音楽に大衆の眼を向けさせその復興に大きく寄与してくれたことは忘れてはならない。そして彼の録音は1963年度にはグラミー賞も受賞している。
また歴史的楽器復興の動きとしては20世紀後半からヴァルター・ゲルヴィヒ、ミヒャエル・シェーファー、オイゲン・ミュラー=ドンボワなどの貢献は忘れられない。そういえば私がリュートを知り、その音楽に惹かれたのは意外かも知れないが、ヴァルター・ゲルヴィヒ、ミヒャエル・シェーファー、オイゲン・ミュラー=ドンボワのレコードだったのである。

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※私がリュートを知ったのはジュリアン・ブリームはもとよりだが、オイゲン・ミュラー=ドンボワやミヒャエル・シェーファらのレコードだった


ともあれAriaリュートという一連の製品が売り出されたのは1970年代半ばだ。いま手元にある楽器が正確なところいつ製作されたかは分からないが(シリアルナンバーから推論するに1979年製かも知れない)、よくもまあほぼ無傷で残っていたものだ。少し調べて見るとAria製10コースで型番が L-125 という製品はロゼッタやペグボックスのデザイン違いで数種あるようだ。製作年代の違いかと思うが、ものがものだけに資料不足なのが残念だ。またラベルには制作者の名として “門野巌” とあるが、失礼ながらその製作本数をと考えてみるに実在の製作家の名というより、製作を請け負った複数の方達のチーム名であったような気もする。
ということで結論としてこのAria製10コース・ルネサンスリュートはEMSのそれより実用的で見かけもよく出来ていることがわかった。

■無論問題点がないわけではない
さてAria製10コース・ルネサンスリュートをばらして見たわけではないから内部構造などは不明だ。ただしラウンドバックのボディやネックの材質はともあれ全体的に見ても雑な仕上げではない。したがって強度的にも不安はない。ただひとつ言えることはペグボックスというよりペグそのものが柔いようだ。
材質云々というより、ペグが細い。無論調弦に耐えられる強度はあるが、古い代物でもあり保管状態も理想的であったとはいえないだろうから力を入れすぎると捻り切ってしまいそうな気がする箇所がある。したがって調弦は間違いなくできるが、少々手心を加えながら優しく扱わないとならない。

それからペグボックスに関してだが、1コース専用のシャントルレライダーおよびバスライダーが備わっているがボックス本体を見ると底がない…と友人から指摘があった。これでは強度的に弱いし、そもそもボックスと名が付くだけに箱を連想させるような底が付いているのが普通だと彼は言う。
無論私自身も学者ではないし多くのリュートを確認してきたわけではないから、どうあるべきなのかについては何とも言えない。確かに価格を落とし工作時間を短縮するためでもあったのかと思ったが、こうした底がないペグボックスを持ったリュートも現実にあったようだ。

前記したように私は一時代前の演奏家によるリュート演奏からリュートに魅せられた一人だが、例えば若くして亡くなったミヒャエル・シェファーのLPジャケットを見ると、彼が抱えている13コースに見えるバスライダーを備えたバロックリュートのペグボックスはまさしくAria製10コース・ルネサンスリュートと同じく底はなく背景がそのまま見えている…。
ただしレコードジャケットによる解説によれば実際に録音に使った楽器は11弦のバロックリュートでイギリスのマイケル・ロウ製作(1976年)のものだというが。

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※前記したミヒャエル・シェーファのLPジャケットに載っているリュートのペグボックスは底がないタイプのようだ


マイケル・ロウ氏といえばずいぶんと前になるが、現代ギター誌に彼のインタビュー記事が載っていた記憶がある。その記憶が間違いなければ記事は竹内太郎氏が書かれていたと思う。そしてその製作にあたっては、文献は勿論実物をきちんと当たって作られているといった内容だった。
そのマイケル・ロウ氏製作のリュートを愛したミヒャエル・シェファーだからこそジャケット撮影に所持したリュートもいい加減な代物ではないだろうし、そのリュートのペグボックに底がないのであれば、そうした歴史的な楽器があったと考えても自然ではなかろうか。
まあ、個人的には正直どちらでもよいのだが、Ariaリュートは「安かろう悪かろう」のイメージが早々に付いてしまったからか、あれもこれもコストダウンのためだといった誤った風評が流れたのは残念だ。

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※小さなペグを正確に巻き上げるのはなかなか難しいので2Dプリンターで補助具としてのペグ回しを作ってみた


それに、繰り返すが1970年頃に国内でリュートを欲しいと考えても出来合のものはまずなかった。したがってどこかの工房へ注文し製作してもらう必要があった。その点Ariaリュートは既製品の楽器であり当然のこと仕様も価格も公開されていたから飛びついた方も多かったのではないか。
当時のカタログの実物が手元にないのが歯痒いが、ネットで分かった範囲では6コース、7コース、8コース、そして10コースのルネサンスリュートがラインナップされ、デザインが違うものの今般私が手にした型番と同じ L-125 という10コースは当時の価格で125,000円と明記されている(ケース代は別)。

明らかにその価格は製作家に依頼するよりずっと安価ではある。しかし調べて見ると例えば1975年の大卒初任給は89,300円であり、その時代の125,000円は極端に安価な印象ではない。
ちなみに2021年度の大卒求人初任給は総合職で218,000円ほどだという。単純比較はあまり意味がないとは承知ながら1975年と比較してみれば125,000円のAriaリュート価格は305,151円となる訳で「安い、安い」と叫ぶほどメチャ安い額ではない…。

■まずは楽しんでみようではないか!
というわけでまずはこの楽器でリュートとその音楽を楽しみ、問題があれば昔ギターを手作りした際の道具類も残っているし、レーザー刻印機や3Dプリンターまでをも駆使して整えてみたい。それもまた老人の楽しみとしては面白いかと思っている。ただし弦はすべて新品を調達し張り替えたし、順次フレットも巻き直しが必要だ…。
それにしても正直このAria製10コース・ルネサンスリュートにそれほど期待はできなかった…。それだけに手元に届き、いま一通りのメンテナンスを済ませた楽器に至極満足している自分をとても嬉しく感じている。
材質だが、表面板はスプルースだろうしリブはトチノキ、ネックはよく分からないが塗装された材木で指板は3ミリほどのローズウッドを貼ってあるように見える。そしてペグボックスはブナでペグはローズウッド、ナットは牛骨といったところか…。
素人の見立てなので不確かだが、メチャクチャな材料は使っていないようだ。
左手の指はまだ完全に動かないし、この4年5ヶ月のブランクは大きく四苦八苦しているがそれもまた楽しみだ。




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Author:mactechlab
主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。2017年6月3日、時代小説「首巻き春貞 - 小石川養生所始末」を上梓(電子出版)。続けて2017年7月1日「小説・未来を垣間見た男 スティーブ・ジョブズ」を電子書籍で公開。また直近では「木挽町お鶴捕物控え」を発表している。
2018年春から3Dプリンターを複数台活用中であり2021年からはレーザー加工機にも目を向けている。ゆうMUG会員