再びルネサンスリュートを始めるにあたり雑感を…

数年前、指が腱鞘炎やバネ指などで動かなくなり、楽しんでいたリュートが弾けなくなった。加齢も含め治るのか治らないのかも分からない状況に気持ちを吹っ切る意味で愛用のリュートを手放した。2017年2月のことだった。いまも左手中指はその掌に触れるまでは曲がらないが、幸い右手はトレモロも奏することができるまでになった。これなら易しい曲なら弾くことができると思ったが、リュートがない(笑)。


■リュート熱が再燃
私にリュート歴などという立派なものはないが10年近く前、何も知らずにネット検索で見つけたEMS(The Early Music Shop)で8コースのルネサンスリュートを手に入れた。無事に届いたときには驚喜したが、調弦しいざ何かしらの曲を弾こうとしたとき大きな問題に気づいた。

それは1コースの単弦位置が必要以上にネック端寄りになっていて、フレットの1コースを押さえようとすると指が外れてしまうのだ。まさかブリッジを剥がして…というわけにもいかず、ナット位置を調節することで何とかなるのではと試みたがそれで直るレベルではなかった。

なるほどEMSで販売されているリュートの評判は芳しくなく、なるべくなら手にしないように…という話しも多々見受けられたが後の祭りである。そこで何とか手持ちの予算の範囲で実用的な楽器はないかと探し続けていたとき、楽器店のサイトに中古のリュートを見つけた。それがクリス・エガートン作の6コース、ルネサンスリュートだった。

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※クリス・エガートン作の6コース、ルネサンスリュート。四年半ほど前に手放した


簡素な作りで修復跡もあったが非常に弾きやすい楽器で、なるほど良質の楽器とはこうしたものか…とよい勉強にもなった。
今回も改めて探してみたが、そうそうこちらの都合の良いリュートが転がっているはずもない。何しろ文字通りに受け取っていただきたいが、加齢や体調を考えると後10年も体と頭が言うことを聞くとは思えない(笑)。だから贅沢はできないのだ。

よく専門家の中には、なるべくよい楽器を手にすべきだと力説される人がおられる。それは正論であり間違いないことだが、一人の消費者、年金生活者の立場になればそう言われるほどことは容易な話ではない。
安価な楽器は「リュートの形だけの楽器だ」とか「歴史的な製作ではない」といった話しを力説される場合もあるが、面白い事にクラシックギターを始めようとする方に「それは安物でギターの形だけで良くない楽器だ」とアドバイスする話しはあまり聞かない。それがリュートとなると…無論リュートは歴史的な古楽器だという立場があるが…俄然口うるさくなるのは面白い(笑)。

■諦めるか、それとも…
そもそも私は高校一年の夏、一ヶ月のアルバイト代を叩き、3000円ほどのギターを買ったことからクラシックギターを始めた。時代と言えばそれまでだが、スチール弦をナイロン弦に張り替え「古賀政男ギター独習」といった教則本で練習をはじめたのである。
その後、就職して数年後に池袋ヤマハ楽器店でまずまずのギターを手に入れたし、一時期フラメンコギターを習っていたときにはホセ・ラミレスのペグ式の楽器を愛用していた。さらに勤務先が御茶ノ水近くだったことでもあり、幾多の楽器店で名だたる名器を試奏させていただく機会もあった。

したがってそこそこ、良い楽器というものを知っているつもりでいるが今般あらためてリュートを…と考えると無理は出来ない。無論新品を手に入れるつもりはないが、それでも中古といえど「まとも」と言われる楽器はそれなりの価格だ。
となれば選択肢はふたつだ。リュートを諦めるか、あるいは使えそうであれば専門家が眉をしかめるような楽器でも手にするか…だ。で、今般私は後者を選んだ(笑)。

もしどうしようもない楽器なら捨てるしかないが、自分でメンテできる範囲の出来の悪さならそれも楽しみとして修理を試みようと思った。若い頃には出来はともかく10弦ギターやラウンドバック型のリュートギターまで自作したこともあったわけだし、ペグボックスくらいならまだ自分でも作れるぞっ…と一人怪気炎を上げたところ、その晩に覗いたYahooオークションが私の背中を押した…。

■オークションで落札したリュートとは…
それはすでに30年前に売り出したときから一部で「リュートであってリュートにあらず」といった評価も受けていた荒井貿易が販売開始したAriaブランドの楽器だった。出品されていたのは弦長60cm、10コースのシャントルレライダーおよびバスライダーを備えたルネサンスリュートだった。
6コースを弾いていたときから8コースや10コースの曲も弾いてみたいと思っていたし…と俄然興味が増した。

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※新たに手に入れたAria10コース・ルネサンスリュート


問題は落札できたとして、多少のことはともかく弾ける楽器なのか…だ。こればかりは実際に楽器を手にしてみなければ分からないが、ひとつその気になった点としては出品者が個人ではなく商品到着より7日間の初期保証を謳う企業だったことだ。
出品の説明全てが正しく信頼できる出品者であるかどうかは正直不明だったが、長い間Yahooオークションを利用してきた感と経験を含んで考え入札した結果、そのまま落札できた。

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※10コースリュートを正面から


さて、届いたリュートは見かけ大きな問題はないように思えた。割れたり剥がれたりした部分は無くネックも反ってはいないしほとんど傷もない。ただし弦とフレットは順次全部取り替える必要がある。附属品としてAriaブランドの交換用弦がいくつかあったが、ここはガットとまではいかないにしてもまともな弦をと別途オーダーした。
そして抱えたときのバランスも悪くない。ちなみに重さは弦を含めて1,005g なのでまずまずの作りのようだが唯一心配は調弦だ…。

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※10コースリュートを背面から


ペグボックスの出来はともかく、ベグそのものが細すぎることに加え経時変化で弱くなっている部分は力を入れすぎるとねじ切れてしまいそうな感じがする。それらを踏まえ調弦がスムーズにできるようにとまずはヴァイオリン属でも使われ、廻り具合、止まり具合共にちょうど良い摩擦性を持つベグ用コンポジションを塗って馴染ませた。

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※弦交換前のペグボックス


なお調弦は強度が少々心配なのでまずは440Hzではなく415Hzで合わせことにした。
そして肝心の音だが、きちんと撥弦すれば私見ながらまずまずリュートらしい音はでる。そして弾きやすさについての評価は今少し時間が必要かと思うが、こんなものではないだろうか…。

繰り返すが、リュートは古楽器だからして歴史的なものに準じて製作された必要だという話しは無論理解できる。ただしもしここで数十万円投資して国内の製作家の楽器を買えたからといって、作りは万全でもそれが歴史的な楽器に忠実な逸品であるかどうかは素人には分からない。
また音に関してはそれ以上に評価は難しい。いわゆる歴史的な楽器の実器を研究し名工が制作したリュートと比べるのは酷というものだが、そもそも例えば17世紀だって使われていたのは名器ばかりであったはずはない。民衆が集い歌いながら奏でられた多くのリュートらは簡素で安価なものであったに違いない。そしていま博物館などに保存されてきた数少ない楽器たちは材質が象牙であるとか、所有者が有名だったというように何らか価値ある楽器と知られていたからこそ大事にされ結果残ったのだ。

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※ケースも剥がれが目立ったので修復


このことは楽器だけでなく日本刀や他のアイテムでも同じであり、博物館に貯蔵されていたリュートと同じレベルの楽器がそのまま広く民衆にまで普及されていたと考えるのは無理がある。
繰り返すが当時でも安物の楽器はいくらでもあったに違いない…。
だからという訳ではないが、このAria製10コース・ルネサンスリュートの音も調弦がばっちりならまずまず心地よい音が期待できると思っている。

■私がリュートに興味を持ったのは1970年初頭だった
そういえぱ、約2世紀もの間、忘れ去られたリュートを、当初は歴史的な楽器ではなかったにせよジュリアン・ブリームがレコーディングを行い1950年代からルネサンス・リュート音楽に大衆の眼を向けさせその復興に大きく寄与してくれたことは忘れてはならない。そして彼の録音は1963年度にはグラミー賞も受賞している。
また歴史的楽器復興の動きとしては20世紀後半からヴァルター・ゲルヴィヒ、ミヒャエル・シェーファー、オイゲン・ミュラー=ドンボワなどの貢献は忘れられない。そういえば私がリュートを知り、その音楽に惹かれたのは意外かも知れないが、ヴァルター・ゲルヴィヒ、ミヒャエル・シェーファー、オイゲン・ミュラー=ドンボワのレコードだったのである。

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※私がリュートを知ったのはジュリアン・ブリームはもとよりだが、オイゲン・ミュラー=ドンボワやミヒャエル・シェーファらのレコードだった


ともあれAriaリュートという一連の製品が売り出されたのは1970年代半ばだ。いま手元にある楽器が正確なところいつ製作されたかは分からないが(シリアルナンバーから推論するに1979年製かも知れない)、よくもまあほぼ無傷で残っていたものだ。少し調べて見るとAria製10コースで型番が L-125 という製品はロゼッタやペグボックスのデザイン違いで数種あるようだ。製作年代の違いかと思うが、ものがものだけに資料不足なのが残念だ。またラベルには制作者の名として “門野巌” とあるが、失礼ながらその製作本数をと考えてみるに実在の製作家の名というより、製作を請け負った複数の方達のチーム名であったような気もする。
ということで結論としてこのAria製10コース・ルネサンスリュートはEMSのそれより実用的で見かけもよく出来ていることがわかった。

■無論問題点がないわけではない
さてAria製10コース・ルネサンスリュートをばらして見たわけではないから内部構造などは不明だ。ただしラウンドバックのボディやネックの材質はともあれ全体的に見ても雑な仕上げではない。したがって強度的にも不安はない。ただひとつ言えることはペグボックスというよりペグそのものが柔いようだ。
材質云々というより、ペグが細い。無論調弦に耐えられる強度はあるが、古い代物でもあり保管状態も理想的であったとはいえないだろうから力を入れすぎると捻り切ってしまいそうな気がする箇所がある。したがって調弦は間違いなくできるが、少々手心を加えながら優しく扱わないとならない。

それからペグボックスに関してだが、1コース専用のシャントルレライダーおよびバスライダーが備わっているがボックス本体を見ると底がない…と友人から指摘があった。これでは強度的に弱いし、そもそもボックスと名が付くだけに箱を連想させるような底が付いているのが普通だと彼は言う。
無論私自身も学者ではないし多くのリュートを確認してきたわけではないから、どうあるべきなのかについては何とも言えない。確かに価格を落とし工作時間を短縮するためでもあったのかと思ったが、こうした底がないペグボックスを持ったリュートも現実にあったようだ。

前記したように私は一時代前の演奏家によるリュート演奏からリュートに魅せられた一人だが、例えば若くして亡くなったミヒャエル・シェファーのLPジャケットを見ると、彼が抱えている13コースに見えるバスライダーを備えたバロックリュートのペグボックスはまさしくAria製10コース・ルネサンスリュートと同じく底はなく背景がそのまま見えている…。
ただしレコードジャケットによる解説によれば実際に録音に使った楽器は11弦のバロックリュートでイギリスのマイケル・ロウ製作(1976年)のものだというが。

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※前記したミヒャエル・シェーファのLPジャケットに載っているリュートのペグボックスは底がないタイプのようだ


マイケル・ロウ氏といえばずいぶんと前になるが、現代ギター誌に彼のインタビュー記事が載っていた記憶がある。その記憶が間違いなければ記事は竹内太郎氏が書かれていたと思う。そしてその製作にあたっては、文献は勿論実物をきちんと当たって作られているといった内容だった。
そのマイケル・ロウ氏製作のリュートを愛したミヒャエル・シェファーだからこそジャケット撮影に所持したリュートもいい加減な代物ではないだろうし、そのリュートのペグボックに底がないのであれば、そうした歴史的な楽器があったと考えても自然ではなかろうか。
まあ、個人的には正直どちらでもよいのだが、Ariaリュートは「安かろう悪かろう」のイメージが早々に付いてしまったからか、あれもこれもコストダウンのためだといった誤った風評が流れたのは残念だ。

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※小さなペグを正確に巻き上げるのはなかなか難しいので2Dプリンターで補助具としてのペグ回しを作ってみた


それに、繰り返すが1970年頃に国内でリュートを欲しいと考えても出来合のものはまずなかった。したがってどこかの工房へ注文し製作してもらう必要があった。その点Ariaリュートは既製品の楽器であり当然のこと仕様も価格も公開されていたから飛びついた方も多かったのではないか。
当時のカタログの実物が手元にないのが歯痒いが、ネットで分かった範囲では6コース、7コース、8コース、そして10コースのルネサンスリュートがラインナップされ、デザインが違うものの今般私が手にした型番と同じ L-125 という10コースは当時の価格で125,000円と明記されている(ケース代は別)。

明らかにその価格は製作家に依頼するよりずっと安価ではある。しかし調べて見ると例えば1975年の大卒初任給は89,300円であり、その時代の125,000円は極端に安価な印象ではない。
ちなみに2021年度の大卒求人初任給は総合職で218,000円ほどだという。単純比較はあまり意味がないとは承知ながら1975年と比較してみれば125,000円のAriaリュート価格は305,151円となる訳で「安い、安い」と叫ぶほどメチャ安い額ではない…。

■まずは楽しんでみようではないか!
というわけでまずはこの楽器でリュートとその音楽を楽しみ、問題があれば昔ギターを手作りした際の道具類も残っているし、レーザー刻印機や3Dプリンターまでをも駆使して整えてみたい。それもまた老人の楽しみとしては面白いかと思っている。ただし弦はすべて新品を調達し張り替えたし、順次フレットも巻き直しが必要だ…。
それにしても正直このAria製10コース・ルネサンスリュートにそれほど期待はできなかった…。それだけに手元に届き、いま一通りのメンテナンスを済ませた楽器に至極満足している自分をとても嬉しく感じている。
材質だが、表面板はスプルースだろうしリブはトチノキ、ネックはよく分からないが塗装された材木で指板は3ミリほどのローズウッドを貼ってあるように見える。そしてペグボックスはブナでペグはローズウッド、ナットは牛骨といったところか…。
素人の見立てなので不確かだが、メチャクチャな材料は使っていないようだ。
左手の指はまだ完全に動かないし、この4年5ヶ月のブランクは大きく四苦八苦しているがそれもまた楽しみだ。




濱田滋郎先生と対談の思い出

先日遅ればせながら音楽評論家、スペイン文化研究家で日本フラメンコ協会会長の濱田滋郎さんが3月21日に亡くなられていたことを知った。享年86歳だった…。濱田先生を幾多の著作を通して存じ上げていたが、2001年7月に月刊「現代ギター」誌の先生との対談ページに呼んでいただいたことは生涯の思い出である。


本稿のタイトルを「濱田滋郎先生と対談の思い出」としたが、ご本人にお目にかかったのは対談の当日一度だけであるからして少々烏滸がましいが、追悼の思いも込めて心に残っていることを記してみたい。
私がギターを手にしたのは高校生のときだった。幼少から母の意向で三味線を習わされていたが時代はプレスリーやビートルズの時代であり、またフォークソングも台頭してきたこともありギターが弾きたくバイトをして安物のギターをやっと手にした…。

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※ギターは演奏だけでなく数本自作する凝り性…。これは1974年4月に自作した10弦ギター。現代ギター社から6弦ギター用の材料を購入し指板やネックなどを継ぎ足して製作。イエペス調弦でしばらくは楽しんだ


小さな楽器店兼レコード屋みたいな店でギータの教則本をと探したが時代は1965年頃の話、店には「古賀政男ギター独習」といった程度のものしかなかった。基本はクラシックギータのそれだったが例として載っている曲が古賀メロディーだったがそれでも暇さえあれば練習した。
朝食のとき、味噌汁の椀を左手で持つと指先が熱で痛いほど練習した。また三味線をずっとやっていたことも幸いし、左手の運指は苦労したことはなかったし右手も、例えばトレモロ奏法にしても素人ながらまずまず指が動くようになった。
記録を確認するとその2年後の1967年1月16日にはクラシックギターの通信教育と銘打って登場した「東京音楽アカデミー」に加入し、教本とソノシートが届くのがなによりの楽しみとなった。

そんな私が同年2月に設立された現代ギター社とその出版されたギター専門誌「現代ギター」に無関心でいられるはずはない。
ということで私は「現代ギター」誌は創刊号からの読者なのである。
またここだけの話しだが(笑)現代ギター社の求人に応募しようかと履歴書を途中まで書き込んだこともあった。しかし投函はせずその後もただただ「現代ギター」誌の一読者として楽しませていただいていたが、2001年7月3日、「現代ギター」誌編集部から電話が入った。

何ごとかと思ったがお話しは「現代ギター」誌の人気連載のひとつ「濱田滋郎対談」への参加依頼であった。
それまで諄いようだが毎月「濱田滋郎対談」は拝読していたが、私の知る限り濱田先生と対談なさる方は当然のことながらギター関係者はもとより演奏家であったりと音楽に精通された方々のはずだった。それが何故私なのか…と訝しく思ったが理由などどうでもよく、本当に濱田先生と対談できるならこんな嬉しいことはないと二つ返事でOKした。

繰り返すが濱田滋郎先生のことは数々の著作を通じてよく存じ上げていた。いまでも手元にはE.プジョール著/浜田滋郎訳「ターレガの生涯」(1977年)、浜田滋郎著「フラメンコの歴史」(1983年)、そして濱田が滋郎著「フラメンコ・アーティスト列伝」(1993年)がある。なお「ターレガの生涯」は現代ギター社創立十周年を記念して出版されたものだった。どれもこれも私の夢を膨らませてくれるものだった。
ちなみに現在先生のお名前は「濱田」と表記されているが当初は「浜田」だった。

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※今でも書棚にある濱田先生の著作たち


ともあれ私は勇んで2001年7月19日に現代ギター社の編集部を訪ねた。当初電話をいただいたのが7月3日だったが私は当時お約束を守れるかどうかといった心配事を抱えていた。それは入退院を繰り返していた母が危篤になったり持ち直したりしていた時期であり、我ながら親不孝だと思いつつも「お袋!濱田先生との対談が終わるまで持ちこたえてくれ」と念じていた…。
事実母は対談の三日後の22日に帰らぬ人となったが、不謹慎ながら母は私の願いを叶えてくれたのかも知れないと思っている。

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※許可を得て撮影した当時の現代ギター編集部の一郭


対談は現代ギター社の最上階にあるホールで行われた。記憶は正確でないかも知れないもののその場には先生と私、そして編集部の方とカメラマンの方だけだったと思う。
音楽関係者でもない私に何故声をかけてくださったのかは推測でしかないが、ひとつに現代ギター誌の編集が当時はまだまだ珍しいMacで行われていたことで、どこかで私のことを見知ってくださったのかも知れない。そして私が現代ギター誌創刊号からの読者であることをご存じだったから、これまた私がどこかでそのようなあれこれを書いたのかも知れない。

濱田先生のお姿ならびにお人柄はそれこそ現代ギター誌で存じ上げていたものの直接お会いするのは初めてである。しかし想像したとおり先生は物腰の柔らかい笑顔を絶やさない方だった。
冒頭私がコンピュータの仕事をしていることを知って「今日はお手柔らかに。私はいまだに原稿を手で書いている平成の化石人間と呼ばれておりますので…」とおっしゃったのを覚えている。
そうした対談の内容については現代ギター誌の2001年9月号(No.440)に載ることになったが対談が終わったとき私は生意気ながら「濱田先生とツーショットの写真が欲しい」と願い、カメラマンの方に撮っていただいたのがこの写真なのである。

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※対談終了後、お願いして濱田先生とツーショットを撮っていただいた


写真と言えば後日お送りいただいたそれら一連の写真を友人達に見せたとき「よほど嬉しかったんだろうな。コンピュータ雑誌に載っているお前の表情とはまったく違うよ」と言われた。
それが切っ掛けとなったのか編集部とご縁ができ、ギター誌に相応しくないかとも思ったが原稿依頼があり「パソコンエイジの玉手箱」と題する4ページの連載を1年間続けた。
その後は再び現代ギターの紙面でご活躍を拝見していたが、対談させていただいた時期はたまたまフラメンコギターを習っていたときでもあり話題としてはグッドタイミングだったのかも知れない。

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※当該対談が載った現代ギター誌2001年9月号(No.440)表紙


私はパーソナルコンピュータのソフトウェア開発を職業にしたが、それ以前の人生を振り返って見るとギターが人生の振り幅を大きく変えてくれたように思う。目立たない高校生だった私がギターを持って舞台に上がる機会が増えるに連れ友達も多くなった。就職してからも上場企業公認のバンドメンバーとしてリードギターとボーカルを担当した。
一時は会社公認でクリスマスパーティーでの演奏練習のため仕事を早めに切り上げて練習したことまであった。
いま思うと赤面ものだが、その積み重ねの結果現在があるわけで濱田先生の訃報を目にしつつ腱鞘炎で動かなくなった左手指を眺めている。
先生のご冥福を心からお祈りする次第…。



「転ばぬ先の杖」〜 仕方なくステッキを使うことに…

正直気が進まなかったが歩く際にステッキ(杖)を使うことにした。それも愛犬との散歩のときと言うより単独で歩く際に使いたいと考えた。左足の膝が痛いだけでなく力が入らないので万一転倒すれば歳でもあり大事になるかも知れないからだ。文字通り「転ばぬ先の杖」というわけだ。


ここで言う杖とは自立歩行をできる者がより安心に歩行するために歩行の補助として使用するものを意味する。そのため、例えば手すりなどに掴まらなければ歩けないとか自立歩行できない者には意味をなさないばかりか危険であろう。

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※GOOD DESIGN賞を受賞したデザイナーズステッキ「BONLABカーボンステッキ」のグリップ


改めて申し上げることでもないがステッキ…杖(walking stick)とは、体を支え、歩行の助けとするために用いられる細長くまっすぐな、手で持つのに適した道具の総称だ。普通それは長くても自分の足の長さ程度のもので、木製や竹製である場合が多かったが、近年ではアルミとかジュラルミンなど金属製の製品も増えている。
そもそも杖は歴史的にも権威の象徴とされたほか、蛇などを追い払う道具として、さらに武器としても使われてきた。

とはいえ現実に自分がそのステッキを使うとなれば正直心穏やかではない。己の体力の衰え…老いを公言するような気もしてできるなら使いたくないと考えてきた。
しかし諄いようだが「転ばぬ先の杖」の例え通り、転倒して骨折したりすれば大事になるだろうし見栄を張っている場合ではないと覚悟した…。

先入観だとは思うが、ステッキを…となればどうしても老人のアイテムといったイメージがついて回る。しかし同じステッキでも出来ることなら単に道具と言うだけでなく「持っていて楽しい」といったものがないかを探してみた。

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※一般的なステッキのグリップ。これは以前女房が肉離れを起こした際に使ったステッキ


しかし考え直せばステッキは本来決して年寄りだけのものではない。時代と文化の違いはあれど、イギリスのヴィクトリア調あたりでは紳士たるものこそステッキを手放さなかった。
あのシャーロック・ホームズやワトソン博士も外出時には愛用していたし、大好きな漫画「宗像教授伝奇考」「宗像教授異考録」の主人公、東亜文化大学教授・宗像伝奇も足が悪いわけではないが常にステッキを手放さない…。であるなら自分も様になる素敵なステッキ使いになろうと覚悟した(笑)。

そう覚悟はしたものの杖・ステッキという製品を検索してみると…当たり前だが…皆いかにも杖らしい作りであり、気が滅入ってきた。しかし一つ二つ近代的なデザインの製品を見つけたのでダメ元でもよいからと手に入れてみた。それが超軽量でデザイナーズステッキと銘打つBONLABカーボンステッキであった。
その名の通り本体のシャフトはカーボン素材のため丈夫で軽く195gという超軽量を実現している。

この製品の特長は手で「握る」から手を「乗せる」という新発想から生まれたステッキだという。グリップの形状はよく見る形では無く、自転車のサドルを細くしたようなデザインでポリカーボネイト製シェル(オーバーグリップ)が装着されている。このシェルはカラーバリエーション(レッド・パープル・モカ・ヒスイ・コハク)があり好みにより取り替えることが可能(別売)だ。
ただしステッキは1本杖仕様のため長さ調節ができない。数種の長さが揃っているので自分に合う長さを選ぶことになる…。

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※私は長さ85cmの「BONLABカーボンステッキ」を手に入れ


こうした工夫から上から押さえることで垂直に杖が出やすく、幅広の面で手を受けるシェル構造により握力の弱い人でも軽い持ち心地で地面を押して歩くことができ、グリップを強く握らないので手・腕・肩に余分な負担をかけることなく歩けるというのが謳い文句だ。
そして自転車のサドルのようなシェル構造のグリップは、テーブルなどの天板に安定して立て掛けられる。

さて、実際にBONLABカーボンステッキを使ってみたが、一般的には不自由な足と反対側の手にステッキを持つのが正しいとされているそうだ。ということは左足が悪い私は右手で杖を支えることになる。不自由な足が出るときはその反対の手が前に出るから、そちら側の手に持つことで歩く負担を軽減できる理屈だという。

勿論人によっては利き腕のほうが持ちやすいとか、不自由な足と同じ側の手に持つほうが痛くない等のケースがあるだろうが、こればかりは実際に試して見るしかない。
そしてステッキにはよくストラップが着いているが、このストラップは実用ではなくファッションストラップだから歩行時にストラップに手を通すことは止めるべきだという。何故なら転倒時などに素早く手をつけなくなる可能性があるからだ。

私が手に入れたBONLABカーボンステッキのシャフトはブラック色、そしてグリップのシェルとストラップのカラーはレッドを選んだ。ちなみに本製品は GOOD DESIGN賞を受賞している日本製である。
個人的には一般的なステッキよりは見栄えが良く気に入ったし実際の使い心地もよい。これで事故のないよう注意して…颯爽と歩きたいものだ。


初めてのシーリングワックスに挑戦

シーリングワックス(封蝋)をご存じでも実際に使ったことがある方は限られているかも…。と考えていたら、なにか今結構流行っていてTikTok等でも沢山アップされているそうな…。私自身もその存在はもとより使ってみたいとは若い頃から思っていたが、機会がなかった。しかし今般購入した品物の包装にシーリングワックス(蝋ではなく簡易なシール型だった)が使われており、それがとても素敵に感じたので遅ればせながら自分でも試してみることにした。


封蝋(ふうろう、シーリングワックス)とは、ヨーロッパにおいて手紙の封筒や文書に封印を施したり、ワインなどの瓶といった容器を密封した印とするために用いる蝋である。

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※直径30mmのスタンプを使ったシーリング例


溶かした蝋に紋章など、型押しをすることで例えば誰かが開ければ蝋は容易く壊れたり剥がれたりするから悪戯な覗き見防止、開封防止にもなる。そして家紋などをシーリングスタンプとして使えば差出人を示すことにもなる。とまた現代においてはラッピングやグリーティングカードの装飾として使われることも多い。

例えばヴィクトリア朝の時代を舞台とするコナン・ドイルの小説「シャーロック・ホームズ」にもこの封蝋は多々登場する。電子メールもSNSもそして電話(後期には登場するが)もなかった時代だから、伝言は封書に託す、あるいは電報しかなかったわけで、ちょっと調べて見ただけでも封蝋という言葉は「ノーウッドの建築士」に三度を皮切りに「金縁の鼻眼鏡」、「第二の汚点」、「ウィステリア荘」など枚挙にいとまもない。

さらに封蝋と明記されていなくとも「ボヘミアの醜聞」では「余の封印が用いてある…」といった台詞や「五粒のオレンジ種」や「花嫁失踪事件」などでも「封をきる」という言葉が多々登場する。したがって封筒 封書 開封といったシーンには必ずといってよいほど封蝋が使われていた理屈でもある。

ということで最低限必要なアイテムをと揃えた。それらはシーリングスタンプ、シーリングワックスそしてワックスを溶かす道具である。

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※感触をつかむため、最初はこうしたベーシックなセットを手に入れた


シーリングスタンプもオリジナルなものをオーダーできるが今回は “MacTechnology Lab.” と私の姓をも示す "M" の頭文字を象った既製品を用意した。なおスタンプの直径は30mmだ…。また別途直径25mmの魔方陣デザインのスタンプも手に入れた。

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※まずはこの小さなスプーンにワックスを入れ蝋燭で溶かす


やり方も基本難しいことはない。理屈はワックスを蝋燭などで適量溶かして封筒の封印箇所などに丸くなるように垂らし、柔らかなうちにシーリングスタンプを数秒押しつけるだけだ。

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※溶けたワックスを適量垂らしてスタンプを軽く押しつける


またシーリングワックス自体が蝋燭になっている製品もある。ただし実際にやってみるとワックスの量が少なく失敗したり、スタンプをワックスが柔らかすぎるうちに押しすぎたために封筒の紙質が透けて見えたりと意外に思うようにいかない。
また専用のスプーンとキャンドル溶かすのにこれほど時間がかかるものとは知らなかったし、反対に溶かしすぎると気泡が入ってしまったりとなかなかに難しくで経験の積み重ねが必要…。

そしてその結果は同じシーリングスタンプで封印してもワックスのはみ出た形がそれぞれ違うわけで、その時その時で同じものは2度とできない理屈にもなる。
なおワックスには金や赤、銅色といった様々なカラーがあるので好みによって楽しむことができるし複数色を混ぜても面白い。その結果は何の変哲も無い封筒がひと味違った趣を醸し出す…。

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※葉やリボンなどを挟み込む練習中



さてそのシーリングワックスだが本来の目的で使うにはご紹介したような具合にワックスをキャンドルの炎で溶かす必要がある。作業そのものはたいしたことはないが、火を扱うことで慎重にならざるを得ないし些か面倒だ。
ということで同じシーリングスタンプを使って今度はグルーガンとグルースティックを使い、グルーガンで溶かした適量のグルースティックにシーリングスタンプを押しつけシーリングスタンプを作ろうと試みた。

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※グルーガンとグルースティックでもシーリングワックス的なスタンプを作れる


勿論グルーガンも高温を必要とするので火傷に十分注意をしなければならないが、炎は扱わないので気が楽だしこちらは日常でも結構活用しているので扱いなれている。
また調べて見たら通常はホワイトのグルースティックを使っているもののシーリングワックスとしても最適な魅力的な多色製品もあることを知った。

作り方の要領は同じだがそもそもグルースティックは一般的にエチレン・ビニール・アセテートの共重合品で接着材だ。したがって金属製とはいえ押しつけたシーリングスタンプに貼り付いて取れなくなるのでは…と心配したが、少なくとも私が使ったスタンプでは剥がすのに苦労することはなかった。

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※グルーガンとグルースティックで作ったスタンプに油性のシルバーマーカーを仕上げに使ってみた


こうしてグルーガンで作ったシーリングワックスは樹脂製であるため、リボンや封書などに貼るには両面テープや別途接着材を必要とするし、一旦剥がしても本物のシーリングワックスとは違って壊れない。それだけに活用応用の範囲は拡がるかも知れないものの開封されないように…という目的には相応しくないがこちらは「作り置き」も可能だ。
今や封筒を…それもシーリーングスタンプを用いる封書などを差し出す機会はほとんどないが、アートやデザインそしてプレゼントなどの際に効果的に活用してみるつもりだ。



高月靖著「南極1号伝説」読書雑感

いきなりだが、私は役者としての武田鉄矢という人に関して知っていることは大ヒットTVドラマ「金八先生」の先生役だった…という程度だ。また彼を「理屈っぽくてバラエティなどでも先生面するから嫌い」という人のいることも知っているが、個人的には文化放送で続いている「武田鉄矢 今日の三枚おろし」という蘊蓄トーク番組は好きでYouTubeなどに載っているものも聞くことがある。【敬称略】


少し前にその番組で高月靖著「南極1号伝説」という書籍があることを知った。2008年の刊行だそうだがこれまでその存在すら知らなかった。
「南極1号」と聞いて男性の方ならニヤリとするか、あるいは女性の方なら眉をひそめるかも知れないが、そもそもタブーな存在でもあり公に語られることもあまり無かったから文字通り伝説でもありその存在の真偽もあやふやだった。
念のため記せば、「南極1号」とは男ばかりの南極越冬隊員の性欲処理のために開発されたと言われているダッチワイフのことだがWikipediaによれば実際の所、使われるまでには至らなかったようだ。
ちなみに本書の副題は「ダッチワイフからラブドールまで~特殊用途愛玩人形の戦後史」というものだ。

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※高月靖著「南極1号伝説」2008年バジリコ(株)


「武田鉄矢 今日の三枚おろし」の番組の中で武田は本書の中身を独自の語り口で紹介したが、例えば「オリエント工業の悪戦苦闘はあのプロジェクトXに匹敵する偉業」といった意味のことを言っていたので知的好奇心に火が付き俄然興味がわいた。オリエント工業は知る人ぞ知る…現在も我が国トップのラブドールメーカーである。

まずはそのダッチワイフという言葉の語源をご存じだろうか…。かくいう私も知らなかったが、”dutch wife” を直訳すれば「オランダ人の妻」ということになる。どうにもオランダの方々には不名誉でネガティブな話しだが、これにはかつてイギリスとオランダが争った歴史が関わっているという。
両国は17世紀に海上貿易の覇権を巡り激しく対立し、三次にも及ぶ英蘭戦争にまで発展…。こうした歴史的な背景から英語にはオランダを貶めるような表現が多々残っているらしい。
「オランダの」を意味する “Dutch” は「ケチな、質が悪い」を表す接頭語にさえなっているという。

さてそのダッチワイフだが、そもそもどこかの植民地での話しだと思うが、オランダ人が夜の寝苦しさを解消するために用いた竹で編んだ中空の駕籠を意味したらしい。抱き枕のようなものだったらしい…。それを見たイギリス人が揶揄を込めて「オランダ人の女房」と呼び始め、それがいつしか性処理用の人形の意味を帯びたらしい。しかし英語圏でセックスの代用人形を指す場合、普通 “sex doll” といった名称を使うことから本書の著者は、一種の和製英語といって良いのでは…と主張している。

この種の人形は「我妻形人形(あづまがたにんぎょう)」などと言い、江戸時代にもあったそうだし、ヒトラーの命によりドイツ軍がリアルな女性型人形の開発もなされていたようだ。特にドイツ軍がこの種の人形の開発を命じたのは親衛隊たちの性病リスクをなくす目的だったという。
とにかく「人形愛」だのといえば陰湿で怪しい感じを受けるのが大方のところだろうが、ピグマリオン伝説が示すように生身の女性ではなく人形に愛情を感じる人も存在するわけだし、私も歳をとったからかラブドールといっても嫌悪感より興味の方が強くなった(笑)。

そういえば本書「南極1号伝説」にも記載されているが、松本零士、石ノ森章太郎、手塚治虫といった漫画界の巨人達もいわゆるダッチワイフを題材にした漫画を作品として発表していた。
手塚の場合は「地球を呑む」で人工皮膚をまとった精巧なダッチワイフが登場するし、「火の鳥 復活編」ではセクシーな玩具用ロボットが描かれている。さらに「やけっぱちのマリア」や「不思議なメルモ」「アポロの歌」も知られている。
これら一部は当時有害図書として激しく非難されもしたが、表現者としてダッチワイフや性の問題は避けては通れないものだったに違いない。
また当ブログを丹念にご覧いただいている方ならご承知だろうが、私自身ここの数年写真撮影用のリアルな等身大の女性マネキンを造型してきた関係もあり、より良い物作りのなにかヒントがあるのかも…といった点にも本書に興味がわいた。

私の造型してきたマネキンは紆余曲折を経てシリコン製のトルソー(両腕はある)に好みのヘッドマネキンの頭を組み合わせたもので一応完成形としたが、残念ながらラブドールではない(笑)。しかしそれでも当初は友人知人からも「いい歳こいて、なに怪しいことをやっているのか」と疑惑の目でみられたが、例えそれがラブドールであったとしてもとやかく言われる筋合いのものではないのだが…。

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※トルソーとヘッドマネキン頭部とを3Dプリンターによるジョイントで繋いで製作した私が理想とするオリジナルモデル。元々バストアップ写真のモデル代わりとして考案したもので、トルソーだからして太腿から下肢はない


そしてなによりも男の端くれとして「南極1号」という言葉は知ってはいたが、よき機会だから正確な情報を知りたいと好奇心に任せて本書を探してみたもののすでに古書しか見つからなかった。

一通り読んでみての感想だが、書籍はかなり誤植が目立ったものの読み物としては面白かった。しかしこの世界も日進月歩のようだから、現在のラブドールとかリアルドールの出来は本書出版から12年経っていることでもあり、はるかに良くなっているに違いないし、その実体は不明ながらAmazonでもある種のラブドールが売られている時代になった。
そういえば写真家の篠山紀信がオリエント工業のラブドールをモデルとして写真集を出したことを以前に知ったがさもありなんと思った。それだけ造型がよく出来ているということだ。

ともあれ特にオリエント工業という企業についての発展の章および創業者土屋日出夫の話しは面白かった。
オリエント工業は、同社HPによれば1977年に特殊ボディーメーカーとして東京・上野に創業とあるが、「南極1号伝説」によると新宿の区役所通りに友人がアダルトショップの店を開いたので手伝ったのが業界に入るきっかけだったという。そして30歳で独立したというが、その土屋の孤軍奮闘が実に興味深い。

ちゃちな浮き袋式のダッチワイフでも売りっぱなしにせず、客が壊れたと持ち込めば誠実に自分で直してあげるというのが土屋の気性だった。結局こうして顧客を大切にしたコミュニケーションの集まりから自社でダッチワイフを作ることになったという。
1977年に最初のダッチワイフ「微笑」から始まり、1982年の「面影」、1987年「影身」、1992年「影華」、1997年には好みで頭部を選べるようにした「華三姉妹」と翌年の「キャンディガール」…。
こうした進化進歩は材料の問題、強度の問題、造型や肌触りやリアリティを追求した結果であったが、その過程の努力と工夫は冒頭に武田鉄矢がいみじくも言ったように「プロジェクトX」で取り上げても良いと思わせる内容だった。

とにかくユーザーを大切にしその意見に真摯に耳を傾ける土屋の執念と企業姿勢には頭が下がる。
もっと掘り下げてみたいがネタバレになるし、そもそもラブドールの実物を見たこともない者がとやかく言えないだろうから遠慮する。したがって本書の著者高月靖があとがきの最後に述べている言葉で筆を置くが、思わず頷いてしまった。
「人形とともに、プライベートな時間を過ごすマニアたち。静かな孤独のなかで目の前の対象に愛情を注ぐという行為は、多くの人にも共有可能な普遍的な癒やしを与えてくれる。そこでその対象との『実践』が可能だっとして、拒む理由には何が思い浮かぶだろうか」



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主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。2017年6月3日、時代小説「首巻き春貞 - 小石川養生所始末」を上梓(電子出版)。続けて2017年7月1日「小説・未来を垣間見た男 スティーブ・ジョブズ」を電子書籍で公開。
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