ラテ飼育格闘日記(802)

早いものでラテが亡くなって一ヶ月が過ぎた…。しかし時間が経つほどこれまでどれほど大切で可愛い存在と暮らしていたのかがあらためて身にしみる。そう言えば昔の事だがあまりに言うことを聞かないのでラテの横っ面を軽く平手打ちにしたこともあったが、ラテもオトーサンの腰に蹴りを入れたことがあるからお相子だ(笑)。


さて、オトーサンがあまりに落ち込んでいるからか、女房があらたにワンコを飼ってもよいと承諾してくれた。嬉しくありがたいもののやはり簡単には決断できない。
ひとつにはオトーサンたちの年齢・体力だ。50代や60代のようにワンコと一緒に駆けずり回ることはなかなかできない。

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※かなり太っていた時期のラテ。2015年10月撮影


それにワンコより飼い主が先に逝ってしまうようなことがあればワンコにとってこれほど不幸なことはない。そんなことを考えつつ「いや、子犬からは無理なら6歳・7歳ほどの成犬ならなんとかなるかも…」とか「老犬を引き取って可愛がろうか」などと勝手な思いも浮かぶがことは体力の問題だけではない。
体力だけのことなら散歩が不要なニャンコを飼う…という案も頭に浮かぶ(笑)。

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※疲れたり怖いことがあるとすぐに抱っこをせがんだ。2014年5月撮影


いや、ニャンコも可愛いがやはり飼える物ならワンコの方がよい。それに体力的な懸念であれば中型犬ではなく小型犬ならそうそう苦労をしなくても済むかも知れない…などという勝手な思いも膨らむがこれまでラテと過ごしてきた足掛け16年を冷静に振り返ればことはそんなに容易ではないことに気づく。

まずワンコを飼うことは相応の金がかかることを覚悟しなければならない。一般的には年1回の狂犬病予防接種や混合ワクチンの接種、フィラリア予防薬といったことだが、成犬ともなれば何らかの病気を抱えている可能性も高い。事実ラテも5歳を過ぎたころからアレルギーが発症し、米・チキン・マグロなどなどが食べられなくなっただけでなく肌に触れるタオルなども綿はダメで化繊のものを使わなければならなくなった。そしてアレルギーを抑制するためメインのドッグフードもそれまで食べていたものと比較して加水分解してある3倍ほど高いものに替えざるを得なかったし毎日朝晩2種類の薬を飲ませるはめになった。

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※アトピーが酷い時は目の周りまで掻きむしり紫色に変色してしまった。2012年9月撮影


その前後ではやれ血液検査だの…と保険が効かない医療費が嵩む。いやペット保険にも加入し月額数千円を支払っていたが、入院しなければ保険金は出ないというプランだったから動物病院へ通ったり薬などの治療を受けても保険料は一円も出なかった。
ただし幸いというべきか、ラテは大病を患うことはなかったが、もし癌にでもなり手術となれば数十万円の医療費は覚悟しなければならない。いやラテだって最後の三ヶ月程度は抗生物質はもとより点滴、酸素吸入、利尿剤、心臓の薬などなどでまとまった費用がかかった。さらにけち臭いことをあえて記すならおむつ代や排泄シート代もばかにならず、散歩用カートや酸素発生器の購入などなど必要に迫られて揃えなければならなかった。

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※大好きっ!…。2020年4月撮影


いやそうしたことをケチるということではないが、そもそもオトーサンは年金生活者だし現在仕事をしている女房だっていつまでも働けるわけではない。そうした現実を直視すればそうそう安易にワンコを飼うというわけにはいかないのだ。
また、ラテの場合は生後6ヶ月(推定)のときに家族として引き取ったわけだが、例えば7歳とか8歳のワンコを家族として向かえたとして我々に慣れ親しんでくれるだろうかという心配もある。こればかりはワンコの性格やこれまでの生き様が分からないことにはどうしようもないし、それこそ飼ってみないことには分からない。

ワンコは三日で恩を忘れないと言われるが、別に恩を売りたいわけではない。そうではないがときに懐かないワンコもいると聞くと正直腰が引けてしまう。
繰り返すがあと10歳も若ければ迷うこと無く子犬から。それも大型犬を飼いたいところだが(笑)。
そうしたあれこれを冷静に考えると寂しいからといって無責任にワンコやニャンコを飼うわけにはいかない。特にいまは世界情勢も不安定で一触即発の危機にあるという。

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※女房の横に並んでくつろぐラテ。2013年8月撮影


ということで今少し時間をかけて判断しなければならないと思っている。またブレーキのひとつには当然のことラテの存在がある。もし新たなワンコを飼ったとしてオトーサンの心の中にいつもラテとの比較みたいな感情がわくのであれば新しいワンコに可哀想だ。
動物病院の院長曰く、2匹目のワンコが最初のワンコより可愛く気に入った…という飼い主はいたって少ないという。これはワンコの良し悪しでは無く飼い主の勝手な思い入れだが、そんなことは覚悟しておくべきだと忠告された。

それに足掛け16年も一緒に暮らしたラテだからして新しく向かえたワンコにもつい「…ラテ」と呼んでしまいそうだ。そんなことを友人に愚痴ったら友人から「そんなこと簡単だ。新しいワンコの名もラテにすればいいんだ。清水の次郎長の女房のようにさ」と言われた(笑)。
しかし、それはともかくラテはとても嫉妬深いワンコだった。それを思うとやはりオトーサンの決断には強いブレーキがかかるのである。


ラテ飼育格闘日記(801)

ラテがいない日常に慣れたいとは思わないが、自宅に閉じこもっているだけでは健康に悪い。足腰も大分弱っているからこそ歩かなければすぐに歩けなくなるかも知れないと一人散歩を始めた。胸にはラテの遺骨が入ったペンダントを下げているので気持ちはラテと一緒の散歩のつもりだ。


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※いまでも部屋のあちらこちらでラテの気配を感じる…

いつまでもめそめそしたい訳ではないが本当に辛いし寂しい。そういえば現代の我々は病院で生まれて病院で死ぬのが当たり前になっている。オトーサンの子供時代の出産は通常産婆が駆けつけ自宅で生んだものだ。オトーサンが七歳のとき妹が生まれたが、ある日母親が布団に横になっていて知らない小母さんが看病していた。どういうシチュエーションだったかは覚えてはいないが父親も弟もいた…。

時間帯がいつ頃だったか、親父が「さあ、俺たちは表に出ていよう」の声に促され、六畳一間の部屋からアパートのエントランスで結構な時間遊んでいたことを記憶している。無論そのときには何故外に出ていなければならないのかは知りようもなかったが母が出産するために我々は出されたのだ。

そしてその父母も病院で息を引き取ったし急だったことでもありその場にいることは叶わなかった。だからオトーサンは身内の人間を間近で看取ったことはないのだ…。だから、人間ではないもののラテという愛犬を初めて…大げさな表現をするなら…この腕の中に抱きしめ、撫でながら看取ることになっただけにどうにもその暖かさと体が冷えて硬直していく様が愛しく忘れられないのである。

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※亡くなる三日前(3月3日)にカートで馴染みの公園に連れて行ったのが散歩の最後となった


三月六日の未明、ラテが鳴くので以前にも書いたとおり10分ほどオトーサンは抱き上げて膝の上でその顔を見つめていた。嬉しかったのかとてもよい表情をしていたがその明け方の五時過ぎ、排泄したいというラテのサインを察知したオトーサンたちはラテを立たせようと抱えた。無論おむつ姿だからいつ排泄してもOKなのだが、ラテは💩の際には立って腰を落とさないと力が入らないのかヨタヨタで歩けないはずなのに玄関に向かい四つ脚で踏ん張った。思えばこれがラテ最後の四つ脚立ち姿となった。

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※息を引き取る二時間ほど前、💩をするため立ち上がったラテ。おむつをしているので寝たままでも良いのだが、綺麗好きというか律儀というか…。これが最後の四つ脚立ちとなった


そしてそれから二時間ほどでこれまでご報告したように危篤状態となり酸素吸入器のマスクにマズルを入れたまま息を引き取った。
動物病院の院長やご近所の方々もオトーサンたちが手厚い介護をしてきたことを認めてくれたし労ってくださったが、
精一杯やれることはやったと思う反面、あのときこうすれば…ああすればよかった…と反省することもあって尚更心が痛む。

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※亡くなる前日の夜はいつものご飯と牛乳を平らげたのだが…


すでに過ぎたことだからしてそんなことを考えても何の得にも益にもならないのは承知だが、看病だけでなく、もしもう一度2006年の12月10日からやり直せるなら、今少しラテとの接し方や暮らし方にも工夫ができ、よりよくラテのためにもできたのではないかとも思う。

育て方、飼い方にしてもあれで良かったのだろうかと思う点もなきにしもあらずだし、なによりもラテがより良い犬生だったと喜んでくれるかが心配だ。

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※柴犬ハチちゃんのオカーサンからアレンジメントの花束をいただいた!

そんな中、ラテの墓前にとまたまた素敵なアレンジメントをいただいた。七年ほど前に亡くなった柴犬ハチちゃんの飼い主さんからだった。オトーサンは丁度留守だったのでお会いする事はできず失礼してしまったが、本当に…ラテは幾多の方々に可愛がっていただき、なんとも幸せなワンコに違いない…。



ラテ飼育格闘日記(800)

ラテが死んでから早くも3週間になろうとしている。オトーサンはラテがいなくなった現実だけはなんとか認められる精神状態にはなったが、反面日々そこのドアの隙間から顔を覗かせるのではないか…といった感覚に落ちいっているのも事実…。


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※いま無性にラテに会いたい…


毎日朝になるとオトーサンはラテの慰霊・遺骨に「おはよう!」と挨拶し、グラスに注いだ水を取り替え時には陰膳を置いたりする毎日だ。友人知人たちは「ラテは万一お前が地獄に落ちたら、天国から尻尾を垂らしてくれるよ」等と慰めて?くれた。

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※オトーサンと共に走るのも好きだった


まあラテは間違いなく天国へ行っただろうが、オトーサンが何故地獄なのかが分からない(笑)。しかし、個人的な事だが若い時から仏教やキリスト教といった宗教の成り立ちや歴史を学び、人の心や神といった概念を勉強してきた結果としてオトーサンはこの歳になって…結局神や仏は存在せず、したがってあの世…天国や地獄なども存在しないう結論に達している…。まあまあこんなことを言い出すと異論やお叱りも多々飛んでくるかと思うが、個人的にそう考えるに至ったのだから仕方がない。だからこそ現世の縁とか付き合いは一期一会だからして貴重なのだと理解している。

そりゃあオトーサンも天国が存在し、近未来にオトーサンの命が尽きたとき、あの世と呼ばれる世界でラテに会えることがあり得るならそれは嬉しい。メチャ嬉しい。しかしそんなことはあり得ないと理性で考えているわけだが一方で、あの世でまたラテに会いたいと切に願っている自分もいて…心が痛い…。

そう言えば…医師であり根っからのカトリック信者である山浦玄嗣氏が古代ギリシャ語原本からケセン語(気仙沼地方の方言)に翻訳した聖書(四福音書)には「天国」「地獄」とか「愛」という言葉がない…というより意図的に追放したという。
そもそもこうした日本語に訳したことこそがキリスト教の真意をねじ曲げ、誤解を生む要因となったと断言している。ちなみに誤解があっては困るので付け加えるが、山浦玄嗣氏の著書はゲテモノではない。当該「ケセン語訳聖書」はローマ教皇庁に献上され、ヨハネ・パウロ2世から祝福を受けており、2019年には文化庁長官表彰も授与されている。

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※山浦玄嗣氏訳、ケセン語新訳聖書四福音書「ガリラヤのイェシュー」


まあ…オトーサンはキリスト教の信者ではないものの時折聖書は読む…。要するに歴史、史実としてのイエスの生き様や教義には興味があるがいわゆる宗教としての現キリスト教には興味が無いということなのだ。
ともあれ「天国」や「地獄」という語も山浦先生によればいわゆる誤訳だというわけなのだが、ラテの死を目の前にしてそのオトーサンが「ラテ、天国で待っててくれよ…」だなんて慰霊に手を合わせる気持ちになるのだから人の心は弱いものだ。

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※さあ、散歩に行くぞっ!と張り切る(2016年1月撮影)


しかしそんな偏屈なオトーサンでも前記したように身近にラテの気配を感じたりするし先日など就寝時にラテの吠え声で飛び起きた。無論それは現実ではなく夢の中のことなのだろうが長い間の習性が身についてしまった故のことに違いない。とはいえ就寝中に起こされるということは、リアルな時には正直寝不足の原因となって辛かったが、オトーサンはいま…慰霊に「ラテ、たまには出てきてくれ」と馬鹿なことを呟いている(笑)。

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※ペットボトルの狭い飲み口に舌を入れ上手に水を飲んでた


こればかりは理性と感情が一致せずいまだに心理的にまいっているし、馬鹿な思いとは承知の上でいまとても…とても…ラテに会いたい!

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※オトーサンはラテの遺骨を入れた小さなカプセルをいつも身に着けている


せめてもの慰め、そしてラテといつも一緒にいたいという願望からオトーサンの胸には小さなカプセルのペンダントが首から下がっているが、その中には微小なラテの遺骨が入っている…。






ラテ飼育格闘日記(799)

ラテが死んだ。そのご報告をきちんとすると丁度次回の連載800回目にもなるだろう…。で、ちょうど切りも良いしそれこそ足掛け16年続けてきたこの「ラテ飼育格闘日記」も潮時だからして終えようかと思った。しかしオトーサンの頭の中はまだラテのことで一杯だし、書かなかったこともあるからと暫くはラテの思い出話しをさせていただこうと考えている。


さて、ワンコの飼い主なら同意していただけると思うがオトーサンにとってラテは単なるワンコ、犬ではなかった。種は違うがまるで自分の子供の…あるいは孫のような感覚で接し15年の間24時間一緒に生きてきた。いま、その我が子が亡くなったという事実をなかなか受け入れることができないでいる。

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※オトーサン夫婦にとってラテはまさしく我が娘だった。賢く可愛くそして我が儘な我が子だった…


ラテの重み、体の温かさ、鼻先の冷たさ、そして甘え声などはもとより、その豊かな表情はすっかりオトーサンの五感に焼き付き染みついている。そうした感覚が突然リアルなものではなくなったとしてもすぐに忘れられるわけはないし事実いまでも何かの拍子にラテの息づかいを感じたり、甘え声が聞こえたように思えたりもする。

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※息をひきとった直後のラテ。女房が脱糞したラテのお尻を綺麗にしてくれた


思えばラテは可笑しな…いや、可笑しいが語弊があるなら個性的なワンコだったと思う。一言で言うなら「臆病」「ヤキモチ焼き」そして「子供好き」のワンコだった。特にラテの子供好きは有り難い性格だったといえる。一般的にワンコは挙動が安定せず高い声を出す子供を嫌うことが多いというが、ラテは不思議に初対面でも子供たちにはフレンドリーだったから結果としてオトーサンの交友関係の輪を大きく広げてくれることになった。さらに親バカを承知でいうならとても「賢い」ワンコでもあった。

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※公園で会った二人の未就学女子にいきなり頭と腰に抱きつかれてもラテは怒らなかった(2016年10月撮影)


そういえば、2006年11月のこと…横浜の動物病院で開かれた里親会を紹介されたオトーサンたちはそこで初めて生後5ヶ月だという雑種のワンコと出会った。
出会ったといってもオトーサンたちの興味は当初他のワンコたちにあったが、ボランティアの方に「すみませんがこの子のリードを持っていてくれませんか」と託されたのがラテ(その時の仮の名はカンナ)だった。新しい飼い主に見初められるためにと綺麗にカットされたその子犬はどこかアンバランスで他に十数匹いたワンコたちとは違っていた。

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※2007年8月、暑いだろうと体毛を刈り込んだときのラテ。皆に笑われた…


他のワンコたちは狭い場所を駆け回り、吠え、中には粗相をしてしまったワンコさえいたが、オトーサンが手にしたリードのワンコはお座りをしたまま静かに我々夫婦の顔を眺めつつ、手を舐め、オトーサンのキャップを噛んで唾液だらけにしつつも叱られないと感じたのか、次にオトーサンの顔をベロベロと舐め始めた。
後にオトーサンの常套句になったが「オトーサンにはこの初対面のときが一番フレンドリーだった」と言わせるほど濃密な時間を過ごさせてもらった。

過酷な現実としてキャバリエ、ダックスといった姿形をしているワンコは早々に里親が決まっていった。そしてそうした場に慣れていないオトーサンたちとラテは取り残されていく…。要はラテは売れ残りとなっていった。
しかしオトーサンたちはワンコを飼いたいと埼玉からわざわざ多摩に引っ越しを決めたのだが肝心のワンコが決まっていなかった。

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※2016年4月、桜が咲き始めた頃のオトーサンとツーショット


女房は「ワンコらしいし、この子でいいんじゃあない」と呟いた。その言葉でこのどこか滑稽に見えたワンコをオトーサンたちの家族に迎入れることになったが、後から思うに熱心で熱いオトーサンたちへのアプローチは「この場は己の将来を決める…命をつなぐ重要な場」であることを本能で知っていたからに違いない。

そのときまるで「犬のクセに猫を被っていた」としか思われない良い子を演じていたのかも知れない。そして一ヶ月後の12月10日、すでに避妊手術を無事終えたラテは茨城から車で我が家に連れて来られたのだ。しかしオトーサンたちといえばボランティアの方に言われた最低限必要なアイテムは揃えたもののワンコを飼った経験も知識も皆無だったこともありここに「飼育格闘日記」が始まった…。




ラテ飼育格闘日記(798)

長い間可愛がっていただいた愛犬ラテが3月6日午前7時半に亡くなりました。最後は用意していた酸素吸入器で呼吸しつつ穏やかに息をひきとりました。15年8ヶ月の犬生でしたが多くの方々に名を覚えていただき可愛がっていただいたことに改めて御礼申し上げます。とても幸せなワンコだったと思います…。


この三日ほど、自力では歩けなくなり馴染みの公園へ連れて行っても立ち上がれず横になったままでした。ただし食事は用意した量の90%以上を食べ大好きな牛乳を飲み干していたので突然のことでした。
一昨日夜半から…特に夜になると声を上げることが頻繁になってきました。夜中に吠えれば放っておくわけにもいかず「どうした、ラテ」と様子を見て、体の向きを変えたり水を飲ませたりするわけですが、その間隔が15分とか30分と短くなってきたのでオトーサンはこの三日ほどほとんどまともな睡眠は取れませんでした。

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※ラテは2022年3月6日午前7時半に永眠しました


集合住宅でもあり、昼はともかく夜は気遣いをしなければなりませんがこればかりは「静かに!」といって効果があるわけでもなく、隣接のご家庭には事情を説明してあらかじめご承知置きいただいてました。
とにかくラテを中心に我が家は回っていましたが、昨年末に倒れてからは一層介護に手がかかるようになりました。床ずれに優しいというベッドを、また万一の場合にと酸素発生器、そして歩けないラテを馴染みの公園に連れて行こうと大きなカートを買うなどは勿論、正直なところ薬代も大変でした。

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※その後は酸素吸入器で呼吸しつつこの15分後に息をひきとりました


それでもラテの表情を見るとオトーサンたちが元気になるわけで、足腰への負担はもとより睡眠不足にもなんとか対処してやってきましたが、いまはただただ呆然としています。
息をひきとる未明、声を上げる頻度が多くなったこともありオトーサンはパジャマから普段着に着替えていつでもラテの様子を見守れるようにと準備をしましたが、いま思えばラテ最後の呼びかけだったのかも知れません。

あまりに五月蠅いのでこれまでやったことはなかったのですが、オトーサンは椅子に座り、ラテを膝に抱き上げて10分ほどあやしていたことが顔と顔を見合わせた最後の一時となりました。しかし軽くなり骨張ってしまった体を抱きつつオトーサンは涙ぐんでいましたがラテは確かに…しばしとても嬉しそうな表情をしていました…。

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※息をひきとった直後、ラテを可愛がってくださったファミリーのオカーサンと中学女子が来て下さりラテの手を握ってくださいました


その後我々夫婦も起床しなければならない時間になったのですが、ラテは排泄要求らしき動きを始めたので女房が対処しオトーサンはラテの分も含む朝食の支度を始めましたが、おむつ取り替えにしてもまったく立ち上がれないまま対処せざるを得ずベッドへ寝かせましたがそのときには口を開け息が荒くなってきました。オトーサンはこうした日のためにと買って置いた酸素発生器とラテの為に自作した吸入マスクをセットしラテのマズルを包むように置きました。

ラテの開いた口を眺めていたとき、舌の色に血の気がなく妙に白っぽいことに気づきました。これは来るときが来たのかと両眼を確認するとすでに白眼を剝いた感じに…。繰り返しますが昨夕ご飯をまずまず食べてくれたラテの急変ぶりに驚くと同時にオトーサンたちはパニック状態!
酸素マスクをあてがってから20分ほど経った頃、ラテは声も上げずそのまま静かに息をひきとりました。こうした日が近々来るであろうことは理屈では覚悟していましたが、いざ現実となるとただただ呆然とし涙が流れ出るだけです…。

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※早速動物病院から紹介された葬儀社が来てくれ、納棺・出棺となりました


この「ラテ飼育格闘日」も毎週土曜日にアップすると己に課せてから一度も休まず798回目となりました。多くの方々に目を通していただきただただ感謝しかありませんが、この辺で連載を止めようかとも思いつつ、オトーサンの頭の中はラテのことで一杯です。

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※翌日にラテは小さくなって戻ってきました(泣)


したがって近接で書き漏らしたことは勿論、我が娘ラテの思い出をしばらくは綴ってみたいと考えています。
感謝…そして合掌!



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プロフィール

mactechlab

Author:mactechlab
主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。2017年6月3日、時代小説「首巻き春貞 - 小石川養生所始末」を上梓(電子出版)。続けて2017年7月1日「小説・未来を垣間見た男 スティーブ・ジョブズ」を電子書籍で公開。また直近では「木挽町お鶴捕物控え」を発表している。
2018年春から3Dプリンターを複数台活用中であり2021年からはレーザー加工機にも目を向けている。ゆうMUG会員