イケショップ「MacTalk」誌に見るユーザーの等身大情報とは?
手元に薄い8冊の情報誌がある。創刊号(1987年8月12日刊)から隔月刊として発行されたものだが、これは現在も秋葉原でショップ展開している(株)イケショップのユーザーグループ・マガジンである。大手の専門誌とはひと味違う「MacTalk」の時代を覗いてみる。
私の手元には創刊号(1987年8月12日刊)からVOL.8号(1988年11月21日刊)までの8冊分が欠如なく保存してある。この後廃刊になったと記憶しているが1987年から1988年の約一年間はアップルおよびMacintoshにとってもなかなか激動の一年だった。
この「MacTalk」が注目に値するのは大手出版社のものではなく、ショップが自身の顧客などに対しての配布を目的にしたものであることだ。
手元の創刊号には編集長の鐵川浩美さんからの手紙が同封されているが、それによれば「MacTalk」はApple販売店のイケショップがMacintoshのユーザーズグループを発足するに当たって企画されたものだという。

※(株)イケショップ発行「MacTalk」創刊号(左)とVOL.2(右)
ただこの種のモノはある意味当然のことだが自社宣伝に終始し、広告はもとより中身が偏る傾向にある。しかし「MacTalk」の編集後記には広告雑誌ではない旨が明記されているのも面白い。
事実執筆陣には大谷和利氏や松木英一氏らの名があるだけでなく裏表紙にはキヤノン販売の一面広告がカラーで載っているなど、片手間で制作されたものでないことは明白だ。
ともあれ、ショップがこうした出版物を立ち上げることができるだけの経済的な余裕があった良き時代は現在の世情から見ても羨ましく思える。

※(株)イケショップ発行「MacTalk」VOL.3(左)とVOL.4(右)
さて、この「MacTalk」が発刊された1987年および1988年はMacintoshにとってどんな時代だったのだろうか。
1987年といえば、ハードウェア的にAppleはMacintosh SE/ Macintosh IIを加えて製品ラインをファミリ化した年だし、なによりもMacintosh IIは初のカラー対応機種であった。そして8月にはあのHyperCardが発表されたし、MultiFinderにより協調性マルチタスクを実現した年でもあり何かと話題が多く、熱い一年だった。
また1988年はといえば、AppleはKnowledge Navigator構想とハイパーメディアのコンセプトを発表し、それまでのテキスト中心型だけでなく音声技術、アクティブアシスタンスなどによる情報環境を提唱し、その後のMacintoshの方向性を定めていった年だった。また情報といえばこの年の3月にAppleからApple CD SCがリリースされ、CD-ROMドライブのプラグ&プレイを実現したことも記憶に新しい。

※(株)イケショップ発行「MacTalk」VOL.5(左)とVOL.6(右)
それから1988年は漢字Talk 2.0の発表、そしてLaserWriter II SCおよびNTXの国内発表もあってDTPが大きく取り上げられる時代になっていた。
大きくとらえれば、Macintoshというパーソナルコンピュータが、日本市場において本格的に認知されるかどうかという時代だったと言えばよいのだろうか。その牽引役が繰り返すがHyperCardでありDTPだった。
したがって「MacTalk」の増刊号は「Mac II+漢字Talk1.1テストリポート〜動作するソフト・しないソフト」とか「日本語漢字通信ソフト比較」といった記事が目立つ。VOL.2からはHyperCardの記事が多くなり、その後漢字Talk 2.0のレビューや一般的になりつつあったハードディスクの試用比較レポートなども登場する。
また当然のことだろうがExcelの使い方などを含み、当時のユーザーの興味・動向を代弁していた感が見受けられる。それから実用としてのスタンスから、日本語環境に関わる記事も多いようだ。事実、Macintosh用のFEP(日本語漢字変換プログラム)や日本語ワードプロセッサを含めて実用に値する製品が続々と登場するのは1989年あたりからになる。やはりDTPも含めて、この時期はいかに実用性を探るかといった時代だったのではないか。
他のトピックにも書いたが、私はといえばこの頃の文書作成にはIBM 5550やPC-9801による一太郎をメインで使っていた事実がある(^_^。

※(株)イケショップ発行「MacTalk」VOL.7(左)とVOL.8(右)
「MacTalk」8冊の内容をあらためて見てみると、専門のMac関連図書や月刊誌などとは違う、ユーザーの等身大のニーズが見て取れるのが面白い。言ってみればこれ全編「読者のページ」的な雰囲気が伺えて大変興味深い。
新製品に関する内容とか、製品スペックは様々な形でその情報は残されるしインターネットを主として後になってからでも確認できるケースが多い。しかし当時のユーザが何を求め、どのような自由・不自由さを味わってMacintoshに向かっていたのかといった情報は残らないケースが多いものだ。そうしたことを考えるとこの「MacTalk」という情報誌は当時を知る第一級の史料といえるのかも知れない。
私の手元には創刊号(1987年8月12日刊)からVOL.8号(1988年11月21日刊)までの8冊分が欠如なく保存してある。この後廃刊になったと記憶しているが1987年から1988年の約一年間はアップルおよびMacintoshにとってもなかなか激動の一年だった。
この「MacTalk」が注目に値するのは大手出版社のものではなく、ショップが自身の顧客などに対しての配布を目的にしたものであることだ。
手元の創刊号には編集長の鐵川浩美さんからの手紙が同封されているが、それによれば「MacTalk」はApple販売店のイケショップがMacintoshのユーザーズグループを発足するに当たって企画されたものだという。

※(株)イケショップ発行「MacTalk」創刊号(左)とVOL.2(右)
ただこの種のモノはある意味当然のことだが自社宣伝に終始し、広告はもとより中身が偏る傾向にある。しかし「MacTalk」の編集後記には広告雑誌ではない旨が明記されているのも面白い。
事実執筆陣には大谷和利氏や松木英一氏らの名があるだけでなく裏表紙にはキヤノン販売の一面広告がカラーで載っているなど、片手間で制作されたものでないことは明白だ。
ともあれ、ショップがこうした出版物を立ち上げることができるだけの経済的な余裕があった良き時代は現在の世情から見ても羨ましく思える。

※(株)イケショップ発行「MacTalk」VOL.3(左)とVOL.4(右)
さて、この「MacTalk」が発刊された1987年および1988年はMacintoshにとってどんな時代だったのだろうか。
1987年といえば、ハードウェア的にAppleはMacintosh SE/ Macintosh IIを加えて製品ラインをファミリ化した年だし、なによりもMacintosh IIは初のカラー対応機種であった。そして8月にはあのHyperCardが発表されたし、MultiFinderにより協調性マルチタスクを実現した年でもあり何かと話題が多く、熱い一年だった。
また1988年はといえば、AppleはKnowledge Navigator構想とハイパーメディアのコンセプトを発表し、それまでのテキスト中心型だけでなく音声技術、アクティブアシスタンスなどによる情報環境を提唱し、その後のMacintoshの方向性を定めていった年だった。また情報といえばこの年の3月にAppleからApple CD SCがリリースされ、CD-ROMドライブのプラグ&プレイを実現したことも記憶に新しい。

※(株)イケショップ発行「MacTalk」VOL.5(左)とVOL.6(右)
それから1988年は漢字Talk 2.0の発表、そしてLaserWriter II SCおよびNTXの国内発表もあってDTPが大きく取り上げられる時代になっていた。
大きくとらえれば、Macintoshというパーソナルコンピュータが、日本市場において本格的に認知されるかどうかという時代だったと言えばよいのだろうか。その牽引役が繰り返すがHyperCardでありDTPだった。
したがって「MacTalk」の増刊号は「Mac II+漢字Talk1.1テストリポート〜動作するソフト・しないソフト」とか「日本語漢字通信ソフト比較」といった記事が目立つ。VOL.2からはHyperCardの記事が多くなり、その後漢字Talk 2.0のレビューや一般的になりつつあったハードディスクの試用比較レポートなども登場する。
また当然のことだろうがExcelの使い方などを含み、当時のユーザーの興味・動向を代弁していた感が見受けられる。それから実用としてのスタンスから、日本語環境に関わる記事も多いようだ。事実、Macintosh用のFEP(日本語漢字変換プログラム)や日本語ワードプロセッサを含めて実用に値する製品が続々と登場するのは1989年あたりからになる。やはりDTPも含めて、この時期はいかに実用性を探るかといった時代だったのではないか。
他のトピックにも書いたが、私はといえばこの頃の文書作成にはIBM 5550やPC-9801による一太郎をメインで使っていた事実がある(^_^。

※(株)イケショップ発行「MacTalk」VOL.7(左)とVOL.8(右)
「MacTalk」8冊の内容をあらためて見てみると、専門のMac関連図書や月刊誌などとは違う、ユーザーの等身大のニーズが見て取れるのが面白い。言ってみればこれ全編「読者のページ」的な雰囲気が伺えて大変興味深い。
新製品に関する内容とか、製品スペックは様々な形でその情報は残されるしインターネットを主として後になってからでも確認できるケースが多い。しかし当時のユーザが何を求め、どのような自由・不自由さを味わってMacintoshに向かっていたのかといった情報は残らないケースが多いものだ。そうしたことを考えるとこの「MacTalk」という情報誌は当時を知る第一級の史料といえるのかも知れない。