アップルジャパン設立準備オフィスはこのビルだった!
先に新宿の東京オペラシティタワーにあるアップルコンピュータ(株)の様子をお伝えしたが、今回はそのアップルが日本法人を設立するために一時期仮住まいをしていたビルの写真をご紹介しよう(笑)。
先月、久しぶりに千代田区の神田神保町に出向いた。常々神保町や九段に行ったとき、これまであまり知られていないアップル発祥の地であり設立準備オフィスがあったビルの写真を撮っておきたいと思っていたが忙しさに紛れて果たせなかった。しかし今回、やっと神保町から九段まで歩いて目的の写真を撮ってきたのでご紹介しよう。
現在アップルコンピュータ(株)のサイトなどでその設立に関わるデータを確認すると、その創立は1983年6月21日と明記されている。そしてその時の登記上の社名はアップルコンピュータジャパン(株)であり、赤坂のツインタワービルで産声を上げたことになっている。その後、1988年に六本木に本社ビルを移し、1992年に社名を現在のアップルコンピュータ(株)に変更し同年に本社ビルを千駄ヶ谷に移転した。
これが現在東京オペラシティータワーに移転する以前のアップル本社の経歴として知られていることだが、面白いことに実際には昭和58年...すなわち1983年5月30日のアップル発行の保証書が存在する。
この辺の事情は以前(2004年3月5日)に「アップルの社名が『アップルジャパン』の時代があった」という記事でご紹介した。今回の内容はそれと重複する部分も多いがこの度はその設立準備オフィスがあったビルの写真を見ていただくのが目的である(^_^)。
さて、話を続けるとこの保証書の日付は前記した正式な創立年月日より21日間前のことである。ということは登記以前にアップルは日本においてすでにビジネスを始めていたことになる。

※私が1983年5月30日に購入したApple IIeの保証書はアップルジャパン(株)設立準備オフィス発行のものだった
その証拠ともなる保証書は今となってはなかなかに興味深いものであり、大げさに言えば正式なアップル日本法人の歴史には載らないであろう事柄がいくつか推察できて面白い。
まずそこにある社名はアップルジャパン(株)であること。したがってこの社名でスタートするはずだったものが法人登記ぎりぎりになってアップルコンピュータジャパン(株)すなわち「コンピュータ」というワードを加えた社名に決まったことがわかる。またその保証書の住所は登記以前にアップルの日本におけるビジネスパートナーであった井之上パブリックリレーションズがあった千鳥ヶ淵の事務所に間借りした形であったため、その住所表記は「東京都千代田区九段南2丁目2番地8号」となっている。そして社名の下にははっきりと「設立準備オフィス」とある。
しかし、当時の資料などから推察すれば、すでにアップル最初の日本法人社長になるべき在米日系三世の福島正也氏が日本に着任していた時期だと思うが、保証書の記述はまだ William J. Schonfeld のままであった。米国本社から日本法人設立を命じられたというJ. Schonfeld 氏はあくまでその正式な設立に至るまでの役割だったようだ。
さて、その「設立準備オフィス」が存在していたビルが靖国通り沿いに現在でもある「松岡九段ビル」である。


※アップル日本法人が設立準備オフィスとして使っていた東京九段の "松岡九段ビル"。写真右は靖国通りで道路向かい側はちょうど靖国神社にあたる(写真上)。ビル名部分の拡大(写真下)
先に記したように赤坂、六本木、千駄ヶ谷そして現在の新宿初台にある東京オペラシティタワービルといったお洒落なビルを渡り歩いてきたアップルの歴史が、例え設立準備オフィスといえどもこうした小さな場所からスタートしたことはなにか微笑ましく、そのバックグランドで努力した人たちの顔が見えるようで興味深い。
先月、久しぶりに千代田区の神田神保町に出向いた。常々神保町や九段に行ったとき、これまであまり知られていないアップル発祥の地であり設立準備オフィスがあったビルの写真を撮っておきたいと思っていたが忙しさに紛れて果たせなかった。しかし今回、やっと神保町から九段まで歩いて目的の写真を撮ってきたのでご紹介しよう。
現在アップルコンピュータ(株)のサイトなどでその設立に関わるデータを確認すると、その創立は1983年6月21日と明記されている。そしてその時の登記上の社名はアップルコンピュータジャパン(株)であり、赤坂のツインタワービルで産声を上げたことになっている。その後、1988年に六本木に本社ビルを移し、1992年に社名を現在のアップルコンピュータ(株)に変更し同年に本社ビルを千駄ヶ谷に移転した。
これが現在東京オペラシティータワーに移転する以前のアップル本社の経歴として知られていることだが、面白いことに実際には昭和58年...すなわち1983年5月30日のアップル発行の保証書が存在する。
この辺の事情は以前(2004年3月5日)に「アップルの社名が『アップルジャパン』の時代があった」という記事でご紹介した。今回の内容はそれと重複する部分も多いがこの度はその設立準備オフィスがあったビルの写真を見ていただくのが目的である(^_^)。
さて、話を続けるとこの保証書の日付は前記した正式な創立年月日より21日間前のことである。ということは登記以前にアップルは日本においてすでにビジネスを始めていたことになる。

※私が1983年5月30日に購入したApple IIeの保証書はアップルジャパン(株)設立準備オフィス発行のものだった
その証拠ともなる保証書は今となってはなかなかに興味深いものであり、大げさに言えば正式なアップル日本法人の歴史には載らないであろう事柄がいくつか推察できて面白い。
まずそこにある社名はアップルジャパン(株)であること。したがってこの社名でスタートするはずだったものが法人登記ぎりぎりになってアップルコンピュータジャパン(株)すなわち「コンピュータ」というワードを加えた社名に決まったことがわかる。またその保証書の住所は登記以前にアップルの日本におけるビジネスパートナーであった井之上パブリックリレーションズがあった千鳥ヶ淵の事務所に間借りした形であったため、その住所表記は「東京都千代田区九段南2丁目2番地8号」となっている。そして社名の下にははっきりと「設立準備オフィス」とある。
しかし、当時の資料などから推察すれば、すでにアップル最初の日本法人社長になるべき在米日系三世の福島正也氏が日本に着任していた時期だと思うが、保証書の記述はまだ William J. Schonfeld のままであった。米国本社から日本法人設立を命じられたというJ. Schonfeld 氏はあくまでその正式な設立に至るまでの役割だったようだ。
さて、その「設立準備オフィス」が存在していたビルが靖国通り沿いに現在でもある「松岡九段ビル」である。


※アップル日本法人が設立準備オフィスとして使っていた東京九段の "松岡九段ビル"。写真右は靖国通りで道路向かい側はちょうど靖国神社にあたる(写真上)。ビル名部分の拡大(写真下)
先に記したように赤坂、六本木、千駄ヶ谷そして現在の新宿初台にある東京オペラシティタワービルといったお洒落なビルを渡り歩いてきたアップルの歴史が、例え設立準備オフィスといえどもこうした小さな場所からスタートしたことはなにか微笑ましく、そのバックグランドで努力した人たちの顔が見えるようで興味深い。