Apple製作のビデオ "The Lisa ー It Works the Way You Work" 紹介

AppleはこれまでにTVコマーシャル向けだけでなく製品の認知を目的にさまざまなビデオを制作してきた。それらの多くは私たちの目に触れているがまだまだ知られていない映像も存在する。いま私の手元にある1983年製作のVHSビデオテープ "The Lisa ー It Works the Way You Work" もそんな類の映像のようだ。今となってはLisa関連情報は少なく、検索した限りではYouTubeにも見あたらなかったのであらためてご紹介しよう。

 
今でこそMacintoshというパーソナルコンピュータをアピールするのに、ワンボタン・マウスであるとかデスクトップにあるフォルダやファイルあるいはゴミ箱のアイコンを机上のメタファーとして説明することはなくなったが、最初にグラフィカル・ユーザーインターフェース (GUI) を採用したパソコン Lisa の価値をいかに当時のユーザーや市場に知らしめるかはAppleにとって一番難しいことだったに違いない。

なにしろそれまでのパソコンはすべてMS-DOSがそうであったようにコマンドを文字列として打ち込まなければならなかったわけで、突然GUIなどと言われても逆に困惑する場合もあっただろう。そしてLisaテクノロジーとは何か、何が...何処が優れているのかを知ってもらうには具体的な映像として見せるのが一番なのは昔も今も違いはない。ただしインターネットなどが私たちの眼前になかった当時としてはこうしたビデオ映像を製作し、営業担当者はもとより販売店やユーザーに知らしめる必要があったわけだ。

手元にある1本のVHSビデオテープにはLisa一連のマニュアルやリーフレットのデザインと同一の紫色のラインとLisaのロゴが配されたシールが貼られ、そこには“Product Trainer Certification”、“Course Manager’s Presentation on the Desktop Manager”そして“The Lisa ー It Works the Way you Work”と印刷されている。無論下部には“Apple Computer”とあり、アップル正規のビデオであることを示している。

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※VHSビデオにはLisa特有のデザインをほどこしたラベルが貼られている

 
12分程度のその内容は当時のAppleがいかにしてメタファーとしてのデスクトップをアピールすべきかを考えた結果が読み取れてなかなか興味深い。

 



※映像はアップロードの関係上2つに分けてあるのでご了承願いたい

 
具体的な内容は前記映像をご覧いただきたいが、ストーリーはエアーポートに到着した男女2人の対比で展開する。そして共にそれぞれのオフィスに到着し男女ペアで会話が進行していく...。
一方が従来のアナログ的仕事を遂行し、それと比較する形で一方はLisaを使って効率の良い作業を進めるといった内容である。
机上に置かれたメモをゴミ箱に捨てる行為、ファイルフォルダの中身の確認、そしてキャビネットの中に収納されている多くのフォルダから目的の書類を探す面倒さ加減といったものをLisaのデスクトップを操作しながら進める作業と比較し、いかにLisaが便利で簡単そして効率の良い仕事ができるかをアピールする映像になっている。

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※実際のキャビネットとその中の書類をLisaのアイコンと対比させて理解を促している


Lisaに向かう2人にはどこか余裕があり、最後にはシャンパンで乾杯といったシーンもある。

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※Lisaで書類を作り計算結果をコピー&ペーストする2人には余裕が感じられる

 
一方のアナログ的作業をしている2人の机上は書類で散乱しロールペーパーのついた計算機の結果をメモしたりする姿にはイライラ感が漂う。そして書類の作り直しのためにプリントされた一部をハサミで切り取り、セロファンテープで別の書類に貼り付けるとき、テープが手に貼り付いたり、テープカッターからテープが取れてしまったりという効率と作業性の悪さを演出している...。

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※従来どおりのアナログ的作業にはイライラ感が漂う(笑)

 
本映像はLisaで行う作業がこれまでのアナログ的作業のどのような行為に対比するかを分かりやすく映像化したわけだが、すでにデスクトップの概念やアイコンそしてメニューやウィンドウ操作を当たり前としている我々にはこの映像はどこか滑稽に思える。しかしLisaが登場した1983年の当時を振り返ってみればマウスの操作1つをとってみても知らない人たちがほとんどだったのだから笑うわけにはいかない...。

パーソナルコンピュータがビジネスの世界に入ってくる前の会社の情景がどのようなものだったか、いまの若い方たちには想像もできないに違いない。
私が一部上場会社に配属された1960年後半から1970年代の机上にいわゆる機械らしきものは電話機しかなかったのである。当時は電卓さえまだまだ普及していない時代であり、ゼロックスコピー機もファクシミリも勿論なかったし、そうそう...ボールペンもオフィスにはなく、記帳は付けペンをインクに浸しながら使っていた有り様だ。あと機械らしきアイテムといえば専用の部屋に置かれたタイプライターくらいなものだった。

その後の10年、大企業そのものには大型コンピュータが導入されつつあったがごく一般の人たちにとってApple IIはもとよりLisaのようなパーソナルコンピュータなど想像もつかない...とてつもない未来のマシンだったのだ。したがってこのビデオに登場するアナログ的作業をする人たちの姿を私などは到底笑えるものではないが、Lisaテクノロジーを当時企業のエグゼクティブたちに売り込もうとしていたAppleとしては頭の痛い事だったに違いない。

何しろエグゼクティブといえば一般的には若造ではない...。企業の管理職、役員といったポジションの人たちだから当然のこと年齢もそれなりに上の場合が多い。したがってコンピュータ利用といった進んだ環境には拒否反応を抱く人たちも多く存在したのである。だからこそこうした具体的な映像でこれまでの世界と新しい世界とを具体的に対比させて見せるという方法も必要とされた時代だったわけだ。

まあまあ、今となっては何ともわざとらしいビデオではあるがそうした時代を反映していることを考えながら見ていただくと興味は倍増するに違いない。
本映像はその“Product Trainer Certification”といったビデオタイトルでもお分かりだと思うが、一般ユーザーに向けたコマーシャルといった意図で作られたのではなく、販売側の認識を高めるための作品だったようだ。なおアップロードの関係上動画は2つに分けているのでご了承願いたい。

 【追記 : 2009/05/04】
本記事を読んでいただいた方からご指摘があり、本ビデオに関してひとつのモヤモヤが解決した...。
それは本文でも記したとおり、映像の最後にLisaを使う2人がシャンパンで乾杯するシーンがある。その際に男性が「Here's looking at you, kid.」という台詞をいう...。
この台詞は1942年製作の映画「カサブランカ」の中でハンフリー・ボガードがイングリッド・バーグマンに向かっていう有名な台詞なのである。

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和訳は一般的に「君の瞳に乾杯」とされているが、それはともかく私はそこまでは気がついていたものの、単にクサイ台詞でエンディングなのか...と聞き流していた。しかしご指摘があって再度認識をあらたにしたが、イングリッド・バーグマンの役名はイルザ・ラントとかエルザ・ラントなどと記されるもののその表記は “ilsa Lund” とされている。
私の苦手とする言語に関する話しになるので心許ないが、例えばBess, Beth, Bettie, Betty, Eliza, Elsa, Elsie, Libby, Lily, Lisa, Lise, Lisette, Liz, Liza, Lizzie, Lizzyなどなどという名はすべて “Elizabeth (エリザベス)” の愛称である。
だとするならイングリッド・バーグマンの役名もそのうちの一つなのではないか...。

もしかしたらビデオのシナリオライターはLisaと “ilsa Lund” を引っかけてこの台詞を言わせたのかも知れない。だとするなら「君の瞳に乾杯」というよりもその真意は「リサに乾杯!」という意味になるのだろう。
深読みのし過ぎだろうか...(笑)。

ラテ飼育格闘日記(125)

今さらではあるが犬を飼いたいと住居まで変えたオトーサンだったが、愛犬ラテの可愛さは日増しに増していく。無論ワンコが好きで子供の頃から飼ってみたいと思ってきたがその可愛さは想像を超えたものだった。なぜこのオオカミみたいな面構えのラテが可愛いのか...(笑)、自分でも面白いと思うがその表情、しぐさの全てが愛らしい。

 

なんでこんなに可愛いのかといつも考えながらラテを観察しているつもりだが、惚れた弱みか目が合うとオトーサンは思わず微笑んでしまう。
今回は日々ラテと暮らしている中で、これはといったラテの魅力としぐさをご紹介してみたい。
ワンコの知能は人間の子供でいうところの2歳から3歳程度の知能を持っているというが、そのひとつひとつの動作・しぐさはそうした思惑を超越した魅力を持っている。

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※ラテの表情は意外と豊かで喜怒哀楽を素直に表す


例えばラテの住み処であるリビングの床はフローリングだが、畳み一畳分程度の布製マットを置いている。無論それはラテがその上で寝転んだりすることを考えて用意したものだ。
肌触りがよいのか、特別暑い日でない限り、その上に座ったり伏せたりして遊びあるいは仮眠をとったりしている。またリビングにはラテが幼犬のときに囓りにかじった電気マッサージチェアがいまだに置いてあるがその座席部分にクッションと汚れ防止の意味を含めて小さなマットが置いてある。
それらのマットというかシートは当然だが布製だからしてラテが乗ったりする毎にめくり上がったりたたまれたり、あるいは位置が変わったりする。
最初の頃オトーサンは気がつかなかったが、いつしかそれらのシートがメチャクチャになっている事ばかりでなく整然と敷かれていることがあるのに気がついた。勿論オトーサンや女房もラテの事を思って丸まっているような時には極力きちんと敷き直すようにしているわけだが、そんな機会がなかったはずの時間帯にもかかわらず整然と敷かれているケースがあった...。

ある日その秘密が分かった...。まあ秘密というほどのことではないもののオトーサンにとって初めて見た光景は感動ものだった...。なぜならラテが床に丸まっていたマットを足を使い、口に咥えてで引っ張り、位置や状態を直している場面に出くわしたからである。
マットの上を転げ回り、引っ張ってメチャクチャにすることはあってもその逆のしぐさをするとは夢にも思わなかっただけにオトーサンは思わず拍手をしてしまったほどだ(笑)。
ラテはしばらくマットの位置を変え、縮まっていたものを広げた後に満足そうにその上に寝転んだのである。

工夫といえば食事の際にもそれなりに知恵を働かせていることも分かった。
朝晩2食の餌はステンレスの食器に盛る。そして多少こぼしたりしても良いようにとタオルを敷いた上に食器を乗せているが、食器は多少の重みはあるもののラテがマズルを突っ込み、舌ですくおうとすれば食器は押されて奥に移動する。無論食器の位置が変わればラテもそれにつれて移動することになるが、ある日それなりに工夫していることを知って驚いたのである。
それは丸い食器の向こう側の縁を鼻面で押さえながら舌を使っている姿を見たからである。試行錯誤で学んだのだろうか、鼻で食器を押さえながら食べている姿はこれまた感動ものであった。

さて、何度も書いてはきたがラテはオトーサンに対してあからさまに愛情を示すといったことはほとんどしない。ただし女房や公園で可愛がってくださる他の飼い主さんたちには抱きつこうとしたり、その足元に座り込んでお腹を見せたり、そして口元を頻繁に舐めにいくといった行動を示す。
オトーサンにしてみればその一割でいいからこちらに向けて欲しいのだが、どうもオトーサンは怖い存在なのか気楽に対峙してくれないのである。

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※公園で集まった飼い主さんたちにの足元に座り込み至福の時を過ごすラテ


ラテの教育上、そんな怖い存在も必要なのだと納得しても正直ちょっと寂しいオトーサンである。
しかしラテなりに気遣いと愛情を示してくれることもある。
例えばラテが出窓のたたきで腹ばいになっているときオトーサンが近づいてラテの頭でも撫で、手をたたきに置いたりするとラテはその手の甲にチョコンと自分の前足を乗せてくれるときがある。
同様にマッサージチェアに丸くなっているときオトーサンが様子を見に近づき、ラテの前足などに手を置くとその手の甲に顎を乗せて目を瞑るのだ...。こうした行動は信頼されているように思えオトーサンにとって嬉しいことこの上ない。

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※出窓の狭いたたきでうたた寝するラテ


ラテの行動やしぐさが可愛いといってもそれらが皆オトーサンにとって都合のよいものばかりではない。
例えばそうした行動のひとつに散歩中ラテが駄々をこねる行為が挙げられる。
ワンコと散歩をするとき、他の方たちの姿を見ているとワンコが主導権を握っているようなケースも多々見受けられる。ワンコがリードを強く引き、行きたい方向に飼い主を引っ張っているという姿だ(笑)。しかしオトーサンはラテとの散歩で歩く道や何処に行くかなどの主導権はすべてオトーサンが握っている。ラテが行きたい方向にオトーサンが「よしよし...そっちにいきたいのか」と引かれて歩くことはほとんどない。
しかしそこはラテも意思を持っているわけで、気分なのかあるいはいい臭いでもあるのかオトーサンが向かおうとする方向とは違う方向に行きたいとリードを引くときもあるが大概オトーサンはリードを「パシッ」と強く引いて阻止するのが普通だ。
とはいえラテもなかなかであり、時にはその大きな体で地べたに這いつくばり「嫌だあ...」とばかり駄々をこねて動かないことがある。そして顔だけオトーサンの方に向け「オトーサン...こっち行きたいんだけど」とばかり哀願の表情をするのである。
これには弱いのである。「たまにはいいか」とばかりラテの言うことを聞いてやることになってしまう。

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※コンクリートの舗道の真ん中にべったりと貼り付いて駄々をこねるラテ(笑)


また歩いているとき、ラテが興に乗るとオトーサンの膝の裏か横を鼻面でツンと突く。これは「おやつ欲しい」というアピールだったり、オトーサンの気を引きたいというときにする行為だ。
まるで「ねぇねぇ...オトーサン!」と突かれているようでなかなか楽しいのである。「ツンツン」とくるとオトーサンは立ち止まってリードを引き寄せ、ラテの頬を撫でてあげる。ラテは笑顔を見せながら歩きはじめるがしばらく歩くとまたまた「ツンツン」とくる。振り向けばそこには笑顔のラテがアイコンタクトしているわけでなにかラテと話しながら歩いているようでこちらも笑顔になってくる。

笑顔といえば、ラテ最大の魅力となれば後はやはりその笑顔に尽きる...。
ラテと生活するまではワンコの表情などそんなに変化はないだろうと思っていたが、人間ほどではないにしてもその表情はかなり豊かなのに驚いたものだ。
ムスッとして大きなため息をつくときの表情と口を大きく開け、目をきらきらと光らせる笑顔との差はとても大きいのだ(笑)。
その笑顔は我々と違い、作り笑顔ではない。まさしくウソ偽りのないラテの心からの表現に違いない。だからその笑顔で見上げられるとオトーサンは何でも許してしまいそうになるしこちらの気持ちも太陽が差したように明るくなる。

PodBrix から縫いぐるみのジョブズ人形「Plush Jobs」が届く!

以前LEGOのジョブズやウォズニアックを販売し好評を得ていたPodBrix から今度は縫いぐるみの手製ジョブズ人形「Plush Jobs」が発売されたというので早速オーダーしてみた。4月3日にオーダーし、First Class Mail Shippingを指定したが4月21日になってやっと無事到着した。

 
この縫いぐるみ人形は、高さ約43cmで黒のタートルネックにジーパンそして眼鏡をかけ、ひげ面という姿だ。それもそのはずでこの人形はMacworld ExpoなどのキーノートでおなじみAppleのCEO スティーブ・ジョブズの姿を模した人形なのだ。そして材質は布やフエルトそして合成皮革で出来ているが顔はプリントされている。ただしメガネは針金製だったために封筒で届いた際には少し曲がって取れていた...。

ともかく彼の表情は激やせのそれではなく元気そうである。顔色も悪くない(笑)。そして眉毛をキリッとあげて虚空を凝視している緊張感のある眼をしているが心なしか口元は笑みを浮かべているといった表情でカリスマ性も感じられる...。とはいえ頭は完全に禿げていて...ちょっと行き過ぎか(爆)。

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このジョブズは本物に似ていないという人もいるらしいが私は縫いぐるみ人形としてはまずまずではないかと思う。そして不思議なことにMacintoshの脇に立たせると俄然生き生きして映える。

図体は前記したように身長約43cmほどあり、手にしてみるとかなり大きいが使い道は自由だ。
Mac OS Xがカーネルパニックを起こしたときにはこのJobsに往復ビンタをくらわせるのもよし(笑)、魔除けとして飾っておくのもまたよいだろうが、私はスティーブ・ジョブズの「現実歪曲フィールド」にあやかりたいと思うので交渉事の際には同伴してもらおうかと考えている(ウソウソ)。

まあ今後はいろいろなシーンでご出演願いたいと考えている。
それから申し上げるまでもないと思うが本人形はApple非公認である。本来ならクパチーノのカンパニーストアでアップルグッズとして販売すればいいのに...と思うけど、ま...それは無理だろう。
一応500体限定モデルということだが、オーダーが多ければ増産するそうだ。価格は27.99ドル。

PodBrix

市立米沢図書館発行「前田慶次道中日記」雑記

戦国武将の前田慶次について細かな紹介は不用かも知れないが、私の場合この奇異な武将に興味を持ったのは隆慶一郎の小説「一夢庵風流記」でもなければ人気コミックだという「花の慶次」からでもない。ともかく慶次は荒唐無稽なイメージが一人歩きしているようだがその実像を知りたいと思いつつ「前田慶次道中日記」にたどり着いた。

 
私は「鬼平犯科帳」とか「剣客商売」など、池波正太郎の作品や藤沢周平の「清左衛門残日録」などを別にすると時代劇が特に好きだということはない。ただし10年ほど前から居合いの真似事をはじめたこともあって“日本刀”そのものが好きなのである。とはいっても本物を手にする勇気もないのでいわゆる模造刀を数振り持っているだけだが、刃は付いていないもののそれでも扱いを間違えると怪我をする...。

この日本刀に関しては別途書いてみたいことが多々あるが、そのさまざまな刀剣の “拵 (こしらえ)〜刀の外装” はまさしく日本人の感性ならびに美意識の優れた証明になるのではないかと思う。
例えば「江戸の刀剣拵-コレクション」(井出正信著/里文出版)といった本は私の隠れた愛読書でもある。とにかく刀は美しいのである。
そんなわけで随分と前のことだが久しぶりに大刀ではなく脇差しを求めたくなり探したところとても気に入った一振りがあった。それがたまたま昨今の人気からか前田慶次モデルと銘打った拵だった。

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※前田慶次モデルの脇差し(模造刀)。お気に入りの一振りである


無論多少は戦国時代や江戸時代の歴史を知っているから前田慶次という傾奇(かぶき)者...伊達者の勇者の名は承知していたが俄然強い興味を持ち、まずは遅ればせながら定石ともいうべきか...隆慶一郎の小説「一夢庵風流記」などを読んでみた。ちなみに傾奇者とは姿形を好み、異様な振る舞いで人を驚かす者を意味するが織田信長や伊達政宗なども傾奇者といえようか...。ともかくもこの破天荒な人物の実像を知りたいと思い立ち調べた結果、市立米沢図書館発行「前田慶次道中日記」にたどり着いたのだった。

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※峰慶一郎著「一夢庵風流記」と今福匡著「前田慶次~武家文人の謎と生涯」表紙


この人物は海音寺潮五郎なども取り上げているが、前記したように近年はもっぱら隆慶一郎の小説やそれを原作とした原哲夫の劇画「花の慶次」で広く知られるようになった。ただし実在の人物ではあるものの織田信長とか豊臣秀吉といった天下を狙った人物ではないこともあってかその人物像を知り得る正確な史料が非常に少ないのが残念なところである。

第一出目、すなわちどこで生まれてどのような少年時代や青年時代を過ごしたか、そして死に場所にいたるまで確たる史料は絶無といってよいらしい。ただし定着しつつある説のひとつとしては天文二年(1533)年の生まれで慶長十年(1605)に73歳で没したということになる。したがって彼が様々な逸話を残した年代は劇画「花の慶次」で描かれているような青年の姿ではなく、すでにかなりのオヤジであったはずだ。そしてその残された甲冑などから判断する限り、6尺豊かな巨漢でもないようである。
さらに当時の武士が頻繁にその名を変えるのが普通だったとはいえ、彼の名は慶次の他、慶次郎、慶二、利太、利益、利貞、利卓、宗兵衛などが知られているとおり非常にややこしい...。

さて、彼は滝川一益の甥である儀太夫益氏の子として生まれ、尾張荒子城城主前田利久の養子となったために前田姓であり、加賀藩の基礎を気づいた前田利家は年下の叔父ということになっている。
本来なら慶次が前田家の家督を相続するはずだったが、織田信長のつるの一声で前田利家が継ぐことになり慶次の存在は浮いてしまう。これで利家との主従の立場が逆転することになり、こうしたあれこれがさまざまな屈折した感情を生んだと思われる。しかし慶次は茶道にも通じいくつかの連歌会の常連だったり源氏物語や伊勢物語の奥義を授けられたともいわれ、自ら註釈をほどこしたほど史記についてはエキスパートだったらしくまさしく文武両道に優れた人物だった。そしてひとたび戦時になれば、武芸十八般に通じ愛馬(松風)にまたがり赤柄の槍を抱えて比類のない戦いぶりを見せたのは史実であるようだし後年上杉のために和平交渉に赴くシーンなどはまさしく絵になる人物である。
ただし今日まで伝わっている彼の伝説は荒唐無稽なものが多い。だから興味を持っただけにできるならその実像を知りたいと思うのは当然であろう...。

そんな伝説の中で私が好きなのをひとつだけご紹介しておこう。
慶次の従僕に従順で忠実な若者がいた。この若者は仏教の信心にこり、時ところかまわず「南無阿弥陀仏」と念仏を唱える。困った慶次だったが頭からがみがみと注意をいうのも芸がないと一計を案じた。
「吾助」「吾助」と朝から晩まで頻繁に名前を呼ぶ。「何か御用ですか」とかしこまる吾助に「いや...別に用はない」と答え、吾助が立ち去るとすぐにまた「吾助」と呼ぶことを繰り返す。
これには吾助も困り果て「旦那様にお願いです。私の名をお呼びになるのは結構ですが格別御用のない時にはお止めいただけますようお願いします」と申し入れた。
慶次はその機会を捉えて「わしからも言うて聞かせることがある」とし、お前は仏様を信じて念仏を四六時中唱えているが考えてもみることだ。四六時中「南無阿弥陀仏」「南無阿弥陀仏」では阿弥陀様も返事をしきれないだろう。阿弥陀様にそうしてご迷惑をかけてもいいものか、とくと考えてみろ...と諭したという。

ほとんど史料がない前田慶次だが、彼が慶長六年(1601年)盟友直江兼続を追い京都伏見を出発して米沢に着くまでの二十六日間の道程を書いた直筆といわれる日記「前田慶次道中日記」が市立米沢図書館に収蔵されている。まさしくこの「前田慶次道中日記」の存在がなければ慶次は単に伝説の人物としか語られなかったかも知れない。
実はこの「前田慶次道中日記」は2001年9月に米沢市図書館より「影印本」「資料編」「前田慶次道中行程図」「前田慶次の遺跡を訪ねる」といった内容のものがセットになって出版され好評を博した。
その資料編には道中日記の解読文および現代語訳、その他にも慶次郎の紹介や逸話、遺品や遺跡の紹介が載っている。

私が所持しているのは2005年5月2日に発行されたその改訂二刷りと今年2009年1月1日発行の第五版であるがメインは装丁・本文ともに、原本に忠実に再現された和綴じの影印本であり、原本に添えられた朱書きまで再現されている。
無論その慶次直筆と言われる文体は私などには簡単に読めるわけもないが良質の現代語訳と解説が付いているので対比しながら楽しむことができる。

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※市立米沢図書館発行「前田慶次道中日記」二刷一式(上)で右の青いのが和綴じの影印本。下は影印本の内容例


この「前田慶次道中日記」には紫式部が「源氏物語」を書いたと言われる石山寺などの名所旧跡を列挙したり「古今和歌集」の一首を書き付けたり白居易の詩を掲げている。また慶次が過去を思い出す記述には「金剛般若波羅蜜経」の知識があることを臭わせており、慶次が豪放磊落な性格であったと同時に当時としても多方面にわたる教養豊かな人物であったことを伺わせる。

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※市立米沢図書館刊「前田慶次道中日記」第五版。2009年1月1日発

 
「前田慶次~武家文人の謎と生涯」の著者、今福匡氏によれば本書は慶次の防備録というより、端から人に読ませ楽しませるための文学作品だったのではないかという。そして慶次ファンにとってこの「前田慶次道中日記」はスタンダードなテキストでありかつバイブル的な存在でもあるのだ。

【主な参考資料】

・「前田慶次道中日記」市立米沢図書館刊
・今福匡著「前田慶次~武家文人の謎と生涯」新紀元社刊
・隆慶一郎著「一夢庵風流記」新潮文庫刊

市立米沢図書館


ラテ飼育格闘日記(124)

ワンコは意外といっては失礼だがかなりデリケートな動物でありストレスなどで体調を壊すこともあるという。まあ、ラテの場合は食べ過ぎだと思うが先日またまたお腹を壊した。ところで先週の土曜日に狂犬病予防注射の接種と共に1年ぶりの健康診断を受けてきた。心配なのは肥満に関してだがそれは100%飼い主の責任だけに頭が痛い...。

 

狂犬病予防注射の接種時期である。保健所からもそしてかかりつけの動物病院からもそうした知らせが届いたことでもあり、先週の土曜日に病院に連れて行くことにした。
幸いラテは基本的には健康であり食欲も落ちないし元気に毎日を過ごしている。
たまたまお腹をこわすことがある程度だから今のところはデブではあるが健康体であろう(笑)。ただしお腹をこわすといっても人間と違ってなかなか対応が難しいのが厄介な所なのだ。

先日、夕方の散歩でゆるいウンチをした。そのこと自体だけで騒ぐことでもないが幾多の経験上、その夜に本格的な下痢を起こすという確率が高いことを知っているからオトーサンは臨戦態勢で臨むことにした。
どういうことかといえば、ラテが夜中のいつでも「ウ~ワン...ワンワン」などと鳴き始めたら即リードを付けて外に出られるようにと考えたわけだ。
無論室内で粗相されても困るし、ラテとしても外で気兼ねなくウンチが出来る方が安心するからだがそもそも基本的に室内ではウンチをしないのだ。
問題はラテの異変に気がついてからパジャマを普段着に着替えて...とやっていては間に合わないわけで、その夜オトーサンはシャツとジーパンのままで床に入ったのである。いつでもダウンジャケットでも羽織って飛び出ることが可能なように...。

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※桜の散る中をラテと散歩


異変に気がついたのはすでに明け方だった。ラテの鳴き声が普通のそれとは違うことで起こされたが、オトーサンも中途半端な寝方をしたからか頭がもうろうとして飛び起きることが出来ない。
ともかく何とか体を起こして階下に降り、ジャケットを羽織り、散歩に必要な一式を入れたバッグを肩に斜めがけしてリードを用意した。それに合わせて女房がラテをリビングの隅にあるハウスから出してオトーサンのいる玄関へと誘導するためキッチンを通った瞬間...ラテは我慢ができなかったらしくキッチンの絨毯の上にやらかしてしまったのである...嗚呼。
しかしこればかりは怒るわけにもいかない。結果としてオトーサンたちのタイミングが悪かったのだ。
逆にもう少しリビングに置いておけば、そこに常に敷いてあるトイレシートにやってくれたに違いない。良かれと思ったことが今回は裏目に出てしまったのである。

ただしラテの下痢は一回で治まることはないことも経験上知ってるのでオトーサンはラテと共にまだ薄明かりの中、とにかく外に飛び出たのだった。
人の来ない草むらでラテはしゃがみ込んだ。オトーサンは拾い拭える部分は綺麗にし、残りをペットボトルの水で流して後始末をするが、ラテの辛さを考えると苦にもならない。
その日は休日だったのでいつもよりかなり早い時間だがそのままいつもの公園に向かった。

幸いに通常の朝の散歩では時間帯が違うのでなかなか会えないマキちゃん(雄ワンコ)と遭遇することができた。一緒に一つ先の公園まで行こうとする途中で2回ほどしゃがみ込むがすでに出る物はない状態だった。ただし大好きなマキちゃんと一緒だからだろうか、嬉しそうで見かけはまったく元気なのだ。
ともかく小一時間が経過し落ち着いた頃を見計らって自宅に戻ると女房が絨毯を掃除し殺菌と消臭などを済ませていたが、その跡は完全には落ちず後日絨毯は取り替えるハメになった。

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※一暴れしたからか、ご機嫌なラテ


そんなこともあったが、ラテを狂犬病予防接種の機会を毎年健康診断のときと決めているので今年も土曜日の朝一番に予約を入れて動物病院に向かった。
すでに葉桜になった径を歩くがラテは何処へ向かっているかを察知してか動きが重い(笑)。
受付を済ませて診察室に入るがラテは落ち着かずにどこか出口がないかといった感じでドアを開けようとする。
入ってきたのは院長でははなく、前に1度診察してもらった若い男性の医者だったが、ラテは医者に向かって「ウ~」と唸った...。
これまで怪我の治療や注射などを何回も受けたが医者に向かって唸ったことは1度もなかったのでオトーサンはちょっと驚いた。ラテも日々成長していることの証なのだろうが、仕方なしにラテの上半身をオトーサンが抱くようにホールドしながら体温を計り、採血をし、そしてそれらの結果を見て最後に狂犬病の予防注射をうった。ただしラテは注射をされるときや採血時には声一つ上げなかったが...。

しばらく待たされたが、医者が検査表を持ちながら「説明させていただきます」と診察室に入ってきた。何だかテストの結果でも聞くような緊張した気分だがやはりラテの体重は確実に増えていた...。ただし血液検査の結果はCPK以外は正常値だが全体的に栄養過多が疑われるとのこと。まあ太ったのだからそうなのだろう。
ともあれGOT/ASTなど肝機能障害を疑われる値はまったく問題がなく良かったが、医者は前記したCPK ( Creatine PhosphoKinaseの略で、主に筋肉の中に含まれる物質) の値が正常値より高く昨年が93だったのが今回177に上がったことを指摘し、今の段階で特に問題はないと思うが体重増加と関連しているのかも知れないので注意をすべきという...。
このCPKの値が高いと心筋梗塞、骨格筋壊死、中枢神経の損傷などを疑われると聞いてオトーサンはブルーな気分になってしまう。とはいえ素人ながらこうした検査値はひとつだけピックアップしてうんぬん言ってもあまり意味のないことだと承知しているし他の値には異常がないことでもあり、あまり心配しても始まらないと自分に言い聞かせながら帰路についた。

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※確かに太めなボディだが可愛い...(笑)。散歩の途中でオトーサンにおやつが欲しいと訴えるラテ


その夜、思いついてラテが我が家に来た最初の健康診断の結果を取り出して比べてみた。それは一昨年の2007年4月15日の記録である。
ラテはその前年の2006年12月10日に我が家に来たのであり、これはラテにとって初めての健康診断の結果なのだった。
その結果を見てオトーサンは思い出した!
この最初の健康診断のとき、CPKの値は何と313だったのだ。これは値だけでいうなら異常値らしく経過を見るという所見だっものの1年後の検査では幸い前記したように93に落ちたので一安心したのだった...。やはりデータは取っておくべきである。
その検査のとき、医者は「あばら骨が出ているから餌の量をもう少し増やすとよい」とアドバイスをしてくれた。そしてここが肝心なところだが、その時の体重は11.9Kgで少し太らせた方がよいというほど痩せ気味だったのである。

ということは体重が現在より大幅に軽い時期にもかかわらずCPKは313にも達していたのだから、直接の原因はわからないもののある種の体質的な問題かも知れない。無論だからといって安心できることではないが、我が家に来てから致命的な問題を抱えたとなってはラテに申し訳ないと思っていたから少し気持ちが楽になったのである。
ただし何とか体重を落とすことを実践しなければならない...。これが一番難しいことなのだが。
その日のラテは狂犬病予防注射の影響か爆睡していたが、オトーサンはその寝顔に見とれていた(笑)。

マニュアル考〜Lisa とLisa 2の “Owner’s Guide” を比較してみた

製品に不可欠なマニュアルというものの出来具合もその企業体質や考え方、そして製品に対するコンセプトのようなものが現れると考えて良いだろう。特にAppleのような良い意味でマニュアルやパッケージにまで拘る企業の場合はなおさらである。そうした意味では昨今のPDFによるデジタルマニュアルは利便性うんぬん以前にまったく無味である。

 
当研究所にはこれまで多くの製品を手にしたひとつの証としてオールド製品のマニュアルが残っているものがある。特にAppleの黎明期というか1990年代以前のものは当時のAppleの意気込みや体質を垣間見ることができるような気がしてなかなか面白い。また参考資料として後日マニュアルだけ手に入れたというものもある。
今回は手元にあるそれらいくつかのマニュアルのうち、現在ほとんどお目にかかることのなくなったLisaとLisa 2の “Owner’s Guide” を眺めながら当時のAppleを垣間見てみようと思う。

まずパソコン本体のマニュアルが私の手元に現存しかつ比較して面白いと思うのはApple IIe、Macintosh 128K、Lisa、Lisa 2、Macintosh PlusそしてMacintosh Portableあたりまでだろうか...。
Appleのマニュアルは初期Apple IIに付属した通称“レッドブック”からなかなか評判がよかったらしい。これはApple IIの開発者でAppleの共同創立者だったスティーブ・ウォズニアック自身が手書きした物をApple社長のマイク・スコットらがリタイプしたものだという。
Apple IIシリーズ製品として私の手元に残っているのはApple IIe のマニュアルだが、このApple IIeはLisaと一緒の1983年にリリースされたものだ。

さてそのLisaのマニュアルすなわち “Owner’s Guide”だが、これまでのApple一連のマニュアルたちとは異質なものであり、ひと言でいうならアップルらしくない。
それは大ぶりの堅い3穴バインダーに綴じられているもので、パープル系のカラーを使った高級感を感じさせるものだ...。

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※1983年に登場したLisaの “Owner’s Guide”


無論Lisaはパーソナルコンピュータとはいえ価格も10,000ドルに近い、いわゆるApple IIなどとは一線を期した製品でビジネス向け...エグゼクティブ向けと考えられたからこそのデザインに違いない。そしてこのLisaプロジェクトはスティーブ・ジョブズを外して進捗していたから、その仕様やデザインうんぬんにはまったくジョブズは口を出すことができなかったと思われる。なにしろLisaプロジェクトの責任者になったジョン・カウチからは「今後はLisaにちょっかいを出さないように」と釘までさされたという...。
そうした当時の状況を考えながらこの “Owner’s Guide”を後述するようにLisa 2のものと比較するとなかなか面白い。

ところで同時に発表されたApple IIeのマニュアルだが、その仕様はその後長い間続くリングで綴じた形式で表紙はもちろんすべての写真はカラーで構成されているという今思えば大変贅沢な作りである。

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※Apple IIeのマニュアル(英語版)表紙(上)とそのカラー写真一例(下)


勿論1983年といえば、その4月にジョン・スカリーが社長兼CEOの座に就いた年だし、スティーブ・ジョブズも健在だった。したがって稼ぎ頭のApple IIの新機種であるApple IIeのマニュアルに対してもジョブズの拘りはともかく予算面は行き届いていたに違いない。
一方Lisaの販売はスタートからふるわなかったが、この頃スカリーとジョブズの仲は最高で “ダイナミック・デュオ” などとよばれ、スカリー自身「Appleのリーダーはただ1人...スティーブと私です」と述べていたほどで、会社もまだまだ余裕があった時代だった。
このApple IIeのマニュアルはその余裕を的確に表している。

話を続けよう。
ご存じのように1984年1月24日にはMacintoshが発表され、同時にLisa改訂版のLisa 2も発表された。
Macintosh (128K)のマニュアルはApple IIeのものと同じくリング綴じだが、以前ご紹介したように表紙にピカソ風デザインが施されているだけでなく各章ごとに的確で魅力的なカラー写真が使われている素敵なマニュアルである。なにか「マニュアルとはこう作るべき」といった感のあるひとつの作品のようだ。それに対して同時に発表されたLisa 2の “Owner’s Guide”はLisaのものと比べると意外なほど細部をも含めて違いがある。無論これは私の手元にある現物を比較したものであり、もし他のバージョンなどがあった場合は話しが別だ..。

まず興味深いのは、最初のLisa (Lisa 1)のマニュアルにはカラー写真が豊富に使われているが、Lisa 2のマニュアルの写真はすべてモノクロになっていることだ。その理由は明白であり、Lisaセールスの躓きを是正すべくアプリケーションを別売とした上でフロッピードライブをMacと同様ソニー製の3.5インチのものに変え、メモリをオリジナルLisaの半分にし、それらによって基本モデルの価格は3,495ドルに下げた...。したがってというべきか、マニュアルに金をかける余地などどこにもなかったに違いない。

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※Lisa(Lisa 1)の “Owner’s Guide”はカラー写真が使われているがパッと見はカラーの恩恵は分からない(上)。対してLisa 2の “Owner’s Guide”はすべてがモノクロ写真になっている(下)

 
逆にいうならLisa 1のマニュアルに使われているカラー写真はユーザーとしてそれはそれで歓迎すべきものだが正直あまり意味を為していない。なぜならLisa本体の写真のほとんどは暗いバックドロップの前で撮影されていることでもあり、特にモニターの電源が入っていない写真はほとんどモノトーンなのだ。確かによく見ればアップルロゴの部分で「ああ...これはカラー写真だ」と分かる程度なのだから勿体ないというかコストをかけた効果が出ていない。ただし高価なパーソナルコンピュータに付属のマニュアルだからと当時のAppleは考えたに違いない...。

ともかくうがった見方をするならLisa本体が売れなかったということはこの3穴バインダーも随分と在庫が余ったのか...。だからLisa 2のマニュアルも同じバインダーを使ったものになったのかも知れないが反面3穴バインダー式のために中身を取り替えれば使えるわけで、無駄にはならなかったのは幸いだった...?

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※Lisa1の “Owner’s Guide”(左)とLisa 2(右)の “Owner’s Guide”比較

 
ただしバインダーは確かに同一形状のものだがLisa 2にはそれなりに改良の跡も伺える。
例えばLisa 1のそれはバインダーの表紙カバーや背にはアップルとLisaのロゴしかプリントされていないが、Lisa 2には “Owner’s Guide”という文字が印刷されている。
また当然と言えば当然だが中身の構成順序にも変更がなされているし、マニュアルを活用する場合に消耗が激しいと判断したのだろうか、Lisa 2の各章ガイドページのインデックス(タブ)部分には透明のフィルムを貼り補強がなされている。

余談ながら、もしスティーブ・ジョブズがLisa開発のプロジェクトリーダーだったら、どんなマニュアルを作ったかを想像するのは楽しい(笑)。
その“Lisa”という開発コード名をそのまま製品名にした点はともかくもロゴのデザインは誰が考えたのかは調べていないが、個人的にはまったくデキが悪いと思っている。その筆記体のようなロゴはどう見ても6色のアップルロゴならびにLisa本体に似合っていないのではないだろうか...。だからだろうか、Lisa 2からはそのロゴはなくなり、大きめの6色アップルロゴがフロッピードライブの右下に埋め込まれる形に変更されている。

ちなみに1986年に登場したMacintosh Plusのマニュアルは128Kとは違い表紙には変哲もないMacintosh Plusその写真を使っている。しかしマニュアルの中身にはカラー写真も豊富で当時の他社マニュアルと比較すれば見て読んで楽しいと思わせるには十分だった。ただし先のMacintosh 128Kと比較するとカルチャーとか遊び心は影を潜め、ビジネスを意識した写真が目立つ。

1989年のMacintosh Portableともなるとアップルらしい拘りというより、まともで一般ウケするマニュアルとなってしまった感がある。なにしろこのMacintosh Portableも当時としては高価な代物だったが、ジョブズ不在の影響は否めない。確かに「Owner’s Guide」および「Handbook」ともによく出来てはいるもののどこかAppleのマニュアルとしては物足りなさを感じるのは私だけだろうか...。

まあまあ勝手なことを述べてきたが、かつて幾多のマニュアルを書いた1人としてはマニュアルを作ることは一般ユーザーが考える以上に大変な仕事だということを申し上げておきたい。
例えば新製品のマニュアル作りは文字通りそのすべてを知っておく必要がある。仕様は勿論、機能の持つひとつひとつの使い方とその意味するところをユーザーに伝えるには当人が熟知していないと本当に分かりやすく魅力的なマニュアルは書けないわけだ。しかし一般的には製品がフィックスしなければマニュアルも書けないケースがほとんどだし、いざ製品が出来上がる頃には出荷の予定に追いまくられることになる。
そんなタイトなスケジュールの中でマニュアルを書く人は新製品を熟知しなければならないとなればその大変さは理解していただけるものと思う。
だから理想は前記した最初期Apple IIのレッドブックのように隅から隅まで熟知している開発者自身であるスティーブ・ウォズニアック本人が書くというのが理想なのだ。とはいえ現実はなかなかそうもいかないから、マニュアルの多くは理想からはほど遠いものになりがちなのである。
それだけに一連のApple製品のマニュアルのデキの良さ、レベルの高さは目立つのである。

ラテ飼育格闘日記(123)

ラテと毎日散歩を続けているとそれなりに思考のパターンや行動の意味などが分かってくるものだが、いまだに分からなないことも多い。そのひとつに他のワンコに対する「好き嫌い」がどのような基準でなされているかということだ。まあ、もしかしたら理窟ではなくラテ自身に聞いたところで分からないのかも知れないが分からないだけにオトーサンは対応に苦労する。

 

我々人間にも理窟を超えた好き嫌いがあり得る。初対面でどういうわけか理由もはっきりしないものの嫌な奴だと思う相手もいる。逆に一目惚れだって十分ありうるわけだ...。
それは顔つきなのか、態度なのか、それとも声のトーンなのか、自分でもよく分からないが生理的に受け付けないという場合もあり得るだろう。だからラテに「どうして○○ちゃんは好きで××ちゃんは嫌いなのか?」と聞いたところで本人もよく分からないのかも知れないが、オトーサンなりに観察しているとおぼろげながらその理由の一端が分かるような気もする...。

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※満開の桜も美しく綺麗だが、地面に落ちた花も愛らしい...


一般的に回りのワンコを見ていると雄雌の区別で好き嫌いがある場合が多いようだし、洋犬と和犬で好みがわかれる場合もあり得るみたいだ。
例えばラテの場合、雄のワンコに対しては初対面であっても反目する確率は少ないが、同性の雌ワンコは初対面だとほぼ吠えたり威嚇したりする。その上でラテが公園デビューを果たした当初からのつき合いでかつ現在も基本的に喧嘩しないワンコの99%は雄のワンコなのだ。
コーギ犬のアポロちゃんとコーちゃん、ビーグル犬のハリーちゃん、ボーダーコリー犬のボーちゃん、柴犬のポン吉ちゃん、クロちゃんそしてハチちゃんは皆雄のワンコである。そして大好きなマキちゃんも雑種の雄だ。

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※お互いに凄い顔をしているが喧嘩ではなく楽しんで遊んでいる姿だ


無論公園で出会うワンコたちのすべてが雄であるわけではないし、ラテが公園デビューしたてのときには雌のワンコたちとも仲良くしていた時期があった。しかし時が経つにつれて...というかラテ自身にある種の自信というか自意識が目覚めてくるようになると雌のワンコには威嚇したり吼え立てたりするようになった。
興味深いのはいくら嗅覚が抜群に優れているとはいえ、向こうから初対面のワンコが歩いてくるときラテが吠える/吠えないで相手が雄なのか雌なのかがほぼ分かるのだから凄い。相手が近づいたとき猛烈に吠える場合は勿論雌のワンコであるケースがほとんどだし、同じ吠えるにしても「気になるので近づきたい」という吠え方は違うのだ。
オトーサンはそうしたラテの反応を総合判断しながら注意しながら相手のワンコと近づけ、リードをコントロールすることになるが喧嘩しないようにと気を使うわけだ。

以前ラテが猛烈に吠えたとき相手の飼い主さんから「あらら、吠えられるような悪いことしていないのにねぇ...」といわれてオトーサンも傷ついたことがある(笑)。そんなことを言われてもワンコがやることであり、良いも悪いもないのだからこればかりは仕方がないのである。しかし吠えられる方から見れば嬉しいことではない...。
ともあれ同性に厳しいのは明白なのだが、その原因はどこにあるのだろうか...。やはり本能的に雌のワンコはライバル...嫉妬の対象になるのだろうか。

もうひとつおかしなことに犬種による好き嫌いがあるように思える。
どうも言いにくいのだが、これまたワンコの好みなので気に障った方はお許し願いたい。
というのは、ラテはマズルの短いワンコは総じて嫌いなようなのだ...。
例えばパグ、マスティフ、ブルドッグなどは雄であっても最初から威嚇したり無視するからこれまで仲良くしたワンコは皆無である。
オトーサンが知りたいのはなぜこれらの犬種をラテが嫌うのか...ということだ。オトーサンの知らない幼犬の時期にでも嫌な目に合わせられたのだろうか...。
別の言い方をするなら、ラテは犬としては視覚で判断する部分が多いように思えてならないのだ。

それから傾向としてだが、小型犬と子犬は苦手だということが分かってきた。無論小型犬がすべて嫌いなわけではなく、前記したビーグルのハリーちゃんとは最初から取っ組み合って荒っぽい遊びをしているが威嚇したり喧嘩したことはない。そしてチワワやパピヨンといったワンコに低姿勢で近づき、お腹を出すことだってあるし、土日の朝の公園で会うウエスティのクーンちゃん(雄)にも遊ぼうのポーズで誘ったりする。

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※ウエスティのクーンちゃんに遊びのポーズをするラテ(上)。下は初対面の柴犬 "はじめくん" (雄)に遊びを仕掛けるラテ


しかし基本的にはどうやら自分の回りで活発に飛び跳ねられるのが嫌いなようだ(笑)。そして幼犬が怖いもの知らずに元気にからんでくるとどう扱って良いか分からず困っているようにも見える。

現在仲良くさせていただいているワンコたちでもそれぞれ最初の出会いというものがあったわけであり、その数回の出会いの中でお互いに多少の「ガウガウ」を交わしたり、反対に威嚇されて萎縮したりしながらも一緒に走り回ったり取っ組み合ったりする仲になってきた。したがって1度や2度顔をつきあわせたときにいがみ合ったからといって飼い主がお互いを遠ざけてしまっては2度と仲良くできるチャンスはなくなるといってよい。
例えば前記したコーギー犬のコーちゃんをラテは最初気に入らなかったようだ。なぜならコーちゃんが公園デビューしたてのころはラテが好きな同じコーギー犬のアポロちゃんを取られてしまうので一種のヤキモチをやいたものと思われる。
年下でもあるコーちゃんに対して近づくと「ガウ~」と唸って威嚇していたが、そのうちアポロちゃんとコーちゃんの中に喧嘩せずに入っていくようになった。そしてしばらくしてコーちゃんが雄犬の本領を発揮してパワフルに振る舞うようになると関係は逆転し、ラテはコーちゃんに追いかけられ逃げ惑うようになった(笑)。
まあ、もともとラテは気が強いというより臆病なのだろう...。その不安というか自信のなさが吠える原因のひとつになると思われる。
諺通り「弱い奴ほどよく吠える」というアレである(笑)。

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※好き嫌いが激しく八方美人は無理なラテだが、こればかりはオトーサンもどうしようもない(笑)


ただし100%ではないが、オトーサンの好みに同調しているように思えることもある。もしかしたら対峙するオトーサンの感情をラテはしっかりと読んでいるのかも知れない。お互いにワンコは飼い主に似るというから...(笑)。
ともかく初対面も含めて行き交うワンコに対しどのような態度で接するか、ラテならずともオトーサンも気を使うところなのだ。とはいえ事は近所づきあいとか仕事つき合いといった何らかのプレッシャーが存在する問題ではなく、もしラテが嫌いなワンコがいたとするならあえて近づく必要もないし、関係の修復を図る必要もないのだが、どうも無言ですれ違うといったその行為こそ、長い間ビジネスで人の和に苦労してきたオトーサンにとってはプレッシャーなのだ(笑)。
だから最近は感情をストレートに出せるラテを羨ましいと思うオトーサンなのであった。

アップル最初の純正ハードディスク「ProFile」考

ハードディスクも一時はその容量に限界があるという説があったり不安定度が問題視されたりもしたが、容量的にもスピード的にもそしてコスト面や使い勝手の良さでも一番のデータ書き込み&読み込み装置の座を保っている。今回はApple最初のハードディスク「ProFile」についてのお話しである。

 
ハードディスクという代物は1956年にIBMがはじめて「IBM 350」を発売したときに直径24インチのディスクを50枚使い実用化したもので、その容量は5MBだったのが最初だという。まあ、メインフレームなどの周辺機器はともかくパーソナルコンピュータのハードディスクとなるとやはり1980年代にならないと一般にはお目にかかることができなかった。
本格的なパーソナルコンピュータのApple II 登場が1977年なのだからそれも当然だともいえよう。そしてApple IIが次第にホビーの世界だけでなくビジネスや研究機関などにおいて実用となることが知られるにつれそれまで存在した大型コンピュータやミニコン用のハードディスクをつなぐ工夫をした人たちもいたようだが、対応製品として販売されるのは1980年代であり、特に日本では1984年とか1985年あたりではなかったか...。

なにしろ1980年代前半といえば個人ユーザーにやっとフロッピーディスクが浸透した頃であり、ハードディスクなど夢また夢の世界だった。
私が1984年に当時日本語対応のパソコンとしては最高峰といわれたIBM 5550を購入したときもそのシステムは3台のフロッピーディスクドライブ構成でありハードディスクは装備されていなかった。使う度にフロッピーディスクから日本語MS-DOSを起動させなければならなかった。

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※1984年に購入したIBM5550は5.25インチのフロッピーディスクドライブが3基構成でハードディスクは無かった


とはいえフロッピーディスクに慣れるにつれ、そしてコンピュータを縦横無尽に使いこなそうとすればするほどハードディスクという装置に思いを馳せることになるのは自然なことだった。
結局1985年7月にPC-9801用に10MBのハードディスクを手に入れたのがハードディスク購入の最初だったが、早くもその年の12月にはMacintosh 512K用に「Paradise MAC-10」というこれまた10MBのハードディスクを購入した。価格は35万円前後だったと思う。

その頃はまだSCSIインターフェースはなく無論Appleから純正のMacintosh用ハードディスクもなかった。サードパーティーからMacintoshの内部に無理矢理入れてしまうものなどが登場したが、一般的になったのはやはりSCSIインターフェースが装備されたMacintosh Plusが登場した1986年以降であった。
そのMacintosh Plusに合わせてAppleからも座布団型といわれたMacintosh Hard Disk 20が登場しハードディスクはなくてはならない周辺機器の一つとして認知されるが、何しろ当時はまだまだ高価だったのが記憶に残っている。

ところでそろそろ本題だが、Appleの純正ハードディスクは前記したMacintosh Hard Disk 20が最初の製品ではない。
Apple純正品としての最初のハードディスクは1981年9月に発表された「ProFile」という5MB容量の外付けハードディスクで価格は3.499ドルだった。この製品は前年1980年に発表されたApple III用として開発されたものだったこともあってそのスタイルと大きさは現在の目から見ると異様と思えるかも知れない...。
サイズは横約437×高さ約103×奥行き約220mmといった横長スタイルで当然のことながらApple III本体の上に乗せるとジャストフィットする。ちなみに国内価格を調べてみたが、1985年3月当時の販売価格は374,000円だった...。無論今と貨幣価値はまったく違う。

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※アップル最初の5MB純正ハードディスク「ProFile」

 
Appleはその後1983年にApple II向けとしてPascalとProDOSをサポートしたProFileインターフェース・カードを提供し同年リリースされたLisaの標準ハードディスクとしても販売された。また後に容量10MBのProFileも提供される。
最初のLisaはハードディスクを内蔵しておらず、このProFileをその頭上に乗せ、ビルトインされているパラレル・ポートあるいはオプションのデュアル・ポートを持つパラレル・インターフェース・カードに接続して使われた。
Lisaの写真を見ると本体の頭上に乗っているのがこのProFileなのである。ただし純粋にLisa用として開発された製品ではない弱みで横幅のサイズなども合わず、少々不格好の誹りを免れないがこれがApple純正品だったのだから仕方がない。

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※「ProFile」の内部。左の基板下に電源がある

 
ではなぜ10,000ドル弱といった高価なコンピュータにハードディスクが内蔵されていなかったのだろうか...。その真意は不明だが、コストをこれ以上高くしないためか、あるいはApple IIIの失敗でProFileの在庫が多く残ってしまったために再利用を考えたのか...(笑)。
あのアラン・ケイはLisaにはよいアイデアがたくさん盛り込まれていたと認めながらも、Lisaが5MBの外付けハードディスク(ProFile)を頭上に乗せなければならなかったことは致命的な妥協だと明言している。
しかしもっと深刻だったのは当時の技術的な限界もあってか、このProFileは故障しやすいことでも知られていた。したがってハードディスクというそもそもがデリケートな製品であることも含めてすでに28年も経過した今日、往時のままで完動するProFileが残っているケースは非常に稀だと言われている。さらにProFileにとって頼りのLisaもご承知のように商業的に失敗し、結果として在庫はすべて破棄され埋められたことでProFileの存在も忘れ去られた感がある。

したがってこのProFileの筐体自体がすでにかなりのレアアイテムとなっているようだ。そして現在ではハードディスクシステムをコンパクトフラッシュ化したX/Profileといった製品も知られており、安定かつ高速な利用が可能なようだ。
というわけでLisaの運命と共にこのApple最初の純正ハードディスク「ProFile」は今では知る人が少なくなった。しかし歴史の一コマを飾るに相応しい魅力のある製品だったことは間違いないのである。

 【主な参考資料】

・「マッキントッシュ伝説」アスキー刊
・「アップル・コンフィデンシャル 2.5J」アスペクト刊
・「アップルデザイン」アクシスパブリッシング刊

ラテ飼育格闘日記(122)

ラテと一緒に生活している日常で嬉しいのは気持ちが通じ合ったと感じるときだ。これまでにも多々ワンコの知能の高さなどについて触れてきたが、相手が何を考えているかがある程度わかるだけでなく、一番の楽しさはこちらの意図がきちんとラテに伝わるときだ。しかし当然だがこれがなかなか難しい。

 

ラテはオトーサンに対して基本的に絶対服従の態度で接するが、その反面おやつなどを持っている時以外自主的にオトーサンの膝に乗ってきたりすり寄ってくるようなことはほとんどない。
ただし公園などでお会いする数人の飼い主さんたちには見事なほど嬉しさを身体全体で表して接し、相手が許してくださる場合は口を舐める行動に出たり、その方の足元にすり寄ってお腹を出すといった行為をする。まったく外面のよい娘なのだが、オトーサンとしては少々寂しく、そうした姿を見ていると嫉妬したくもなる。

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※ハリーちゃんのお母さんに撫でられウットリするラテ(笑)


先日、散歩に出かけていつもの公園近くを通ったとき向こうからワンコ連れのご夫婦がこちらに歩いて来るのが分かった。そのご夫婦はたまたますれ違うとラテを撫でて下さったり声をかけてくださるが、連れのワンコは高齢でもあるのでラテと遊び回ったことはない...。ラテにとっては純粋に飼い主さんとのお付き合いなのである(笑)。

お互いに姿がわかる距離になったとき、オトーサンは軽い会釈をしラテのリードを引き「ほら...行くよ」と歩きはじめた。しかしラテはその場に踏ん張って動こうともしないのである。
こちらに歩いてくるご夫婦にもオトーサンがラテのリードを引いて先に進もうとする姿は十分見えている距離になったが、ラテは座ったままで「ウォ~ン、オンオン」とまるで挨拶でもするように吠えた。
ご夫婦の奥様がそれを見て「あらら、ラテちゃん待っててくれたの?」とわざわざ小走りに駆け寄ってくれたときラテは満面の笑顔で再び「オーン、ウォンオン」と吠えた。

親ばかは承知であるが、ワンコ好きにとってこうした歓迎はやはり嬉しいものなのだろう。その奥様はラテの頭を両手で包んでくださり「ラテちゃんは愛されるワンコだね!」と言ってくださったが、それで気が済んだのかラテは自ら公園に向かって歩き出した。
何だかちょっとしたラテ主演のショートムービーでも見ているような気がしてそうした行動を取るようになったラテをオトーサンは誇らしく思った次第。
公園に入ると、嬉しいことにラテが大好きな雑種のマキちゃんが小学生のお兄ちゃんに連れられて遊びに来ていた。
ラテはお兄ちゃんやその友達に向かって走り、飛びつかんばかりに喜びを表す。その友達もワンコ好きでひとときラテの相手をして遊んでくれたわけだが、その時のラテの表情は輝くような笑顔であった。

興味深いのは、どの飼い主さん...あるいは子供がラテが飛びついたりあるいはチューをしても許してくださるかを、この2年ほどの間で学習していると思われることだ。無論嫌いな相手に抱きつくようなことはあるわけないが、この好き嫌いは決して「おやつをくれるから」という理由だけではないのは明白だ。例えば先のご夫婦や子供の多くはおやつなど手にしていない。そして男性でも女性でもそうした行動を許してくださる相手に会うとラテは積極的になる(笑)。

なんだかまるで愛情に飢えているようなその積極的行動を見ていると、「その数分の1でもよいからオトーサンに対して向けてくれればなあ...」といつも思うのである。
しかしそんなオトーサンに対して決して心を開かないわけではなく、ただベタベタすることはないだけなのだ。
まずは散歩の途中でオトーサンの進む方向とは別の径に行きたいときラテは四つ足を踏ん張って地べたにへばりつきながらオトーサンの方に顔を向け、抗しがたい哀願の表情をするのだ(笑)。これにはオトーサンも苦笑するしかない...。
また別のワンコ...特に子犬の場合が多いようだが...に追い回され、どう扱ってよいか分からなくなるのだろうか、そんなときには逃げたくなるのだろうかオトーサンに抱きついて抱っこしてくれとせがむときがある。
普段オトーサンにそうした態度をまったく見せないラテなのでオトーサンにとっては嬉しくも愛しい行為だからと喜んで18.5Kgの重たい身体を抱き上げてしまうのである。

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※ラテとオトーサンが談笑中のシーン


さて少し前に気がついたことがある。
ラテはオトーサンの言うことをまずまず理解しているような行動を示す。視線とボディランゲージ、そして声の調子でオトーサンがなにを言っているのかが大体分かるようだ。
私たちが食事をしているキッチンに座しておこぼれをもらっているときも「もう終わりだよ、退場!」といえばラテはすごすごとキッチンから自分のハウスがあるリビングに戻る。
そんな感じでオトーサンの言わんとすることを理解するラテだが、ここのところオトーサンの左膝が痛み湿布を貼り、場合によってはサポータをして散歩に出ている。いったん散歩に出ればラテが友達と走り回ればオトーサンも頑張ってリードをなるべく張らないようにと走ることになる。したがって膝はなかなか良くならないのだが...。

それともかく自宅に戻り玄関でラテの身体を拭くときオトーサンは容易に膝を折ることが出来ず時には「痛い...」と唸りながら座り直したり身体の向きを変えたりするが、ラテはさすがにオトーサンが何をしているのか、どういう状態なのかを分からず「ポカン...」としている。
そこでオトーサンは考えたのだが、何とかラテにオトーサンはいま辛い状態なのだということをラテに知ってもらう方法はないものかということだ。馬鹿な話だが、どうしたらオトーサンがいま体調が悪く困っている...ということをラテに知らせる...認識させる方法はないかと知的好奇心を刺激したのである。

いくつかの試行錯誤の結果(笑)、こうしたときこそいわゆる “犬言語” を使うべきだと考えた。
犬言語だなんて言い方があるのかどうかは分からないが、ワンコ自身が疲れたときの行動・表情があるとすればその真似をすることでオトーサンがいまシンドイ状態なのだということを伝えることができるのではないかと考えたわけだ。
無論、ワンコが疲れたときには舌を出して「ハアハア」と身体全体で呼吸をする。そして観察していると呼吸が速いとき、すなわちより走り回った場合には舌は前ではなく口の横に「ダラ~リ」と出している。オトーサンはこれを真似してみようと閃いた。

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※駆けっこの後で舌を出してハアハアする...ちょっとバテたラテ


まあ、いい歳したオヤジがアホなことをやっているとお笑いになるかも知れないが、ま...相手はワンコだし家の中のことだから恥ずかしくもない(笑)。それにとにかくこちらの意図する事をラテに伝えることができるなら、それはそれで素晴らしいことだと考えているわけだ。

やってみました...。玄関に座り込んだ後、舌を大げさに出し、ラテのようにはいかないまでもなるべく横に長く出し、大げさに肩で「ハアハア」と息をしてみた。
最初、ぽか~んとしてオトーサンを見ていたラテの表情がいくぶん心配そうな表情に見えてきた。いや、「クーン...」と小さく心配そうな声を発したと思ったら急に顔を近づけてオトーサンの口元を「大丈夫?」とでもいうようにペロペロと舐めはじめたのである。
前記したように普段オトーサンに対して口元を舐めるようなことをしないラテなのに...。

これまでオトーサンがキッチンとリビングの間にある柵を開けるのが面倒だと跨いだとき、足をひっかけてリビング側に倒れ込んだときにもラテは心配して駆けつけてくれ、やはり口元を舐めてくれたときがあった。
明らかなことは、オトーサンのボディランゲージはラテに伝わったらしいことだ。これはその後も2度ほど試みた範囲でいわゆる再現ができるから間違いないと思う。とはいえ面白半分で回を重ねてはラテに心配をかけるわけだから本当にシンドイとき以外はやらないようにと心に決めたオトーサンであった。

Lisa 誕生の光と影の物語

世の中になかった新しい製品を作り出そうとするとき、我々はどのように考え判断し、どのように動くのだろうか。数ヶ月前から理由があって少しずつLisaのことを調べているが、思えばMacintoshの生みの親ともいえるこのマシンは何とも不運な製品であった。しかしこのLisaが生み出されなければ現在のMacintoshもあり得なかっただろう...。Lisa誕生の経緯とその失敗の物語は私にとってまとめてみたいテーマの1つなのだ。


一般的にLisaというプロダクトはスティーブ・ジョブズらがゼロックス社のパロアルト研究所(PARC)を訪れ、そこで見た暫定ダイナブック...すなわちAlto上で走るSmalltalkのデモを見て触発されたという話しが知られているが、これは文字通りには正しくない。
そもそもLisaという開発コード名でプロジェクトがスタートしたのは1979年のことらしい。ただしその際には時代背景として標準的なインターフェースを持った...GUIもなければマウスもない伝統的なコンピュータとして考えられていたようだ。

ジョブズらがPARCを訪れる経緯については別途「スティーブ・ジョブズとパロアルト研究所物語」をご覧いただきたいが、1979年も押し迫った頃に初めてジョブズはPARCを訪ね、そのグラフィカル・ユーザーインタフェースに度肝を抜かれた。
彼は「人生で最良の物を見た気がする」「理性のある人なら、すべてのコンピュータがやがてこうなることがわかるはずだ」と言い放った。

こうしてジョブズの意思が結果として我々が知ることになるLisaを生み出すことになったことは間違いないが、ことは簡単ではなかった。当時ジョブズはApple IIIの失敗の要因となっていたこともあり、新しい事に首を突っ込みたくてうずうずしていたのである。
そしてLisaの開発はジョブズの思い描くようなコンセプトを持つようになっていったし、PARCからはタイミングはともかくラリー・テスラーをはじめ、アラン・ケイやスティーブ・キャプスら15名ほどの人員がAppleに移ることになり、企画自体は徐々に注目を浴びるようになっていった。
しかし当時Appleの社長であったマイク・スコットはApple IIIの失敗はジョブズが主張した設計要求のためと考えていた。したがって同じ失敗を繰り返さないようにと人員を含めて組織の変更を考え、ジョブズをLisaプロジェクトチームのリーダーから外すことを決断する。

話が先走るが、行き場を失ったジョブズが結果として次に首を突っ込んだのがジェフ・ラスキンらが少人数で開発を進めていたMacintoshプロジェクトだったのである。したがって、もしジョブズがLisaの開発リーダーとして最後まで君臨していたとするなら、Lisaの仕様に彼の影響がより色濃くなったであろうし、そもそも1984年に登場したMacintoshはまったく違った様相となったかも知れない...。
結局Lisaはヒューレットパッカード社にいたジョン・カウチがプロジェクトリーダーとなり、200人/年の人員と5000万ドルもの開発費をつぎ込み1983年1月19日に正式発表された。

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※1983年1月19日に正式発表されたLisa (1983年10月号APPLEマガジン表紙より借用)


Lisaがこれまでにない優れた仕様を有していたことは確かだが、その開発には大きい問題が生じたことは想像できる。そのひとつがApple独自のフロッピーディスク・ドライブ(5.25インチTwiggy Drive)をゼロから作り出そうとしたことだ。この開発は困難を極めたようで、事実出荷後もトラブル続きだった。

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※Apple独自のフロッピーディスク(5.25インチTwiggy Drive)のディスケット「Fileware」


当時Appleは...というよりジョブズはサードパーティー製の製品を使うことを嫌い純血さに拘りすぎた。
こうしたトラブル以上に大きな問題もあったがそれは技術的なことではない。
前記したようにLisa開発を推進するためにAppleは時代を代表する超一流の頭脳を集結させたが、天才たちを一同に集めたからと言って物事が最良にそして理想的に運ぶものではないことを私たちは十分想像できる。
新たに加わった開発者たちはロボットではなかった。Appleの思惑は理解したとしてもそれぞれが個性と意思を持った経験豊かな人たちであり、ましてや彼らはひとり1人自負するモノを持っていた。

もし、ジョブズが100% Lisaプロジェクト進行の権限を持ったところで学位を持ったこれら才能ある技術者たちはジョブズを企業家として尊敬するとしても技術的な問題に...それも細かな点まで口を挟まれるのは嫌だったに違いないしジョブズの意見に懐疑的であったろう。早く言えば本当の意味でビジョンを共有できなかったのだ。
ましてやジョン・カウチの元で天才たちがそれらの能力を十分発揮し協力体制が確立できたかどうかは疑問であり、その開発の進め方はすでにAppleらしさが欠如していたと思われる。当然のことながら2人しかいなかったApple IIの開発当時と状況はまったく違うのである...。

結局Lisaは知られているように、モトローラのCPU 68000 / 5MHz、1MBのメモリ、容量860KBの5.25インチフロッピーディスクドライブ2台、12インチ/720×364ピクセル・モノクロビットマップディスプレイ、ワンボタンマウスとキーボードを備え、Apple III用の外付け5MBハードディスクといった仕様となり、他のマシンとの互換性がないこともあってか専用7種類のアプリケーションを同梱の上で出荷された。
ただし歴史は止まっていない。動き続ける...。
ジョブズがLisaプロジェクトから離れざるを得なくなった1980年以降Appleは大きく変化していった。
翌年1981年にはマイク・スコットの代わりにマイク・マークラが社長に就任し、ジョブズは会長職に就く。そして1983年にはジョブズの説得でペプシコーラのジョン・スカリーをCEO兼社長としてヘッドハンティングすることに成功した。
結局これまでの経緯を知る由もないスカリーはジョブズの求めに応じてMacintosh開発の権限をジョブズに認めただけでなく、後にはLisaとMacintoshをひとつの部門に統合しジョブズ自身が指揮をとることにゴーサインを出した。

ともかくLisaは出荷されたもののその販売に躓いた。AppleはLisaの問題点を検証し、ソフトウェアを付属させずに価格を下げ、故障が多い5.25インチフロッピードライブ(Twiggy Drive)からMacintoshと同じソニー製の3.5インチに変え、ハードディスク内蔵タイプの仕様に変更し、Lisa2とする。

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※Lisa2のオーナーズガイド(当研究所所有)


1985年には10MBの内蔵ハードディスクタイプであるLisa2/10をMacintosh XLと改名しMacintoshのラインナップに組み入れ延命を図る...。しかしこれらは表向きの発表であり、この時期もともとLisaチームとMacintoshチームの開発者たちは兼務していたビル・アトキンソンなど一部の人材を除けば両者の間に軋轢があったことは間違いないようだ。

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※1984年発行AppleのMacintoshカタログより。当時の関連製品ラインナップはMacintosh 128K, 512KそしてLisa 2/10だった


なにしろジョブズは両部門の統合の後、Lisa部門の人たちに「君たちはもう終わりだ。多くをレイオフしなければならない」と言い放ったという。
ましてや両チームが統合されたことで悪い面が目立ち、Macintosh部門の中にはLisaの部品調達を優先とは考えず、意図的にMacintosh XLの製造を遅らせるように画策したという噂もあったくらいなのだ。

Lisaがビジネスとして失敗したことは事実だし、その最大の原因は10,000ドル弱というその価格だったという話が定説となっている。勿論価格の問題は失敗した要因の1つなのだろうが事はそんなに単純なものではないと思う。
セールスというものは製品に対するコンセプトの与え方とそのターゲットとなる市場ならびにその売り方を間違えなければ高価だからといった理由だけで売れないといった単純なものではない。逆に安くてもやり方を間違えば売れないわけだ...。
Lisaの失敗はAppleがこの高価なパーソナルコンピュータを売った経験がなかったという理由を挙げる人もいるし、Lisaのスピードが大変遅かったのが原因だという人もいる。しかしLisaが成功しなかった最も大きな要因はMacintoshそのものにあったという話しには説得力がある...。
何故なら1983年にリリースされたLisaだが、その販売の初期から「近々ベビー・リサ(Macintoshのこと)というLisaの能力を超え、低価格なマシンが登場する」と言うことをジョブス自身やAppleの広報がリークしていたという話しもある。これではLisaが売れるはずもないではないか。

確かに先進的な仕様のLisaだったが、ジョブズは自分をLisaチームから外したマイク・スコットを許してはおらず、結果として自分の目の届かなかったLisaに報復を図ったと考えるのはうがった見方だろうか。
だとすればジョブズは未婚の恋人が生んだ娘の名を自らLisaの開発コードネームとしながら、Macintoshに肩入れをするためもあってここでもLisaの存在を拒絶したことになる。

さて、Lisaに限らずこの世の中に完全無比の製品など存在しない。Lisaにも欠点が多々あったがパーソナルコンピューとして初めてGUIを採用しマルチタスクを実現した間違いなく時代の最先端をいったマシンだった。
商業的に失敗したことでLisaは忘れ去れた感があるが、Lisaはパーソナルコンピュータの歴史にあってもっと評価されるべき製品であろう。そしてその失敗はこれまで見てきたようにLisaそのものにあるというより当然のことながら当時のAppleの考え方や企業方針に翻弄された結果と見るべきかも知れない。
さらにMacintosh XL (旧Lisa2/10)の販売中止を発表した1985年4月29日の翌月5月にはAppleの取締役会たちとジョブズの関係が悪化したことを理由にスカリーはジョブズをAppleのすべての責務から外すことになり同年9月17日、ジョブズは辞表を提出してAppleを去った...。
無論ジョブズ不在のAppleにとってMacintoshはもとよりだが、ビジョンを失ったLisaの運命は知れていたというべきか。

アップルの在庫を引取りアップグレードを図ったサン・リマーケティング社の努力にもかかわらず1989年9月、Appleは税務対策の意図もあってLisaを完全に葬ることを決断し、ユタ州ローガンの埋立地に埋められることになった。ここにLisaの命運は尽きた。
結局スティーブ・ジョブズにより発案され大きな影響を受けて開発推進されたLisaはスティーブ・ジョブズの失意と共に葬られてしまったという気がしてならないのである。
Lisa の失敗は往時のAppleの人間模様を見るよすがにもなっているのかも知れないし、その後Appleの失墜を予言したものであったのかも知れない。

【主な参考資料】

・「アップル・コンフィデンシャル 2.5J」アスペクト刊
・「マッキントッシュ伝説」アスキー出版局刊
・「アップルデザイン」アクシスパブリッシング刊
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Author:mactechlab
主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。2017年6月3日、時代小説「首巻き春貞 - 小石川養生所始末」を上梓(電子出版)。続けて2017年7月1日「小説・未来を垣間見た男 スティーブ・ジョブズ」を電子書籍で公開。また直近では「木挽町お鶴捕物控え」を発表している。
2018年春から3Dプリンターを複数台活用中であり2021年からはレーザー加工機にも目を向けている。ゆうMUG会員