ラテ飼育格闘日記(221)

ラテを飼い始めてからオトーサンのライフスタイルは一変した。とにもかくにも自分で好んだ選択だから何を差し置いてもラテを中心にしようと決心したわけで、旅行はできないし睡眠時間だって土日や祭日でも早起きになってしまった。しかし思いもしなかったことだがラテを媒体にして子供たちと知り合えたこともオトーサンの楽しみのひとつになった。


先日の夕刻、ラテと一緒にいつもの公園に入っていった。向こうにはお馴染みの小学生の女子たちが楽しそうに遊んでいる姿が見える。オトーサンたちは公園の周囲を回りながら子供たちに近づいていった...。
ふと前方を見るとオトーサンと同年配に見える男性が女の子に声をかけているのが見えた。まだ距離があったのでどんな話しをしているのかは分からなかったが、男性は女の子と別れた後に頻繁に後ろを振り向くのがオトーサンにはちょっと不自然に思えたもののまあまあ特におかしな雰囲気ではないようなのでそんなに気にもせず男性とすれ違って子供たちの集団に入っていった...。

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※ラテは何をされても子供たちには大人しい


ふと気がつくと小学校六年生の女の子が先ほどの女の子を含む低学年の子供たち数人になにやら注意をしているのだ。
耳をそばだてると「あ~気持ち悪い...。ねっ、あんたたちも絶対にあのオヤジについていってはダメよ。あれ怪しいからね。あ~嫌だ!」と嫌悪の表情をしている。
思わずオトーサンは「どうしたの?」と聞いたところ、いまのオヤジは子供たちが1人でいると近づいて「ツタヤってどこか教えてくれない?」と声をかけるのだそうだ。
ツタヤとはあの “TUTAYA/蔦屋” のことだが公園からだと木々といくつかの建物で見えないものの、国道の方向に出ればすぐに見える位置にあるからほとんどの子供たちも知っているはずだ。
だから「そこの道を出ればわかります」とかいうと「おじさんこの辺わかんないのでそこまで一緒に来てくれない?」とかいって誘うらしいのだ。それも1度ならそうかも知れないが子供たち曰く数度そうしたシーンを目撃したという。

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※公園に咲く白梅が綺麗な季節


それが本当なら確かに怪しい。オトーサンは「同じオヤジがいうのも変だけど絶対に付いていってはダメだよ。男の人には『分からなかったら大人に聞いて』といってやんな...」そして「低学年の子を1人にしないようにね」というと「はい、皆に絶対に付いていかないように言ってあります」という。
まあまあ今の子供たちは本当にしっかりしているものの相手は大人でありもし悪意があれば子供たちの1人くらい力尽くでどうにでもなるだろうから...怖い。
無論そのオヤジにオトーサンは再び会ったことはないから子供たちの過剰反応なのか、あるいは本当に変な男なのかは分からないが注意をするに越したことはない。

しかしふと思い返してみるとオトーサン自身だってラテがいるからこうして子供たちと親しく話しをしたり遊んだりできるようになったが、お互いいまだかってどこの誰かも知らないわけだから、考えようによっては変なオジサンなのかも知れない(笑)。
とはいえ昨日今日に会ったばかりというわけではなくすでに三年以上も頻繁に出会っているから子供たち同士で情報が行き渡っているのかも知れない。
あくまで「ラテ、ラテ!」と駆け寄ってくれ、ある時は一緒に走り、ある時には自分たちの遊びにラテを誘ってくれ、ある時は抱きしめたりして可愛がってくれる子供たちなのだ。
彼女たち独特の世辞なのだろうが「ラテちゃん、大~好き」などと抱き寄せてくれるからオトーサンも悪い気はしない。

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※友達ワンコを見つけたのか、笑顔で飛び出そうとするラテ


そのうち少しずつ子供たちも学校のことや友達のことを話すようになり、時には「人を好きになるって辛いことね...」などとおませな台詞までオトーサンの前でいう女子もいる(笑)。
オトーサンが近づくと「オジサン、あのね...」などと積極的に話しをしてくれる子供も多くなった。
またどういうことなのか、オトーサンに「はい、これっ!」と菓子を差し出してくれる女の子もいる...。
オトーサンも最初はいぶかしく「ありがとう」と言いながらも「これってラテ用かな?」と聞いてみたが「ラテにあげてはダメだよ、それ人間用だから」とのこと(笑)。
子供にとってクッキーひとつ、ポッキー一本でもそれは自分のものと考えるのが普通だろうから、オトーサンは正直感激してしまったのである。
オトーサンはその場で封を開け口に入れ「美味しいね、これ」「ありがとう」といった...。

とはいえそれが続くと、嬉しいもののオトーサンも些か負担になってくる(笑)。
自分の孫のような子供たちに「オジサン、これ」とお菓子を差し出されて嬉しくないはずはないが、大の大人が菓子ひとつとはいえ貰ってばかりではどうも居心地が悪い。でもまさか善意でくれるものを「オジサンは要らないよ」と断るのもせっかくの気持ちに傷をつけるようで嫌だ...。
そこである日、頂き物のお菓子を少しバッグに入れて散歩に出ることにしたのである。

それらの女の子に会ったとき「いつもお菓子ごちそうさま。今日はオジサンからこれお返しだよ。友達と分けて食べてね」と小さな箱を渡した。
ただしオトーサンは「お父さんやお母さんから、知らない人からものを貰ってはダメだと言われているだろう?」「しかしオジサンとは知らない仲ではないからいいかな?」と聞くのを忘れなかったがそれらの子は「ラテのオジサンは知らない人じゃあないもん」と嬉しそうな顔をしてお菓子を握りしめた。
それからたまに常連の子供たちにお菓子を持って行くことにしたが、子供だからこそモノを渡すのは難しい。
単にお菓子を配り歩く変なオヤジになっては困るし(笑)、子供たちがこれまた偏った”貰い癖” でもついたらそれはオトーサンの責任である。

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※心地よい散歩の疲れからか、床でうとうとし始めるラテ


それからもうひとつオトーサンは子供たちに「もし箱や袋の捨て場所がなかったらオジサンの所に持ってきてね」というのを忘れなかった。なぜなら最近は公園でもセキュリティのためなのかゴミ箱が設置されていないのである。もし子供たちがそうした菓子の袋などを無造作に捨てるようなことがあればこれまたオトーサンの責任重大だ。
とはいえある日、ひとりの女の子が「オジサン、これ...」と空き袋を差し出したのを受取ながら「皆いい子たちだなあ」と頬が緩んだオトーサンであった。
そして子供たちはともかく屈託がない。オトーサンがお菓子を持っている、いないにかかわらず「ラテ、ラテ」と駆け寄って可愛がってくれる。
この良い子たちのためにもマジでこれからの日本が平和で住みよい国であって欲しいと願わずにはいられないオトーサンであった。

裾分一弘著「レオナルド・ダ・ヴィンチ - 手稿による自伝 -」入手

これまでにもレオナルド・ダ・ヴィンチ関連の書籍やら手稿やらに関していくつかのトピックをご紹介してきた。レオナルド・ダ・ヴィンチについてのあれこれを知ることは私にとって大きな楽しみのひとつなのだが困ったことに手稿はもとより欲しい関連図書のほとんどはすでに絶版だったり高価だったりで入手が困難なことである。今回も古書ながら状態の良い中央公論美術出版社刊「レオナルド・ダ・ヴィンチ - 手稿による自伝 -」(裾分一弘著)をやっと手に入れた次第。                                                                                 

本書は1983年(昭和58年)7月に発行されたものだが当時の定価で3,000円だったから些か値の張る書籍である。無論高いか安いかはそれを欲する人の考え方、価値観1つではあるが、裾分一弘先生の著書は一般的に高価なだけでなくすでに絶版のものが多いし再版されたというものはほとんどないようだ。したがって「レオナルドの手稿、素描・素画に関する基礎的研究」や「レオナルドに会う日」もそうだったが、丹念に古書を含めて探さない限り良い状態のものを手に入れることはなかなかに難しいのである。

とはいえレオナルド・ダ・ヴィンチを真正面から知るには世界的にもレオナルド研究の第一人者として知られている裾分一弘先生の著書を読むことは私にとって喜びであるし不可欠でもある。
さて本書を簡単に申し上げるならその帯に書かれているように「レオナルド自身が書いた手稿にもとづいて、その一生を追う画期的な伝記。周辺の伝記や古記録を援用しながら、女性観、絵画論、解剖、晩年の世界の終末観まで、レオナルドの内面から人と芸術を解き明かす。」というものだ。

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※中央公論美術出版社刊「レオナルド・ダ・ヴィンチ - 手稿による自伝 -」(裾分一弘著) 化粧箱デザイン


誰もがその名を知っているレオナルド・ダ・ヴィンチだがその遺作は驚くほど少ない。パリのルーヴル美術館に収蔵されている「モナ・リザ」は勿論としても「聖アンナと聖母子」「洗礼者聖ヨハネ」、フィレンツェのウフィツィ美術館収蔵で未完の「三博士礼拝」、ミラノのサンタ・マリア・デレ・グラツィエ寺の「最後の晩餐」などを数えても十指を出ない。
本書によればほぼ同時代の画家、ドイツのデューラーは油彩画約120点、17世紀のレンブラントは100点を数えているというからそれらと比べるとレオナルドの作品は驚くほど少ないのである。
ただし以前「マドリッド手稿」でもご紹介したとおり彼は直筆の手稿を6000ページとも8000ページともいわれるように膨大な数を残している(失われた量も多いらしいが...)。

その中には意外と多くの素描をはじめ自然観察の記録、日記や書簡の草稿、日々の断想や所見といったものがいわゆる鏡文字で書かれている。したがってもともとレオナルドの人と芸術を伝える直接的な資料は、公的な記録や契約書の類を含めても決して多くなく、ヴァザーリの「レオナルド伝」などが貴重な存在となるわけだが、そもそもヴァザーリが書いた「美術家列伝」にあるレオナルドがフランソワ1世の腕の中で亡くなったという記述にしても歴史的に正しくないし、ヴァザーリがいう「モナ・リザ」の説明も現実に彼はその実物を一度も目にすることなく書いたと推察されるなど、記述の多くは事実とほど遠いものと考えられる。

無論直筆の手稿すなわち本人の残した記録がそのまま真実であったかどうかについては判断が難しい点もあるし彼は自身の身の上に関してはほとんど記録を残していないのである。
本書は伝記やそれらの研究書を参照しつつ、基本的にはレオナルドが記した手稿を元にして彼の芸術と人となりを語らしめようとしたものであり、つまりはレオナルドの手稿から伝記を紡ぎ出そうという裾分一弘先生ならではの試みなのだ。とはいえ伝記といってもレオナルドの生い立ちを時系列に追っていくという単純なものではなく例えば「左利きの少年」「永遠の女性像」「レオナルドの無学」そして「画家いかにあるべきか」といった章毎にレオナルドの芸術と人となりを浮き彫りにするといった内容である。

私にとって特に興味の対象は本文はもとよりだが、巻末に用意された「レオナルド・ダ・ヴィンチ年譜」や「手稿本の年次一覧(抄)」である。
ともかくも本書をはじめ裾分一弘先生の著書を開くと何だかレオナルドに会えるような...会った気がして楽しくなるのである。
なおこの原稿がアップされている頃には同じく裾分一弘先生が1977年に出版した『レオナルド・ダ・ヴィンチの「絵画論」攷』が届く予定になっている....。これまたページをめくっていくのが無類の楽しみだ...。

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「レオナルド・ダ・ヴィンチ - 手稿による自伝 -」
発行日:1983年7月25日  発行

・著者 :裾分一弘
・発行所:中央公論美術出版
・定価:3,000円
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ラテ飼育格闘日記(220)

過日の2年ぶりの積雪はラテにとって大変楽しい思い出となったようだ。しかし歌の文句ではないが、どうして犬はこうも雪が好きなんだろうか...。無論知り合いのワンコの中には寒さに弱いワンコもいて全てが「雪大好き!」というわけでもないのだろうがオトーサンも雪靴を履き、ラテと共に歩いたり走ったりしたので些か足腰に響いている。


まあまあオトーサンだってラテがいなければ積雪の寒い朝、それも6時に起きていそいそと散歩に出かけるようなことは絶対に...間違ってもやらない(笑)。それもひとえに我が娘を喜ばしてやりたいという親心こそだ。
2月11日から降り始めたミゾレは夜半から雪に変わり12日の朝と続く13日は人通りのない場所だと綺麗に雪化粧されていた。
オトーサンの住んでいる場所では昨年積雪が無かったから、これは2年ぶりの本格的積雪なのでラテを喜ばせようと早起きしたわけなのだ。

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※見慣れているはずの景色もモノクロームのような世界で新鮮


雪国の方には叱られようが、交通機関に支障がなければ1年に2,3回ならこうした雪景色を見られるのも楽しい。
散歩途中の木々に積雪がまとわりついて見慣れた風景が実に美しく新鮮に映るし、帰りには日が射してきて真っ白な枝枝がだんだん黄金色に染まっていく風景は見事というか荘厳な気持ちになる。
そんなわけでオトーサンたちは雪景色の妙を堪能しようと上を見て歩くがラテはあくまでも積雪の感触を楽しむためか、まだ誰も踏み入れていない真っ新の雪の山に入っていきクンクンばりに精を出している。

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※木々に積もった雪に朝日が当たり黄金色に染まっていく...


ともかくいつもの公園に入ると嬉しいことに友達ワンコのボーちゃんが遊びに来てくれた。
ほんの数センチの積雪だとは言え、オトーサンたちにとっては歩きづらいが2匹のワンコは所狭しとかけずり回り、雪の塊にオシッコをかけそして雪を頬張っている。

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※ラテとボーちゃんは同じ雪の塊に鼻先を突っ込んで遊ぶ(上)。翌日はビーグル犬のハリーちゃんも参戦(下)


普段は土や草むらをクンクンと嗅ぎ回るワンコたちだが一面雪で地面の臭いが消されたのかよく見ているといつもの場所とは違う場所を嗅ぎ回ったりしているのが面白い。
公園には誰が作ったのか枯れ草や土混じりの不格好な雪だるまや子供なら入れそうな立派なカマクラがあったりする。やはり子供は勿論、雪で遊ぼうと日中いろいろな人が集まったものと見える。

そういえばラテの学習能力もなかなかのものだ。なぜなら生まれて初めて一面雪に覆われた公園の前に立ったとき怖がってなかなか中に入ろうとしなかったし、子供たちが作った雪だるまやその出来損ないの塊も怖いのか近寄ろうとしなかった。
それが雪の面白さと心地よさを知り基本的に安全なんだと学習したのだろう、足跡の無い場所を選んで突き進み鼻先を突っ込み前足でかき回して喜んでいるのだから面白い。
また雪の塊もいまでは友達ワンコとマーキング争いのターゲットになっている(笑)。

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※誰が作ったのか、かまくらをバックにラテとオトーサン


その積雪の中、友達ワンコと体をぶつけ合い走りっているラテはとても楽しそうだった。しかしリードを持っているオトーサンや女房は完全武装で挑んだにもかかわらず足元からジンジンと冷えが伝わってくるし裾も濡れてくるから本音は少しでも早く帰りたい。しかし娘はそんな親の気持ちなど一向にかまわない様子で鼻先を雪で飾っている(笑)。
それに体毛が長い部位はともかくいかにも皮膚が露出している腹を雪に密着してわざわざ腹ばいになったりしている姿を見るとこちらの方が震えてしまう。
30分ほど遊ぶとさすがにラテも疲れてきたのか動きが鈍くなってきた。引き上げ時だと思い「帰って食事しよう!」と声をかけ帰路についた。ラテは何だか名残惜しそうに帰り道も積雪のある場所を選んで歩く...。

「犬は喜び庭駆け回り...」だったか、まさに歌の文句さながらに雪を楽しむラテだが、翌週さらに多く降った夜は些か困ったことが起きた...。
本日記(217)で5年目にしてラテは初めてオトーサンたちと一緒に寝るようになったことをご紹介したが、14日の夕刻からにわかに雪が降り出し先週とは比べものにならないほど積もり始めた。
その夜もラテは女房の横にその大きな体を横たえて眠り始めた...。
どのくらいの時間が経ったのかはわからなかったがラテが「ウッ...ワッ...ウフッ」と声を出し始めたのでオトーサンは眼が覚めた。時計を見ると零時を回っている...。
最初何事かと思って耳を澄ますとどこかでワンコが吠えているからその声に刺激されたのかと思い「大丈夫だよ」と声をかけ、頭を撫でてやった。ラテは大人しくまた頭を下げて寝る姿勢を見せたのでオトーサンも安心して布団をかぶったが、暫くして今度は「ウォン、ワンワンワン!」と本格的に吠え始めたのだ。

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※自分の足跡がついた積雪に伏せて遊ぶラテ。いくらなんでも冷たくないのだろうか...


そもそもこれまで一緒に寝るということはなかったし、一人で寝ていても夜に吠えることはまずないのでそれは珍しいことなのである。最初は何が原因なのかもわからないし真夜中に響く吠え声を出されては我々はともかく近所迷惑だ。
困ったな...と想いながらどうしたものかとラテの頭を抱え込んだとき理由が分かった。
屋根に積もった雪が「ズッ...ドン!」と地面に落ち始めているのだ。
風で窓のシャッターが音を立てたり、雷や花火の音も怖がらないラテなのだが、この音は未体験なのだから不気味なのだろう。それにしても「ラテ、あの音はね...屋根に積もった雪...そうそうお前が大好きなあの雪が積もって落ちる音なんだ。だから怖くはないんだよ」と言い聞かせてわかる訳はないのが問題である(笑)。
その間にも「ドサッ!」と音が断続的に続き、その度にラテは吠え声を上げる。嗚呼...。

このままでは収まりもつかないのでラテを階下のリビング(ラテのホームポジション)に連れて行きしばらくオトーサンはラテの体を抱いてあげる。そういえばオトーサン、まだ寝間着のままだったがラテの体が温かかったのでしばらくはそのままだったが、さすがに真夜中の暖房を入れていないリビングは寒いので、風邪をひかないようにと普段のとおりに着替えてから再びラテの元へ。
しかし落雪は断続的に続き、その度にラテは天井を見上げながら「ウッ...ウッ」と不快感を表す声を立てる。
まあ、オトーサンがこうしてラテを抱いていると少しは安心するのか大きく吠えることはないので仕方なくオトーサンはそのままラテの温もりを楽しみながら?付き合うことにした。
小一時間ほどすると落雪の音もほとんどしなくなったのでラテをリビングに置き、オトーサンは洋服を着たまま布団に潜り込んだがあっという間に目覚まし時計に起こされる時間になった...。
睡眠不足の眼を擦りながらオトーサンは窓のカーテンを開けて見ると、そこは見事な銀世界が広がっていた。

ラテ飼育格闘日記(219)

愛犬とのコミュニケーションを図りお互い理解を深めるには一緒に散歩することが一番だという。今回はその散歩に際してあまり注視されていないものの非常に重要なリードの使い方をテーマにお話しをしてみたいと思う。                                                                                                
愛犬との散歩はいろいろと目的が考えられる。まずは「運動をさせるため」ということがあるだろうし排泄をさせるためという飼い主もいるかと思う。
その運動を第一目的と考える人の中には「うちの犬は庭でかけずり回っているから散歩は必要ないのでは?」と思っている方もいるようだ。しかし獣医師の野村潤一郎氏は著書「犬に関する100問100答」で、その考え方は間違いだと指摘している。
自宅の庭はワンコにとって自分の縄張りであり、そこで遊ぶのと他の公園などで遊ぶのはまったく違う意味を持つという。野村先生は「犬に、外の世界を見せるのは非常に重要」という。

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※友達のハリーちゃんと一緒に


散歩は飼い主との共同作業でもあり、ワンコにとって飼い主の後ろ盾で安心して遊び、様々なことを経験し学習する場でもあるのだ。事実散歩はワンコの能力を効率的に伸ばすという。人間同様にワンコも良い意味での刺激を受けることで能力を開眼させるものだといえる。
実際にワンコと日々散歩を実行している方はお分かりだが、1時間ほどの散歩だとしてもその間さまざまな出来事があるものだがその多くは当然ながら飼い主とのやりとりが主となる。
どっちの方向に歩くのか、右か左か、階段を上るのかまっすぐ行くのか、池の向こう側を通るのかこちら側かといった単純な選択からそうした過程で出会う他のワンコとのやりとり、自転車や自動車からワンコを守る安全な歩き方、行き交う人々からの様々な刺激、そして猫や野鳥の類あるいは昆虫やゴミの山との出会い...(笑)。
そうしたあれこれを飼い主のリードさばきや声をかけ、ボディランゲージなどを含め、ワンコと飼い主というひとつのグループミッションを体験していくわけだ。

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※通行人たちの反対側をオトーサンについて歩くラテ


その散歩で一番大切なのは安全を考慮することだがそのためにも飼い主はワンコをつないでいるリードの扱いに十分慣れなければならない。
余談ながら先日ラテと散歩をしているとき、後ろから近づいてきた見知らぬワンコ連れの方から「お宅のワンちゃんはきちんと並んで歩くイイコですね」と声をかけられた。その方は連れの小型犬を飼われたばかりなようでリードをあっちこっちに引っ張られて大変だという。
そして「どのように教えたらいいのでしょうか?」と質問されてしまったのである。

まあ...事は歩きながら数分で話せる話題ではないし、当のオトーサンだって四年間苦労してここまできたのだ(笑)。とはいえ邪険にするわけにもいかず歩きながらひとつふたつポイントをお話しした後「根気強く続けることですよね」と申し上げた。
オトーサンは初めてラテにリードを付けて外に飛び出した日のことを今でも覚えている。
その時はラテも幼かったし一緒に散歩をしたこともないオヤジにリードを引かれるわけで心細かったに違いないが、そんなに反抗するようなこともなかったものの道ばた脇の草むらに突進し、落ち葉が風で動けば飛びつき、石垣の上にトカゲを発見したときには立ち上がってみたりと一瞬もジッとしているときがなかった。

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※ラテも今年の6月で5歳になります...


さて、愛犬との散歩で大切なのは文字通り飼い主がリードを引くと共に散歩する道筋やそれにかかる時間などをコントロールするイニシアティブを取ることだ。
たまたま散歩している方の中には愛犬にリードを引っ張られて犬が行きたい方向ばかり引き回されている場面に出くわすこともあるが、そうした散歩の仕方は飼い主と愛犬との力関係をいたずらに悪くしてしまうものらしい。したがって散歩に出る時間、どこに向かうか、どの道筋を通るか、どんな遊びをするか、そしてどの程度の時間をかけるかなどなどすべてにおいて飼い主側の強い意志に基づいてコントロールする必要がある。

散歩を体験して最初に困ることはやはり愛犬の引きが強く、思うように歩けない...ということかも知れないがまずクリアしなければならないことは愛犬を左側に近づけて(慣れたら右側にも)飼い主の歩調と合わせて歩かせることだ...。
そもそも人間の歩調に合わせゆっくりと歩かなければならないことは犬にとって意外に難しいことらしく初めはなかなか巧くいかないかも知れないが、最初はリードを短く持ち、犬が前に出すぎるあるいは遅れることがあったらリードを「ビン!」と軽く引き、その位置を正す努力をすることだ。そしてもしいうことを聞かない場合は一度「待て」とか「ストップ」と声をかけて立ち止まり、愛犬を飼い主の足元において数十秒待ち、愛犬が大人しくそれに従ってからまた歩き出すということを繰り返す。
要は飼い主のリードに合わせて歩かないとワンコ自身が歩きづらいということを学習させるわけだ。
それからリードを引く際にいわゆる "つなひき" は絶対に止めるべきだ。特に中型犬以上のワンコは力も強く本気で引かれたら女性の力ではコントロールできないこともある...。リードを引くとき、「ぎゅ~」と引き合うのではなく一端リードを少し弛ませた後に素早くそして強く「ビン!」と引く。この方が愛犬は言うことを聞きやすい。
困ったからと言って「こっちよ!」とか「ちゃんと歩いて!」などと言い聞かせても効果はないので、慣れるまでまずは無言でリードを引くことが大切だ。

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※子供たちと仲良く遊ぶラテ。オトーサンはどんな時にもリードは離さない


ラテは中型犬で体重は20キロほどになっているがやはり本気で引いたら女房だと引きずられかねないほど力が強くなっている。それを踏まえ、オトーサンは通常リードを持つ側を投げ縄のようにして手首に縛りつけて歩く。これは間違ってもオトーサンはラテのリードを離さないという決意と安全のためでもある。
力の弱い方だとワンコの引く力に負けて転倒し怪我をするといった可能性もあるから、どなたにもお勧めできる方法ではないが、オトーサンはラテがオトーサンの手からリードを引き離してワンコにしろ人にしろ飛びかかる...などということが絶対にないようにと思っているからである。
やはり幼犬のうちに飼い主の指示に従い、いたずらにリードを強く引くことのないようワンコをトレーニングすることはワンコを飼う上で最も大切なことのひとつに違いない。

そしてこれまた大切な事にリードの長さを瞬時に短くしたり伸ばしたりするできるような持ち方を工夫することだ。
オトーサンは前記したようにリードそのものを手首に縛り付けているが、さらに手元の一端を手のひらと指に綾取りのようにからませ歩いている。
無論広い公園などに入るとリードに5メートルの巻き取り式リードをカラビナを介してつなぐことにしているが、道路を歩いている間は周りの様子に合わせ、安全を第一に、その瞬間瞬間リードを短くしたり伸ばしてやる必要があるわけで、リードの持ち方...扱い方ひとつでも工夫の余地があるものだ。
オトーサンも毎日の散歩の過程で新しい発見をする楽しさを味わっている。

使い易くて高機能なドローツール「EazyDraw」を試す

暇な時間ができるとMac App Storeをブラウジングする習慣がついてしまった...。ひとつは自身が使うアプリケーションを探す楽しみがあるわけだが、もうひとつはいまどのようなツール...コンテンツが売れているのかをその販売価格などを含めて無意識に市場調査している自分がいる(笑)。ともかく先日は良いドローツールがないかと探したところ「EazyDraw」というアプリケーションを見つけたので早速買ってみた。                                                                                                                                    
突端から恐縮だがアプリケーション開発を生業にしてきた一人として私はいまこの市場で開発販売業務を専業としていなくて良かったと正直思っている。
それはMac App Storeなら確かに面白い製品を開発すれば例え個人でも世界に向けて販売ができる理屈だしその流通のための努力もパッケージの時代と比較すればほとんど不要とも思える簡便さだ。しかし当然のことながら世の中はそんなに甘くはなく、確かに大きな利益が転がり込むといった可能性はあるものの、そんな話しを期待しての参入はまず落胆の元だ(笑)。

何しろまず価格が安い...安すぎる。無論一消費者としては安いことはありがたいが今思えばバブリーな時代にパッケージソフトの開発および販売をしていた当人としては現在の状況は開発者が気の毒になってしまう。これでやる気が出るのかと...。
昔話だが、私の会社で初期に開発した VideoMagician というデジタル動画ソフトの価格は25万円だった。勿論基本的に直販はやらず流通専門の会社を通しての全国販売だったから実際に手元に残るのは満額ではないが一本売れれば社員ひとりの給料が出てしまう(笑)。
あるとき、流通大手から5本のオーダーがあったとき「これで今月は会社を休もうか」と皆で冗談をいったくらい利益率が高かったものだ。
今回購入した「EazyDraw」の価格は1,500円だが、ご承知のようにAppleに入る額を考えれば開発側の実入りは1,000円ほどだ。これでは個人で趣味としての販売ならいざ知らずビジネスとなれば開発経費を出すのはなかなか大変に違いない。

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※「EazyDraw」のアプリケーションアイコン


この「EazyDraw」だって一昔前の感覚でいうなら29,800円くらいの値付けは十分出来る製品だと思うのだが...。事実メーカーサイトでは印刷されたマニュアルとCDを含むパッケージ版は139ドルだそうである。
ただしApp Storeバージョンは例えばMacDraw, ClarisDraw, AppleWorks, of PICTといったレガシーフォーマットには対応していない点でパッケージ版とはサポートするフォーマットが違うようだ。

さて、与太話はともかく手軽で使い易いドローソフトが欲しいと思っていたが気に入ったものがなかなか見つからないでいた。とにかくちょっとした図を作る際に必要となるだけだから重くて多機能なツールは不要だと考えている。
そしていまだにMac OS Xで動作するSuperPaintが欲しいと考えている古~いユーザーなのだ(笑)。
ただしMac App Storeに登録されているアプリケーションは試してから買うというシステムではない。仕方がないのでまずは開発元のサイトで機能概要を分かる範囲で確認してからMac App Storeで購入したが、正直久しぶりに使えるドローソフトに巡り会った感じがする。

とはいえ「EazyDraw」は「機能がそこそこで初心者向け」という製品ではない。なぜなら少しずつ機能概要を確認しているが、出るは出るわ...とでも言いたくなるほど奥が深く機能が満載のツールである。

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※「EazyDraw」で知る限りの機能を開いて見た。これだけでも多機能・高機能なのはお分かりいただけると思う


またアプリケーションのメニュー表示などは日本語表記になっていないし、各ツールのアイコンたちも取っつきにくいが、ひとつひとつの機能が分かってしまえばそれこそこれまで面々と続いてきたMacのグラフィックツールと同様直感で使えるようになるだろう。

とにかく使い始めて約10日ほどになるが、起動する度毎に新しい機能に気づくという感じで奥の深いツールであることは間違いない。
無論ドローツール...すなわちベクトル系のツールだからしてすべての描写はサイズに依存せず印刷した際にもクオリティの高い図が描けるし「EazyDraw」に備わっている数々のツールを駆使すれば描けない描写はないと思うほどの充実ぶりだ。
また描いたデータのExportフォーマットもご覧のようにオリジナルデータはもとよりBMP, GIF, JPEG, KeynoteやPDFなどなどと多彩である。

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※出力フォーマットも多彩だ


機能が多すぎてひとつひとつを解説する気力もなくなるほどだから、ここでは詳細なことは遠慮させていただくが、線や多角形の描写はもとより、曲線あるいはフローチャートやプレゼン資料作成に必要なパターンが豊富なだけでなくそのオブジェクトを「Knife」ツールで分断したり、ベジエ曲線としてカープや長さ角度を調節したりとデザインツールとしても強力なアプリケーションに違いない。
勿論JPEGの写真などを取り込むこともできるし日本語を含むテキスト入力だけでなく曲線に沿ったテキスト配置までサポートしているといった具合だ。

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※曲線に沿ったテキスト配置も可能


個人的には久しぶりに使うのが楽しみなツールに出会えたという印象を受けた。ベクトル系の描写を求める方にはお勧めである。

EazyDraw


ラテ飼育格闘日記(218)

オトーサンがラテを飼うとき漠然とだがひとつの決心をした。それは人間社会と共存できるための最低限のトレーニングは不可欠としてもあまり神経質でなく大らかに明るく育てようということだった。無論初めて飼うワンコだからして思うようにならなかったことも多いが、ラテは生まれつきの気質と相まってかなり面白いワンコに成長してくれたと思っている。                                                                                                                    
オトーサンたちにとってラテは最初に飼ったワンコだからして他のワンコとの比較はできないものの散歩の途中で出会う多くのワンコたちをも観察してみると当然のことながら長所と短所は不可分に組み合わさってはいるものの、ラテは総じてなかなか面白いワンコに育ったと思っている。
その第一は良い意味で感情表現がオーバーだということに尽きる。
オトーサンたちは冗談でラテのことを「ラテン系ワンコ」と読んでいるほどだ(笑)。

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※オトーサンの脇で微笑んでいるような表情をするラテ


もともとラテをもらい受けるとき、世話をしてくださった方から表現がいささかオーバーだということは知らされていた。
その方はボランティアで保護されたワンコを一時的に預かり、里親が決まるまで面倒を見るという活動をしている方だしご自身でもワンコを飼っている。したがって様々なワンコを観察し体験した経験の中から出た言葉なので間違いはないのだろうが、オトーサンは「感情表現がオーバーなワンコ」というイメージが最初はまったく湧かなかった(笑)。
なぜなら犬種の違いはあっても性格などそんなに違うものではないという先入観を持っていたからである。しかし考えてみればワンコだって生まれつきの性格もあれば育った環境がその後の考え方や行動に大きな影響を与えても不思議ではないしそれは当然のことだという気持ちが大きくなっていった。

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※ラテとの散歩中、見事なゴッドレイに出会う


そうした気質を初めて体験したのは飼い始めた直後であった...。
駅前の人通りが激しい歩道を歩いたときのこと、オトーサン自身がリードさばきに慣れないこともあり慎重の上にも慎重をとリードを最短に保持して百数十メートルを歩くことになった。無論それはすれ違い様にラテが人に飛びついたり最悪足などを噛んだりしないようにとの配慮だった。
無論ラテが特別危ないワンコだったということではない(笑)。何しろどのような状況がラテを興奮させたりあるいは怒らせたり不安がらせたりするのかもオトーサンはまったく分からなかったわけで、とにかく人通りの多い場所では万が一にも他人に飛びかかることのないようにと万全の体制をとったからであった。

それは確かにラテの行動を強く制約し自由意志に反する歩き方をさせることになるわけだが、ことは人通りが多い場所を通過する数分のことだからせいぜいリードを強く引いて反抗を示す程度だろうとオトーサンは考えていた。しかしラテはオトーサンが考えもしなかった行動に出た。
とりあえず人通りがピークの場所を過ぎたのでリードを緩めたとき、ラテは突然後ろ足立ちしオトーサンの後ろから腰のあたりを両前足で「ドン」と突いたのだった。瞬間オトーサンは抱っこでもして欲しいのかと思ったが状況は逆だった。
ラテは不本意にもリードを短くさせられ歩行を制約させられたことを怒ったのである。
「オトーサン、ひどい!」とでも言いたかったのか、両前足でオトーサンの腰当たりを歩きながら続けざま数回突き飛ばす行為に出たのだった(笑)。

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※オトーサンの指から上手にオヤツを食べるラテ


オトーサンも「このやろう!」と思ったが、ふと周りを見ると我々を見てクスクス笑っている人もいるわけで人前でワンコと喧嘩するにのも大人げないと思うと同時に何だか恥ずかしくてオトーサンも苦笑いしながらラテの突き飛ばしを受けながら歩いた...。
この時、オトーサンは初めてボランティアの方から言われた「感情表現がオーバーなワンコ」ということはこうした事なんだということを知ったがオーバーというだけでなく気性も激しいということを認識したのである。ただし正直嫌な感じではなかった。
感情が豊かということは...あくまで人間側の理屈だが...物事に対しての反応もよく、刺激に対してどんな形にせよ考えて反応するわけだから「この娘は馬鹿ではないはずだ」と察したのだ(笑)。

そういえば最近のワンコは吠えなくなったのではないかという気がする。なぜならワンコが吠えることは良い事ではなく迷惑なことだからしてなるべく吠えないようにワンコをトレーニングする傾向にあるらしい。
確かにすれ違い様、ワンコに吠えられるのは犬好きでも気持ちの良いものではない。
しかし例えば我々が「無駄吠え」と一刀両断に切り捨てるワンコの吠え声も本当は無駄であるはずはない。それはお腹が空いた、寂しい、具合が悪い、オシッコがしたい、怖い、不安だ...などなどといった何らかの意志をアピールしたいからこそ吠えるのであろう。そうしたことを考えれば無闇に吠えることを禁じるのではなく「なぜ吠えているのか」を推察し、その原因を考えてあげることこそコミュニケーションの第一歩だと思うのだ。
とはいっても家の中で、それも夜間に吠えられては正直たまったものではないし近所迷惑でもあるが、要は「吠えることはワンコの立派な意思表示」だということを理解してやらなければワンコはストレスを増大するだけだし簡単に泣き止まないだろう。

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※前方から人が来るので少々リードを引く。親ばかだが...ラテは美しい歩き方をする


それに大切な事はワンコに不案内な人は「ワン、ワン、ワン」という鳴き声はいつでも同じでありそれは相手を威嚇するためのものだと思いがちだが、一見同じような吠え声でも表情やボディランゲージを観察しているとそれは呼びかけや挨拶だったり、近寄りたい意味合いだったりと様々なニュアンスを持っていることがわかる。
そうしたことがわかってきたオトーサンはラテが...特に外で吠えることを制止することはあまりしなくなった。勿論明らかに相手のワンコに対して敵意むき出しで吠えかかるような場合は別だが、広い公園で歓喜の雄叫びを上げたりするのはある意味良い事だと思うようになった。
だからなのかラテはよく声を出す。
散歩の途中で脇の木に登って遊んでいる子供たちを見上げ「ウォオオオン」と声をかけるし、大好きなワンコの飼い主さんと出会えばこれまた大げさと思えるほどの声を上げながら嬉しそうに近づく。
いつもおやつをいただく飼い主さんの声を聞いたりその姿を見つけると「ウォーオン」と声をかけおやつの催促をする。
向こうから下校の子供たち...それもいつも可愛がってくれる女子たちの姿を見れば、ラテは急いで近づきながら「オーン」と挨拶する...といった具合だ。
それに散歩のため家を出たときには嬉しいのだろう、しばらくの間「ウオーン、オンオン」と雄叫びを上げながらオトーサンと走るのだ。ただしありがたいのは夜間でも室内にいるときや寝るとき吠えることがほとんどないことだ。であれば日中思い通りに声を張り上げさせてやろうと思っているオトーサンなのだ。

知らない人に対してや人混みの中を歩く際には相変わらずオトーサンはリードを短く持ち、例えすれ違い様でもラテが悪さをしないように注意をするし、明らかに吠えると思われる場面ではラテを制止させて牽制もするが、なるべくラテのお喋りは自由にさせておこうと考えているオトーサンなのだ。
普段はむっつり顔のラテが好きなこと、好きな人、好きなワンコに出会うときの変容は見事という外はないし、それを見ているオトーサンの喜びでもあるのだ。

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Author:mactechlab
主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。2017年6月3日、時代小説「首巻き春貞 - 小石川養生所始末」を上梓(電子出版)。続けて2017年7月1日「小説・未来を垣間見た男 スティーブ・ジョブズ」を電子書籍で公開。また直近では「木挽町お鶴捕物控え」を発表している。
2018年春から3Dプリンターを複数台活用中であり2021年からはレーザー加工機にも目を向けている。ゆうMUG会員