ラテ飼育格闘日記(796)

ラテの容体は一進一退を繰り返しながら少しずつ悪くなっているような気がする。体力全般はやはり食欲に関わってくるようだが、ここの所食欲そのものは失ってはいないもののドッグフードに口をつけなくなってきた。しかしワンコ用の牛肉やオヤツとしてのアイテムには食いつきがよいのだが…。


先日ラテを動物病院へ連れて行った。それは首の傷を診察してもらうためだ。日々抗生剤を塗り、出血などを吸収するパッドを押しつけて包帯を巻くといった治療を自宅でやってきた。その効果があってか傷口が塞がったように思えたのでその確認の為だ。

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※しんどいですう〜


結果、医者の判断はすでに抗生剤を塗るにしてもパッドを押し当て包帯を巻くといったことはやらなくて良いとの話しだった。ただ足で掻き壊したりすれば元も子もないのでスカーフとかハンカチなどを巻き付けておくようにとの指示もあった。
やれやれ、辺りを血の雨で…といったことも過去の話だと安堵したのだが、その数日後女房がラテの周りに血の跡があると言い出した。

それは首とは別で右腰にあった小振りの腺腫がどうやら床ずれで潰れたようなのだ。とはいえ飼い主が愚痴をいっても始まらないので治療しなければならないものの首とはまた別の難しさがある場所なのだ。
腹にも近く、これまたきつく巻けばよいと言うわけにもいかないし、体型を考えても包帯で固定するのも難しい。そしてラテがその気なら後ろ足の一蹴りで取れそうな気もする。

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※ヘタレてしまいました!


実際に吸収パッドをあてがい包帯で固定してもすぐにズレてしまう。仕方がないので粘着性の包帯で体毛も含めて固定し、それを隠す意味も含めて取り急ぎ女房の古いTシャツを着せておいた。
ただし女房が仕事のときはオトーサン一人で事に当たらねばならないが、ラテは最近とみに後ろ足が弱り、なかなかまともに立っていられないのだ。
オトーサンはラテを小脇に抱えるようにし、その腹の下にオトーサンの左膝を差し入れラテの体を支えようとするがラテは暴れることもあり思うようにはいかず、治療はもとよりおむつの取り替えも容易ではなくなってきている…。

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※Tシャツとスカーフ姿のラテ


さて先日の夜、ラテが頻繁に声を上げた。オトーサンたちはその度にラテの寝ている部屋に行き様子をみることになる。寝返りをしたい場合もあるし単に寂しいから…のこともある。また傷はもとより体のあちらこちらが痛む場合もあるに違いない…。
そのとき、オトーサンはラテの呼吸にノイズが入っていることに気がついた。ゼイゼイ…とまではいかないが呼吸が荒れて苦しそうだ。正直このときは「また酸素吸入器に頼らないといけないのかな」と考え、手元にあった酸素缶などを使ってみたが改善の兆しは見られない。そんなこんなで明け方の4時頃になりオトーサンはふと思いついてラテの首の包帯を緩めた。緩めたら…呼吸が落ち着いた!

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※Tシャツ姿も見馴れてきました…


どうやら首の傷にあてがった吸引パッドがずり落ちないようにと巻いた包帯だが、この日は強く巻き過ぎたようで、それが理由で苦しかったようである。ラテ、ゴメン!
それはともかくラテの呼吸はここのところ安定しているようだが、ときに息が荒くなったり早くなったりする。そんな心配もあって過日酸素発生器なるものを購入した。酸素濃度が最高93%まで、そして流量は一分間に7リットルまでの能力がある。

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※酸素発生器とオトーサン手作りのラテ用吸引マスク


無論これは人間用であるものの医療用機器ではなくあくまで家庭用だが、ラテの健康管理やいざという時の呼吸補助に役立てたいと考えた次第。とはいえオトーサンも一時は心房細動を疑われたが不整脈であることは間違いなく、時に胸苦しいときもあるからリラクゼーションの一環として使ってみようかと考えている。





アップルジャパンのホームページ開設はいつ?

皆さんはアップルジャパンがいつインターネットによるホームページを開設したかご存じだろうか?実は1996年にJapan Developer Confoerenceが開かれそこで配布されたと思われる「Apple Marketing News for Mac Developers」というA4判リーフレットが手元に存在する。これがアップルの公式なホームページ開設宣言だった...。


まあ、今となってはアップルジャパン(当時の社名はアップルコンピュータ株式会社)がいつからホームページを開設していたか...といった事はどうでもよいことかも知れないが、歴史は歴史として知っておきたい(笑)。ということで昔話にお付き合いいただきたい…。
しかし現在のアップルのホームページは例えばソニーといった企業が自社の社歴を詳しく掲載しているのとは違い、過去にはまったく興味がないように思えるほどこれまでの経緯に関するデータはほとんどない。
あらためてNewroomの年別プレスリリースを見ても一番古いデータは2000年だ。

ともあれアップルに限らず、現在のインターネット環境が当たり前になっている世界から眺めればホームページなど大昔からあったような錯覚に陥るが現実の普及はここ25年ほど前からといったところなのである。

さて本題だが、アップルはいつごろからホームページを開設していたのだろうか?手元にそれを伺わせるひとつの印刷物がある。
1996年に開催された日本版WWDCというべきJapan Developer Confoerence開催の際にデベロッパーに配布されたと思われるA4判4ページの印刷物表紙には何か重大発表のような趣で「Japan Developer Marketingホームページ開設のお知らせ」と記されている。

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※1996年にアップルコンピュータ社からデベロッパーに配布した「AppleMarketingNews」。まだインターネットといった告知方法が確立されていない時代なのですべてが印刷物の配布だった。【クリックで拡大します】


それによれば正式なスタートは同年10月1日(予定)とあるが、記憶によれば4月末には企業のSEを対象とした会員制サポートシステム「アップル・システムエンジニアリングプログラム」のホームページを開設したようだ。そして確かに10月2日のプレスリリースにはMacintosh用ソフトウェアおよびハードウェアのデベロッパに対する情報提供ならびにより緊密な関係構築を目的としたホームページ「デベロッパワールド・ジャパン」を開設したはずだ。

このデベロッパワールド・ジャパンのホームページでは、デベロッパ向け技術資料や販売サポート情報などを提供するほか、アップルとデベロッパの情報交換のコーナーも設けられるだけでなく、エンドユーザーにとっても、アップル関連の最新情報を得られるページとして利用できた。無論登録デベロッパのみのアクセス制限が設けられたページもあったが...。

以上はあくまでデベロッパー向けとしてホームページが1996年に開設されたことを示す資料だが、一般向けにも時期を同じくしてホームページが用意されたことを裏付けるデータも過去にはあった。
今では検索にもひっかからないようだが1996年5月に当時のNIFTY-Serve の電子会議室 FMACUS メンバー有志が新機種の不具合をめぐって、アップルのサポート体制に対して疑問視する声が起こり、アップル本社で開かれたUGC関東地区懇親会の席上、直接アップルの担当者に提言書を手渡したことがある。

この辺の事実はMaug-Jの一員としてFMACCGのシスオペをやっていた私としても記憶しているところである。そして提言のひとつであった「ニフティに代表される大手ネットにユーザーサポートに関する公的な窓口を用意する予定はないか。」との質問に対するアップルの解答が「今年7月にはインターネット上にホームページを開設し、ユーザに対するサービス情報をその上で提供していく予定」というものだった。

無論そのホームページは現在のものとは違う。この辺になるとうろ覚えなのだが、当時のアップルジャパンは現在のようにJAPANとして独立したものでなくオーストラリアなどを含んだ極東地域、すなわち東アジアの一員としての位置づけだった。したがって現在のワールドワイド的なとらえ方とは一線を画したはずだ。

ただこの1996年というのがクセモノであり、その年の2月にCEOがスピンドラーからギル・アメリオに変わった。そしてその暮れ近くになるとAppleがネクスト社を買収してステイーブ・ジョブズがAppleに復帰するという重大事が起こる...。
事実当時の私はそうした混乱と変化の中ではアップルのホームページの本当の意味での充実など期待できないと考えていた。やはり現在のようなホームページの体制が整ってきたのはジョブズがCEOになってから以降だった。

私自身のネットワーク経歴は別のトピックでも書いているが、いわゆるパソコン通信は1985年から、そしてNifty(スタート時はNIF社)の運用開始は1987年4月15日だったが、そのフォーラムシスオペとしても構築から関わっていたから、私は通信とかネットワーク経歴だけは長い(^_^;)。また手元にあるプロバイダならびにNTT東日本の資料によれば、私が自宅にインターネット回線を引いたのは1996年11月27日という記録がある。さらに数ヶ月遅れて自分の会社にもインターネットが整備されたという記憶もあるから、この1996年はまさしくインターネット元年だったと言えるのかも知れない。



ラテ飼育格闘日記(795)

大雪が降るといった予報がここのところ二度ほどあったが、幸いなことに霙交じりではあったものの積もることはなく安堵した。ラテが元気な頃は積雪もひとつの楽しみではあったが、いまはそれどころではないし交通機関への影響はもとより後が大変なので降らずに済んだことは有り難い…。


ラテは特に後ろ足が心許ないものの、自力で立って室内では何とか歩き回っている。したがって多少たりとも運動をということもあるしリハビリの思いもあって、飲み水や朝夕の食器をラテの眼前に持ち込むことはせず、いつもの場所に置くようにしている。したがってラテは寝ていても自力で起き上がり、水飲みはもとより自分の足で食事の場所に歩かねばならない。

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※ラテの体調は日によって大きく変わる…


そんなことが功を奏したのだろうか、先日はカートを使わず近隣の公園まで歩くことが出来た。とはいってもまだまだ残念ながらスタスタと進むわけにはいかず、ハーネスにつけたリードをオトーサンが持ち上げてラテの負担を減らし、かつ数十歩進めば一休み…を繰り返しての歩みである。
ただし横断歩道だけは別で、信号が青の間に渡りきらねばならないからラテに少々無理をさせて急がなければならないが…。

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※カートもなく、よく頑張りました!


すでにカートに乗せて数度近所の公園に連れ出したが、こうしてハーネスにリードだけはラテが寝込む当日、すなわち昨年12月24日ぶりである。
ただまだまだ思うように歩けない物の、ラテ自身もどこか嬉しそうなのがオトーサンの励みとなる。また幸い公園には幼稚園年長組のときからラテと遊んでくれている中学生のお姉ちゃんらがいて「ラテちゃん、久しぶり!」と歓待してくれた。
その姿をカメラに収めようとオトーサンが構えると、珍しいことに普段カメラを向けるとそっぽを向くラテがカメラ目線でこちらを向いてくれた。

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※久しぶりに会うお姉ちゃんたちとカメラ目線で(笑)


ということでほんの10分程度だが、大好きなお姉ちゃんに撫でられたラテは心なしか戻る足取りも軽かったしオトーサンも馴染みのお姉ちゃんからバレンタインだとチョコレートをいただき笑顔で帰宅した。
実は同じ日の少し前、そのお姉ちゃんのオカーサンがラテの様子を見に来てくれ、オカーサンからもチョコレートをいただき、オトーサンにとってもラテにとっても実に良き日となった。

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※ご近所のオカーサンがラテの様子を見に来てくださいました


とはいえラテの首の傷の完治はまだまだ先のようだし…いや先が読めない。大きな腫れ物がパンクしたわけで本来なら切除手術はともかく内部を洗い完全に消毒洗浄したいところだが、いまのラテの体力・状態では無理だという。したがって何とか化膿しないよう抗生剤を使い傷口が塞ぐのを待つしかない。
そんなわけで一日一度、女房と一緒にラテの包帯を取り替えることをやるが、最近は血しぶきが飛ぶようなことはなくなったものの神経を使う作業なので疲れる。

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※ラテとオトーサンの自撮り(笑)


ラテが現状をどのように感じているかは分からないが、鬱陶しいだけでなく痛いのではないかと思うとやるせない…。ただし日によって調子の良い悪いがあるもののラテは文句も言わずに頑張っている訳で、オトーサンたちが弱音を吐くわけにはいかない。
こうして今日も貴重な一日が過ぎていく…。




ラテ飼育格闘日記(794)

人間も歳を取ると長患いはともかくとしてもあちこちに支障がでるようになる。足腰が痛いとか心臓を始めとして内臓に疾患を生じたり、視力にしても白内障や緑内障もあり得るし、ご承知のように癌といった大病を患う可能性も多くなる…。


そうした意味でも15歳8ヶ月のラテは立派な?おばあちゃん犬であり、悪いところが出て来たとしても不思議ではない。いや、ある意味これまで大病を患わなかったたことがラッキーだったというべきか…。
人も昔は人生50年と言われた。食事や環境、医療が進んでいなかったせいで寿命が短かったわけだが、それが今や80歳を過ぎても元気な方も多い。

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※ラテは幸い危篤状態は脱したが、新たな問題が…


ワンコにしても一昔前のワンコのほとんどは外飼いだったし、例えばフィラリアなどに十分な対処ができる薬が行き渡っていなかった。したがってワンコの寿命も6年とか7年で尽きることが多かったという。それが室内飼いとなり生きていく環境が格段と良くなったし、ドッグフードにしても健康面を考慮した製品が増えた。そしてフィラリアを始めとして、ワンコの医療面でも格段の進歩があったためにその寿命も大きく伸びたのだという。

しかし冒頭に記したように命には限りがあるし長く生きていれば問題が生じる可能性も増えてくる。ラテにしても今回の件で体力が弱っているからだろうが、新たな問題が生じた…。
発端はいまから丁度10年前の2月の事だ。散歩から戻り、いつものように体を綺麗にしているときに右の首筋に痼りができていることを知った。よくよく調べて見ると後ろ足の内側や腹にも大小はともかく出来ているではないか…。

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※短い時間だが、天気のよい日の日中、カートでラテを馴染みの公園へ連れ出している


乳腺腫瘍のようだが早速インターネットなどで調べて見たが心配は増大するばかりだ。なぜなら乳腺腫瘍は、雌のワンコがかかりやすい病気であるとしても良性と悪性の比率は50%であり、さらに悪性のうち早期発見時点でも臓器などにがん細胞が転移しているものが半数あるという。

ただしラテは我が家に来た生後6ヶ月直前に避妊手術を受けている。ワンコの乳腺腫瘍は女性ホルモンとの関連性が極めて高く、発情前に避妊手術を受ければ悪性の乳腺腫瘍にかかる確率は格段に低くなるという。しかし確率は低くても悪性のものではないという保証があるわけではないし乳腺腫瘍の中には女性ホルモンとは無関係の悪性腫瘍もありうるので安心はできないわけだ。

オトーサンたちは早速動物病院にラテを連れて行き、組織検査を受けた。しかし幸いなことに悪性のものではなく良性なのでこの程度でラテに手術で痛い目を合わせるここともないとの医者の言でそのままにしておくことになった。医者曰く、後ろ足の内側にも小さな痼りができているし、これは体質なんだとのこと…。
それからあっというまに10年が過ぎたが、首の痼りはこの一二年で急に大きくなったが、飼い主の言い訳めくが根本治療となると全身麻酔が必要で、老犬には勧められないとも言われ、悪性でなければ鬱陶しいだろうが放置するのがよき選択肢だということになった。

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※外に出ても長い間は無理だが自力で立ち、回りをぎこちないものの歩いた


それが昨年12月のクリスマスイブにラテが倒れ、酸素吸入や点滴の世話になりなんとか命を繋いだわけだが、二週間ほど前にぷよぷよだったその痼りがどういう訳かパンパンといった感じで固くなっていた。とはいえ今最優先することは痼りでなく命そのものだし、ここで全身麻酔して手術などすれば体力の無いいま命を奪うことになるだろう。ということで経過を見ているしかなかったが数日前におかしな事に気づいた。

すでに白くなっているマズルの鼻面が少し赤い。これは歯茎などからの出血か…とも思ったし女房いわくラテが寝ている場所に小さな血の跡があるという。そんなことを話していた翌日、その原因が分かった。それはパンパンに膨れあがった脂肪腫の痼りの一箇所から血が出ているのだった。

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※右首が腫れているのがわかる。為にマズルの端(唇の)形が変形していた


鬱陶しいから引っ掻いたのだろうか。傷は一箇所のようだがかなりの出血だったので早速病院へ連れて行った。病院では手術は無理だがよい機会だから根本治療ではないものの腫瘍の中身を(主に血と体液と組織)吸い出してみようということになった。
最初は採血のような感じで太めの注射器で上手くいってたが、傷口が拡がったのか急に出血が拡がり診察台は血の海…。それでもさすがは医者だ…取りあえず吸い出したあれこれを片付けて血止めをしたがラテも痛いはずがよく頑張っていた。

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※病院で悪い血を吸い出し包帯を巻いたラテ


問題は出てくる血などを吸収するパッドを自宅で取り替えるときだった。出血程度で気後れするとは自分でも思っていなかったオトーサンだが、処置の途中でラテが一振り首を振ると辺りに血が飛び散って…さすがに気落ちしてくる。
こんな調子がまだ数日続くことになるそうだが、オトーサンたちがめげるわけにはいかない。気持ちを切り換え、介護の日々を続けないとね。



レーザー加工機専用コーナーを新設(仮設)

レーザー加工機という類の製品を手にしたのは昨年(2021年)10月のことだったからまだ4ヶ月ほどしか経っていないことになる。しかし多々トラブルにも遭遇し、自分なりに密度の高い諸々なことを経験してきたからか、なんだかすでに小一年ほど経っているような気がするほどある意味で密度が高い日々を過ごしてきた。


そんなレーザー加工機だが、この度はじめて専用コーナーを新設した。ただし場所や機器の位置などなど、様々な事を考えなければならないので現状では仮設のつもりだ。
これまでは強力な換気扇を利用しようとキッチンの一郭にレーザー加工機とMacBook Proを持ち込んで作業していたが、毎々のセットアップおよび片付けが面倒なのとやはり使い勝手はよくない…。
とはいえ我が仕事部屋にはすでに3Dプリンターが2台鎮座しているし決して余分なスペースがあるわけではなかったもののデッドスペースを何とか片付け、新たに幅80cm×奥行50cmの専用机を設置した。

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※レーザー加工機専用コーナーの試案。「塗装ブース」と共にATOMSTACK P7 M40とMacBook Proを常設


ここにレーザー加工機ATOMSTACK P7 M40とMacBook Proを常設しようと考えた訳だが、無論問題がないわけではない。
ひとつはベランダの窓側に接していることもあってカーテンを使っていること。これは難燃性だとはいえ万一の事を考えると一抹の不安はあるので早めにブラインドか難燃性のロールスクリーンに変えようかと考えている。

2つには申し上げるまでもなく換気の問題だ。レーザー加工には煙と臭いは付きものであり、これらを適切に排気できなければ健康を害す。
とはいえ換気扇を取り付けるには些か無理があるのでここは多少の妥協をし、塗装ブースなる製品を使ってみようかと試用を始めたところだ…。

この製品はその名の通り、フィギャアや模型等々を塗装する際にその臭気を外に逃がす組立式換気装置である。窓の隙間へ繋げるダクトホースが付いているし、強力なモーターで臭気を外に逃がし粉塵などは専用のフィルターでブロックできるものだ。

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※背面には太いダクトを取り付けることが出来、その先端を戸の隙間などに差し込んで排気する


またLED照明もあるのでATOMSTACK P7 M40のような小型レーザー加工機なら使えるのではないかと考えた次第。この製品については別途レポートを書くつもりだが、電源回りを整え、机の下には消火器も常設する…。

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※ダクト先端は最小の隙間でも排気ができるよう平たくなっている。筆者の環境では引き戸の上にある換気用小窓を利用するつもり


まあご想像の通り、臭気にしても環境によっては完全に室内に残らないわけではないが、実際にATOMSTACK P7 M40でアクリル板をくり抜く間の臭気を試してみた結果では、動作中加工機の側では当然臭いがするが2メートルほど離れた別のコーナーではほとんど臭いが感じられないし、例えば珈琲も美味しく飲める。そして天気のよい日中であれば大きな窓を開けて本格的な換気もできるので位置的には都合が良い。さらに天井照明との関係で手暗がりになりがちだが塗装ブースにはLED照明が内蔵されていたので大変助かっている。

とはいえそもそもが無理できないスペースしか確保できないので椅子も折り畳みの小さな奴で使わない時も邪魔にならないものを用意している。こんな感じのレーザー加工機専用スペースだが、ダクトと窓の位置関係や電源回り等々を考慮し、安全性はもとより最適な位置関係となるよう工夫したいと考えている。




ラテ飼育格闘日記(793)

ラテが寝込んでから早くも一ヶ月が過ぎた。この間、目まぐるしく変わるラテの体調に一喜一憂してきたが、今のところは食欲も戻り、投薬はあるものの点滴やらの世話にはなっていない。また後ろ足が不安定ながらも補助が必要ながら短距離なら歩けるまでになっている。


ただしこれは一時的なものだと考えなければならず、いずれまた本格的な介護はもとより命との戦いの日が来るに違いないと覚悟している。ともあれ毎日の主な日課は二度の食事と数回のおむつ取り替えだ。その間は五月蠅いときもあるものの基本お気に入りの場所で寝ている。

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※ラテはなんとか自力で歩き食欲もある…


とはいえ長い間の習慣が身についているのか、おむつをしていても腰を落とすのは玄関といった場合が多い。排泄は外でするもの…外でしたいと思っているようでもある。

医者からは本来この外気温の中に連れ出すのは勧められない…とも言われたが、なんとか五感が働いているうちに馴染んだ外の空気や騒音などに触れさせたいと考え、大型犬にも対応するカートを買った。
折り畳みができる製品ではあるものの、折りたたんだところで置き場所に困っているほどのサイズである。このカートに毛布を敷き、万一の場合にと排泄シートも下に敷き、ラテの背にはこれまたケープを掛けて外に出て見た。

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※大型カートなのでオトーサンたちの扱い方もなかなか大変だ


ただしカートそのものの扱いはともあれ、排泄の後始末やらのあれこれを持参しなければならないしマンションの作りひとつにしても自宅からエレベータを利用し歩道に出るまで、ラテを乗せたままで楽々と進めるバリアフリー環境ではない。したがって多々考えては見たものの、カート自身の重量もかなりのものでもあり、安全に行き来するのはどうしても一人でコントロールは無理なので女房が休みの日、そして天気で寒いながらも気温が一番高くなる午後二時から三時あたりに出かけてみることした。

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※久しぶりに夕陽を一杯浴びるラテ


時間的な問題もあるのかも知れないが、やはりというか外に出た途端にラテは排泄行動を始める…。目的の公園まで大した距離ではないものの、途中でカートを止めてラテを外に出し、排泄させたりその後始末をする…といったことになるわけだが、一時的にでもおむつを外したその痩せ細った姿にオトーサンは胸が押しつぶされそうになる。

カートに乗るラテも、カートを押す女房もオトーサンも共に初心者故におそるおそる…怖々といった感じで公園に乗り入れ、ラテをしばし外気温にさらすことにする。一応防寒着を身に着けたラテは弱った後ろ足を踏ん張りながらも自力で立ち、そして興が乗れば短い距離を歩く…。

この日、嬉しいことにラテを可愛がって下さり常に気を使って下さっているファミリーが我々が公園に出向く時間に合わせて立ち寄って下さった。

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※お馴染みのファミリーがラテに会いに来て下さった!


一時期は毎日といってよいほど、この公園で長女のおねえちゃんと遊んだりオカーサンの姿を見かけると遠吠えのような声を上げるラテだったから表情もいくぶん和らいで見えたし、以前のように態度で表すことができないまでも喜んでいるに違いない。

こうしてものの20分程度の外出でまたカートに乗せ、いそいそと戻ってきたがラテも時々は外に行けることを理解しているとすれば、次の公園行きを待ち遠しく思っているだろうし、オトーサンたちもなるべく連れ出してやりたいと考えている…。

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※散歩から戻ったらまた温かくして寝ないとね…


そううそう…オトーサンは精密検査のためこの間大学病院へ行って来た。心臓関連の検査をし、24時間心電図を計測する心電計を胸に装着して帰って来たが、それらの総合診断はまた少し後になる。大事でなければよいが…。





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プロフィール

mactechlab

Author:mactechlab
主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。2017年6月3日、時代小説「首巻き春貞 - 小石川養生所始末」を上梓(電子出版)。続けて2017年7月1日「小説・未来を垣間見た男 スティーブ・ジョブズ」を電子書籍で公開。また直近では「木挽町お鶴捕物控え」を発表している。
2018年春から3Dプリンターを複数台活用中であり2021年からはレーザー加工機にも目を向けている。ゆうMUG会員