5年間愛用してきたiMac 27インチ Retina 5Kディスプレイ 2017年モデルだったが、一部非力を感じると共に昨年リリースされたM1 iMac 24” の魅力が日増しに強く感じられたことでもあり、意を決して5月上旬に注文した。それが予定より少し早く6月20日に無事到着した。
5月に決断した理由のひとつはその翌月に予定されていたWWDCで何らかの新製品が発表されるであろうことと、その機会に現在の円安を考慮した価格改正…値上げがあるのではないかと読んだからだ。

結果論だが読みは当たり5月に注文したスペックと同じものを6月中旬に確認してみたところ、なんと43,000円ほど値上がりしていた。
ここでは詳細なスペック紹介は避け、ざっくりとした第一印象的なお話しをさせていだく。
■ボディカラーはイエロー
ご承知のようにこのM1 iMac 24”は7色のカラーバリエーションが用意されている。私は今回イエローを選んだが、本体フロント…液晶モニター下部はイエローというよりどこか淡いクリーム色だが、金属部は光沢が目立ちゴールドに近い色合いに見える。
勿論ご承知の通り、ケーブルの一部はもとよりキーボードやマウスの背面も同色となっているという拘りは見事である。

ともあれ、ふと視線をモニターから外すとスタンドはもとよりキーボード筐体も同色なのでカラーリングを認識できるが、モニターを注視している際にはカラーが何であるかは意識していないこともわかった。

■24インチというサイズ感
これまで使っていた27インチと比べれば、そのサイズ感の違いは一目瞭然だが、実際に24インチを前に作業してみると決して狭いとは感じない。それどころか一目で全体が見渡せる感じで視線の移動が少なくて済み、思った以上にベストサイズだと感じた。
またこのM1 iMac 24インチの背面ボディサイズはこれまでの下部にいくほどカーブをもった厚さがあったのとは違い全体どこも11.5cmの薄型を実現しているのは見事というしかない。
さらに27インチディスプレイは5K Retina、この24インチは4.5K Retinaといった違いがあるが、目視の範囲では当然その違いはまったく分からない。

■Touch ID
iPhoneの指紋認証には馴染んできたが、Macのキーボード搭載のTouch IDは初めての体験だった。確かに便利な機能だと期待していたものの、どういう訳か認識率が悪く最初は幻滅したものの何度か繰り返して認証登録を重ねた結果、やっと実用レベルになったようだ。

■進化したフロントカメラとスピーカー機能
眼に見えて…一目瞭然にこれまで使ってきたiMacと比べて良くなったのはフロントカメラとスピーカー回りだ。
1080pのカメラはFaceTimeやZoomを立ち上げればそれだけで違いは歴然でこれだけ綺麗な映像が録れるなら別途あれこれと考えずに内蔵カメラだけでいいかな…という気持ちになるほどだ。またFaceTime使用時にはこれまで縦位置の表示領域は一般的な横型になったのも嬉しい。
そしてドルビーアトモスで音楽またはビデオを再生する時に空間オーディオに対応できるようになったその6スピーカーサウンドは文句なく素敵であり、私はそれまでiMacの左右に配していたデスクトップ・スピーカーを外したほどだ。
■M1の恩恵は?
そもそも個人的には例えば4Kのビデオ映像編集やCPUに負荷がかかる3Dレンダリングやらを主な目的とはしていないのでM1の能力が発表されているとおりであるなら私の環境は一般的にオーバースペックだろうと考えている。
ただどのようなオペレーションにおいても文字通りサクサクとタイムラグ無しで動作するのはストレスにならずに快適でよい。またストレージが1TBのSSDなので、マシンの起動が10秒足らずなのは気持ちが良い。
■データ移行に苦慮
ただし良いこと尽くめという訳にはいかなかった。そもそもTimeMachineからアプリや環境を移行したが、ひとつひとつを検証してみると多くの問題が生じた。
まず最初に困ったのはDockが正常に機能しないことだった。それだけでなくアプリの多くもシリアルナンバーの入力を求められるのはまだよい方でメーカーへのアクティベーションを余儀なくされたりM1に対応していると謳われているにも関わらず正常動作しないアプリが続出した…。さらにApp Storeから買ったアプリにしても「壊れているのでアンインストールし再度インストールし直して下さい」といった主旨の警告が出るものも多かった。
ということで時間はかかったがApple Careのサポートのお陰も含めて現在はまずまず安定している。
■総評
それまでの2017年度版iMac 27インチは5年あまり使ってきたが幸い大きなトラブルや故障といったことにはならなかった。
まあ、今回いつものようにApple Careにも加入したこともあり、3年…いやこれまた5年ほどは使い続けたいと思うが、だとすれば当然私自身も5歳年齢を重ねることになる。
特に昨年から今年にかけて、足のつま先から頭までCTスキャンや超音波の検診、心電図、エコー検診・レントゲンなどなどといった検査を受けただけでなくどうしたことか今年の四月に急性虫垂炎で入院・手術と相成ったことであらためて自分の体力や寿命といったことを考えざるを得なかった。したがっていたずらにネガティブなことを申し上げるつもりはないが、場合によってはこのM1 iMac 24インチは1984年登場の初代Macintoshから幾多の…本当に何十もの機種を手にしてきた末の…私の最後のマシンになるかも知れないと思うと感慨もひとしおである。
女々しいのは承知だし無理な相談だが、いま無性にラテに会いたい。ラテが亡くなってこの方、オトーサン自身の入院などもあったからか時間の経つのがとても早く感じる。月日が経つということはどこかオトーサンの気持ちがラテから離れていくのではないかといった思いもあって時間の経つのが恐ろしい…。
お陰様で手術後の経過はいまのところ問題ないようだ。痛みというか腹腔鏡手術後の違和感も薄れてきたし痛みもない。そしてなによりも自分で心配していた無力感や無気力も少しずつ解消していくように思う。また自分を鼓舞する意味も含めて新しい事…ひとつは新しいパソコン(Apple M1 iMac 24”)の購入、また光造型3Dプリンターの入手そして3Dスキャナーなどに手を伸ばし始めている。

しかし、オトーサンの足元に寄りそうラテはいない…。
例えそこに寝そべっているだけのラテでも、オトーサンの心は休まったし心が通っているという思いで幸せだった。無論何度も言うようにラテは飼い主にさえ…いや飼い主だからこそベタベタするワンコではなかった。よくYouTubeなどで見るように飼い主の寝ているベットに入り込んだり、その膝に乗ってきたりという行動は残念ながらしないワンコだった。

ただし手前味噌だが全幅の信頼は勝ち得ていたと信じている。だから、幼犬時の甘噛みを別にして歯を当ててくることはあってもオトーサンに噛みつくようなことはなかったし、散歩途中では頻繁に抱っこの要求があった。
そういえばラテを飼うために数冊のトレーニング本やノウハウ本を貪るように読んだが、当時の本のほとんどに明記してあったことのひとつに「ワンコ擬人化への注意」があった。

それは、いたずらに飼い犬をあたかも人間の子供のように扱うな…という注意だった。言わんとすることは理解できる…。ワンコは人間ではない。いくら家族の一員だ、子供同然だと言ったところで人間ではない。コミュニケーションにしても利口なワンコとて限界があるだろうし、甘やかしてはコントールが効かなくなり場合によっては飼い主やその家族に危害を加えることもあり得る…とのこと。

しかし、ラテはもとより広い公園で幾多のワンコと遭遇し遊んだオトーサンの体験から申せば、トレーニングの間違い…接し方の間違いよりワンコの個性・性格の方がことは問題なのではないかと思う。
そこに集まったワンコたち(多い時期には20匹くらい)のほとんどは専門のトレーニングなどやっていないワンコたちだった。一部の大型犬のジャーマンシェパードやゴールデンレトリバーといった程度だ。それでもワンコ同士はもとより人に危害を加えた例は非常にまれだ。
質の悪いワンコがいるとすればそれは我々人間の中にもどうしようもない性悪がいるようにワンコにもそうした性格を持つワンコがいるように思う。

先日NHKのオンデマンドでヒューマニエンスQ(クエスト)「“イヌ” ヒトの心を照らす存在」という番組を見た。要はワンコは我々人間の言動をどれほど理解できるのか…といった考察をしたものだ。まあ、すでにワンコの飼い主なら「何を今更…」と思う箇所も多いが、ポイントとしてはワンコは人間の話す言葉を約400語ほど記憶できる能力を持つこと、また言葉の意味はもとよりよりそのときの飼い主の感情(話しかた)・イントネーションを重視すること、さらにワンコの人を見つめる魅力的な表情…例えば上目遣いをして飼い主を見つめるとき眼輪筋という筋肉を使うそうだが、その眼輪筋はオオカミにはないという。ということは、ワンコは人間との共存の過程で眼輪筋を取得したことになる。
要は人のことを理解している最たる動物がワンコなのだ。
嗚呼…ラテ! 無性にお前に会いたいよ!
なんとかオトーサンも退院後の経過もよく、社会復帰に向けて努力しているがまだまだ気力が伴わないようなので困惑している。それはそれとして先週の10日はラテの誕生日。どうしても我々夫婦の話題はラテ数々のエピソードになってしまう…。
そして…ワンコは相手の人間次第というか、相手を見て態度を変えるという話しになった。そもそもワンコの特性の一つとして我々人間のサポートを必要とする生き物だということは知られている。

以前TVの番組でワンコとその祖先と言われているオオカミとの比較をいくつかの実験で試みた番組があった。仕掛けとして檻の中に美味しそうな肉が置いてあり、マズルだったか前足だったか…いま少し伸ばすことが出来ればそれを捕獲できるという環境においてオオカミとワンコがどのような反応・対応するかの実験だった。
そうした中、オオカミは果敢に肉を取ろうと挑戦するがどうしても取れない。そのうち疲れて諦めてしまったがワンコは些か違っていた。
何とか肉を取りたい、採れる方法はとあれこれ挑戦工夫するのはオオカミと一緒だったがどうしても取れないと悟ったとき、側にいる人間に助けを求めたことだった。

「ねえ、あの肉欲しいんだけど…取ってくれませんか?」とでも言いたげに人間に近寄り鼻を鳴らして哀願するのがワンコだった。人を頼りにし、良い意味で依存するワンコはだからこそ我々の友となり家族となった…。
そんなワンコだから面白い事に…というか当然というか、人間によって態度を変える。好き嫌いもあるだろうがそれは別にしても飼われている家庭単位の話しとしてもオトーサンとオカーサンあるいは子供たちそれぞれに寄り添い方が違うのは面白い。
それは力関係だとか上下関係なんだとまことしやかな説もあるが、オトーサンの体験でもワンコが相手によってコロリと態度が違う例をいくつか知っている。
顕著な例としてラテが大好きな雄のイケメン・ワンコ、マキちゃんの話しをしようか…。マキちゃんとは初対面からラテはデレデレで大好きなワンコだった。
オトーサンたちがそのマキちゃんと出会う際にはほとんどそのご家族のオカーサンが公園に連れてこられた。したがって我々はそのときのマキちゃんの自然な振る舞いがマキちゃんの性格だと思い込んでいた。私らを目にすると本当に嬉しそうに飛びついてくるしフレンドリーで優しいワンコだ。

※イケメンなワンコのマキちゃん
ある日、そのマキちゃんがご主人にリードを引かれて前方からこちらに歩いてくるシーンに出くわした。それまでご主人とは面識がなかったがそのワンコは間違えようもないマキちゃんだったから、オトーサンは思わず「マキちゃん!」と声をかけた。しかし不思議なことにマキちゃんは前方を見据えたまま、オトーサンに一瞥もくれずにすれ違っていった…。
おかしな事もあるものだと思ったが、もしかすると何かに気を取られ、オトーサンのことに気づかなかったのかも知れないとも思った。
さらに数週間後のこと、同じような状況に出会ったが結果は同じだった。マキちゃんであれば喜んで飛んでくるはずなのに一瞥もくれずご主人の脇に位置したマキちゃんはそのまま歩き去って行く。
あまりに印象的な出来事だったので公園で出会うお馴染みの飼い主さんたちにそんな話しをしたところ、それは間違いなくマキちゃんであり、もうひとつのマキちゃんの顔なんだと言われた。

※ラテはマキちゃんが大好きだった!2007年7月撮影
その事を当のマキちゃんのオカーサンに聞いてみたが、ご主人が特に特訓したとか厳しい躾をしてきたという事実はないらしい。とはいえマキちゃんからすれば何らかの理由でオカーサンの時とオトーサンの時とでは対応を違えるようになったのだろう。面白い事実だが程度こそ違うが、ラテにしてもオトーサンがリードを引いているときとオトーサン不在で女房がリードを引いている時とでは様子というか態度が違うことを他の飼い主さんたちから聞かされたことがある。
やはりというか、どうやらオトーサンの時より女房の時の方がラテの行動は自由度が大きいようだ(笑)。この違いは日常の生活の場面でも感じられる。
例えば女房が仕事で留守の際、オトーサンの都合でラテの夕食を用意するのが1時間ほど遅れてしまうことがままあった。そんなときでもラテは何も要求せず静かにオトーサンが支度を始めるのを待っているが、同じ場面で女房がいる場合は態度が違う。

※夕陽を浴びながら女房と散歩
何故ならそうした場合は女房に近づき前足をかけたりして鳴き、ご飯の要求をするからだ。可笑しいのはそうした場合でも決して食事の支度をするオトーサンへの直接要求はしないのだ。
オトーサンだってそんなに怖い飼い主ではないと自負しているが、些か寂しい感じもするもののラテなりに状況の判断の結果なのだろう…。
ワンコって、凄い!
2022年6月6日、前回緊急搬送された府中恵仁会病院に再入院した。薬で散らした虫垂炎を根本的に治療する手術のためだ。ともあれ前回の入院と違うのは可能な限りの準備しての入院なこと…。アイマスクや耳栓といった身の回りのものだけでなく、情報を容易に受信・発信できたらとiPhoneはもとよりMacBook Proまで持参し、電源周りや充電対策といったことにも注視して準備した。
ただし病院自体は相変わらずWi-Fi環境は絶無なので、iPhoneをディザリングしネットに入るのはMacBook Pro...と考えた。したがってあらかじめ月当たりのデータ契約量も増やした。
さて手術は相応の覚悟をもってことに当たったわけだが、いざ入院となり麻酔医から、あるいは看護師からさまざまな手順や説明を聞くたびにどうにも逃げ出したくなる。そして良き印なのかあるいは悪い知らせなのか、病室は前回と同じ病室だった。ただし四人相部屋のベッドは違ったが...。
こうして再び入院生活が始まった。

■入院当日
今回の手術は腹腔鏡手術だとのことで術後の経過がよければ3,4日で退院できると聞かされていた。腹腔鏡手術は17年前に一度経験しており、要領は知っているつもりでいたが、いやはや今回は思ったより大ごとなので驚いた。
入院は午後一時だったので昼飯は済ませてきた。また夕飯は出たものの申し訳ないが完食できる内容・味付けではなく困惑。そして翌日が手術日な訳だが朝食は抜きで水分も摂ってはいけないとのこと。
覚悟の入院だったが、いざベッドに横になり天井を見つめていると不安が広がってくる。それにこの日は特にやらなければならないことはないので余計にあれこれと考えてしまう。
ともかくここまで来たからにはやるっきゃないし早めに寝ようと考えた。相部屋はすべて埋まっているが、無論前回見知った患者がいるわけでもなくまたまた未知の世界だ(笑)。
イビキが結構すごく日中起きているときはブツブツ独り言をいう患者がいたがその夜は幸いなことに眠ることができた。また前回のようにナースステーションで罵詈雑言を吐くお婆さんもいないので一安心だったし悪夢も見なかった。

■手術当日
とうとう...その日が来た。いろいろ気になることはあるがここまでくればまな板の鯉だ。病室で手の甲へ点滴をセットされ、そのまま手術室へと向かう。手術室はどんな場所なのかと考えていたがドラマなどで出でくる手術室とは違い周りに資材の段ボールがあったりと思ったより雑然とした空間だ。その中に幅の狭い手術用ベッドがあり、そこに寝かされ酸素吸入マスクをあてがわれる。
そうそう、手術室へ行く前に弾性ストッキングなるものを穿かされる。これは両足がしばし動かせないためエコノミー症候群の予防だという。さらにフットポンプといって脹脛を定期的に圧迫するものを装着される。これも血の固まりができないようにとの配慮らしい。
そしていくつかの計測機器が繋がれるが麻酔はまず点滴側から入れられ、あっという間に闇の中に...。したがって後のことは記憶にないが、この後口から管を入れられ全身麻酔の処置をおこなったというし麻酔が効いた後には尿道から膀胱へバルンカテーテルという管を挿入された。
この手術日は時間に合わせ女房が来院してくれたが、コロナの影響で病室はもちろん顔を会わせることもできない。ただ術後に主治医から経過などの説明があるからと足を運んでくれたわけだ。
結果約一時間半後、私は病室のベッドで目を覚ました。まだ薬が効いていることもあってか自然体なら術後の痛みはないが少しでも体を動かそうとすると腹部に激痛が走る。
また体には先のフットポンプをはじめ心電図のセンサーが胸に貼られ、定期的に計測するための血圧計が右腕に巻かれ、その人差し指には血中酸素濃度を測るパルスオキシメーターが挟んである。ただし口からのチューブはすでに抜き取られていた。

このがんじがらめの状態の上に当然ながら術後で下半身が重いし、動かそうとすれば激痛が走る。ただし医者曰く傷には影響ないのでなるべく早めに歩けるようにしてくださいというが、そんな状態ではない。
困るのは時折出る咳だ。咳は腹筋を動かすのでとても痛い...。ともかく術後なので寝ているしかないが、眠れない。夜も眠れない。
困ったといえば前記したように食事だ…。病人だから仕方がないが、あの味気のない料理は喉に通らない。無理やり食べようと努力したが気持ち悪くなってくる。

挙げ句の果てやはり夜になっても眠れない。そりゃあそうだ...。痛みはともかく一時間なのか30分なのか覚えていないが一定間隔で右腕の血圧計が作動し圧迫する。そしてなによりも弾性ストッキングが暑苦しく事実汗をかき、皮膚が痒くなって来たしこれまた一定感覚でフットポンプが働きふくらはぎを締め付ける。
これでは寝られない。また昨日は静かだった同室患者のイビキがうるさいだけでなく寝言なのか独り言を言い続ける。
「ああ、今回は耳栓を持って来たな...」と思ったものの、それは一メートルほど離れたベッド下に置いたカバンの中なので体を動かせない本人にとっては取りたくても取れない。まさか看護師さんにナースコールして取ってもらうのも申し訳ないし、カバンの中を覗かれるのもいやだ。
というわけでそのまま明け方までほぼ覚醒した状態で過ごすしかなかった。
ともあれ病院というか入院した病棟および病室は前回と同じなので勝手もわかり安心していられる。また相変わらず医師は勿論、看護師の方々は親切であり献身的で本当に頭がさがる。
■同部屋の人々
四人部屋の患者たちは皆私と同年配か少し年上のジイサンばかり。一人は何度も手術を重ねてきたようだが近々難しい手術を控えている方だった。イビキもないし基本は静かなのだが日中家族に携帯で頻繁に電話をかける。耄碌しているとは思えないが同室の人たちへの配慮がまったくない…。
自分もジイサンなので些か言いにくいが、どうもこの年代のオヤジたちは自分本位で他人を思いやる感覚に欠けている者が多い。耳が悪いからか必然的に声も大きくなり、一度は看護師に注意されたが「ああ、注意されちゃったよ」と呟きながらしばらくするとまた電話をかける。また話の内容もお金の問題や家族のプライバシー満載の話しなので聞くに耐えない。
いま一人は前記したように寝るとイビキをかくが、まあ耳栓でなんとかなるレベルでまだよいが、日中起きているときのほとんどは独り言を言い続けている。看護師との会話などでは「ありがとうね」と相手に気遣いを見せるがとにかくブツブツ言い続けているので気になる。
3人目は日中何の問題もないが夜になると眠れないのかノートパソコンを取りだして作業を始める。主治医に「仕事と命とどちらが大切かは言うまでもないでしょう」と釘を刺されていたからまだ現役の方のようだ。問題はどのようなノートパソコンなのかは不明だがキーボーを叩く「カシャカシャ」という音が深夜だけに気になる。まったくどいつもこいつも自分が同室の者たちに迷惑をかけているなどツユほども気づいていない…。
ではお前はどうなんだといわれそうだが、私も無論完全無音の患者というけにはいかない。ときに出る咳喘息が夜に出ればそれなりに迷惑をかけるかも知れない。しかし言い訳めくが頻発するわけでもなしこればかりは意図的に抑制できることでもない。
それから、これらのジイサンたちは病気はともかく当然日中も暇だし、人恋しくて仕方がないようで看護師が見廻りで声をかけると肝心の用件はともかく身の上話や先ほど他の看護師に聞いたはずの話しを続けて足止めさせる。看護師の方たちは総じてメチャ忙しいのだが邪慳にもできず健気に話しを聞きそつの無い回答をしているが、気持ちは分かる物のまったく困ったジイサンたちである(笑)。
■退院に向けて
当初、手術が7日だから何事もなければ9日か10日には退院できると踏んでいた。しかし結局8日、9日は経過観察となり退院は10日となった。しかし10日は術後三日目だ。腹腔鏡手術ならではの快挙で凄いとしか言いようがない。
そういえば、6月10日はラテの誕生日だ。馬鹿げていると思われるかもしれないがどこかでラテが見ていてくれているようにも感じた。
退院前日に腹に挿してあったチューブと手の甲に針が射してあった点滴の針を抜かれ、これですべてのチューブや管から解放されたことになる。
また主治医いわく、退院当日からシャワーは大丈夫だというが、繰り返すが凄いなあと感嘆…。

退院当日だが午前10時から手続きが始まるが込み合うため実際は一時間ほど遅れる。ただしこの日は病院からタクシーで帰るつもりだったが、お世話になっているKファミリーのオカーサンが車で迎えに来てくださったのでリラックスして戻ることができた。
本当にありがたいことだ。
こうして無事に手術も終え、退院できたわけだが、しばしスローライフで養生したいと思う。ただし主治医からはなるべく歩けと言われているので雨が降らなければ少しでも歩くよう心がけ一日も早く100%の社会復帰を果たしたい。
実はこの6月6日にオトーサンは再入院し手術を済ませ、10日に退院したばかりである。6月6日といえば3度目のラテ月命日であり、6月10日はラテの誕生日なのだ…。わざわざこうした日程を組んだわけでもないが、どこかでラテが見守ってくれているのかも知れない。
手術とは虫垂炎の手術である。前回4月21日に救急車で病院へと運ばれたがどういう訳か薬で散らすという処置をされ一週間の入院を余儀なくされた。
それらの経過については別途「緊急搬送入院闘病記」に詳しいのでご一読いただきたいが、ともかくいくつかの事情で一旦退院し、別途日を改めて手術することになった…。

前回退院してから今回の手術まで1ヶ月少々時間的余裕があったが、覚悟を決めてはいたもののいざとなるとやはり手術は心配だし不安である。しかしいつまた再発するかもわからない爆弾を抱えていたのでは安心できないからとこの度の手術となったが、さてどうなりますやら。
気力があればまた手術前後の様子などをレポートさせていただくつもりである。

医者による事前の説明では手術は基本、開腹手術ではなく腹腔鏡手術であり他に問題が生じなければ三日ほどで退院できるとのこと。しかしこれは実際に手術してみなければわからず医者に委ねるしかない…。
ともあれ前回の入院は緊急搬送のため準備もできなかったが、今回は入院中でも情報交換できるようにとMacBook Proの持参や契約データ容量を別途買い増ししたりと準備は万全ではあるが、果たして術後に体力的・気力的にやる気が起きるかは…不明(笑)。

しかしMacBook Proにはラテの写真も多く保存してあるし、どこかラテと一緒の入院といった気持ちもある。そして冒頭にも記したが6月10日はラテの誕生日である。
保護犬のラテの誕生日がなぜ6月10日なのか…についてはこれまでにも記したと思うが、そもそもラテが茨城県のとある場所で保護されたのは2006年9月のことだった。その際、保護して下さった方が動物病院に連れて行ったそうだが医者の見立てでは生後3ヶ月という診断だった…。ということでラテの生まれた月は6月と決まった…。
そして我が家に連れてこられたのはその年の12月10日だったことでもあり、家族となったその日をラテの誕生日と決めた。こうして6月10日がラテの誕生日となったのである。
我が娘となったラテは新米の飼い主の元での生活が始まったわけだが、オトーサンたちが未経験なことでもあり一抹の不安を抱えていたのと同様にラテも見知らぬ環境での生活に不安だったに違いない。そのことは当時の写真を見ればラテの眼差しは特別な場合を除き、厳しい目付きをしているのがわかる。

入院中、他にやることもなしベッドに寝ながらTwitterを眺めているとワンコの写真や動画が多々見受けられる。家族になりました…といったものから子犬時代特有のヤンチャで可愛い映像や時には虹の橋を渡ったというものまで多様だが、それらを見ているとラテとの暮らしとの違いが目立ち「果たしてあれで良かったのか」といった考えも頭に浮かぶ。
いや、そもそもがオトーサンたちは狭いマンションでのワンコ飼いだがTwitterの中には大自然の芝生を駆け回っていたり、広い屋敷内を我が物顔で歩き回っていたりと環境が違いすぎる。

ただ…今更どうすることもできないが、そうした映像を見ると良いタイミングで弟分・妹分のワンコあるいは子猫でも迎えることができたらラテの喜びもまたより大きい物になったのかな…という思いが頭をよぎった。
まあ、もしそうしたワンコやニャンコがいたら今回のように安心して入院することもできないわけで、オトーサンたちとしてはそれなりに出来る範囲内で頑張ったのだと思うことにした…。
今回の「ラテ飼育格闘日記」がアップされた2日後、すなわち6月6日は早くもラテの月命日3度目となる…。早いといえば早いが、ラテのいないこの3ヶ月はなんとも切なく寂しい3ヶ月である。買い物などのため外に出るとたまたま知り合いの飼い主さんと出会うこともあり「いかがですか。元気になられましたか」と問われることもある。
無論それはオトーサンの嘆き、落胆が大きいことを知り、気遣ってくださる言葉なのだが、ラテが亡くなりいなくなったことに慣れたわけでもないし慣れたいとも思わない。まあ正直やっと冷静に現実を見つめられるようになったことは確かだが、月日がたったとはいえオトーサンの心の中に占めるラテの存在は一層大きくなっている。

なにしろ15年もの間、24時間一緒に生活していたわけで、近隣の道筋といったことだけでなく例えば我が家のテーブル、椅子、フローリングの床、玄関マット、襖、畳、食器などなどに至るほとんどのアイテムにラテとの思い出が染み込んでいるのだから簡単に忘れるわけにはいかないし忘れたくない…。

しかし失ってみてその重要性や大切さが分かる…とはよく言われることだが、オトーサンたちにとってのラテは正しく亡くしてその可愛さ、賢さ、大切さなどなどを改めて知ることになったのは間違いない。
ラテやオトーサンが健康なときは毎日の散歩にしても餌やりにしても一種のルーチンワーク化されていた気配もなきにしもあらずだし、正直ときには面倒で厄介なことと思わざるを得ないこともあった。しかしそのひとつひとつのルーチンワークもいざ無くなってみるとこれほど充実し…意味のあることだったのだと改めて思っている。

さて先日のことだが、午前中に買い忘れた物品があったので夕刻軽い足慣らしを兼ねてと出かけた。出かけたといっても近隣の小さな公園を一回りしてそのまま買い物に…という安易な散歩だった。
オトーサンの格好はジャンパーを羽織り、キャップにマスクそしてサングラス、さらにステッキという格好だったが公園内には小学三年~五年生の男女が遊んでいた。
ラテを連れているときには間違いなく「ラテ、ラテ!」と近づいて来てくれる子供たちだったが、オトーサン一人で歩いている姿は特に注意を引くわけではないから気がつかずに通り過ぎる子供も多い。しかしそのときには一人の女子が「あれっ?」とオトーサンに注視してくれ「ラテは?」と聞いた…。
申し上げるまでもないがラテが亡くなった以後、お会いした近隣のワンコの飼い主さんたちには経過や事情をお話ししてあるものの子供たちにはわざわざ話しをする機会もなかったから、子供たちのほとんどはラテが亡くなったことなど知る由もない。

とはいっても嘘を言う必要もないが、特別リアルな話しも適当ではないと思ったオトーサンはなるべく驚かさないようにと思いつつ「おねーちゃんたちに沢山可愛がってもらったけど、ラテは三月に亡くなったんだよ」と淡々と答えた。
一瞬両目を見開いた女子はあんぐりと口を開けたその口で「ラテ死んだの?」と聞く。頷くオトーサンをそのままにその女子は公園で遊んでいる仲間の女子人に「ねえ、こっちに来て!」と声を上げた。
なにごとかと集まってきた女子たちに先の女の子は「ラテが…ラテ、死んだんだって」と呟くと女子たちだけでなく側にいた同年代の男子もふと立ち止まってオトーサンに「ほんと?」と聞く。皆、ラテと行き会わせるとわざわざ近寄って頭を撫でてくれる子供たちだった。
オトーサンは再び「うん、三月にね…」と答えるとどう反応したらよいのか分からない様子で男子たちは顔を顰めながら走り去ったが、女子のひとりはなんと両手を合わせて俯いているではないか…。

子供たちの前でもあるしと平静を装ってきたオトーサンだったが思わず泣きそうになったので「これまで可愛がってくれてありがとう」と礼を言いつつ足早にその場を離れた。
しかし何度も同じようなことを申し上げるが、ラテは近隣の子供たちに愛された幸せなワンコだった。そしてふと頭をよぎったことだが、オトーサンが子供時代に行き会った野良犬ブラッキーなどを時折懐かしく思い出すのと同様に、あの子供たちが成長し大人になっていく過程のどこかで「昔…ラテというワンコと遊んだ」ことを思い出してくれたら嬉しいと思いつつ公園を後にしたオトーサンは涙で前が見えず、しばしその場に立ちすくんでいた。