「スティーブ・ジョブズ 1995 〜ロスト・インタビュー」の注目すべき点【2】
スティーブ・ジョブズ 1995 ~ロスト・インタビュー(講談社刊)の中でスティーブ・ジョブズが発言している内容の内、注目すべき点の第2弾をご紹介してみたい。今回のテーマは「スティーブ・ジョブズの人心掌握術」といった点に注目してみた…。
スティーブ・ジョブズという人物の生涯を追っていると彼特有な人との接し方が目立つ。
残されたそうしたエピソードの多くは残念ながらジョブズという人物の特異性という以前に、我が儘で人を人とも思わず、自分中心の考えを押しつける…という印象が強い。
具体的にいうなら、人の意見を聞かない、人の意見を後に自分の意見として披露する、怒鳴る、罵倒する…などなどといったもので、1人の人間としてはそうした場面の当事者にはなりたくないものだ…。
さてそのジョブズの物言い…態度だが、何の予備知識無しにこれらのエピソードを見ればそれはひとえにスティーブ・ジョブズの性格からくるものであり、例え理不尽な言動だとしても彼自身の内面から湧き起こってくる感情であり、本人にも押さえられない類のものだと暗に考えてしまうに違いない。

※「ロスト・インタビュー」の翌年1996年、息子のリードを抱くスティーブ・ジョブズ。この年の暮れジョブズはAppleに復帰することになる
しかし今回私は「スティーブ・ジョブズ 1995 ~ロスト・インタビュー」の中で一番興味深かった点は、程度問題としてもそうした彼の言動自体を本人がよく認識しているということだった。
私が注目したジョブズの発言のひとつに「もっとも優れた人材は(プロセスではなく)コンテンツを理解できる人間だということ、同時に彼らはうんざりするほど扱いにくい人間だということを知ったよ。」というのがある。
ジョブズは様々な場で発言しているが、最高に優秀な人材を集めて仕事に集中させるというが、その優秀な人材をひとつの目標、目的に向けて力を十分に出させることは至難の業だと言っているわけだ…。

※スティーブ・ジョブズ 1995 ~ロスト・インタビュー(講談社刊)表紙
一般的に、これまで私たちはスティーブ・ジョブズ側から物事を見るという癖がついている。スティーブ・ジョブズはどう考えてどう人を動かすのか…といった具合に。しかし例えばMacintosh開発チームにしても個性豊かな人材ばかりであり、かれらはマシンのように無言で、あるいは抵抗もなくなんでもジョブズの思うがままに動くわけでは無いことを忘れがちだ。
レベルは違うものの、私自身20年以上この業界で仕事をし、一時期は自社のプログラマーは勿論のこと、周りにいる優秀な人たちと多々付き合い、彼らの思いをなるべく共有して仕事に活かそうと努力してきた。その中で個性豊かで優秀な人材ほど、扱いにくいといっては語弊があるが、彼ら彼女らは良くも悪くも自分というものが確立されており、仕事だとしてもこちらの思うようにはなかなか動いてくれないことを実体験してきた。
特にプログラマーたちにこれまで経験したことがない仕事をさせるとき、彼らの頭の中にまで入り込めるわけではないから、例えば彼らの「松田さん、そんなことできないよ」という物言いが、物理的に不可能なことなのか、彼の能力の問題なのか、あるいは頑張れば可能だが苦労してやりたくないだけなのか…が判断しづらいのだ。
しかし経営者とかリーダーの立場からすれば、彼らが「無理だ」という理由がきちんと判断できなければこれまで無かったような新しいプロダクトを生み出すことなどできやしないのだ。
Aという人材はできないと言っているが、BならできるということならBに依頼すればよいし、もし万一何らかの物理的な限界・制約があってどう考えても事が成就できないのであればそれを執拗に押し進めるのは時間の無駄だ。
人は残念ながら金だけで動いてくれるほど単純ではなく、ジョブズならずとも限られた人材を鼓舞して能力の限界まで力を発揮させるように仕向けるのも人を使う側の人間の役目なのは申し上げるまでもないことだ。
そうしたあれこれを念頭にして「スティーブ・ジョブズ 1995 〜ロスト・インタビュー」によるスティーブ・ジョブズの発言を見ると眼から鱗的な話も多い。
壁にぶち当たった開発者たちをどう動かすか。働き過ぎで睡眠不足で思考力が低下している人材にもう一働きさせるにはどうすべきか…。
したがってスティーブ・ジョブズによる開発スタッフ達への酷な言動はその場その場の感情に突き動かされたものではなく、ある面そうした動かしがたいスタッフたちを鼓舞するため、ジョブズが意識的に放ったカンフル剤だったのかも知れない…。
ジョブズは続けて「真に優秀で頼りになる人たちにしてやれることのなかで、何がいちばん重要かというと、仕事の出来が満足いくものではない時には、それを指摘してあげることだ。…簡単なことではないさ。」とここでも人使いの難しさを説いている。
スタッフらが間違った、あるいは不満足な結果しか出せなかったとき、それを辛辣に表現してきたジョブズならではの物言いは説得力がある。そもそも他人の間違いや努力不足を本人にきちんと示して納得させるのは至難の業である。
またスティーブ・ジョブズといえば、我が儘勝手な発想の連続で周りの人たちを右往左往させてきたというイメージもあるが、彼はアイデアは重要だとしながらも決してその裏付けとなる地道な努力に無理解の人間ではなかった点も明記しておきたい。
彼は言う。「すばらしいアイデアとすばらしい製品の間にはとてもつない職人技の積み重ねが必要だということ」だと…決してアイデアだけで優秀なプロダクトが出来るわけではないことは百も承知だったわけだ。
その上でスティーブ・ジョブズは自分自身のことも良く知っていたようだ。
インタビューの中で彼はいう…。「(私は)自分が正しいかどうかにこだわらないタイプ」、「反対の証拠を示されると5分後にはすっかり考えを変える…」そして「自分がよく間違えるということを、私は認める。(しかし)私にとって(それは)たいしたことではない。肝心なのは正しいことをすることだ。」とも発言している。
あのジェフ・ラスキンなどはジョブズを酷評し「彼は人のアイデアや話しを1度は否定し、次に会ったときには自分のアイデアのように主張する」といったが、ジョブズ自身そうした自分の言動を認識・意識していたというわけで、重要なことは体面とか面目の問題ではなく目的を達成することに尽きるのだ…と言いたいのだろう。
これらのインタビューで印象的なことは「人たらし」とまで言われたスティーブ・ジョブズでさえ、人を使う難しさについて認識しかつ工夫し彼なりに努力をしていたということが分かった点だった。
スティーブ・ジョブズという人物の生涯を追っていると彼特有な人との接し方が目立つ。
残されたそうしたエピソードの多くは残念ながらジョブズという人物の特異性という以前に、我が儘で人を人とも思わず、自分中心の考えを押しつける…という印象が強い。
具体的にいうなら、人の意見を聞かない、人の意見を後に自分の意見として披露する、怒鳴る、罵倒する…などなどといったもので、1人の人間としてはそうした場面の当事者にはなりたくないものだ…。
さてそのジョブズの物言い…態度だが、何の予備知識無しにこれらのエピソードを見ればそれはひとえにスティーブ・ジョブズの性格からくるものであり、例え理不尽な言動だとしても彼自身の内面から湧き起こってくる感情であり、本人にも押さえられない類のものだと暗に考えてしまうに違いない。

※「ロスト・インタビュー」の翌年1996年、息子のリードを抱くスティーブ・ジョブズ。この年の暮れジョブズはAppleに復帰することになる
しかし今回私は「スティーブ・ジョブズ 1995 ~ロスト・インタビュー」の中で一番興味深かった点は、程度問題としてもそうした彼の言動自体を本人がよく認識しているということだった。
私が注目したジョブズの発言のひとつに「もっとも優れた人材は(プロセスではなく)コンテンツを理解できる人間だということ、同時に彼らはうんざりするほど扱いにくい人間だということを知ったよ。」というのがある。
ジョブズは様々な場で発言しているが、最高に優秀な人材を集めて仕事に集中させるというが、その優秀な人材をひとつの目標、目的に向けて力を十分に出させることは至難の業だと言っているわけだ…。

※スティーブ・ジョブズ 1995 ~ロスト・インタビュー(講談社刊)表紙
一般的に、これまで私たちはスティーブ・ジョブズ側から物事を見るという癖がついている。スティーブ・ジョブズはどう考えてどう人を動かすのか…といった具合に。しかし例えばMacintosh開発チームにしても個性豊かな人材ばかりであり、かれらはマシンのように無言で、あるいは抵抗もなくなんでもジョブズの思うがままに動くわけでは無いことを忘れがちだ。
レベルは違うものの、私自身20年以上この業界で仕事をし、一時期は自社のプログラマーは勿論のこと、周りにいる優秀な人たちと多々付き合い、彼らの思いをなるべく共有して仕事に活かそうと努力してきた。その中で個性豊かで優秀な人材ほど、扱いにくいといっては語弊があるが、彼ら彼女らは良くも悪くも自分というものが確立されており、仕事だとしてもこちらの思うようにはなかなか動いてくれないことを実体験してきた。
特にプログラマーたちにこれまで経験したことがない仕事をさせるとき、彼らの頭の中にまで入り込めるわけではないから、例えば彼らの「松田さん、そんなことできないよ」という物言いが、物理的に不可能なことなのか、彼の能力の問題なのか、あるいは頑張れば可能だが苦労してやりたくないだけなのか…が判断しづらいのだ。
しかし経営者とかリーダーの立場からすれば、彼らが「無理だ」という理由がきちんと判断できなければこれまで無かったような新しいプロダクトを生み出すことなどできやしないのだ。
Aという人材はできないと言っているが、BならできるということならBに依頼すればよいし、もし万一何らかの物理的な限界・制約があってどう考えても事が成就できないのであればそれを執拗に押し進めるのは時間の無駄だ。
人は残念ながら金だけで動いてくれるほど単純ではなく、ジョブズならずとも限られた人材を鼓舞して能力の限界まで力を発揮させるように仕向けるのも人を使う側の人間の役目なのは申し上げるまでもないことだ。
そうしたあれこれを念頭にして「スティーブ・ジョブズ 1995 〜ロスト・インタビュー」によるスティーブ・ジョブズの発言を見ると眼から鱗的な話も多い。
壁にぶち当たった開発者たちをどう動かすか。働き過ぎで睡眠不足で思考力が低下している人材にもう一働きさせるにはどうすべきか…。
したがってスティーブ・ジョブズによる開発スタッフ達への酷な言動はその場その場の感情に突き動かされたものではなく、ある面そうした動かしがたいスタッフたちを鼓舞するため、ジョブズが意識的に放ったカンフル剤だったのかも知れない…。
ジョブズは続けて「真に優秀で頼りになる人たちにしてやれることのなかで、何がいちばん重要かというと、仕事の出来が満足いくものではない時には、それを指摘してあげることだ。…簡単なことではないさ。」とここでも人使いの難しさを説いている。
スタッフらが間違った、あるいは不満足な結果しか出せなかったとき、それを辛辣に表現してきたジョブズならではの物言いは説得力がある。そもそも他人の間違いや努力不足を本人にきちんと示して納得させるのは至難の業である。
またスティーブ・ジョブズといえば、我が儘勝手な発想の連続で周りの人たちを右往左往させてきたというイメージもあるが、彼はアイデアは重要だとしながらも決してその裏付けとなる地道な努力に無理解の人間ではなかった点も明記しておきたい。
彼は言う。「すばらしいアイデアとすばらしい製品の間にはとてもつない職人技の積み重ねが必要だということ」だと…決してアイデアだけで優秀なプロダクトが出来るわけではないことは百も承知だったわけだ。
その上でスティーブ・ジョブズは自分自身のことも良く知っていたようだ。
インタビューの中で彼はいう…。「(私は)自分が正しいかどうかにこだわらないタイプ」、「反対の証拠を示されると5分後にはすっかり考えを変える…」そして「自分がよく間違えるということを、私は認める。(しかし)私にとって(それは)たいしたことではない。肝心なのは正しいことをすることだ。」とも発言している。
あのジェフ・ラスキンなどはジョブズを酷評し「彼は人のアイデアや話しを1度は否定し、次に会ったときには自分のアイデアのように主張する」といったが、ジョブズ自身そうした自分の言動を認識・意識していたというわけで、重要なことは体面とか面目の問題ではなく目的を達成することに尽きるのだ…と言いたいのだろう。
これらのインタビューで印象的なことは「人たらし」とまで言われたスティーブ・ジョブズでさえ、人を使う難しさについて認識しかつ工夫し彼なりに努力をしていたということが分かった点だった。
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