スティーブ・ジョブズの命日は過ぎたが、米国「People」誌を開いて思うこと
56歳の若さで亡くなったスティーブ・ジョブズ。その日から早くも丸2年が過ぎた...。しかし彼の存在は忘れ去られるどころか映画やドキュメント映像などが次々に登場してその偉業を振り返る機会を与えてくれる。そんな中、彼の関連情報を探している中で2011年10月24日発行の米国「People」という雑誌が手に入った。
この雑誌を手にするのは初めてだが、本誌はスティーブ・ジョブズが亡くなった直後、彼に捧げられた多くのトリビュート誌のひとつだったようだ。
広告ページを含めて120ページほどの薄い雑誌たが、本号の表紙にはジョブズの元気だったころの写真が載り、バイオグラフィーとして12ページが費やされた特集「THE LIFE & GENIUS OF STEVE JOBS」が載っている。

※2011年10月24日発行の米国「People」表紙
無論本文は英語だが、日本の雑誌類とはまたひと味違った編集の妙を楽しみながらスティーブ・ジョブズの一生に思いを馳せるのもAppleユーザーなら有意義に違いない…。
ともかく最初にその表紙を見たとき、ちょっとした衝撃…というと大げさだが驚きを禁じ得なかった。なぜなら本誌の表紙には破局寸前のタイミングのはずだが、デミ・ムーアと一緒に現在上映されている映画「Steve Jobs」でジョブズ役を演じているアシュトン・カッチャーの姿が載っていたからだ!
当然アシュトン・カッチャーが載っているのはこのタイミングでは映画と無関係の筈だから偶然だろう…。
さて、スティーブ・ジョブズのメモリアルなページは58ページと59ページの見開きから始まっている。
そこには自分のオフィススペースを背景に、挑戦的かつ魅力的な眼差しを向けている若きジョブズの写真が採用され “A COLLEGE DROPOUT VISIONART, THE APPLE COMPUTER FOUNDER TAUGHT THE WORLD TO THINK DIFFERENTLY ABOUT MUSIC, MOVIE, WORK AND LIFE” というテキストが添えられている。

※特集「THE LIFE & GENIUS OF STEVE JOBS」の見開きページ
まさしくこの短いワードがスティーブ・ジョブズの業績を見事に表している。彼は大学を中退しパーソナルコンピュータの未来を見据えたこのビジョナリーはアップルコンピュータを起業し、我々の音楽や映画の楽しみ方だけでなく仕事や暮らしそのものを大きく変えてしまった…。
市販のパソコンに初めてグラフィカル・ユーザーインターフェースやマウスを採用したのも彼だし、大量の音楽をポケットに入れて持ち運び楽しむことやその音楽ならびに映画といったコンテンツを安全安価に、そして簡単にダウンロード購入する環境を整えた。さらにコンピュータグラフィックスによる長編アニメーションを実現し,電話というデバイスを再発明し、タブレットデバイスを誰でもが使える優れた製品として世に問うた…。
しかしスティーブ・ジョブズの人生は若くして成功し億万長者になったとはいえ平坦なものではなかった。自分で起業した会社内での確執に負け、製品開発メンバーから外されたこともあったし、結局は自身がヘッドハンティングしたジョン・スカリーと上手くいかずにAppleを退社するはめとなる。
その後NeXT社とピクサー社のオーナーとなるがNeXt社は鳴かず飛ばず、ピクサーも当初は資金をつぎ込むしかなかったがこちらは後に成功し市場の注目を浴びるが、ジョブズの本意はやはりコンピュータの世界で成功したかったと思われる。
そしてAppleへ劇的な復帰後、いつ倒産してもおかしくないとまで言われたAppleを立て直しただけでなく世界一の企業に成長させる。またプライベート面では良き伴侶と結婚し子供にも恵まれるが癌に冒されていくことを知る…。、
以前にも書いたと思うが、こんな主人公が登場する小説など書こうとすれば陳腐でまことに作り話のようだが、事実スティーブ・ジョブズの人生だったのだ。
ちなみに「People」本号にはホームステッド・ハイスクールのエレクトロニクスクラブの一員として仲間たちと笑っているジョブズ(1971年)、1972年のジョブズの写真から始まり、1976年および1981年の写真にはウォズニアックとのツーショットが載っている。




※特集からの抜粋ページ
続いて1989年認知したリサとのツーショット、1996年でスケートリングだろうか、子供を抱き上げる写真、結婚したローレーンと仲むつまじくベンチに座る写真(1997年)、2004年に自宅の一室で携帯電話を使っているジョブズの姿、そして2011年プレゼンを終えた後、妻ローレーンの額に自分の額を寄せるやせ衰えたジョブズの写真などで構成されている。
この「People」を眺めながら、このクレイジーな天才と同じ世界…いや業界で彼の息吹を感じながら仕事ができたことを今になって貴重な経験だと思えるようになったし、今後も彼の業績をきちんと精査するのも私のライフワークの一つであり楽しみとなったことを実感した…。
この雑誌を手にするのは初めてだが、本誌はスティーブ・ジョブズが亡くなった直後、彼に捧げられた多くのトリビュート誌のひとつだったようだ。
広告ページを含めて120ページほどの薄い雑誌たが、本号の表紙にはジョブズの元気だったころの写真が載り、バイオグラフィーとして12ページが費やされた特集「THE LIFE & GENIUS OF STEVE JOBS」が載っている。

※2011年10月24日発行の米国「People」表紙
無論本文は英語だが、日本の雑誌類とはまたひと味違った編集の妙を楽しみながらスティーブ・ジョブズの一生に思いを馳せるのもAppleユーザーなら有意義に違いない…。
ともかく最初にその表紙を見たとき、ちょっとした衝撃…というと大げさだが驚きを禁じ得なかった。なぜなら本誌の表紙には破局寸前のタイミングのはずだが、デミ・ムーアと一緒に現在上映されている映画「Steve Jobs」でジョブズ役を演じているアシュトン・カッチャーの姿が載っていたからだ!
当然アシュトン・カッチャーが載っているのはこのタイミングでは映画と無関係の筈だから偶然だろう…。
さて、スティーブ・ジョブズのメモリアルなページは58ページと59ページの見開きから始まっている。
そこには自分のオフィススペースを背景に、挑戦的かつ魅力的な眼差しを向けている若きジョブズの写真が採用され “A COLLEGE DROPOUT VISIONART, THE APPLE COMPUTER FOUNDER TAUGHT THE WORLD TO THINK DIFFERENTLY ABOUT MUSIC, MOVIE, WORK AND LIFE” というテキストが添えられている。

※特集「THE LIFE & GENIUS OF STEVE JOBS」の見開きページ
まさしくこの短いワードがスティーブ・ジョブズの業績を見事に表している。彼は大学を中退しパーソナルコンピュータの未来を見据えたこのビジョナリーはアップルコンピュータを起業し、我々の音楽や映画の楽しみ方だけでなく仕事や暮らしそのものを大きく変えてしまった…。
市販のパソコンに初めてグラフィカル・ユーザーインターフェースやマウスを採用したのも彼だし、大量の音楽をポケットに入れて持ち運び楽しむことやその音楽ならびに映画といったコンテンツを安全安価に、そして簡単にダウンロード購入する環境を整えた。さらにコンピュータグラフィックスによる長編アニメーションを実現し,電話というデバイスを再発明し、タブレットデバイスを誰でもが使える優れた製品として世に問うた…。
しかしスティーブ・ジョブズの人生は若くして成功し億万長者になったとはいえ平坦なものではなかった。自分で起業した会社内での確執に負け、製品開発メンバーから外されたこともあったし、結局は自身がヘッドハンティングしたジョン・スカリーと上手くいかずにAppleを退社するはめとなる。
その後NeXT社とピクサー社のオーナーとなるがNeXt社は鳴かず飛ばず、ピクサーも当初は資金をつぎ込むしかなかったがこちらは後に成功し市場の注目を浴びるが、ジョブズの本意はやはりコンピュータの世界で成功したかったと思われる。
そしてAppleへ劇的な復帰後、いつ倒産してもおかしくないとまで言われたAppleを立て直しただけでなく世界一の企業に成長させる。またプライベート面では良き伴侶と結婚し子供にも恵まれるが癌に冒されていくことを知る…。、
以前にも書いたと思うが、こんな主人公が登場する小説など書こうとすれば陳腐でまことに作り話のようだが、事実スティーブ・ジョブズの人生だったのだ。
ちなみに「People」本号にはホームステッド・ハイスクールのエレクトロニクスクラブの一員として仲間たちと笑っているジョブズ(1971年)、1972年のジョブズの写真から始まり、1976年および1981年の写真にはウォズニアックとのツーショットが載っている。




※特集からの抜粋ページ
続いて1989年認知したリサとのツーショット、1996年でスケートリングだろうか、子供を抱き上げる写真、結婚したローレーンと仲むつまじくベンチに座る写真(1997年)、2004年に自宅の一室で携帯電話を使っているジョブズの姿、そして2011年プレゼンを終えた後、妻ローレーンの額に自分の額を寄せるやせ衰えたジョブズの写真などで構成されている。
この「People」を眺めながら、このクレイジーな天才と同じ世界…いや業界で彼の息吹を感じながら仕事ができたことを今になって貴重な経験だと思えるようになったし、今後も彼の業績をきちんと精査するのも私のライフワークの一つであり楽しみとなったことを実感した…。
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