Apple 1 とはどのようなコンピュータだったのだろうか?
Apple 1 といったところで、ほとんどの方は実機を見たことも触ったこともないに違いない。なにしろ現存するのは世界中で数十台ほどであり、そのうち完動品は数台といわれているからだ。
すでにスミソニアン博物館などで展示されている物を別にすれば、個人所有の実機がおいそれと人の目に触れることもないだろうし、ましてや手に持ち各パーツを確認したり通電の上で起動…といった実機検証などできるはずもない。したがってコンピュータの歴史やAppleの歴史などを語る中で引用されるApple 1 の情報は二次情報どころか三次情報といったありさまなのである。
それでは語るに足りるアイテムではないとも言えるが、こればかりは仕方がない。そこで精巧なレプリカでもよいから手にしたいと長い間考えていたがこの度、幸いにも組立キットではあるものの手に入れる機会を得た。
プリント回路基板はもとより各パーツも実物と同等のものを使っており、組立が問題なければ電源(トランス)とキーボードを用意しテレビにつなげばApple1として動くはずなのだ。その1200箇所以上ものハンダ付けし組み立てる過程でApple1というコンピュータはどのようなチップが使われ、それぞれどのような役割を果たしているかの概要が身についたし、眺めているだけでは知り得ない…例えばジャンパー線の意味といったことなどについても理解できた点は非常に大きいと考えている。

※Apple1の雄姿(レプリカ)
ともかくApple 1というコンピュータがどのようなものなのかを手元のレプリカを交えながら概要をお話ししたい…。
さて我々は「Apple 1」と呼んでいるこのワンボードマイコンは正式には「Apple Computer 1」という。それは基板にきちんとエッチングされているが、無論その意味はAppleにとって最初のコンピュータであることの証しである。この社名の後に番号がつく製品はその後「Apple II」シリーズそして「Apple III」と続くがそこまでだ(笑)。後はLisaそしてMacintoshという名に引き継がれていく…。

※ボード上には"Apple Computer1" と記されている
Apple 1はAppleが会社組織になった後は完成品、すなわち組立済みで販売されたがそれでもこれを買ったユーザーは自身で別途対応するトランスとキーボードを揃えてハンダ付けし、テレビに接続してはじめて使うことが出来た。
Apple 1の原型は当初、スティーブ・ウォズニアックがホームブリューコンピュータクラブでお披露目したのがきっかけで欲しいという仲間たちに回路図やプログラム・コードなどを無償で配布し、スティーブ・ジョブズと共に仲間の家にまで出向いて組立を手伝ったりしていたのが始まりだという。
基板を手にした者は自身で必要なチップやパーツを手に入れてハンダ付けやワイヤーで結線する必要があったのである。それは手慣れたウォズニアックたちにしても数十時間を要する作業であった。それに複雑だったこともありよく壊れたという。
そこでスティーブ・ジョブズは購入者にとって配線作業が難しいのなら配線をエッチングしたボードを作れば売れるし組立も簡単になると提案する。こうしていわゆるプリント回路基板が実現するわけだが、ではそもそも手作業で作ったApple1とはどんなものだったのだろう。これは組立済みApple1の姿より知る人は少ないに違いない。
実はC/PMuseumというサイトにApple1プロトタイプの姿が多くの写真と共に紹介されている。それはApple1を設計するプロセスとしてブレッドボードを使い、ボード上に各パーツを乗せて各々のピンからそれぞれ他のピンまで手作業でワイヤーをつないだものだ。
スティーブ・ウォズニアックはこれと同様な形で一番最初のApple I を創ったに違いない。これならデバッグもやりやすいはずだが、実際に写真を見れば一般人はこんなことはやりたくないと思う人がほとんどだろう(笑)。
当該サイトには "The information on this website may be freely distributed. " とあるのでそのプロトタイプボードの画像を2枚だけ参考としてご紹介しておくが、より詳しいことはC/PMuseumサイトをご覧いただきたい。


※Apple1のプロトタイプ例
ちなみにブレッドボード(ソルダーレス・ブレッドボード)とは通常、各種電子部品やジャンパ線を差し込むだけで電子回路を組むことの出来る、はんだ付けが不要な、実験・評価・試作に用いる基板のことである。現在では広義にユニバーサル基板などを意味することもあるようだ。
したがって回路図を見ながら部品を集めて手作りしたApple1は皆こんな感じのものだったに違いない。プリント回路基板にしても多くのハンダ付けが必要で大変だが、比較すればその有難味は身にしみる…(笑)。
ところでスミソニアン博物館などに収納されているApple 1を見るとその多くは木製のケースに入れられているがそれらは所有者がそれぞれ思い思いに自作したものだ。またなぜ木製なのかといえば加工しやすいからに他ならない。したがって当時のApple Computer社はトランスやキーボードは勿論、ケースを販売していたわけではない。Apple 1の純正関連品としては少し後になるがBASICインタプリタが記録されたカセットテープと共に75ドルで販売されたカセットインターフェース、そしていくつかのソフトウェア(後述)だけである。

※Apple 1用のカセットインターフェース
確かにそれまでのホビーコンピュータは点滅するLEDを頼りにトグルスイッチを操作したり,高価なテレタイプ端末機を接続しないとまともなことは出来得なかった。しかしApple 1は前記したさまざまな制約はあるものの家庭用のテレビにつなげばそれでBASICを走らせプログラミングをすることが簡単に可能な画期的な個人向けコンピュータであった。ただしグラフィック機能はなくテキスト表示だけであり無論モノクロ表示であった。
こうしたあれこれを考慮すれば、Apple IIはもとよりだが後に続くパーソナルコンピュータの先駆けとなった先見性のあるマシンではあったが、これではApple 1をパーソナルコンピュータとは呼べないと考える…。
したがって細かなスペック比較はともかく、私が1977年に手にした富士通 FACOM L-Kit 8といったいわゆるシングルボードマイコン、あるいはワンボードマイコンの類としなければ公平ではないと思う。ちなみにそのL-Kit 8 で私は初めてのBASICを走らせ、Apple 1の多くのユーザーと同様にケースを自作した…。


※筆者が1977年に入手したワンボードマイコン FACOM K-Lit 8 (上) と木製&アクリル板で自作したケース(下)
それではここで簡単にApple 1のスペックを見てみよう。
製品に付属されたオペレーションマニュアルによれば、マイクロプロセッサにはMOS Technologyの 6502 (1.023 MHz)を採用し、RAM は4KB が付属したがオンボード上で8KBまで拡張可能。グラフィック機機はなく一画面で40 文字 x 24 行のテキスト表示で勿論モノクロ表示だった。価格は666.66ドルで販売された。
当時、このApple1を手にしたユーザーだがコンピュータの知識がまったくなかったという人は少なかったに違いない。したがって多くは自身でBASICを走らせ、何らかのプログラミングを楽しんだに違いなくAppleから販売された「APPLE 1 INTEGER BASIC LANGUAGE」はそのよりどころだっただろう。ただし当時のプログラムはすべてカセットテープで供給された。このカセットテープをカセットテープレコーダーにセットしApple1のスロットに挿したカセットオーディオ・インターフェースにつないでロードすることになる。そしてレコーダーは音楽を楽しむもので代用できたがステレオよりモノラルの安物で十分だった。
調べて見ると多くはないがそのカセットテープ供給のソフトウェアがいくつかApple Computer社からリリースされている。それらは「MONITOR/DISASSEMBLER 」といった開発ツールの他「MAZE CREATOR」「FOOTBALL 」「BLACKJACK」「APPLE-TREK」といったゲームなどだった。
現在のパソコンユーザーから見ればキャラクタベースのこれらのソフトウェアはまるで子供だましのように見えるかも知れないが、個人でコンピュータを所有しそれを使っている喜びで当時のユーザーたちは感動していたに違いない。
すでにスミソニアン博物館などで展示されている物を別にすれば、個人所有の実機がおいそれと人の目に触れることもないだろうし、ましてや手に持ち各パーツを確認したり通電の上で起動…といった実機検証などできるはずもない。したがってコンピュータの歴史やAppleの歴史などを語る中で引用されるApple 1 の情報は二次情報どころか三次情報といったありさまなのである。
それでは語るに足りるアイテムではないとも言えるが、こればかりは仕方がない。そこで精巧なレプリカでもよいから手にしたいと長い間考えていたがこの度、幸いにも組立キットではあるものの手に入れる機会を得た。
プリント回路基板はもとより各パーツも実物と同等のものを使っており、組立が問題なければ電源(トランス)とキーボードを用意しテレビにつなげばApple1として動くはずなのだ。その1200箇所以上ものハンダ付けし組み立てる過程でApple1というコンピュータはどのようなチップが使われ、それぞれどのような役割を果たしているかの概要が身についたし、眺めているだけでは知り得ない…例えばジャンパー線の意味といったことなどについても理解できた点は非常に大きいと考えている。

※Apple1の雄姿(レプリカ)
ともかくApple 1というコンピュータがどのようなものなのかを手元のレプリカを交えながら概要をお話ししたい…。
さて我々は「Apple 1」と呼んでいるこのワンボードマイコンは正式には「Apple Computer 1」という。それは基板にきちんとエッチングされているが、無論その意味はAppleにとって最初のコンピュータであることの証しである。この社名の後に番号がつく製品はその後「Apple II」シリーズそして「Apple III」と続くがそこまでだ(笑)。後はLisaそしてMacintoshという名に引き継がれていく…。

※ボード上には"Apple Computer1" と記されている
Apple 1はAppleが会社組織になった後は完成品、すなわち組立済みで販売されたがそれでもこれを買ったユーザーは自身で別途対応するトランスとキーボードを揃えてハンダ付けし、テレビに接続してはじめて使うことが出来た。
Apple 1の原型は当初、スティーブ・ウォズニアックがホームブリューコンピュータクラブでお披露目したのがきっかけで欲しいという仲間たちに回路図やプログラム・コードなどを無償で配布し、スティーブ・ジョブズと共に仲間の家にまで出向いて組立を手伝ったりしていたのが始まりだという。
基板を手にした者は自身で必要なチップやパーツを手に入れてハンダ付けやワイヤーで結線する必要があったのである。それは手慣れたウォズニアックたちにしても数十時間を要する作業であった。それに複雑だったこともありよく壊れたという。
そこでスティーブ・ジョブズは購入者にとって配線作業が難しいのなら配線をエッチングしたボードを作れば売れるし組立も簡単になると提案する。こうしていわゆるプリント回路基板が実現するわけだが、ではそもそも手作業で作ったApple1とはどんなものだったのだろう。これは組立済みApple1の姿より知る人は少ないに違いない。
実はC/PMuseumというサイトにApple1プロトタイプの姿が多くの写真と共に紹介されている。それはApple1を設計するプロセスとしてブレッドボードを使い、ボード上に各パーツを乗せて各々のピンからそれぞれ他のピンまで手作業でワイヤーをつないだものだ。
スティーブ・ウォズニアックはこれと同様な形で一番最初のApple I を創ったに違いない。これならデバッグもやりやすいはずだが、実際に写真を見れば一般人はこんなことはやりたくないと思う人がほとんどだろう(笑)。
当該サイトには "The information on this website may be freely distributed. " とあるのでそのプロトタイプボードの画像を2枚だけ参考としてご紹介しておくが、より詳しいことはC/PMuseumサイトをご覧いただきたい。


※Apple1のプロトタイプ例
ちなみにブレッドボード(ソルダーレス・ブレッドボード)とは通常、各種電子部品やジャンパ線を差し込むだけで電子回路を組むことの出来る、はんだ付けが不要な、実験・評価・試作に用いる基板のことである。現在では広義にユニバーサル基板などを意味することもあるようだ。
したがって回路図を見ながら部品を集めて手作りしたApple1は皆こんな感じのものだったに違いない。プリント回路基板にしても多くのハンダ付けが必要で大変だが、比較すればその有難味は身にしみる…(笑)。
ところでスミソニアン博物館などに収納されているApple 1を見るとその多くは木製のケースに入れられているがそれらは所有者がそれぞれ思い思いに自作したものだ。またなぜ木製なのかといえば加工しやすいからに他ならない。したがって当時のApple Computer社はトランスやキーボードは勿論、ケースを販売していたわけではない。Apple 1の純正関連品としては少し後になるがBASICインタプリタが記録されたカセットテープと共に75ドルで販売されたカセットインターフェース、そしていくつかのソフトウェア(後述)だけである。

※Apple 1用のカセットインターフェース
確かにそれまでのホビーコンピュータは点滅するLEDを頼りにトグルスイッチを操作したり,高価なテレタイプ端末機を接続しないとまともなことは出来得なかった。しかしApple 1は前記したさまざまな制約はあるものの家庭用のテレビにつなげばそれでBASICを走らせプログラミングをすることが簡単に可能な画期的な個人向けコンピュータであった。ただしグラフィック機能はなくテキスト表示だけであり無論モノクロ表示であった。
こうしたあれこれを考慮すれば、Apple IIはもとよりだが後に続くパーソナルコンピュータの先駆けとなった先見性のあるマシンではあったが、これではApple 1をパーソナルコンピュータとは呼べないと考える…。
したがって細かなスペック比較はともかく、私が1977年に手にした富士通 FACOM L-Kit 8といったいわゆるシングルボードマイコン、あるいはワンボードマイコンの類としなければ公平ではないと思う。ちなみにそのL-Kit 8 で私は初めてのBASICを走らせ、Apple 1の多くのユーザーと同様にケースを自作した…。


※筆者が1977年に入手したワンボードマイコン FACOM K-Lit 8 (上) と木製&アクリル板で自作したケース(下)
それではここで簡単にApple 1のスペックを見てみよう。
製品に付属されたオペレーションマニュアルによれば、マイクロプロセッサにはMOS Technologyの 6502 (1.023 MHz)を採用し、RAM は4KB が付属したがオンボード上で8KBまで拡張可能。グラフィック機機はなく一画面で40 文字 x 24 行のテキスト表示で勿論モノクロ表示だった。価格は666.66ドルで販売された。
当時、このApple1を手にしたユーザーだがコンピュータの知識がまったくなかったという人は少なかったに違いない。したがって多くは自身でBASICを走らせ、何らかのプログラミングを楽しんだに違いなくAppleから販売された「APPLE 1 INTEGER BASIC LANGUAGE」はそのよりどころだっただろう。ただし当時のプログラムはすべてカセットテープで供給された。このカセットテープをカセットテープレコーダーにセットしApple1のスロットに挿したカセットオーディオ・インターフェースにつないでロードすることになる。そしてレコーダーは音楽を楽しむもので代用できたがステレオよりモノラルの安物で十分だった。
調べて見ると多くはないがそのカセットテープ供給のソフトウェアがいくつかApple Computer社からリリースされている。それらは「MONITOR/DISASSEMBLER 」といった開発ツールの他「MAZE CREATOR」「FOOTBALL 」「BLACKJACK」「APPLE-TREK」といったゲームなどだった。
現在のパソコンユーザーから見ればキャラクタベースのこれらのソフトウェアはまるで子供だましのように見えるかも知れないが、個人でコンピュータを所有しそれを使っている喜びで当時のユーザーたちは感動していたに違いない。
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