1月24日、Mac生誕30周年によせて...

本日、1月24日はMacintoshが正式発表されてから丸30年目の記念日である。米国ではいくつかのセレモニーもあるようだが、よい機会だからと自身の思い出を覚えている範囲でまとめておこうと思う。とはいっても正直なところ、当時の我々はAppleが凄い新製品を出すらしい…といった漠然とした情報しか得られず、実機を見るまではその良し悪しなど分からなかった…。


Lisaは本郷のイーエスディラボラトリで見ることはできたし、Macintoshが登場する直前の1983年12月10日と11日の二日間、東京の後楽園展示会場で「第3回Apple Fest東京」という展示会でも確認できた。しかし基本システムだけで二百万円以上もするパソコンなど欲しいという気持ちにもなれなかった(笑)。したがって次に出るという安価な新型に期待はしていた…。

とはいえ当時は現在のようにインターネットもなく、米国の情報がリアルタイムに入ってくる時代ではなかった。米国のパソコン雑誌にしても2,3ヶ月も遅れて入手できるのが関の山だったし、特に世間一般的にAppleの情報はマイナーでもあり、Apple日本総代理店のイーエスディラボラトリ(ESD)を頼りにするしかなかったのである。

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※1984年1月24日に発表されたMacintosh (上) とその背面エンブレム(下)


直前までApple II を驚喜しながら使っていた我々アップルフリークにしてもAppleが開発している次世代パソコンに関して具体的に得ていた情報はほとんどなかったと記憶している。正直当時は1月24日にMacintoshが正式発表されたというニュースを数日後にどこかで知ったという程度だった。ただし当然のことながら本場米国では正式発表以前に各新聞社とも一斉にMacintoshが発表されることを報じていた。以下はその一部である。

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※ S.F.EXAMINER (1984年1月23日)【クリックで拡大】


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※S.F CHRONICLE (1984年1月19日)【クリックで拡大】


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※WALL STREET JOURNAL (1984年1月23日)【クリックで拡大】


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※NEW YORK TIMES (1984年1月19日)【クリックで拡大】


ところで紀田順一郎さんとの共著「Macの達人」(技術評論社刊) の巻頭インタビューで「なぜMacを選んだか」という問いに、私は「AppleⅡを使って遊んでいるうちに、今度はもっと凄いマシンが出るぞということで、自然な形でMacに入って来ちゃったという感じですね。」と答えている。
要はそんなに肩肘はって「Mac、マック」と声高々に待ち望み、勇んで購入したわけではなく、Macintoshへの移行はApple II への信頼の賜物であり、自然に新しい機種を使いはじめたという感じだった。

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※ESD社が国内用にと用意した最初期のMacintoshカタログ


なお上記最初期Macintoshカタログのミステリーについては別途「Macintosh 最初期国内カタログに見るミステリー?」を参照いただきたい。
ともあれ私が具体的にMacintoshのスペックなどを知ったのはESDが発行していた季刊誌「APPLEマガジン」1984年2月3月号だったと記憶している。そこに「速報 MACINTOSHのすべて」というESD社長の水島敏雄さんによる紹介記事が載っており、その記事を文字通り穴の空くほど繰り返して読んだものだ。

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※ESD発行「APPLEマガジン」1984年2月3月号 Vol.2 Nomber 1 表紙


さらにMacの発表会が2月4日から6日、10日から12日の期間行われるということも記されていたものの、この発表会にはどういう理由か、私は参加していない…。

当時は現在ほど新機種に対して闇雲な追っかけ気分はなく、実物をゆっくり確認してから判断しようという機運だったこと、そして何よりも価格が高かったからおいそれと衝動買いなどできようもなかったのである。だから、私にしても発表会という大勢の人が出向く場所に行くことはなく、いつものように会社の帰りにESDに立ち寄れば見せていただけるだろうという程度の気持ちだったに違いない。
事実私がMacintosh (128K) を購入したのは同年10月になってからであった。勿論発表は前記したように1月だったとしても出荷はリアルタイムだったわけでもなく、特に日本に入ってきた時期はずっと後になってからだったから大きく遅れを取ったわけでもないが、急いで手に入れたわけでもなかった。

1984年10月のとある日の夕方、帰社の後でESDのショールーム「コンピュータ・ラブ」に立ち寄った。広々としたショールームの机上に "ソレ" は鎮座していた。
幸い他には誰もいなかったので私はその前に陣取り、マウスを握った…。
実はマウスによるパソコンのオペレーションはNEC PC-100で実践していたから、それが初めてではなかった。しかし気楽に動かし始めたMacintoshのマウスはPC-100付属の…いわゆるマイクロソフトマウスとはまったくの別物だった!大げさでなくそれだけでショックを受けた。

まさしくMacのマウスと連動するポインタは指先の延長に思えるほど自然だったし、MacPaint上で Mac the Knife というクリップアートのボーダーラインを伸ばし、回転・反転して額縁を作ってみたが、初めての体験だというのに苦もなく完了した。
私のため息が聞こえたのか、ESD社長の手塚さんが後ろから声をかけてくれた。「素敵でしょう!?」と…。勿論私は「いいですねぇ!」と心を込めていった。

手塚さんはいきなり「すぐに送りましょうか?」という。悪い冗談かと振り向いたが、その顔は穏やかだが笑っていなかった。私は「価格がねぇ…」と形どおりの返事をすると「頭金としていくらかいただけたら送るわよ」と凄いことをおっしゃる(笑)。
私は「逆立ちしても20万円くらいしか手元にないし、しばらくは難しいです」というと手塚さんは「分かりました。松田さんの都合のよい額を頭金としてお支払いいただければ、現物は明日手配するわよ」という...。
結局冗談ではなく何と翌々日には自宅の机上にMacintoshが鎮座することになったのである。これはその時撮った写真である。

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※届いたばかりのMacintoshを撮影。下はMacPaintによるクリップアート「Mac the Knife」画面


しかしイメージライター(プリンタ)も一緒に購入したことでもあり、残金は60万円ほどもあった。無論毎月均等額を返済するつもりだったが、手塚さんの話は私の予想をはるかに超えていた。
なぜなら「APPLEマガジンの編集長をやってくれない?」といわれる…。それまでにも原稿を寄稿したことがあるから、それがどのような意味をなす話なのかは分からないわけでもなかったが、続けて手塚さんは「勿論毎月アルバイト料をお出しするから、お願いできないかしら…」とアルバイトの口まで斡旋してくださったのである(笑)。

結局その翌月1日付けで早々と簡単な書面を取り交わし「APPLEマガジン」の編集長に就任した。ここではその金額欄は伏せておくが、アルバイトの仕事は楽しかったし毎月いただける報酬額も私にとって決して少なくなかった事を明言しておきたい(笑)。おかげで返済もスムースに完了することになった。

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※ESD社から1年間「APPLEマガジン」編集長を委託された書面(1984年11月1日付)


当時は今と比較して金回りは良かったとはいえ、こうした奇異なきっかけがなければMacintoshを手にする機会はしばらく後になったと思われる。
きれい事に聞こえるかも知れないが、私にとってMacintoshの魅力は決してそのデザインとかスペックといった製品だけの魅力で成り立っていたわけではないのである。

暗くなってから「コンピュータ・ラブ」のドアを「今晩は!」と開けると事務所の向こうから「あら、松田さん?ちょうどよい所にいらした…。いまワインを開けたところだからご一緒してください」などと声をかけていただくこともあった。無論そこではAppleの最新情報を得ることができた。だからESD社に行くことそのものが楽しみだった。そしてMacintoshを触媒にして前記した紀田順一郎さんをはじめ、実に多くの方々と知り合い、アップルの輪を広げていけたことが面白くて仕方なかったのだ…。

前記「Macの達人」の中で紀田順一郎さんは続ける…。「朝パッと目を覚ますと、机の上にMacが見えるんですよ。そうすると『ああ、今日も愉しいことがあるな』という感じになるわけ(笑)。98を見てもそうは感じない。理屈じゃないんですよ。」と…。
当時の私たちは情報は希薄でもMacの小さなモニターの向こうに、Appleというリベラルな香りと最先端テクノロジーの風を敏感に感じ取っていたのかも知れない。
とはいえマイナーなMacが…Appleがこれほどまでに躍進するとは当時の誰もが予想できなかったことだ。30年という歳月を振り返ると瞬きするほど短いようにも思えるが、Appleは間違いなく世界を変えたのだ。
今日は久しぶりにMacintosh 128Kを起動させてみようか…。



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Author:mactechlab
主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。2017年6月3日、時代小説「首巻き春貞 - 小石川養生所始末」を上梓(電子出版)。続けて2017年7月1日「小説・未来を垣間見た男 スティーブ・ジョブズ」を電子書籍で公開。また直近では「木挽町お鶴捕物控え」を発表している。
2018年春から3Dプリンターを複数台活用中であり2021年からはレーザー加工機にも目を向けている。ゆうMUG会員