世界最初のマイクロプロセッサ Intel 4004 が当研究所に!
1971年に誕生した世界初のマイクロプロセッサといわれる Intel 4004。その貴重なチップなどが期間限定で我が研究所に届けられた。提供いただいたのは株式会社 技術少年出版のマイコン博物館準備室だが、その雄姿を眺めながら、パーソナルコンピュータ誕生に不可欠なマイクロプロセッサの歴史に夢を馳せるのも面白いと考え、今回は4004開発の概要とそれらにまつわる人間模様を眺めてみたい。
そもそも4004マイクロプロセッサの開発は日本のビジコン社が高等関数を含む上級者向けの電卓を作るため、インテル社にカスタムチップの製造を依頼したのが発端だった。


※株式会社 技術少年出版 マイコン博物館準備室より貸出を受けた歴史的LSIたち(上)とインテル社データシート1978年版(下)
一般用としては世界初のマイクロプロセッサといわれる4004の開発…というと一番に名前があがるのはインテルのマーシャル・ホフ(Marcian Edward Hoff Jr.)、通称テッド・ホフだろう…。
例えばアスキー出版局刊「実録!天才発明家」にはスティーブ・ウォズニアックらと共にマイクロプロセッサの発明者としてテッド・ホフのインタビューが載っているが、それらを読むとお国柄だとしても自己主張が目立ち、まるで彼1人で4004を開発したような印象を受ける(笑)。

※世界初のマイクロプロセッサといわれるインテル 4004
とはいえ実際には同じくインテルのフェデリコ・ファジン(Federico Faggin)というプロジェクトリーダーの元、ビジコン社の社員としてインテルに赴いた嶋正利の的確な論理設計なくしては完成できなかったはずだ。嶋正利の回顧によれば、MPU本体を発明したのは確かにホフであったが、マイクロプロセッサに仕上げたのは嶋自身であったという。そして紆余曲折の後、開発に成功した4004は1971年にビジコン社へ納品された。
嶋はまた世界初のマイクロプロセッサ4004 CPUとそのファミリーLSI (後述)が成功裏に開発された理由を「電卓に採用したプログラム論理方式で触発された基本的アイデア自身が第1に挙げられるが、応用技術、アーキテクチャ、論理、回路、レイアウト、それぞれの開発技術者と設計技術者が非常にうまく仕事の引き継ぎをしたこと」と述べている…。
その詳細は嶋正利著「マイクロコンピュータの誕生 ~ わが青春の4004」(岩波書店刊)に詳しいので、すでに出版から27年ほども経った書籍ではあるが是非ご一読をお勧めしたい。

※嶋正利著「マイクロコンピュータの誕生 ~ わが青春の4004」(岩波書店刊)表紙
ともあれ1971年、1ドルが360円の時代に4004のサンプル価格は100ドルもしたが、”マイクロコンピュータ” という名称は同年秋のウェスコン・ショーにおいて、テッド・ホフにより4004がファミリーLSIを含めたMCS-4 (Micro Computer System) として発表されたことに由来するという。ちなみにMCS-4 とは4004の他、マスクROM 4001、RAM 4002、シフトレジスタ兼出力ポートの4003で構成されていた。

※4004ファミリーの 4001(マスクROM) および4002( RAM )
同じ頃、インテルは「エレクトロニクス・ニューズ」に広告を出し「集積エレクトロニクスの新時代をお知らせします…たった1個のチップ上に、プログラム可能な超小型コンピュータを搭載しました」と表明する。
しかし実際にコンピュータとして動作させるには4004だけでなくMCS-4シリーズのメモリや制御チップを必要とするため、この物言いは言い過ぎだったが、マイクロプロセッサの魅力を多くの人たちに強く印象づけることになった。そして “マイクロプロセッサ” という言葉も1972年にインテルによって作られた新語である。
ところでフェアチャイルドセミコンダクターとインテルの共同創業者の1人だったロバート・ノイス(Robert N Noyce)は当初マイクロプロセッサの製造は企業として愚かな行為ではないかと考えていた…。
彼が「コンピュータのチップはコンピュータ1台につき1個しか売れない。しかしメモリチップはコンピュータ1台当たり数百個も売れる」と言い放ったという話はよく知られているが、要はビジネスとして成り立たないと考えていたようだ。しかし 4004と後継4040はもとよりだが、8008および8080は商業的にも大きな成功を収めたことはご承知の通りである。


※インテル8008(上)と8080マイクロプロセッサ
こうしてマイクロプロセッサの誕生前後を眺めると、すぐにでもいわゆる個人用のコンピュータが登場しても良いと思うし、まさしく技術的には可能だったに違いない。しかし本当の意味でのパーソナルコンピュータ…Apple II が生まれるまでにはさらに6年ほどの歳月を必要としたこと、そしてその誕生はインテルやIBMといった大企業からではなくホビイストたちから誕生したことは特筆に値する。無論4004登場のきっかけが日本企業にあったことや、日本の技術者の働きがあったことは誇らしいことだ…。
その後、テッド・ホフはインテルで重要な地位につき、嶋はリコー経由でインテルに入り8080の開発に携わっただけでなく、ファジンが設立したザイログ社に呼ばれ8ビットCPUの傑作、Z80の開発にも携わった。
ファジン自身はその後、日本のカメラメーカー シグマ(SIGMA)社が採用したユニークなデジタルカメラセンサー「Foveon X3」を開発した米フォビオン社のCEOを務めたが、フォビオン社は2008年シグマ社に買収される…。
世界初のマイクロプロセッサ4004の開発メンバーは、CPU草創期にそれぞれ大変重要な役割を果たしたのである。それにしても4004の歴史を追っていたら、先頃手にしたSIGMA DP3 Merrill にも採用されているFoveon X3の話に結び付くのだから面白い…。
【Intel 4004等 CPU提供】
・株式会社技術少年出版 マイコン博物館準備室
【主な参考資料】
・海文堂刊「コンピュータ 200年史~情報マシン開発物語~」
・翔泳社刊「僕らのパソコン30年史」
・岩波書店刊「マイクロコンピュータの誕生 ~ わが青春の4004」
・アスキー出版局刊「実録!天才発明家」
そもそも4004マイクロプロセッサの開発は日本のビジコン社が高等関数を含む上級者向けの電卓を作るため、インテル社にカスタムチップの製造を依頼したのが発端だった。


※株式会社 技術少年出版 マイコン博物館準備室より貸出を受けた歴史的LSIたち(上)とインテル社データシート1978年版(下)
一般用としては世界初のマイクロプロセッサといわれる4004の開発…というと一番に名前があがるのはインテルのマーシャル・ホフ(Marcian Edward Hoff Jr.)、通称テッド・ホフだろう…。
例えばアスキー出版局刊「実録!天才発明家」にはスティーブ・ウォズニアックらと共にマイクロプロセッサの発明者としてテッド・ホフのインタビューが載っているが、それらを読むとお国柄だとしても自己主張が目立ち、まるで彼1人で4004を開発したような印象を受ける(笑)。

※世界初のマイクロプロセッサといわれるインテル 4004
とはいえ実際には同じくインテルのフェデリコ・ファジン(Federico Faggin)というプロジェクトリーダーの元、ビジコン社の社員としてインテルに赴いた嶋正利の的確な論理設計なくしては完成できなかったはずだ。嶋正利の回顧によれば、MPU本体を発明したのは確かにホフであったが、マイクロプロセッサに仕上げたのは嶋自身であったという。そして紆余曲折の後、開発に成功した4004は1971年にビジコン社へ納品された。
嶋はまた世界初のマイクロプロセッサ4004 CPUとそのファミリーLSI (後述)が成功裏に開発された理由を「電卓に採用したプログラム論理方式で触発された基本的アイデア自身が第1に挙げられるが、応用技術、アーキテクチャ、論理、回路、レイアウト、それぞれの開発技術者と設計技術者が非常にうまく仕事の引き継ぎをしたこと」と述べている…。
その詳細は嶋正利著「マイクロコンピュータの誕生 ~ わが青春の4004」(岩波書店刊)に詳しいので、すでに出版から27年ほども経った書籍ではあるが是非ご一読をお勧めしたい。

※嶋正利著「マイクロコンピュータの誕生 ~ わが青春の4004」(岩波書店刊)表紙
ともあれ1971年、1ドルが360円の時代に4004のサンプル価格は100ドルもしたが、”マイクロコンピュータ” という名称は同年秋のウェスコン・ショーにおいて、テッド・ホフにより4004がファミリーLSIを含めたMCS-4 (Micro Computer System) として発表されたことに由来するという。ちなみにMCS-4 とは4004の他、マスクROM 4001、RAM 4002、シフトレジスタ兼出力ポートの4003で構成されていた。

※4004ファミリーの 4001(マスクROM) および4002( RAM )
同じ頃、インテルは「エレクトロニクス・ニューズ」に広告を出し「集積エレクトロニクスの新時代をお知らせします…たった1個のチップ上に、プログラム可能な超小型コンピュータを搭載しました」と表明する。
しかし実際にコンピュータとして動作させるには4004だけでなくMCS-4シリーズのメモリや制御チップを必要とするため、この物言いは言い過ぎだったが、マイクロプロセッサの魅力を多くの人たちに強く印象づけることになった。そして “マイクロプロセッサ” という言葉も1972年にインテルによって作られた新語である。
ところでフェアチャイルドセミコンダクターとインテルの共同創業者の1人だったロバート・ノイス(Robert N Noyce)は当初マイクロプロセッサの製造は企業として愚かな行為ではないかと考えていた…。
彼が「コンピュータのチップはコンピュータ1台につき1個しか売れない。しかしメモリチップはコンピュータ1台当たり数百個も売れる」と言い放ったという話はよく知られているが、要はビジネスとして成り立たないと考えていたようだ。しかし 4004と後継4040はもとよりだが、8008および8080は商業的にも大きな成功を収めたことはご承知の通りである。


※インテル8008(上)と8080マイクロプロセッサ
こうしてマイクロプロセッサの誕生前後を眺めると、すぐにでもいわゆる個人用のコンピュータが登場しても良いと思うし、まさしく技術的には可能だったに違いない。しかし本当の意味でのパーソナルコンピュータ…Apple II が生まれるまでにはさらに6年ほどの歳月を必要としたこと、そしてその誕生はインテルやIBMといった大企業からではなくホビイストたちから誕生したことは特筆に値する。無論4004登場のきっかけが日本企業にあったことや、日本の技術者の働きがあったことは誇らしいことだ…。
その後、テッド・ホフはインテルで重要な地位につき、嶋はリコー経由でインテルに入り8080の開発に携わっただけでなく、ファジンが設立したザイログ社に呼ばれ8ビットCPUの傑作、Z80の開発にも携わった。
ファジン自身はその後、日本のカメラメーカー シグマ(SIGMA)社が採用したユニークなデジタルカメラセンサー「Foveon X3」を開発した米フォビオン社のCEOを務めたが、フォビオン社は2008年シグマ社に買収される…。
世界初のマイクロプロセッサ4004の開発メンバーは、CPU草創期にそれぞれ大変重要な役割を果たしたのである。それにしても4004の歴史を追っていたら、先頃手にしたSIGMA DP3 Merrill にも採用されているFoveon X3の話に結び付くのだから面白い…。
【Intel 4004等 CPU提供】
・株式会社技術少年出版 マイコン博物館準備室
【主な参考資料】
・海文堂刊「コンピュータ 200年史~情報マシン開発物語~」
・翔泳社刊「僕らのパソコン30年史」
・岩波書店刊「マイクロコンピュータの誕生 ~ わが青春の4004」
・アスキー出版局刊「実録!天才発明家」
- 関連記事
-
- BCLを懐かしみ ANDO AM/FM/SW 5バンドラジオ「ER4-330SP」を入手 (2014/03/31)
- 当研究所の簡易ミニ・スタジオ公開 (2014/03/12)
- トンデモ説?! 〜 スティーブ・ジョブズがiPhoneを発想した原点の考察 (2014/03/07)
- (株)技術少年出版 Legacy8080 体験デモルーム訪問記 (2014/02/26)
- S-100バスのメモリボードとムーアの法則幻想 (2014/02/17)
- 世界最初のマイクロプロセッサ Intel 4004 が当研究所に! (2014/02/07)
- パソコン環境37年間の推移を振り返る (2014/01/22)
- 謹賀新年 2014 (2014/01/01)
- Apple/Macテクノロジー研究所、2013年度を振り返って... (2013/12/31)
- Merry Christmas (2013/12/24)
- データ記録媒体としてのコンパクト・カセットテープ雑感 (2013/12/20)