イメージ・グラフィズム「眼の劇場〜image&imagination」
この4月にご紹介した「Appleテクノロジー研究所が薦める『読書リスト』40選」の中にあって少々異色な選択と思われたかも知れない1冊は松岡正剛著「眼の劇場」ではないだろうか。今回は 2,3 問い合わせをいただいた本書についての私的考察をお届けしたいと思う。
20代から30代の私に一番影響を与えた作家といえば、たぶんに松岡正剛と渋澤龍彦だった。特に松岡正剛の百科全書的視野の広さは私の嗜好に合い、直接間接に多くのインスピレーションを与えられた。まさに活字中毒といわれるほど本を読んできたその原動力のひとつがここにあったといえる。
小さな部屋、小さな本棚、小さな押入が本で溢れたこともあり、かつ数度の引っ越し時に大なたを振るって幾多の本を処分した。しかし現在でもその片鱗だけは残っている。そしてたまたま新刊本で面白いものがないときはそうした古い本を引っ張り出して眺めるのがこれまたなかなかに楽しいのだ。そこには若いときに感動した "モノ" が多々詰まっているし、なかには自分の青臭い書き込みを見つけたりして苦笑する(笑)。
先般その1980年8月25日に工作舎より発行された「眼の劇場〜image & imagination」(松岡正剛著)をあらためてぱらぱらと眺めてみたが大変面白かった...。

※「眼の劇場〜image & imagination」松岡正剛著(工作舎刊)の化粧箱と帯
この本は少し後れて出た(1980年12月31日)「概念工事〜image & imagination」を含む三冊シリーズの一冊目であり、3,200円という価格は当時として豪華本の類だった。
「眼の劇場〜image & imagination」は「イメージの起源」を見つめようとする美術・デザイン・写真をテーマにした異色のエッセイ集といったものだが、松岡正剛から発せられる "言葉" のマジックは一見無関係と思われる概念を結びつける接着性を持っているように思える。そしてそれは意外性も含め眼にも耳にも心地よいのだから...たまらない(笑)。
松岡正剛ワールドには我々の持っている知の探求を求める根元的ななにかを触発する言霊があふれかえっているように思える。
ちょっとその中のいくつかをご紹介してみたいが、読み返せばいまでも知的アレドナリンが放出するのが分かる(笑)。ちなみに緑色のテキストは私のコメントである。
"デザインの本質は、人間と自然の関係が詰まっている箱のふたを、おもいがけない場所から開くところにある。この〈おもいがけなさ〉がないデザインは、つまらない。" (知覚の不確定性原理)
そういえば昨今デザイナーは多いけど、皆こぎれいにまとめただけの作品が多く〈おもいがけなさ〉を期待できる作家は少ない。
"どんな写真家であれ、どんな写真であれ、写真が写し撮っている事態はつねに「場所」と「存在」以外のなにものでもない。" (場所と複写)
昔は「そんなことはないだろう!」とあれこれ反論しようとあがいたが、あがけばそれだけ松岡正剛宇宙にのめり込んでしまう(笑)。私が写真に好んで入れ込みたい「気配感」も突き詰めれば「存在」そのものなのだろう。
"総じてすぐれた写真は音を出しているものだ。" (写真のなかの量子雑音)
松岡正剛は別の項で「光の失速した状態が音であり、したがって音は大幅に加速されれば光に昇格することもできるはずである。でなければ、どうしてドップラー効果が音にも光にも成立しえようか」といっている。確かに写真はその光の一瞬を閉じこめたものだからして、一瞬の音を聞き取れるのかも知れない...というより眼で音を聴く訓練が必要か。
こうした内容がオブジェ論、美術論、デザイン論そして写真論という類別で一冊の本になっているのが「眼の劇場〜image & imagination」である。しかし例えばそこに論じられている関連の人名だけをあげても膨大な人数になる。それだけ松岡正剛の展開は多義に渡り、そして話は回帰する。
ちなみにざっと目につく引用された人物をあげてみると.....
ヘルマン・ヘッセ、ラファエロ、ロセッティ、マルクス、マルセル・デュシャン、アンドレ・ブルトン、エルンスト・マッハ、ヘーゲル、ニーチェ、ジャン・コクトー、黒沢明、フェデリコ・フェリーニ、スタンリー・キューブリック、ポオ、ボードレール、稲垣足穂、サルトル、アタナシウス・キルヒャ、スウェデンボルグ、ウスペンスキー、メーテルリンク、ライプニッツ、ホワイトヘッド、パウル・クレー、三島由紀夫、マックス・エルンスト、ポール・デルヴォー、レオナルド・ダビンチ、パスカル、ジャン・ジュネ、ロジェ・カイヨウ、宮沢賢治、ジョルジュ・バタイユ、プラトン、シェイクスピア、シュレディンガー、アインシュタイン、ヤコブ・ベーメ、ペンフィールド、空海、吉田一穂、ライエル・ワトソン、アリストテレス、ガリレオ、ハイゼンベルグ、湯川秀樹、ファラデー、マックスウェル、ニュートン、ヨハネス・ケプラー、リーマン、ロバチェフスキー、マン・レイ、福田繁雄、杉浦康平、ヨハン・ホイジンガー、エドワード・ホール、ゲーテ、ガウス、ヒルベルト、寺田寅彦、マイブリッジ、ジュール・マレイ、ヴィトゲンシュタイン、エリファス・レヴィ、コリン・ウィルソン、オーギュスト・ロダン、リルケ、ジイド、ヘルムホルツ、オスカー・ワイルド、江戸川乱歩、タルコフスキー、ユージン・スミス、アンセル・アダムス、ポール・ディラック、マイケルソン=モーリー、マックスウェル、フレッド・ホイル、ガウス、ウォーホール、ハーシェル、ブトレマスオス、ビアズレー、カンディンスキー、ダゲール、ニエプス、クロポトキン、森永純、藤子不二雄、ダンテ、芭蕉、本阿弥光悦、津島秀彦、まりの・るうにい、坂田栄男、マレーネ・ディートリヒ、西岡文彦、戸田ツトム、フェルメール、レンブラント、ジョージ・ルーカス、リチャード・モリス、ルイジ・コラーニ、宗達、近松、西鶴、北斎などなど...。「ふうっ...(笑)」
まず松岡正剛に立ち向かう前にこれらの人々が何者なのかを知るため、大いなる時間を費やした私の青春であった(笑)。
前日Amazonで検索したら「眼の劇場〜image & imagination」は中古がかなりの高額でひっかかった。正直この価格では気軽にお勧めできないが、もしどこかで巡り会ったら、是非手に取って欲しい一冊だ。そして私にとっては相変わらずイメージやデザインそして写真といった物事を考える時の起爆剤であり、ある種のバイブルでもある。
20代から30代の私に一番影響を与えた作家といえば、たぶんに松岡正剛と渋澤龍彦だった。特に松岡正剛の百科全書的視野の広さは私の嗜好に合い、直接間接に多くのインスピレーションを与えられた。まさに活字中毒といわれるほど本を読んできたその原動力のひとつがここにあったといえる。
小さな部屋、小さな本棚、小さな押入が本で溢れたこともあり、かつ数度の引っ越し時に大なたを振るって幾多の本を処分した。しかし現在でもその片鱗だけは残っている。そしてたまたま新刊本で面白いものがないときはそうした古い本を引っ張り出して眺めるのがこれまたなかなかに楽しいのだ。そこには若いときに感動した "モノ" が多々詰まっているし、なかには自分の青臭い書き込みを見つけたりして苦笑する(笑)。
先般その1980年8月25日に工作舎より発行された「眼の劇場〜image & imagination」(松岡正剛著)をあらためてぱらぱらと眺めてみたが大変面白かった...。

※「眼の劇場〜image & imagination」松岡正剛著(工作舎刊)の化粧箱と帯
この本は少し後れて出た(1980年12月31日)「概念工事〜image & imagination」を含む三冊シリーズの一冊目であり、3,200円という価格は当時として豪華本の類だった。
「眼の劇場〜image & imagination」は「イメージの起源」を見つめようとする美術・デザイン・写真をテーマにした異色のエッセイ集といったものだが、松岡正剛から発せられる "言葉" のマジックは一見無関係と思われる概念を結びつける接着性を持っているように思える。そしてそれは意外性も含め眼にも耳にも心地よいのだから...たまらない(笑)。
松岡正剛ワールドには我々の持っている知の探求を求める根元的ななにかを触発する言霊があふれかえっているように思える。
ちょっとその中のいくつかをご紹介してみたいが、読み返せばいまでも知的アレドナリンが放出するのが分かる(笑)。ちなみに緑色のテキストは私のコメントである。
"デザインの本質は、人間と自然の関係が詰まっている箱のふたを、おもいがけない場所から開くところにある。この〈おもいがけなさ〉がないデザインは、つまらない。" (知覚の不確定性原理)
そういえば昨今デザイナーは多いけど、皆こぎれいにまとめただけの作品が多く〈おもいがけなさ〉を期待できる作家は少ない。
"どんな写真家であれ、どんな写真であれ、写真が写し撮っている事態はつねに「場所」と「存在」以外のなにものでもない。" (場所と複写)
昔は「そんなことはないだろう!」とあれこれ反論しようとあがいたが、あがけばそれだけ松岡正剛宇宙にのめり込んでしまう(笑)。私が写真に好んで入れ込みたい「気配感」も突き詰めれば「存在」そのものなのだろう。
"総じてすぐれた写真は音を出しているものだ。" (写真のなかの量子雑音)
松岡正剛は別の項で「光の失速した状態が音であり、したがって音は大幅に加速されれば光に昇格することもできるはずである。でなければ、どうしてドップラー効果が音にも光にも成立しえようか」といっている。確かに写真はその光の一瞬を閉じこめたものだからして、一瞬の音を聞き取れるのかも知れない...というより眼で音を聴く訓練が必要か。
こうした内容がオブジェ論、美術論、デザイン論そして写真論という類別で一冊の本になっているのが「眼の劇場〜image & imagination」である。しかし例えばそこに論じられている関連の人名だけをあげても膨大な人数になる。それだけ松岡正剛の展開は多義に渡り、そして話は回帰する。
ちなみにざっと目につく引用された人物をあげてみると.....
ヘルマン・ヘッセ、ラファエロ、ロセッティ、マルクス、マルセル・デュシャン、アンドレ・ブルトン、エルンスト・マッハ、ヘーゲル、ニーチェ、ジャン・コクトー、黒沢明、フェデリコ・フェリーニ、スタンリー・キューブリック、ポオ、ボードレール、稲垣足穂、サルトル、アタナシウス・キルヒャ、スウェデンボルグ、ウスペンスキー、メーテルリンク、ライプニッツ、ホワイトヘッド、パウル・クレー、三島由紀夫、マックス・エルンスト、ポール・デルヴォー、レオナルド・ダビンチ、パスカル、ジャン・ジュネ、ロジェ・カイヨウ、宮沢賢治、ジョルジュ・バタイユ、プラトン、シェイクスピア、シュレディンガー、アインシュタイン、ヤコブ・ベーメ、ペンフィールド、空海、吉田一穂、ライエル・ワトソン、アリストテレス、ガリレオ、ハイゼンベルグ、湯川秀樹、ファラデー、マックスウェル、ニュートン、ヨハネス・ケプラー、リーマン、ロバチェフスキー、マン・レイ、福田繁雄、杉浦康平、ヨハン・ホイジンガー、エドワード・ホール、ゲーテ、ガウス、ヒルベルト、寺田寅彦、マイブリッジ、ジュール・マレイ、ヴィトゲンシュタイン、エリファス・レヴィ、コリン・ウィルソン、オーギュスト・ロダン、リルケ、ジイド、ヘルムホルツ、オスカー・ワイルド、江戸川乱歩、タルコフスキー、ユージン・スミス、アンセル・アダムス、ポール・ディラック、マイケルソン=モーリー、マックスウェル、フレッド・ホイル、ガウス、ウォーホール、ハーシェル、ブトレマスオス、ビアズレー、カンディンスキー、ダゲール、ニエプス、クロポトキン、森永純、藤子不二雄、ダンテ、芭蕉、本阿弥光悦、津島秀彦、まりの・るうにい、坂田栄男、マレーネ・ディートリヒ、西岡文彦、戸田ツトム、フェルメール、レンブラント、ジョージ・ルーカス、リチャード・モリス、ルイジ・コラーニ、宗達、近松、西鶴、北斎などなど...。「ふうっ...(笑)」
まず松岡正剛に立ち向かう前にこれらの人々が何者なのかを知るため、大いなる時間を費やした私の青春であった(笑)。
前日Amazonで検索したら「眼の劇場〜image & imagination」は中古がかなりの高額でひっかかった。正直この価格では気軽にお勧めできないが、もしどこかで巡り会ったら、是非手に取って欲しい一冊だ。そして私にとっては相変わらずイメージやデザインそして写真といった物事を考える時の起爆剤であり、ある種のバイブルでもある。
- 関連記事
-
- イングリッシュパブ 「シャーロック・ホームズ」でランチを! (2014/10/01)
- お宅のエアコン、ボコボコと異音しませんか? (2014/09/26)
- 石田伸也著「ちあきなおみに会いたい。」徳間文庫刊再読と彼女の歌声に酔う (2014/09/19)
- 佐伯泰英著「惜櫟荘だより」岩波書店刊を読了 (2014/09/10)
- 佐伯泰英氏の時代小説「吉原裏同心」の魅力 (2014/09/01)
- イメージ・グラフィズム「眼の劇場〜image&imagination」 (2014/07/30)
- 「大塚国際美術館 ひとり旅」特設ページ (2014/06/29)
- 本当に昔はよかったのか? (2014/06/18)
- 伊勢木綿再び〜今度は手拭いを購入 (2014/05/28)
- アロハシャツの魅力 (2014/05/21)
- 私の桜・サクラ・さくら...考 (2014/04/17)