2001年10月23日、スティーブ・ジョブズによる「iPod発表イベント」再考

私たちのミュージックライフを一変させたiPod。それは2001年10月23日、クパチーノApple本社のタウンホールにおいて開催されたプライベートイベントでスティーブ・ジョブズにより発表された。いまでもYouTubeなどを探せばその際の映像を見ることができるはずだ。ただしその発表会と市場の反応は些か地味なものだった…。


今回は2007年発刊(原本は2006年)のスティーブン・レヴィ著「iPodは何を変えたのか?」(ソフトバンク クリエイティブ刊)を参考にしながら iPod発表当時のあれこれを再考してみたいと思う。なにしろ今日のAppleを築き成功へ導いたのはこの当初は期待されなかった iPodがきっかけだったのだから…。

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※スティーブン・レヴィ著「iPodは何を変えたのか?」ソフトバンク クリエイティブ刊表紙


さて、アシュトン・カッチャー主演の映画「スティーブ・ジョブズ」も冒頭はこのiPodの発表エピソードから始まっている。
ステージ上手から登壇したスティーブ・ジョブズはリモコンを手にしながらいつものように魅惑的なジョブズワールドをスタートするが、招待者で埋まった客席からの反応はいまいちだった…。

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※iPod発表イベントでジーンズから iPodを取り出し掲げるスティーブ・ジョブズ


そういえば映画「スティーブ・ジョブズ」ではiPodが示されると会場からスタンディングオーベーションを受けるが実際には儀礼程度の拍手が湧き起こった程度だったし、その拍手の多くは最前列に座っていたアップル関係者たちからのものだったように見える。そこには現CEOのティム・クックやジョナサン・アイブの姿もあった。

なぜ会場の反応がいまいちだったかは明白だ。そのプライベートイベントで発表されるのは音楽プレーヤーだという情報が巷に流れていたし、Appleからの招待状には「Macではないもの」と明記されていた。
MP3プレイヤー、すなわちデジタル・ミュージックプレーヤーは数年前から市場に存在していたものの飛びついた新しもの好きも少々ウンザリするできの悪い製品がほとんどだった。

数曲からせいぜい十数曲しか内蔵できずそのインターフェースは不可解でさきほど聴けた音楽がどういうわけか今度は再生できない…などということも多々あり得た。それに製品の見た目も酷い物が多かった。
スティーブン・レヴィにいわせれば「見た目はお祭りでハズレくじを引いた人に渡される安物のプラスチック製オモチャのようだった」といった製品が目立った。

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※当時私が使っていたMP3プレーヤー。SDカードにデータを記録できるが大変使いづらかった


したがって…というか、ミュージック・プレーヤーはミュージック・プレーヤーであり、iMacを始めとして革新的な製品作りで評価されてきたAppleにしても市場を作り替えるのは無茶な話のように思えた。Appleが作るミュージック・プレイヤーだとしても果たしてジョブズがいう「画期的な新製品」に値するのだろうか? と多くの人たちが考えた…。

そして相変わらず口さがないアナリストたちは、「Appleが本業から脇道に逸れ、骨折り損で終わるだろう」とか「この手の製品がどれほどの金になるのだろう」と訝っていた。だから、この手のオモチャに400ドルは高すぎるし、1000曲をポケットに入れられるというが、それで何か革新的なことが起きるのだろうか…といった反応が多かったのである。

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※初代 iPodの雄姿 (当研究所所有)


ただし実はこの発表会の時期、米国は重苦しい空気が充満していたのである。それはあの9月11日のテロからまだ1ヶ月ほどしか経過していない時期であり、ジョブズは勿論招待状を受け取って出席した人たちも漠然とした不安を抱え、目標とか近未来のビジョンを叫んでもどこか薄ら寒い感じが否めなかったであろうことは忘れてはならない。

例えば「ハッカー」や「マッキントッシュ物語―僕らを変えたコンピュータ」「人工生命―デジタル生物の創造者たち」などの著書でも知られるテクノロジーライターのスティーブン・レヴィ自身でさえ、Appleから招待状を受け取りながらも珍しく出席しなかった…。彼は自著「iPodは何を変えたのか?」でいう。
「普段の私なら、あの魅惑的なジョブズの発表イベントで今度はどんな新機軸が語られるのか一目見るために、一も二もなく飛行機に飛び乗っていたところだ」といいつつ「(当時の)私は他のニューヨーク住民と同じように鬱状態にあった。」と。そしてこの時期はまだ自爆テロに続いて炭疽菌テロも起こっていた時期で、東海岸を離れられなかったという。それに発表は「Macではなく音楽プレーヤー」であるという情報は事前に漏れ伝わっていたから、繰り返すがあまり期待されていなかったのも事実だった。

それにこのiPodの発表会が些か地味に思えたのも実はスティーブ・ジョブズの配慮があったからだった。
前記した「iPodは何を変えたのか?」によれば、発表会の後にレヴィにジョブズから電話がかかってきたときの会話が紹介されている。
やはりテロの話題を避けては通れなかったが、ジョブズはあのテロの後、アップルが間違った表現で誰かを傷つけたりしないよう、新製品の紹介の仕方を充分に考えていたという。そしてこの大変な時期にiPodを発表することができて満足していると共に「世間の人たちにささやかな喜びを提供できるんじゃないかな」とジョブズは続けたという。同時に当該発表がアップルとして些か控えめになったことに触れつつジョブズは最後に「今は大変な時期だけど、でも人生は続く、続けなきゃいけないんだ」と自分に言い聞かせるようにレヴィに言った…。

テロの直後、Appleでもスティーブ・ジョブズが「…今日は家族と一緒にいたいと思うなら、そうしてくれて構わない。出社して働きたい社員のために、社屋は開けておく」というメールを社員全員へ送ったほど人々の心の傷は深く消沈していた。

当時 iPodの開発にたずさわっていた人たちもあの惨事の後、なにが重要なのか、何を優先すべきかが皆目わからなくなり葛藤に直面していた。Apple社員たちもスティーブ・ジョブズは出社しなくてよいと言ったが自宅でじっとしているのも気詰まりだったしいまの仕事をやり遂げるよりも優先すべきことも思いつかなかった。だから彼らはiPodを世に送り出すために、車に乗り込み白く輝くビル群が建ち並ぶAppleの本拠地、インフィニット・ループへと向かう。
こうして完成したiPodは、スティーブ・ジョブズが望み願ったように「世間の人たちにささやかな喜び」をもたらした。そしてその喜びの波紋は急速に世界中に広がっていった。

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※iPodのパッケージもキューブ型で大変印象的なデザインだった


ともあれこうしてiPodは発表された。私はといえばすぐAppleのオンラインストアに注文を入れた。音楽好きだからということもあったが、エコノミストや一部のジャーナリズムが酷評するような製品には見えなかったし、それまで使っていたMP3プレーヤーよりは良い製品に違いないと期待した。なによりもAppleの新製品だったからだ。しかしその後、このiPodが驚異的な売れ行きを示したことはご承知の通りである。

それまでパソコンメーカーのAppleは極小のシェアで満足するしかなかったし、コンピュータに興味のない多くの人たちには知られていなかった。
我々がMacintoshのことを「マック」と呼ぶとき、周りの多くはマグドナルドのことだと理解した(笑)。それがどうしたことか、電車の中、雑踏を歩く人たちの耳にホワイトのイヤーフォンが目立つようになった…。
iPodはジョブズのいうように私たちの日常生活を変える画期的な製品となった。



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Author:mactechlab
主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。2017年6月3日、時代小説「首巻き春貞 - 小石川養生所始末」を上梓(電子出版)。続けて2017年7月1日「小説・未来を垣間見た男 スティーブ・ジョブズ」を電子書籍で公開。また直近では「木挽町お鶴捕物控え」を発表している。
2018年春から3Dプリンターを複数台活用中であり2021年からはレーザー加工機にも目を向けている。ゆうMUG会員