SONY 初代ウォークマン (TPS-L2)とiPod 再考【2】
iPodが登場したとき「21世紀のウォークマン」と呼ばれることが多々あった。事実スティーブ・ジョブズも一目置いていた初代ウォークマンをiPodと比較しつつ、そのコンセプトに肉迫する第2回は、ウォークマンやiPodは私たちの音楽ライフだけでなく世界観をどう変えたのかについて再考を続けたい。
長らくAppleおよびそのプロダクト…主にMacだが…はマイナーなポジションを強いられていた。シェアが常に数パーセントという時代が延々と続くかと思えた。というより我々Macユーザーはそうしたシェアといったものなどとうに意識していなかったが…。
しかしそうした状況が変わる、変わるかも知れないと気づいたのは2001年以降電車の中やすれ違う人たちの耳に白いイヤフォンが目立つようになったことだ。無論それはiPodを使っている印でもあった。
iPodの白いイヤフォンは新しい時代の象徴…旗印のようにも思えた。ミュージックプレーヤーとしては些か高価だったが一時期入手し難かったことや嫌でも目立つからなのか街中で iPodを強奪されるというニュースが目につくようにもなった。したがって一部の人たちはイヤフォンだけ他社製のものを使い、自分が使っているのはiPodではないとカモフラージュするほどiPodは人々の目を引く製品になっていった。

※2001年にリリースされた初代 iPodと付属のイヤフォン。当研究所所有
さて、その白いイヤフォンより22年も前に登場したウォークマンはそうしたスタイルがより一般的ではなかったため、際だった批判の対象にもなった。ちなみにウォークマンが発売されたとき、スティーブ・ジョブズはまだ24歳だった…。
スティーブン・レビュー著「iPodは何を変えたのか?」の中で「実践カルチュラル・スタディーズ~ソニーのウォークマンの戦略」の著者はいう。「どんな場所にも音風景を持ち歩き音楽鑑賞の快楽を公共空間のど真ん中に持ち込み、同時に耳の中という個人領域に音楽公演という公共的行為を再現することを初めて可能にしたのは、ウォークマンだけなのだ…」と。
そして無論ウォークマンは後のiPodと同様にビジネスとして大成功しただけでなく、メーカーのソニーが考えもしなかったほど社会的影響力をも行使することになった。
ウォークマンへの批判は多義に渡ったが、難聴になるといった想像できる批判はともかく、ヘッドフォンをしたまま歩くのは危ないといった警告、そして本来人と人とがコミュニケーションすべき時に自己の世界に入ってしまい挨拶もできない利己的な人たちが増える…といった苦情も多くなった。さらにマスメディアもウォークマン流行をデジタル時計、ローラースケートと共に若者の新3種の神器として取り上げつつも「耳塞ぐ若者」とか「雑踏の中の孤独」と揶揄する…。
そういえば近所のおばちゃんは「あんなもので耳を塞いでいたらさぁ、道も聞けないよね」と顔をしかめていた時代だった(笑)。
音楽で自己に閉じこもるといえばウォークマンならずともそれは既に自家用車内の空間で実現済みのことだ。好みの音楽を車の中だけで楽しむというのは珍しいことではないが、それでも車の運転は当然のことながら周りに100%注視する必要があり、自己陶酔に至るわけにはいかないがウォークマンは違う。

※初代ウォークマン(TPS-L2)の旧セット(左)と新セット(右)。当研究所所有
歩きながらだと最低限、電柱や周りの人とぶつからないような配慮は必要だが、車と違いどんな場所でもヘッドフォンを外さない人たちが出てきた。街中だけでなく店頭でヘッドフォンを外さず大声を出す人、電車内で音漏れするほど音量が大きい人などなどいかにも周りから苦情が出てくる自己陶酔型が目立つようになる。
小型のヘッドフォンで耳を覆っている人たちは、カフェや図書館、電車内や道を歩いている時など、どのような場合においてもその姿は「話しかけないでください」といっているように見えた。事実そうなのだが(笑)。
このことはウォークマンに当初ヘッドフォン・ジャックが2つあったにも関わらず、早々に1つになったこととも関係する。
ソニーの盛田昭夫はウォークマンを1人で独占するのはそばにいる人に無礼ではないかと考えた。彼はウォークマンを恋人や友人と共有すべきだと思いヘッドフォン・ジャックを2つ付け、さらに聴いている最中にでも2人で会話できるようにとホットラインボタンをも考えた。しかしウォークマンがユーザーの手に渡ったとき、1番重要視されたのはその個人志向の特性だったのである。
結果としてほとんどそれらの機能は使われず、結果として盛田の主張は間違いだった。実際には誰もが自分専用の1台を欲しがったのだ。ウォークマンは音楽を共有するものではなく占有するものとして認知されたのだった。
この個人用オーディオの魅力は後にソニーは勿論 iPodを開発したAppleが嫌でも知ることになるが、ドラッグの効果と同じ2つの衝動にあることが分かってくる…。
それらは「逃避」と「感情の高揚」だった。ヘッドフォンやイヤフォンで自身の耳を覆い、お気に入りの音楽に包まれることは周囲の世界から自身を隔絶させるための安全で手頃な手段となった。勉強や進学の問題、職場あるいは家族や友人達とのトラブルなどなどに巻き込まれざるを得ない世俗のど真ん中であってもヘッドフォンを装着している間だけは周囲から自己を切り離すことができる…。
またそれまでの大型ステレオ装置にしばられず、ウォークマンやiPodと共に歩き回るうちに自分が聴いている音楽は自身のサウンドトラックとなり、見慣れた街角は物語の舞台と化していく。まさしくウォークマンやiPodは強力な仮想現実を生む装置ともなった。これが高揚・快感以外のなんであろうか…。
ただしウォークマンは iPodほど小型でなかったしポケットに入るサイズではなかった。ために付属のケースに入れて肩からぶら下げたり、ベルトに通したり、あるいはバッグなどに入れたとしても十数曲聴けばカセットテープの片面は聴き終えてしまい、裏返すか別のカセットを入れ替えるため一時的にせよ現実に引き戻された。
その点iPodは1000曲をそれもシャッフルして聴き続けることができる。周りの世界と隔絶して自分だけの世界に長く続けて入り込むことができる。バッテリーが続く限り…。
興味深い事にウォークマンやiPodの利点は反対にこうしたガジェットに興味がない周りの人々をより不安にしていく。彼ら彼女らがウォークマンやiPodに批判的なのは自分たちがただの傍観者であるばかりか、ヘッドフォンをしている人たちから無視され見下されているように思えたからかも知れない。同じこの世界に住みながらヘッドフォンをしている人々は平行世界の別世界にいる異星人のように思えたのだ。
繰り返すが近所のおばちゃんがウォークマンを聴いている人たち(私も含む)に「あんなもので耳を塞いでいたらさぁ、道も聞けないよね」といったその言葉が批判する人たちの的を得ているように思う。疎外感と共に歩きながらヘッドフォンを着けている人たちの意図が分からず不安になっていくのだろうか…。
しかしあれほど売れに売れたウォークマンも時と共にニーズとギャップを作っていく。カセットテープはCDになったがサイズが大きくなり音飛びが目立ち、CDやMDはカセットテープより高価だったし編集も面倒だった。次第に私たちはこうした個人用音楽システムを煩わしいものとして放り出すようになった…。
そうした不都合を改善するのは機器のデジタル化にあることは分かっていたが、登場しては消えて行く幾多のMP3製品はことごとく安物の出来であり、使いづらく失敗作だった。
iPodが登場したとき「なぜソニーからiPodが出なかったのか?」と多々言われたが、操作が容易でルックスも宝石箱のようなiPodは既存のしがらみのなかったAppleから登場する運命だったように思える。また別の見方をするならすでにソニーは、創業者の井深や盛田らのリーダーシップとはまったく違う価値観を持つ人物がトップとなっていたし先見性と柔軟性を失っていた。ソニーがAIBOやQRIOなどのロボット事業を捨てたのもコンテンツ重視の経営戦略となり、物作りを軽視した結果に違いない。そんなソニーからiPodは生まれるはずはなかったのである。
ともあれ iPodはウォークマンと比較して圧倒的に多い曲数を保存でき、シャッフル機能によりさらなる中毒性を発揮できた。

※ウォークマンとiPod
そのiPodはますます単に音楽を聴くだけのデバイスでなくなる。背面のステンレスに独自の刻印を依頼できるだけでなくiPodを飾り立てるケースがルイ・ヴィトン、プラダ、コーチなどなどから続々と登場し、本来大量生産品の iPodはユーザーにとって世界でただひとつしかないオリジナルなデバイスに変容する。そしてシャッフルさせた音楽はユーザー自身がインストールしたものだとしても再生する度に新しい世界を体験させてくれ、自分を理解してくれる1番の仲間となっていった。
【主な参考資料】
・スティーブン・レヴィ著「iPodは何を変えたのか?」
・ソニー企業情報 第6章
長らくAppleおよびそのプロダクト…主にMacだが…はマイナーなポジションを強いられていた。シェアが常に数パーセントという時代が延々と続くかと思えた。というより我々Macユーザーはそうしたシェアといったものなどとうに意識していなかったが…。
しかしそうした状況が変わる、変わるかも知れないと気づいたのは2001年以降電車の中やすれ違う人たちの耳に白いイヤフォンが目立つようになったことだ。無論それはiPodを使っている印でもあった。
iPodの白いイヤフォンは新しい時代の象徴…旗印のようにも思えた。ミュージックプレーヤーとしては些か高価だったが一時期入手し難かったことや嫌でも目立つからなのか街中で iPodを強奪されるというニュースが目につくようにもなった。したがって一部の人たちはイヤフォンだけ他社製のものを使い、自分が使っているのはiPodではないとカモフラージュするほどiPodは人々の目を引く製品になっていった。

※2001年にリリースされた初代 iPodと付属のイヤフォン。当研究所所有
さて、その白いイヤフォンより22年も前に登場したウォークマンはそうしたスタイルがより一般的ではなかったため、際だった批判の対象にもなった。ちなみにウォークマンが発売されたとき、スティーブ・ジョブズはまだ24歳だった…。
スティーブン・レビュー著「iPodは何を変えたのか?」の中で「実践カルチュラル・スタディーズ~ソニーのウォークマンの戦略」の著者はいう。「どんな場所にも音風景を持ち歩き音楽鑑賞の快楽を公共空間のど真ん中に持ち込み、同時に耳の中という個人領域に音楽公演という公共的行為を再現することを初めて可能にしたのは、ウォークマンだけなのだ…」と。
そして無論ウォークマンは後のiPodと同様にビジネスとして大成功しただけでなく、メーカーのソニーが考えもしなかったほど社会的影響力をも行使することになった。
ウォークマンへの批判は多義に渡ったが、難聴になるといった想像できる批判はともかく、ヘッドフォンをしたまま歩くのは危ないといった警告、そして本来人と人とがコミュニケーションすべき時に自己の世界に入ってしまい挨拶もできない利己的な人たちが増える…といった苦情も多くなった。さらにマスメディアもウォークマン流行をデジタル時計、ローラースケートと共に若者の新3種の神器として取り上げつつも「耳塞ぐ若者」とか「雑踏の中の孤独」と揶揄する…。
そういえば近所のおばちゃんは「あんなもので耳を塞いでいたらさぁ、道も聞けないよね」と顔をしかめていた時代だった(笑)。
音楽で自己に閉じこもるといえばウォークマンならずともそれは既に自家用車内の空間で実現済みのことだ。好みの音楽を車の中だけで楽しむというのは珍しいことではないが、それでも車の運転は当然のことながら周りに100%注視する必要があり、自己陶酔に至るわけにはいかないがウォークマンは違う。

※初代ウォークマン(TPS-L2)の旧セット(左)と新セット(右)。当研究所所有
歩きながらだと最低限、電柱や周りの人とぶつからないような配慮は必要だが、車と違いどんな場所でもヘッドフォンを外さない人たちが出てきた。街中だけでなく店頭でヘッドフォンを外さず大声を出す人、電車内で音漏れするほど音量が大きい人などなどいかにも周りから苦情が出てくる自己陶酔型が目立つようになる。
小型のヘッドフォンで耳を覆っている人たちは、カフェや図書館、電車内や道を歩いている時など、どのような場合においてもその姿は「話しかけないでください」といっているように見えた。事実そうなのだが(笑)。
このことはウォークマンに当初ヘッドフォン・ジャックが2つあったにも関わらず、早々に1つになったこととも関係する。
ソニーの盛田昭夫はウォークマンを1人で独占するのはそばにいる人に無礼ではないかと考えた。彼はウォークマンを恋人や友人と共有すべきだと思いヘッドフォン・ジャックを2つ付け、さらに聴いている最中にでも2人で会話できるようにとホットラインボタンをも考えた。しかしウォークマンがユーザーの手に渡ったとき、1番重要視されたのはその個人志向の特性だったのである。
結果としてほとんどそれらの機能は使われず、結果として盛田の主張は間違いだった。実際には誰もが自分専用の1台を欲しがったのだ。ウォークマンは音楽を共有するものではなく占有するものとして認知されたのだった。
この個人用オーディオの魅力は後にソニーは勿論 iPodを開発したAppleが嫌でも知ることになるが、ドラッグの効果と同じ2つの衝動にあることが分かってくる…。
それらは「逃避」と「感情の高揚」だった。ヘッドフォンやイヤフォンで自身の耳を覆い、お気に入りの音楽に包まれることは周囲の世界から自身を隔絶させるための安全で手頃な手段となった。勉強や進学の問題、職場あるいは家族や友人達とのトラブルなどなどに巻き込まれざるを得ない世俗のど真ん中であってもヘッドフォンを装着している間だけは周囲から自己を切り離すことができる…。
またそれまでの大型ステレオ装置にしばられず、ウォークマンやiPodと共に歩き回るうちに自分が聴いている音楽は自身のサウンドトラックとなり、見慣れた街角は物語の舞台と化していく。まさしくウォークマンやiPodは強力な仮想現実を生む装置ともなった。これが高揚・快感以外のなんであろうか…。
ただしウォークマンは iPodほど小型でなかったしポケットに入るサイズではなかった。ために付属のケースに入れて肩からぶら下げたり、ベルトに通したり、あるいはバッグなどに入れたとしても十数曲聴けばカセットテープの片面は聴き終えてしまい、裏返すか別のカセットを入れ替えるため一時的にせよ現実に引き戻された。
その点iPodは1000曲をそれもシャッフルして聴き続けることができる。周りの世界と隔絶して自分だけの世界に長く続けて入り込むことができる。バッテリーが続く限り…。
興味深い事にウォークマンやiPodの利点は反対にこうしたガジェットに興味がない周りの人々をより不安にしていく。彼ら彼女らがウォークマンやiPodに批判的なのは自分たちがただの傍観者であるばかりか、ヘッドフォンをしている人たちから無視され見下されているように思えたからかも知れない。同じこの世界に住みながらヘッドフォンをしている人々は平行世界の別世界にいる異星人のように思えたのだ。
繰り返すが近所のおばちゃんがウォークマンを聴いている人たち(私も含む)に「あんなもので耳を塞いでいたらさぁ、道も聞けないよね」といったその言葉が批判する人たちの的を得ているように思う。疎外感と共に歩きながらヘッドフォンを着けている人たちの意図が分からず不安になっていくのだろうか…。
しかしあれほど売れに売れたウォークマンも時と共にニーズとギャップを作っていく。カセットテープはCDになったがサイズが大きくなり音飛びが目立ち、CDやMDはカセットテープより高価だったし編集も面倒だった。次第に私たちはこうした個人用音楽システムを煩わしいものとして放り出すようになった…。
そうした不都合を改善するのは機器のデジタル化にあることは分かっていたが、登場しては消えて行く幾多のMP3製品はことごとく安物の出来であり、使いづらく失敗作だった。
iPodが登場したとき「なぜソニーからiPodが出なかったのか?」と多々言われたが、操作が容易でルックスも宝石箱のようなiPodは既存のしがらみのなかったAppleから登場する運命だったように思える。また別の見方をするならすでにソニーは、創業者の井深や盛田らのリーダーシップとはまったく違う価値観を持つ人物がトップとなっていたし先見性と柔軟性を失っていた。ソニーがAIBOやQRIOなどのロボット事業を捨てたのもコンテンツ重視の経営戦略となり、物作りを軽視した結果に違いない。そんなソニーからiPodは生まれるはずはなかったのである。
ともあれ iPodはウォークマンと比較して圧倒的に多い曲数を保存でき、シャッフル機能によりさらなる中毒性を発揮できた。

※ウォークマンとiPod
そのiPodはますます単に音楽を聴くだけのデバイスでなくなる。背面のステンレスに独自の刻印を依頼できるだけでなくiPodを飾り立てるケースがルイ・ヴィトン、プラダ、コーチなどなどから続々と登場し、本来大量生産品の iPodはユーザーにとって世界でただひとつしかないオリジナルなデバイスに変容する。そしてシャッフルさせた音楽はユーザー自身がインストールしたものだとしても再生する度に新しい世界を体験させてくれ、自分を理解してくれる1番の仲間となっていった。
【主な参考資料】
・スティーブン・レヴィ著「iPodは何を変えたのか?」
・ソニー企業情報 第6章
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