ジョブズ学入門講座「成功の秘密」【5】〜 企業の歯車では成功は難しい
スティーブ・ジョブズの一生を追ってみるとひとつの事が常に引っかかる…。スティーブ・ジョブズがスティーブ・ジョブズとして成り立ったのは無論Apple Computer社を創業してからだ。それまでの彼はアタリで仕事についたりもするが大学を中退し、空瓶を集めて金に換えたり、週に一度クリシュナ寺院に出向いて無料の食事にありついたりして糊口をしのいでいた薄汚い若者に過ぎなかった…。
どう贔屓目に見ても、裸足で歩き回り薄汚れたヒッピーのように目をぎらつかせていた男が世界を変えるとは周りの誰もが思ったことすらなかったに違いない。ただ我が儘で言いたいことを腹蔵なくいうこの若者の眼は見る者がみればどこか放っておけない魅力を湛えていたようだ。
結果論ではあるが、もしジョブズがアタリにしろ他のエレクトロニクスの企業にしろ社員として就職したと仮定しても、世間で言う出世は考えられなかったに違いない。
風呂にも入らず悪臭をまき散らし、周囲の人間達と馴染もうともしない若者がいかにチャンスに恵まれたとしてもせいぜいが上司に誉められ年俸が多少増える程度だろう。いや、その前に様々なトラブルを引き起こして首になるのが関の山だ。
スティーブ・ジョブズの人生でラッキーだったのは、スティーブ・ウォズニアックと出会いApple 1 を経てApple II に至るコンピュータを販売するApple Computer社を設立できたこと、そして何よりも創業者の立場で物事を押し進めることができた点だ。
とはいえAppleを法人化した1977年から1985年9月にジョブズが辞めるまで、CEOや社長というポジションにジョブズが就いたことはない。CEOには若すぎるとマイク・マークラらが考えたようだし経験の無さはジョブズ自身も承知していた。
したがって創業時にはマイク・マークラが連れてきたマイク・スコットが社長兼CEOを務めたし、当時の会長はマイク・マークラ自身だった。ジョブズは1981年3月から辞めるまで会長という職にあったが、どちらかといえばそれはお飾りのポジションだった。しかし株式上場で大金持ちとなったジョブズは創業者であることを誇りに思っていたし、常に人に使われるのではなく人をまとめ上げて使うリーダーである事を望み、事実そう振る舞った。
社長のマイク・スコットとぶつかり、Apple IIIの開発ではジョブズ特有の拘りが開発に影響し予定が遅れただけでなく出来上がったマシンは故障続きで売り物にならなかった。少なくともマイク・スコットはその原因がスティーブ・ジョブズにあると考えていた。さらにLisaの開発を積極的に推し進めたのはゼロックス・パロアルト研究所でインスピレーションを得たスティーブ・ジョブズだったが、結局災いの人としてプロダクトリーダーから外されてしまう。
やることが無くなったジョブズはジェフ・ラスキン主導で進めていたMacintoshの開発を知り、ラスキンを追い出してその小さなプロダクト開発のリーダーとなる。

※1984年Macintosh発表直後のスティーブ・ジョブズ。自身のオフィススペースで珍しく笑顔を見せる
それができたのも創業者だったからであり、周りの人たちも「奴のやることなら仕方がない」といった諦めと期待が混じった思いで納得していたものと思われる。また当時のApple首脳陣もジョブズがあちこちで変なトラブルを起こしたり、手当たり次第に口をだすよりMacintoshとやらの開発に注視していた方が安全だと考えていたようだ。ただし彼の役割は物作りというよりビジョンを明確にし予算を確保の上で開発部隊を鼓舞すると共にAppleという特異な企業の優秀な広報担当だった…。
とはいえMacintoshをリリースした翌年の1985年9月にジョブズはAppleを去ったわけで、自身の蒔いた種ではあったもののさぞや無念だったろうと推察できる。
創業してから8年後に彼は自身がヘッドハンティングしたジョン・スカリーに結果として追い出されたのだった。その8年間、スティーブ・ジョブズの功績といえばAppleという企業を創業し、Apple II をマニアックなボードパソコンとせずに樹脂製のケースに入れたこと、そしてなによりもAppleという企業イメージを身体をはって作り出した点にある。

※スティーブ・ジョブズとApple入社直後のジョン・スカリー
もともと他人のいうことなど耳を貸さないタイプの人間がこれほど大きなことをやってきた…できたことは驚異でしかない。それは彼の天分はもとよりだとしてもやはり “創業者” という冠がカリスマ性を大きくし周りを惹きつけてきたからだろう。単なるプロジェクトリーダーであるとか上司といった立場ならどこの企業に於いても彼の思いを形にすることは難しかったに違いない。
スティーブ・ジョブズという男も様々な挫折や屈辱を味わうことになったが、結果としてこれだけ評価される人物になり得たのは常に一般社員としてではなく創業者というリーダーの立場で動いていたからだ。
本編タイトルは「成功の秘密」と題しているわけだが、成功といっても人それぞれ思い望むところは違うだろう。しかしジョブズは単なる金持ちになっただけでなく世界を変えたのだ…。そして紆余曲折はあったにせよご承知のような人生を過ごせたのは間違いなく彼が人に使われる身ではなくAppleはもとより、NeXTやPIXARにおいても創業者あるいはCEOの立場を保持できたからに他ならない。ただし誤解があっては困るが、私は誰に対しても成功するためには起業して一国一城の主になるべきだ…と主張するつもりはない。
ありふれた人生訓をくり返すようだが、ビジネスにおいての成功と人生を謳歌することとは別である。例えばT/Makerの開発者、ピーター・ロイゼンは「実録!天才プログラマー」の中のインタビューでいう。「成功とは毎日やりたいことをやりながら、月末にはちゃんと勘定を支払えることだ」と...。
ただ…ひとつだけ言えることは常に正道を歩み、日の当たる道を進むことこそ大切なのではないだろうか。
どう贔屓目に見ても、裸足で歩き回り薄汚れたヒッピーのように目をぎらつかせていた男が世界を変えるとは周りの誰もが思ったことすらなかったに違いない。ただ我が儘で言いたいことを腹蔵なくいうこの若者の眼は見る者がみればどこか放っておけない魅力を湛えていたようだ。
結果論ではあるが、もしジョブズがアタリにしろ他のエレクトロニクスの企業にしろ社員として就職したと仮定しても、世間で言う出世は考えられなかったに違いない。
風呂にも入らず悪臭をまき散らし、周囲の人間達と馴染もうともしない若者がいかにチャンスに恵まれたとしてもせいぜいが上司に誉められ年俸が多少増える程度だろう。いや、その前に様々なトラブルを引き起こして首になるのが関の山だ。
スティーブ・ジョブズの人生でラッキーだったのは、スティーブ・ウォズニアックと出会いApple 1 を経てApple II に至るコンピュータを販売するApple Computer社を設立できたこと、そして何よりも創業者の立場で物事を押し進めることができた点だ。
とはいえAppleを法人化した1977年から1985年9月にジョブズが辞めるまで、CEOや社長というポジションにジョブズが就いたことはない。CEOには若すぎるとマイク・マークラらが考えたようだし経験の無さはジョブズ自身も承知していた。
したがって創業時にはマイク・マークラが連れてきたマイク・スコットが社長兼CEOを務めたし、当時の会長はマイク・マークラ自身だった。ジョブズは1981年3月から辞めるまで会長という職にあったが、どちらかといえばそれはお飾りのポジションだった。しかし株式上場で大金持ちとなったジョブズは創業者であることを誇りに思っていたし、常に人に使われるのではなく人をまとめ上げて使うリーダーである事を望み、事実そう振る舞った。
社長のマイク・スコットとぶつかり、Apple IIIの開発ではジョブズ特有の拘りが開発に影響し予定が遅れただけでなく出来上がったマシンは故障続きで売り物にならなかった。少なくともマイク・スコットはその原因がスティーブ・ジョブズにあると考えていた。さらにLisaの開発を積極的に推し進めたのはゼロックス・パロアルト研究所でインスピレーションを得たスティーブ・ジョブズだったが、結局災いの人としてプロダクトリーダーから外されてしまう。
やることが無くなったジョブズはジェフ・ラスキン主導で進めていたMacintoshの開発を知り、ラスキンを追い出してその小さなプロダクト開発のリーダーとなる。

※1984年Macintosh発表直後のスティーブ・ジョブズ。自身のオフィススペースで珍しく笑顔を見せる
それができたのも創業者だったからであり、周りの人たちも「奴のやることなら仕方がない」といった諦めと期待が混じった思いで納得していたものと思われる。また当時のApple首脳陣もジョブズがあちこちで変なトラブルを起こしたり、手当たり次第に口をだすよりMacintoshとやらの開発に注視していた方が安全だと考えていたようだ。ただし彼の役割は物作りというよりビジョンを明確にし予算を確保の上で開発部隊を鼓舞すると共にAppleという特異な企業の優秀な広報担当だった…。
とはいえMacintoshをリリースした翌年の1985年9月にジョブズはAppleを去ったわけで、自身の蒔いた種ではあったもののさぞや無念だったろうと推察できる。
創業してから8年後に彼は自身がヘッドハンティングしたジョン・スカリーに結果として追い出されたのだった。その8年間、スティーブ・ジョブズの功績といえばAppleという企業を創業し、Apple II をマニアックなボードパソコンとせずに樹脂製のケースに入れたこと、そしてなによりもAppleという企業イメージを身体をはって作り出した点にある。

※スティーブ・ジョブズとApple入社直後のジョン・スカリー
もともと他人のいうことなど耳を貸さないタイプの人間がこれほど大きなことをやってきた…できたことは驚異でしかない。それは彼の天分はもとよりだとしてもやはり “創業者” という冠がカリスマ性を大きくし周りを惹きつけてきたからだろう。単なるプロジェクトリーダーであるとか上司といった立場ならどこの企業に於いても彼の思いを形にすることは難しかったに違いない。
スティーブ・ジョブズという男も様々な挫折や屈辱を味わうことになったが、結果としてこれだけ評価される人物になり得たのは常に一般社員としてではなく創業者というリーダーの立場で動いていたからだ。
本編タイトルは「成功の秘密」と題しているわけだが、成功といっても人それぞれ思い望むところは違うだろう。しかしジョブズは単なる金持ちになっただけでなく世界を変えたのだ…。そして紆余曲折はあったにせよご承知のような人生を過ごせたのは間違いなく彼が人に使われる身ではなくAppleはもとより、NeXTやPIXARにおいても創業者あるいはCEOの立場を保持できたからに他ならない。ただし誤解があっては困るが、私は誰に対しても成功するためには起業して一国一城の主になるべきだ…と主張するつもりはない。
ありふれた人生訓をくり返すようだが、ビジネスにおいての成功と人生を謳歌することとは別である。例えばT/Makerの開発者、ピーター・ロイゼンは「実録!天才プログラマー」の中のインタビューでいう。「成功とは毎日やりたいことをやりながら、月末にはちゃんと勘定を支払えることだ」と...。
ただ…ひとつだけ言えることは常に正道を歩み、日の当たる道を進むことこそ大切なのではないだろうか。
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