ウォークマンの発明者はいったい誰なのか?

凝り性で自分でも少々嫌になるときがあるが、どうにも中途半端なままで調べものを放り出せない性分だ。過日からiPodの存在意義といったあれこれを調べているうちに初代ウォークマンに目が行き、その開発経緯を調べている中で「誰がウォークマンの発明者なのか」が気になり始めた…。


「iPodは何を変えたのか?」の中で著者スティーブン・レヴィも「ウォークマンの発明物語には多くのバリエーションがある」と記している。そうしたいくつかの逸話の中でソニーが社史として紹介しているのが折に触れてご紹介してきた当時名誉会長だった創業者の1人、井深大のエピソードだ。
それによれば彼が出張中に靴箱ほどのテープレコーダーとヘッドフォンを持参して大好きなクラシック音楽を楽しむのを常としていたが、さすがに気軽に持ち運べるものではなく当時発売したばかりのプレスマンというカセットテープを使ったモノラル仕様のポータブルレコーダーにステレオ機能を付け、逆に録音機能やスピーカーを外した物を作ってくれないか...と副社長の大賀典雄に願ったという話である。

Walkman_invention_01.jpg

※ソニーの大ヒット商品「ウォークマン」(右)とその原型となった「プレスマン」


また井深が打診した相手は大賀典雄ではなくオーディオ事業部長であった大曾根幸三に依頼したところ、彼が周りにあった部品類で即プロトタイプを作った。それを井深が気に入り、その可能性に気がついたもう1人の創業者の盛田昭夫が周囲の反対を押し切って製品化を命じたという話もある。

さらにスティーブン・レヴィはニューヨークの街角で、盛田がニューヨークを訪れたとき、大型ラジカセが響かせる轟音に辟易した経験から個人用プレーヤーを思いついたという説。また盛田の息子が自宅のオーディオで激しいロックをかけるのにうんざりして、クラシック愛好家の彼が思いついたというバージョン話も紹介している。

しかし大昔に私自身が雑談としてソニー関係者らに聞いたことがある話として、自分こそがウォークマンを発案した最初の人間だと自負している者が社内に沢山いたという(笑)。その時にはそれ以上話は続かなかったが妙なことには違いない…。

ともあれそうした人伝の話だけでは心許ないのでソニー社史とは違うエピソードを探したところ、1997年11月4日号「日録20世紀~1979年」(講談社発行)に掲載された「世界的ヒット!ウォークマン開発物語」には社史とはまったく違った話が載っていた。

Walkman_invention_02.jpg

※「世界的ヒット!ウォークマン開発物語」が掲載された1997年11月4日号「日録20世紀~1979年」講談社刊表紙


それによればウォークマンは「瓢箪から駒」で誕生したとし、もともとカセットテレコ(プレスマンに違いない)をソニーの若手技術者が改造し、パーソナルヘッドフォンステレオとして楽しんでいたものがヒントになったとある。カセットテレコのスピーカーを取り、ステレオ回路基板を入れ、再生ヘッドフォンをステレオにしてイヤフォンをヘッドフォンに付け替え個人的に楽しんでいたものが原型だったという。

その音を聴いた黒木靖夫(プロダクト・プランニング部長)が衝撃を受け、すぐに井深や盛田のもとに走ったことから企画が進んだのだという。もしこのエピソードが事実ならウォークマン発明の栄誉を受けるべき若手技術者の功をソニーの創業者や上司達が奪ったことになる…。

さらに当の黒木靖夫は1989年に筑摩書房より「ウォークマン流企画術」を出しているが(後に「ウォークマンかく戦えり」の書名で文庫化)、その中にも同様なことが紹介されており、可笑しな事に社史とはまったく違ったエピソードになっている。ウォークマン開発の直接の陣頭指揮をとった1人といわれる黒木靖夫の話とオフィシャルな社史とまったく違うエピソードは我々を混乱させるが、しかしこの種の話はそうそう単純なものではなく、大きな組織からこれまでにないプロダクトが生まれる場合にはよくある話だともいえる。

Walkman_inventionB_04.jpg

※黒木靖夫著「ウォークマンかく戦ええり」ちくま文庫刊


そもそもソニーの当該部署にはカセットテープレコーダーを設計し製作する技術と知識を持った人たちがわんさかいたわけだしすでにプレスマンという小型のテープレコーダーが前年に登場していた。したがって業務命令か、あるいはまったく個人的な行為であるかはともかく日々思いついたアイディアを形にしようと努力している人たちが多々いたとしても不思議ではない。したがって想像の域を出ない物言いではあるが、数人あるいはいくつかのグループが同時に同じようなアイディアを持つこともあり得るのだ。

そうした中に前記した井深もいたのかも知れないし、部下の功績を井深が奪ったというのではなくソニーの広報としては無難なストーリー…絵になる話を社史として載せたに過ぎないのではあるまいか。
事実大曽根たちは、1978年に発売していたプレスマンの改造品を井深のアメリカ出張に間に合うように仕上げて手渡したこと、井深が実際にその試作品を出張中に使ったがバッテリーが途中で切れてしまった話と共にプレスマンを改造して、大きなヘッドフォンを付けた試作機の写真がソニーの社史に載っているところを見るとまんざら作り話ではないように思える。

それに大層な話になるが、時代を象徴するような…あるいは時代を形作るような発明発見の歴史を俯瞰すると不思議に関連のない複数の人たちがほぼ同時期に同じような発明発見をしているというケースがけっこうある…。
例えば写真、カラー写真、映画、録音機、進化論、少数の発見、微積分、酵素の発見、太陽黒点発見、タイプライター、温度計、蒸気船、エネルギー保存の法則、望遠鏡などなども皆複数の発明あるいは発見がほぼ同時に行われているという。だから…ウォークマンも同じだと単純に申し上げるつもりもないが、井深がこれまでのテープレコーダーが重く大きく不便だと感じ、同じタイミングで若い技術たちがこれまた自分の好みと好奇心でポータブルなステレオオーディオを試作…といった事実はないとはいえまい。

実際に…いわゆるポータブルオーディオの特許を取得していたのはドイツ人のアンドレアス・パヴェルという人物だったという。無論ソニーがウォークマンをリリースしたときその事実はまったく知らなかったわけだが、その後パヴェルはベルトに装着するステレオというポータブルステレオの特許権を主張し20年にわたりソニーと法廷闘争を続け、紆余曲折の後でソニーとの和解が成立し、詳細は発表されていないもののソニーは多額の金を払ったという。

また企業側の肩を持つわけではないが、企画や開発のきっかけがどういったものであれ、大きな組織・企業の中で新製品を商品化するには、そしてビジネスを成功に導くためには様々なステップを踏みそれこそ多くの人たちの手が必要となる。
商品化を決定し、企画や稟議を通し予算を確保する。リスク回避を考えデザインや仕様を決め、決められた期限までに発表にこぎつけるためには猛烈に働く沢山の人たちの努力が必要なのだ。したがって最初のきっかけ、発明者は誰なのか…といった至極当然の興味を我々消費者は持つが、やはり公式には企業の責任者たちが表に出るのは当然でありやむを得ないと考える。

それに状況証拠というわけではないが、1979年2月にウォークマンの開発を断行し同年の夏休み前に発売するという無茶な企画によって生み出された経緯を考慮すると、通例のように企画書を上司にあげて承認を得、試作品を作る…といった開発手順をウォークマンはとっていないように思える。
もしヘッドフォンと共に使う小型のステレオカセットテープレコーダーを商品化するとなれば、それこそプレスマンをステレオ化すればそれで目的は達成できたようにも思う。

ウォークマンのユニークさはやはりトップダウンの意志があったと考えた方が自然に思うのだが…。名誉会長の個人的な依頼だからこそ忠実に実現しようとした担当者たちの思いを会長の盛田昭夫が興味を持って商品化の旗振りをしたからこそ4ヶ月ほどという短期間での商品化が可能だったのではないだろうか。

先の「日録20世紀~1979年」にはウォークマンを開発したソニーのプロジェクトチームとして会長の盛田昭夫、プロジェクトリーダーの黒木靖夫ら13人が誇らしげに記念写真に収まっているが、この人たちはあくまで組織や各グループの代表者と考えるべきなのだろう。決してこの人たちだけでウォークマンが開発されたわけではない…。

Walkman_invention_03.jpg

※「日録20世紀~1979年」にウォークマンを開発したソニーのプロジェクトチームとして会長の盛田昭夫や黒木靖夫ら13人の顔がある


例えばあのMacintoshの開発においても後に開発者として多々メディアに登場するビル・アトキンソンやアンディ・ハーツフェルドなど数人のメンツはいつも決まっていた。しかし現実は表に出てくる数倍もの人たちがそれぞれの役割を粛々と果たしてきたわけで、あくまでビル・アトキンソンやアンディ・ハーツフェルドらは代表としてメディアに登場したに過ぎないと考えるべきなのだ…。

とはいえウォークマンが世に出たとき、前記した若手技術者はすでにソニーを去っていた…などいう話も聞いた記憶があり、世の無常を感じざるを得ない。しかしウォークマンは幸いに世界的な大ヒット商品となったからこそのエピソードであり、記録もなく語られることもなく同様な話は日々あちらこちらで起きているに違いない。

【主な参考資料】
・スティーブン・レヴィ著「iPodは何を変えたのか?」
・黒木靖夫著「ウォークマンかく戦えり」
ソニー企業情報 第6章



関連記事
広告
ブログ内検索
Macの達人 無料公開
[小説]未来を垣間見た男 - スティーブ・ジョブズ公開
オリジナル時代小説「木挽町お鶴御用控」無料公開
オリジナル時代小説「首巻き春貞」一巻から外伝まで全完無料公開
ラテ飼育格闘日記
最新記事
カテゴリ
リンク
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

プロフィール

mactechlab

Author:mactechlab
主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。2017年6月3日、時代小説「首巻き春貞 - 小石川養生所始末」を上梓(電子出版)。続けて2017年7月1日「小説・未来を垣間見た男 スティーブ・ジョブズ」を電子書籍で公開。また直近では「木挽町お鶴捕物控え」を発表している。
2018年春から3Dプリンターを複数台活用中であり2021年からはレーザー加工機にも目を向けている。ゆうMUG会員